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ベネル・マスタートル  市街地林道 午後七時三十一分0七秒


 ―――― ドンッ!


 引き絞ったトリガー、手の中で暴れ狂う衝撃。吐き出された薬莢は前方で飛び散った血とともに石を敷き詰めた遊歩道の上を跳ね、木々の間に音を響かせる。

 空薬莢が立てるは軽快な鈴を思わせる金属音。

 肉片交じりの血が立てるは耳元で不快感を煽る湿った蠕音。

 そして……倒れる『奴ら』が立てるは生者にしてはあまりにも重すぎる肉の音。

 発砲、殺害。その事実にさしたる感慨を抱くことなく銃を突きつけた体勢から反転、背中側の『奴ら』へ横殴りに手斧を叩きつける。


 ―――― ごちゃっ!


 伝道する頭蓋を叩き割った確かな手応え。頭部側面へ斧を鋭角に食い込ませた『奴ら』を蹴り飛ばし、倒れる死体をそのままに後方へ跳躍、正面に群れる『奴ら』から距離を取る。

 発砲は最低限に抑えるべき現状、戦闘はなるだけ回避するべき実情。音を持って世界を認識する性質を持つ捕食者が満ち満ちている状況であり、また休息や食料、飲用水が不十分であることを鑑みても、その両者は絶対的に守るべき要素である。特に前者は強力ながら轟音を響かせる諸刃の刃であり、それが使用される場合は最悪の状況、使用しなければ生命が危ぶまれる状況になければならない。

 自分には二度、同行者には一度訪れた――――


 ―――― ドンッ!


 ――――訂正。

 互いに二度ずつ、合計四度訪れた最悪、命の危機という形でもない限り、銃弾は吐き出されないはずなのだ。

「………っ、………っ、…っベネル…」

「ああ、わかってるっ! そっちは?」

 背後に軽く隣接した柔らかな温度、荒く呼吸を繰り返す由梨絵が焦燥に満ちた声を返す。

「見える限りで……結構。これ……どうして……?」

「わからない……っ、このっ!」

「いゆすりあめはいちょたすけおよびにい――――」

 ――――ごちゃっ。

 困惑に満ちた由梨絵の声にこたえながら、正面から踊りかかった一体へ手斧を食い込ませた。

 痺れの残る手斧持つ腕。かなりの数の頭を叩き割ってきた結果がこれだ。武器は大丈夫でも、腕の方がまずい。あと数体でも叩き割れば、おそらくこの腕は握力をしばしの間消失するだろう。

 だが――――現状見える範囲に、逃げ場はない。

 島内山林公園、市街地の山にほど近い外れに位置する緑地公園である。広大な敷地と天然林の間に敷かれた林道など、島民の癒しを目的として作られた公園の中には無数の自然があり、それ故に平日休日を問わず訪れる人間は数多い。

 が、その反面、この土地は逃げ場には適さない。

 日常であれば精神を休めるはずの天然林は視界を多い緊張を高め、林道を舗装する石畳は地面から隆起した木の根によって数多くの凹凸を形作っている。天然林故に林道から外れた足場は走るに適さず、また全体的に温度が低いため、ベースを作るにも不向きな土地だ。

 だからこそ通路に最適と、俺は考えた。

 逃げ込むに適さない場所はその反面、初期段階で逃げ込んだ人間が少ないことを意味する。死した人間が変異するという特性上、この土地には単純に考えて『奴ら』の個体数がそれほど多いとは考えられず、また目的地である鉈切さんの家まで最短でたどり着けるここは、現状考えうる限りで最適だと、そう考えていた。

 だが――――その読みは、外れていたらしい。

「林道は駄目だ! 林の中へ!」

「んっ!」

 斧の食い込んだ一体を蹴り飛ばして引き剥がしながら支持、ついで自身も右側の林の中へと飛び込む。

 ――――林道へ逃げ込んでしばらく。俺たちは『奴ら』の群れに囲まれた。

 多すぎた。

 あまりにも、『奴ら』の数が多すぎた。

 逃げることも戦うこともできなくなるほどの量。下手をすれば学校で出くわした連中の数よりも多いだろう。背後を塞がれ逃げられなくなった公園内を、俺たちは逃げ惑うしか許されなかった。

 とうとう道の左右を囲まれたのは、わずかに数秒前。

 倒した『奴ら』は数知れず、攻撃した回数はさらに数多。幾度かの危機には倒すことを諦め逃げ出し、その都度疲労は堆積し、危機は増大した。

 それでも林道を外れなかったのは、一重に暗闇の中を走る危険性を理解していたからだろう。上空を茂る葉に覆われ、日はすでに暮れた今、足元悪く視界も暗く、追手もかかった林の中を走るにはあまりにも危険だ。

