夏希の確信的な思い
その日の放課後、事件の話を聞くために夏希は一人で「ひまわり」に来た。昨日、瀬川警部達もいたため、あまり詳しく聞けなかったからだ。本当は富栄の四十九日もしないといけないのだが、どうしても事件の事が気になってしまい、両方同時にやることにした。
「ひまわり」に着いた夏希の目に入ったのは、玄関先でひなたぼっこをしている利用者達だ。その中には進一郎とさよ子もいた。
夏希に気付いた春久は立ち上がる。夏希は軽く会釈をする。
「山上先生のクラスの生徒さんでしたよね。確か・・・」
春久は夏希の名字を思い出す表情をする。
「赤谷です」
「あぁ・・・赤谷さんでしたね。事件の事ですか?」
「そうです」
夏希の答えを聞いた春久は快く応じてくれる。
そこに進一郎がやってくる。
「今日は原口君は来ていないのか?」
「一緒じゃないんです。すいません」
「そうか。久しぶりに会って話したいなと思ってたのにな・・・」
進一郎は淋しそうな表情をする。
「本人に伝えておきます」
進一郎の気持ちは伝えておくと約束する。
「所長さんに聞いたんだが、君は殺人事件を解決した事があるんだってね」
進一郎は夏希の事を聞いていたのか、意味ありげに言う。
まるで房子の話をしたがっているようだ。
「はぁ・・・」
夏希はなんで話してるんだよと思いつつも肯定する。
「実は昨日、警察と一緒にいるのを見たから、なんでいるのかなって思って聞いてみたら、殺人事件を解決した事があるって言うじゃないか。若いのに驚きだな。将来は警察官になればいいのに・・・」
進一郎は興味津々で言う。
その興味津々の進一郎に、夏希は思わず引いてしまう。
「上原さん、困ってるでしょ?」
春久はあまり深く言わないようにとやんわり注意をする。
「もしかして、川岸さんの事で来たのかい?」
春久の注意がわかっているのか、進一郎は房子の事件の事を持ち出す。
「そうですけど・・・」
夏希は正直に答える。
「所長さん、この子に話があるんだけどいいかな?」
進一郎は夏希と話したいと春久に申し出る。
突然の申し出に夏希は内心驚いてしまう。
「構わないですけど・・・。大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ」
夏希は驚きつつも承諾する。
「わかりました。上原さん、事件の話は程々にして下さいね」
春久は夏希の承諾を得たところで、事件の話をしてもいいと言う。
そして、夏希は進一郎の部屋に来た。八畳の部屋にベッドとテレビ、小さな冷蔵庫など必要な物が置いてある。タンスの上には家族と撮られた写真が写真立てに飾ったある。それを夏希はじっと見る。
「それは最後の家族旅行の時の写真だよ」
写真を見ている夏希の背後から温かい緑茶を淹れた進一郎が教えてくれた。
「最後の家族旅行・・・?」
夏希は進一郎のほうを振り返って、どういうことなのだろうと首を傾げる。
「三年前に妻が亡くなったんだよ。亡くなる半年前に息子家族と旅行に行ったんだ。その後だよ。妻のガンが見つかったのは・・・。その時にはすでに末期で手遅れだった。医者からは手の施しようがない。余命三ヶ月だと言われた。しかし、妻は半年も生きてくれた。それだけでもワシは嬉しかった」
進一郎は妻との思い出に馳せているような表情で話す。
進一郎は心から妻を愛していたんだな、と夏希は思う。自分の富栄を愛していれば、離婚する事もなかったし、今頃幸せな高校生活を送っていたんだろうな、と思ってしまう。
「妻が亡くなってからひまわりに入所したんだ。息子夫婦は一緒に住もうと言ってくれたが、迷惑はかけられないからな」
「入所して三年ですか?」
「そういうことになるな。君の家族は・・・?」
「いません。両親は小学生の時に離婚して、母に引き取られました。その母も先月亡くなりました」
夏希は進一郎の顔をしっかりと見て答える。
「辛い事を聞いてすまないね。今は親戚の家にいるのかい?」
「いえ、施設にいます。母と色々あって中学の時に施設に入りました」
