第百六十七話 届かぬ想い
竜殺しの武器。
それは人間では太刀打ちできない強力な竜たちに対抗するための存在。
人間を守る為に生まれた、とされている。
誰が制作した物かわからず、いつから人間たちの手に渡ったかもわからない。
そもそも制作者が同一であるかも疑わしい。
また、竜殺しの武器はそれぞれが特殊な能力を持っている。
それらの能力は竜の力を模倣したものが多く、一部の人間は神様が竜を使って作り出したのでないかと信じ込み、竜殺しの武器を神の使いと崇めていたことさえあった。
そんな竜殺しの武器は精霊が宿り、それぞれ意志を持っていた。
そして武器を制御する精霊たちには厳守するべき二つの決まりがあった
――竜に対抗する為に人間に協力する。
――その強力な力を人間に行使しない。
最初はこの規則を遵守するだけの単なる安全装置に過ぎなかった。
しかし、いつからか武器に宿る精霊たちはその長きに渡る年月と共に自我を芽生えさせ、それぞれが個性を手に入れることになる。
勿論、竜殺しの武器の全てがおかしくなっている訳ではない。
だが、明らかに歪んだ自我を持つ武器たちが多くなり、武器に宿る精霊たちが安全装置としての役割を全うしないものが増えてきた。
――愛する者、ただ一人のための武器であろうとした。
――強者との殺し合いを楽しむようになった。
――長い戦いに疲れ、無気力になった。
――使い手の破滅する様を見たくなった。
使い手の影響か、周辺の環境か、いくつかの武器は強い自我を手に入れた。
ミューラン王国に所有されていた竜殺しの武器もその一つだった。
竜殺しの大剣グリミナ。
その竜殺し武器は愛した者たちの仇を取るために狂った。
そして、その末路は竜に己の限界以上の力を貸したことによる自己崩壊。
剣の竜と竜殺しによる殺し合いの決着も見届け、この竜殺しの武器は人知れずその意識を散らそうとしていた。
その刃は欠けており、亀裂も数カ所入っている。
もう剣としての復活は見込めない。
そもそも宿っている魂がもう既に限界であった。
感情を表に出せず、涙を流すことも出来ないグリミナは、雨に打たれながら己の最後を自覚する。
自我を手に入れてしまったことを後悔しながら朽ちるのみだった。
『ワタシは成長するべきではなかった』
『経験は、思考は、甘美に思えてその実は我が身を蝕む毒だった』
『ああ、生涯無知であるならば――こんなにも苦しまなかったのに』
『こんなことなら昆虫にでも生まれた方が幸せだった』
『でも、尊いものを良いと感じてしまった』
『母性のような愛を知ってしまった』
『大事なものができてしまった』
思っていたよりもずっと世界は残酷だったから。
だから、竜殺しの武器は狂うしかなかった。
***
灰色の雲で覆われている薄暗い空。
そこに雨が降ってきた。
その勢いは次第に強まる。
俺の顔面にも雨は当たり続けているはずなのに全く感触がない。
砦の屋上に次々と当たる雨粒の音は聞こえている筈なのに。
「ケイゴ君、終わったの?」
すると、今まで事の成り行きを見守っていたエレナが戦いの終わりを察して、こちらにやって来る。
いつも凜々しい表情しか見せないエレナの顔が、何故か若干泣きそうな顔をしているように思えた。
ただ、視界がぼやけているし、頭も全く働いていないから、自分でも確証を得られない。
とりあえず返事はしないといけない。
俺は状況を確認するために、辺りを見回す。
剣の竜ダインレイスは俺の傍で倒れたまま動かない。
竜殺しの大剣グリミナはかなり損傷した姿で、雨に打たれ続けている。
そこで俺は改めて実感した。
「ああ、終わったみたいだ」
俺は何とかその言葉を捻りだした。
何かもう精も根も尽き果てた感じで、俺は気の利いた返事も出ない。
ガルティの盾であるゼブレル。
リーナの剣であるギリエル。
こいつらも床に転がったままだから回収しなきゃいけないはずなのに、もう行動しようという気が起きない。
そんな燃えカスみたいになっている俺に、エレナは真っ正面から真剣な眼差しを向けてくる。
「ごめんなさい。私、あなたに謝らなければいけないことがある」
エレナが俺に謝ること?
