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竜の墓標が朽ちるまで  作者: よしゆき
第二章 最強再来
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第百十七話 最強の出来損ない 対 最強を求めるモノ

 ――瞳の竜パープリーアテントは再び戻って来た。


 竜殺しとの戦いで荒れた大地が広がる。

 前方に小さく見えるのは、宿敵が潜む王都。

 未だ中に入れぬ人間たちの大行列が残っていた。


 微かに薄まってきている夜の闇――もう、夜明けは近い。

 同時に竜の戦いも、終わりが近づいてきていた。


 パープリーアテントにはもう時間がないのだ。

 別の場所に移動させていた目玉の化け物たちが今現在襲われている。

 襲撃者は北地域で戦った下半身が蛇になっている竜だ。

 あの竜がパープリーアテントの残り数百は残っていた配下の目玉のたちを、凄まじい勢いで殺している。


 今襲われている目玉の集団は、最後の保険を作成するための囮とはいえ代償は大きい。

 それにあの下半身が蛇の竜は目玉の化け物たちを殺し終えたら最後、次は直接パープリーアテントを狙いに来るだろう。

 もう今のパープリーアテントにあの竜を相手にするだけの余裕はない。

 瞳の竜は敵がまた増える前に、残りの仕事を終わらせなければならない。


 相棒であるタルスは近隣の森で生きている。

 この距離なら回収は容易だろう。


 後は、邪竜が潜んでいる人間共の巣に強烈な一発入れたいところだが――。

 その前に竜はやることがある。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 竜は吠える。

 吠えて己を奮い動かす。

 おぞましい気配を察知して後方に向き直る。

 竜は王都を背にして、戦闘態勢を整えた。


 本能が恐怖を告げる。

 それは昔、邪竜と対峙した時の感覚を蘇らせる。

 むしろ、今近づいて来ているそれは邪竜を越える化け物になっている可能性もあった。


 敵は――人を超え、竜も超え、未知なる魔力の領域へと足を踏み入れた生き物。

 人の形をした人外。

 人の原型をしているだけの何か。

 とにかく、まともな生き物と形容してはいけないと竜は感じ取ったのだ。


 そして、それは現れた。


 竜殺しは現れた。


 竜を恐怖させる墓標が現れたのだ。


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 高速移動術を使用して現れたのだろう。

 それは突然姿を現したかと思うと、パープリーアテントから百メートル近く離れた所で転倒して地面を擦りながら止まった。

 滑った後には血がずっと続いている。

 擦れた皮膚のところから出血しているのだろう。


 それは恐ろしいまでに神々しい――ゴミクズだった。


 見た目は全身血だらけで土まみれ。

 身なりもボロボロで、もはや浮浪者のようになっている。


 だが、恐ろしい程の魔力を抑えられないのか、体中から漏れている。

 本来、体に秘めている清んだ魔力というのは見えない物なのだが、あの竜殺しから漏れている魔力は濃度が濃すぎるのか可視化されていた。


 虹色のように揺らぐ光のようなものを、あの竜殺しは纏っている。

 本来だったらあり得ない光景。

 竜の中でも魔力量が極めて多いパープリーアテントでも不可能な領域。

 あれほど濃い魔力――もはや毒以外の何者でも無い。

 生命力の強い竜ならともかく、普通の動物や人間があの濃い魔力に近づいたなら恐らく死んでしまうだろう。


 パープリーアテントは試しに一発、魔力閃光を竜殺しへと放った。

 相手は凄まじい魔力を秘めているが、未だ地面に倒れている。

 そのまま殺せればいいと、竜は思ったのだ。


 だが、竜の放った赤い光は――弾け飛んだ。


 パープリーアテントが体にある目玉から撃ち込んだ赤い魔力閃光は、竜殺しに当たる前に霧散する。

 恐らく、虹色に放出されている魔力の層が強すぎて、攻撃が届かないのだ。

 こんなことになるのかと、初めての経験に竜は思わず感心する。


 ――これは無理か。

 ――しかし、もっと強力な魔力閃光なら。

 ――黒い瞳を使えば、あの魔力の層も突破出来るか?