 だが――――もはやそんな日和った思考の余力はない。

「にげるとととまましになああるりえまはい」「他明日ケマすりまいしるぐりえうるちらい」「比七ないしぎりっああ危ない窺けけけけけけけ」「しょるいろちめいれいるつヴぃめうろ」

 林道から転がり落ちるように林の中へ飛び込み、そのまま足を止めずに駆けだした。

 銃をベルトにねじ込んで点灯したマグライト、強力な白い発光の中に映し出されたのは、眼前に迫る『奴』の顎。

「っ!」

「ベネル!」

 ――――ドンッ。

 傍らで銃声、飛び散る脳漿。倒れる死体は右から左。マズルフラッシュはごく一瞬、照らされる林、幾体かの『奴ら』。

「助かった!」

「……気を付けて!」

 短い言い交し、そのまま山林の中を駆け抜ける。通り縋る『奴ら』をかわし足元の根を飛び越え、由梨絵へと手を伸ばした一体の頭を砕き、林道を超えて向こうの林へ。

 林道は頭に入っている、が、林の中はどこをどうかければどこへたどり着くのかがわからない未知の領域だ。その未知を振り切るために、俺は駆け回りながら空を見上げた。

 見える景色は昏い緑に覆われた暗い空。日もすでに沈み、後はわずかな夕日の残滓を残すだけとなった空に、うっすらと星の輝きを見て取った。

 そして――――その風景から、俺は読み取る。

 現在時刻……午後七時十六分三十秒前後。

 現在位置……市街地山林公園の雑木林内、全体図の中央東寄り。

 走行方向……南東。

「由梨絵、左へ!」

「っ、うん……っ」

 読み取った情報から位置を判断、そのついでに時刻まで認識し、方向を変える。ついでに現在位置、時刻まで把握できた。これでこの情報を忘却しない限り、俺は決して迷うことはなくなった。

 特異点《空読(スカイ・リーディング)》。空にある太陽、月、星の位置と記憶した地図などから現在の位置、時刻、方角を読み取り記憶し判断する、過去の船乗りが有した技術の発展系進化系。ただその場で判断するだけではない、一度でも読み取った情報を忘却しない限りは、例え屋内をどれだけ移動しようとも現在位置を把握し損ねることはない点が、特異点が特異点たる由縁。

 目的地までの距離は山林公園を超えて残り1.5キロ。公園の突破まではあと800メートル弱。直線で行けば、ぎりぎりどうにかなるかもしれない。

 方向を変え、走りだす、その直後。

「っ! ベネル、待って……!」

 由梨絵が、静止を口にしながらその場で足を止めた。

 どうした、と口にする、その寸前に気付く。目の焦点が違う。ここを見ているようで見ていない胡乱な目、見開かれたその表情は由梨絵が自らの特異点を持って過去を見通している、その証拠。

「………その先……ダメ…。人が多すぎる……」

「人……? 『奴ら』か?」

 胡乱な目のまま頷く由梨絵。

「どうして……ここ、逃げるのに向いてない………。一団じゃない群衆……避難……誘導……。あ、嘘!」

 眼前で、由梨絵が息を飲んだ。

「……わかったのか?」

「うん……。ここ、避難誘導路だ……」

「っ、そういうことかよ……っ!」

 納得しながら歯噛みし、頭の中の地図へと再び意識を落とした。

 避難誘導路、つまりは避難を求めた人々を安全に避難所へと誘導するための順路。日米両国管理という特殊体系を取るこの島の特性上、有事の際の避難誘導には気を使われており、その一環が俺たちが日常たまり場として利用してきたライフラインの地下道がある。が、そこへ到達するための順路にはこれと定められている物は存在するもののその道中は島内殿地図にも載せられていないのだ。

 盲点だった。避難施設は確かに公園内に位置する浄水施設がそれであるが、この施設には有事の際の物資は保管されているものの、脱出路が存在せず、故にこのアウトブレイクから非難するために使用されることはないと、そう考えていた。

 それがまさか避難誘導路。

 その一団が内側からにせよ外側からにせよ『奴ら』によって破られたのであれば、現在のこの状況に説明はつく。

 この先を使えない、となると必要なのはかなりの遠回り。山林の中をこのままぐるりと迂回する形で移動し、侵入した南側から半円を描くように北側へと出る。その総距離はおよそ二キロ。が、避難誘導路となっていたのなら先程囲まれた『奴ら』よりも数多くの『奴ら』が存在していると見て間違いない。弾丸は残り三発、それ以外の武器は手斧と草刈鎌、音を立てぬように逃げるにしても、足元が整備されていないこの土地において、逃走の経路を取ることはあまりにも難しい。

