第十六話 ファリス先生
「えっと、それじゃあ失礼します――」
先頭にはセリアさんとリチュオン。
その二人の後に続いて俺も部屋に入った。
俺たち三人が入ったのはファリスさんが管理する図書館のとある一室。
そこは訓練に来た魔術師見習いたちが座学をするための部屋だ。
昨日セリアさんが掃除をしていて、俺も手伝ったので完璧綺麗になっている。
手際が物凄く良いですね、とセリアさんに褒められた。
これに関しては徹底的な掃除スキルを叩き込んでくれたエレナに感謝するしかない。
この部屋には何人もまとめて座る長机が横に並んでおり、そこに生徒さんが一人一人席についていた。
男女合わせて十名、魔法学校の物と思われる制服を着ている。
全員が十代だと思われる少年少女だ。
そして彼らの目の前には、見た目可愛らしい二人の講師が並んでいた。
一人は俺の先生でもある魔術師ファリス。
もう一人は、記憶にないがお世話になったらしい神官のクラリスだ。
ファリスたちは早々に自己紹介などをするために生徒を集めた。
更にここを管理するセリアさん、とある理由から部外者であるはずの俺とリチュオンまで呼ばれていた。
「それでは改めて自己紹介をさせていただきます。今回皆さんの講師を務めさせていただきます、ファリスです。魔術の歴としては十六年程度、魔術師として戦場に出ているのは八年ぐらいになります。無詠唱で行使できるぐらい得意なのが雷関連の魔術。他に魔術は色々と使えますが変わり種が多く、その辺りは詠唱しないと実行できない腕前です。学派にも特にこだわりはないです。よろしくお願いします」
最初に挨拶をしたのは、ファリスだ。
彼女は冷静かつ淡々とした口調で自己紹介をした。
「同じくファリスさんと一緒に講師をさせていただくクラリスです。えーっと、本職は神官をやっています。私が行えるのは主にクエンスリー学派の治癒魔術だけになるので、それほど魔術に関しては教えられることがないと思います。なので、そうですねー。講師と言うより、皆様が命に関わるぐらい危険なケガなどをされた場合に対処できるようにといった立場です。あと、いざというとき棒きれでも戦えるように杖術を教えるというのもあるので、その際は皆さんよろしくお願いします」
そして神官であるクラリスさんも自己紹介をする。
彼女はファリスと違ってかなり可愛らしい口調だった。
だが、自己紹介の中で物騒なことを言っているのを考えると、この人もファリスと同じタイプの人間である可能性が浮上する。
「あと後の三人もお願いします。今後は時々あの三人も君たちの訓練に関わることもあるので――」
すると、ファリスは次に視線を俺とリチュオンとセリアさんに向けた。
そうなのだ。
今、ファリスが言った通り。
良くわからないうちに俺やリチュオンも手伝う事になったのだ。
「この図書館の司書をさせて頂いてます、セリアです。この図書館では魔術についての本が沢山置いてありますので、探したい本があれば私や他の司書官に聞いていただければお手伝いさせていただきます」
「リチュオンと申します。よくわかりませんが、可能なことなら手伝います」
「えっと、あの、俺は何て自己紹介すればいいんだ? えー、ケイゴと申します。ここには修行で来てます。何かあれば手伝いますのでよろしくお願いします」
こうして俺たちも自己紹介を終えた。
まさか、こんなことになるとは――だが、なってしまったものは仕方がない。
本当は嫌なんですが、出来れば他人と関わりたくないんだけど仕方ない。
「セリアさんはここの司書官ですし、リチュオンは剣の達人。あのケイゴ至っては竜殺しで、今後の皆さんにとって大変参考になる人間ですので――そうですね、仲良くしてください」
すると、ファリスの奴がとんでもないことをさらっと口にした。
「ちょ、おまえ、バカ。俺が竜殺しだってバラすなよ!」
「大丈夫ですよ、どうせいずれバレたましたから。あと、もっとケイゴは堂々としていた方がいいですよ」
「ふざけんな、おまえ――」
俺がそう言って悪態つく。
しかし、案の定――生徒さんたちが静かにだが騒ぎ出した。
ヒソヒソ話みたいなのが聞こえてくる。
ああ、絶対何か言われてるじゃん。
こういう雰囲気が俺は嫌だから関わりたくないんだけど――。
俺がこうやってモヤモヤしている間に、今度は生徒さんたちが自己紹介をしてゆき、滞りなく全員の番が終わった。
気の強そうな男の子だったり、なんかアホそうな女の子だったり、中性的でクールそうな子? と様々なタイプの子がいた。
「それじゃあ、各々自己紹介が終わったところで今度は――まあ、何か質問があったら言ってください。別に魔術に関する事じゃなくてもいいです。答えられる範囲なら答えますよ」
そう言って今度は質問タイムに入った。
ファリスは生徒たちに問いかける。
すると、気の強そうな男の子が躊躇なく真っ先に手を上げた。
「ウインズ君でしたね。ぞうぞ――」
どうぞ――とファリスが言うと、そのウインズと呼ばれた男の子は口を開いた。
「すみません、正直今回の訓練は戦場に出る魔術師の実戦を想定してって言う話だったんですけど。ファリス先生って女で、しかも小さいですけど――強いんですか?」
学生のウインズ君がとんでもない事を聞いてきた!
