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纏ヶ丘 明日香 歴史資料館 午後七時五十九分〇一秒


 ――――キンッ


 白煙燻らせるライフルから、最後の空薬莢が落ちた。

 合計五発、破壊は五体。一発の無駄弾も使わずに最高効率で叩き出せた成果に内心で満足しながら、あたしは無用の長物と化したライフルを放り捨てた。

 島内歴史資料館一階。

日米両国管理であるこの島の資料に相応しく、展示資料は両国の歴史を忌憚なく集められている。電気が落ち暗闇と化した展示ホールは、一見しただけでもインディアンの祭具や日本の農耕具、集落の模型といった資料が無差別に並べられ、それだけで歴史的な参考資料としては一見の価値があるだろうと容易に思わせた。

 ただし、あたしの欲しい『資料』はこれではない。目指す資料は二階、近代史資料展示コーナーの一角にある戦争資料。ここの展示品の中にも武器としてはインディアンの槍があるが、あんなもの使うなんて、洒落以上の何物でもない。

 ………まあ、桜ならやりかねないけど。

 いや、間違いなくやる。彼女なら、間違いなくやるだろう。あたしの旧友久敷桜花、ドジで天然で咄嗟のことに弱いあの子のことだ、きっとこの状況なら自分の体格も考えず武器というだけで手を伸ばして振り回しかねない。

 くすっ、と笑みが浮かんだ。

 想像してみると随分可愛い光景だと思う。小さな体に飾り紐付きの長槍を構えて歩く親友の姿。まるで文化祭のジョークのような風景だが、なるほどそう考えるとまた違う味もある。文化祭の洒落としては、なかなかの逸品だ。

 だけど………その想像が、はたして現実になる機会があるのだろうか。

「…………」

 足元、先程の銃弾に倒れた『奴ら』を見下ろす。脳天に穿たれた大きな穴、胸部の肉が大きく抉れ片目を損じた死体そのものの姿がつい先程まで歩き回っていた、名状しがたい悪夢のような今の現実。

 過去のあたしが経験した精神の死ではない、明確なまでの肉体的な死の危険。そこかしこに満ちた、あたしの幸いを汚すその姿に憎悪にも似た感情を覚えた。

 こんな奴らが、日常を壊す。

 こんな奴らが、友人を殺す。

 考える脳がない屍のくせに。自己判断もできないような低能のくせに。

 ヨクモ……コンナコトヲ……

「………っ!」

 気付けば思い切り眼前の死体を踏みつけていた。

 抉られた心臓付近、肋骨を踏み砕き内臓を潰した不気味な感触とともに、『奴ら』の胸部が陥没する。折った肋骨が内臓を傷つけたのだろう、口から黒ずんだ血液が漏れ出ていた。

 自分の足が生命の基部を破壊した得も言われぬ爽快感が全身を駆け抜ける。が、その反面自分の特異点としての感覚が足裏で踏み割った骨の数、内臓の位置、その内容物、さらには血管の中身までを脳裏に描き込み、途端にその風景に吐き気を覚えた。

 陥没部から足を引き上げ、自己嫌悪のため息を一つ。

「あたし……何やってるんだろ………」

 こんな獣のような黒い衝動に身を任せて、自分の眼で確認した数が全てとも知れないのに、こんなことをして。

 いざというときの武器は、確かにある。が、ここで手に入る武器がちゃんと動作するという確たる保証もない。出会わずに済むのなら、それに越したことはないだろう。

 つまりこの行為は、完全に愚策。失敗以外の何物でもない、ただの癇癪だ。

 内心から湧き上がった自己嫌悪。ひたひたと迫るそれを感じながら、ベルトに手挟んだ『いざというときのための武器』を抜き出す。

 ………地下道出入り口が警備員室でよかった。

 抜き出したそれは拳銃。銃身上部が大きく開かれた銀色のそれは、鉈切さんのところで見た覚えのある自動拳銃で……確か名前をベレッタM92、といったはずだ。

 警備室で確認した残弾は六発。ライフルと比較すれば明らかに使いやすい拳銃という武器、その六発はさっきまでのライフルと比較しても安心感が強い。

 警備員室の床に落下していた警備員のジャケットの中から拝借した物だ。

 無人、密室の部屋。にもかかわらず部屋の荷物は散乱し、唯一の出入り口であるはずの地下道出入り口にも鍵がかかっていた。天井の蛍光灯は破壊され、窓のない警備員室は監視モニターの照らす白光のみが生々しく残り、だけどそこには一人の人間の姿もない。

