ダリアを送ります
二十五歳の八月。
自分の誕生日、家に帰ってきてから一番にすることはメールを見ることだった。
会社でも確認することはできるのだが、この瞬間は何者にも邪魔されたくはなかった。
1Kの部屋にそこまで大きくないワークデスクの上に設置してあるノートパソコンを立ち上げてメールソフトを起動する。
メールを開くとそこには、彼女からのメールが届いている。
「誕生日おめでと~。お盆には帰ってこられるんだよね?思いっきりお祝いしてあげるから楽しみにしててね」
要約してしまえばそんな話だった。
就職のために上京してきて三年が経ち、不慣れだった都会にも大分慣れてきた。初めのうちは人の多さや電車の本数、建物の高さに圧倒されていたが、それも今では日常の一部になっている。
むしろ帰郷した時の方が最近では居心地が悪い。
それでも“向こう”を嫌いになることはない。
彼女へ送るメールの文面を考えながら、今日あったことを思い出す。
目に付いたのは本当に偶然だった。
夏だというのにすでに真っ暗になってしまっている時間。
帰り道。最寄り駅に降りて改札を抜け、自宅方向に進もうとしていた時に見つけた露店。
露店というには小ぶりで、見たところ長机に商品であるアクセサリーを並べて、店員と思しき女性は一人。どうやって運んできたのか、長机の上に並べられているアクセサリーたちは木でできた大きめなショーケースの中で品良く並んでいる。
少しだけ興味が出て、その露店に近づいてみる。
色の付いた綺麗な石を使ったネックレスやブレスレット、指輪などが多く並んでいた。
一目見て女性物主体のお店であると理解した。
正直少し気まずい。その露店にはあまり人が来ていなかったのだが、全体的に小ぶり、細めな商品はまず男性は身に着けないのではないだろうかと思わせる。
すぐに露店から離れようと思った矢先、店員の女性が話しかけてきた。
「どうぞ、見て行ってください」
明るめなその声は優しく自分に話しかけたのだとわかった。正直、コミュニケーション能力がそれほど高くない自分は服屋の店員に話しかけられるのも苦手で、ついつい店員さんのオススメを購入させられてしまう。そんな『いいカモ』な自分は口元を引きつらせながら店員さんの方を見る。
最悪一番安そうな物は買わないといけないかも、と心の中で密かに腹を括っていた。
改めて商品を見てみるが、やはりどう見ても女性物。店員さんもよく男である自分に勧めることができるなと思った。
「彼女さんへのプレゼントにどうですか?」
まだ慣れていないのか、精一杯の笑顔を向けてくる。
「……ああ、こういうのあんまり選んだことがないので分からないんですよね」
あまり着飾らないタイプだった。アクセサリーを身に着けていたという記憶はあまりない。
「そうですか……。指輪だとサイズが分からないと選びづらいので、彼女さんの好きな色のストーンが付いたネックレスとかどうですか?」
困り顔をした店員さんは慣れないまでも粘り強い性格だったのか、それでも別の物を提案してきた。
「えっと、青系が好きだったかな。水色みたいな」
ここまで言ってから少しだけ後悔した。間違いなく買わされる。
女性店員さんはその発言を聞いて、笑顔になる。長机を挟んで椅子に腰掛けていた店員さんは身を乗り出して、端っこの方に置いてあるネックレスを指す。
「そちらのネックレスはいかがですか?スカイブルートパーズっていうのを使っているんです」
金色の細いチェーンの先に水色の雫型ストーンが付いているもの。確かに女性受けしそうなものではあるが、値段は三千円。興味本位で訪れた露店で衝動買いするには躊躇う値段である。
数々の服屋での失敗から少しばかりの耐性がついているのだが、不慣れな店員さんなりにしっかりとした接客をしてくれたというのにそれを無下にしてもいいのだろうかと考えてしまう。
もちろん客としては本来関係ないのだが……。
「……じゃあ、それで」
「はい。ありがとうございます!三千円になります」
