交差する思い
その週の土曜日の夕方、夏希は「ひまわり」の会議室で事件の真相を話す事になった。「ひまわり」のスタッフはもちろん、哲平と義隆、幸子も呼ばれている。
夏希が美紗希に渡した進一郎のノートと携帯は無事に瀬川警部の手に渡った。改めて夏希の話を聞いた瀬川警部は、「ひまわり」の清掃道具が入っているロッカーも鑑識が入り、スタッフが戸惑う中、入念に調べられた。その結果が昨日の昼過ぎに夏希のスマホに報告された。
昨日の放課後に署に出向き、瀬川警部から事件の話を聞き終えると夏希は犯人を確信した。哲平や義隆の容疑を晴らすために急いで事件の話を話したいと瀬川警部に申し出た。夏希の思いを汲み取った瀬川警部は、散々義隆にいい思いを抱いていないながらもクラスメートが疑われているとわかれば容疑を晴らすのは夏希らしいと思っていた。
そして、昨夜のうちに瀬川警部が事件関係者に電話をかけてくれた。急な呼び出しにもかかわらず、事件に関与していると思われる関係者は快く警察の呼びかけに応じてくれた。それは夏希も感謝していた。
「川岸さんを殺害した犯人がわかったって本当ですか?」
綾子が瀬川警部に半信半疑で聞く。
「本当です」
瀬川警部は答える。
それを聞いた綾子は自分は犯人じゃないという態度を前面に出す。
「赤谷さん、事件の真相を話してくれ」
瀬川警部は険しい表情をしながら夏希にお願いする。
夏希は会議室の外にいるスタッフがどよめいている声がうるさいな、と思いながら、わかった、と答える。
夏希や瀬川警部達が会議室に入った事件関係者を見た「ひまわり」のスタッフが、会議室の外で何事なのだろうとざわついていて、事件の真相を話そうとしている今も何が行われているのだろうと気になっているようなのだ。春久が注意をしてくれたのだが、一向にその声は止む事はない。
そんな「ひまわり」のスタッフ達の声が気になりながらも前に出た。
「この事件が起こった背景には、川岸さんの誰にでも毒付く性格が引き起こした事件なんです。事件が起こるまでに関係したひまわりのスタッフ、夏山さん、ボク達、この中にいる人達、誰にでも動機があるんです。犯人は自分達以外にヤマテツと増田が犯人の中に加わった事が好都合だったんです」
夏希は最初にこう話し始めた。
「川岸さんはあの日、夏山さんの家に遊びに行き、その帰りに殺害されました。でも、殺害されたのは公園ではなかったんです」
「他の場所? 川岸さんは公園で殺害されたんじゃないですか?」
春久はうろたえながら聞く。
「いえ、発見されたのが公園であって、殺害現場は別なんです。犯人は川岸さんを殺害後、別の場所に保管し、その後、公園に遺棄した]
夏希は静かな口調で推理する。
「やはり犯人は川岸さんの性格に我慢がならなくて殺害したんですか?」
村木巡査長は殺害するくらいなのだから房子の性格は相当なものだったのだろうと思いながら、夏希に聞く。
「そういうことです。だけど、犯人にとって誤算があったんです」
「誤算・・・?」
哲平はどんな誤算があったのか疑問に思う。
「それは上原さんが犯人の一連の行動を見ていた事です。犯人はそれを知らずに川岸さんの犯行を続けた。そして、しばらくして上原さんから呼びだされた犯人は脅された。犯人からすれば脅された感覚だったかもしれませんが、上原さんは自首して欲しい思いで犯人に掛け合ったんだと思います。犯人はそんな上原さんの思いを無視して揉み合いになり、上原さんを突き飛ばし頭を打ってしまった。その時は大丈夫だったが、やがて激しい頭痛に変わり、寝ている間にくも膜下出血で亡くなってしまったんです」
次に進一郎の事件を話す夏希。
「ちょっと待って下さいよ。上原さんはくも膜下出血で亡くなったとは聞きましたが、犯人と揉み合ったなんて聞いてませんよ」
綾子は進一郎が犯人によって頭を打ったと聞いて反論する。
「調べた結果、この屋上の床部分であるコンクリートで頭を打ったとわかったんです」
瀬川警部が夏希の推理に補足する。
「屋上・・・? 誰でも入れるわけじゃないですが・・・」
春久はなんで進一郎が屋上に行ったのだろうと思いながら言う。
「そうでしょうね。上原さんは二人きりで話がしたいと言い出し、屋上なら誰も見られる事はないと犯人によって導かれたんです」
夏希は呼び出したのは進一郎だが、屋上に行こうと言い出したのは犯人の方だと言う。
「なんで上原さんは犯行を目撃したんですか?」
幸子はどうやって進一郎が犯行を目撃したのか疑問に持つ。
「たまたま目撃したんだと思います。二人は同じ階に入所している。川岸さんが手前、上原さんが奥に部屋がある。トイレなどに行った時に川岸さんの部屋から言い争う声が聞こえ、開いていたドアから犯行を目撃したというところです」
進一郎は偶然目撃したのではないかと推測して言う。
