1. The knight appears in the night
ユイはもう、恐れることは無かった。
(―――――だって)
(―――――――もう一度、逢うことが出来たのだから。)
―――――この世界は繋がっている。
故に、この空のもとで誰かに逢うというのは必然なのかもしれない。
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ヨーロッパで最も早く近代化を成功させた歴史のある国、イギリス。その南部には首都ロンドンが位置し、ビッグ・ベンやバッキンガム宮殿の歴史的風情は今もなお、訪れた者の心に感動を与えている。
さて、この物語の舞台はイギリスであるのことに間違いは無いのだが、ロンドンでは無い。その北側の田舎町に焦点が当てられる。
15歳の少女、天野ユイは魔法使いである。世界の理の元に結果を生み出す「魔術」とは異なり、世界の法則を捻じ曲げるのが「魔法」だ。雷や炎を生み出すなどといったのが魔術だとするのならば、魔法は使い魔を創る、万能薬を創る――などといった類いのものだ。現実にあるものを生み出すのが魔術であり、現実に無いものを生み出すのが魔法――と言ってもよいだろう。
天野ユイは朝を迎えるのが苦手だ。毎朝朝日で目覚め、起きたいときに起きる。酷いときは昼時まで布団に篭もっていたことだってある。彼女の生活はいつもそんな感じだ。起きたいときに起き――食べたいときに食べ――寝たいときに寝る。しかし、そんな生活でも彼女が毎日を満足することは決して無かった。
(そろそろ起きてみるか―――――)
天野ユイはその体を起き上がらせ、今日、自分は何をするか思い描く。さて、何をしようか―――。
そんなことを考えているうちにふと、自分の体の違和感に気づく。なんとなく、右手に力が入らない。いや、動かそうと思えば動くのだが、動かそうとすると筋肉痛にも似た不快感がある。
(昨日なにやったっけ)
昨日のことを思い出そうとする。―――と、すぐにその違和感の正体に気づくことが出来た。
(昨日は実験失敗しちゃったんだっけ…)
そうだ。いつもの薬を作ろうとしたら、配分を間違っちゃったんだっけ。そしたら―――
バチッ。右手に痛みが走って、ビーカーを落としてしまったんだ。
(ついてないなあ―――)
ベッドから体を起こし、朝食を作りに台所へ向かう。
今日の朝食はサンドイッチだった。簡単に、かつ、手早く作るならやはりこれだろう、とユイはいつもの調子で朝食を作り、手短に済ませた。元々、食への拘りがあまり無い故だろう。元々、イギリス人ではないのだが。
朝食を済ませた後、右手の処置をするために神経を研ぎ澄ます。癒しの力は魔法特有のものだろう。魔術では出来ない。
ユイは右手に左手をかざす。やがて、左手から緑色の優しい光が漏れ出す。
「治癒」
短い詠唱。
―――やがて、光は小さくなり、消えた。
治癒の魔法はそう難しいものでは無い。
手を握りしめる。―――痛みはもう無いようだ。
「やっぱり、昨日の処置は魔力が足りなかったか。」
処置を終え、そんなことを呟く。
魔力。魔術、魔法を生み出すために必要な力。魔導師の体には魔力が眠り、魔法、魔術を行使するときに使った魔力の量が多ければ多いほど、効果は大きくなる。
食後のアフタヌーンティーはもはや習慣と化していた。ある日突発的に始めたものだったが、そのまま習慣になってしまった。しかし、いつの間にか習慣となってしまうのはよくあることだ。自由気ままに、行き当たりばったりに生きている彼女にとって日常的なものに過ぎない。
「庭に行くか。」
朝立てた計画の通りだ。ユイはそう呟き、外へ出る。
ユイの家は割と立派だ。独り暮らしにしては割と広い家だし、家の玄関側から見て裏側の庭はテニスをするのに十分な土地があった。そもそも、ユイの家の近くに他の誰かは住んでおらず、家の近くはほとんどユイのものと言っていい程だった。
家の玄関側から見て右側には畑があった。ユイが庭で何かをすると言ったら、大抵、この畑に用事がある。その畑で育ているものの大半は調合用の薬草。二、三種は食用であるが、基本的に、魔法の研究のための畑だった。
ユイは雑草を抜き、水をやり、今の薬草の状態を観察している。
「順調…かな」
今の所、特に問題もなく育っている。新しく開発した防虫魔法が上手く行ったこともあり、虫食いの形跡もなく育っている。順調そのものだ。ああ、これなんかもうすぐで収穫できそうだ――今度は成長促進魔法も試したいところだったし、これを収穫して、新しい種を撒いたらやってみよう。
畑の様子を見た後、ユイは家へ戻る。玄関へ向かう途中、ふと、玄関の前の庭に“何か”が突き刺さっているのを見た。
「なんだろう?あれ」
近づいてみると、それは―――
「剣?」
そう。鞘に収められた剣だった。現代において、時代錯誤ともとれる物がそこにあった。白を基調とした装飾が美しい。
