淋しい気持ち
夏希は「ひまわり」のスタッフが言った一言が気になったまま、富栄の四十九日がやってきた。予定通り富栄が経営していたスナックでやる事になり、午前十時から始まった。
富栄の事件で話を聞いた伊藤とその妻の規子が、施設の職員と共に食事などの手配をしてくれたり、他の常連客に声をかけてくれた。そのせいか、四十九日には二十八人の常連客が出席してくれた。それを見た夏希は、これだけの常連客が富栄の店を愛して通って来てくれていたんだと嬉しい思いが込み上げてきた。
僧侶の読経の後、会食をする事になっている。仕出しの料理と共にお酒が入り、その間に夏希は一人ひとりに挨拶をしていく。その中で富栄の思い出話が常連客達の中でされていた。
一通り、挨拶を終えると夏希は店の隅の席に座り、疲れたという思いを吐き出すようにため息をつく。
「夏希ちゃんも少し食べたほうがいいよ」
そこに伊藤が夏希の分の食事と飲み物を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
伊藤に気付いた夏希は我に返り、伊藤のほうを向く。
「富栄さんが亡くなってしばらく見ないうちにしっかりしたもんだね。挨拶をしてる夏希ちゃんを見てるとそう思ったよ」
伊藤はウーロン茶を飲みながら、夏希の挨拶振りを見てそう実感していた。
「いえいえ・・・。父もわからないし、母も亡くなってこれからどうすればいいのか・・・」
夏希は淋しい思いを伊藤にぶつける。
両親が離婚するまでの間に感じた温かい家庭が今でも忘れられない。ずっとあの温かい家庭の中にいたかった。
しかし、両親が離婚し、父の居場所がわからないし、富栄が亡くなっている。もう二度とあの温かい家庭には戻れないのだ。
「お父さんが見つかって引き取りたいといっても一緒に住む事はしないのかい?」
伊藤はもし夏希の父が見つかったら・・・という前提で聞く。
「しません。母を裏切ってしまった事は決して許す事は到底出来ません。だから、父が目の前に現れても迷惑なだけなんです。父とは縁を切ったつもりでいるし、自分の中で死んだと思ってます」
夏希は父に対して許す気持ちがないと断言する。
「そうか。まぁ、お父さんが不倫をしていたと聞いていたが、そう簡単に許せるわけがないよな」
夏希の思いをしっかりと受け止めた伊藤は、決めた事なら仕方ないと頷く。
「気を遣っていただいてすいません。今回の事も本当にありがとうございます」
夏希は伊藤に改めて礼を言う。
「そんなに改まらなくてもいいんだよ。自分も富栄さんにはよくしてもらったから・・・。それに思い出の店がなくなるなんて淋しいな」
笑顔で言う伊藤は、思い出の店がなくなる事に淋しさがあるようだ。
それは夏希も同じだった。中学の時に富栄が開いた店は夏希の思い出だ。今日、四十九日が終われば、店を引き払う事になっているが、この店の空気や匂いに触れる事が出来ないと思うと、富栄がいないんだと淋しい思いがあった。
午後四時半、無事に四十九日が終わり、店を片付けた夏希は、これで終わりなんだという思いが渦巻いていた。
「これで終わったわね。夏希ちゃん、お疲れ様でした」
規子が夏希に労いの言葉をかける。
「こちらこそ会食の手配など色々ありがとうございました」
夏希は伊藤夫妻に礼を言う。
「いいんだよ。富栄さんが亡くなって今日まで大変だっただろうけど、本当によく頑張ったよ」
伊藤も終わったという思いで言う。
「えぇ。お店はなくなってしまうけど、うちにはいつでも遊びに来てね」
規子は笑顔で夏希に言う。
夏希はホッとした表情で、はい、と返事をした。
その日の夜、伊藤夫妻と施設の職員の四人で掃除が終わった後、午後七時に不動産が来て店の鍵を渡し、これで富栄が経営していた店は閉店となった。
そして、伊藤夫妻と別れ、職員が運転する車に乗り施設に戻ってきた。簡単に夕食を済ませ、風呂に入り終えて自室に戻ると、一気に淋しい気持ちが溢れ返っていた。そんな気持ちの中、机の引き出しに入っている富栄と二人で撮った写真を取り出して眺めていた。
