疑わしき人
その日の授業を終えた夏希は、美夕と共に「ひまわり」に向かった。房子の事件を聞くために来たのだ。仁も誘ったのだが、今日はバイトが入っているため一緒に行けないと言われてしまったのだ。
朝のショートホームルームで洋から事件に関与するのかと聞かれて答えられなかった夏希だったが、授業を受けている間に自分の担任を助けたいという思いが出てきた。初動捜査の段階で警察がどこまで調べているかわからないが、恐らく哲平の事を掴んでいるのではないかと思っていた。
二人は職員がいる部屋に行くと、見覚えのある人物がいた。それは瀬川警部と村木巡査長だった。夏希と美夕に気付いた二人は驚いた表情を見せた。
「赤谷さんと今竹さんじゃないか。何してるんだ?」
瀬川警部は「ひまわり」に来た理由を聞いてくる。
「ついこの前、課外活動に来たんだよ」
夏希が答える。
「課外活動・・・?」
「一日だけ課外活動をしなくてはいけなくて、ボクのクラスはここが課外活動の場所だったんだよ」
続けて、夏希は課外活動で来た事がある旨を伝えた。
「そうか。もしかして、事件の事で来たのか?」
「そうだよ」
瀬川警部の問いに素直に答えた夏希。
そして、四人は会議室に向かい、春久と綾子の話を聞く事にした。夏希と美夕がいる理由を知らない春久と綾子は不思議そうな顔をしていたが、瀬川警部が説明をすると驚いた表情をしていた。
二人の警官が事件の話をする前に夏希は課外活動で起きた出来事を話した。哲平が疑われるかもしれないが、黙っておくという事は出来なかった。そんなことをすれば哲平がさらに疑われるかもしれないと思ったからだ。夏希の話の途中、春久もフォローをしてくれ、決して哲平だけが悪かったのではないと言ってくれた。
「・・・そうだったんですか」
瀬川警部は夏希と春久が話した事を手帳に書いた後にため息まじりに言った。
その口ぶりからして哲平の事はまだ何も知らなかったようだ。
「では、第一に動機があるのは山上先生ですね」
村木巡査長が言う。
「いや、増田君も川岸さんを殺害する動機があるぞ。川岸さんに態度を注意を受けて文句を言ったのだから・・・」
瀬川警部は哲平以外に義隆も殺害動機があると主張する。
「刑事さん、ちょっと待って下さい。山上先生と増田君にも動機があるかもしれませんが、いくらなんでもクビになったり退学になる覚悟で人殺しなんてすると思いますか?」
春久はいくらなんでもそれはないのでは、と二人の警官に言う。
「しかし、山上先生と増田くんはそれぞれに殺害動機があります。特に山上先生は謹慎処分中です。犯行を行おうと思えば行えます。犯行時刻が夕方なので、増田君にも犯行は可能ですがね」
瀬川警部は険しい声で言う。
「だからって証拠もなしに犯人呼ばわりしなくてもいいんじゃないですか? 川岸さんが増田君を注意したのは偶然です。それを山上先生が殴りましたが止めに入った。ただそれだけのことですよ」
春久は二人の犯行ではないと言い張る。
「ですが、課外活動先で教師が生徒を殴る事はそうそうないですよね?」
瀬川警部は春久に問う。
「そうですけど・・・」
そう言われた春久は何も言い返せないでいる。
それは夏希と美夕も同じだった。
「増田くんはともかくとして山上先生は生徒を殴って謹慎処分中ですよ? 川岸さんが増田君の態度が悪いと注意をしていなければ、殴る事はなかったし、謹慎処分になる事もなかった。川岸さんに恨みを持っていてもおかしくはないですよ」
村木巡査長が追い打ちをかけるように哲平は一番の容疑者だという意味を込めて四人に言った。
「亡くなった人の悪口を言いたくないけど、川岸さんは誰にでも嫌味な事をいう人でしたよ。入所者やデイサービスの利用者やスタッフは全員一度は嫌味を言われていました。川岸さんのせいでデイサービスの利用をしなくなった人も何人もいたくらいなんですから・・・。こっちだってそんなことされたら死活問題で、はっきりいっていい迷惑でしたよ。あの日、課外活動に来た教師と生徒が問題があったからってあの二人だけを疑うのはどうかと思いますよ」
