和解の時
事件が解決してからニュースでは、「ひまわり」の事件の事が大きく報道された。綾子が予想したとおり、「ひまわり」に対する風当たりはきつかった。コメンテーターの中には、「こんな老人ホーム潰れてしまえばいい」というような言葉が「ひまわり」に投げかけられた。
夏希が解決したという報道されなかったが、なんとなく事件を解決した思いにはならなかった。「ひまわり」への批判もあったが、一番は哲平が無期限の謹慎処分中だというのがあったからだ。自分が事件を解決しても哲平が復帰してくれなければ意味がない。夏希はそう考えていたからだ。
房子が買ったプレゼントは瀬川警部から幸子に手渡された。ネックレスを見た幸子は喜んでいた、と瀬川警部からメールがあった。メールを読んだ夏希は、房子が生きているうちにネックレスを渡していれば、もしかしたら毒親だと思っていた幸子の心のわだかまりも解消出来たかもしれないな、と思っていた。
週が明けた月曜日、哲平の無期限の謹慎処分が解けて復帰する事になった、と洋から聞かされた夏希達は、教室内が歓喜の声があがった。当然、義隆も嬉しい気持ちだったが、原因は自分のため表立って喜べなかった。
高校側は無期限の謹慎処分中に義隆を殴った事は充分に反省していて、課外活動先で起こった殺人事件の犯人ではなかった事が謹慎処分を解く理由になった、と洋が話していた。その点では夏希が事件を解決した事が有利だったのではないか、とも話していた。
無期限の謹慎処分が解けた翌日の火曜日、哲平は緊張した面持ちで教室に入ってきた。その瞬間、夏希達は哲平の帰りを待っていたという思いと入学したてや新学期になりたての気持ちのようなシャキッとするような思いでいた。夏希達の目に映る久しぶりに会った担任は、どこか初々しい感じがしていた。
哲平は教壇に立つと、ゆっくりと教え子の顔を見る。
この学校の教師としてもう一度戻って教壇に立ちたい。せめて今受け持っているクラスの教え子の卒業を見届けたい。何度もそう思っていた。義隆を殴った事を何度も後悔した。きちんと言葉で教える事が出来れば、今回のような事は起こらなかった。
課外活動先に殺人事件が起こって、教師人生がダメになってしまうかもしれないと思った時も夏希に頼るしかなかった。夏希が解決してくれて本当に感謝しかなかった。夏希だけではなく自分の復帰を待ってくれていた教え子達にも感謝していた。
そんな中、校長から復帰してもいいと言われた。それを聞いて安心した。だが、安心ばかりもしていられなかった。恐らく、同僚から白い目で見られる事は避けて通れない。それに加えて、無期限の謹慎処分に三ヶ月間の一割の給料減額。哲平にとっては大きな代償だが、自分の行いについての罰なのだ。
哲平は泣きそうになるのを堪えて、ゆっくりと口を開いた。
「今回はみんなに迷惑をかけて、不安な気持ちにさせてすまなかった。さらにひまわりで殺人事件が起こってしまい、オレはこのままこの学校に戻ってこれないのかもしれない。みんなの卒業を見届ける事は出来ないと思ってた。でも、こうやって戻ってこれた。これはみんなのおかげだと思ってる。オレを復帰させて欲しいと署名活動までしていると玉川先生から聞いて、本当に嬉しかった。ありがとうの言葉だけでは感謝が出来ない。教師になって良かったと思っている」
哲平は言葉を選びながら、生徒達に感謝の意を述べる。
夏希達はそれを神妙な面持ちで聞いている。
「増田、課外活動の時は殴ってしまってすまない。生徒を殴るなんてもってのほかだという事は重々承知していたはずなのに、その気持ちを無視してしまった。増田の親御さんにも大切な子供にこんなことをしてしまい、謝っても許してもらえない事はわかっている。今でもどうお詫びしたらいいのかわからない。もし、許してもらえるのなら今まで以上に増田に向き合っていきたいと思っている。それは増田だけじゃなくみんなにも言える事だ」
哲平は義隆を殴った事を謝る。
「増田、すまない」
そう謝った哲平は、義隆に向かって深々と頭を下げた。
「…頭、上げろよ」
義隆は小さな声で哲平に言う。
「…え?」
頭を上げた哲平は義隆を見る。
「別にいいよ。元はオレが悪いんだし…。逆に謝らないといけないのはオレのほうだよ」
口調はいつもどおりだが、態度はいつもの義隆ではなかった、