「そうか。君も色んな人生を送っているんだな。そういえば、名前を聞いてなかったな」
進一郎は高校生なのに両親がいない事に驚きつつも夏希の名前を聞く。
「赤谷夏希です。それで話した事があるというのは・・・?」
夏希は名乗った後に何の話なのかを聞く。
「川岸さんの事でな。警察にも言っただが、川岸さんは色んな人にお金を貸してくれと言い回っていたんだ。だが、誰も貸す事はなかった。なにしろ、あの性格で嫌われていたからな」
進一郎は房子がお金を貸して欲しいと言い回っていたと教えてくれた。
その話を聞いた夏希は聞きづてならないという表情をする。
「それはいつぐらいの話ですか?」
「三ヶ月前だよ。今までそんなことがなかったからみんな驚いていたよ。多分、娘さんと何かあったのかもしれないな」
房子がお金を貸して欲しいと言った背景には、幸子と何かあったのではないかと推測しているようだ。
それは夏希も同じだった。幸子からすれば房子は毒親だと聞いていたし、三ヶ月前に二人の間に何かあったのだと考えるほうが自然だ。
「金額はどれくらいだったんですか?」
「五万円だよ。何に使うかわからないが、相当困った感じだったな」
「そのことは所長さんは知っていたんですか?」
「もちろん。副所長さんと二人でなぜそんなことをするのか。何に使うのかと聞いたらしいが、何も答えなかったそうだ。口を噤んでしまうくらいなのだから、よほどの事情があったんだろう」
進一郎はお金は貸さなかったが、房子にも色んな事情があったんだろうと思っていた。
(五万円を貸してくれって何に使うつもりだったんだ? 買い物をするなら娘さんに言うだろうし、ましてや同じ入所者にお金を貸してくれなんて言わないよな。所長さんに聞かれた時も買い物をすると言うだし・・・。金銭的な事で何も言わないっていう事は娘さんとの間に何かあったのか? そこらへんも調べたほうが良さそうだ)
夏希は川岸母娘の事も調べたほうがいいと思っていた。
「川岸さん母娘に変わった事ってなかったですか?」
「金銭的な事もあって二人に何かあったと思うが、見てる限り特に何もなかったな。娘さんが怒鳴り込んでくるのはいつもの事だったから・・・。まぁ、五万円を貸してくれと娘さんには言いづらかったんだろう。毎月のここの費用もバカにならないし、川岸さんはワシが来る前からいたから娘さんの金銭的な苦労は相当なもんだったと思う。そんな中でお金を貸してくれって言える立場じゃない事くらい川岸さんもわかっていたんだろう」
幸子が費用を出していたのを知っていた進一郎は、金銭面で迷惑をかけられないという房子の気持ちもわかるような気がしていた。
「だからといって川岸さんの娘さんが犯人ではないよ」
進一郎は小さな声でポツリと言った。
「どういうことですか?」
まだ確証もないのに断言してしまう進一郎に、なぜそういうことを言うのか疑問に思った夏希。
「いやいや・・・自分の思ったことを言ってみただけだよ」
これ以上、検索されたくないのか、アハハ・・・と笑ってごまかす進一郎。
夏希は怪しいと思いながら進一郎を見る。
「それより山上先生はどうなったんだい? ガラの悪い生徒を殴ってしまったから心配になってしまって・・・」
進一郎は夏希の表情を読み取ったのか、さらりと話題を変える。
「先生は謹慎処分になりました」
自分の心がざわついているのを押さえながら夏希は答える。
「そうだったのか。いくら生徒が悪いからとはいえ、生徒を殴ればそれなりの処罰を受けないといけないからな。他の先生達も山上先生が悪くないとわかってくれるよ」
進一郎は余計な一言を言ってしまったと思ったのか、自分の話は終わりだというふうに言った。
「ひまわり」を出た夏希は、進一郎が犯人は幸子ではないと言い切った事が引っ掛かっていた。証拠がない今、なぜ犯人ではないと断言してしまうのか。事件の事で何か知っているのか。それ以前に警官でもないただの高校生の自分に事件の話をしようと思ったのか。進一郎の言動には引っ掛かる事が多々あった。