綾子は房子が亡くなったって清々したと言わんばかりの口調で二人の警官に言う。
それは哲平や義隆だけが犯人ではないと同じ意見の春久の肩を持つ口調だ。
それを聞いた二人の警官は聞きづてならないという表情をした。
綾子の言葉は取りようによっては、色んな人が房子を恨んでいたとも取れるからだ。
「所長さんや副所長さんも嫌味を言われた事があったわけですか?」
瀬川警部は意味ありげに聞く。
「ありますよ。毎日、一回は言われていました。所長に早く退所されたほうがいいと言いましたが、なかなか応じてくれませんでした」
綾子は嫌味を言われた事があると認めた上で房子を退所させたい思いがあったと答える。
「嫌味を言われていたのになぜ退所させなかったんですか?」
「大切な入所者ですし、まず退所させる理由がなかったからです」
春久はあくまで大切な入所者という理由で退所させなかったと答える。
「所長さんは嫌味を言われて恨んでいたという事はありませんか?」
はっきりと聞いた瀬川警部。
そう聞かれた春久はなんともいえない表情を浮かべて何も答えない。
それを見た二人の警官は恨んていたと取る。
「わかりました。赤谷さんと今竹さんに聞くが、増田君は学校に来てるかい?」
瀬川警部は夏希と美夕に話を聞く体勢になる。
「来てるよ。川岸さんに注意されて怒られても停学になる事もなくな」
夏希は腹を立てながら答える。
それを聞いた瀬川警部は頷く。
「犯行時刻はわかっているんですか?」
美夕は二人の警官に聞く。
「昨日の午後四時から五時までの間で、場所は公園です。入所者の方はその時間は何をしてもいいのですか?」
村木巡査長は手帳を見た後に答えると、春久に犯行時刻について聞いた。
「はい。基本、外出する場合は報告してもらって、ヘルパーの付き添いで行動してもらっています。昨日の川岸さんは午後から娘さんの家に行ってくる。すぐに帰るからヘルパーの付き添いは要らないと言っていたんです。本当はいけないんですが、どうしても娘に話があるからヘルパーに付いてこられると嫌だからと言われ、本人の意見を尊重したんです」
春久は昨日の房子の事について話す。
「娘さんの家に出掛けたのは何時頃ですか?」
続けて、村木巡査長は房子の出掛けた時間を聞き出す。
「午後三時半前からです。てっきり小一時間くらいで戻ってくるだろうと思っていました」
春久は房子の出掛ける様子からすぐに帰ってくるだろうと思っていたようだ。
「その娘さんはどこにお住まいなんですか?」
次に瀬川警部が聞く。
「ひまわりから歩いて徒歩十分です」
「近いんですね。同じ町内なのになんで老人ホームに入所されているんですか? 同居したほうがいいでしょうに・・・」
瀬川警部は「ひまわり」と幸子の家が近い事が疑問を感じていた。
「娘さんも同居して介護をしたいと思っていたようなんですが、旦那さんに反対されて、近くであるこのひまわりに入所させたそうです」
「川岸さんは娘さん以外に子供はいらっしゃらないんですか?」
上司と同じ疑問を抱いていた村木巡査長は、幸子以外の子供の事を聞く。
「息子さんが二人いると聞いてます。ですが、難ありの川岸さんの性格に、息子さん達は介護をしたくないと拒否したそうです。それで娘さんがひまわりに入所させてたまに来ておられるんです。娘さんの旦那も同じ理由で、あまり川岸さんとは接したくないようで、一度も会いに来られた事もありませんし、顔も見た事がありません」
幸子から聞いたのか、春久は詳しく答える。
「そういう事情がおありなんですね。娘さんの名前と住所を教えていただけませんか?」