それは夏希達は驚きを隠せないでいた。
「課外活動の時、川岸さんに態度が悪いのを注意されて腹が立ってしまった。それは殴られた時もそうだった。川岸さんが殺害された事をニュースで知った時、すごく恐ろしい気持ちになってしまった。自分のせいで殺害されたんじゃないか。本当に山上が殺害したんじゃないかって思った。だけど、そうではなかった。そこは安心した。でも、オレにはまだやらないといけない事があった。それは山上に謝らないといけない事だ」
義隆は哲平の苗字を呼び捨てで呼んでいるものの、話している姿は真剣だ。
「山上、課外活動の時はごめんなさい。今までもオレの事を思って色々言ってくれてたのに、耳を貸さずにいてごめんなさい。山上の言ってる事はわかってるつもりだった。でも、オレは知らないフリをしてたんだ。本当にごめんなさい」
立ち上がった義隆は声を震わせながら謝る。
義隆の改まった態度を見た哲平は、自分の思いが通じたんだ、と思っていた。
「増田、少しでもオレの気持ちがわかってくれたらいいんだ。今日からまたみんなの担任をするけどよろしくな」
哲平は目を潤ませてこれで全て終わったという口調で言った。
「ヤマテツが復帰という事で近いうちに復帰の会をやろうぜ!!」
仁が湿っぽくなった教室内の空気を変えるように明るく言う。
クラス中が仁のその声に賛成する。
「コラコラ…そんなことしなくていいから…」
哲平はこっ恥ずかしい事はするなと注意をする。
「なんだよー? やったっていいだろ? ヤマテツが謹慎処分になってクラスは暗い雰囲気だったんだよ」
不満そうに言う仁は、湿っぽくなった教室内が明るくなれば…と思って提案したようだ。
「復帰っていっても悪い事をしての謹慎処分だったんだから、楽しくそんなことは出来ないんだよ」
「学校じゃなくても別のところで貸し切ってやってもいいんじゃないですか?」
悠美は学外で復帰の会をやることを提案する。
「学外ならいいと思うけどなぁ…」
気持ちは嬉しいが、無期限の謹慎の理由が良い事ではないため復帰の会をやることに後ろ向きだ。
「少しだけならいいだろ?」
どうしても哲平の復帰の会をやりたい仁は、自分の顔の前で両手を合わせる。
哲平は少し考えた後、
「いいよ。するなと言ってもお前らの事だからするだろうからな」
教え子の好意を素直に受け取る。
短期間だけ担任代理をしていた洋が、教室の後ろのドアからその様子を覗きながら、いい生徒を持ったな、と心の中で哲平に語りかけるように思っていた。
翌週の土曜日の昼から哲平の復帰の会が行われた。復帰といっても理由が理由なため表立っては出来なかったが、高校から二駅先にあるショッピングモールの中にあるイタリアンの店を一部貸し切ってやることになった。
その日は期末テストが終わった翌日で、夏希達は開放的な気持ちで盛り上がっていた。
哲平の復帰の会の幹事は、仁と悠美だ。最初に仁が言い出したのと悠美が学外でやったらどうだという提案で、二人が幹事をするように、と哲平が指示したのだ。先に店を見つけた二人は、クラスメートに都合がいい日を確認すると、期末テスト最終日の翌日がいいのではないか、という哲平の一言で、今日、開催される事になったのだ。
店に入り、料理が運ばれてくると全員で悠美が持ってきたデジカメでクラス写真を撮り、仁が一言挨拶すると、早速食事をする事になった。食事とドリンクの飲み放題の二時間のコースだ。
和気あいあいと和やかなムードで哲平の復帰の会が行われている中を悠美が自分のデジカメで撮っていく。写真を撮ってばかりの悠美に代わって、他のクラスメートが悠美も夏希や美夕達と撮る。そんな光景を微笑ましい表情で哲平は見つめる。
復帰の会が始まって一時間が経ち、一人でいる夏希はコーラを飲みながら楽しんでいるクラスメートを楽しそうに見つめる。その視線の先には美夕の姿があり、自分が転入してきた時とは違う美夕がいて、今の美夕が本当なのかもしれない、と思っていた。
そこに義隆が近付いてくる。義隆に気付いた夏希は、睨むように見る。哲平に謝ったとはいえ、まだ印象が悪い夏希は、どうしても義隆と話をする気分にはなれない。
「赤谷、色々迷惑かけてすまん」
義隆は事件を解決してもらった事のお礼を言っているようだ。
「反省してるのかよ?」
