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纏ヶ丘 明日香 国際学校 中庭 午後六時四十七分五十三秒


 ――――気持ち悪い。

 誰もがあたしにそう言った。

 始まりはお母さんからもらった時計を手に取ったとき。普通の人には感じられないような微細な感覚をあたしの感覚は鋭敏に捕らえ、どこでどの歯車がどれだけ回っているのか、どんな構造で時を刻んでいるのか、そんなことを、いともたやすく把握してしまったとき。

 その時計が壊れたときが、使い方を知ったときだった。

 ある日突然、動かなくなった腕時計。何かにぶつけたわけでも、何かに沈めたわけでもない、ただ突然に、電池もあるのに動かなくなった。

 ………ん~、壊れちゃった……かな。

 壊れちゃった。

 その言葉の意味がよくわからなかったのを覚えている。

 なぜお母さんはこれを『壊れた』というんだろう。ただ単純に歯車が一つさび付いて動かなくなってるだけ、さびを落とせばまた元通りに動くようになるのに。

『これ、壊れてないよ』

 そういいながら、困惑する母の前で時計をバラバラにし、修理した上で完全に元に戻したのをよく覚えている。

 あのときの母の顔に浮かんでいた表情は、誇りでも困惑でもやさしさでも驚愕でもない。

 紛れもない、恐怖だった。

 自分にすらわからない、自分が教えた覚えもない、年齢から言ってできるとも到底思えない技能を、さも簡単そうにやってのけたあたしに、母は恐怖の目を向けたのだ。

 その日の夜、母は父と話していた。

 断片的でしかない会話、でも雰囲気は伝わる。明らかな恐怖と困惑、自分の娘ではない誰かのことを話しているかのような会話。そして放たれた、あの一言。

『………気持ち悪い』

 それがあたしに向けられた、最初の拒絶だった。

 子供というものは得てして自らの世界こそを正常と認識するもの。特異点という人外の反則を有していた人間の世界は、いうなれば化け物の世界。

 そして化け物というものは、それが安全であるうちは……

 飼いならされる、ものなのだ。

 もっとも、あたしの場合は田ノ里さんほど悲惨なものではない。ただ単純に、無知であったあたしを父親と母親が利用し、違法行為に手を染めさせたという、ただそれだけのことだ。

 あたしの技術があれば、金庫など砂上の楼閣に等しい。

 故に出世願望の一際強かったあたしの父は、上司の家によくあたしを連れて行き、その上司の不利な物証――浮気の証拠や違法行為を証明する書類などを、よく盗ませていた。

 おかしいとは、思わなかった。

 気持ち悪いという母の言葉が、あたしが化け物であることを証明していたから。

 化け物が人間になるには、人間に仕える以外方法はないと理解していたから。

 それはいうなれば人造の怪物の悲劇。若き研究者の作り出した戯れは姿を見せぬ人という形でしか人との関わりを許されず、孤独のあまり花嫁を求めた。

 あの怪物との違いがあるとすれば、私にウォルターはいてもエリザベスはいなかったこと。

 そしてウォルターに、花嫁を求めなかったことだった。

 その先の多くは、覚えていない。

 だけどあたしはちゃんと自らを受け入れてくれる人物を見つけて、流氷に乗って海を渡り、そして怪物としてのあり方から開放されたという、それだけのこと。

 怪物でありながらも、人間として受け入れられる場所にたどり着いたと、それだけのことだった。



「……………ッ…」

 見上げる眼前に、群青色の空があった。

 背中が痛い、腕が引きつる。

 髪の下の地肌が何かに突き上げられているかのような、鋭角な感触によって犯されている。

 頬に触れる風の感触は夜気の湿りを帯び、この季節特有の肌寒さを与えてくる。体感からして時刻は七時近く、このままだともうすぐ夜になるだろう。

 でも………どうして、あたしは生きているんだろう。

 目の前、校舎の三階から垂れ下がったロープ。

 あれを使って降りようとして、『奴ら』に焦って縄を踏み、バランスを崩して中庭に――――落ちた。

 わずかに身じろきしてみれば、体の周囲は一面の藪。頭に感じた鋭い感触は、その枝からのものらしい。落ちても怪我のなかった理由がこれだ。植え込みにうまく落ちて、擦り傷程度で済んだらしい。

 でも……どうして食われなかったんだろう。

 こんな風に藪の中、少なくはない時間横たわっていたあたしはいうなれば都合のいい生餌。自らの意思で動けない人間なんて、新鮮な肉の塊と大して変わらないのに――――。


 ―――― ッァン!