 どうする、どうすればいい? 考え込む時間はない。現状での最良は行動を取らぬこと、安全な施設に逃げ込むことだ。疲労を回復し朝を待ち、行動を取れるような状況にまで巻き返すこと。それが重要になる。だがこの近辺に逃げ込めるような場所はない。あるにはあるが、おそらく『奴ら』でひしめいているだろう。ならばどこかほかに――そう、『奴ら』の絶対に入り込めないような場所で、ある程度の休息も取れて、見渡しのいいところがいい。だがそんな都合のいい施設なんて、どこにも………

「っ! そうだ、こっち!」

「ん」

 ある。一か所だけ。おあつらえ向きの場所が。

 都合のいいことに山林公園内、ここからもそれほど離れていない。走り抜ければ五分以内、山林内だけで向かうことができる。

 焦燥に駆り立てられるままに、足を速めた。『奴ら』がこちらに手を伸ばす。が、相手にしている余裕はない。今は急ぐとき、一分一秒でも早く目的の場所へと辿り着くべき瞬間だ。すでに日も暮れた今、一分一秒が俺たちの命を削り取りかねない。急げ、急げ、急げ、急げ――――

 由梨絵が、転倒した。

「あ――――っ、痛っ……」

 俺の少し後方、木の根に足を取られたのか、由梨絵がその場で倒れこんだ。急停止して反転、駆け寄り助け起こすその前に、由梨絵目がけて手を伸ばす一体の『奴ら』。

「っ、このっ!」

 駆けこむ勢いをそのままに胴体を蹴り込む。跳び蹴りを受け派手に転倒する『奴ら』の傍らに着地し、そのままの勢いで身を反転、手にした斧を側頭部へと叩きつける。

 今度の音は以外なほど鈍かった。

「大丈夫か?」

「……っ、平、気………っ」

 息が上がっている、痛みで顔が揺れている。手が胸部に向かっている。おそらくは縫合が解けかけているのだろう。これ以上走らせるのは、危険だ。

「っ、ちょっとベネル……」

「なりふりかまうな。走れなくなるぞ」

「………うん」

 横がかえ、いわゆるお姫様だっこ。走り続けるにはこれが一番だ。大切なぬくもりを腕に抱えたまま、再び山林の中を全力で疾走する。

 由梨絵は軽い。同い年とは重ぬほどの矮躯はかつて師と仰ぐ人物に教えを乞うた際に担がされた装備と比較しても軽く感じられるほどだ。担ぐに苦はなく、足元に不安はない。

 ――――見えた。

 焦燥の中に小さな安堵を感じる。巨木というにふさわしい大きさを持つ樹木から垂れ下がる縄梯子、その足元にまで一気に駆け寄り、由梨絵を下した。

「先に!」

「うん……」

 ぎしぎしと軋みを上げる由梨絵を先に上らせ、自分はあたりを警戒する。見える限りの『奴ら』は遠いが、油断は禁物だ。

「ベネル」

「おう」

 上から駆けられた声に縄梯子を掴み、一気に登る。上った先は樹木の上に作られた小屋の前、いわゆるツリーハウスの正面だった。

 数か月前にクラスメイト達と作り上げた、山林の中にあるたまり場。特異点を総結集して作った小屋の強度は心配していなかったとは言え、自治体からも見逃されず壊されている可能性も考慮しなかったわけではない。ここに数か月前に作り、数週間前に最後に利用した時と変わらぬ姿であってくれたその事実の方が、今はありがたい。

 縄梯子を上へと巻き上げ、縛り付ける。ドアへと歩みよりそのノブに巻きつけていた綱を――――

「………由梨絵、下がってろ」

 ガバメントを構え、慎重にドアの脇に身を張り付ける。

 縛っておいたはずの綱が、斬られている。結び目はそのままに落下した綱の切り口は、見る限り真新しかった。

 明日香によって暗号化にも等しい形で結ばれていた綱はそう簡単にはほどけない。ほどき方を知るのはその高度に専門的な結び方を知る者か、明日香によってそのほどき方を教わっている仲間内のみ。

 故に、これが切られているということは。

 専門知識を持たぬ、仲間内でない人物が中にいるということになる。

 そして――その人物は安全か危険か、現状では判断がつかない。

「………由梨絵、見えるか?」

 はたして、俺からの問いに由梨絵は首を横に振る。もとからさしてあてにしていたわけではない。由梨絵の特異点はその時々でかなり左右されるもの、情報が入手できれば、それは御の字だ。

「……………」

 ガバメントを握りこむ。息を一つ、つく。

 ドアに罠――――なし。足元に危険物――――なし。窓の中に明かり――――小さな点のような明かりが一つだけ。

 突入なら、今しかない。

 一つ、二つ、三つ。

 心中で数を数え、頭の中を平静にする。そのままゆっくりと、ドアノブに手を伸ばし。


「……………っ!」


 一気にドアを開け放ち、内部へと銃口を向けた。


 ――――そこにいたのは………



 


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