第五十五話 消耗の末に
「ほいほいーっと」
大トカゲの背中に飛び乗った魔術師は左手を大きく振り、魔術で生成した黒い水滴を周囲に振りまいた。
火消しの聖水により薄っすらと霧が掛かっていた視界が、更に濃い黒い煙幕で覆われていく。
「くっ。目眩まし、ごときで――」
精神が限界に近いロイは何とか魔術の光球を一つ生成。
大トカゲの上にいる魔術師を狙い撃ちしようとするが、すぐに広がった黒い霧でその姿が消えてしまう。
――大トカゲが外側に移動している?
――火消しの聖水が撒かれたから一度ここから離脱するのか。
大トカゲの足音が徐々に離れて行っていることから、ロイは魔術師がこの場から離脱しようとしているのだと予想した。
あの魔術師も大トカゲという足を手に入れたなら、炎の魔術を掻き消される火消しの聖水を嫌って移動するのも当然だろう。
ロイは大トカゲの足音で大体の位置を把握、そのあと魔術師が乗っている辺りの目測をつけて魔術の光球を発射。
だが所詮は当てずっぽうに近い攻撃。
ロイはなんとなくだが命中しなかったのを感じた。
そして、更に加速する大トカゲの移動、その存在感は大きな足音と共に消えた。
「おい、逃げられぞ! 追え、追え、逃がすな!」
「それよりも一回冷静になれ、状況確認だ」
「負傷者もいるんだぞ! そう簡単に追えるかよ!」
周囲の兵士たちも大トカゲに乗った魔術師が逃げたのは理解したが、この後どうすればいいのかわからず、様々な声が飛び交う。
煙幕で周囲が確認出来きず、多くの者が冷静さを欠いているようにも思える。
だが、この中で彼女だけは冷静に、確信を得て――叫ぶ。
「っく、皆さん。気を、付けて――ください! 来ます!」
すると黒い煙幕の向こうから、大声で叫ぶファリスの声が聞こえた。
彼女もだいぶ魔術を使っているのか、声から疲労感が滲み出る。
「あのトカゲ――目玉が見えなかったの、考えると。視覚に頼らないかも知れない! 今の状況は厄介です!」
同時に再び聞こえてきた大トカゲの足音。
逃げたと思わせて戻って来たのだ。
巨体が近付いてきているのがわかる。
そしてロイはファリスの言いたいことを理解した。
あの大トカゲは目玉らしい目玉を備えていなかった。
つまり視覚を頼りに動いている可能性はかなり少ないと思われる。
そうなるとあの大トカゲが匂いなのか音なのか、何を判別して動いているかはわからないが少なくとも――視界の遮られる煙幕の中では奴の独壇場となる。
「助けてくれ! トカゲが!」
大トカゲが咆哮を上げながら、一方的に兵士たちを襲い始めたのだろう。
周囲から幾つも叫び声が響き、混乱が窺える。
何も見えない周囲から、あのどうしようも出来ない巨大な化け物が襲いかかってくるのだ。
恐怖以外の何物でもない。
「逃げて――ください! 行きます! 自分が、仕留めます――」
ロイは意識が飛びそうな中、大声で叫ぶ。
周りの兵士たちに逃げるように呼び掛ける。
大トカゲに有効な魔力剣を使える自分がなんとかしなければならないと――自分が率先して動かないと――自分が味方を助けないと。
倒れそうな状況の中、ロイは必死だった。
自分が大トカゲを倒さないと、その間に味方が死んでいく。
剣がトカゲの首に刺さったままなのを忘れ、とにかくロイは何とかしようと思っていた。
なんとかしないと。
その一心でロイは動こうとして――。
「――えっ?」
ドン――とロイは何かに強く押された。
ロイが体勢を崩し、倒れながらも確認する。
同じ王族親衛隊の斧使いがその体でロイに体当たりをしたのがわかった。
更にいつの間にかあの魔術師がいて、赤い魔力剣を振り下ろし――それが斧使いの体を大きく切り裂いているのもわかった。
――何で押された?
――何で魔術師がここにいる?
――トカゲの背中にいたんじゃ。
――逃げたと思わせて、すぐに降りていた?
――庇われた?
