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ハリス・レイン 国際学校 三階 午後六時二十分〇七秒

「今っ!」

「おう!」

 エレベーターホール直前の壁の影から燈の声を合図に一気に飛び出す。

 なるだけ音を立てぬように疾駆する先は、エレベーターホールから可能な限り離れた階段だ。

 向かう先、ほとんど音なく走る俺たちに目をくれる『奴ら』は皆無に等しい。通り過ぎる『奴ら』の向かう先は同じ、ただ単純に一階のエレベーターホールを目指すだけだ。

 止めるものがいないが故に鳴り響き続ける、デジタル時計の電子音。エレベーターを移動装置に使い、タイマーをセットしたそれを一階へ。作動したアラームは延々と鳴り響き続け、その間校舎内の『奴ら』は一階のエレベーターホールを目指し続ける。

 ある程度注意はそらせるとは考えていたが、効果は予想以上。校舎内に存在する『奴ら』は脇を駆け抜ける俺たちに目もくれることなく、一路一階を目指し続けている。

「予想以上に、うまく行ったな」

「うん。アラームの電子音って、脳刺激するから。普通の足音よりは効くかな、って」

 確かに、目覚まし時計のアラームなどは強烈に頭に響く。『奴ら』が最低限の生命維持に必要な知能しかもたないと仮定した上で考えるなら、自らにとって刺激の大きい音へと向かうのがもっとも自然だ。

 加えて、校舎内という閉鎖空間、エレベーターという筒状の空間内であれば、音は予想外に、それこそ校舎全体に響き渡る程度には反響してくれる。

 唯一の問題はエレベーターホール近くに仲間がいた場合、大量の『奴ら』をそこへ追い立ててしまうことだが、その問題はないといっていい。三階は部屋割りの関係上広々とした空間だが、一階はほぼ袋小路、さらにはベネルたちが来訪したことにより『奴ら』の数がかなり増加した正面玄関付近だ。近づく仲間は、まずいないだろう。

「………それで、これからどうするの…?」

 声を潜め、小走りしながら燈。階段際でいったん足を止め、下をうかがって『奴ら』を確認しながら、

「………とにかく、安全地帯へいったん逃げ込むぞ」

 時間はすでに六時過ぎ。今の季節は冬の迫った秋だ。空はすでに夕闇の色に染まり、夜の到来が近いことを告げている。もし夜になってしまった場合、『奴ら』が満ちる島をライト一本を頼りに逃げ回る羽目になってしまう。

「安全地帯――?」

「ああ。鉈切さんの家なら……いけるはずだ」

 鉈切、簾也。俺とベネル、由梨絵の戦闘技術の師匠にして書類上の保護者。その家は住宅街のはずれ、小高い丘の上にある。家のつくりは一般的な家と呼ぶのがはばかれるほど頑丈なつくりをしており、またその家の中には俺たちの愛用品である銃器の類がかなりある。

 そして鉈切さんの性格上、自分用の武器を取った後にあの家を閉めることはないといっていい。もって行くとしてもせいぜい使い慣れたものを二挺程度、残りの銃器はすべて家のなかに残されているはず………。

「とりあえず今夜はあそこで寝る。で、それからは――――」

 脱出か、救助待ちか。

「――――到着してから、決めるぞ」

「……うん」

「よし」

 返事と同時、安全が確認できた階段を下る。

 歩法はしなだれかかるような、下るというよりもステップを踏みながら落下するに近い挙動。音を最小限に落としながらも速度を損なわない最善の挙動だ。

 下りきったところで一度足を止め廊下の先と階下を確認、一気に一階まで階段を下る。

「どこから?」

「体育館回って、グラウンド」

 言いながら入ってきた方向、裏口方向へと足を進める。

 校舎からの脱出路、用意されているのはわずかに三つ。一つは正面、一つは校舎裏、そしてもう一つは体育館。あの時は開かなかったドアだが、開かないなら開かないで隣の窓から脱出すればそれでいい。

 思いながら静かに歩を進め角を曲がる。

 この先に並んでいるのは運営関係の部屋。すなわち教職員室や非常勤講師室、学校長室や理事長室といった、人の少ないであろう教室が並ぶ場所だけ。ここを抜けて少し行けばその先に目指すドアが、

 ある、と思った、その瞬間。

 強烈な力で、足を引っ張られた。

「っ!」

 軽くとは言え走っている状況、この状況で足を引っ張られようものならば、待っている末路は一つ。俺の身体はそのまま前方へとバランスを崩す。

 眼前、スローモーションのように迫るコンクリートの床。人間程度の重量にはもろともしない強度を誇るその床へ、俺の身体は主観的にはゆっくりと、客観的には高速で向かい、

 その寸前で反射的に右手を突いて、身体を支えて、


 ―――― カンッ!