なぜ買ってしまったのだろうと自分自身に呆れながらも、購入することを店員さんに伝えた瞬間、嬉しそうな顔をした店員さんに見惚れてしまった。
改めて店員さんを見る。少し茶色がかった髪の毛は肩にはかからず、顔はモデルでもやっているのでは、と思ってしまうほど整っている。白いTシャツの下部に大きな青い鯨がプリントされ、首には自分が作ったのであろうピンク色のストーンが付いたネックレスをしている。
店員さんは一生懸命、身体を伸ばして端っこのネックレスを取ろうとしている。その仕草と立ち上がったときに気がついたがそれほど身長も高くないというのが分かった。
その間に自分は鞄から長財布を取り出して、千円札を三枚取り出す。
ネックレスを取り、店員さんは受け渡しの際に使うためのよく分からない英文が印刷された小袋にネックレスを入れる。
三千円を店員さんに手渡し、代わりにネックレスの入った小袋をもらう。
「ありがとうございましたッ!」
よほど良い事があったかのようにニコニコしている。今まで服屋の店員さんたちからのプレッシャーに負けて何度も服を購入してしまい、その度に後悔してきたが、不思議と今回は微塵も後悔していない。
彼女へのプレゼントをワークデスク下に付いている引き出しに仕舞う。
メールにもプレゼントとしてネックレスを買わされてしまった事が書いてある。文章を再度確認してから送信ボタンを押す。
時間を確認するとすでに夜中の十二時を越えている。それほど彼女は夜遅くまで起きていられない人間だ。
返信されることはないので、そのままパソコンの電源を切る。
パソコンを切った瞬間、眠気が急に襲ってきてそのままベッドに潜り込んでしまいたい衝動に駆られるが、スーツにワイシャツ、という出で立ちをしている。夜遅く帰ってきて朝早く家を出なければいけないのはビジネスマンとして逃れられない宿命であり、そんなビジネスマンがシャワーを浴びずに寝てしまうというのは許されない。
ネクタイを緩めながら入浴の支度をする。
三年目とは言っても会社の中ではまだまだ新米に等しく、また不況の煽りを受けて、今年も昨年も新入社員を入れていないので、一番の若輩者と言って差し支えない。
少しは慣れてきたとはいってもそれなりのプレッシャーの中で作業をしている為か精神的な疲れが多いと思われる。
残業が少ないという触れ込みだった気がするのだが、実際のところそうも言っていられないのが今の社会なのか会社なのか……。
家に帰りつく頃にはクタクタで、築数十年のアパートの階段からは自分の骨と骨の間から鳴っているんじゃないのかと思いたくなる。
重い扉に彼女からもらったキーホルダーがついた鍵を差し込んで回す。
ガチャ
重い音ともにシリンダーが回り、扉のロックが外れた。
扉を開けて、中に滑り込むように入り、内側から鍵をかける。
ため息を吐きながら履きなれてきた黒い革靴を脱いで玄関に放る。先輩なんかは型崩れしないようにそれ相応の事を施しているらしいのだが、疲れ切った体にそこまでの鞭打ちをする気はない。
家に帰ってきてやることはメールを見る事だ。
ワークデスクに近づいて、ノートパソコンの電源を入れる。ほんのりと画面が灯るその姿がまるで「おかえり」と言ってくれているかのようだ。……気のせいだな。
ワークデスクの横に鞄を置いて、スーツのジャケットをハンガーにかけてから、デスク前の椅子に座る。
パソコンが完全に立ち上がったのを見てからいつも通りメールソフトを起動する。
「また、買わされちゃったか~。まぁ、潤らしいっちゃ潤らしいね」
彼女に名前を呼ばれる。それだけでまた頑張れる。たとえメールであっても彼女に名前を呼ばれていると思えば今日の疲れも少しはマシになるだろう。
そういえば今日は駅前でアクセサリーを買うことはなかったが、また露店を開いている姿を見かけた。
電車を降りてすぐ。昨晩と同じ場所に露店を開いている女性がいた。さすがに昨日の今日で商品を買う気はなかったのだが、昨晩と同様にその店員さんは長机の奥の椅子に座っていた。本当にどうやって運んできたのだろうか。
