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白髪のシャロン

 目覚めてシャロンがまず知ったのは、自分は自由に生まれたということだ。なんでも自分の好きにして良い場所で、何者にも支配されずに生まれてきた。


 だから目の前で狼に襲われた仲間を助けるのも、助けず逃げるのも自分の好きにして良い。


 闇を裂くような悲鳴を聞きながらシャロンは逃げた。もう少し生きていたかったから。




 生まれて何年かたった。ある年の冬、シャロンは仲間と吹雪をしのぶため入った洞窟で不思議な生物を見つけた。


 もこもこで、角が丸くて、足の細い生物。


「これはふもとのものだ。」


 シャロンはきょとんとした。


「ふもとって、山のふもと? 」


仲間に尋ねると、長老が不思議な生物を起こそうとしていた。


「お若いの、起きなさい。」


 仲間がそっとシャロンに言った。


「人間達に守られているもの達だよ。ほら、こんな細い足じゃ逃げ切れない。」


 変な生物は目を覚ました。仲間達皆でその生物が凍死しないよう見守った。


 変な生物の名前はアルフレッド。彼のような生物を羊というらしい。


「貴方巻き毛なのね。」


「俺はアフロだ。そんな中途半端なもんじゃない。」


 シャロンが言うとアルフレッドは眠そうに応えた。雪をかきわけ、もそもそと草を食む。


「貴方私達に良く似ているのね。」


 アルフレッドはシャロンを見て、草を飲み込んだ。


「ご先祖が一緒なんだよ。」


 どうでもいいようだった。アルフレッドは特に会話に加わらず、いつも眼をあちこちに向けていた。


 変な生物。シャロンは、もこもこのアルフレッドを見て思った。


「彼は冬を越えられないかもしれない。」


 誰かがぽつりと言った。


 アルフレッドは山を下る様子はなく、狼達に見つからないよううまく隠れながら冬をこした。段々彼の毛は伸び、少し身体が膨れて見えた。相変わらず無愛想で、時々長老と何か話している以外、彼はいつもあちこちに目を配っていた。


「どうしてそんなにせわしいんだい? 」


 聞かれるとアルフレッドは応えた。


「気にしないでくれ。クセなんだ。」


 不機嫌そうにも見えるその態度に、皆は変な奴だと思っていた。シャロンは、アルフレッドはそのうち山を下るか狼に食べられるかするだろう、と他人事ながら思った。


 山はそういうところだ。シャロンの兄弟も親もそうやって山で生き、死んだ。それは悲しくもなく、不幸でもない。そういうものだった。


 ある夜、シャロンは少し遠出をしてしまった。水を飲みに群れからはぐれて、追いつこうと必死になって山を登っていた。


 もう少しで仲間の所にいける。しかし、しげみから真っ黒な毛並みの山犬が飛び出した。シャロンは悲鳴をあげて転がった。犬の牙が容赦なく足に噛み付き、血がにじんで痛みで足が動かなくなった。


 怖くて痛くてシャロンは涙をこぼした。もう自分は死んでしまうんだ。胸から悲しみがこみ上げたとき、狼の悲鳴が上がった。


 毛玉が狼の前に立ちはだかった。狼たちは二三度悲鳴をあげて、わけのわからない化け物に怯えるように逃げ出した。


 白い息が夜空に消えた。シャロンは眼をぱちくりさせた。巨大な毛玉が目の前で動いた。


「アルフレッド……。」


 アルフレッドは頭をシャロンのわき腹につけ、起きるのを手伝った。


「どうして。」


「あんたの姿が上から見えた。今日は満月で、あんたの毛は光っていた。」


 よろよろ歩くシャロンにアルフレッドは身体をくっつけて行く。


「私の足、大丈夫かしら。」


「大した血じゃない。肉厚の草をつんできてやるからおとなしくしな。」


 アルフレッドは自分の寝床でシャロンを休ませると、外の見える場所でじっと月を見ていた。


「不思議な人ね。山の生物はあんな時、助けに来たりしないわ。」


 シャロンはアルフレッドに聞こえないだろうと思って呟いた。アルフレッドは何も言わなかったので、少しほっとした。


 翌朝アルフレッドは肉厚の草を持ってきた。良い匂いがして、とてもおいしかった。自分達でも見つけるのが難しい場所にあるこの草を、アルフレッドはどうやって採ってきたのだろう。


「いいの? こんなにもらって。悪いわ。」


 アルフレッドはそっぽを向いていった。


「気にしないでくれ。俺は山の生物と違うから、平気だ。」


 シャロンはカッと頬を染めた。アルフレッドは重たそうな毛玉を揺らしてどこかに行ってしまった。


 シャロンの足が治り、皆良かったねと言ってくれた。シャロンはそうね、と応えただけだった。太陽に背中を向けて草を食べているアルフレッドを見つけると、丸い後姿を見つめた。


 アルフレッドはしばらく何も言わなかったが、シャロンを振り返った。


「肉厚の草はもっと岩場のほうだぜ。」


「知ってるわ。」


 アルフレッドはふぅっとため息をついた。


「そうだな。ここのことならあんた達のほうが詳しい。」


 失言だったと後悔するようだった。


「貴方、どうしてここにいるの? もうながいことここにいるでしょ? ふもとのほうが住みやすいんじゃなくて? 」


 アルフレッドは振り返らなかった。


「あんた、でかいピンクのアフロを見たことないか? 」


「何? それは。」


 急に言われてシャロンは驚いた。


「俺はガキの頃見たんだ。でかいピンクのアフロを。誰も信じなかったが、俺は今でもそのアフロを越えてやろうと思ってるんだ。ここにいたら、いつかそれが叶うかもしれない。」