――あの人、仲間なんですよ。
――あれじゃ、死んじゃいます。
――あれは助からない斬られ方じゃ。
「ガキが、不用意に声を出すんじゃない」
今までの飄々とした口調はそこにはない。
そう言いながら斧使いは倒れた。
***
魔術師オゼロンは自ら作った煙幕の直後、魔術による攻撃を受け大体の方角は把握していた。
攻撃してきたのはあの王族親衛隊の魔術使い。
――今なら逃げたんだと思わせられるんじゃね?
そうした安易な思いつきが浮かび上がったオゼロンは即座に実行、せっかく乗ったハヌマヌト・サラマンダの背中から飛び降りた。
そして高位召喚術の恩恵により、言葉を発しなくても命令できるオゼロンは一度大トカゲを逃げるように見せかけ、再度敵陣へと突っ込ませた。
視覚に頼らず音の反響で周囲を認識し、獲物を狩ると言われているハヌマヌト・サラマンダとオゼロンの煙幕魔術の相性は実に噛み合っていた。
更にいつもならこの煙幕の中で暴れる大トカゲごと敵を炎の魔術で焼き払うことが可能なため、オゼロンとハヌマヌト・サラマンダの組み合わせは奇襲などで使われた場合、ほぼ対処が不可能なほど凶悪だった。
だが、そんなオゼロンの不運は今回の敵の中に対竜装備を持つルハナ騎士団がいたこと。
そして彼らの所持品に炎を掻き消す聖水があったこと。
普段ならハヌマヌト・サラマンダの背中に乗りながら、火球を放ち続けるだけでもよかったのだが聖水のせいでそれができない。
敵に高度な魔術師もいるので、トカゲの背中に居続けていてもいずれ的になる。
これらの理由によりオゼロンは本来の力を十分に発揮することができなくなっていた。
その為、身の危険を増やす近接戦闘が必然的に増えた。
だからオゼロンは煙幕の中、王族新鋭隊の魔術使いに近づいてゆく。
そして不要に声を上げたその背中を狙ったのだ。
「ガキが、不用意に声を出すんじゃない」
そこで――あの王族親衛隊の斧使いが割って入ってきた。
オゼロンの赤い魔力剣は本来狙っていた魔術使いでなく、予想外にも斧使いの体を斬り裂いた。
「あらまー、何か馬鹿なことやってんねー」
それはオゼロンからすれば理解不能な行動だった。
魔術の連続使用で限界に近いあの魔術使いと、片腕を失ってはいるがまだ全然動けたであろう斧使い。
どちらを残すべきかは明白だった。
戦いに勝ちにいくなら本来すべきではない行動。
オゼロンから見るとただの馬鹿だ。
「あー、萎えたわー。変なところで私情出しやがって。くーだらね」
今まで王族親衛隊を評価していたオゼロンもこれには思わず落胆する。
そのまま霧の効果で消されてしまった魔力剣の代わりとして、新しく黒い硬石を作り出す。
魔術――ボルボバの火炎玉。
その頃合いと同時にオゼロンの魔術で作っていた黒い霧も晴れてきていた。
「そう思わないか? ――ガキぃ?」
オゼロンはたった今、仲間に救われたばかりの王族親衛隊の魔術使い――の少年に語り掛けた。
視界を覆っていた黒い霧がほぼ無くなりつつあり、その姿がよく見える。
なんとか立ち上がり、ふらつきながら体勢を保つ。
魔術の使いすぎで鼻血を出し、全身ボロボロ、もはや気力だけで立っていると言ってもいいだろう。
そして――その顔は敵意満々、戦意は一切削がれていない。
「んー、気張るねぇ。でもな、気力だけじゃ殺し合いには勝てねぇよ!」
オゼロンはそれが真理だと叫ぶ。
左手の平に追従するように浮かんでいる黒い硬石――ボルボバの火炎玉を振り上げた。
基本的には黒い硬石を飛ばし爆発させる魔術だが――オゼロンは手の平に追従する特製を応用し、近接戦における打撃武器としても使用していた。
手の振りに合わせて、黒い硬石も同時に動く。
それでオゼロンは魔術使いの少年を殴り殺そうとして――。
同時に、やはり限界が近かったのか魔術使いの少年の体は崩れる。
立っているだけでもやっとだったと、少年は前のめりに倒れ――。
その背後には――少し小さいが、白い魔術の光球。
それは王族親衛隊の副隊長という立場を背負う彼の悪あがき。
倒れたと同時に、少年の背後にあったその魔術が――オゼロンを貫くために射出された。