 遥か遠くで、花火の上がるような破裂音が聞こえた。

「へういえかしけめぢけ……」「ぁおえぺおときこえだれ」「じゅうはぶねとえりえか」――――

 周囲、動く音と動く気配。

 眼前見えているあたしの体を完全に無視し、向かう先は頭上……たぶん、校舎の外、寮のあたり。でも随分遠いはず。ドアを敗れるだけの脳があるなら、こっちを食べたほうがいいのはわかるはず――――

 身じろきして、体を起こした。

 がさり、と藪がわずかな音を立てる。

 瞬間、

「言うえりけ、えあかしえいいびせさ」

 奇声をあげる『奴ら』の足が、止まった。

「…………っ」

 反射的に息を詰める。動こうとしていた体を制し、消音のみに全神経を注ぐ。

 近隣、藪を回りこんだすぐ隣に、『奴ら』がいる。

 数は、一体。だけどあたしは今丸腰で藪の中。動こうにも動けないし、それにさっきの音が反応したのが一体だけというだけのこと。ここで下手をうてば、この中庭に存在するすべての『奴ら』を同時に敵に回すことになる。

「はいしけきょうちめがぶえりえおわぇ」

 奇声を上げ、ゆっくりと。

『奴ら』が、藪を回りこんでくる。

 知能のない動き、人間ではない挙動。しかしその見た目は紛れもない人間の死体で、それ以上でもそれ以下でもない存在だ。迫る『奴ら』に耳たぶはなく、しかしそれを気にする様子がないというのは、常人にとってはかなりの――恐怖になる。

 心臓の音が耳障りだ。

 血液の流れる音が、勘に触る。

 呼吸音がとてつもなく、やかましい。

 恐怖。恐怖恐怖、恐怖。もしかすると心臓の音が聞こえているのかもしれない、もしかしたら『あいつ』にはあたしの姿が見えているのかもしれない、もしかしたら呼吸の音で場所をつかんでいるのかもしれない。呼吸、そうか二酸化炭素。蜂なんかと一緒だ。あいつらは二酸化炭素で得物の場所とつかむ。同じことができない保障はない。ゆっくりゆっくりと歩む足も、定まっていないように見える歩調も、あたしのところへ来るためだそうにしか、そうにしか見えない。

 せまる一体が、藪を回り込む。

 ゆっくりゆっくりと、距離が詰められる。

 そして『奴ら』の足はゆっくりとあたしの倒れる藪の前の道へと向き――――


 そしてあたしの前を通り過ぎた。


「………っ」

 限界まで張り詰めた緊張、極限まで高まった焦燥。速く、もっと早く行って。『奴ら』の鈍足が恨めしくなる、低脳に感謝すると同時に憎悪を覚える。急げ、早く。もっと、もっと、もっともっともっと……!

 迫った一体が、藪を回り込んだ。

「っ!」

 わっ、と全身から冷や汗が噴出す、緊張をギリギリまで抑えて藪から身を離し、逸る心を抑えて眼前の窓へと慎重に移動、内側を確認する余裕すらなくその内側へと身を滑り込ませる。

 思い起こす構造、鼻に付いた古びた木の香り。意識よりも先に感覚が理解する。ここは学長室、一般生徒の立ち入りが普段は禁止されている、学長の執務室だ。

「――――――」

 数秒、息を殺す。

 動くものの音はない、生きてるものの息はない。

 生きていないものの、繰言もない。

 つまりこの部屋は安全、脅威と呼べる脅威のない、この状況下唯一生じた安全地帯だ。

「…………はぁ」

 安堵の吐息を漏らす。甚大な緊張状態に置かれていた反動か、全身の筋肉が弛緩する。窓を閉めるために動かす腕すら億劫で、しばらくはこのまま脱力していたい誘惑に駆られる。