 アルフレッドはもしゃもしゃと食事を続けた。






 アルフレッドは無口だった。干渉を嫌うのだろう。シャロンは時折彼を見に行くのにとどめた。


 毎日会うほど理由はない。山の生活は大変だ、シャロンにしてみれば、生活に関係のない時間を割くのは珍しいことだった。


 シャロンは喋るのは得意ではなかった。静かに時間をすごすのが好きだったので、アルフレッドの背中を見たり、彼が重そうな身体で岩場の上を跳ねるのを見ていた。


 大きくなるアルフレッドの身体に、仲間は皆彼が早く山を下ったほうがいいと心配しだした。アルフレッドも、夏場は暑そうだし、身体が蒸して病気になりそうだった。


 シャロンは一人不安になっていた。アルフレッドが病気になったりするのも嫌だが、彼が山を下ることを考えるのもぞっとした。


 シャロンは不安になって何度もアルフレッドを見に行った。知らないうちに彼がいなくなっていたらと思うと、胸がざわざわして眠れなかった。


 雪が積もった日、シャロンは山の中を一人で歩いていた。最近の自分はおかしくて、胸がずっとざわざわしていた。


 ずいぶんふもとまで来てしまった。シャロンは足を止めた。雪の中に何かが動いていた。毛玉がゆさゆさ揺れている。


 アルフレッドと同じ、もこもこした毛皮の可愛い女の子がいた。うきうきした様子で、新雪を踏んでいる。シャロンと目が合うと、女の子はまっすぐにこっちを見た。山の生き物とは違う、血走っていない優しい眼差し。つぶらな瞳は純粋な光を放っている。


 これがふもとの生物なんだ、シャロンは思った。アルフレッドはこんな生物達の間で生きていかなければいけないんだ。


「素敵な巻き毛ね。」


 シャロンは女の子に言った。そして背を向けた。


 自分の足跡を辿って行く。なんだか無性に寂しかった。アルフレッドは洞窟の中で丸まっていた。シャロンに気づくと、顔を上げた。


「なんだ? 」


「寒くない? 」


「別に。俺はあんた達よりも毛が厚いからな。なんだよ、寒いのか? 」


 アルフレッドが言ったので、シャロンはノコノコ歩いてアルフレッドの隣に寝転んだ。


「本当ね。貴方温かいわ。」


 アルフレッドは黙っていた。


「迷惑かしら? 」


ふんっと吹き出すような笑い声がした。


「別に。あんた、いい女だ。」


 シャロンはふふっと笑った。




 アルフレッドは山を降りる決心をした。仲間達は安心した。同じ祖先を持つ仲間が無残に殺される前に下りてくれるのが嬉しい気持ちと、足をひっぱられて狼をつれてこられても困る気持ちがあった。


 シャロンはアルフレッドが去るのを見たくなかった。だから彼が旅立つ日は離れておくことにした。


「あの若いのはふもとのものだから、こうしたほうがいいのだよ。」


 長老が慰めるように言ってくれた。シャロンは静かにアルフレッドが去るのを待った。彼がいなくなったのを見計らって山を下った。ついつい彼の住処にしていた寝床に行ってしまった。足を止められず覗くと、点々とアルフレッドの毛玉がふもとに向かって続いていた。


 彼の匂いだけが残っていて、眼を閉じると彼の姿が浮かんだ。


 三歩下がり、振り返るとシャロンはアルフレッドを追った。彼の残した毛玉の跡をたどって山を駆け下りた。


 胸にこみ上げたのは寂しさで、後悔はなく、自由を失ってもかまわないと思った。自分もふもとの生物になってもいい。そんな気持ちすらあった。


しかし、彼女の目の前にピンク色の巨大な毛玉が立ちはだかった。


 それは桜の木だった。


 シャロンはその脇を通り抜け、ぽつぽつ続く毛玉を見つめた。ゆっくりと背中を向けた。


 アルフレッドは、こんな自分を好きにならないだろう。彼が好きだったのは自由で山に生きたシロイワヤギだから。


 涙が溢れて、シャロンは立ち止まりそうになった。けれど足を止めずに仲間の元へ戻った。


 自分は山の生物だから、彼はふもとの生物だから。


 シャロンはじっと空を見た。青空に浮かんだ雲は、ふわふわもこもこしていて、毛玉のようだった。








 アルフレッドはふもとの生活になじんだ。彼にとってはその生活のほうが親しんだものだったが、時々山での緊張感溢れる生活が懐かしくもあった。ここの牧場はアフロ仲間が少ないが、ストレートの牧羊犬は皆嫌味でなく、気さくだった。ただ一つ、アルフレッドにとって滅入ることは、一緒にいる羊がどうも性に合わない羊だということだ。


「あらあら、新しい脱走用の溝がつくられているわ。どうするの? マリー。」


 リンジーが柵の上で足をぶらつかせて言った。


「んー、大丈夫。」


 マリーは柵の間をひょいっとぬけると、足が落ちるほど穴の大きな溝の上をごろんごろんと転がった。そして安全を確かめるまで立ち上がらず、もう歩いても大丈夫だと気づいたら立ち上がった。


 アルフレッドを振り返った。


「こうすればいいわ。一緒にいかない? 」


「俺にかまうな、この不思議ちゃんが。」


「そう、またね。」


めげない不思議ちゃんな羊を見てアルフレッドはげんなりした。背中にひっついた枯れ草を乗せたまま、マリーはいそいそと行く。


「マリー! だめだよ! 」


牧羊犬のジェームズが叫んだ。


「このおてんば娘! また脱走したな! 」


 牧場主が追いかける。


 アルフレッドは、見慣れた光景にため息をついて山を見た。

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