黒地に白でクジラとわかるようにデザインされたTシャツを着ている店員さんは今日も売り上げが芳しくないのか、駅からドッと流れ出てくるサラリーマンやOLたちに圧倒されているのか話しかけられずにいた。
そんな姿に、少しだけ声をかけてみようかなという気持ちがあった。
昨日たった一つネックレスを買っただけの人間が、店員さんに話しかけてどうなる、という気持ちがあったのだが、疲れていて頭が回らなかったのだ。
「……こんばんは」
正直に言うとよくこんな大胆な事をしたものだ。自分は少なくとも店員からの圧力によって買う気のなかった商品を買わされるような男なのだ。それなのによくも店員さんに話しかけに行けるというものだ。
「ああ、昨日の。昨日はありがとうございました」
一瞬誰か分からなかったようで、内心やってしまったかと思ったその後には店員さんの言葉で安堵する自分がいた。
「えっと、なにか商品の方に不備でもありましたでしょうか?」
「へ?」
逆に向こうは表情が曇り、本当に青ざめてしまっているかのようだった。
「いや、ないないッ!無いです。ただ、何となく目に留まったので……」
「そうですか。よかったです」
自分の言葉に胸を撫で下ろしたような声を出す店員。
「いつもここで売ってるんですか?」
素朴な疑問その一。店員さんが商品を売っているのを見たのは今日で二回目。もしかしたら気づかなかっただけで昨日今日以外にも商いをしていたのかもしれない。
「いえ、今日で二回目です。この前までやっていた場所が使用禁止と言われてしまって、他でできる場所を探していたらここにたどり着いたんです。」
「ああ、使用許可とかもらわないといけないのか。駅前だなんて、いい場所が取れたんじゃない?」
「それがここら辺って住宅街ばっかりで疲れ切った方が多くて、素通りされる方が多いんですよ。前やってたところは商店街が近かったので割と好評だったんですけどね」
やはり二日目らしい。
ハンドメイド商品がどの程度の人気を博しているかという事をあまり知らないのだが、彼女の言い分からしてそれほど売れてはいないのだろう。
「逆に難しいって事か」
「はい」
見てわかるくらいに店員さんは肩を落としてしまう。
「そういえば、彼女さんへのプレゼントうまく行きましたか?」
急に話の方向性を変えたかと思うとキラキラとした表情になる。恋バナというものに敏感な年齢なのかもしれない。
「さすがに昨日の今日では渡せてないですよ。家の机の中に寝かせてあります」
「なんだぁ。せっかくなんですし、彼女さんに内緒にしてサプライズ風に渡してあげてくださいね」
「彼女にはもう知らせちゃったよ。プレゼント買ったからって」
「そこは教えちゃダメですよ。内緒にして渡すから意味があるんじゃないですか」
「そうは言ってもね」
少し面倒臭い性格のようだ。
出会って二日目、合計時間おそらく十分満たない程度の付き合いの人間に対してダメ出ししてくるとは。
「まぁ、サプライズが本当に嫌いとかっていうタイプもいますから。もしかしたらお客さんの方が正解なのかもしれないですね」
「そうだといいんだけどね」
とりあえず世間一般の声一号としてはサプライズにした方がよかったという事か。
「よかったら、これどうぞ」
店員さんはそう言うと机の下に置いておいたのだろう鞄からあざらし?の写真がプリントされたファイルを取り出して、さらにその中から一枚の紙を取り出す。
「はい」
その紙をこちらに向けてきた。その紙はおよそ名刺くらいの大きさで、淡いピンクや水色でデザインされた物だった。
「私がやっているサイトというかブログの名刺です。そこにメールアドレスとかあるんでよかったらメールください」
「ああ、なるほど」
受け取った名刺を見てみると名前とサイトのURLらしきものなどが載っていた。
「アオノ・クジラ?」
名前の欄を読み上げた時に疑問符が頭の上に出た。こんな名前あるのだろうか?