 が、そうもしていられないのが現状だ。

 気だるい肉体を動かし、窓をゆっくりと、音を立てないように閉め、施錠する。

「…………ふぅ」

 これで、当面の安全は確保できたと見ていい。次だ。現状の把握。

 執務机の向こう側、壁の柱時計を見る。

六時五十分。

 随分と長い間気絶していたらしい。もうすでに夜は近い。外を出歩くのは、もう限界だ。

 ………でも、ここにいるのも……

 危険に過ぎる。何しろこの部屋は安全でも、いつ連中がここへ入ってくるのかもわからないのだ。そんな中で一夜を明かす度胸は、私にはない。

 ………だとしたら、

 移動は地下、安全かどうかはさておき、対処の容易な地下道を行くのが一番いい。幸いにして地下道入り口は廊下隔てた向こう側、この部屋を出て、向かいである。

 明かりは、ある。ポケットの中、奇跡的に落ちなかったマグライトに……ライター。ピッキングツールもちゃんとポケットにある。持ち物に問題はない。

 問題なのは、武器だ。

 校内には未だに『奴ら』がかなりの数、存在している。当然そいつらはあたしの習得している日曜空手だけでどうにかなるような連中ではありえないし、それに逃げてばかりでどうにかなるような状況ではない。

 最低限でも、工具の類。

 望むべくなら、消音機付きの銃。

 消音機までは望みはしない、だけどこの場から逃走するために最低限でも武器の一つは必要になるはずだ。

 手持ちの道具は………武器になりはしない。

 部屋を見回す。ここは学長の部屋、学長はかなり活動的な人物で、部屋にかなりいろいろなものを溜め込んでいることで有名だ。もしかすると、この部屋に武器になるものがあるかもしれない。

 目線が移ろう。壁のロッカー……だめだ、鍵がかかっている。ピッキングする。中身は……スーツ? だめだ、役に立たない。机の引き出し、拳銃を期待したのだが入っていたのは宝石箱。これもこれで驚きだが今は関係ない。となると残るは本棚、と天上にかけられた額縁。中身は――――


 ライフル。


「!」

 執務机に上る。天井に手を伸ばし、額縁をはずす。重さによろけるが、必死で支え、床に下りる。額縁をひっくり返し、裏を見る――――が、開かない。

 隅を見る。

 鍵穴があった。

「…………」

 無言でピッキングツールを差し込んだ。

 あたしの異能が伝達する。構造は単純な鍵、ただしちょっと特殊なようだ。専用の鍵が必要なようだが……問題はない。こんな鍵は一般人こそを封じるもの、一般という領域で封をするものである。

 だがあたしは異常、人間ではないとまで称されてしまった才能の持ち主だ。

 ならば、開封できない道理はない。


 ―――― カチリッ


 要した時間はわずかに一分。それだけの時間を持って、鍵が外れた。

 額縁をはずそうと持ち上げる。が、開かない。

「…………?」

 疑問符を浮かべながら、鍵のあたりに再び触れ――――

「っ」

 その感触に気付き、鍵の蓋をスライドさせた。

 するりとこすれあう上質な板の感触。鍵によって封じられていた箇所がスライドし、下から顔を覗かせたのは四桁のダイヤルロック。

「………………――――」

 二重とは、気が利いている。

 だが機械仕掛けとは、いただけない。

 機械仕掛けである以上、そこには間違いなくあたしの干渉できる仕掛けが存在している。

 つまり、

 ………開けられない、わけがない。

 手から伝わる感触にしたがってダイヤルを回す。2、6、3、0。

 かちり、と感触を残してロックが外れ、額縁の裏面が浮き上がった。

 音を立てないように、慎重に持ち上げる……。

 木製のフレームに覆われた細身のシルエット、洗練されたデザイン。上部の後ろ半分と銃身のみが黒い金属をさらし、その全景からは必要最低限のものを詰め込んだ、機能美としての美しさを感じさせられる。

