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すでに危険な気配は去ったが、その場にとどまるのはよくないということで、ふたりはしばらく森の中を歩いた。ひとりでいたときとは違い、ふたりになったことで、加奈子は安心していた。
普通、知らない男性と人気のない場所でふたりきりは、安心してはいけないと思うが、まだあまりシグのことをよく知らないが、加奈子はシグは安心できると感じていた。この人は、加奈子を守ると誓った。彼は約束を守るだろう。
シグが言うには、この森を抜けると人が集まって最近出来た街があるという。もともとシグはそこに向かっていたそうだ。
「足元に気をつけてください」
「はい」
最初、ほぼ裸足のような加奈子の足を見て、シグが背負うと提案したのだが、加奈子は断った。きちんと自分の足で歩くと伝えると、今度は手を引いて歩くと言い出したので、これも断った。シグが片手であっても自由でないのは、危険に繋がる可能性があるからだ。
そのことを伝えたが、納得しないシグを説得するのは時間がかかった。結局、こうやってシグが逐一加奈子に注意を促して、歩くことでお互い妥協した。
しばらく歩くと、少し木々が開けた場所に出た。木が空を覆っていないので、月明かりで照らされている。
一部は土の上が苔で覆われている。シグは付近に荷物を置くと、加奈子を振り返った。
「乾いた枝も沢山ある。今夜はここで朝まで休みましょう」
そう言い残すと、落ちている小枝を集め出した。加奈子が近くに寄って座ると、その様子を横目で見ながら、シグは革でできた鞄の中から、火付け石と、ふわふわした繊維を少し取り出した。
「これで火がつくの?」
「はい、見ていてください」
一体どうやるんだろう、と見ていると、シグは2つの石を打ち付けた。ちっ、と火花が出る。
数回打ち付けると、金色の火花が大きく出て、繊維のようなものに移った。と、同時にその端っこが小さく赤くなった。
ついた!加奈子は息で消してしまわないように息を止めた。シグは素早く、しかしそっと繊維に息を吹きかけながら、小枝の下に入れ込んで、息を吹きかけ続けた。
反対側から煙が出始める。そしてしばらくすると、ぼうっと、音を立てて赤い火がついた。
「すごい!」
加奈子は感動した。火がついたことで、周りが明るくなる。暖かい。
なにも無いところで、火をつけてしまった。
尊敬の眼差しでシグを見つめると、シグは苦笑しながら大きめの枝を載せていく。あっという間に、頼りなかった火は音を立てて燃え上がった。
加奈子は冷えた身体を火元へと寄せた。
暖かさにほっとする。
「少ししかありませんが、食べれますか?」
そして目の前に、手のひらの大きさのパンのようなものが差し出された。
現金なもので、加奈子の身体は急に空腹を覚えた。
「た、食べてもいいの?」
「どうぞ。保存食ですので、お口に合わないかもしれませんが…」
おずおずと手を差し出すと、両手にパンが乗った。少し火で炙ったそれはずしりと重く、しっかりと小麦の匂いがした。グルグルと、加奈子の腹が鳴る。よだれが出てきた。
かじりつこうとして、はっとする。
シグは火を見ている。
加奈子はもう一度パンを見た。シグの分はあるのだろうか。
いや、革袋の様子を見る限り、そんなに沢山の量が入っているようには見えなかった。きっと、シグは自分の分も加奈子に食べさせようとしているのだろう。
加奈子はパンを半分に切った。
ずっしりとしているそれは、硬いが、なんとか半分に千切ることができた。
そして加奈子は片方のパンを、シグに差し出した。
「はい」
シグは、加奈子がパンを差し出しているのを見て、困ったように笑った。
「カナコ様、お気持ちは嬉しいのですが、私は大丈夫です。それは貴女の分だ」
「シグさ…シグは、わたしを守ってくれるんでしょう。なら、ちゃんと体力をつけてもらわないと困ります」
加奈子は自分の意志を伝えたが、シグは首を振った。
浮かべている微笑は、何故か悲しげだ。
「私は食べる必要がないのです。貴女が食べないのなら、それは捨てなくてはならないです。どうか、食べてください」
いくら加奈子が説得しても、シグは首を横に振る。そして「必要がない」と繰り返した。
何故か、その言葉に嘘が無いように聞こえて、加奈子は首をかしげた。
そして仕方なく、パンを口に運ぶ。朝食も食べずにいた加奈子には、パンはすこしぱさついているが、とてもおいしく感じられた。あっという間に半分にしたパンを両方食べてしまった。
ーもしかして、あの姿になってたことが関係しているのかな
ふと、そんな考えが頭をよぎって、加奈子は不安にかられる。
ぶるり、と震えると、加奈子の顔色を見てか、シグが安心させるように加奈子に微笑んだ。
「いろいろとあって、今日は疲れたでしょう。聞きたいこともあるでしょうが、明日にして、もう寝てください」
確かに、身体も温まり、空腹も落ち着いた。
今度は睡魔が駆け足でやってきた。急にまぶたが重くなっていく。
「でも、シグも休まないと…」
「私は必要ないのです。どうぞゆっくりと寝てください」
ー休息も必要無いなんて、そんなわけがないのに…
そう思いつつも、シグに苔の上に横になるように勧められ、横になった途端に、加奈子の意識はまどろみ、遠のいていった。