何かあったか?
こんなことを唐突に言われて俺も困惑する。
「セリアさんがあんなことになってしまったのは私の所為。私がケイゴ君に頼まれていたはずなのに、彼女から目を離してしまったから――」
そっか、そうだった。
そこで思い出した。
俺は戦いに夢中になりすぎて、彼女の存在を忘れていた。
セリアさん、死んでしまった。
俺がここに来た時には既に亡くなっていたんだ。
エレナは申し訳なさそうに俺に謝ってきたが――悪いのは俺だ。
「違う。悪いのは俺だ。俺がここに来るのが遅れたから。俺が来たときにはもうセリアさんは死んでいた。エレナは関係無い」
俺がもたもたしていたから、俺が弱かったから、こんな結果になったんだ。
決してエレナが謝ることじゃない。
そもそも戦う術を持たないエレナが、こんな戦場の奥まで来ていることがおかしいのだ。
逆に俺がエレナに無理をさせた、彼女に危ない行為をさせたんだ。
「いえ、私はあなたに頼まれたのに――全う出来なかった」
「今思うと冷静じゃなかった。エレナに無茶なお願いをしていた。それにエレナがガルティたちから竜殺し武器を持ってきてなかったら、俺は確実に死んでいた」
それでもエレナは納得していないようだった。
だけどもう、俺としては十分だった。
「だから、俺から感謝することはあっても、エレナに謝られることは何もない」
そう言って俺は重かった足を動かし、エレナの横を通り過ぎる。
そのままセリアさんの死体に向かう。
死体は雨で濡れていた。
彼女の死体から出ていた大量の血が、雨で流され床に広がっている。
俺がそんな彼女の死体に触れようとした――その時だった。
「ケイゴ君、竜が――」
背後にいたエレナの指摘で俺も気づいた。
死んだと思っていたダインレイスがまだ生きていたのだ。
ただ、竜は再び俺に敵対する訳でもなく、立ち上がった訳でもない。
奴は床を這いずるように、少しずつ移動していた。
苦しそうに呼吸を繰り返しながらも体を動かす。
俺たちから離れるように反対方向へと向かっている。
「大丈夫だ、エレナ――奴はもう死んでる」
ダインレイスはもう助からない。
あの竜は俺たちから逃げようなんて気もない。
それ以前にあの竜はもう死を受け入れている。
「もう、そいつはいいんだ」
竜は胸元から流れる血を引き延ばしながら動く。
残る力を振り絞るように、苦しそうに移動していた。
そこまでして、最後に竜は求めていた。
雨に濡れながらも、竜は進む。
奴が目指している先はわかっている。
俺が助けられなかった――自殺してしまったミューラン王国の少女。
どのような経緯でああなってしまったのか、俺は知らない。
ただ、ダインレイスがあの少女の死を見て、絶望したのは理解している。
きっと奴にとって、あの少女はとても大事な存在だった。
自分を犠牲にしても守りたかったように思える。
そんな竜の最後の願望。
――最後に近くにいたい。
――最後に出来るだけ近くで見たい。
――最後に出来れば触れていたい。
純粋な動物が、本能で行動するように。
最愛の者へと向かっていた。
俺も、エレナも、黙って竜の動向を見守る。
妨害もしなければ、手助けもしない。
ただ見守るだけだ。
竜の動きは徐々に遅くなっていた。
命が消える寸前なのがわかる。
それでも奴は怪我だらけの体で懸命に前へと進む。
少女の亡骸のみを目指して。
這って動くのも限界のようだった。
腕も上がらなくなっている。
それでも気づけば、後もう少しというところまで来ていた。
竜は震える手を少女の亡骸に伸ばす。
最後に触れたい。
大事な人に届きたい。
感情が見える。
そして、あとほんの僅かというところで――その手は動かない。
剣の竜はもう二度と動かなかった。
――雨が降っていた。
――不思議と雨音しか聞こえない。
――世界がまるで止まったようで。
――俺もエレナもしばらくそこから動けなかった。