「娘さんの名前は夏山幸子さんです」
名前を教える春久。
綾子は房子の住所録を二人の警官に見せ、それを村木巡査長が手帳に書き込んでいく。
「川岸さんの性格に難があるとおっしゃっていましたが、どういうことですか?」
瀬川警部は部下が書き終えるのを確認すると、春久と綾子に聞く。
「さっきも言いましたけど、誰にでも嫌味を言っていたからですよ。川岸さんは子供が幼い頃から理不尽に怒ったり、兄妹でも成績によって態度を変えたり、あの友達と付き合うな、この部活には入るな、あの学校には入るな、あの職場で働くななど・・・子供の人生の邪魔ばかりしていたと夏山さんから聞きました。しかも、何かあっても助けたり味方になる事はなく、見て見ぬふりをしていたそうです。今でいう毒母ですよ。そういうこともあり夏山さんの兄である二人の息子さんも嫌気が刺して、母親の介護をしたくないと言って、縁を切ってしまったそうです。夏山さんも本当は縁を切りたいと思っていたそうなんですが、先にお兄さん達が縁を切ってしまったため、それは出来なかったそうです」
綾子は房子の入所時に聞いた話を二人の警官に事細かに話した。
「では、娘である夏山さんは二人のお兄さんの縁も切ったんですか?」
縁を切ったという綾子の話に疑問を持つ瀬川警部。
「いえ、切れていないようです。二人の息子さんも川岸さんと縁を切ったのであって、妹である夏山さんと縁を切ったわけではないので、年に数回あ会っているようです」
次に春久が答える。
「なるほど。話を聞く限り、川岸さんを恨んでいる人は相当多いようですね」
瀬川警部は哲平と義隆以外の犯人の視野も広げているようだ。
(あれだけ毒付いていれば恨まれたって仕方ないだろうな。それに毒親だったというのが初耳だな。娘の怒鳴り込んできた様子からしてそんな感じは見受けられなかったけどな。今回は犯人の特定に時間がかかりそうだな)
夏希は一連の話を聞いてそう思っていた。
「夏山さんや縁を切った二人の息子にも話を聞かないといけないな」
瀬川警部は部下の耳元で言う。
「そうですね」
村木巡査長も小さな声で言う。
「ボク達が課外活動に来た時、川岸さんの娘さんが大声で怒鳴って来ていましたよね?」
夏希は幸子が来ていた事を思い出して聞いてみた。
「どういうことですか?」
瀬川警部は夏希の質問に食いつくように春久に聞く。
「実は副所長が嫌味を言う川岸さんに退所されると言ってしまったんです。それを夏山さんに報告して怒鳴り込んできたんですよ。こちらの不手際があるといつも怒鳴り込んでくるんですよ」
春久はいつものことだというふうに答える。
「夏山さんは母親に何かあると怒鳴り込んでくるんですか?」
「えぇ・・・。縁を切りたいと思っていたと聞いていたので、本当なのかと思うくらいですよ」
ため息まじりで答える春久。
「夏山さんは仕事はされていないんですか?」
怒鳴り込むくらいなのだから暇なのかと疑問に思う村木巡査長。
「仕事はしていますよ。サービス業で時間が不規則なんですよ」
房子の住所録に幸子の仕事先も記入してあるため、春久はそのことを知っていてそう答える。
どうやら時間があればいつでも怒鳴り込む事が出来るようだ。
「まだ聞いていませんが、犯行時刻の午後四時から五時までの一時間、何をされていましたか?」
村木巡査長は二人のスタッフにアリバイを聞いていない事を思い出し、何をしていたかを聞く。
「その時間でしたら、スタッフと会議をしていました。午後時間から五時過ぎまで二時間です」
アリバイを答える春久。
「スタッフは全員で何人いるのですか?」
「自分達を含め四十人です」
「そのうち会議に参加されていたのは何人ですか?」
「十九人です」
「休憩はありましたか?」
「四時から十分間です」