「だから――」
それを見てオゼロンは――何も驚きはしない。
「――気力だけじゃ無理だって言っただろう?」
不意討ちとも言える少年の魔術をオゼロンは普通に避けた。
擦ることもなく白い閃光が後方へ飛んで行く。
もっと格下の者だったら当たっていた可能性もあるだろう。
だが、オゼロンはこの王族親衛隊の少年がまだ何かやってくるだろう――いうという確信があった。
今までの戦闘からこの少年の人間性は知っている。
諦めず最後まで食らい付いてくることは明白だった。
加えて、自身の背後に魔術の光球を隠し不意討ちをする行為は既に見ている。
同じ戦法が何度も通じるほどオゼロンは甘くない。
そして、こうなったら最後。
魔術師は倒れたまま動かなくなった少年の頭を、左手に追従する硬石で粉砕するだけだ。
「――って邪魔するなよ! 嬢ちゃん!」
そこへ雷を使う女魔術師が一気に近寄ってきた。
彼女は手持ちのダガーから延長させた魔力剣を振るう。
しかし、それもオゼロンは難なく避けた。
正直、最初に戦った時よりもずっと動きが悪いのだ。
彼女もまたその鼻から血を垂れ流す。
魔術使いの少年ほどではないだろうが、同じように限界が近付いてきているのだろう。
「終わったわ。おっさんまでやられてるじゃねーか。無理無理、もう勝てない。あんあなでっけートカゲもいるのにどうしろって。悪いな副長、俺もうさすがに退散するぜ。これ以上はどう足搔いても勝てないからな。俺は悪くないから、化け物みたいな奴相手にここまでやったんだ。俺は悪くないからなー」
そして、今の現状を垣間見た王族親衛隊の弓使いは、武器である短刀をその場に捨て、恥も外聞も無いとばかりに逃げ出した。
仲間である女魔術師がオゼロンと戦っていても関係無い。
向こうで仲間たちが大トカゲ相手に苦戦していても関係無い。
同じ仲間である王族親衛隊の二人をもう駄目だと判断し、これが最善であると彼は森の中へと消えていった。
「おやおや、おたくのお仲間さん薄情だねー」
オゼロンは煽るように、女魔術師へと語り掛ける。
だが、それでも彼女の表情は変わらない。
その動きから揺らぎも感じられない。
彼女は淡々とオゼロンを殺しに来る。
「おん。魔術師向けの良い精神だ。嫌いじゃないぜー」
そう言いながらオゼロンも黒い硬石を振り回し、互いに攻防を繰り返す。
その最中、彼の脳内に声が届いた。
『オゼロン――お構いなしに魔力を消費している辺り、厳しそうだな』
それはオゼロンのボスであり、契約している竜。
千里眼の竜パルムーンからの言葉。
オゼロンは女魔術師との戦いの最中、同じように脳内でパルムーンに向かって言葉を返す。
『ボス、体調は良いのか?』
『すこぶる悪いね。頭が痛い。正直なところこの会話だけもどれだけ続けられるか。だが、君の危機だというのに寝ている訳にもいかないだろう』
病におかされているパルムーンは、体の調子が著しく悪い。
最近は一度睡眠を取ってしまうと数日目覚めないこともあるぐらいだ。
『私も見通しが甘かった。ジグオールを助けに出しておけば大丈夫だと思っていたが、今の彼は王族親衛隊の隊長と交戦中だ。さすがの彼もガルヴァン王国の筆頭騎士相手だとそう簡単にいかないらしい』
『王族親衛隊の隊長――予想通りジグオールの野郎とやり合ってたか。つーか、ジグオールの野郎がいなかったら、なぶり殺しにされてたなぁ俺――』
オゼロンは女魔術師の攻撃を捌きつつ、やはりあのジグオールが助けに来ていると知って悲しくなった。
しかもジグオールと単身でやりあっているという王族新鋭隊の隊長。
そんな者が今の戦闘に加わっていたのなら、間違いなくオゼロンは殺されていると察し――更に悲しみが押し寄せた。
魔術師はまだまだ自分は未熟な身だと、思いを噛み締める。
そしてパルムーンもオゼロンの言葉に頷いた。
『だろうな。君も敵戦力を三十人以上は殺しているはずだが、それでもこちらで見る限り敵の戦力はようやく半分程度削れたぐらいだ。なんなら今も増援が来ている。もっと増えるぞ。だいぶ疲労が溜まっているのを考えると、もう撤退するべきだな』
