アンジェリカとテッド
その日ヴィクターおじさんは深刻な顔をしてアルフレッドに言った。
「アルフレッド、お前はマリーのことが気に入らないのか? 」
アルフレッドはヴィクターおじさんにほほをつかまれ、なんとも言えない顔をした。
「俺はあんな不思議ちゃんは好みじゃねぇよ。」
そうはっきりおじさんに伝えられたらどんなにいいだろう。当のマリーは今日も呑気にクローバーを見ている。
そのアルフレッドの気持ちがわかったのか、翌日ヴィクターおじさんはマリーとアルフレッドをトラックの荷台に乗せて隣村の牧場へ行った。
そこにはたくさんの羊がいて、アルフレッドは別の柵に入れられ、マリーはたくさんの羊たちに混じった。
「まぁ、こんなにたくさんの巻き毛さんは久しぶりだわ。」
マリーは驚いた。
「貴方はどこから来たの? 」
「ハーベス村よ。ねぇ、今日はお祭りか何か? 」
ふふっと話しかけてきた巻き毛のおばさんが笑った。
「あそこに若い男の子がいるでしょ? 今日はお見合いなの。」
マリーは柵の向こうにいる、巻き毛の青年達を見た。アルフレッドは嫌そうにその中に押し込まれていた。
「ねぇ、新しく来た彼、いいんじゃない? 」
「本当、ちょっとワイルドだわ。」
マリーの後ろで女の子達が囁いた。
「ねぇ、ここにはクローバーはないの? 」
「あっちのほうに生えているわよ。」
「そう、ありがとう。」
マリーはアルフレッドのいる柵にお尻を向けて、さっさと行った。
「お嬢ちゃん、柵の近くにいないとお見合いできないよ。」
巻き毛のおばさんが心配してくれたけれど、マリーは気にしなかった。美味しいクローバーを食べているほうが良い。
シロツメクサがふわふわ咲いていたので、マリーはウキウキしていた。少し甘くてしゃきしゃきするクローバーがとっても美味しい。
その頃アルフレッドは、ヴィクターおじさんに頭を掴まれていた。
「アルフレッド、お前はいい毛並みをしている。しっかり頼んだぞ。」
アルフレッドはちらりと、こちらをみているたくさんのお嬢さん方を見てげんなりした。
「親父さん、俺は不思議ちゃんはもういらねぇよ。知的な女が好みなんだ。」
呑気にクローバーを食べているマリーがうらやましかった。
マリーがうきうきして柵の中を歩いていると、こつん、こつんと音がした。見ると、細い足の小さな女の子が柵に足をかけようとしていた。
「? 貴方何しているの? 」
マリーが尋ねると、彼女ははっとした。
「……別に。」
女の子はそっと背を向け、立ち去ろうとした。
「ねぇ、脱走ならここじゃダメよ。もっとゆるい柵の部分を見つけなきゃ。」
マリーは女の子に話しかけた。
「それに、貴方の足とっても細いもの。」
女の子がこっちを見た。黒いつぶらな眼だった。
「こっち来て。一緒に探しましょ。」
「手伝ってくれんのかい? 」
マリーはにこっと笑った。
「私マリー。よろしくね。」
女の子は、少しだけはにかんだ。
「あたいアンジェリカ。」
「アンジェリカ、じゃあ一緒に行きましょう。私が押してあげたら、貴方もきっとこの外に行けるわ。」
マリーは別の村の外が楽しみでウキウキしていた。ハーベス村以外の村は、どんな庭をしているのか、レタスの畑や花壇があればいいなと思って目を輝かせた。
「ねぇアンジェリカ。貴方はまずどこに行く? 」
「あたい? あたいは……テッドを探すよ。」
アンジェリカはぽつりと言った。
「それは誰? お友達? 」
「ううん。あたいの恩人。」
首を振って、アンジェリカは話し始めた。
その牧場には毛を採る為の羊、コリデールを育てていた。しかし経営が悪化し、牧場主は羊を処分することに決めた。
「何もただ殺すんじゃもったいない。肉を売ればいい。」
そう思って、牧場主は羊をこっそりさばき、肉にして売っていた。
経営状態の悪い牧場だから、えさも満足にもらえなかった。子羊のアンジェリカはいつも餌を食べ損ね、おなかをすかせていた。
「母ちゃん、どこ行ったんだろ……。」
アンジェリカの母親は、とっくに堵殺されてしまった。彼女はそんなことを知らなかった。