「川岸さんが殺害された公園まではひまわりから歩いて十分かかります。川岸さんの娘さんの家の近くので、時間的には娘さんの家に行った帰りだと思われます。ひまわりと公園の往復と犯行を犯すには、最低でも二十五分かかります。所長さんを含め、十九人には犯行は無理でしょう」
瀬川警部は会議に参加していたヘルパー達はいくら房子に恨みがあっても犯行は不可能だと言う。
それを聞いた春久と綾子はホッとしたのと同時に、哲平と義隆の容疑がグッと濃くなった事に不安を隠せないでいた。
「自分達の証言で山上先生と増田君の容疑が増したんですよね?」
春久はそれとなく聞いてみる。
「そうですね。ですが、今のところ何の確証もありません。二人に話を聞きますが、あなた方が気にする事ではありませんよ」
瀬川警部は二人の容疑が濃くなったが、アリバイさえ晴れれば大丈夫なため、春久と綾子が気にする事ではないと言う。
「ところでなんでひまわりという名前にされたのですか?」
事件とは直接関係はないが、気になった村木巡査長は名前の由来を聞いてみる。
「ひまわりのように元気な感じで、利用者さん達に笑顔になって欲しいという思いでつけたんです。今は高齢化社会ですから、少しでも高齢化社会だという事を払拭できたらいいなと思ったんです」
春久はひまわりと名付けた意味を答える。
「今は高齢者だけではなく若者も生きにくい時代ですからね。なおさら笑顔になって欲しい思いがあるんです。まぁ、笑顔だけではダメなんですけどね」
春久は実際は難しいと思っているようだ。
この春久の思いは、夏希もわかるような気がしていた。
話を終えて「ひまわり」から出ようとすると、何人かのヘルパーが出てきていた。二人の警官が職場に来ているせいか、自分達も疑われているのかと心配しているような表情を浮かべている。
「みなさん、早く持ち場に戻って下さい」
春久が出ているヘルパーに言う。
「川岸さんが殺害されて、みんな不安がっていますよ。ましてや、こんなところまで刑事さんが押しかけてきて・・・。確かに僕達も川岸さんに嫌な事たくさん言われましたけど、殺害するまで恨んでないですよ」
大樹が春久に意見する。
「中山君の言ってる事はよくわかる。しかし、ここの入所者が殺害されました。ある程度、疑われても仕方ないです。それに刑事さんは仕事で話を聞きに来ています。多めに見てあげて下さい」
春久は自分が経営している老人ホームの入所者が殺害されたのだから、警察が話を聞きに来るのは仕方ないと言う。
「だからといってここまで刑事が来たら入所者やデイサービスの利用者は不安になりますよ。せめて、利用者だけでも説明がないといけないんじゃないですか?」
美紗希も大樹と同じ意見のようで、何の説明もないと退会する利用者もいるのではないかと思っているようだ。
「大丈夫ですよ。きちんと説明しますよ」
春久は説明する気があると言う。
それでもヘルパー達はまだ不安な気持ちが表情に出ていた。
「みなさん、安心して下さい。なるべく早く事件を解決するように努力します」
瀬川警部はヘルパー達の不安な気持ちを読み取って言う。
そして、「ひまわり」を出た夏希と美夕は村木巡査長が運転する車に乗り込み、署に向かう事になり、会議室に入った。
「今日は原口君は一緒じゃないんだね」
瀬川警部は出されたお茶を一口飲んでから言った。
「バイトだよ」
「そうか。そういえば、バイトをしてるって言ってたな」
瀬川警部は夏希が転入してきたばかりの頃に起こった事件の事について話を聞いた時、バイトをしていると言っていたのを思い出していた。
「山上先生はいつから謹慎処分なんですか?」
村木巡査長は哲平の謹慎処分の事が気になり、夏希と美夕に聞く。
「課外活動の二日後からです。増田の両親が課外活動の翌日に怒鳴り込んできたんです」
美夕が答える。