(上原さんは何かを知っている。知っていて川岸さんの娘さんが犯人ではないと言い切ってしまったんだ。そうじゃないと証拠もないのに言い切ってしまう事がおかしい。もしかして、上原さんは事件の事で単独行動をしようとしてるんじゃ・・・)
夏希は進一郎がとんでもないことをしようとしているんではないかと考えてしまい、施設に帰る前に瀬川警部に自分が感じた嫌な予感を話しておいたほうがいいと思い、署に向かう事にした。
三十分後、署に着いた夏希は瀬川警部を呼んでもらった。すでに午後五時半を過ぎているが、そんなことは気にしていられなかった。
夏希は瀬川警部がいる捜査一課の片隅にあるイスに座り、進一郎が話していた事全てを話した。
「証拠がない時にそう言われると怪しく見えるが、ただ単に自分の意見を言っただけとも取れるが・・・」
話を聞き終えた瀬川警部はそれだけではなんともいえない状況だと言う。
「確かにそう言われるとそうだけど、あのはぐらかし方が怪しすぎるんだよなぁ・・・」
瀬川警部の言い分も最もだと思う夏希は、どうしても進一郎のはぐらかし方が怪しいと睨む自分の直感を無視するわけにはいかないと言う。
「赤谷さんの言い分もわかるがなぁ・・・」
消極的な瀬川警部は少し面倒臭いなと思ってしまう。
そんな消極的な瀬川警部にどうしたらいいのかと悩んでしまう瀬川警部。自分の勝手な考えだけで進一郎を署に引っ張る事が出来ない事くらい夏希にもわかっている。自分の無力さを痛感してしまう。
「川岸さんが利用者にお金を貸してくれと言っていた事はヘルパーや利用者の話でわかっている。しかし、はぐらかし方が怪しいからといって上原さんだけを署に引っ張る事は出来ないだろ?」
夏希の言っている事もわかっている瀬川警部は、はぐらかし方が怪しいという理由だけでは無理だと言う。
その言葉を聞いた夏希は、頼りにならねーなという表情を見せる。
「まぁ、上原さんには改めて話を聞いてみるよ」
瀬川警部は夏希の直感もアテになる事を知っているため、話を聞くだけでも何か収穫が得られるかもしれないと思っていた。
「頼むよ。上原さんの態度からして何かしでかさないとも限らないからな」
課外活動の時に仁は自分と似ていると言っていた事を思い出した夏希は、多少の不安を感じながら言った。
それから二日が経った昼休み、進一郎が「ひまわり」の自室で亡くなったと瀬川警部から聞かされた。亡くなった日の朝、朝食に来ない事を心配したヘルパーの千香子が部屋を見に行くと、すでに進一郎は亡くなっていたと詳細を教えてくれた。
放課後、署に向かおうとする夏希を待っていたかのように二人の警官が、高校の正門に立っていた。そして、三人は署に着くと会議室に入った。
「上原さんが亡くなったってホントなのかよ?」
夏希は昼休みに聞いたばかりの情報を確認する。
「本当だ。今朝、ヘルパーの明石さんが上原さんの部屋に行くと亡くなっていた。死因はくも膜下出血だ」
瀬川警部は進一郎が亡くなった事は本当だと肯定する。
「昨日の夕食後に激しい頭痛がすると言って、頭痛薬をもらって飲み、その後、風呂に入らなかったため、午後八時に中山さんが部屋を確認すると上原さんは寝ていたそうです。それから夜中に別のヘルパーさんが入所者の部屋の巡回で確認したが、特に異常はなかったと所長さんから話を聞きました」
村木巡査長が手帳を見ながら夏希に教える。
「激しい頭痛・・・。突然だったんだよな?」
夏希は進一郎の死におかしいところはないか確認する。
「それがそうともいえないんだ」
瀬川警部は表情を曇らせる。
「どういうことだよ?」
「検視の結果、頭を強く打った跡があったそうだ。そこから寝ている間にくも膜下出血に至ったのではないかと報告を受けている」
瀬川警部は頭部を強く打った事でくも膜下出血に至り亡くなったと夏希に言う。
「くも膜下出血って頭を打っただけでもなるのかよ?」
くも膜下出血についてよく知らない夏希は二人の警官に尋ねる。