毎日ひもじくて、アンジェリカは牧場に僅かに生える草を一生懸命食べていた。けれどほとんどが短い、根っこしか残っていない草ばかりだった。
柵の外にはおいしそうな草がたくさん生えているのに、ここから外に出ようとすると怖い牧羊犬が飛び出して怒鳴り散らす。アンジェリカは柵の外を眺めてはいつもため息をついた。
そんなある日、柵の外に誰かが立ってずっとこっちを見ていた。とんがった耳の、灰色の大きな体。新しい牧羊犬だろうか、アンジェリカは怒られないうちに小屋に戻ろうとした。
「待てよ。お前、腹減ってるんだろ。出てこいよ。」
アンジェリカはぎょっとした。いつも怒鳴られてばかりだから、ぶっきらぼうな言い方でも、アンジェリカには優しく聞こえた。それだけではなく、その申し出にも驚いた。
「でも、いいのかい? 」
「お前は小さいから出てこれるだろ? 美味いもの食わせてやるよ。」
嬉しくなってアンジェリカは隙間から出てきた。
「あたい、アンジェリカ。あんたは? 」
「テッドだ。」
テッドはにやりと笑うと、美味しい草のある場所に案内してくれた。
久しぶりにアンジェリカは美味しいものをおなか一杯に食べた。テッドはアンジェリカを牧場に送ってくれて、アンジェリカは小屋に戻る前にテッドにお礼を言った。
「ありがとう、こんなに美味いもの一杯食べたの久しぶりだよ。」
「そうか。また食わせてやるからおとなしく待ってな。」
テッドはそう言うと、柵の向こうの森の中に消えていった。
アンジェリカは何度も何度もこっそり草を食べさせてもらいにいった。テッドは色んな草や花のある場所に連れて行ってくれて、アンジェリカは楽しくて嬉しくてうきうきしていた。
ある日おなかいっぱい食べたあと、テッドがそっとアンジェリカの首を掴んだ。
「なんだい? 何かついてた? 」
「……いいや、お前はずいぶん大きくなったな。」
アンジェリカはにこっと笑っていった。
「そうだよ、テッドのおかげさ。」
テッドはアンジェリカを離した。
「あたい、もう柵から出るのが毎日大変さ。一番毛並みもふかふかで肉付きが良いって旦那達が話してたんだよ。そろそろだって。でも、何がそろそろなのかわかんないや。」
にへへとアンジェリカが笑った。
「ねぇ、テッド、あたしが柵から出られなくなっても、仲良くしてくれるかい? 」
テッドは黙っていた。ふいっと背中を向けて歩き出す。
「テッド? 」
「明日も来てやる。最後だな。」
アンジェリカはどきんっとした。それがとっても悲しかったけれど、黙ってテッドについて歩いた。
翌日、大きなトラックが来ていた。アンジェリカは隅っこで様子を見ていた。あのトラックには入りたくない。仲間が入る前に、背中を焼きごてでじゅっと焼かれる度に嫌なにおいと悲鳴がした。
だが、牧場主はアンジェリカを捕まえた。嫌がる彼女に焼きごてを押し付けた。痛くて熱くてアンジェリカは叫んだ。
「痛いぃ! やめて、離してよぉ! 」
アンジェリカは思ったよりも重くなっていて、牧場主の顔を蹴って逃げた。牧羊犬達が追ってきて、アンジェリカはその中にテッドがいないことに気づいた。
テッドは森からやってきた。テッドの姿に驚いた牧羊犬達は立ち止まった。
「テッド……! 」
「早く森を抜けろ! 」
牧場主が銃を取りに家に戻り、アンジェリカはその間も逃げた。
「痛いよ、あたいの背中が燃えてるんだ。」
「止まるな、捕まったら殺されるぞ。」
ダーンっと音がして、こげるにおいがした。牧場主が銃を撃ったのだ。
「まっすぐ走れ、アンジェリカ。すぐ迎えに行く。」
アンジェリカを置いてテッドは引き返した。アンジェリカは泣きながら、もつれる足を懸命に動かした。走れなくなると歩き、それでも立ち止まらなかった。やっととなり町にある牧場に着き、そこで保護された。
アンジェリカの焼きゴテから、羊毛種のコリデールを肉食用にして売っていることがばれ、牧場主達は捕まり、残った羊はあちこちに引き取られていった。
「あたいはそれ以来ずっとテッドを待ってんだ。」