「もちろん偽名ですよ。さすがに本名じゃ、サイトとかにも載せられないですし」
「なるほど」
昨今のネット事情からして本名を載せるのはさすがに難しいということか。あまりこういう関係には触れてこなかったのでイマイチわからない。
「お話相手が欲しくなったりしたらメールしてください」
ニコニコとした表情の店員。固定客というかしっかりとリピーターを増やそうという事だろうか。
それにしてもと思い、口に出す。
「なんでクジラなの?」
名刺にもクジラらしき絵が載っていたり、昨日今日の服にも同じクジラの絵が載っている。クジラがこのお店のイメージキャラクターのようだ。
「だってクジラ可愛くないですか!?」
「……残念ながら、テレビでしか見たことが無いよ」
急に態度というかテンションが豹変した店員さんに気圧されてしまっているが、しっかりとそれを伝える。
実物を見たことがある人は案外少ないのではないのか。水族館にだってイルカやアザラシはいるだろうが、クジラはいないだろう。
「クジラ好きって少ないんですよねぇ。猫とか犬とかはいっぱいいるのに……。グッズなんかもほとんど無くて、イルカとかにどうしても負けちゃうんですよ。なのでそれも含めて自分で作れないかなっていうのがあって」
割とクジラ好きは闇が深いのかもしれない。クジラ好きに限らずマイナー勢というのは誰しもこうなのかもしれない。
「無いなら作ろうっていうのは凄いことだね。自分からそうやって発信源になろうっていうのは」
「まだまだお客さんは少ないですけどね」
自虐的に微笑む店員の顔を見て、振り返る。
駅からは止めどなく人が下りてきているものの、終電に近づくにつれて酔っ払いや疲れ切った顔をしている人が増えてくる。おそらくこの店を冷やかしに来る人も減るだろう。
「そろそろ店じまいしますね」
「ああ。えっと、手伝う?」
店員さんの―――クジラさんの発言に思わず出た言葉は自分の耳に届いてから自分自身でも驚いてしまった。
「いえいえ、お客さんにお手伝いはさせられませんよ。またどうぞ、ご贔屓にしてください」
長机の右端にあるショーケースを片付けながら言うクジラさんにそう言われてしまってはむしろ邪魔になってしまうかもしれない。
「あ、プレゼント成功したら教えてくださいね」
「え、ああ。はい」
「約束ですよ」
彼女はニコッと笑う。その表情に体は動かなくなってしまった。
彼女へのメールにクジラさんの事を書く。
おもしろい人である事、なぜかダメだしされた事、クジラが好きらしい事、割と闇が深い事など、たった二日で彼女へのメールの文面にクジラさんの事で埋め尽くされているかのようだ。
クジラさんか……。
メールの送信ボタンを押してから、クジラさんにもらった名刺?を取り出す。そこに書かれているURLを見る。
パソコンでそのURLを打ち込んでいく。画面が切り替わり、質素というか簡素なサイトが立ち上がる。
主に商品の事が書かれている内容。商品が何でできているか、どのくらいのサイズ、重さ、そして商品の特徴、そしてそれの値段。
一番新しいのは店舗の移動について。
お店を開いている場所が変わった事とその場所についてが書かれており、それに対するお客への謝罪文などが書かれている。
まだこの辺りに来てからブログを更新した形跡はなさそうで、閲覧数のカウンターもそれほど多いという訳ではないようだ。
画面下部にアンケートフォームのようなモノがついており、そこにコメントを打ち込む事ができるようだ。
さすがにそこにコメントを打つのもどうかと思ったのだが、メールでもコメントでもそんなに変わらないだろう。
『以前、彼女へのプレゼントという事でネックレスを買わせていただいた者です』
そこまで書いてから、名前を名乗っていない事を思い出した。普通に続きを書こうと思うとさすがに怪しすぎる。
書いた文章を削除してから、パソコンの電源を切る。
明日会った時にまた話せばいいかな。
いつもより早くに帰り着いた最寄駅。
クジラさんに会えないかといつもの場所に行ってみるもクジラさんの姿が見えない。
「まだ来てないのか」
クジラさんが何時からお店を開いているかという事を聞いていなかったので仕方がないことなのかもしれないが、どうするか……。
特に何の問題も無く簡単に会えるものだと思っていたのだが、急に不安になってきてしまった。
どうしても今日会わないといけない訳ではないのだが、正直朝から会えるものだと思っていたので、会えないというのはなんだか負けな気がしてならない。