「外傷性くも膜下出血は頭部を強打した事によって発生するものです。例えば、ボールが頭部に当たったとか転倒時に頭部を強打し、頭蓋骨にヒビが入るような衝撃で、出血が発生すると起こるんです」
村木巡査長はくも膜下出血の事を詳しく知っているのか、瀬川警部の代わりに答える。
「激しい頭痛以外に何か症状はなかったのか?」
くも膜下出血の説明を理解した上で夏希はさらに詳しく聞いてみる。
「スタッフが聞いたのは激しい頭痛だけですが、上原さんの部屋を調べると嘔吐物がありました」
村木巡査長は自分の見た内容を話す。
「激しい頭痛と嘔吐はくも膜下出血の症状だからな」
次に瀬川警部が話す。
「上原さんは頭を打った事をスタッフに言ったのか?」
「言ってないそうだ。赤谷さんの高校に行く前にひまわりに行ってそのことを報告したが、所長を含めスタッフは誰も知らない買った。しかも、頭を打った場所は特定出来ていないんだ」
「ひまわり」のスタッフから聞いた証言に困りながら答える瀬川警部。
「上原さんが頭を打ったところを誰も見ていないし知らない。打った場所もわからない。頭痛がする事は言ったのに、頭を打った事は言わなかった。なんでなんだろう? わからないよなぁ・・・」
夏希は疑問を独り言のように言う。
「ところで二日前にボクが言った川岸さんの事は本人から何も聞けていないよな?」
我に返った聞いた夏希。
「あぁ・・・。昨日、聞きに行こうと思ったんだが、急用が出来て行けなかったんだ。今日、聞きに行こうと思っていた矢先に上原さんが亡くなったと聞いたんだ」
瀬川警部の口調からは時間を作ってでも聞きに行くべきだったと後悔の念がこもっていた。
それは夏希も同じだった。進一郎が幸子が犯人じゃないと言い切った理由をもっと追及して聞き出せば、何かわかっていたかもしれない、と思っていた。
だが、瀬川警部に話した事で安心した気持ちになっていた。自分が追及するよりも瀬川警部が追及すれば、進一郎も話してくれるかもしれない、と思いがあったからだ。
進一郎は何を根拠に幸子が犯人ではないと言い切ったのか。房子の事件で何かを知っていて、それで何かを隠していた。それが夏希が来た事でつい口走ってしまったのか。理由はどうであれ、進一郎は夏希に何かを伝えるために幸子が犯人ではないと言ったのではないか。夏希は進一郎がは犯人を知っていて、遠回しに伝えたのではないか、という思いが渦巻いていた。
「もしかして、上原さんは誰かに殺害されたってことはないよな?」
夏希はその思いを二人の警官に伝えた。
「何?」
瀬川警部は自分の耳を疑うように夏希を見る。
「くも膜下出血に見せかけてだよ。上原さんが頭を打った時、犯人と一緒だったんじゃないかな。犯人と揉めた時に頭を打ったという可能性としてあると思うんだ。ひまわりのスタッフにそのことを言わなかったのは、スタッフの中に犯人がいるとみるのが一番だと思うけど・・・。そう考えるとスタッフに頭を打った事を言わなかった理由と考えると自然じゃないかな」
夏希は自分の考えを話した。
「その可能性はありますね。でも、証拠がない」
村木巡査長は夏希の言った事に頷きつつ、証拠がないという事に若干の悔しさを滲ませて言う。
「そうだと決まったわけではないが、上原さんは犯人を知っていて、なぜそれを警察に話さなかったんだ? 話す機会はいくらでもあったと思うが・・・」
瀬川警部は夏希の話を聞いていて、それが疑問だった。
「多分、上原さんは犯人に自首して欲しかったんだと思うぜ。説得するために犯人と接触したってところかな」
それは進一郎の優しさなのではないかと言う夏希。
(勘では上原さんは殺害された。頭を打った時は大丈夫だったけど、寝ている間にくも膜下出血を発症し亡くなった。まぁ、村木巡査長の言うとおり証拠がないからはっきりした事は言えないけど・・・)
「でも、なんで上原さんは川岸さんの事件の犯人を特定出来たのでしょうか? 自分達もわかっていないのに・・・」
村木巡査長が夏希が言っている事が本当なら、なぜ進一郎だけが犯人の特定が出来たのか疑問だった。