施設に入る前の夏希は、富栄を毛嫌いしていたため枚数が少ない。あまり一緒に撮りたくないというのが本音だった。それは施設に入ってからもそうだった。
富栄が亡くなった今、もう少し写真を撮っておけば良かったという思いがあった。しかし、後悔したところでもう叶う事はない。数少ない写真を眺めながら、写真に写っている思い出だけは汚さないようにしようと思っていた。
翌日の放課後、夏希は仁と美夕の三人でファーストフード店に行く事にした。
今朝は何事もなく高校に登校した。高校では平然としていたが、心の中では昨日の四十九日が鮮明に蘇っていた。ずっとあの寂しい気持ちのまま授業を受けていた。
「四十九日って昨日だったんだよな?」
コーラをオーダーした仁が夏希に聞いていた。
「そうだよ。一日がかりで大変だったよ」
ホットココアを一口飲んだ後に答える夏希。
「店はどうしたんだよ?」
次にバニラシェイクをオーダーした美夕が店の事を聞く。
「昨日、四十九日が終わってから掃除して鍵を渡した」
「じゃあ、これで本当に閉店したんだな」
美夕の言葉に頷く夏希。
「四十九日は終わったけど、まだ事件が解決してないんだよな」
仁は夏希には事件を解決する仕事があると言う。
「母さんが亡くなって一ヶ月半くらいで次の事件が起こるなんて休まる時がないよな」
「心労がたたって体調崩すなよ」
美夕は夏希の身体を心配する。
「大丈夫だよ。無理しない程度に動いてるよ」
夏希はホットココアの容器を両手で抱きしめるように言う。
「それにしても、ひまわりの事件の報道が凄いよな。川岸さんと上原さんが亡くなったのは、あたかもスタッフが悪いように言われてるもんな」
仁は「ひまわり」の利用者が亡くなった件での報道の仕方がおかしいと言う。
「上原さんは別として、川岸さんが殺害されたのはスタッフのせいじゃないと思うけどな。何がなんでもスタッフのせいにしたいんだな」
美夕は殺人事件が起こった事でさえも「ひまわり」のスタッフのせいにしたいのが見え見えだと言う。
「そうなんだよなぁ。きっと利用者も減ってるんじゃないかな」
仁も美夕と同じ事を思っていて、「ひまわり」の行く先がどうなるのだろうと思っていた。
房子と進一郎が亡くなってから、「ひまわり」に対する報道は加熱していた。スタッフの誰かが二人を殺害したんじゃないか。「ひまわり」のあることないことの実態が報道されていて、課外活動を行った夏希達もどれが本当の「ひまわり」なのかわからないでいた。
「報道の自由があるとはいえ、やり方は汚いよな。今回の事でひまわりが潰れなきゃいいけどな」
仁はため息混じりで言う。
「利用者や入所者がいる限り潰れる事はないだろうけど、仁の言うとおり利用者は減ってるかもな」
容器の蓋を開けて、バニラシェイクをストローでかき混ぜながら美夕は言う。
二人がそんな会話をしている中、夏希は事件の事を考えていた。
(川岸さんが殺害されたのは、ひまわりの中だろうな。あの中で遺体は隠されていた。そして、公園に遺体を移動させた。上原さんはその川岸さんを殺害したところを、あるいは遺体破棄をしているところを目撃したってところかな)
夏希は大体の事件の道筋が見えてきた。
(でも、犯人を追い詰めるだけの証拠がないんだよな。瀬川警部に現場に写真をもう一度きちんと見せてもらったほうがいいかもな)
証拠がない今、どうやった犯人を追い詰める事が出来るのか考えていた。
「夏希、さっきから黙ってどうしたんだよ?」
何も話さない夏希を心配した仁が声をかける。
「あ、いや、なんでもない」
夏希は慌てて我に返る。
「事件の事を考えてたんだろ? 大体の予想はつくよ」
美夕は的確に夏希の考えていた事を言い当てる。
それを聞いた夏希は苦笑いをする。
そこに夏希のスマホがバイブする。
「もしもし?」
「赤谷さんか? 今から村木とひまわりに行くんだが、赤谷さんも一緒に来るかい?」
電話の主は瀬川警部だ。
「え? いいのかよ?」
「ひまわり」に行くと聞いて夏希の胸は高鳴った。
「構わないよ。一時間後にひまわりの前で待ってる」