 小脇に添えられるように置かれた、縦に長い五発の銃弾。

 そして、その銃弾をとめる細長い金属。

 鉈切さんの家で何度かいじらせてもらったことがある、これはあの時にいじった狩猟用ライフルと同じ、ボルトアクション式ライフルだ。

 名前は、わからない。

 だけど、使い方は理解できる。

 額縁の中からライフルを取り上げ、サイドに飛び出した金属棒を横に倒して後方へスライド、かしゃり、と硬質な金属音を立てて装弾口が開き、そこへ弾丸を押し込む。

 手に伝わる連続的な手ごたえ。ライフルは支える腕にずしりと重く、指に触れる弾丸は奇妙に冷たい。クリップを抜き放ち、金属棒を引き込んだ。


 ―――― カッシャン


 硬質な音とともに手の感触が伝える、最初の一発の装填音。この音はネックだ。意外と大きい。生きるもののいないこの空間の中では異様なほど装填の音が響くものだ。またライフルの銃声は拳銃のそれを凌駕する。今この場で発砲することはすなわち、『奴ら』の誘導標識になることとなんら変わらない。

 できることなら、ストックでの打撃。

 それが不可能なら、撃つ。

 それが、少なくとも現在での最善だ。

 ………でも、五発…か……

 撃たないに越したことはないが、これではいくらなんでも心もとない。ないよりはまし、だろうがそれでもこの島から逃げ出すまでの武器としては、問題だ。

 ………となると、

 次に目指すべきは、武器の調達できる安全な場所。

 鉈切さんの家――は、却下だ。あそこは遠い、到着のためには絶対に市街地を横切る必要がある。今の時間から市街地を通ると、夜に街中を歩くことになるかもしれない。

 と、なると、向かう先は地下の通路がつながっている場所。そしてなおかつ武器になるようなものが入手できる場所で、平日には人気のなくなるような………

 ………あ、

 ある。

 一箇所、この春に暮らすのみんなで出かけた、歴史資料館。日米両国管理のこの島にふさわしい規模で、しかし平日にはほとんど人が来ないため半ば閉館状態に近く、そしてその一角には戦争の歴史と銘打った展示スペースがあり、その棚には、

 武器が、あるのだ。

「…………」

 ロックは、はずせる。

 通路は、つながっている。

 不確定要素は多いが、それでもいけないことはない。

 ………それに、

 そこなら、もしかすると市庁舎の非常事態宣言を起動できるかもしれない。非常事態宣言はこの島からの脱出手段の一つ、誰かが発令すれば、それでみんなが助かる。

 腹は、決まった。

 緊張に固まりかけた肉体を動かし、ベルトを肩に引っ掛けライフルを保持する。荒い呼吸を整えながらゆっくりとドアへと接近し、そのひんやりとした冷たさを持つ取っ手を掴んで、

 ゆっくりと、

 一切の音を立てぬように、緊張をはらませながら、

 蟻の這うような速度で、隙間を、

 ………開く…………


 ―――― …………


 無音、

 ではない。

 かすかに聞こえる、『奴ら』の繰言。

 引きずるような、湿った足音。

「…ひゃが………しめけさ、し…」

「ちゅえいえそ……… ・・・いかいえ」

「。っしあっそかいめ――しや…ヴぃえうり……」

 首だけを出して、ゆっくりと廊下を覗く。

 ………いる。

 廊下の右側、こちらに背を向けてさらに廊下の奥のほうへと歩を進める『奴ら』。好都合だ。『奴ら』に視力があるにしろないにしろ、現状なら音なしで動けば気づかれることはない。

 しゃがんだまま廊下へゆっくりと歩みを進める。

 反対側まで、約四歩。一切のミスも気の緩みも許されない、生涯の歩みを圧縮した、あまりにも濃密な四歩だ。

 息を詰めて、一歩。

 異様なほどこわばった足で、一歩。

 ……背中のライフルが、重い。

 ……今日は、こんなに寒かったっけ。

 ……リノリウムって、こんなにすべり悪かった?

 震えだしそうな体を抑えて、一歩。

 ……骨の形がわかる。筋肉の動きが明確だ。

 脈動する鼓動を抑えて、

 ………一歩――――

「…………」

 気づかれて、いない。

 いや、まだ油断はできない。こっそりと、あくまでこっそりと動かないと……。

 自分に言い聞かせながら、骨の軋みを感じつつ立ち上がる。窓の鍵をゆっくりとはずして、廊下の窓を開き、その向こう側へと身を躍らせ、


 ―――― ッンン……!


「ッ!」

 はるか遠く、宵闇の迫った空に、銃声が響き渡った。

 


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