「増田君が停学になってないと聞いたが、殴った山上先生だけが悪者になったんだな」
美夕の答えを聞いた瀬川警部はやるせない気持ちになっていた。
「川岸さんに注意を受けた増田の態度が反省なしだから、みんな腹立ってるよ」
夏希は義隆の態度がなんとかならないのかと思いながら言う。
「話を聞いた限りでは増田君が原因だと思うが、学校側はそういうわけではないんだな。担任に殴られて、親御さんが怒鳴り込んだとなれば、山上先生を謹慎処分にしなければいけないからな。増田君が親御さんにどこまで本当の事を話しているかはわからないが・・・」
瀬川警部は初めて義隆と会った時から態度の悪さが気になっていたが、教師でもない自分に注意をしたり出来なかった。
「それより自分達を警察に連れてきた理由はなんですか?」
夏希が「ひまわり」に話を聞きに行くというのでついてきただけなのに、偶然、瀬川警部達を会った事で署に来た美夕は、不安を覚えてしまった。
「別に二人をどうこうしようというわけではないんだ。ひまわりに課外活動で来たと言っていたから、その当日の事を聞きたかったんだ。山上先生と増田君の事もあるからな」
春久と綾子が話せない事もあるかもしれないと思った瀬川警部は、二人に話が聞きたかったようだ。
「そういうことなら構わないですけど・・・」
瀬川警部の思惑がわかった美夕は、事件の話なら仕方ないと思っていた。
「デイサービスの利用者の見送りを終えて戻ってきたら、増田君と川岸さんが言い争っていたんだな?」
瀬川警部は確認のため、二人に聞く。
「そうです。川岸さんが増田に注意したのが原因だと容易に想像が出来ましたから・・・」
美夕は言い争いの原因が義隆なんだろうと思っていた事を話す。
「事の発端は川岸さんというわけか。所長や副所長が誰にでも突っかかると言っていたからそうなんだろう」
瀬川警部はスタッフからの話からも言い争いの原因は房子だろうと確信していた。
「警部はヤマテツと増田のどちらかが犯人だと思ってるのかよ?」
夏希は心配しながら聞く。
「今のところはね。ひまわりのスタッフや利用者にも動機があり、犯行を行う事は出来る。だが、状況的には山上先生と増田君の線が濃いんだ」
二人が黒に近いグレーだと認める瀬川警部。
「課外活動当日、川岸さんはずっと参加してましたか?」
「いや、最初だけであとは部屋に閉じこもってた。昼食後に部屋から出てきて、増田とのいざこざがあって、また部屋に戻っていったんだ。だから、ボク達と川岸さんと会ったのは少しだけなんだ」
村木巡査長の問いに、夏希はあまり関わっていないと答える。
「ひまわりで川岸さんの娘さんが怒鳴り込んできたと言っていたが、赤谷さん達も見ていたのか?」
瀬川警部は幸子の事を聞き出す。
「うん。ちょうど昼食の時に来たよ。所長さんに怒鳴った後、川岸さんの部屋に行ったよ」
「川岸さんの部屋にいたのはどれくらいだ?」
「三十分位だったと思う」
「ひまわりのスタッフ達は仲が悪かったという事はなかったですか?」
村木巡査長が「ひまわり」のスタッフの仲を聞いてくる。
「見てる限りそういうのはなかった。課外活動でボク達が来てたから外面が良かっただけなのかもしれない。仲悪くても所長が中に入ってなだめてくれるだろうけど・・・」
夏希はスタッフの裏側まではわからないと答える。
「一度、ひまわりのスタッフの事も調べる価値がありそうですね」
村木巡査長は上司に言う。
瀬川警部もそうだなというふうに頷く。
「今日のところはこれで終わりにしようか。山上先生の事で気を揉んでいるかもしれないが、事件が起こったばかりだからもう少し謹慎処分が長引くかもしれないな」
これ以上、聞く事がないと思った瀬川警部は、夏希と美夕を署に留めておく必要がないと判断して終わりにした。