 まるで異界へと足を踏み入れてしまったかのような、得も言われぬ不気味さ。

 そんな恐怖そのもののような場所にあたしが踏み入ることができたのも、今から考えれば冷静でなかったからだと断言できる。

背後からやってくる『奴ら』への恐怖心、刻一刻と仲間たちに迫っているであろう危機への焦燥、眼前に存在しているであろう危険地帯への畏怖。それらに背中を押されるようにしてあたしは警備員室へと這い上がり――――そこでこの武器と、さらに有用な情報を得られたのだ。

 歴史資料館、その各部屋を網羅する監視カメラの映像。

 モノクロながらも死角なく各部屋の内部を映し出す今現在の映像。うろつく『奴ら』の数、目的とする展示品の詳細な位置、各出入口の状況などの詳細な情報が、そこには映し出されていた。


 曰く、この施設の出入り口は完全に封鎖されていて地上からの出入りは気にする必要がない――――

 目的とする展示品は二階の部屋の角にある――――

 この施設内部に存在する『奴ら』は、全部で五体――――


 生憎と案内図の類は存在せず、仲間たちとやってきた際の記憶もうろ覚えであったがために内部構造は諦めるしかなかったが、それでも有用極まりない情報を手にし、地下警備員室から展示室へと移動、五体をライフルで処分したのが、今さっき。

 確かにこの施設内にはこれ以上の『奴ら』は存在しないし、外部からの侵入を警戒する必要もない。だからと言って過信するには少なすぎる六発の弾丸が、あたしの挙動を慎重にさせる。

 奥へと歩を進める足は音を立てぬように、視界を確保するライトはちらつきを生まぬように、銃を構える腕は左右ともどもぶれぬように――――。

 慎重に慎重を喫した行動は自然と神経を研ぎ澄まし、あたしの四肢をいつも以上に過敏にする。普段では感じないような足裏で踏み抜く物体一つ一つ、手にした懐中電灯と拳銃の構造、床板向こうの感触までを着実に感覚し、それ故にその中にある感触に恐怖する。

 足裏の向こう、床板の振動すら感じることのできる今のあたしにとって、今この建物はあたしの肌も同然だ。

 どこに何があるのか具体的にはわからず、そこに触れていることだけを伝達する不確定感覚。故に今この建物を歩くあたしにとって、この建物に潜んでいるモノがいることは自明だった。

 ………一階…いや、二階…?

 一歩一歩歩みを進めるあたしの足裏に伝達される振動。不規則リズムが合計――――四対八本。刻まれるリズムは紛れもない、不規則な生き物のそれであり、それだけでこの建物内に絶命させた『奴ら』以上の何かがいるのは瞭然だ。

 充填された闇を泳ぐように、さらに奥の展示室へと向かう。

時系列順で展示品を決めているこの資料館では、奥へ向かえば向かうほど近代へと接近する。アメリカ開拓時代を超え、西部開拓時代へ踏み入ったあたしの足裏が、ざり、とガラスを踏みしめた。

 フロアの床の上、ガラス片が散乱している。

 展示ケースではない、さらに細かなガラス。どこから? 疑問に顔を上げれば、天井の蛍光灯が砕けていた。

 ………そういえば、さっきの部屋のも砕けてたっけ。

 しょうがない。どこもかしこも大惨事の今日、壊れているものよりも無事な物を数えたほうが早いぐらいだ。電機が付かない、というのは少し不安だけど、どの道ついたとしてもつけるつもりはなかった。行動に支障はないとみていい。

 むしろ未知存在の接近をいち早く知ることができる情報源として、足元に散乱したガラスの存在はありがたかった。

「…………」


 ―――― ざり…… ざり……


 一歩一歩、砂を踏むような足音とともに室内へと足を踏み入れる。銃と同じ方向に構えたライトを素早く左右に向け、部屋の中を見回した。

 ………動く影、なし。壁のガラスケースに並べられた展示品は無機質な表情で、無人の室内を見回している。小さな駆動音が耳を打つ。見上げると、監視カメラだった。特に害はない。