人通りが少ないこの時間。夕飯も兼ねて近くのファミレスで時間を潰すというのも別に問題はない。
それだけ考えてからファミレスに直行した。
ファミレスで時間を潰す事2時間。軽く仕事の資料などを見たりもしているのだが段々と人が増えてきて、食事を終えてドリンクバーで粘るという、さながら学生と同じ生体模倣をしている自分が少し情けなく思えてきた。
そろそろクジラさんも来ているのではなかろうか、伝票を持ってレジに行き、会計を済ませる。
徒歩3分もかからない程度の距離を歩いて駅前に来るとクジラさんの姿はなかった。
いつもの時間よりまだ少し早いくらいだが、それでも今現在来ていないのは、もしかしたら今日は来ないのかもしれない。
出直すしかないようだ。そう考えてようやく帰路に就く。
三年目というのはそれなりに仕事も慣れてきて、会社や先輩、上司からも信頼を置かれ少しずつ仕事を任されるようになってくる年なのではないかと最近思った。
もちろん一年目から責任感を持って仕事に臨んでいたと思うのだがやはり、ちょっとずつその重みが増えてきている。
それなのに今、自分の頭の中にあるのはクジラさんの事だった。
オフィス内、それこそ目の前に仕事があって、スーツを着ている同僚に囲まれているこの状況下。
二回しか会っていないのに、どうしても気になってしまう。
パソコンに向かいながら吐くため息に、クジラさんへの感情が外に吐き出されていないのはなぜなのだろう。
仕事の合間、先輩たちが見ていない隙にクジラさんのブログサイトを開く。
二日前に見た時と違って最新の更新がされている事に気が付く。『移動先にて』と書かれた記事を開く。
「以前の投稿時に書いた、店舗移動についてやはり初日、二日目は全ッ然!売れませんでした。時間と場所が悪かったかなぁと思いながら初日の終電ギリギリまで粘ったものの、ネックレス1点しか売れませんでした。ただ、このネックレス買ってくれた方が凄い面白い人で、彼女さんへのプレゼントを購入してくださったんですけど、二日目の夜にも立ち寄ってくれて、お話しさせてもらいました。彼女さんとデートしてる時に私が作ったネックレスをプレゼントしてあげてほしいです。ちなみにお店をやりたいのですが少々熱を出してしまったので臨時休業です」
割と長めに書き込まれた記事は自分の事に関して触れていて、それだけで顔が少し熱くなってきた。
そして、クジラさんがお店を出さなかった訳がわかった。
コメントを書き込める場所があり、何かコメントしておくべきかとキーボードを叩く。
「ネックレス、たぶん喜んでくれてると思います。選んでくれてありがとうございます。お体にはお気を付けください。お大事に」
これでいいかな。と心の中で呟いて、コメントを送信する。
彼女の事だ。おそらく本当にネックレスを受け取ってくれれば喜んで首から提げてくれるだろう。
クジラさんが選んでくれたネックレスは未だ引き出しに仕舞ってある。そのうち彼女に渡せたらと思う。
もう二度と彼女に会えないとしても。
ワークデスク横に置いてある彼女の写真は家に帰ってくるたびに寂しげに見える。最初のうちはどうしても彼女の死というものが理解できないでいた。今でも昔のメールなどを開いて読むという事をしているのは自分でもどうかと思うし、さらにはそれに対してメールを打つというのは入院ものだ。
それでも彼女が自分の中でのすべてだった。
彼女の声をもう思い出せなくなってきている。彼女が死んだのは二年前だ。写真や思い出もメールもあるというのに、たった二年で段々と彼女を思い出せなくなってきているのは本当に自分を殺してやりたい。
ただただ仕事に打ち込む事で余計な事を考える暇がなければいいと思っていた。彼女の事もさすがに仕事中は頭には浮かばない。それでもやはり辛くて、地元にも帰ることができない。
クジラさんのネックレスが無ければ、ずっと地元に帰る事なんて考えなかったのに。
もしかしたら彼女は許してくれるかもしれない。たとえ地元に二度と帰らなかったとしても。クジラさんから買ったネックレスを渡しに行かなかったとしても。
彼女は約束をしなかった事は何も言わない。
だが、二日前にしてしまったのだ。クジラさんとの何気ない約束。クジラさん自身は特に何も考えてはいなかっただろう。
だから……。
墓参りというのは子供の時以来だ。