いや、あの見た目だからそう思いたくなるのもわかるがファリスは――メチャクチャ強ぇよ!
あんま失礼なこと言うなよ、少年。
ファリスは見た目ああだが、中身はゴリラだぞ。
頭良くて、冷静かつ凶暴なゴリラ。
俺がどこかハラハラしながら様子と見守る。
だが、ファリスは質問に涼しい顔で即答した。
「強さですか。普通ぐらいじゃないですか? ――他に質問は?」
「はい! はい! 次、私質問いいですか! はい! はい! はーい!」
次に元気よく手を上げたのはショートカットの髪をした元気いっぱいで、言っちゃ悪いがどこかアホそうな子だった。
何故か立ち上がっているし。
その大きな声によってファリスの視線が当然向いた。
「はい、ラティさん。どうぞ」
「ファリス先生、あのケイゴって人、竜殺しとか言ってたし、もしかしてあの――この前の凄い強い竜と戦ったっていう噂の人ですか? だとしたら凄い人で、凄い有名人じゃないですか! どういう関係なんですか?」
おいおい、どんな質問してくんだよ!
あのラティとかいう女の子、それ俺にも関わってくる話じゃん――マジで止めてください。
気が休まらない俺と違って、この質問もファリスは冷静に受け止めているようだった。
少し考えて彼女は答える。
「関係、ですか? そうですね、ケイゴは言うなれば一緒の所に住んでる同居人? ですかね」
「一緒に住んでる? ええっ、それって同棲ですか?」
「まあ、そういうことです」
「キャー、そうなんですか。もしかして、実は彼氏さんとかですか?」
「違いますね。ただ住んでいるところが一緒なだけです。そんなこと言ったらあそこにいるリチュオンもケイゴの彼氏になりますよ」
「え? あのリチュオンさんも同棲してるんですか?」
「この前も彼女と一緒にケイゴの部屋で寝てましたから――」
ちょっと、ちょっと、ちょっと、ちょっと!
まて、まて、まて、まて!
話の展開がヤバ過ぎんだが!
絶対におかしいだけど!
ファリスの言ってる事は本当なんだけど、色々と誤解を生みそうな感じ!
現に、セリアさんが微妙な表情で俺のことみてるし!
クラリスさんは笑顔のまま固まってるし!
学生さんたちの視線が痛いし!
このままじゃ俺の印象がヤバい。
とりあえず、誤解を解かないと――。
俺がそう思い始めると、ラティさんの隣にいたウインズ君が彼女の服の端を引っ張った。
「おい、ラティ止めとけって。あいつが本物なら、女ったらしの奴で有名な奴だぞ。あんまり細かい事聞こうとするな」
「え? そうなの? あのお兄さんって女好きなの? なんか見た感じの印象と違うけど?」
駄目だ、すでに悪い印象が出来上がっていた。
俺はもう黙っている事が耐えられなくなり思わず立ち上がった。
もう弁明せずにはいられないのだ。
「とりあえず誤解しているみたいだから言うけど、俺もファリスも住んでいるところは宿屋の一室で、用心棒的な代わりに部屋を借りてるだけだから。それ以外に他意はない。それに俺のベッドで寝てたっていうけど、その時の俺は自分の部屋から追い出されて野宿してたんだから。誤解しないでほしい!」
「む、失敬ですね。私は別に追い出した覚えはないですけど。ケイゴさんが勝手に野宿してただけじゃないですか。別に私は同じ部屋で寝てても気にしませんけど」
「リチュオン、とりあえずおまえはその口を閉じてろ。今は一切の心境を口に出さなくていいからな」
ファリスといい、リチュオンといい、俺の周りには無神経な奴が多すぎる。
本当に勘弁してくれ。
このままだと俺、泣くかもしれんぞ、マジで、
ああ、引き籠もりたい。
すると、よくわからないがラティさんが座り、この話が終わった感じになった。
本当に俺、弁明できてるのかね、これ?
