ハリス・レイン 島内中央広場 午後八時〇〇分三七秒
Interlude:Day first 2
赤外線スコープの照星に、『奴ら』の頭部を合わせる。
銃身を支える腕が緊張し、ストックの振動が肩を震わせる。重量約四キロの鉄塊を水平に向け、狙う先は200メートルの向こう側、広場に残された瓦礫の隙間を縫っての『奴ら』の頭部。
幾百幾千と繰り返した構え、幾千と体感した馴染みある重量。日常動作とさほど変わらぬ緊張で用いることができる技能は乾坤一擲。一部の狂いもない正確な精密射撃は、その距離がたとえ一キロの先であろうとも画鋲の穴を穿つことが可能だ。
深呼吸を素早く二回、スコープに宛がわない左目を閉じ、呼吸を停止し手の震えを止める。ぴたりと停止した緑色の視界の中、ただ銃弾を発射するだけの機構と化した自らの肉体の中で人差し指の感触がトリガーをなぞり、
―――― ドンッ!
着弾は一瞬。排莢は刹那。緑色の視界の中、狙い通りの位置に飛翔したライフル弾によって頭の半ばを吹き飛ばされ、広場に残された最後の『奴ら』が倒れ伏した。
左右に銃口を向け、『奴ら』の姿を確認する。敵はない。どうやら今のでこのあたりの『奴ら』は一掃できたようだ。止めていた呼吸を再開し、拾い物のライフルの座射姿勢を解く。
「終わった……?」
背後からかけられる、不安げな燈の声に頷きを返し、膝立ち姿勢から立ち上がった。
「とりあえず当面は大丈夫だろ。このあたりの奴は、大体一掃した」
スコープの邪魔になるからと消灯しておいたライトを再び点灯し、手元のセミオートライフルの弾倉を交換する。サイドのレバーを引いて初弾を装填し、手元に構えたままバリケードの残骸を乗り越えて広場へと足を踏み入れた。
市街地中央広場はその名の通り、この島の特殊な法体制が完成した際に作られたシンボル的な広場である。足元は米国の泥を日本の技術で焼いて作ったレンガ敷き、中央の噴水上に翻る旗は星条旗と日の丸、憲法記念と独立記念が盛大に祝われ、八月十日が悼まれるこの場所は日米両国管理の象徴とも言える場所であり、またその目立ち方、立地的な有用性から有事の際の避難場所として使用されている。
地下に広がる避難路の最大の入り口が付近にあるここは、市街地の最重要拠点と言っても過言ではない。
今となっては痕跡だけが残るバリケードや散乱した空薬莢はその事実を端的に示す残り火であり、そして今、手元にある銃はその事実の置き土産と言えるものである。
レミントン M24P対人狙撃銃。奇しくも俺が愛用とする銃と同じ、警察官配備モデル。弾丸が少量残留したまま廃棄されたそれは、俺にとっては有用極まりない武装の一つだ。
消音性には事欠くものの、射程距離の長い銃は安全性の確保に向いている。
ここに配備されていた特殊部隊の活躍のおかげだろう、『奴ら』の影が周囲にほとんどなかったのは幸いだった。周囲はごみごみとした商店街、発砲音の反響は激しく見通しは悪いが、避難所近く故に人の姿はなく、遮蔽物が多いが故にこの場は安全と言ってもいい。
足元の死体を乗り越え、捨てられた弾倉を跨ぎ、薬莢に注意しながらバリケードの残骸を乗り越える。
中央広場のシンボルを囲む形のバリケード内を鋭く見回し、銃弾の必要物の有無を確認する。近隣に特殊部隊員の死体――噛まれて一人自決したのだろう、頭に銃創が一つ。握りしめられた短機関銃に弾はないが、自決に使ったと思われる拳銃にはまだ弾丸があった。抜き取る。それと予備の弾倉が二本と――使えるかどうかはわからないが、ナイフも拝借する。他にはないかとあたりにライトを向けて――横転したバイクを発見した。
燃料は漏れておらず、見える限りでフレームに歪みはない。問題はキーだが、当たり前のように刺さっていたため特に問題にならなかった。キーを回転、エンジンをイグニッション。
機械的な駆動音が中央広場に響き渡った。
「よしっ……」
これでアシが手に入った。市街地は予想よりも安全。人通りの少なかった道を選択して進み続ければ、当面の危険を大幅に減少させた上で鉈切さんの家にまで到着できる。武器、食料、仲間、安全。考えうる限りの全てがあそこにある。今度どういう行動を取るにしても、一度あの場に立ち寄ることは重要になるはずだ。
ヘッドライトを点灯、ライフルを肩に引っ掛け、拳銃片手を片手に二度あたりへ目をやった。
「燈! バイクがあった! 行くぞ!」
いつの間にか傍らを離れていた同行者を探るべく声を上げる。暗く沈んだ広場、中央のオブジェが不気味にライトアップされる。
ライフラインはまだ生きているらしく、夜の入り端である今でも噴水は高く清水を噴き上げている。周囲のオブジェの照明の生死は定かではないが、何らかの理由によって点灯していない。
