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ハリス・レイン 国際学校 二階 午後六時十九分二十八秒

「…………っ」

「――――っ」

 息を潜めながら、廊下の隅をしゃがんだまま移動する。

 手の中にはネイルハンマーとマグライト、ポケットにある違和感はジッポライター。先ほどの教室、咄嗟に持ち出せた最大の道具。じっとりとにじんだ冷や汗ににじみ、違和感と不快感を伝え、同時に緊張と集中を阻害する。

 この場においてそれは、死だ。

「…………」

 小さく、左手の手招きで背後にいるであろう燈に近づくように促す。

 あの廊下から出た先、そこにいたのは………満載の『奴ら』。この学校にもこれだけの人間がいたのだろうと、そう認識させるに足る人数の『奴ら』の群れだった。

 教室に殺到することに夢中のそいつらの脇を抜け、廊下を進むことしばし。階段にも満ち満ちた奴らを迂回するため校舎を身を潜めながら歩き、今現在は……中央校舎の中ごろ。食いかけの死体が転がっているあたりだ。

「…………っ」

 冒涜的な損壊の行われた死体を横目に見ながら腰を落とし目立たぬように歩き、廊下の側面、そこに存在する引き戸を開ける。

 無意識的にハンマーを握る手に力がこもる。心臓が早鐘を打ち、時間がいつもよりゆっくりになったような錯覚にとらわれる。

 もしこの先に『奴ら』がいたら、こうしている間に背後からこられれば。焦燥と不安、相反する感覚に板ばさみにされながら眼前の引き戸を開き………

「………」

 するりと、人影の一切ない教室の中へと身を滑り込ませた。

 入り口脇の壁にもたれかかり、付近の音に耳を澄ませながらしばらく。ゆっくりとリズムある小さな足音が接近し、するりと扉の隙間をくぐって……教室へとへたり込む。その瞬間を確認して静かに、しかし素早く扉を閉め、

「……ふぅ」

「…はぁ」

 そして俺達はようやく息をついた。

「燈……大丈夫か?」

「うん…ちょっと、怖かったけど」

 言いながらへたり込みから座り込みへと姿勢を回復させる燈。手の中には一応鉈が握られているが、その様子では今のところ役には立つまい。

 思いながらちらりと廊下を伺う。

 見える先、廊下に『奴ら』の影はない。先ほどの教室のほうへと移動したのだろうか、あるいは階下に集中しているのだろうか。いずれにせよ、未来のことを思考すればあまり言い状況とはいえない。

 思いながら視線を廊下から向かいの窓の外へと映す。

 窓の外は、すでに大禍時の翳りを帯び、太陽は山の陰にある。このままであれば、あと一時間程度で町は暗闇の中に埋没するだろう。そうなった場合、生存はさらに困難となる。

 ………どうにか、しないとな。

 内心で思いながらちらりと燈のほうを伺う。

 山中からここまで、ほぼ休みなし。荷物はなくなったとはいえ時間も時間。空腹やのどの渇きもあるだろう。派手に動くことはできないが、何かで補給することは間違いなく必要になるはず。

 疲れからか、床に座り込んだままの燈をそのままに、教室のロッカーへ慎重に接近し、端から端まで順番に見て回る。

 ウェストポーチが二つ、ポケットティッシュ、ソーイングセット、ブロック栄養食が四箱、都合のいいことに小型の日本茶のボトルもあった。後は自転車の鍵と思われる小さな鍵がひとつと………

「――ん?」

 最後に開けたロッカー、その中身は水浸しだった。

 この匂い………有機溶剤。強力なものなのか、はたまた量が多かったせいなのか、ロッカー内に入っていた紙片の束は液体によってにじみきり、判読ができない状況だった。

 ………いや、待て。

 パラリと持ち上げるようにしてめくり上げた書類の中ごろ、有機溶剤による影響が少ない一枚が、ある。それでもインクがにじみ判読箇所が限られて入るが、目は通せそうだ。

………『――子情―――り――メカ―――として――による――――が存在する。――は――――が――として―能―る――――り、――の遺――情報を―――に会得、その――』………ボロボロ、だな。

 せめてもう少し読みやすければ情報の獲得のしようもあったのだろうが、これでは断片的過ぎて何が何だかわからない。かろうじて判別できた言語は日本語、それも公的書類に見られるような、理路整然とした内容のものだったが、これでは何の慰めにもならない。

 だが、これだけはいえる。

 この場所にこんな書類が、それも有機溶剤によって崩れた状態で存在していることは異常である、と。

 近くに瓶が倒れていたのなら、あるいは教室にその匂いが充満していれば、この違和感は感じなかっただろう。

 だが現状、この教室の空気は木製教室に見られる特有のにおいを除けば一切の香りがなく、またあのロッカー内に瓶はおろか、あってしかるべき他の学用品の存在もなかった。

 つまり、何かの目的で何物かがこの書類を保管していたものの、何らかの理由で意図的に崩された、ということになる。

 ………もしかしたら。

 ありえない考えが浮上する。そう、これではまるで映画か小説、さもなくば漫画だ。現実的に考えろ、その考えはせいぜい日本の左翼が考えるような奇々怪々な夢想、ありもしない幻想でしかない。

