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 翌朝、加奈子は目覚めてすぐ、羞恥心でどうにかなりそうだった。


 昨晩、シグの胸で大声で泣きちらしたあげく、そのまま眠ってしまったのだ。


 「…っ!」


 声にならない声を上げていると、「起きましたか」と優しい声がかかった。

 シグは焚き火を消して、水筒を差し出してくれた。


 「あ、ありがとう。おはようございます…」

 「おはようございます。さあ、あともう少しで街に出ます。頑張りましょう」


 シグの声は変わらず優しかったが、しばらく顔をまともに見れそうになかった。加奈子は冷えた革袋を火照る頬に押し当てた。





 あれから、シグは変わりなく接してくれている。昨晩の加奈子の失態が、まるでなかったかのようだった。


「カナコ、この花には気をつけてください。キレイですが、毒がある。この花の葉の部分は、毒消しになるので知っておいてください」

 シグが足を止め、黄色い可憐な花を指さして加奈子に教えてくれる。


 一つ変わったことがあった。ほとんど黙って歩き続けた昨日と違い、今日は色々と教えてくれるようになっていた。道に咲く植物のことなどの他愛のない話。もしかしたら、昨晩の加奈子の様子を見て、気を使ってくれているのかもしれない。


 -大人だよなぁ


 昨日と同じように先を歩くシグの背中を見ながら、加奈子も歩く。たった2日ばかりの付き合いだが、シグは本当に大人だ。そしてそんな彼のことを、加奈子はまだ何も知らない。


 -こういうのって、いつ聞くものなのかな。


 今は、街にたどり着くことが先決だ。

 加奈子は一人で頷いて、シグの後を追った。







 木々の木漏れ日が赤くなって、夕暮れが近いことがわかった。

 かなりの距離を歩いている。じんじんと痛む足をなんとか動かしながら、加奈子は歩き続けた。

 

 それからしばらくして、シグの足がふと止まる。

 加奈子を振り返ったその顔には、初めて見る安堵の笑みがあった。


 「カナコ、見てください。街です」

 「ほんとう!?」


 慌ててシグの指す方向を見ると、森の木々の合間、遠くに幾つもの明かりが見えた。


 明かりだ!


 たった2日ばかりだったが、人の気配を感じて加奈子は安堵に足の力が抜けた。

 へたり込む加奈子の向かいに、シグは跪き、加奈子に微笑みかける。


 「よく、頑張りましたね」


 その優しい言葉が、胸にしみて、加奈子は泣いた。






 街へと続く街道へ出る頃にはとっぷりと日が暮れていた。

 後少し。そう思うと、重くて痛む足もなんとか動く。加奈子は街だけを見て歩いていた。





 ざざざざざざ




 と、そのとき草を掻き分ける、聞き覚えのある音が聞こえた。風の音ではない。 

 先程まで感じなかった寒気に、全身の皮膚が粟立つのを加奈子は感じた。



 -あいつだ!



 加奈子がシグの方へと顔を向けるのと同時に、シグが腰の剣を抜いた。

 剣と、シグの鳶色の瞳が、月の光で輝いていた。



 「カナコ、走ってください」


 シグがカナコの前方にある街を指さした。


 「シグは…!?」

 「奴を倒してから追います。さあ早く!」


 終始穏やかで優しい口調の彼の、緊張感のある声。

 加奈子の脳内に、あの凄惨な光景が甦った。

 足がすくむ。死ぬかもしれない。

 私も、シグも?


 「カナコ!」


 シグの声にはっとする。すでにあの化物は森を抜け出し、月明かりの下にその身をさらけ出していた。


 赤黒い皮膚と、常に膨らんでは肉が弾け、萎む背中。妙に細い腰。奇妙なほどに膨れた頭。ぽかりと空いた、空洞の目。

 四足には鋭い爪と、耳まで裂けた口には涎をまとった牙がぬらりと光っている。



 -この前見た奴と違う、化物だ…!



 その化物は、空中で匂いを嗅ぐように頭を上げて鼻をひくつかせた後、悦ぶようにその身を震わせた。


 うううううううういいいい!


 そして、近くにいたシグではなく、加奈子に向かって飛びかかってきたのだ。


 ギイイン!


 とっさに身をすくめた加奈子の眼の前で、シグが化物と対峙していた。あの一瞬で、加奈子のもとへと跳躍し、化物の長い爪を、シグが剣で受け止めていたのだ。


 シグの剣と、化物の爪が競り合い、火花を散らす。


 「うおおおお!」


 シグは気合いと共に、足を一歩前に出した。そして両腕で化物を押しのけたのだ。

 彼の体よりゆうに倍はある化物を押しのけて、シグは両手を振りかざした。

 化物も、シグに飛びかかる。


 ザンッ


 刃の煌めきと共に、化物の身体が2つに分かれる。

 地面に落ちた肉塊は、ぐしゃり、と熟れすぎた果実が潰れるような音を立てた。


 




 -倒した?

 加奈子はじっとその化物を見つめる。





 「やはりだめか」


 シグの厳しい声と同時に、化物の身体にも変化がみられた。

 2つの身体が動いているのだ。ぶくぶくと泡立つように肉が弾けながら、分かれた身体が一つになっていく。

 ものの十数秒で、何事もなかったかのように化物がまた2人の前に立ちふさがった。



 「くそっ」


 シグが焦ったように剣を振るうが、今度は化物が早かった。

 体当たりするように勢いよくシグに突進した。その攻撃は単純だが、速度も強さも桁違いだった。


 どがあああああん


 シグが加奈子の後方に弾き飛ばされる。

 街道沿いに生える木に背中から叩きつけられたシグは、反動で地面に投げ出されて倒れた。


 「あ…ああ…!」

 加奈子は恐怖で動けなかった。足が地面に縫い付けられたようで、身体が震えて、指1本動かせなかった。


 -シグは走れと言ったのに


 シグ一人なら、切り抜けられたかもしれない。


 -逃げることすら、できない…!


 恐怖で足手まといになった挙げ句、自分を守ろうとしてシグがやられてしまった。シグは生きてるだろうか。

 眼の前には化物が、生臭い息を加奈子に吹きかけている。舌なめずりをして、がぱり、と大きく口を開けた。加奈子の身体半分は入ってしまいそうだ。


 「カナコ!!」

 -ああ、シグ、生きてたんだ


 悲痛なシグの声を聞き、加奈子は彼が生きていることに安堵した。


 -こいつが私を食べている間に、逃げることができるといいけれど。


 結局、ここがどこなんだか、シグは一体何者なのか、何ひとつわからないままだった。


 迫りくる牙に、加奈子は目をぎゅっと瞑った。

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