 パープリーアテントは次の手を考えようとする。

 だが、竜殺しは動き出した。


「ア、アア。アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」


 その動きはパープリーアテントが最近何度か襲われた動く死体より酷かった。

 本当に死ぬ寸前の死に損ないが、気力だけで動いている。


 竜殺しは呻き声を上げながら体を起こす。

 手足を奮わせながら、ゆっくりと体を動かす。

 思考がおかしくなっているのか、喉が駄目になっているのかわからないが、もうまともに喋る雰囲気はない。

 それ以前に、まともな呼吸が出来ているかどうかも怪しかった。


 足腰の利かなくなった老人のように、竜殺しは頭を下げながら歩きだす。

 一歩が遅い。

 足取りが重い。

 竜殺しはヨタヨタと二、三歩前へと進む。


 だが、途中で疲れたのか立ち止まる。

 竜殺しはゆっくりと、本当にゆっくりと頭を上げる。

 そして持ち上げた顔から、その目を覗かせた。


 ――殺す。


 その目は――大きく見開き、竜を見ている。


 ――必ず殺す。


 その眼光は――殺意しかなかった。


 ――絶対に殺して、おまえの存在をこの世界から消してやる。


 その瞳は――竜が死ぬことのみを望んでいた。


 圧倒的な魔力を持った死に損ないが、これから竜を襲おうとしている。

 瀕死状態である超越者が、狩る側として竜の命を狙っている。


 パープリーアテントは――思わず嗚咽しそうになった。

 これほどの恐怖久しぶりで、竜の体が拒否反応を起こしている。

 竜の止まるかと思った心臓が、強く高まり警告する。


 しかし、竜はこの恐ろしい化け物から逃げる訳にはいかない。

 瞳の竜パープリーアテントはいつか本物の最強にならなければいけないから。

 それまでは愚かな自尊心を優先させて死ぬつもりは無い。


 だが、目の前の敵は、きっと超えなければならないものなのだ。

 パープリーアテントの本能が求めている。

 本当になりたい自分になるためには、ここで逃げてはいけない。


 自分が理想とする最強になるのなら、戦わなければならない相手なのだと。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 瞳の竜パープリーアテントは雄叫びを上げた。

 自分を奮い立たせるため、恐怖を払いのけるため。

 己の勝利を掴むため――。


 ――勝てる手を考えろ。


 ――黒い瞳は今から出しても、もう遅い。


 ――奴はこの能力をもう知っている。


 ――今更使ったところで、絶対に対処される。


 ――使うなら奴の知らない手段、勝つためにはそれしかない。


 ――タキサイア、あれしかないか。


 ――もう、何百年使ってない?


 ――あの感覚を、今また使いこなすことができるのか?


 ――いいや、迷うことは無意味だ。


 ――使わねば死ぬというのなら、やるしかない。


 そして、竜は体中に存在していた目玉を閉じた。

 あれだけ体中に点在していた目玉が綺麗に消える。

 今付いているのは顔面にある二つの瞳だけ。

 この時だけこの竜はまっとうな姿に近づく。


 この状態で無ければ、竜は己が持つ原初の能力を使用できないからだ。


「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 竜は再び吠えた。

 瞳の竜パープリーアテントは元々、おせじにも強い竜ではなかった。

 体はある程度強い方だったが、今ほど大きくは無かったし、火は吐けないし、空も上手く飛べない。

 体中の目玉に、目玉からなる化け物、強力な黒い瞳も成長の過程で身につけた後天的なものだ。


 しかし、そんなパープリーアテントでも何とか生き長らえてきたのには理由があった。


 最初に発現していたこの能力のおかげだ。

 竜同士による容赦のない生存競争に勝ち残るため、死にたくないと足搔いた末に、磨き続けた最初の武器。


 それは――超感覚により視覚の時間的精度を向上させ、尚且つその一時的に発達した感覚に追随出来るほど身体能力を強化させる能力。


 簡単に言うと、周りの光景が遅くなっているように見え、それに伴い自身の身体能力を大幅に上げるというものだった。


 大昔、異界から来た魔術師も同じような魔術を使っていたらしい。


 だから、パープリーアテントもそれに習って、同じような呼び方をしている。


 その名称を――タキサイア。


 まだ若かったころのパープリーアテントはこのタキサイアを使って敵の攻撃を避けながら接近し、その喉を食い千切って生き延びてきた。


 体中に目玉を発生させ、魔力閃光を放つようになってからは、殆ど使うことの無くなった能力だったが――竜はここで使うべきものだと判断し、四、五百年ぶりにこのタキサイアを発現させようとしていた。


 ――あの竜殺しの状態を見るに、例の再生能力を今も使い続けているのか?