実家に電話をして、盆に帰ると連絡すると一言「わかった」と言われた。
彼女との事は知っているし、それから実家に寄り付かなくなった事も特に何か言われる事は無い。理解ある、と取るべきか、無干渉と取るべきか分からないが、あの親の子供だ。後者の方がありがたい。
実家は都心から電車で二時間ほど行った所にある海近くの町だ。観光スポットもなければ、畑や田んぼばかり。電車は一時間に一本で駅前にはコンビニすらない。
都心から二時間でここまでの田舎を体感すると本当に絶望したくなる。
駅には母親の車が来ておりそれに乗せてもらう。
寡黙という訳ではないが、特にあまり会話をすることも無く、目的地である所のお墓に行く。道中は本当にただ畑や田んぼが横切り、どうやってこの細い一本道を時速六十キロで走行できているのか分からなくなる。
お墓がある場所には小さな寺が建っている。子供の頃から存在は知っていたのだが、昔からその姿はほとんど変わってはいない。
母親には車で待っていてもらい、一人で墓に向かう。管理事務所で簡単に挨拶をしてから手桶と柄杓を借りる。
お寺横から墓に続く石畳を歩く。途中の水道で手桶に水を入れてから、また墓を目指す。
大きな墓や小さな墓などが立ち並び、少し遠くには大きな樹がそびえ立っている。墓と墓の間を縫うように通っていき、目的の墓を見つける。
彼女の実家、彼女の苗字が刻まれている墓。極々一般的な形であり、普通の墓と同じ明るめの灰色をしている。
盆の一日前という事で彼女の家の人間は来てはいない。さすがに彼女の家の人間い挨拶をする程の心構えまではしてはいない。
手順などは分からない。母親にやはりついてきてもらった方が良かったかもしれないと少しだけ後悔しながら線香に火を灯して墓に供える。
心の中で彼女に伝えなくてはならない事を思い出す。二時間という移動時間の間に頭の中で纏めて来たつもりだったのに、いざ目の前にしてみると何も思い浮かばない。
「ひさしぶり?なのかな。正直メールは送ってたからそんなに久しぶりって感じがしないけど。ごめん。会いに来ようと思えばいつでも来られたのに、なかなか足が向かなかったよ。……メールに書いた通り特に変わらずって感じかな。あとこれ、この前メールに書いたネックレス」
もう、言葉を口にしながら彼女への懺悔だったり近況を話したり、そしてポケットに仕舞っておいたネックレスを取り出す。
小袋からネックレスを取り出し、彼女に見せる。
「クジラさんオススメらしいんだけど、こういうのって墓に置いてく訳にはいかないんだよな。とりあえず一度持って帰るよ。」
小袋にネックレスを戻す。
「そうだな。とりあえずこんな感じかな。今までよりももう少し来るようにするよ」
手桶を持ち墓の一番上から万遍なく柄杓から水を垂らしていく。途中寺に来る前に寄った花屋でいくつか用意してもらいダリアなどの花を供える。
これでいいのかな?と少し不安に思いながらも初めての一人墓参りを終わらせる。
実家に着き、なんだかんだ来てみれば何でもなかった。
古い一軒家。畳が基本のこの家で、父親と母親と顔を向い合せながら遅い昼ご飯を食べた。気にしていたのは自分だけで本当に来てみれば何でもない事なのだ。
寝転びながらスマートフォンを取り出し、クジラさんのサイトを見る。
新しい記事「回復しました!」という題を見て内容を見ると彼女が今日の夜からまたお店を出す旨が書かれている。
「………」
少し逡巡してから、荷物を持つ。
元々泊まる予定だったのだが、どうしても今日クジラさんに会いたかった。
両親に急遽帰る事を伝える。母親は呆れ顔になり、夕食の支度を切り上げて車を出そうとしてくれた。
父親も一言「また帰ってこい」と言ってくれた。迷わず父親に頷き、家を出る。
来た時は重い気分だったためか二時間という時間がとても長く感じた。今は焦燥感からか先ほどよりも二時間が長く感じる。車を飛ばしてもらった結果、午後五時を過ぎの電車に乗る事ができ、都心に七時に到着しそこから四、五十分かけて自宅の最寄り駅に着く。
八時ならまだクジラさんも居るはずだと確信する。
通り過ぎる外の世界を見ながら早く、時間が過ぎればいいのにと思う。
もう一度彼女のサイトを開き、コメントフォームに書き込む。その言葉の意図は彼女には分からないだろう。これから直接会いに行くのにこんなコメントをしても仕方がないのに、迷わず送信ボタンを押した。
「ありがとう」と。