 さらに奥、非常階段へと歩を進める。独立電源故に灯火されたままの緑の電燈を潜り、警戒を怠らぬまま階段ホールへ。

 吹き抜けの天井、木造の足元。散乱した蛍光灯の残骸は、ここにはない。闇が充填された室内、場所は変われど、ここも今までの部屋とそう変りな――――

「………?」

 ふと、足元に光の反射を見た。

 ガラスによる散乱ではない、金属質な反射。落下したコインのような平面な反射ではない、角度によって方向を変えるその反射に、思わず反射を拾い上げる。

………金属の、キャップ?

ひやりと冷たい小さな金属柱、片側に刻まれた凹凸と文字、もう片側が空洞となったそれは、あたしの記憶にある金属キャップに酷似している。

 が、もう一つ。あたしの脳裏に浮かんだのは金属キャップよりも手中の金属に酷似していて、なおかつこの状況の中に落下していても何ら不思議はない物体。今日数十分前、あるいは日常のとあるワンシーン、今の自分でも同じものを作り出そうと思えば可能な物体であるそれは――――拳銃弾の、空薬莢。

 馬鹿な、という思い。もしかして、という推測。両者に急かされるようにしてキャップで言うところの頭頂部を見、そしてそこに彫り込まれている文字を見て、推測が確信に変わった。

 間違いなくこれは拳銃弾の、それも今あたしが手にしているベレッタの弾、9ミリパラベラム弾の空薬莢だ。

 そして――――その存在は、どんな言葉よりも雄弁に発砲の事実を物語る。反射的に警戒を強めてみれば、足裏に感じる感触に極々小さな違和感が加わっていた。金属が転がるような極々小さな違和感、後押しされるように足元を見下ろしてみればそこには――――

 ………別の空薬莢、と……血の跡…?

 それも一つではない。一つ二つ三つ……数えてみれば、空薬莢は手元のを含めてなんと十発、血痕に至ってはコップ一杯のコーヒーをぶちまけたかのような有様で、ぶちまけられた血液は前衛的な模様のように、絨毯の上へ暗がりを残していた。

 入った瞬間気付かなかった自分が滑稽になるほどの、明らかな戦闘の痕跡。

どこへ撃ったのか、何に撃ったのかはわからない。階段下で発砲を繰り返した、のだろうか。この狭い階段前の構造から考えると、ここから非常口入口に向かって撃つわけもないので、おそらく標的は階段上。その標的は……やはり『奴ら』、だろうか。

 ………ううん……。

 そう考えた思考を、自らで即座に打ち消す。

 ………違う…

 階段へと足を踏み入れ、数段を上り壁を見上げる。

 暖かな雰囲気を残し、木目も鮮やかに張り上げられた板張りの壁面。見上げるそこには、何かが爆ぜたような傷がある。内部に金属、縁に爆ぜたような痕跡残る穴、つまりこの穴は、

 ………弾痕…。

 一.五メートルほどの幅を持つ階段の壁に、階下からめり込むような形で残されたそれに不思議な違和感を感じ、注意深くあたりを見渡してみれば、他にも周囲にいくつかの弾痕の存在がある。

 ミスショット? と思う。警備員とは言っても完全な腕を持つわけではない、失敗してめり込むこともあるだろう、と。

 が、その思考は、ライトとともに後ろを振り返った、その瞬間に打ち消された。

 階段下真上、入ってすぐのところ、空薬莢の落下地点に、一発の弾痕が残っている。

 天井へ向けて引き金を引くなどありえない状況で、あんな位置に弾痕が残っているというその事実、それは残りの壁へめり込んだ弾丸が『失敗によってめり込んだものではない』という推測へと至らせるには十分すぎた。

 そして他方、見下ろす足元に血液の黒ずみも、屍の影の一つもなく、さらに弾痕の数も装弾数十発少々、現状一挺が六発を残している銃で撃つには多すぎた。

 線でつなげば浮かび上がる危険な事実。次いでその事実を裏打ちする脳裏での合致。背筋の凍る思いとともに、あたしはさらに警戒を強め、そして一つの事実を確信した。

 警備員の撃った弾は、『奴ら』以外の生物に向かって撃たれた。

 そして……その弾は一発も当たってなく、加えて『それ』は壁、天井を問わず行き来できる。

 警戒を強め研ぎ澄まされた感覚が語る、八対の不可思議な感触。まるで蜘蛛が壁、天井をはい回っているかのようなその感触に、自然、あたしの意識は階段と展示室を隔てる扉の方へと吸い寄せられた。