「でも、母は私の家に行った帰りに殺害されたと聞いているのに、なぜひまわりの自分の部屋で殺害されたんですか?」
幸子は自分が聞いていた話に矛盾があると反論する。
「そうですよ。おかしいですよ」
春久も同じように思ったようだ。
「川岸さんが一度、ひまわりに戻ってきたんでしょう。それを知った犯人は、自分のアリバイを作りつつ犯行を行ったんです」
夏希は幸子と春久の疑問に思う気持ちを受け止めて答える。
「川岸さんがひまわりに戻ってきた証拠はあるのか?」
哲平は夏希が何の証拠もなしに行っているとは思ってなかったが、念のために聞いてみる。
「あるよ。それは日記帳です」
夏希は警察が持ってきた証拠品である日記帳を全員の前に出した。
「日記帳!?」
綾子は思わず大声を出してしまう。
「先日、警部達と来た時に上原さんの私物を見せてもらったんです。そこにあった日記帳を読んでみたら、川岸さんが殺害された日の事が記されていた」
夏希は日記帳を瀬川警部に渡す。
瀬川警部は房子の犯行日の日記帳を全員に読むように促す。
「確かに帰ってきたと書いてあるな」
義隆は小さな声で言う。
「そうね」
綾子も小さく頷く。
日記帳には克明に記されているため、誰も反論する事はなかった。
「上原さんは犯行を見た後に日記帳に記した。そして、川岸さんが戻ってきた事が本当だと納得させるためにもう一つの証拠も収めた」
「もう一つの証拠を収めた・・・?」
哲平は進一郎が日記帳より確実な証拠を残していた事に驚きを隠せないでいた。
「あぁ・・・。それは上原さんの携帯で撮られた写真だ。そこには犯人が犯行を行っている姿が写しだされています」
夏希はそう言うと、進一郎の携帯から現像した写真を全員に見せた。
それを見た犯人以外の全員がアッと声を上げる。
「そう・・・この事件の犯人はあんただよ、本田春久さん」
夏希は春久をしっかりと目に捉えて犯人だと告げた。
「お父さん・・・嘘でしょ?」
綾子はまさかと思いながら問う。
「嘘だよ。私は川岸さんを殺害していないよ。もちろん、上原さんもね」
春久はいつものやさしい口調で娘に言う。
「いや、犯人はあんただよ」
夏希は自分の主張を変えない。
「・・・こんな写真があるからって私が犯人だと言えるんですか?」
春久は房子を殺害した証拠があるにも関わらず、犯行を否定する。
「この写真からはっきりあんたが犯人だと言えますよ」
「川岸さんが殺害された時間、私はスタッフと会議をしていたんですよ。犯行は無理に決まってるじゃないですか」
春久は動揺する事もなく笑顔で言う。
「そうよ。会議の場には私もいたから知ってるわよ。この写真、合成じゃないの?」
綾子は声を震わせ、進一郎の携帯の写真を合成と言い出す。
「合成ではありません。上原さんが合成するまで気が回らないだろうし、ましてや、合成をしてまで人を陥れる人ではない事くらいわかってるでしょう? アリバイがある事についてはさっきも言いましたが、川岸さんがひまわりに戻ってきたからなんですよ」
「会議の時、十分間の休憩があるとお聞きしました。その時に川岸さんが帰って来ている事を知ったあなたは、川岸さんの部屋で犯行を犯し、清掃道具が入っているロッカーに川岸さんを運んだ。会議が終わり、ロッカーから川岸さんの遺体を出し、公園まで運んだ。清掃道具が入っているロッカーから川岸さんの血痕が発見されました」
夏希が答えた後、瀬川警部が補足として話す。
「それも上原さんが見ていたっていうんですか?」
まだ自分が犯人ではないと言い張る春久。
「そうですよ。日記を読み進めていくと、清掃道具が入っているロッカーに川岸さんの遺体を入れたと書いてありますよ」
往生際悪いと思いながら夏希はそう答えると、進一郎が携帯で隠し撮りされた二枚目の写真の現像を全員に見せる。
その写真は春久が房子を抱きかかえているものだ。房子の腹部から出血しているのがよくわかる一枚になっている。
「これは・・・。一枚目は川岸さんの部屋で少しわかりづらいけど、これは決定的じゃないですか」
写真を見た哲平は、これで春久の犯行が決定的だと言う。
「あんたは上原さんに見られているとは知らずに犯行を続けた。そして、上原さんは警察に言わないから自首して欲しいと説得にあたったが、聞く耳を持たなかった。それどころか足掻いて揉めてしまい、突き飛ばしてしまった末に上原さんは頭を打った。その時は大事に至らなかったが、寝ているうちにくも膜下出血で亡くなった。上原さんは頭を打った時には亡くならなかったけど、結果的にはあんたは二人も殺害してしまったんだよ」
夏希は険しい表情で春久に言う。
二枚目の写真を見せられた春久は、なんてことだと思いながら頭を抱える。
「犯人は所長さんなんですか?」
その様子を見た幸子は確認するように聞いた。
「・・・こんなにたくさんの証拠が出揃っているなら認めるしかないな」
春久は力なく認めた。
「お父さん、なんで・・・?」
