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恋するジョナサン

 僕は彼女が好きだった。名前も知らない、ふわふわ巻き毛の女の子。晴れた日には決まって外に出てランチを食べていた。


ああ、彼女の傍にいけたなら、第一声は何にしよう。


「素敵な巻き毛だね。君、名前は?」


いや、こんなのはありきたりだ。


「君、いつもランチを食べるとき太陽にそっぽむいてるね。太陽が君と目が合うと真っ赤に燃え上がってしまうからかい?」


いや、これはあまりに恥ずかしい。


つぶらな瞳、すっと伸びた足。彼女の笑い声が僕の狭い部屋にまで響いてくるんだ。とても明るくて、愛らしい声。歌でも歌っているみたいに、どこまでも楽しげに伸びていく。


こんな部屋抜け出して彼女に会いにいけたら……。けれどこれは僕の妄想だ。僕はこの部屋から抜け出せばあっという間に死んでしまう。僕の命をつないでいるのはこの酸素吸入機だけ。


今もガポグポといやな音を立てる。


「ジョナサン。貴方どうしてレタスを食べないの?」


ああ、エマ姉さん。聞かないでくれ。僕は今恋の病にかかっているんだ。


 レタス。甘くてしゃきしゃきのレタス。少し前まで僕はこのレタスさえあれば何もいらないとすら思えた。でも、今はレタスより彼女の傍に行きたい。


「ジョナサン。部屋の位置を変えましょう。貴方、きっとお日様に当たったら元気になるわ。」


 エマ姉さんはそういった。けれど僕は叫んだ。


「冗談じゃない! この角度からちょうど彼女が見えるんだ。ここ以外の場所なんか僕はいか……ゲホゴホッ! 」


 僕はせいぜい口を動かすぐらいでほとんど声にはならなかった。無理に姉さんに聞こえるようにしゃべろうとすると、とても息ができない。


 こうして僕の部屋は二階の日当たりのいい場所になった。僕はがっかりした。こんな場所じゃ、彼女を見れるわけがない。だって彼女は、いつもあの赤い屋根の部屋から……いや、待てよ。ここからなら、彼女を上から見れるかもしれない。それにこの場所なら、彼女の声がもっと聞けるかもしれない。


 僕はわくわくしながら彼女が出てくるのを待った。するとその日の午後、彼女はとっとっとと家から出てきた。


 相変わらずの可愛い巻き毛。僕はうっとりと眺めた、眺めていた。がしかし、彼女の傍には足の長い男がいた。


 前まであんなやつ見えなかった。家の近くの水のみ場のせいで、あんな男は隠れてしまったのだ。


「今日もいいお天気ね、ジェームズ。」


 にこっと笑って話しかける彼女。


「そうだねマリー。今日も君の巻き毛はツヤツヤに光って、綺麗だね。」


 彼女の名前が聞けたのはとてもすばらしい収穫だけど、あのいけすかない足長男としゃべっている彼女を見るのはとっても不愉快だった。


 僕だって、君の傍にいけたらそれくらい言える。いや、もっとすばらしい言葉を君にかけるのに。ああ、巻き毛の素敵なマリー。君の傍で君とおしゃべりしたい。君の瞳を見ながら僕は、一緒にレタスをほおばりたい。それができたら、僕は死んだってかまわないのに!


 僕の心を空が移したせいか翌日から台風がこの町に吹き荒れた。マリーはあの赤い屋根の家の中で震えているのだろうか。それとも、他の誰かと一緒なのだろうか。僕は部屋の中をぐるぐる回って焦燥感に悩まされた。


 どうすれば彼女に会える? どうすれば彼女とおしゃべりできる? いや、そこまでいかなくても、もっと彼女を近くで眺めたい。一度でいい、あんな足長男なんか、もうどうでもいい。僕のほうが彼女を愛しているんだ。


 やがて台風は去り、あちこちに大きな水溜りができた。僕の部屋の窓をエマ姉さんが開ける。僕はできるだけ窓に近づいて彼女を見つけようとした。


 彼女が出てきた。嬉しそうにあたりを見渡した後、ふと、庭のさくが一箇所壊れているのを見つけた。


 彼女は壊れた柵に近づいていく。


「こら! マリー! 外にでるんじゃない! 」


 彼女は怒鳴られてもへっちゃらで、おじさんを尻目にぴょんっと僕の家の庭に近づいた。


 今なら行ける! 彼女の傍に!


 僕はありったけの力をこめて窓から飛び出した。


「ママー! 大変、ジョナサンが水槽から飛び出した! 」


 ベチャッと激しく僕の身体はたたきつけられ、流れるように堕ちていく。息ができない。苦しい。けど、もう少しで彼女の傍に行ける。


 僕はもう、彼女に声をかけるどころじゃなかった。けれど、ふわふわの彼女の巻き毛を今までにない距離で見つめた。


 ぼちゃん。僕の身体は横になって水たまりに落ちた。びっくりした顔で、彼女が僕を覗き込む。


「巻き毛の素敵なお嬢さん。やっと会えたね……。」


 僕が言えたのは情けないことにそれだけ。彼女は驚いて立ち止まってしまい、後ろからおいかけてきたおじさんにあっという間につかまった。


「この脱走名羊め! またペーグリーさんちのレタスを食べようとしたな! 」


「おじさん、だってここにあるレタス、とってもおいしいんだもの。」


 彼女もレタスが好きなんだ。僕はゆっくり背びれを動かして、そう思った。




 一命を取り留めた僕は部屋に戻され、重いふたをつけられてしまった。もう二度と彼女の元に飛び出してはいけないように。


 けれど、僕は自分自身に驚いていた。あんなに高く飛べるなんて、魚の僕が、これはすごいことなんじゃないのだろうか。


 だから思う。いつか彼女の傍にもう一度。今は叶わぬ願いでも、いつの日か彼女とレタスを食べたい。

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