 ――いや、使っているはず。あれは恐らく解除したら死ぬな。


 ――そうなると今現在、あの竜殺しは他の能力を使えないと見ていいだろう。


 ――奴の攻撃方法は恐らく近接のみ。


 ――こちらを殴り殺しに来るしか手はないはず。


 ――だが奴は異常な速度で接近してくる。


 ――今の奴がどれだけの速度でくるのかは、もはや検討も付かない。


 ――タキサイアを使わなければ、まず迎撃できない。


 ――だが、この力は維持できたとしてもおよそ、五秒。


 ――あの竜殺しが仕掛けてきた時か。


 ――いや、仕掛けてくる直前でないと殺される。


 瞳の竜パープリーアテントは竜殺しに向かって迎撃態勢を整えた。

 口を軽く開き、いつでも噛み殺せるように。

 感覚を研ぎ澄ませ、いつでもタキサイアを使えるように。


 ただ、タキサイアの使用時間はおよそ五秒。

 使い方を間違えれば詰んでしまう。

 遅すぎても、早すぎても駄目なのだ。

 敵は最強の竜殺し――実力以上を発揮できなければ死んでしまう。


 ――そしてなにより、忘れるな。

 ――獲物を狩り終えた瞬間が、敵に勝った瞬間こそが、一番危ないのだ。

 ――邪竜での失敗を絶対に忘れるな。


 ――私は強い、そしてより強くなるなら、慢心するな!

 ――勝利に酔って、頭の片隅から慎重さを消し去るな!

 ――私は勝たなくてはならないし、まだ死ねない!