 一枚板の、木造扉。

 この一枚隔てた向こうは特別展示室、通常の歴史資料ではない、時期折々の展示物を配置した、この資料館の中で唯一流動的な展示品を取り扱う部屋である。

 確か今のテーマは、日米両国美術品展だったはずだ。

 触れる足から伝わる情報が物語る事実は、この部屋の中に蜘蛛のような足音を持つ『何か』がいるということ。

 そして記憶が物語る事実は、この部屋を抜けなければ内部から近代歴史資料まで到達できないということ。

 引き返す――――その選択がふと脳裏を過ぎる。逃げ出したところで誰も責めることはない、武器はすでに手中に手にした、だからこの扉を開く必要もないだろう。賢明な選択はここで引き返し、鉈切さんの家で弾丸を調達するという、この選択だ。

 が……そうした場合、この扉の向こうにある四つの展示室を隔てた院長室には、


 非常事態警報まで、至ることができなくなる。


 ………桜…

『奴ら』満ちる島の中、必死になって逃げ惑っているであろう親友を、危機にあるまま放置することになる。

 そんなこと……そんな、恩知らずなこと……

 そんな、命を拾ってもらったに等しい大恩を仇で返すような真似、絶対にしたくない。

 腹は決まった。

 ドアノブを捻り、わずか扉に隙間を作る。明かりが落とされ蛍光灯の断片が散乱した部屋の内装がちらりと目にはいる、がそのまま開け放つことはせずに、扉から一歩、距離を取った。

 この扉の向こうに、『何か』がいる。

 拳銃とライトを構え直し、呼吸を整え、警戒のままに一息意志を固め、


「――――ッ!」

 ―――― ガンッ!


 半開きの扉を蹴飛ばし、一気にドアを開け放った。

 対面に展示された着物の金糸が光を反射する。パネルにされた大判のモノクロ写真の中で、男が満足げな笑みを浮かべている。足元に散らばりライトを照り返す蛍光灯の破片は、水槽の中のガラスビーズにも似てどこか幻想的だ。

 そして、いる。これだけの近距離、位置はもう間違えない。ここから死角になるドア上部の天井と、左壁に据え付けられた展示ケースの上。その二か所に、例の感触を発する『何か』が潜んでいる。

「……………」

 やれる、と本能的に思った。

 相手が何であれ、そいつは『拳銃弾を避けた』という事実がある。音に反応しての本能的な跳躍や疾走によって回避するにも拳銃の音は大きすぎ、またその大きさの割に弾は小さく、音のみに頼っての回避には無理がある。自然、そこから考えうるのはこの生物に視覚があり、また感覚神経が異常発達していることが考えられる。

 ならば――――その情報を奪えばいい。

 手元のスイッチを操作し、あたしはマグライトの電源を落とした。

 突然訪れた、ライトの明かりすらない完全な暗闇。視界に移るのは極々わずかな輪郭、歩くことすら不可能なその空間の中、あたしは意を決し、部屋の中へと駆け込む。

 視界がない、それは常人の秤で測った場合の行動不能状況だ。

 常人を超えた感覚、『特異点』という名の異常因子を有するあたしの皮膚感覚は、フル集中下において建造物の構造をそこを歩く人物の足音から判断するほどの芸当を可能にする。それは言い換えれば、どこかに足がついていれば部屋のどこにいるのかがわかるとも言えるわけで、