娘である綾子は声を震わせながら、なぜ入所者を手にかけたのかを問う。
今まで一緒に仕事をしてきて、「ひまわり」の入所者やデイサービスの利用者などに笑顔で接していて、仕事の事でヘルパーに文句を言うと、間に入って自分の気持ちを代弁してくれた。それは房子の時もそうだった。
房子の毒付いた性格にも嫌な顔を一つせず、自分達の気持ちを伝えてくれた。その思いがなかなか伝わらない事にもどかしく思っていたが、父はいつかわかってくれる。一緒にがんばろう、と励ましてくれた。それなのに房子はおろか、進一郎まで殺害してしまうなんて信じられないでいた。
「川岸さんは入所してきてからずっとあの毒付いた性格で嫌気が差していたんです。何を言っても、何をしても嫌味ばかりで、自分達がどう頑張っても川岸さんには伝わらない。正直な事を言うと、川岸さんと接するのが嫌だと思いながら接していました。でも、夏山さんの事情を知っているがゆえに退所させるなんて出来ませんでした」
春久は房子が入所してきてから今までの鬱憤が溜まっていたと話す。
「赤谷さんのクラスの課外活動日、川岸さんが増田君を注意し、山上先生が増田君を殴った。これを利用しようと思い、今回の犯行を思いついたんです。山上先生が無期限の謹慎処分中でアリバイがない事を知った私は、川岸さんが夏山さんの家から帰って来た事を知ると、会議の休憩中に川岸さんの部屋に行き、隠し持っていたナイフで刺し、清掃道具のロッカーに遺体を入れ、会議が終わると公園に遺棄したんです」
春久は殺害の実行を移そうと思ったのは課外活動の出来事からだったと話す。
それを聞いた哲平と義隆は自分達は利用されていたんだと怒りが込み上げてきた。
「上原さんの時もこの写真を見せられて、このままではマズイ。ひまわりが存続出来ないと思い、揉み合いになり、上原さんは頭を打ったんです。幸い、上原さんは頭を打っただけで大丈夫だと思っていたが、翌日亡くなったと知り、これで誰も自分の犯行を知っている人はいないと安堵しました」
進一郎が亡くなった事で自分を咎める人はいないと思ったようだ。
「でも、あなたは川岸さんの血痕は綺麗に拭きとったのに、上原さんが残した証拠品を残したままにしていますよね? なぜなんですか?」
村木巡査長はそのことが気になっていたようだ。
「ノートを破いたら疑われるでしょ? それでそのままにしておいたほうがいいと思ったんです。しかし、今思うと証拠を隠滅しておいたほうが良かった」
春久は証拠を残したままにしておいた事を後悔しているようだ。
「所長さん、酷いじゃないですか。確かに他人からすれば母は手がつけられないくらいの人間だったかもしれません。私にとってもそうでした。子供の頃から何をするにしても否定され、人様にも怒鳴りつけるような事をして困らせる事ばかりをして、娘の私から見ても一つもいいところのない母でした。正直、親を選べる事が出来ないとわかってても、優しくて子供の事を第一に考えてくれる母の元に生まれたかったです。それでも私の母だったんです」
幸子は悲鳴にも似た声で春久に言う。
「今回、ボクの担任とクラスメートが犯人として疑われました。あんたはそこまでして川岸さんを殺害したかったんですか? 課外活動に来た時、なんて素敵な老人ホームなんだろう。ここのスタッフは全員、優しくて親身になってくれて、利用者達も笑顔で満ち溢れていて、こんな老人ホームに利用出来て幸せなんだろうな。課外活動先がひまわりで良かった、と思いました。学校に提出したレポートにもそう書きました。確かに気に入らない利用者もいるのはわかります。だからって殺害するほどの事なんですか? 誰だって気に入らない人間の一人や二人はいますよ。あんたはひまわりを設立した時の思いや気持ちを忘れたんですか? 自分が嫌気が差したという理由だけで殺害するなんて川岸さんもやってられませんよ」
夏希は泣きたい気持ちを抑えて春久に自分の気持ちを伝えた。
「赤谷さんの言うとおりですよ、所長さん。川岸さんの事で悩んでいるなら夏山さんに相談すれば良かったのに、あなたはそれすらしなかった。夏山さんに文句を言われても何も言い返せませんよ」
瀬川警部も春久を諭す。
「・・・そうですね。川岸さんを殺害して、上原さんに自首して欲しいと説得された。素直に上原さんの説得に応じていれば良かった・・・」
春久は短時間の間に憔悴しきった様子で言った。
「では、行きましょう」
村木巡査長は春久の方を優しく叩き、署に向かうために会議室を出た。
父親を見送った綾子は、これからどうしようかと不安の色が隠せないでいた。春久が犯人だと報道されると「ひまわり」の信頼が下がる事は確実だ。しかし、春久と立ち上げた「ひまわり」を手放す事は出来ない思いが綾子の中にあるのは確かだった。
そして、夏希は改めて哲平と義隆が犯人じゃなかった事に安堵していた。