 竜は未知なる強敵に――挑む。

 瞳の竜パープリーアテントの命と魂を掛けた一瞬が始まった。


 ***


 竜墓標の竜殺しは――既に意識が朦朧としていた。


 彼は竜を殺そうとする気概だけで動いている。

 気を抜くと意識が飛んでしまいそうだが、何とか現状を保っている。


 竜への殺意が体を動かす。

 なんとしても竜を殺さなくてはならないと、体が動く。


 そして何より、ケイゴには竜を殺さなくてはならない――使命があった。


 ――ケイゴは、なんとしても竜を殺さなくてはならないのだ。


「アアア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」


 竜殺しは体中に走る激痛に耐えながら、両腕を上げてゆく。


 精神を研ぎ澄まし、手足の震えを無くしてゆく。


 相手は――最強の竜。

 瞳の竜パープリーアテント。


 今までで出会った中で一番の難敵。

 自分の全開を発揮できなければ、実力以上を出せなければ、殺せない。


 それこそ、自分を殺して、身を捨ててまでしないと、殺せない相手なのだ。


「アアアアッ――フッ、ツッ、ツ――」


 そして、竜殺しは無呼吸状態になった。

 体の機能を呼吸に回している余裕はない。

 脳に酸素が行かなくなり死ぬまでに、竜殺しは竜を殺さなくてはならない。


 殺し方は単純に――殴り殺す。


 一番わかりやすいし、純粋に発揮できる力が強力なほど効果が発揮される殺し方だ。


 今の竜殺しなら、あの呆れるくらい頑丈だった爆発する竜ガルゼイドも殴り殺すことが出来る。


「フッ、ッ――」


 竜殺しはなけなしの息を吐くと、目を見開いた。


 竜殺しは――仕掛ける。

 瞳の竜パープリーアテントを今度こそ殺す。


 そして、竜殺しの感覚から色々な物が消えた。


 ――音が消えた。


 誰もいない世界のようで物凄い静かだ。


 ――周りの景色が消えた。


 あの竜の姿しか見えない。


 ――体の痛みや熱さが消えた。


 まるで自身が幽霊になったようだ。


 竜殺しはまるで清んだ水の中にいるような感覚になった。

 今までの痛みや苦しみは一切感じない。

 まるでこの世の全てを悟ったように、ひたすら落ち着いている。


 柔らかな水の中を動くように、静かに。

 これ以上ない最高の環境下で、優雅に過ごしているようで。

 竜殺しの顔は、何故か自然と笑っていた。


『どうせ俺に、次なんてないのかもしれない』


『だから壊すなら、やっぱり頭だ』


『ああ――死ねよ、竜』


 ――高速移動術が発動した。


 その踏み込みは凄まじく、竜殺しのいた地面は炸裂するだろう。


 ほぼ、同時に前方の地面も爆発するだろう。

 竜殺しが跳躍のために、飛んだからだ。


 だが――それらよりも、更に早く竜殺しは標的の前にいた。


 既に目の前には――巨大な竜の顔面。

 竜殺しは本当の一瞬で、もうそこまで移動していた。


 後は、腕も骨も消し飛んで良いぐらい渾身の力で殴るだけだ。

 肉片も残さないほど吹き飛ばして、竜殺しは竜を殺そうとするだけ――。


 だが、竜殺しは――知らない。


 瞳の竜パープリーアテントにはタキサイアという、自身の感覚を加速させる能力を持っていることを知らない。

 この能力を使えば例え敵が高速で接近してこうが、飛翔体を飛ばしてこようが、パープリーアテントは対応できる。


 なんなら馬鹿正直に突っ込んでくるだけの相手なら、負ける要素が無い。

 そう、本来ならパープリーアテントの勝利は揺るがないのだ。


 だが、竜は――知らない。


 この竜殺しの加速が竜の予想を遙かに超える、常識外の速度だということを知らない。


 今の超加速で竜殺しは二つある眼球が潰れ、内蔵も損傷した。

 強化されている竜殺しの体でも無事で済まないほどの高速移動。


 竜殺しは眼球が潰れているが、問題無い。

 最初から感覚で竜の位置を捉えている。

 殴り殺すのに何の支障もない。


 竜殺しは内臓があらかた壊れたが、問題無い。

 竜を殺す間だけ生きていれば良いのだ。

 それに元から死ぬのは想定していた。


 これだけの代償を払った竜殺しの一撃。

 パープリーアテントがタキサイアを使用したとしても、逃れることは叶わない。


 竜殺しが竜を殺して――その後、竜殺しも死ぬ。

 強者同士は最後に相打ちを果たす。

 それで――終わり。

 戦いは終わる。


 ――その筈だった。

 本来だったら、その様になる筈だった。

 だが、強者というのは時に非常に生き汚い。


 竜殺しは――知らない。

 瞳の竜パープリーアテントは覚醒していたのだ。


 ***


 それは竜殺しが高速移動術を駆使して、パープリーアテントを殺そうとする直前――本当に残されていた僅かな時間。


 かつてない極限状態に刺激され、竜の細胞が動き出す。

 竜は進化する生き物だ。

 進化するのは環境に適応するためである。


 そして、パープリーアテントの無意識は予感していたのだろう。

 それは本当に勘のようなものだが、竜は己の死期を察したのだ。


 このままでは――負けるのだと。


 だから、竜の細胞は動き出す。

 今の劣悪な環境を生き残れるように。