 そう、『奴ら』がウィルスか何かに感染した結果で、

 そしてそのバイオハザードを、人為的に引き起こしたものが存在する、など――――。


「………ハリス?」

 背後から音量を抑えた声。

「……どうか、したの?」

「――――いや……」

 呟き、書類をそのままにロッカーを閉めた。

 ありえない考え、かもしれない。

 しかし、それを断定するには現状では要素が足りなさ過ぎる。せめてもっと情報を獲得してから断言しても、遅くはない。

 思いながらロッカーから回収できた物品類を確認する。

 現状必要なのは情報より物品、これで当面は持つだろうが、油断は禁物だ。

「……ほら、これと……これ」

「わわ」

 ブロック栄養食二箱と小型のペットボトルを投げ渡す。

「とりあえず、お前の分。あと……これ」

「っ……と。……ポーチ?」

 受け取った中型のウェストポーチをまじまじと見つめながら、燈。

「ああ、あって困るもんじゃない。あとティッシュとソーイングセットがあった。どっちか、いるか?」

「ティッシュのほう。いろいろ…使えるから」

 燈の持つ特異点としての特性上、医学知識がなくともある程度の応急処置ならすることが可能だ。噛まれてはならない、という制約がある現状ではさして役に立たないだろうが、それでも持っていて困るものではない。

「………わかった」

 これだけ軽ければ投げ渡すわけにも行かない。腰を落としたまま歩み寄って手渡し、腰を下ろして栄養食を開封、二本ずつ分個包装されているうちの片方を取り出し、残りとその他をポーチに収納、ポーチはベルトへ。

 固形食を齧りながら、廊下を伺う。

 相変わらず『奴ら』の姿は、ない。が、ここにいないということはアレだけの個体数が校舎全体に散っているか、さもなくばどこか一箇所に集中して存在しているということ。現状はよくとも、後々のことを考えればどうにもならない。

 ………立て篭もるわけにも、いかない、か。

 そんなことをしたとしてもさっきの教室の二の舞だ。それに脱出を目指す以上、校舎からは脱出しておく必要がある。

 ………窓から、は……

 中庭に校庭に面した窓に接近し、見下ろす。

 三階、この面に梁はなし、雨樋は遠く、足元はコンクリートプラス数体の奴ら。降りるには無理がある。

 ………となると、

 校舎を普通に降り、『奴ら』をかいくぐるしかない。

 が、言うは安く行うは難い。低脳でありながらどの程度か不明瞭、個体数も不明で校舎の廊下は狭い。見つからないように行こうにも数が多すぎ、だからといって戦うにも……無理がありすぎる。

 八方塞四面楚歌。可能性はあるものの現状ではなきに等しく、困難は果てしない。

 だが、あきらめることだけはしない。

 諦めれば、その時点でゲームオーバーだ。

「………ねぇ、ハリス」

「何だ?」

「…………『奴ら』…の、ことなんだけど」

 ペットボトルを手にしたまま廊下に目をやる燈。

 ――見える限りで、そこに『奴ら』の姿はない。が、そこにいる可能性は、捨てられないだろう。

「……いるのか?」

「ううん。そう言うことじゃなくて……」

 呟き、ポーチを腰に装着する。栄養食二箱丸々とペットボトル、ティッシュを収め、立ち上がり、

「さっき見たときに思ったんだけど、『奴ら』ってどうやって物見てるんだと思う?」

「……何?」

 腰をかがめもせず、堂々と廊下を窓越しに伺う。

「だって、『奴ら』の目、何人か潰れてたよね? それによく見たらまだ目、潰れてないのも白濁してて、白濁してなくても焦点あってなかった」

「………」

 言われてみれば、確かにそうだ。

 思い出すのは二階の廊下にいた三体。一体は腸を守る皮膚がなく、一体は両目が丸ごと損失し、一体は首を正面から食われ、思い切り首が傾いていた。

 が、それだけ得られる感覚に差が存在するであろうことが明白なダメージを受けているはずなのに、三者の行動に一切の差が存在しなかった。

 つまりは、連中の情報獲得率に差が存在しないことを意味する。

「――それって、つまり目、見えてないってことじゃない?」

 まるで人の変わったような口調で廊下から視線を戻し、

「……ってことは、」

「うん。目、以外の感覚で知覚してる……ってことだと思う」

 断言するように言い、ポケットを探る燈。ごそごそと取り出しにくい何かを取り出すような仕草を取り、取り出されたのはデジタル腕時計だった。

 ピッピッ、ピッ。

 電子音とともにデジタル腕時計を操作、時間を確認するかのように教室の壁掛け時計と時刻を比較し、

「……たぶん、これでいけると思うから………」

 呟き、振り返り、

「ハリス。試してみたいことあるんだけど……いい?」

 その問いかけに、俺は一も二もなくうなずいた。


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