『確かに、俺もだいぶ疲労してきた感はあるからな。半分ぐらいは魔力を使ったか? そろそろやばいかー?』
『君自覚がないのかい? 鼻血、出始めているぞ』
『うおえ、マジですか?』
オゼロンは脳内でパルムーンとそんな会話をしながらも、片手間に女魔術師を蹴り飛ばす。
彼女はそのまま地面を転がると動かなくなった。
『ボスー、俺もうちょっと戦えますよー。平気、平気――』
『半分は甘く見過ぎだ。オゼロン、君のその見立ては自分の精神疲労を甘く見ている。私の見立てでは君は六、七割の力を使っていると見て良い。――つまりはもう潮時だよ』
『潮時って、まだ俺の傍にはあの頼れる頼れるトカゲちゃんもいますよー』
『もう一つ大事なことを伝えていなかったが――竜殺しの盾の使い手が今こちらに接近しつつある』
『ええっ、竜殺しの盾の使い手? 何んだそれ?』
オゼロンは普通に驚いた。
敵が自分を相手にしながらも、まだ戦力の温存をしていたという事実。
『竜殺しの武器は人間相手だと武器に宿っている精霊に力を制限されて十分な力を発揮できない。ただ、大きいだけのトカゲなんかはその制限の対象外となる』
『つまり、どゆこと?』
『オゼロン、君がその竜殺しの武器の使い手と一対一で戦えばまず負けることはないだろう。だが、あの大トカゲは絶対に勝てない。絶対に殺される。だから、あの大トカゲはもう戦力として長くない』
オゼロンはここでようやく知ることとなる。
己は思っていたよりも追い詰められていたということに。
『すまない、オゼロン。私の千里眼での手助けも、助言もここまでだ。竜殺しの盾の使い手――来るぞ。今すぐ逃げろ』
そこでパルムーンの言葉は完全に途絶えた。
少し離れたところでは、紫鎧の騎士や数人の兵士たちがハヌマヌト・サラマンダを相手に戦っている。
そんな中、森の中からひょっこりと一人の騎士が姿を現した。
それは非常に顔立ちの整った金髪の男。
いかにも誠実そうな風貌をしている。
そしてその手には、明らかに特殊な力が宿っていそうな盾がある。
盾に描かれている紋章が――まるで意志を持つように動いているのだ。
「あいつか――」
オゼロンはすぐにあの男が竜殺しの盾の使い手だと理解した。
そして、今まで凶器として使っていた黒い硬石を、その騎士の方へと向ける。
魔術――ボルボバの火炎玉。
黒い硬石が高速で射出された。
竜殺しの盾の使い手は即座に反応し、それを盾で受け止める。
そこでオゼロンは驚愕する。
「なんだ、あれは?」
オゼロンからすると盾で防がれるのはまだ想定内だ。
だが、本来なら幾ら盾で防ごうとも、高速でぶち当たった衝撃で体勢が崩れたり、盾が弾かれたりたりするものだ。
しかし、盾の位置も、その使い手である騎士も全く動いていない。
全ての衝撃がなかったかのようにそこにいた。
「この黒い石、魔術か?」
だが、当の盾の騎士はのんびりとした口調だった。
盾に弾かれ地面に落ちたオゼロンの黒い硬石を不思議そうな瞳で見つめている。
そこで更にオゼロンはその黒い硬石を爆発させた。
あの近距離なら逃げられない。
例え盾があったとしても盾ごときじゃ、全ての爆風は防げない。
運良く生きていたとしても、耳が使えなくなる。
それがオゼロンの想定だった。
そして、それがすぐに甘えた想像だと思い知らされる。
竜殺しの盾の表面から光の壁が発生し、使い手である騎士を守る光景を見てしまったのだから。
「――無理だな」
オゼロンは既に逃げ出していた。
相手は竜を殺す――竜殺しの盾の使い手。
つまりは強力な竜の攻撃を捌くほどの防御力を有しているということ。
普段のオゼロンならいざしらず、火を消す霧によって強力な炎の魔術が使えない今の状況ではとてもじゃないが戦える相手ではなかった。
オゼロンは――逃げる。
対して、竜殺しの盾の使い手は彼を追うことはしない。
逃げるのならそれで良いと、あの騎士は魔術師に興味を示さない。
兵士たち相手に暴れている巨大な大トカゲ。
竜殺しの盾の使い手は、その巨大生物に淡々と歩み寄っていた。