マリーはアンジェリカの焼きゴテを見てみたかったが、それはとても失礼なことなので言わなかった。代わりに少しもろくなっている柵を見つけて言った。
「私が先に行ってみるわ。」
マリーは柵を少し押し、駆け上って外にぽすっと降りた。
「ほら、やってみてアンジェリカ。」
「うん。」
アンジェリカは助走をつけて走ったが、後もう一歩というところでぽすんと落ちてしまう。
「頑張って、もう少しよ。」
アンジェリカはもう一度頑張ってみたが、ぽすんっと落ちた。その時、何かけたたましい足音がした。
「アルフレッド。」
マリーがのんきに言った。アンジェリカは乗り越えるのに夢中になっていて、アルフレッドが自分の真後ろに迫っているのに気づかなかった。
よいしょっとアンジェリカは足をひっかけたが、ずるずるっとすべり落ちそうになった。だが、先ほどより深くは落ちなかった。彼女の下にはアルフレッドの頭があった。
「根性出せ! 後ろがつかえてんだ! 」
アルフレッドの後ろには巻き毛の可愛らしい女の子がたくさんいた。
アンジェリカは、なんだかよくわからないが、アルフレッドに押されて駆け上がった。マリーの隣に落ちて、その横をアルフレッドがすたっと降りた。たくさんの羊達が後続にいたが、牧羊犬達が走ってきた。
「こりゃ! アンジェリカお前さんまた……。」
「ボーエン爺さん、見逃しておくれ。あたい、テッドに会いたいんだよ。」
マリーは、逃げ出したのにすぐ阻止されてしまってがっかりだった。アルフレッドはもう追いかけられないようなのでほっとしていた。
「いいかアンジェリカ、お前さんは羊だ。羊というのは、おとなしく囲いの中におらねばいかん。お前さんらが脱走するたびにわしら牧羊犬はキモを冷やしておるんだ。お前さん、テッドに会う前に狼に食われちまうぞ。」
アンジェリカは眼に涙を浮かべた。
「だって、テッドは来ないじゃないか! あたいずっと待ってんのに、きっと、どっかで道に迷ってるんだ、あたいを探してるんだよ。」
アンジェリカはしくしく泣いたが、牧場主がやってきて彼女を小屋に入れた。
マリーはボーエンという老犬にそっと言った。
「ねぇおじいさん。アンジェリカがとってもかわいそうだわ。羊だって、自由にお散歩したいもの。」
ボーエン爺さんはふぅっとため息をついた。
「テッドは牧羊犬じゃないんだよ。ありゃ、狼さね。」
ヴィクターおじさんが呼んでいた。アルフレッドはもうそっちに向かって歩いている。
「わしゃ、あの子を真っ先に見つけたんだ。翌日腹を撃たれた狼を見つけたよ。虫の息だったが……今でも覚えてるさ、あの狼は何匹も生物を殺してきたんだ。爪や牙から古い血の匂いがぷんぷんしたさ。」
ボーエン爺さんは言った。
「いいかい、お嬢さん。あんたも気をつけなさい。」
ヴィクターおじさんがマリーを捕まえて連れて行く。マリーはボーエン爺さんを振り返って言った。
「でもおじいさん、アンジェリカは待ってるって言ったのよ。もう、お腹一杯食べれるのに、優しい牧羊犬もいるのに。」
マリーはアルフレッドと一緒に荷台に乗せられた。
夕暮れの道をトラックが行く。車ががたごと揺れるのでマリーとアルフレッドが怖がらないように、ジェシーおばさんがそばについていた。
「あのコリデール種の女の子、ずいぶん弱っていたわね。もう長くないかも。」
ジェシーおばさんがそっと言った。
「あの羊が逃げてこなかったら、誰も知らずにコリデールを出荷していたんだろうな。ひどい話だ。」
ヴィクターおじさんが言い、マリーはジェシーおばさんを見た。
「ねぇおばさん。私、おばさんとおじさんになら食べられても良いと思うの。」
マリーが言うと、アルフレッドはげんなりした顔で言った。
「おい、グロいこと言うなよ不思議ちゃん。」
ジェシーおばさんはマリーが自分を見上げているのに気づいて言った。
「大丈夫よ、マリー。あんた達を食べたりなんかしないからね。」
微笑んでマリーとアルフレッドを撫でる。脇腹をなでるおばさんの手は温かくてとても心地よかった。