翌日の午後一時半、瀬川警部と村木巡査長は幸子の家に聞き込みに行く事になった。前日の聞き込みで、春久と綾子が言っていた毒親だという事について聞きたい事があったからだ。
瀬川警部には最近聞き始めた毒親という言葉について思い当たる節があった。瀬川警部の母親も毒親の定義に当てはまっていたからだ。
成績が悪いと容赦なく叩かれる。習い事をしたいと言えば、お前なんか習い事をしても身につくはずがないと言われる。その他にも罵倒したり否定する事が多く、少年時代は母親の顔色を伺いながら怯えて過ごしていた。そんな母親を見て見ぬふりをしていた父親も同罪だった。弟が二人いたが、両親は弟ばかり可愛がっていた。
当時は毒親という言葉もなかったため、なぜ母親は自分だけを責めるのか。叩いたり罵倒するほどそんなに自分が憎いのか。瀬川警部は少年時代から心に暗い影を落とし、今でも母親にとって自分はなんだったのか、自問自答する事がある。
宮崎県出身の瀬川警部は、必死に勉強をして両親から逃げるようにして東京の大学に進学した。大学卒業後も実家に帰る気は起こらず、そのまま警官として働く事にした。
東京の大学に進学したいと言った時も罵倒されるように否定したが、最後は瀬川警部が土下座までして進学を許してもらったのだ。仕送りはあったが、仕送りを送ってくる度に電話越しに文句を言われ、三年生になってから奨学金とバイトだけで賄った。
結婚してからも両親とは付き合いをしていたが、年に一度正月の時だけでそれ以外は実家に帰省する事はなかった。それは妻も理解を示してくれていた。
父親は七年前、母親は二年前に亡くなっているが、正直ホッとした思いがあったのは確かだった。結果的には二人の弟に両親の介護を押し付けた感じはあったが、警官という仕事に理解をして誇りを持ってくれた事は今でも感謝している。
幸子や息子達に毒親と認定された房子もきっと自分の母親と同じような感じなんだろうなと思いつつ、聞き込みをしていく中で毒親である母親のフラッシュバックに陥るのではないかと感じていた。
幸子の家は二階建ての洋風の大きな家だ。家の前にある駐車スペースには、ベンツとBMWの二台が置いてある。その光景を見た二人の警官は、旦那の稼ぎがいいのだろうかと思ってしまうくらいだった。
瀬川警部がインターホンを鳴らすと、幸子がすぐに対応する。
「曙署の瀬川です。川岸房子さんについて話をお聞きしたくて伺いました」
インターホン越しに警察手帳を提示しながら瀬川警部は言う。
「わかりました」
幸子はすぐに玄関先に出てきた。
リビングに通された二人の警官は、家の豪華さに驚きつつも平然を装う。
冷たいお茶を二人の警官に前に出すと、幸子は二人の前に座る。
「母の事で何かわかったんですか?」
幸子は気が強そうに感じられるが、母親が亡くなったという事で少しの安堵感が見受けられる。
「まだ捜査中です。房子さんが亡くなられた日の午後に来たとひまわりの所長が言っていましたが、来られましたか?」
瀬川警部は早速本題に入る。
「えぇ。午後三時半くらいに・・・」
確かに房子は家に来たと答える。
「ひまわり」のスタッフと幸子の証言は間違いないと二人の警官は確信していた。
「何の用で来られたのですか?」
「大した用ではなかったです。ひまわりでの出来事を話に来ただけです」
「具体的にはどんな話ですか?」
村木巡査長は掘り下げて聞く。
「課外活動で高校生が来たとかひまわりの食事の面などです」
幸子は世間話をしたかったのだろうという口調で答える。
「房子さんはよく家に来られているのですか?」
「いえ、私が仕事の合間にひまわりに行って顔を出しているので、家に来る事は滅多にありませんでした。それでもひまわりで外出許可をもらって、何ヶ月かに一度は家に遊びにきてくれます。いつもは前もって来ると言ってくれるのですが、殺害された日は何の連絡もなしに来たので驚きました」