死と恐怖を蔓延させた闇の中、ヘッドライトとハンドライトのみが充満された不明の中から恐怖と希望を浮かび上がらせている。
今俺の手元に一つ、もう一つは――ヘッドライトに照らされた噴水の向こう側。
「………燈…?」
怪訝な目を向けながら、噴水を回り込む。
マグライトのLEDが作り出す白色の円の中、燈は自らの手中の白円を足元へと向けていた。ぽつりぽつりと死体の転がる中央広場、その間隙に露出したレンガ敷きの地面の上に屈みこみ、そこに落下した何かを見つめている。
「どうした? 何か見つけたのか?」
「あ、ハリス。ごめん……気付かなくて……」
「いや、当面の安全は確保してある。それより――――何を見つけた?」
問いかける言葉の後、すっ、と明かりが地面から拾い上げたカードのようなものを差し出してくる。
片やクレジットカード程度の大きさの薄い手帳。片やクレジットカードそのものの大きさをした白色のカードキー。カードキーは、これと言って特徴がない。少し血液が付着している以外は何の変哲もない、特徴のなさすぎる磁気カードキーだ。続いて手帳を開く。見覚えのある手帳、カラーリングからしても、見覚えがありすぎる。いやな予感を覚えつつ表紙をめくり、そこにある一枚を確認する。
「…………」
ぱたりと、無言で手帳を閉じた。
それだけでこちらが何を見たのか察したのだろう、燈が不安そうな目を向けてくる。その目線に軽くうなずくだけで曖昧に答え、渡されたそれらをポケットに押し込んだ。
手帳は、学生手帳。
目にしたのは、学生証。
島内国際学校、深紅に彩られた学生証は、その学校に存在する特別クラス所属の証。現在書類上に存在する所属生徒数は十一名、うち予想生存者は目の前で死亡を確認した龍美、単と、脱出の際に落下してしまった明日香を除く八名。そして学生証にあった名前は――――単の物。
山からの道中でこんなところを通るわけがない、日常で落としたとも考えにくい生徒手帳。考えたくない、だが理論的に考えうる結論としては一つ。この生徒手帳は運ばれてきた。他者か、あるいは本人の手によって。
『奴ら』に噛まれれば『奴ら』になる。そんなことはわかっている。ただ徘徊するだけなら手は加えないが、襲われたとなれば自衛のために攻撃することも行い、仲間に危害を加え得る可能性を排除する意味でも率先して討伐することもあるかもしれない。
だが、そこで俺は呵責を抱かずにいられるのか? 怪物化しているとは言え、かつての仲間をこの手で殺すことができるのか?
赤い色を思い出す。この手に残る粉砕の感触、飛び散る赤色、手に握った黒鉄の感触、引いた引き金、反動の感触は生々しく彩った色は快い――赤。
よぎった光景を振り払うため足元の死体を蹴飛ばす。重々しく肉を打つ感触。やってから後悔した。明確な過去の体現に等しい感触が足に纏わりつき、不快感が増し増しになった。
だが、おかげで目は覚めたらしい。
呵責――――その言葉に、俺は苦笑を隠さない。龍美を殴れと燈に指示し、会話の経験はないとは言え顔見知りの頭を砕いて頭部を撃った、それだけのことをしておきながら今更『呵責』とは聞いて呆れる。
断言しよう。俺は殺せる。例えそれが親友のベネルであろうと、後ろをついてきている燈であろうと。
化け物と化していれば、あるいは本人が望んだなら――――俺は、殺すことができる。
「………行くぞ、燈。長居しても、いいことはない」
「うん……」
不安げな表情を見せながら後に続く燈。その表情を見て、ふと思う。もし化け物と化していなくても、俺は後ろに付き従うこの少女の頭部に拳銃を突きつけ、引き金を引くことができるだろうか……と。
………はっ。
そんなこと、考えるまでもない。
突発的に浮上した考えに再度苦笑して、俺はバイクの後部に座るよう、燈に促す。ヘルメットはない、がこの際だ、気にする必要はない。
「燈、ライフル頼む。運転の邪魔だ」
「あ、うん」
拳銃を一緒に抜いてきたホルスターに収め、スタンドを蹴倒して発信準備を整える。背中にしがみつく燈の体温を感じながらバリケードの出口を探り、程よい隙間に向けてアクセルをふかした。
――――できると、言ってしまえる自分がどこか怖かった。
平然と命を与奪してしまえる、自分自身をここへきて畏れた。
バイクの方向を修正しながらその恐怖心を自覚し、そして決意する。背中の少女を守ろうと。自分の力及ぶ限り、不知火燈というこの女の子を守り続けようと。
今更だが……そう思って。
俺はアクセルを稼働させ、轟音と共に中央広場を後にした。