遠征軍のロングビル子爵の決断(16話)
今回の話は、視点が変わります。
王都から1日離れた距離に野営しているナバール卿の軍勢の中のロングビル子爵の話です。
話は一日前に戻り、王都包囲戦の夜を語る。
王都包囲戦で南の国の包囲軍が全滅した事は、昼過ぎには斥候の早馬によってナバール卿の陣営に伝えられた。
夜に対策会議を行う事をナバール卿派の貴族に申し渡し、ロングビル子爵は自分の天幕で頭を冷やしていた。
ナバール卿とロングビル子爵は、包囲軍に多数の魔法使いや腕利きの傭兵を密かに派遣していた。
南の国の軍勢、自分が派遣した魔法使いと傭兵達、それに精強な獣人、特に獣人最強と言われる虎族を含む包囲軍が全滅したと言う報せは、到底信じられるものではなかった。
「冗談じゃない!」
獣人の女、虎族のヴェラがロングビル子爵の天幕に飛び込んできた。
髪の毛は乱れ汗でべた付いている。王都から必死でロングビル子爵の元に逃げて来たのだ。
「ヴェラどうした。」
「みんなやられたよ!焼き殺された!」
「落ち着け!」
「あんな化け物がいるなんて聞いてなかったぞ!」
ヴェラは絶叫した。
その目は血走り、唇は恐怖で細かく震えている。
太ももには、乾いた失禁の跡がついている。
ロングビルは愛用の乗馬鞭を握るとヴェラの耳元でヒュンと一鳴らしした。
「落ち着けと言った!また、躾られたいか!」
「・・・」
ヴェラの顔から恐怖が消え、放心したような顔になった。
「お前の主人は誰か?」
「ロングビル子爵・・・様・・・です。」
乗馬鞭で自分の足元の地面を叩きながら、ロングビルはヴェラに無慈悲に告げた。
「ならばまずそこへ跪け。座れ!」
ヴェラは俯き、やがて犬の様に地面にお座りをした。
「よし!服従の姿勢を取れ」
ヴェラは両手を上げ、犬がちんちんをする時と同じ姿勢を取った。
獣人虎族の女ヴェラは、大柄でアスリートの様な引き締まった体をしている。
一目でその戦闘力の強さが想像できる。
そのヴェラが細身のロングビル子爵に命令され、犬の様に屈辱的な姿勢をとらされているのは、異様な光景であり、人が見れば二人が何をしているのか理解できないであろう。
二人だけに通じるイニシエーション、支配と服従の儀式だ。
「お前は俺の何か?」
「わたくしは、ロングビル様の飼い犬でございます。」
「よろしい。立つ事を許す!」
ヴェラはロングビルの愛犬、いや愛猫である。
ヴェラは南の国とロングビル子爵の領地争いの戦で捕虜になった。
ヴェラは鎖に繋がれ、鞭打たれ続けた。
痛みと恐怖でロングビルに服従させられた。
ロングビルはヴェラにとって、一種のトラウマであり、逆らう事が出来ない。
儀式を通じてヴェラは、自分がロングビルの支配下にある事を再確認した。
それは恐怖と同時に自分の存在を思い出させ、奇妙な安心感や落ち着きをヴェラに与えた。
「話すことを許す。報告せよ!」
ロングビルは、傲然と胸を反らし、後ろに腕を組みながら、ヴェラに命じた。その手には乗馬鞭が握られたままだ。
立ち上がったヴェラは、落ち着いた様子で報告を始めた。
「早朝、まだあたりが暗かった、城内の連中が城門前の部隊に攻撃を始めた。城壁から魔法使いの魔法攻撃が中心だった。こっちは混乱してかなり被害が出た。そのうち、橋の上にも魔法使いが出てきて、城壁の上と橋から攻撃してきた。」
「ふむ、城の内門を開けて、橋の上に出て来たのだな?」
「そう!そうだ!」
ヴェラは、ロングビルが自分の話を聞いてくれるのが単純に嬉しかった。
ロングビルは、ソファにドカッと腰を下ろした。
「続けろ。」
「その辺りでこちらの魔法使い達が防御を始めたんだ。その隙に歩兵も防御体制をとって、弓隊の反撃も始まった。徐々にこちらの方が有利になっていったんだ。」
ロングビルは疑問を持った。
早朝奇襲されたとは言え、包囲軍はきちんと組織的に反撃を行った様に感じる。
そこからどうやって全滅するのか。
ヴェラは続ける。
「それから虎族の戦士2人が、堀を飛び越えて橋の上に飛び乗った。橋の上の魔法使いや兵をどんどん倒していった。こいつら2人は虎族でも強い奴らだよ。」
「なるほど橋の上の敵を排除して、外門を開けるのが狙いだな。」
「そうだ。」
「それで外門は開いたのか?」
「いや、ダメだった。」
ロングビル子爵は、信じられない思いだった。
人間が虎族に接近戦で勝つことは不可能だ。
虎族2人が狭い橋の上で暴れれば、敵は虎族と距離を取って離れる事も出来ず混戦になる。混戦になれば魔法や弓矢で援護も難しくなる。
どうやっても城に立てこもる連中に勝ち目のない展開ではないか。
ロングビルは立ち上がるとテーブルの上のワインを2つのグラスに注いだ。
一つをヴェラに与えると、優しくヴェラに続きを促した。
「何があった?」
ヴェラはワインを一口飲むと、目をつむってその時の事を思い出し頭に描き出した。
なるたけ詳細な報告をロングビルが望んでいる事を、ヴェラはわかっていた。
「まず最初に・・・、城壁の上から橋の虎族に向けてファイヤーボールの攻撃があった。大量のファイヤーボールだ。」
「それは何人くらいの魔法使いからの攻撃だ?」
「一人だった。」
「一人?では、3つとか、4つのファイヤボールを一人が同時に撃ったのか?」
「いや、そんなもんじゃない。本当に数えられないくらいのファイヤーボールだ。夜、星が空に出てるだろう。あれぐらい沢山だ。」
ロングビルはわからなかった。
それほど大量のファイヤーボールを一人の魔法使いが撃てるわけがない。
しかし、ヴェラは一人の魔法使いと報告している。
ヴェラの見間違いだろうか?
