1章
「これでいいか…」
アリシアは青色の長い髪を整え、ネクタイを締めて身なりを整えると、ドアノブに手をかける。
ギィーーー
今にも壊れてしまいそうな音を立てて扉はゆっくりと開き、いつもと同じようにじめじめとした薄暗い通りに出た。
街灯の一つない、下手すると足元を見ることすら危うい道を歩いていると、周囲に光が指し闇になれた目が痛む。
「まぶし‥」
反射的に腕で目元を覆い突然の強い光に耐える。
少しして目が慣れてくるといつもの風景が見えてきた。
なんてことは無い。
いつもの道だ。
人が忙しなく行き交う中をぶつからない様に避けながら仕事場に向かっていると、歩き始めて数分がたった時誰かの視線を感じた。
少し歩くペースを早めると同じようにペースをあげ誰かがついてくる。
敵意にはなさそうな気がするが、決めつけるには早急すぎるだろうと考え考え込む。
ここで大事にするのは避けるべきだろうと思い至ったアリシアは大通りから進路を変えて脇道に入る。
先ほどと同様じめじめとした辛気臭い雰囲気漂っている脇道だ。
あまり気の長くないアリシアは脇道に入って数分後、人が居ないことを確認して常時装備しているナイフに手をかけると、軽い牽制もかねて背後にいる人物に向かって投げつける。
ナイフは背後にいる人物のいる電柱にあたり、カランと甲高い音を立てて道に転がった。
「いきなりナイフを投げるなんて危ないじゃないかアリシアちゃん。
そう言うのは先に敵か味方か確認してから投げないと」
アリシアをつけていた人物…彼は場違いな陽気な声音でそういうと柱の影から 姿を現して微笑んだ。
その彼は今まで飽きるほど見てきた、見慣れすぎた人物であった。
「‥‥セシル?」
アリシアは見慣れたその顔に構えていた拳銃を下ろした。
茶色よりは柔らかいくるみ色の髪と色素の薄い茶色の瞳。
見るものをすべて虜にしそうなその整った顔立ちに初めて会うものなら言葉も出ないだろう。
「俺の顔を忘れるなんてひどいなぁ。
あんなに優しく可愛いがってあげてたのに」
そんな美しい顔から紡がれる言葉がこれだなんて残念というほか無い。
これもまた、人によっては虜にさせられる原因にもなりうるかもしれないが。
「‥確かにそうだけどその言い方はやめてもらえないかな!?」
相変わらず誤解を生みそうなセシルの言い回しにアリシアはため息が零れる。
「‥どうしてこんなことを?」
アリシアが眉をひそめながらそう問うとセシルは首をかしげて器用に片目を閉じる。
いわゆるウインクというやつだ。
「それはもちろんアリシアちゃんに会いに♡」
セシルはさも当然のような顔でそう言いきりまたもやアリシアはため息をこぼす。
「セシルは女と分類される人種をストーキングする趣味でもあるの」
そう言うとセシルは呆れたような目でアリシアを見た。
「毎回思うんだけどもう少し可愛らしい言い方出来ないの?アリシアちゃん?」
「そんな可愛らしい反応を求めるなら別の女性を当たるといいと思うけど?セシルさん?」
アリシアがセシルを真似て冗談めかして言うとセシルは楽しげに笑って頭を撫でた。
「冗談だよ。アリシアちゃん。
君はそのままでいてもらわないとね。俺、君の反応って好きなんだ」
セシルはそう言ってチャラけたように肩をすくめる。
「相変わらず変な人…」
「変な人って…」
アリシアがそういうとセシルは少し不満そうに呟いてから苦笑を浮かべる。
「まぁそれでこそアリシアちゃんだよね」
セシルはそういった直後、いいことを思い付いたとばかりに笑みを浮かべて突然##NAME1##の手を引いた。
「えっ‥」
そして正面からアリシアの髪を後ろに流す。まるで抱きしめるかのような体勢に焦りを覚える。
「ちょ、セシ‥」
“何すんの“そう言おうとした時セシルは両手でアリシアの髪をまとめててで鋤いた。
「アリシアちゃんゴム」
「‥はいっ?!」
「ご、む」
セシルはそういってアリシアに片手を差し出す。
「そんなものどうす‥」
セシルの言葉に不満そうにアリシアが眉をひそめる。
それと同時にアリシアの手首に巻いてあったゴムを抜き取り器用に髪に通す。
「はい、ありがとー」
その言葉の数秒後パチッというゴムの音がしてセシルはアリシアから離れた。
本当にこの人は何をさせても器用だ。
「はい、お仕事モードのアリシアちゃんの完成」
セシルはそういって子供のように笑った。
「‥‥ありがとう」