「言われてみればそうだな」
瀬川警部も部下の言うとおりだと頷く。
「川岸さんの事件の時に何か目撃したのかもしれない。見ていてボクに川岸さんの娘さんである夏山さんが犯人じゃないと言い切った理由が見えてくるはずだけど・・・」
「上原さんも亡くなった事で川岸さんの事件が関係している可能性が出てきたな。川岸さんの事件を一から調べ直したほうが良さそうだ」
瀬川警部は房子の事件を調べ直すために次に何をすればいいのか考えながら言った。
「それはそうとヤマテツの容疑は晴れないのかよ?」
哲平の事も気になる夏希は、担任の容疑はどうなっているのかを問う。
「今は捜査中だ」
瀬川警部は何も答えられないと言う。
夏希は直感的にまだ容疑は晴れていないんだなと思う。
「そっか。容疑が晴れたところでどうなるかわからないけど、このままではヤマテツがクビになってしまうんだよな」
哲平がクビになるかどうかは高校の判断を委ねるしかないのだが、いいようのない不安を言葉にする夏希は、自分が事件を解決しても哲平の力にはなれないのかもしれないな、と思っていた。
始めは哲平の容疑を晴らすために事件に関与し始めたのだが、事件を解決しても根本的な理由である義隆を殴ったという事実は何も変わらない。むしろ、今のこの状況は哲平をさらに窮地に追い込まれる出来事なのは変わりはない。哲平のクビが一歩、いや何歩も進んだといっても過言ではない。
それを考えると夏希は哲平がクビになって高校を去っていくのだけは嫌だった。
「なるようにしかならないよ。クビにならない事を願おう」
そう言った瀬川警部は少しでも夏希の心配が和らいだらいいな、と思う。
「そうだよな。なるようにしかならないよな・・・」
瀬川警部の言葉を繰り返す夏希は、真実味を帯びてきた哲平のクビに、いくら自分が心配してもどうにもらないと思いながら頷いた。
それから夏希は署を出たその足で「ひまわり」に行く事にした。署から「ひまわり」までは遠回りになるが、話を聞きたい思いが先立っていた。
それに、進一郎はどこで頭を打ったのか。打った場所は「ひまわり」内かその近くだと推測した夏希は、それを兼ねて調べる事にした。
「ひまわり」の最寄り駅から歩いて進一郎が犯人と揉み合って頭を打つような場所を探してみるが、徒歩十分の場所は大通りで人目につきやすい上に「ひまわり」の近くは住宅街という場所柄、誰かが揉み合えるような場所はなかった。そんなことをしていれば近所の人が目撃ていたり声を聞いていると伺える。
(ひまわりの途中は無理か。・・・となると、夏山さんの近くの公園かひまわり内ということだよな。どっちにしろ誰かの目に触れてしまえば終わりだけどな)
「ひまわり」の前まで来た夏希は途方に暮れてしまう。
すでに午後六時を回っていたが、気にせず中に入ると綾子が対応してくれたが、生憎春久は忙しくて対応が出来ないと言われてしまった。そこにスタッフの部屋から出てきた千香子が進一郎の第一発見者ということで話を聞いてくれる事になった。綾子からお願いされた千香子は快く応じてくれて、会議室に通された。
「上原さんの事で話があるんですよね?」
千香子はテキパキとした口調で聞く。
「そうです。亡くなる前日に激しい頭痛がすると言っていたと聞きましたが、それ以外は何も言ってなかったんですよね?」
「はい。昨日、夜勤だったんですが夕食後に激しい頭痛がすると言って、他のヘルパーから頭痛薬をもらい、そのまま部屋に戻って行ったんです。風呂には入らなかったのですが、激しい頭痛がすると言っていたので入る気にはなれなかったんだろうなと思っていたんです」
千香子は進一郎の行動を話す。
「昼間どこかに出掛けたとかはなかったんですか?」
「午前中、利用者さんと一緒に二時間程度の散歩に行ったそうで、午後からはどこにもいっていないと昼間に入っているヘルパーから報告を受けました。だから、激しい頭痛もさほど気にしていませんでした。ところが刑事さんから頭を打った形跡があると聞いて、ヘルパー全員驚いていましたよ。激しい頭痛すると言った時も上原さんは何も言ってなかったから余計に・・・」