 この状況を打破できるように。


 ただ、進化するためには何か刺激が必要だった。

 『無』からは何も学べない。

 『無』からは何も生まれない。


 だが、パープリーアテントは邪竜を倒そうと、この地に来てからずっと戦い続けていた。

 強力な相手と戦い続け、奮闘し続けた。

 痛みを体に刻みながら、経験を蓄積していた。


 今までは強力な攻撃で一方的に敵を殺していたので必要なかったのだ。

 けれど、これまで戦いでこの先強敵に勝っていくのは難しい、今の自分には足りない物があると竜は感じていた。


 その結果を、今までの戦闘の中で――竜の無意識は見つけていたのだ。


 切っ掛けとなったのは、まだまだ足りないと判明した弱い自分。

 そして、拘束する竜レブナグリア。


 得た答えは竜の三大技能――危険察知。


 そして竜は――自ら気づかぬまま覚醒する。

 竜は魔術的な作用によって己の死を察知するようになっていた。


 本来だったら、タキサイアを使用しても捉えられない竜殺しの高速移動。

 だが、危険察知が働いたパープリーアテントは、竜殺しの攻撃してくる瞬間を明確に予測した。


 今までもパープリーアテントは死を予感することはあった。

 けれどそれは、いうなれば剣の達人が長年の修行で培うような直感であり、過信するには頼りない。

 またいつでも発揮できる物でも無い、

 あまりにも不確定で、絶対的な信頼を置く物では無かった。


 もちろん、竜の危険察知能力も万能ではない。

 連続使用や、集中力の低下で精度が落ちることは十分にある。


 ただ、それでも単なる勘に比べれば、その精度は段違いと言っていいだろう。


 しかし、パープリーアテントは危険察知を得たからといって、勝ちが決まった訳ではなかった。

 竜はこの能力を発現させて――ようやく竜殺しに食らい付くことが出来るようになっただけだ。


 ――危険察知が発動された。

 竜は唐突に自分が死ぬのを察する。

 自分の頭が木っ端微塵に砕け飛ぶ。

 あまりにも突然で、初めて受ける異様な感覚。


 だが、そんなことで竜は思考を止めるわけにはいかない。

 次に竜殺しが来る瞬間を察し、対応しなければならない。

 竜は自然とその感覚を受け入れた。


 ――タキサイアを発動させる。

 竜の顔面に付いている二つの瞳が黄金に光る。

 瞳の竜の所以がここにある。


 竜の周りの時間が急激に遅くなる。

 竜以外の全てのものが、鈍化する。


 竜はこれから迫る竜殺しを迎撃しようとする。

 竜殺しは顔面を狙ってくるのがわかった。


 竜は口を開いて、噛み殺す体勢を整える。

 同時に顔を反らして避けるのを考える。


 そうして、パープリーアテントは竜殺しが動き出すのを確認して――。


 ――攻防は一瞬にして終わった。


 パープリーアテントは驚愕する。


 タキサイアを使用しても、まともに竜殺しの姿を捉えられかったからだ。

 あの竜殺しは、全てが遅覚している世界にいたにも関わらず、光のような速度で動いていた。

 恐らく、パープリーアテントはタキサイアを使用していなかったら、何が起こったのかもわからぬまま、頭を潰され絶命していただろう。


 しかし、パープリーアテントは首を動かし、最低限の動きで竜殺しの拳を回避し――尚且つ口の左端に備わっている鋭い歯が何とか間に合い噛みついたのだ。


 竜は微かに見えた視界の一瞬を捉えていた。

 これは例え同じ状況であったとしても、並の竜では出来無い芸当だった。

 能力だけじゃなく、それ相応の反応と判断力がなければ、竜殺しに反撃できなかっただろう。


 噛みつかれた竜殺しは――左半身を失いながら、宙を舞う。

 竜殺しが通った二カ所の地面が爆発し、その後突風が吹き荒れた。


 噛みついた竜は――竜殺しを噛んだ時の衝撃で、首から嫌な音が鳴った。

 左側上下の歯が砕け、歯茎がもげ、最後には左の下顎が吹き飛んだ。

 その後、半分意識が飛びそうになりながらも、竜の巨体が徐々に倒れ始めた。


 パープリーアテントは竜殺しに何とか反撃したものの、気絶寸前で口がグシャグシャになるような痛手を負った。

 だが、竜殺しの上半身もだいぶ引きちぎれており、普通の人間なら死んでいる。


 だからこそ、パープリーアテントは気を緩めない。

 相手はこちらの予想もつかない強さを持つ竜殺し。

 どんなに痛めつけても、死にそうになっても、こちらへの殺意を一切緩めない異常生物。


 相手は――普通じゃないのだ。

 瞳の竜パープリーアテントは、まだ勝った気でいなかった。


 ***


 竜殺しは――もう、自分がどのような状態になっているのかわからなかった。


 両目が潰れていてわからない。

 体の左側の感覚もない。

 口から血が出ているような感覚はあるが、よくわからない。

 もしかしたら、落ちている最中なのかもしれない。


 ただ、わかっているのは――自分が竜を殺せていないことだった。


 殴ったような感触がない。

 拳は空を切ったようにしか思えない。

 むしろ、これは反撃されて失敗したと思っていいだろう。

 竜をまだ殺せてない。

 あの竜をまだ殺せていない。

 自分はまた失敗した。


 ――ああ、くそっ!