だが、生徒から聞こえてくるのは当然ながら良くない印象だった。
「あんな頼りなさそうなのが本当に竜殺しなのか――」
「野宿? なんなのあの人、意味わからないんだが」
ほら、やっぱり印象最悪じゃん。
あー、家に帰りたい。
だが、そこでおもむろに――ファリスが大きなため息をついた。
「ふぅ――そうですね。一応ですが皆さんにはケイゴのことで勘違いしてそうなので、一言だけ付け加えておきます」
すると、何かファリスが俺のことを弁明してくれるようだった。
さすがに見かねて、俺のことを気遣ってくれたのだろう。
「皆さん、ケイゴがナヨナヨしているのは本当ですが、あの姿は――ある意味かなり質が悪いので真に受けないでください。彼、あれでも本質は他人の命令を受け付けない猛獣みたいな人なんで――」
「ファリス、酷すぎない。俺をなんだと思ってるんだよ」
「本当のことですよ。あなたは人が良さそうに見えて、実際優しい人間ですが――攻撃的な部分はある意味私より勝ってますからね。あなたは優しといえば優しい人間ですが、冷酷といえばかなり冷酷な人間ですから。特に出会ったばかりだったり、表面的なことにしか目が向いてない人は、あなたを勘違いするんですよね。まあ、そこら辺はケイゴが悪いんですが」
「はい、そうですか。俺が悪いんですか――もういいよ」
弁明してくれると思ったら、単純な追加攻撃だった。
期待した俺がバカだったよ。
俺はもうむくれて黙ることにした。
そうだよ! どうせ俺が全部悪いんだよ!
「それでは他に、何か質問はありますか?」
そして、何事もなかったかのようにファリスが質問タイムの続きを開始する。
今度は中性的でクールそうな男の子か? 彼が静かに手を上げた。
「エイドです。質問よろしいでしょうか?」
「はい、エイド君どうぞ」
「すみません、実は治癒魔術についての質問なので、クラリス先生にご質問したいのですが?」
すると自分に質問が来るとは思っていなかったのだろう。
クラリスさんは少々驚いているようだった。
「えっ? あっ、私ですか? 私、魔術に関しての知識はそんなにないと思うのですが、それでもよろしければ――答えられることなら答えます」
クラリスの言葉を聞いて、エイド君は落ち着いた声で――ありがとうございます、と言った。
それから彼は早速質問を開始する。
「それでは実は前々から気になっていたことなんですが、治癒魔術による治療を受けすぎると人体に悪い影響を及ぼすという話のことです。魔術を学んでいる者なら当然の知識ですよね。魔術学校の先生が言うには老化が早まるという話なのですが、この話は本当なのでしょうか?」
「あ、それは本当だと思いますよ。昔から言われていることですし。だから治癒魔術は出来る事なら使わないに越した事がない、と私も思っています。よっぽどのことがない限り私も使いません」
「――ちなみになんですが、クラリス先生は治癒魔術を使われ続けると老化しやすいという具体的な理由は知っていますか? もしかして、具体的な事例を見た事があるんですか? どのような検証からそのような症状が出たか知ってるんですか? もしかして昔からそう言われ続けてるから――それだけの理由で、そう言っているだけじゃないんですか?」
「え、それは、確かにその通りですが――」
「それはつまり――クラリス先生も今までそう言われていたから同じように言っているだけで、本当にそんな効果が出るかは知らないってことですか?」
「えっと、それは、そうなりますね――」
見てすぐわかるぐらいクラリスさんが困っているのがわかった。
俺もあれは苦手なタイプだ。
エイド君はもろに正論で殴って来そうな子だなー。
頭良くて弁が立ちそうだし、何か言われたら俺どうしよう――。
そこでクラリスさんがオドオドして困っていると、ファリスが助けに入ったようだった。
ファリスはエイド君相手にいつもの冷静な口調で、クラリスさんの代わりに答えだした。
「その理由ですが――治癒魔術はケガ人の自己治癒能力を強引に活性化させていることが、あまりお勧めできないことが理由の一つです。本来なら自然治癒で治すにこしたことはないのですからね。また、治癒魔術によってケガは治ったとしても、同時に体力はかなり持って行かれますので、疲労感は物凄い事になります。だから、体力が極限にまで低下している人間に治癒魔術を施した場合、ケガは治っても体力がなくなってそのまま死ぬ事もあります。衰弱している幼子や、老人にも考え無しに治癒魔術を行うのは危ない行為です。それに例え健康な成人男性だあっても治癒魔術を連続で使用した場合、筋肉や内臓機能の低下はやはりありますし――それこそ老化も早まります」
「ファリス先生。失礼ですが――その治癒魔術の弊害理由は学校でも今まで何回もやってたことなんで僕もその話自体は知っています」
「そうなんですか? じゃあ、なんで聞いてきたんですか?」
「僕が知りたいのは、その治癒魔術によって起こる弊害が本当のことなのか? もしかしたら偽りの話でないかということです」
「はぁ――それはどういうことですか?」
「何か一説によると、治癒魔術を何回でも使えるようになるとそれに頼りすぎて、無謀な行動が多くなるから、それを抑制するために昔から嘘の話が言われているって――時々、聞くんですよね。そこら辺どうなのかなと? ファリス先生は戦場で魔術を扱うほどの人なんでしょう? それぐらいのことなら知ってるんじゃないですか?」
なるほど――。
どうやらエイド君は治癒魔術によって起こる悪影響が本当かどうか疑問に思っているらしい。
本当は治癒魔術使っても悪いコトなんてないってことか?
