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 頭を垂れた化物の身体が震えたかと思うと、ぐずり、と皮膚の様子が変わった。紫のそれが、徐々に薄くなって黄色みがかかっていくようだった。そしてベキベキと軋む音を立てて、骨格が変わっていく。曲がりくねった背骨が伸び、足が真っ直ぐに伸びていく。

 腕は逆に縮み、ほどよい肉がついていく。肉がついてから、そこに筋肉がついていく。金色のたてがみが、ぐんと伸びて、背中を覆う。




 やがて、立ち上がったのは、豪然たる体躯を持った男であった。



 

 長身に、皮膚の色は日に焼けたような小麦色だ。頭髪は金髪の長髪が腰まで伸びている。瞳は意思が強そうな鳶色、その間からまっすぐ鼻梁が続き、端正な顔立ちがうかがえた。

 左腕には模様が刻まれた金色の腕輪がされている。引き締まった身体と筋肉は、まるで歴戦の戦士のようであった。



 男は加奈子を見ると、そっと微笑んだ。




 「ありがとうございます、貴女様のおかげで助かりました」




 男は、加奈子に感謝の気持ちを述べた。だが何故だろう、男の微笑は悲しげな雰囲気を持っている。

 男は加奈子の傍まで来て、加奈子の傷ついた左腕に手を伸ばす。

 加奈子も、わけがわからないまま、自分の腕に視線を向けた。


 


 「え?腕が、治ってる」

 「そうですね、もう傷がふさがってきています」



 先ほどまで地面に滴るほどの出血があった傷が、固まった血液でよく見えないが、出血も止まり、抉れていた部分に肉が盛り上がってきている。痛みは先ほどから感じない。


 一体、自分の身体に何が起きているのか。異変続きの状況に、加奈子は深く考えそうになる自分を抑えた。



 ー考えちゃダメだ。今は落ち着かないと。



 その行動は、無意識の自己防衛に近かった。

 突然襲われ、その相手に血をすすられ肉を食べられた。そして襲ってきた化物は「加奈子の血肉を食べて」死に、ある化物はこうして「加奈子の血を舐めて」人間のような姿になっている。


 このことを今考えだしたら、きっと自分は狂う。そのことを理解していた加奈子は、自動的に今起きた出来事を無視することとした。そうしなければ自分を保つことが出来なかったからだ。

 加奈子はひとまず、己の興味を目の前の男に注ぐこととした。男はひざまついたまま、加奈子を見つめている。




 「…あなたは?」

 「私の名は、シグルズ・ヘクトールと申します。恐れながら、貴女様のご尊名を承りたいのですが…?」



 このシグルズという男は、少なく見たとしても加奈子より年上だ。大人の男だ。しかし、こんな小娘に対してとんでもなく、へりくだっている。

 それがおかしくて、加奈子はちょっと笑った。それを見て、男は驚いたように加奈子を見る。



 「シグルズさん、わたしは加奈子といいます」

 「はい、カナコ様ですね、私のことは、どうかシグとお呼びください」

 「シグさん?」

 「どうか、シグと。そのままお呼びください」



 シグ、と呼ぶととても嬉しそうに微笑む。

 その表情をポカンと見つめた後、ひざまつくシグを見て、加奈子はやや赤面して視線を反らせた。シグという男は首を傾げる。



 「カナコ様?」

 「加奈子様じゃなくて、加奈子って、呼んでください。あと、その…」



 ごにょごにょと口の中で言葉が消えていく。

 今更ながらに、目の前の男が直視できなくなった加奈子の様子に、シグは心配そうに加奈子に近づいた。

 加奈子としてはかんべんしてほしい。泣きそうになりながら、背後にある木にさらに後ずさる。



 「どうしました?どこか、他も怪我していますか?」

 「あの、そうじゃなくてですね…」



 いろいろな方向に視線を彷徨わせる加奈子に、訝しげに逞しい金髪の美男が覗き込もうと、より近づいてくる。すでに顔と顔が触れ合いそうなほど近い。



 「あの、」

 「はい」

 「は、」

 「は?」


 「は、肌が...その...」



 加奈子は言い切れずとも、相手には伝わったようだった。

 一拍おいて、息を呑むような音がしたかと思えば、ズサッと風が吹く。

 

 シグが飛び退いたようだった。実際に、加奈子から2歩も3歩も離れた場所にシグは膝をついている。一瞬でそこまで飛び退いたシグの身体能力に驚く加奈子をよそに、シグは先程の様子とは打って変わって非常に動揺している様子だった。

 顔を伏せたままで、加奈子に謝罪した。



 「申し訳ありません…!お目汚しを…!」

 「あ、いや、あの…」

 「あ、あちらの茂みを抜けた奥あたりに、私の荷物があるはずです。取りに行ってきてもいいでしょうか。すぐに戻ってまいります。」

 