「してるよ。みんなにも迷惑かけたって思ってる。反抗ばかりしてオレってホントにバカだよな…」
義隆はため息混じりで夏希に答える。
哲平に謝った日からどこか変わった義隆に、夏希は言っている事は本当なんだな、と実感する。
「中学の時からずっと反抗的な態度を取って、親や先生、クラスメートに迷惑をかけてた。最近ではいつまでこんなことをしてるんだろうって思ってた」
静かな口調で語る義隆。
「小学生の時から親にきちんと勉強して、先生の言う事を聞いて、ちゃんと学校に通うんだって言われてた。オレもそれが当たり前だと思ってた。習い事も学習塾、英会話、水泳、そろばんをやってて、自分なりに頑張ってきた。でも、中学一年の途中で、何かおかしい。オレは親が決めたレールにいつまで乗ってるんだろうと思うと反抗したくなったんだ」
中学一年の時に覚えた違和感を話す。
「それで反抗的な態度を取ってたってわけか…」
夏希はなんとなく義隆の気持ちもわかるな、と思いながら呟く。
それと同時に親の期待に応えようとして気持ちが爆発してしまったのではないか、という瀬川警部が言っていた事が当たっていた事に夏希は的確に人を見ているな、と思っていた。
「反抗的な態度を取っていても高校は卒業したいと思ってる」
義隆の中では中卒ではいけない気持ちがあるようだ。
「もしかして、やりたい事があるのかよ?」
高校を卒業したいと思ってる義隆の言葉に、将来の夢があるのではないか、と思った夏希。
「小学生の時から建築家になりたい夢があるんだ。まずは高校を卒業しないといけないからな。まぁ、今のこの状況じゃ、みんなに無理だって言われるだろうけど…」
照れもせずに答える義隆。
「建築家になりたい事、ヤマテツは知ってるのかよ?」
「知ってるよ。前に二者面談があっただろ? あの時に言ってるよ。でも、オレの親は知らない」
「なんで親に言わないんだよ? 建築家になりたいって言っても否定されるわけじゃないんだろ?」
夏希は義隆の両親に言わない理由を聞く。
「言えるわけねーよ。オレの親は一流大学に入って、良い会社に入れっていう典型的な硬い考えの親だからな」
毒親とも呼べる両親に建築家の夢を言えないでいるようだ。
「そんな親でもいいじゃねーか。自分の夢だけはしっかりと持ってるんだから…。小学生からその夢が変わってないなら、三年の進路を決める時に言えると思うぜ」
しっかりと将来の夢を考えている義隆に、三年になったらきちんと伝える事が出来ると夏希は伝える。
「言えるといいな。でも、建築家になりたい事、誰にも言うなよ」
義隆は固く口止めをする。
夏希はわかってるよというふうにフッと笑う。
そこに哲平が二人の元にやってくる。
「何話してるんだよ?」
哲平は普段話す事のない二人が話している事に驚く。
「なんでもねーよ」
義隆はそう言うと席を外す。
「赤谷、ありがとうな。川岸さんが殺害された時、どうしようかと思ったから…」
義隆が食事を取るのを見届けた哲平は、改めて夏希に礼を言う。
「いいよ。事件を解決したのはボクが勝手にした事だから…」
なんでもないようにサラリと言ってしまう夏希。
「勝手にか…。そういうことにしておこうかな。それより性同一性障害の事はどうするんだ?」
性同一性障害の件は小声で聞く哲平。
「あぁ…。それは高校卒業してからどうにかするよ。この前は手術するみたいな事を言ったけど、しばらくはこのままでいいかなって思ってるし…」
事件が起こって、四十九日法要があったこの短期間で色々考えていた夏希は、自分なりに結論を出した事を哲平に報告する。
「それならいいんだ。まぁ、何かあったらすぐに相談してくれよ。オレはこのクラスの担任なんだから…」
夏希の答えを聞いて安心した哲平は、ホッとした表情をする。
「わかってるよ」
そのつもりだと頷きながら言う夏希。
「夏希、写真撮ろうぜ!!」
そこに仁が夏希に声をかける。
「今、行くよ」
夏希はそう言うと、机にコップを置いて哲平のほうを向く。
「ヤマテツ、これ以上、生徒を困らせるような事はするなよ」
夏希は意味ありげに笑いながら言うと、哲平の肩を軽く叩く。
「わかってるよ。早く原口のところに行けよ」
哲平は呆れながら夏希に言う。
そして、夏希はクラスメートの輪に入ると、やっと終わったという表情でカメラに笑顔を向けた。