むむ、なんで疑ってんだろう?
昔から言われてることなら本当のことじゃないのか?
うーむ、頭の良さそうな子の考えはわからん。
「そうですね――」
そうして、ファリスは少し考えた後――答えた。
「あなたの言う通り治癒魔術に頼りすぎると逆に死にやすくなるので、強調して治癒魔術の悪い部分を言っているのはあると思います。昔はよく、どうせ治癒魔術があるからと捨て身に近い状態で敵へと突っ込んで死ぬ事が多々あったようですし」
「じゃあ、治癒魔術をされることによって起こる悪影響は嘘なんですか?」
「いえ、それもたぶん本当だと思いますよ。私の恩師の――友人ですかね? たしか罪人を数人使って治癒魔術を行使した際に起こる悪影響の実験をしていたと聞いたので――」
「実験――ですか?」
実験という言葉が出てきて、少しばかり生徒さんたちがざわついた。
俺も嫌な予感がしてきた。
見るとクラリスさんも苦笑いしている。
あ、たぶんこの人――これからファリスが言おうとしてること知ってるな。
だが、当然ながらファリスはそんなことお構いなしに話を続ける。
「罪人を死なない程度に傷付けては、治癒の繰り返しをして、治癒魔術を高頻度で使用した場合にどのような反応が出るのか実験したらしいですよ。たしか何人か廃人になったらしいですが、老化の兆候は確認出来たとか? 私も詳しい話は知らないですが、ほぼ本当だと思います」
「ファリス先生、ちょっと待ってください。傷を治癒しては、ケガをさせてを繰り返すんですか? そんなの――拷問と変わらないじゃないですか」
あの冷静そうなエイド君が完全に困惑しているようだった。
まあ、このガルヴァン王国の人たちはなんか拷問アレルギーでもあるんじゃないかってぐらい、拷問嫌ってるからな。
なので、エイド君の反応は至極真っ当なものなのだ。
ちなみに俺も聞いていて気分はあんまり良くない。
しかし、ファリスは特に表情も変えずに言う。
「そうですね。実験といいましたが、やっていることは拷問と称してもなんら変わらないと思いますよ」
「それが本当なら我が国では許されない行為ですよ。例え罪人であっても、この国では拷問は許されないはず――」
「それはそうですね。でもエイド君――そんなこと言っていたら一生わからないですよ。答えを出すなら、それ相応の状況を作って検証するしかないでしょう」
「ですが、そんな――」
「だけど、これが答えです。エイド君は今までどうやって治癒魔術による老化を検証したのか。もしかしたら誰も教えてくれなかったら気になっていたかもしれませんが――きっと先生たちも知らなかったんじゃなくて、教えたくなかっただけでしょう。このことが世の中に広まりすぎると、世間の魔術師の評価がどうなるかわかったものじゃないですからね。無闇に広めたいとは、世間体を気にする魔術師なら思わないでしょう?」
わー、魔術師の悪いところ出てきたー。
これだから魔術師は怖いんだよ。
「あ、ちなみにですが――この話で気後れするようでしたら、魔術師として戦場に出るのは向かないので止めたほうがいいですよ」
そこから更に、ファリスは付け加えてゆく。
「これは私の持論ですが、殺しが上手い魔術師は総じて――冷酷であり、頭がおかしい傾向があります。もし戦場に出た場合、君たちはその凶暴で頭がおかしくて強い魔術師と戦う場面が必然的に出て来るでしょう。その時ある程度、倫理観から外れた事も許容できる精神を持っていないと、大体は相手に飲み込まれて殺されます。だから今のうちに言っておきます――向かないと思うなら、今からでもいいので帰った方が賢明です」
きつい言葉のようだがきっとファリスの言う事は真っ当だろう。
彼女曰く、本当にヤバい魔術師は人間の姿をしているだけの化け物なのだと。
それは俺も昔、身をもって実感しているので否定しない。
「その理屈だと、ファリス先生も頭がおかしい事になりますけど――」
「もしかしたら、そうかも知れませんね。私自身は努力と工夫でなんとか強い人たちに齧り付いているつもりですが」
エイド君に向けて答えたファリスの表情は、微かにだが笑っていた。