別に髪をくくるくらい自分でもできるが、久々に昔を思い出してアリシアは嬉しくなり自然とセシルに礼を言っていた。
「いえいえ」
「‥‥‥」
「‥‥‥」
何故か無言で見つめ合う時間が続く。
アリシアは不審に思い少し躊躇いながらセシルに問いかける。
「‥なに?何か変なところでもある?」
「べーつに?ただ、今日も可愛いなぁと思って」
セシルは笑顔のままそういってアリシアの頭をなでた。
いつも通りのセシルの兄バカ発言を無視して目をそらすと屈み込んでアリシアの顔を覗く。
「あれー?照れちゃった?」
「殴るよ」
検討違いも良いところなセシルの言葉に苛立ち、心の中でとどめておこうと思った言葉がついこぼれる。
「あははっ。ごめんねアリシアちゃん怒らないでよ」
セシルはそう言って再びアリシアの頭をなでて微笑んでいる。
最近気づいたのだが何かにつけてアリシアの頭を撫でるのはセシルの癖らしい。
本人に訊ねたところほぼ無意識にしているらしく、何度注意しても一向になおる気配がない。
「別に怒ってないけど」
「‥ふふっ。そう?ならいいけど」
「‥遅刻するよ。早く行こう」
アリシアはなんだか一枚上手なセシルの反応に悔しくなり足早に城へ向かった。
何気ない会話を交わし十数分程歩くと、アリシアとセシルは自分達の職場である不思議の城へたどり着いた。
アリシア達の顔を見た兵士たちは一瞬にしてもんを開け、キビキビとした動きで敬礼をした。
「「おはようございます宰相殿」」
「おはようございます」
「おはよう」
兵士たちの挨拶を聞いてからアリシアとセシルも挨拶を返し城の更衣室で着替えた後女王の間へ向かう。
「失礼いたします。職務の時間になりました」
アリシアが扉を開けてそう告げると女王陛下はアリシアとセシルを呼び寄せた。
「おはようアリシア、セシル」
女王陛下はそう言うと跪いているアリシアとセシルを抱き寄せた。
女王陛下はいつもこうして二人をわが子のように可愛がっている。
もっともセシルに関しては戸籍上において女王の子供であるが。
アリシアも詳しくは知らないがどうやらセシルは女王の娘である女性の婚約者であったらしい。
何でも姫がセシルのことをとても気に入っていたのと、セシルの家柄がよく王族の血を引いた家系の騎士であったことから、婚約者となったらしい。
その姫も“アリスによって殺された“らしいとの噂で、女王が“アリス“を憎んでいるのも姫と伴侶である王までも殺されたことによるらしい。
アリシアとセシルを抱き締めてそれぞれの頬へ軽い口づけをすると、聖母のような微笑みを浮かべて、いとおしげに二人を見つめている。
これは毎朝の“あの日“から続いている儀式のようなもので昔は少し気恥ずかしかったが毎日ともなると慣れてしまった。
「今日もよろしく頼むわね。二人とも」
女王陛下はそういって微笑み腕の力を緩め二人を解放する。
毎日のことなのに離れるときに女王の、体温が恋しくなってしまう。
「はい。本日もよろしくお願い致します」
そんなことは感じさせない無表情でアリシアはそういって女王陛下から離れ、セシルもいつも通り微笑みながら“本日もお元気なようで何よりです“と返し離れた。
穏やかで心休まる時間が流れていた時、“コンコン“と扉を叩く音がした。
「お客様をお連れしました」
外から兵士の声が聞こえ、セシルが扉を開けに行く。
「どなた様でしょう」
セシルがそういうと先程の兵士ではない声が聞こえてきた。
「女王陛下から本日来るように言いつけられた帽子屋ですけど」
だるそうにそう答える声が名乗らずとも帽子屋だとわかり、第一声から眉を潜めてしまう。
「来てくださったのですか。セシル、お通ししてください」
女王陛下からのお許しが出たのでセシルは扉を開けてアリシアと対称になるように女王の後ろにたった。
アリシアがふと視線を帽子屋…レイン・トゥルースへ向けると、レインは何故か睨みつけるような目を#NAME1##に向けていた。
「よく来てくださいました。ありがとうございます」
女王がそういって微笑むとレインはアリシアから視線を外しそちらへ目を向ける。
その時もアリシアの時と同様の目つきであった。
“目が悪いのだろうか“とアリシアは思いながら、そんな事はどうでもいいと考えるのをやめる。
するとその時レインはゆがんだ笑顔を浮かべて皮肉げに笑った。
「いえいえ。別にいいですよ。これも仕事のうちですから?