瀬川警部はそう言った後、電話を切る。
「警部がひまわりに行くみたいだし、ボクも行ってくるよ」
夏希は急いで席を立つ。
一時間後、「ひまわり」に着いた夏希は、玄関先で二人の警官と合流した。
「急に呼び出してすまないね」
呼び出した事を謝る瀬川警部。
「いいよ。ボクも事件の事を知りたいって思ってたから・・・」
正直に言う夏希。
三人は中に入ると、前に入った会議室に入った。
「刑事さん、なんでその子まで連れてきたんですか?」
綾子は怪訝そうな表情をして、夏希を見ながら言う。
夏希に対してあまりいい印象を持ってないようだ。それは夏希も言葉と表情から感じ取っていた。
「前も言いましたが、事件を解決した事があるので・・・」
瀬川警部はやんわりと答える。
「だからって連れてくる必要はあるんですか? この前だって一人で来て迷惑なんです」
綾子はウンザリした口調で瀬川警部に言う。
「お気持ちはわかります。今日は自分が誘ったもので、そんなに怒らないで下さい」
綾子の気持ちを受け止めて瀬川警部は言う。
「まぁまぁ、副所長もそんな言い方をしないで・・・。ところで話というのはなんですか?」
春久は綾子をなだめつつ、今日はなんだろうと思いながら聞く。
「川岸さんの件です。川岸さんは一度、ひまわりに帰ってきたということはありませんか?」
村木巡査長は房子について尋ねる。
「いや、それはないと思いますよ。誰か川岸さんを見た人はいるかな?」
春久は綾子に聞いてみる。
「さぁ・・・。誰も見てないんじゃない? 川岸さんが帰ってきたら誰かが気付くはずでしょ?」
綾子はぶっきらぼうに答える。
「そうですか・・・」
瀬川警部は頷く。
「なぜ、川岸さんが帰ってきたと聞くんですか?」
春久は逆に聞いてみる。
「殺害されるまで最大一時間の時間差があるんです。恐らく、別の場所で殺害されて遺棄されたと思われるんです。川岸さんが夏山さんの家を出たのが午後四時半頃、一度、ひまわりに帰ってきたと推定すると四時四十分頃なんです」
村木巡査長が説明する。
「ちょっと待って下さいよ。なんでひまわりで殺害された事になってるんですか? 証拠でもあるんですか?」
綾子は怒りに任せて二人の警官に怒鳴るように問う。
「あくまでも仮説です。今のところ、ひまわりで犯行が行われたという線は低いですが・・・」
瀬川警部は仮説であって、「ひまわり」が犯行現場だとは言っていないと答える。
それを聞いた綾子は、苛立ちを隠せないまま大きなため息をつく。
「すいません。ちょっとトイレを借りてもいいですか?」
そこに夏希が申し訳なさそうに申し出る。
「構わないよ」
春久は笑顔で了承してくれる。
ありがとうございます、と夏希は礼を言うと、会議室を出る。
ドアを閉めると軽くため息をつく。このため息は事件の先へ進むためだ。
会議室を出た本当の理由は、トイレではない。房子の遺体を隠せるような場所を探すためだ。
瀬川警部は房子の遺体を隠したのは「ひまわり」の線は低いと言っていたが、夏希の中では犯行が行われたのは「ひまわり」だと確信していた。トイレを貸して欲しいと言った手前、短時間で探さないといけない。そのため夏希は急いで探す事にする。入口近くにある「ひまわり」内の地図を確認すると、一階から順に見て回る。
二階と三階は入所者の部屋があるため、遺体を隠す場所は必然的に一階だろうと思う夏希。奥に進むと清掃道具が入っている小さなロッカーがあるのを見つけた。
周囲に誰も居ないのを確認すると、夏希はそっとドアを開ける。中には掃除機やモップ等が入っているが、人一人が入ろうと思えば入れる。ましてや、房子の体型はそんなに大柄でもないため、殺害してから遺体を収めようと思えば収められる。
(清掃道具が入っているとはいえ、川岸さんの遺体を隠すには十分な広さだな。見る限り、血痕は拭き取られているから、警部にお願いして調べてもらえれば、何か証拠は出てくるかもしれないな。でも、これだけで犯人を追い詰めるには無理がある。もっと強力な証拠があれば、さらに犯人を追い詰める事が出来るんだけどな)