いつもはきちんと連絡をしてくれるのに、あの日だけはアポなしで来たと話す幸子。
「それは驚かれたでしょう。昨日はお休みだったのですか?」
「はい。久しぶりの休みでゆっくりしようと思っていたんです」
「房子さんが家におられたのはどのくらいですか?」
「一時間くらいだったと思います。来た時は少し暗い表情をしていたのですが、帰る頃には明るく笑顔で帰っていきました」
「午後四時半頃に帰られたんですね?」
「そうです」
「帰りに殺害されたんだな」
瀬川警部は自分の思った通りだと部下に言う。
「そのようですね」
村木巡査長も上司の読み通りだと頷く。
「ところで房子さんは毒親だとお聞きしましたが、実際のところはどうなんですか?」
瀬川警部は自分の中に芽生えた毒親だった母親を怯える気持ちを抑えて聞いた。
「確かに母は毒親でした。刑事さんも知ってるでしょうが、私は三人兄妹の末っ子で、兄が二人います。私は女というだけで、二人の兄と比べられていました。兄達も友達と比べられる事が多かったようです。私達はずっと罵倒され、友達付き合いや自分がいきたい学校や就職の事、あらゆるところで人生の邪魔ばかりしてきたんです。兄達も嫌な思いを散々したそうです。そこに嫌気を刺した兄達は母に絶縁を申し出ました。もちろん母はそんなことは許さないと激怒しましたが、兄達は今まで自分達にしてきた事を考えろと言って、そのまま絶縁状態になったんです」
幸子は自分の母親が毒親だと認めた上でその経緯を話した。
「二人のお兄さんが絶縁状態になったのはいつからですか?」
「十年前です。正月に一番に上の兄が言い出しまして・・・」
幸子は十年前の正月にいきなり絶縁を言い渡した事が今でも忘れられないでいた。
「このことは夏山さんは知っていたんですか?」
村木巡査長は幸子の兄が絶縁を言い渡した事は事前に知っていたのかと問う。
「知りませんでした。知っていたら私も絶縁を申し出ていました」
幸子は何も知らなかったと答える。
「ということは、夏山さんも房子さんと絶縁したいと思っていたのですか?」
瀬川警部は幸子の心情を聞き出す。
「もちろんです。母は近所でも疎まれていて、言動全てが嫌で仕方なかったんですから・・・」
「それならなぜ絶縁しなかったんですか? あなたはひまわりに房子さんの事でよく怒鳴り込んでいたとお聞きしましたが・・・」
瀬川警部は幸子の言ってる事に矛盾を感じて、そのことを問う。
「母の面倒を見ないといけないという気持ちがあったものですから・・・。それに毒親だとはいえ繊細だったんです」
「子供の頃から自分の人生に口出しをされてずっと嫌な気持ちでいたのに、高齢だからといって親の介護をしないといけないのですか? お兄さんのように絶縁しようと思えば出来たはずです。言い方は悪いですが、別にそこまでする必要はなかったんじゃないですか?」
瀬川警部は自身の母親が毒親だったため、なぜ幸子がそこまでする必要があるのか不思議でならなかった。
「それは・・・。多分、心のどこかで母を放っておけない気持ちがあったのかもしれません」
幸子は母親を放っておけない気持ちも少なからずあったと答える。
その答えを聞いた瀬川警部は、到底理解が出来なかった。
「では、お兄さんとはどのくらいのペースで会われているのですか?」
瀬川警部は幸子の気持ちがわからないまま、次の質問をする。
「年に二回です。正月とお盆で、一番上の兄の家で集まっています」
「それは房子さんは知っていますか?」
「知りません。兄達と絶縁状態でしたし、言わなくてもいいかと思っていました」
「お父様はご健在なのですか?」
「いいえ。十年前に亡くなっています」
「そうでしたか。お兄さん達には房子さんが亡くなった事は報告されたのですか?」
「しました。でも、通夜と葬儀には出席しないと思います」