……で、そんなことはどうでもいいのでさっさと本題に進んで頂けません?
俺はさっさと帰って今日届く紅茶を飲みてぇんですよ」
レインは途中から、声を聞くだけでわかるほどの不機嫌さで口調すら素に戻ってしまっていた。
「それはすみません。…では早速本題に入りますね。
わかっているとは思いますが“アリスの事について“です」
アリシアの中で何かがざわつく。
「あれから今日まであなたの家を訪れていませんか」
「…分かってはいたけどまたそれかよ。
だから来てないですって。
もうあれから何年経ってると思ってんですか。
10年ですよ?10年も前のこと何度も何度も…。
いくら役目とはいえよく面倒じゃないですね」
レインはそういって皮肉げに口元を引き上げて笑う。
人を見下したようなその顔にアリシアは不快感を覚え軽く睨み付けた。
だがそんなことを気にする性格でもなく、その表情を崩すことはなかった。
「面倒じゃない訳ではありません。………けどそれ以上に“アリス“に振り回されるのは嫌なんですよ」
女王は日常会話をする様に丁寧に言葉を紡いではいるが、その声は確かないらだちを含んでおりアリシアは鳥肌がたつのを感じた。
「そんなことを言っている時点でもう既にすふり回されていると思いますけどね」
女王を侮辱するように鼻で笑うレインにアリシアは殺意が湧く。
自然と手は腰に常備されている剣にかかっていた。
「そんなことは分かっています。
でもあなたもここの住人なら分かるでしょう。
この気が狂いそうになるほどの憎悪が」
「オレをあんたらと一緒にしないでくださいませんかねぇ。
オレはアリスに興味なんてさらっさらないんで」
レインはそう言って馬鹿にした笑みを浮かべアリシアを見た。
「あんたもそうだろ?アリシアチャン?」
口調こそフレンドリーであったがその声には明らかに別のものを感じた。
「あんただってこんなくっだらねぇ事どうでもいいんだろ?」
「…そんなことはありません。
“アリス“はこの国の住人を不安にさせる材料ですので、一刻も早い確保を望んでいます」
アリシアがそう返すと帽子屋は興が冷めたように冷めた目でアリシアを見た。
「くっだらねぇ。
…それはてめぇの意志とは違うだろうが。馬鹿なんじゃねぇのか?」
「口調には気をつけなさいさもなくば…」
「それは“お前が望むこと“じゃなく、“この世界の住人が望んでいるであろうこと“だ」
帽子屋の挑発的な言動にアリシアが我を失いかけた時
「下がりなさいアリシア」
女王の声が響いた。
その声に我を失っていたことに気付き
黙って半歩後ろに下がった。
「話を戻しますね。
アリスがあなたのもとに来ていないのはわかりました。
ですが、情報くらいは入っていませんか?」
「これでも多忙な身ですのでずっとというわけにはいきませんけど、情報収集は続けてます。
…が、森で不審な女を見ただとか、裏路地で女の影を見ただとか、そんな目撃とも言い難い情報のみです。全く、やってられませんよ」
恨めしげにそういうレインに女王は優しげに微笑む。
「すいません。お疲れ様でした。
……これからもよろしくお願いしますね。帽子屋」
「はいはい。いつも通りのエールありがとうございます」
レインは女王の激励にも感激する様子もなくむしろうっとおしそうにいって頭をかいた。
「で?もう用は済みました?」
「…ええ。以上です」
相当今日届くという紅茶が飲みたいらしい。
レインの態度から苛立ちが伝わってくる。
早々に話を切り上げ帰ろうとするレインは
「それじゃもう帰ります」
とそういうが早いか背を向けるのが早いか帽子屋はそう言って扉へ向かって歩きだしていた。
「アリシア」
突然名前を呼ばれ戸惑いながらもアリシアは女王陛下の前へ屈みこむ。
「はい」
「帽子屋を屋敷まで警護しなさい」
「「…………はい?!
…………はぁ?!」」