「味方の魔法使いの援護は?」
「水の盾が2人の周りを防御したけど意味がなかった。」
「意味がない?」
「そのファイヤーボールは、曲がるんだ。水の盾を避けて、上下左右から虎族に着弾したんだ。」
ヴェラがワインを一気に飲み干した。
ヴェラのグラスにワインを注ぎながら、ロングビルは考えた。
ファイヤーボールを曲げるなどと言う話は聞いた事がない。
そもそもファイヤーボールを曲げると言う発想自体を、普通の魔法使いでは持ちえないだろう。
大量のファイヤーボールと曲がるファイヤーボールを合わせて考えると、ヴェラの言う通り一人の魔法使いの仕業と考える方が筋が通る。
ロングビルは、ソファの端に座り隣にヴェラを座らせた。
「それで2人の虎族は倒れた?」
「黒焦げになってた。骨まで焼かれてボロボロに崩れ落ちていた。」
「それから?」
「それから・・・、その魔法使いが強烈な火炎魔法で堀の左右の部隊を焼き殺した。」
「ファイヤーか?」
「わからない。ファイヤーなんてちょろちょろした火じゃなくて、ドランゴンが吐き出す様な凄い火炎だよ。それでみんな骨も残らないくらい焼かれて・・・。」
「それで全滅した?」
「いや、まだあるんだ。左右の部隊が全滅したのを見て、私はヤバイと思って距離を取ったんだ。」
ヴェラは、ロングビルの膝にしなだれかかった。
飼い主にじゃれつく様にロングビルの腿を手でさする。
「一旦、後方に退避して状況把握に努めたのだな。」
ロングビルは、ヴェラの退避を責めず。ヴェラが責任を感じない様に会話を誘導した。
「そう、そう、広場から走って、少し離れた建物に入った。屋根まで一気に上ったんだ。」
「何が見えた。」
「広場を覆いつくす青い炎のドーム。」
「・・・わからないな。」
ヴェラはしばらく沈黙した。
ヴェラは、あの時の青い炎のドームをはっきりと覚えている。
しかし、あれをどう伝えていいのかがわからなかった。
一方、話を聞いているロングビルは、その様な大規模魔法を見た事がない。
ゆえに、ヴェラの話をイメージする事が出来なかった。
「・・・あの城門前の広場。そこが全部青い炎で、みんな逃げられなかった。それで焼かれて白い灰になってしまって、それで全滅・・・。」
「わかった。とにかく広場一面が炎に包まれてしまったんだな。魔法・・・だな?」
「ああ、そうだと思う。油の臭いはしなかったし、油じゃあんな青い炎にはならない。」
ロングビルは、考えた。
火計ではない、ならば、火炎系の魔法攻撃という事になる。
しかし、そこまで大規模で広範囲な魔法攻撃が出来るものなのだろうか?
その時ロングビルの頭の中で、話の辻褄があった。
「それは、最初に橋の上の獣人を焼いた魔法使いの仕業か?」
「たぶんそうだと思う。橋の上は飛び込んだ虎族がかなり減らしていたし、城壁の上は弓隊やこっちの魔法使いの攻撃でかなり傷んでいたと思う。」
「わかった。」
ロングビルは、ヴェラの背中やあごの下を撫でながら考えをまとめた。
どうやら城内に強力な魔法使いがいる。
今までの魔法使いの常識外の力を持つ、一人で戦局を変えてしまう様な、言わば戦略級の魔法使いが王都城内にいる。
それでは王都城外にこの遠征軍を留めていても、国王を弑する事は出来ない。遠征軍を解散し、王都に戻り、戦略を練り直すしかない。
ロングビルは、叔父のナバール卿に進言する事を決め立ち上がった。
ヴェラは寂しそうな顔でロングビルを見上げた。
ロングビルは、ヴェラの頭を撫でながら優しく話した。
「ヴェラ、お前が無事で良かった。」
ヴェラが尻尾を嬉しそうにゆらゆらと揺らした。
天幕の出口へと向かいながらロングビル子爵はヴェラに告げた。
「叔父上に報告してくる。戻ってきたら可愛がってやる。準備をしておけ。」