幸子は淋しそうに答える。
通夜と葬儀に出席しないと答えた幸子には、二人の兄が電話越しに言っていた言葉を思い出していた。それは殺害されたなんていい気味だ。今まで自分達にしてきた事のバツだ、と口を揃えて言っていたからだ。
言われてみればそうなのかもしれないが、だからといって殺害された事がバツだとか言うのはどうかと思う。そのことに疑問を持ちながらも気持ちは二人の兄と近いものがあった。
「お兄さん達にもお話をお聞きしたいのですが、連絡先を教えてくれませんか?」
「もしかして、兄を疑っているんですか?」
幸子はまさかという表情をする。
「念の為にですよ。事件と関係がなければ大丈夫ですよ」
瀬川警部はその問には慣れているのか事務的に答える。
それを理解した幸子は二人の兄の連絡先を教え、村木巡査長が手帳に書き留める。
「ところで旦那様はどのような仕事をされているのですか?」
幸子の二人の兄の連絡先を書き終えた村木巡査長は、幸子の旦那の仕事について聞く。
「医者です。大学病院で働いています」
「大学病院ということは教授ですか?」
「いえ、准教授です」
「准教授でもそれなりに収入がいいんでしょうね」
瀬川警部は皮肉まじりに幸子に言う。
「そういうわけでは・・・」
皮肉まじりの瀬川警部にどう答えたらいいのかわからない幸子は、なんともいえない表情になる。
「旦那様は房子さんとの同居を反対したと聞きましたが、それはなぜですか?」
村木巡査長は場の空気を変えるように同居を反対された理由を聞いてみる。
「子供もいるし、自分が帰ってきて母がいるとゆっくり出来ない。なにより母のあの性格が嫌だと言われました」
「房子さんは誰にでも誤解されやすい性格なんですね」
瀬川警部は嫌われているなと思ってが、その言葉を飲み込んだ。
「誤解されやすいんじゃないんです。嫌われているんです」
幸子は嫌われているとはっきりと言い放つ。
それには二人の警官も驚いてしまう。
「嫌われていなければ兄達にも絶縁されなかったし、主人も同居に賛成してくれました。ましてや、殺害されるなんて・・・。母の性格があんな歪んでいなければ、こんなことにはならなかったです。はっきりいって母の人生は全てにおいて失敗ですよ」
幸子は今まで溜め込んでいた思いを二人の警官にぶつける。
「人生の失敗だなんて・・・それは少し言い過ぎじゃないですか?」
村木巡査長は母親にそこまで言ってしまう幸子の気持ちがわからないでいた。
「言い過ぎじゃないです。ひまわりでは母の事を庇っていましたが、それも限界でした。今になって思う事ですが、母を着き放つ事も重要だったんだなと思ってます。でも、私はそれが出来なかった。昔のように母に罵倒されると思うとそんなことが出来なかった。本音を言えば、自分の意見を言って罵倒されたり否定される事が嫌なんです。刑事さんには私のこの思いはわかりますか?」
幸子は叫びにも似た声で二人の警官に問う。
房子の毒親ぶりについては、瀬川警部も幸子の思いが痛いほどわかっているつもりだったが、この悲痛な思いを聞くと、容易にあなたの気持ちがわかるとは言えなかった。
「あなたのそう言ってしまう気持ちもわからなくもないです。ひまわりに入所させて、お兄さん達や旦那さんに頼れず、悩みながらも一人で房子さんを見ていた事、とても大変で並大抵の事ではなかったと思います。ですが、房子さんはあなただけが頼りだったのではないですか。昔は罵倒されたりしたけども何かあればすぐにあなたが駆けつけてくれる。そんなあなたの思いが嬉しかったんだと思いますよ。まぁ、こんなこと私が言えた義理ではないんですがね」
瀬川警部は自分は母に何もしていないのに偉そうな事を言ったと思いながら、自分が感じた事を話す。
それを聞いた幸子は、母はそんなことを思っていないという表情で瀬川警部を見ていた。