 ――ああ、くそがっ!

 ――ああ、くそったれが!

 ――まだだ、生かしてたまるかよ!


 だが、それでも――竜殺しの心はまだ折れていない。


 竜殺しは左半身の感覚が無くなり、左腕が使えないものだと悟った。

 しかし、右腕の感覚はまだ健在だ。


 今の竜殺しは両目が潰れても。

 左半身が無くなっても。

 両足が壊れていて動かなくなっても。


 それでも、右腕一本あれが敵を殺せる。

 まだ竜を殺せる可能性が残されていた。


 ――竜、おまえ。

 ――まだ、そこにいるな。


 現状視力を失っている竜殺しだったが、異様に研ぎ澄まされた感覚で竜の姿を捉えていた。

 その死体同然の体は無惨に宙を舞っているが、そのまま竜殺しは生きている右腕を竜に向けて伸ばした。


 竜が欲しいと――。

 竜の存在が欲しいと――。

 竜の命がどうしても欲しいと――。

 まるで神にでもすがるように、竜殺しは右腕を伸ばす。


 竜殺しは相手を道連れにするつもりだ。

 自分の命を終わらせて、相手の命を奪おうとする。

 なんとしても、どうなっても、竜を殺したいのだ。


 ヴァルファローナ(再生する竜)――解除。


 竜殺しは常に体を再生させていた竜の能力を解除した。

 これですぐに竜殺しは死ぬことになるだろう。

 だが、ただで死ぬ気はない。

 竜殺しは自分が死ぬ前に、竜を殺す気でいる。


 アッド(付加)――オズラフェル(触れぬ竜)


 今ある魔力を限りなく注いで、竜を殺す。

 見えない力を駆使して、竜を潰し殺す。

 この大地に大穴を空けるぐらいの気概で力を放つ、竜を原型のない肉塊に変えるのだ。


 ――今度こそ、終わりだ。


 竜殺しは多くの魔力が右腕に集まって行くのを感じた。


 ――死ねよ、竜!


 今まで渇いていた感覚を、すべてそこにぶつけるように。


 ――くそったれな、俺の命と一緒に朽ちろ!


 死ぬほど大っ嫌いな自分と、これで決別できたと思いながら。


 ――死ね。

 ――死ね。

 ――死ね。

 ――死ね。

 ――死ね。


 ――俺もろとも、死んでしまえ!


 竜殺しは触れぬ竜オズラフェルの力を発動。

 敵を虐殺しようとする不可視の力が、竜の体を襲おうとしたところで――。


 ――弱まったのだ。


 その勢いの渦は止まってしまった。

 竜殺しの力が驚くほど弱まった。


 もちろん、ケイゴは手を抜いていない。

 殺意も覚悟も一切揺らいでいない。


 耐えきれず、力が緩まってしまったのは他の要因。

 過剰に魔力を奪われ続ける状態に耐えられなくなった機能の問題。


 竜殺しであるケイゴよりも先に――。

 彼に宿っていた竜殺しの力の方が、先に根を上げてしまったのだ。


 今のケイゴはもう、体からあの虹色の濃い魔力を放出していない。

 本来あるべき竜殺しの強さに戻ってしまっている。

 だが、それでもケイゴは攻撃の手を止めない。

 すがりつくようにオズラフェルを放って――。


 その瞬間――瞳の竜パープリーアテントの姿が綺麗に消えていた。

 そこに竜の姿は存在しない。


 直後、ケイゴの頭に浮かんだのは、瞳の竜の――瞬間移動能力。

 あの竜は、逃げたのだ。


 逃げられた。

 逃げられた。

 逃げられた。

 逃げられた。

 逃げられた。


 ケイゴはここまできて――竜を殺せなかった。


「あああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 ケイゴの放ったオズラフェルが地面をえぐり、高い土煙を上げた。

 それとは真逆にケイゴが悲痛な叫びを上げながら落ちてゆく。


 ――竜は死体にされ取り込まれる前に、飛び去ってしまった。

 ――後に残るは、死体を取り逃してしまった崩れかけの墓標のみ。

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