 だからこそ。

 視覚という最大の感覚を封じた今であれば、部屋のどこに何があるのか程度の情報を得るのに、一切の苦労はない。

「………っ!」

 駆けこんで部屋の真ん中、入り口直上に位置したままの『それ』へと、あたしは引き金を引き絞った。

 迅雷のごとき閃光は刹那。駆ける銃弾は一瞬。撃ち放たれた弾丸の確かな振動を手に残し、小さな蠕音とともに湿った音を床へとぶちまけた。

 床へと落ちる液体の感触に着弾の答えを得る。その感触に気を許さず、蠢き落下した箇所へと銃口を向け、発砲を続けた。

 一発。床へと蹲った何かが再び痙攣する。

 二発。痙攣する床の塊の頭部がこちらをとらえる。

 三発。持ち上がった頭部から後ろへ黒が吹き出し、

 そしていきなり右から衝撃を受け、身がガラスへと叩きつけられた。

「―――――――っ、ァッ!」

 あまりの衝撃に声もなく、しびれる脳裏に感覚も失した。ちかちかと明滅を繰り返す視界の中、這い上がる吐き気と肺の痛みにむせ返り、左腕の痛みと足元の感触に、あたしが今ケースの中へと叩き込まれた事実を知る。

 何が、と思う暇もなく右腕からの感触から床へとケースを奥へと転がった。

 足元、先程まであたしがいた場所へと叩きつけられる重量物の感触。反応する以前の問題としてそちらへと発砲、が、その前に跳躍の感触がケースを軋ませて天井へと移る。マズルフラッシュの刹那、映った姿は怪物の一言。

 言うなれば人間を原型にした獣と蜘蛛の折衷品。大きく伸びた手足と顔は人の物。が、そこから伸びる鋭利な湾曲した爪や、関節が外れているとしか思えない顎にずらり並んだ長大な乱杭歯は人の物ではありえず、胸の皮膚を刺し貫いて伸びた無数の肋骨は自他の判断ができぬ血でぬめりを帯び、その姿が四つん這いで駆け回る姿は人を無理やり蜘蛛の姿にしたかのような有様で、

「いやぁっ!」

 本能的な恐怖に駆られるままに銃口を感触へと向け、引き金を引いた。

 怖い、怖い、怖い、怖い、怖い!

 本能のままに引かれ続ける引き金、吐き出される空薬莢、めり込む弾丸。なのに血は一切噴き出さない。

 アレに、弾が当たっていない。

がきん、と引き金が空間を弾いた。だん、と床にアレが降り立った。

 血の気が引く、焦りが体を支配する。がきん、がきん、と引き金を引き続ける右手、裏腹に左手は無意識にあたりを探る。ガラスが刺さる。血が滴った。


 どん、と正面で感触。


 逃れられない――――

 絶望すると同時、左手が重い棒状の物を掴み、

「!」

 感触がそれの正体を掴み、右手が反射で抜き放つ。瞬間、


 ―――― ずぶり


 右手に走った、ぬめりと蠕動の感触。重みは人、割れたガラスが降り注ぎ、頬に鋭い感触が走った。

 びくびくと右手の先で何かが痙攣する。突き刺さった手に血のぬめりを感じて、思わずその場に捨てて床へと飛びのいた。

 衝撃を受けた際に落としたであろうライトが足元に触れる。拾い上げて感触を確認するが、そのまま灯火しないでおくことにした。ここへ来るまでと学校でちょっとは慣れたとは言え、あれほどグロテスクな見た目の屍を見たくはない。

 だけど、

「――――怖かった……」

 今更になって、膝が笑ってきた。

 死ぬ寸前、やられる寸前。弾はすでに切れ、身動きは取れない状況で、感触だけが全ての中、あの突撃。

 もしここが美術品の展示室でなかったら、左側が日本産の物でなかったら、感触でそれだと気付かなかったら。

 それだけで、きっとあたしは、死んでいただろう。

「…………」

 脱力し崩れ落ちそうになる体を何とか支え、這い寄るようにして割れたガラスケースの中からもう一振り、それを引きずり出す。

 重量約一キロ、表面は漆塗り、柄は糸。長さはおよそ九十五センチ。機能と実用を両立させ、現代でも扱う術を学びうる芸術品であり、国際的にも好まれるが故にこの島にもある武器。

 名前を、日本刀という。

 ………重い、けど…

 悪くない。持ち運びに不便、という点は問題で、一撃必殺という威力を発揮しえない以上、あたしにとって刀は有用な武器ではないが、それでも有効な武器であるという点は変わらないし、一応、礼さんに教わった経験はある。

 間に合わせ程度になら、持って行っても支障はないだろう。

 そう考え、あたしは感触を頼りにその部屋を後にした。



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