 シグの必死な様子に、加奈子はもっと早く言ってやるべきだったかな、と申し訳無さを感じた。


 「はい、行ってきてください。ここで待ってますね」

 「ありがとうございます。…そ、その、私が移動するまで、少し目をつむっていていただけると…」

 「は、はい!ごめんなさい!」



 慌てて加奈子が目をつむると、がさり、と草の音が聞こえ、シグが遠ざかっていく。そっと目を開けた加奈子は、ふう、と息をついた。




 静かだ。先程まで命のやり取りがあったのは嘘のような夜の森だ。

 今になって、虫の音が聞こえるようになってきた。あたりに危険な様子は感じられない。

 左腕をもう一度確認する。二の腕から指先までびっしりと乾いた血が覆っている。試しに指を動かしてみる。

 


 「痛…くない」



 しばらく動かしてなかったため、軽いしびれはあるものの、全く痛みはなかった。次に腕を曲げ伸ばししてみる。腕の乾いた血が、ぱりぱりと音を立てて剥がれていく。二の腕に触って見ると、完全に血が乾いている。


 試しに、直ぐ側にあった苔を剥がして腕に当ててみた。露をたっぷりと含んだ苔は、脱脂綿のように優しく腕を湿らせていく。そのまま撫でるようにこすると、血の下からは見慣れた肌が顔を出した。

 何度か苔を変えて腕をこすると、薄く跡が残っているものの、先ほど大きな傷があったとはわからないほど、腕は綺麗な状態だった。



 異常だ。自分の身体がおかしい。

 

 またも、加奈子の胸中に不安が押し寄せてくるが、慌てて加奈子は首を降った。



 「とりあえず、原因は分からないけど命は助かったんだし、怪我してもすぐ治るのは今はすごく助かるわ」


 

 声に出して、自分を説得した。

 だから、今は考えないようにしよう。

 足にあった細かい傷も、すでに綺麗になくなっている。


 加奈子がゆっくりと立ち上がるのと、シグが茂みをかき分けて来るのは同時だった。


 

 

 シグはゆったりとした生成りの布を身体に巻いていた。器用に茶色の紐で腰のあたりで縛っている。長い金髪は編んで背中に垂らしている。背中には皮でできた鞄のようなものを背負っている。足元は布を巻いた上に、やはり紐で器用に固定されていた。そして腰には物語で見たような、剣が携えられていた。


 まるで神話に出てくる神様みたいだ、と加奈子は思った。シグが端正な顔立ちをしているのも、その考えを増長させていた。


 シグの顔は薄っすらと赤い。まだ恥ずかしいのだろう。それもそうだ。

 加奈子は何と言ったものか、と考えつつ、ひとまず明るくシグに笑いかけた。



 「シグさん神様みたいですね、かっこいいですね」


 シグは赤い顔のまま、髪と同じく金色の眉を寄せて難しい顔をしている。

 そして、きっ、と加奈子を見やると、加奈子の前までやってきた。

 

 先ほどと同じように近い位置に立ち止まると、シグは思いつめたような表情で加奈子を見下ろす。



 「あの、シグさん…?」

 


 黙ったままのシグに、妙に緊張した加奈子は視線を逸らせぬまま、困惑した。

 一体どうしたのか。

 一分ほどそうしていただろうか、シグは急に行動した。



 「カナコ様」



 加奈子の目の前にひざまついたのである。先ほどとは違い、加奈子は立ったままである。シグは右手を胸に当てて、加奈子を下から見上げた。



 「カナコ様、どうか貴女様を名前でお呼びする非礼をお許し下さい。そして、先ほどからの数々の非礼…、本来であれば、私の首をもってしても償いきれる行動ではありません。ですが、今は貴女様の身の安全が第一です。どうか、私めにカナコ様を安全な場所に、護り、お連れすることをお許し願えないでしょうか?」



 加奈子はシグの言葉に目が点になるようだった。

 まるで騎士が姫に懇願しているようである。しかし、加奈子は自他共に認める庶民である。男性にこのようなことをされる覚えはない。しかも、この男、首をもって、などと物騒なことを言っている。そしてその表情は明らかに真面目そのものである。おそらく、シグは冗談など言える男ではないのだろうと、まだあまり良く知らない加奈子は理解できた。



 「えっと、シグさんは、」

 「どうか、シグと」


 「し、シグは、わたしを助けてくれました。それに、あの状況は誰にも予測出来なかったし、わたしも気にしてないですから、謝らないでください。えっと、安全な場所に連れて行ってくれるんですよね?本当なら、わたしからお願いする所なのに、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 「カナコ様…」



 一生懸命に気持ちを伝えたつもりだったが、ダメだっただろうか。シグはなんとも言えない表情でカナコを見つめている。

 しかし、気を取り直したのか、加奈子の右手をとると、真摯な表情で口を開いた。


 

 「では、カナコ様、私シグルズ・ヘクトールは、騎士道に誓って、この身をもって全身全霊で貴女様をお守りいたします」

 「は、はい」


 「どうか、許す、と」

 「ゆ、許します…?」





 まるで物語だ。加奈子がどもりながら返事をすると、シグは嬉しそうに微笑んだ。


 その表情は、先ほどの悲しげなものは浮かんでおらず、加奈子は何故か胸がほっとするのを感じた。

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