―――しかし、真っ先に浮かぶのが、「なぜこんなものがここにあるのか」ということだろう。
(昨日まではここに無かったはず。なんでここに…)
ここに来客など滅多に来ない。来るとすれば、鋼の魔術師くらいだろう。しかし、彼がこんなものをここに置いていく訳がないだろう。それも、人の庭に突き刺して。もし、彼が置いていったとしても、その目的が分からない。…からかうため?冗談じゃない。
様々な思考を張り巡らせている内に、剣を抜こうと手を柄に手を伸ばす。剣と言うからにはさぞ重いのだろう。…それにしても何故、鞘に収められて――――
「うわっ!」
思わず、手を引っ込めてしまった。
「すごい魔力…」
この剣に宿る魔力は、まるで洪水だ。魔力を多く含むことのできる宝石でも、ここまで宿すことはできないだろう。
―――疑問は深まるばかりである。ユイは改めて柄に手を掛け、地面からその剣を抜いた。
手に取ると、やはりといってはなんだが―――その魔力量に再び驚かされる。
「まず調べてみるか」
ユイは剣と共に家へ戻る。
「うーん…なんだろうこれ…」
もう夕方だ。昼飯も食べず調べているのに、この剣の正体が何も分からない。そもそも、宝石より魔力を貯蔵できる魔法道具があるとは信じ難い。一体何なのだ。この剣は。ほかに何か手は無いか、思案し始める…
「書斎に行ってみるか」
書斎。あまり広くは無い。寧ろ狭い。しかし、まあ、それなりの本はある。…流石にこういった類いのは魔法書館に行かなきゃならないと思うけど。
適当に本を一冊手に取り、適当にページを捲る。うん、無い。知ってたけどね。あったらそれはそれで凄いし。
この書斎は師匠が遺した物の一つだ。そもそもこの家自体も師匠が元々持っていたものだ。師匠が死に、ユイがそれを受け継いだ。別に、何とも無い、普通のことだ。
ふと、ある本がユイの目に留まる。本の背の部分の文字は掠れて読めない。―――ユイは何となく、その本を手に取った。なんか、そんな感じがするから。なんか、これが正解のような気がしたから。まあ勘というやつだろう。
パラパラっとページを捲り、目的の情報が無いか探る。再び、あるページで目が留まる。そう、何となくで、だ。
「これは―――」
カランカラン。
来客用の合図だ。もう暗くなっている時間に来客とは珍しい。いいとこだったのに残念。というか、もう暗いのか。そろそろ明かりを付けないと。
そんなことを思案しドアを開ける。
――そこに立っていたのは顔を布で隠した、胡散臭いを体現したような男(体格で判断したものだが)だった。
「何の御用ですか?」
「ああ。いや、何、ここに、剣が落ちていなかったか?それを拾いに来たのだ。」
―――強烈な違和感を感じる。何故この人は剣のことを知っている?いやでも、この人は、実は、私の知っている人で―――
「剣は、どこにある?」
男の問いかけに強い強制力を感じる。いや、でも、この人は優しい人、この人の応じかけに答えなくちゃ―――
いや、違う。私はこの人のことを知らない。
「…貴方―――!」
「ほう、我が暗示を解くとは。見た目によらずとはこのことだ。」
男は不気味な声をユイにかける。
「魔術師…!」
暗示の魔術。本来無い記憶をあたかもあったように思わせる魔術。しかし、相手の魔力が自分より同じくらい、若しくは高ければ効果は薄くなってしまう。ユイは一瞬だけ暗示にかかってしまった。ユイはそのことを踏まえ―――
(こいつの魔力量は私と同じ、若しくは少し高いくらいだ。それより―――)
暗示を掛けたこと。何より、こいつが私の敵であることを示すこれ以上ない証拠だ。
(こいつの目的は分からない。だけど、間違いないのはこいつは“あの剣”を欲しがっているということ)
悪いやつで間違いは無いと思う。だけど、相手は魔術師。魔法使いの多くは攻撃に長けていない。他ならぬ自分もそうだ。
対して、魔術師は攻撃に長けていると答えて良いだろう。雷、炎を創る、魔術師にはお手の物だ。
(―――――!)
ユイは咄嗟に家の中へ駆け込む。追ってきてる様子は無い。それだったら一直線に剣の元へ―――
「どこへ行こうとするのかな?」
ユイの右頬を後ろから飛んできた魔力丸が掠める。もう後ろにいる…!瞬間移動の持ち主か―――?
「外してしまったか。まあいい。逃げようとした辺り、魔術師に対抗する手段を持ち合わせていないのだろう。…ふふふ。暗示にかかったままのほうが楽に死ねたものを…!」
「くっ―――!」
剣を手に、奴から距離を取る。必死に駆け込んだ先は―――
「裏庭…!」
あの魔力丸から逃れるには何か遮蔽物が必要だ。それなのに、自分はわざわざ相手の土俵に乗るようなことを―――
左手側には森だ。そこへ向かえば多少マシには―――
いや、その前に二発、いや三発は食らう。一回でも当たれば恐らく命取りだろう。
(不味い――――!)