進一郎から何も報告がなかった事に驚いていた千香子は、どうして言ってくれなかったのだろうと思っていたようだ。
「明石さんが第一発見者だと聞いたんですが、何時頃に上原さんの部屋に行ったんですか?」
「午前七時半です。入所者は全員、午後七時起床、七時二十分から食堂で朝食なんですが、いつもは一番に来る上原さんがなかなか来ないので、私が部屋に行くと亡くなっていたんです」
千香子は長年ヘルパーをやっている中で利用者が亡くなるのを見てきたのだが、まさか自分がその第一発見者になるとは思ってもみなかったようだ。
「部屋に嘔吐した形跡があったようですが、確認に来たヘルパーさんは誰も見ていないんですよね?」
「それも誰も見ていないんです。激しい頭痛がするくらいだから嘔吐があってもおかしくないけど、それなら上原さんも助けを求めるとか何か会ってもいいのに、それすらなかったんですよ。上原さんなら少しでも体調が悪いときちんと言ってくれる人だったから・・・」
千香子は進一郎をずっと見て知っていて、今までの進一郎からは考えられないと話す。
それを聞いた夏希は、房子を殺害した犯人に寄って揉み合って頭を打ったという仮説は当たっているでのはないか、と思っていた。
「どこかで頭を打ったと言ってくれれば別の対応が出来たんでしょうけどね。激しい頭痛がすると言った時に注意深く見ているとか何か出来たと思うんですけど・・・。我々にも落ち度があるし、上原さんの家族に文句を言われても何も言い返せませんよ」
千香子はため息まじりに言う。
夏希もなんともいえない複雑な思いになる。
「文句を言われる方もおられるんですか?」
それとなく聞いてみる夏希。
「いますよ。例えば、川岸さんの娘さんみたいな方もごくたまにおられますよ」
千香子は幸子を例にあげて答える。
「色んな方がおられるんですね」
そう言った夏希は出された温かいほうじ茶を二口飲む。
「それよりあなた殺人事件を解決した事があるんですってね。所長から聞きましたよ」
興味津々の千香子は夏希に聞く。
ミーハーな感じの千香子に引き気味の夏希はなんて答えたらいいのかわからないでいる。
「女子高生が殺人事件を解決か・・・。ご両親が警察官か何かされているの?」
殺人事件を解決するからには身近に警官がいるのかと思った千香子。
「いえ、していません」
両親がいないことを隠して答えた夏希。
「そうなんですか。こういうのは元からある能力なのかもね。お節介かもしれないけど、その能力が嫌だと思わず、自分はこういう人間だと付き合っていかないとダメよ。それはそれで難しい事なんですけどね」
千香子は微笑みながら夏希に言った。
そんな千香子の思いを受け止めるように聞いていた夏希は、殺人事件を解決する事は宿命なのかもしれない、と思っていた。
それから千香子に見送られながら「ひまわり」を出ようとすると、仕事が一段落終えた春久が事務所から出てきた。
「赤谷さん、来ていらっしゃったんですか?」
玄関先でローファーを履いている夏希に気付いた春久は笑顔で聞いてくる。
「はい。上原さんの第一発見者が明石さんだと聞いたので・・・」
ローファーを履き終えた夏希は春久のほうを向いて答える。
「そうでしたか。上原さんが亡くなってひまわりの空気もどこか違いますよ。どんよりした感じですよ」
春久は進一郎が亡くなって淋しさがあるようだ。
「そうですよね。上原さんはひまわりのムードメーカーでしたもんね」
千香子も同じように思っているようだ。
「上原さんのムードメーカーがアザになったのかもしれないなぁ・・・」
春久は独り言のように呟く。
「今日はおじゃましてすいません。事件の事でまた来るかもしれませんがいいですか?」
夏希は急に来た事を詫びて、また来てもいいかと問う。
「うちは構いませんよ。時間が時間なので早く帰ったほうがいいな。大通りまで送るよ」
春久は時間が遅いため、近くまで夏希を送る事にした。