 そしてその音が、響いた。

 右手、その手中にあるのは武器として握っていたネイルハンマー。

 普段では問題にしないような音であろうとも、この状況であれば、その音は銃声にも等しい大きさを持つ。

「燈!」

 かなりの大きさで響いたその音、確認するまでもない気配の移動が存在したことを認識した瞬間、俺は絶叫した。同時、足元を振り返り足を取った『モノ』の正体を視認する。

 視認したのは死人の腕。職員室の足元、空気の出入りのためにしつらえられた小窓から伸びたそれは、爪がはがれ骨格が歪み筋肉のそげた、しかしとてつもない力を持って俺の足を捕食せんと自らの元へ引き寄せる捕食者の腕。

「くっ………」

 がたがたとゆれる小窓。予感する。このままでは小窓は破壊され、内側から『奴ら』が顔を出すだろう、と。

 ………させて、

 ネイルハンマーを振り上げ、

 ………たまるかよ!

 全力でネイルを足をつかんだ『奴ら』の腕へと叩きつけた。

 ごきん、と骨を破壊した感触。びくり、と震える腕。

 完全に力をこめるための機構を破壊したはずのその腕は、しかしなおも強い力を持って足を自らの元へと引き寄せる。腕の骨折によって最後のリミッターが飛んだのか、さらに強靭な力で足を握り締められ、骨が軋みをあげた。

「……ぐあっ」

「ハリス!」

「燈! 頼む!」

「うん!」

 言いながらネイルハンマーを一時的に床に置き、両手で足をつかみ全身の筋肉で腕を引きずり出す。

 わずかに引きずり出された腕、その中央付近に、

「…………ッ!」

 全力で、燈の鉈が振り下ろされた。


 ―――― どしっ


 湿った音を立て、骨折部から腕が切断される。

 わずかに流れ出る血液、断面から零れ落ちた骨片。認識する間も惜しみ、腕を足から引き剥がしてネイルハンマーを拾い上げ、立ち上がって疾走する。

 同時、背後の廊下、曲がり角から出現する『奴ら』。

「這い掏りきめいえいっるおぃかしょうえめいてちえさざ」

 数は、四体。移動速度は、速くはない。

「急ぐぞ!」

「うん!」

 言葉と同時、職員室のドアが不吉な音を立てる。ぎしぎしと、ぎしぎしと軋みをあげ告げるは内側からやってくる敵の存在。急ぎこの場を離れなければ、その先にあるのはきわめて残酷な死。

 あの教室での、単のような………

「っ」

 ちらりと、冷静さの中に放り捨ててきた友人の断末魔が脳裏をよぎる。

 碇単。保有特異点は『絶対感覚』。一般人では感覚できないレベルの些細な情報を五感を通して読み取り、『直感』という形に変換して本人の意識に表す、生物としての到達点(ハイエンド)たる能力。

 感情的な面は多々あった、取っ付き辛いところも多々あった。

 しかしあのクラスにおいて、全員が人間から離反した性質を持ち合わせ、相互理解を望めぬ環境を経てきた状況において、彼はいい友人だった。

 感情的だったのは人より保有する情報が多かったためで、

 取っ付き辛かったのは過去に化け物扱いを受けてきたためだった。

 それを理解していたからこそ、俺を含めたあのクラスの全員は単のことを『友人』として受け入れた。

 あの場での行動も、恐らくは『奴ら』から獲得する情報が俺たちよりも極端に多かったからだろう。単の嗅覚は血液から立ち上る香りだけで本人の体格を理解し、極わずかな擦過音だけでどの程度の重さの何が動いたのかを一階上から察知してしまうのだ。普段とはあまりにも違いすぎる状況に混乱しても、おかしくはない。

 ………だが、あの結果だ――。

 感情的になりすぎたが故に暴走し、安全を過信して『奴ら』に………食われてしまった。

 龍美がああなったように、恐らくは単も『奴ら』の仲間入りを果たしてしまうだろう。そしてそうなってしまったからには、俺たちの敵として認識せざるをえない。

 特別教室前を突っ切り、問題のドアの前まで来た。

「開くか?」

「………無理」

 無理だとわかっているからだろう、加減していることが外海からでも理解できる様子で引き戸を引く燈。

「やっぱり、だな………」

「どうするの?」

 ちらちらと後ろを伺う燈。

 職員室、その近辺にはゆっくりとした速度ではあるが、『奴ら』が接近しつつある。

「下がってろ!」

 語彙をわずかに強めていい、引き戸の隣、体育館裏が伺える窓の正面でネイルハンマーを振り上げ、

「……っ!」

 気合一線、ガラスへと振り下ろす。


 ―――― ガシャンッ!


 冷たく硬く鋭い音。

 振り下ろしたハンマーはいともたやすくガラスを突き破り、その場に存在していたガラス窓をただの金属の枠へと変えた。

 ………急げ。

 内心で自らを叱咤しつつも冷静に、サッシに残留するガラス片を細かく砕いていく。

 一撃、二撃、三撃、四撃目でサッシのふちに安全が確保でき、五撃目で無音が確保できる。ここまで音を立てて無音も何もないだろうが、用心に越したことはない。

 サッシに両腕をかけ飛び乗り、淵に手を着いて身体を支え、

「行くぞ、燈」

 燈に向かって手を差し伸べた。

 さし伸ばされた手を見、燈はちらりと背後の『奴ら』をうかがうと………

「………うんっ」

 何かの決意をこめたような力強い仕草で、俺の手をつかんだ。


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