そのとき、自分の右手にある物を思い出した。そう、あの剣だ。
――その剣は光を発している。さっきまで普通の剣だったはず。自分に何か役割なある、と―――そうアピールするようにも見えた。
勝手に剣が手から離れる。ある地点で剣は空中に漂い、止まった。
その様子を見て―――ユイの口は自然にそのフレーズを唱えていた。あの本に書かれていたフレーズだった。
―我、汝の力を求める者なり。この聖媒の寄る辺に従い、この地に君臨せよ―
剣を中心に魔法陣が自然に描かれる。
辺りに高密度の魔力が満ちる。
―再び唱えよう。我、汝の力を求める者なり―
月明かりをも超える光が辺りに満ちる。
―我に従い、契約印を以て、その証と成せ!―
詠唱完了。剣に込められた魔力が解放された。
(もし―――)
(もし、私の我儘を受け入れてくれるのなら―――――)
(―――――――――――――。)
ユイはそう想いを馳せる。
周囲に蒼い稲妻が迸る。その衝撃は風となり、ユイを襲う。しかし、ユイは動かない。手で風を遮ろうともしない。立って、その「出来事」の顛末を最後まで見ようとしているのだ。
やがて、風が収まる。魔法陣は黒ずみ、周囲には煙が立ち込める。魔法陣の中心だったところから人影が見える。
ガシャン。重い音が響く。
煙が晴れ、その姿が見えるようになる。
まず見えたのが――剣。あの剣だ。
続いて見えたのが――鎧。剣と似た装飾だ。白い甲冑に身を包んでいる。
最後に見えたのが――兜。雄々しい兜が、見る者を魅了する。
「召還に応じ参上した。蒼雷の騎士カイト。ここに剣の契約を。“黒髪の魔法使い”。」
若い声が聞こえる。ユイは恐る恐る右手を差し出した。
差し出された右手に対し、白い甲冑の騎士も右手を差し出す。
「我が名はカイト。二つ名、蒼雷の騎士。契約印に我らの契約を刻む。
我、貴方の剣となる者。貴方の障壁、障害と成る者を総て討つことを誓う。」
赤い光が互い右手に迸る。その右手には奇妙な紋様が刻まれていた。
ユイは目を見開き、その紋様をまじまじと見つめる。
「これで契約は完了した―――早速ですが、敵意を察知しています。マスター、下がって。」
「ちょっと――」
「下がって。」
ユイは恐る恐る後ろを見た。そこには――
「もう召喚されていたか。全く、ついてない日だよ。今日は。」
玄関で聞いた、あの声が聞こえていた。
「立ち去れ」
厳しい声が魔術師に対して言い放たれる。
「ふん、言われなくともそうするつもりだったさ、蒼雷の騎士」
「だが」
魔術師は黒い影を伴い消えていく。
「お前はいずれ手に入れるさ。その時を待っておけ」
そう吐き捨て、黒い影と共に姿を消した。
白い甲冑の騎士は剣を下した。
「どうやら敵は去ったようです。マスター」
「ちょ、ちょっと待って!あなたは―――」
「私?私は蒼雷の騎士カイトです。あなたの天傑。」
「え?あの剣から本当に?あなたが?」
「はい。その通りです。」
「―――???」
本当に召喚が成功した?だけど――この使い魔の魔力量は段違いだ。明らかに私を超えている。じゃあ、本当に天傑と呼ばれる、伝説の使い魔が召喚出来たってこと…?
「ご、ごめんなさい、ちょっと混乱しているみたいで…」
そう告げて、ユイはベッドへ向かった。まだ7時だというのに。月は昇り始め。ここが都会だったら、この美しい星空を見上げて風情に浸ることも出来なかっただろう。
朝になる。時刻は7時を指していた。ユイはいつも通り、適当な時間に起きる―はずだったのだが。
今日は違ったようだ。すぐにベッドから跳ね起き、すぐに着替え、一階のリビングへ下りる。
―もしかしたら、昨日のは夢かもしれない。そう願って。願う、というのは少し違うのかもしれないが。おや、何かが焼ける、いい匂いが…
リビング、もといキッチンには見慣れない男性がいた。白い甲冑の騎士とは違う、爽やかな好青年だ。
「マスター。おはようございます。朝食は少し待ってください」
と、聞き覚えのある声が聞こえる。
「あなたは…」
「どうやら記憶がまだ混乱しているようですね。…しかし、聞かれる度に何度でも答えましょう。私は貴方のマスター、蒼雷の騎士、カイトです」
黒髪の魔法使い、ユイはなんと答えればいいのか分からなかった。
一話執筆し終えました。
設定はありきたりなものですが、楽しんでいただけると幸いです。
本当は、もう少し彼女の日常を書きたかったのですが、私自身の力量不足により断念。うーん、残念!