夏希はある程度の犯人の目星がついていたが、決定的な証拠がなかった。
一旦、清掃道具が入っているロッカーのドアを閉め、犯人を追い詰めるための証拠を探す。そして、事務所に向かうと、中でスタッフが仕事をしていた美紗希に夏希に気付く。その中には大樹や他のスタッフもいる。
「どうしたんですか?」
美紗希は少し驚いた表情をする。
「ちょっと事件の事で・・・。上原さんの持ち物ってありますか? あったら見せて欲しいんですけど・・・」
夏希はもしかしたら・・・という期待とすでに息子が引き取っているかもしれない思いがありながらスタッフに聞く。
「ありますよ」
美紗希はまだ事務所で保管していると答える。
夏希は内心やったと思う。
「息子さんが仕事で忙しいらしくてまだ取りに来られていないのよ。事件の事を調べてるの?」
美紗希は春久から聞いたのか、事件の事を調べているのかと聞く。
「そうです。息子さんは何の仕事をされているんですか?」
夏希は早くしてくれと思いながら聞く。
「飲食店で働いていると聞いてます。上原さんの葬儀の後に私物を取りに来られなくて、電話をしたらなかなか休みが取れなくてしばらく預かってくれって言っていて、それっきりなんです。息子さんの奥様も忙しい人らしくて・・・」
その質問には大樹が答える。
夏希はなるほど、と思う。
「はい、これよ」
美紗希は進一郎の私物を夏希に渡す。
「警察でもないのにいいんですか?」
夏希は不安になり聞いてみる。
「いいのよ。明石さんからあなたの事は聞いていたし、少しでも役に立てるならいいの。本当はダメなんだけど・・・」
美紗希は上司である春久と綾子がいないのをいいことに少しくらいなら見せてもいいと答える。
「でも、私物は葬儀の時に渡せば良かったわね」
他のヘルパーが美紗希と大樹に言う。
「そうですね。葬儀で自分達もバタバタしてたから私物を渡すのは忘れていましたからね」
大樹も同じ事を思っていたようだ。
そんな会話を聞きながら、夏希は進一郎の私物を見ていく。そこに一冊のノートがあり読んでいく。どうやら日記帳のようだ。ペラペラとめくっていき、房子が殺害された日を開けて、目を通していく。全部読み終えるとノートを閉めて、次に進一郎の携帯を見る。この二つを見た夏希は確信する。
(これだ! これであの人を追い詰める事が出来る!)
夏希は犯人の目星は当たっていたんだと確信すると、進一郎が記してくれた日記帳と携帯が犯人を追い詰める事が出来ると思っていた。
「そういえば、清掃道具が入っているロッカーってみなさんは使っていないんですか?」
夏希は日記帳を片手に聞く。
「使ってますよ。でも、掃除は週に二日で、それ以外は使ってませんよ」
美紗希が答える。
「掃除の曜日は決まってますか?」
「月曜日と木曜日です。この二日だけは大掃除みたいな感じですよ。汚れたりしたらヘルパーはもちろん入所者の方もいつでも使ってもいいんです。それがどうしたんですか?」
次に大樹が答えると、なぜ夏希がそんなことを聞くのか疑問を持ったようだ。
「いえ、なんでもありません」
夏希は慌てて否定する。
(週に二日で曜日が決まってるなら、なおさら可能だな。まぁ、遺体を隠してる時に誰かに見つかればマズイけどな。警部にお願いして、一度、清掃道具が入っているロッカーを捜査してもらったほうがいいな)
夏希はより犯人を追い詰めるために、瀬川警部にも協力してもらおうと思っていた。
「お願いがあるんですが、今、警察が来ていて、このノートと携帯を渡しておいてもらえませんか?」
自分が証拠品を持っているとマズイと思い、スタッフにお願いする夏希。
「いいですよ。所長や副所長もこのノートの存在を知らないんだけど、なるべく二人にバレないように渡すわね」
美紗希は日記帳と携帯が何か事件に関係していると思い、上司にわからないように渡すと約束する。
「ありがとうございます」
美紗希の機転が利いた言葉に安心して礼を言う。
「このことは内密にしておかないとですね」
大樹は他のヘルパーにも口止めするように言うと、他のヘルパーもわかっていると頷いた。