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竜の墓標が朽ちるまで  作者: よしゆき
第二章 最強再来
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第八十三話 一方的過ぎる力の差

 それは『彼女』が竜殺しの男と一緒に生活するようになって、しばらくしてからのことだった。

 とある用事で自らの経営する宿屋を数日間空け、外から帰ってきた『彼女』に留守番をしていた竜殺しの男はとても自慢げに言った。


 ――どうよ、これは?

 ――俺としては中々の出来だと思うんだが?


 まるで褒めて欲しいとすり寄ってくる犬のようだった。

 それぐらい竜殺しの男の顔は自慢げだ。

 今まで見たこともないぐらい生き生きとしていた表情だった。


 竜殺しの男が『彼女』に見せたのは――部屋の隅々まで綺麗になっている宿屋だった。


 竜殺しは『彼女』の居ない間に宿屋の掃除をしていたらしい。

 しかも、頼んでもいないのに。


 ――あ、ありがとう。


 この時ばかりは『彼女』も本気で驚いてしまい、普通にお礼を言ってしまった。

 本当に宿屋の中は清掃が行き届いており、『彼女』がここを出る数日前とは見違えるほどに綺麗になっている。

 竜殺しの男が手を抜かず、かなりの時間と労力を掛けて行ったのが一瞬で理解出来るほどだ。


 だが、『彼女』が驚いていたのはその部屋の綺麗さではない。


 竜殺しの男が頼んでもいないのに掃除をしたこと。

 そして、それを自慢げに見せてきたと事に驚いていた。


『彼女』の常識として、基本的に掃除や料理などの家事などは主に女の仕事とされている。

 男は畑で働いたり、山で猟をしたりと、力仕事が主流となる。

 逆に女は他の仕事――掃除や洗濯、料理などをするものとされていた。

 もちろん絶対という訳では無いが、田舎の村などではどこもこのような分担が当たり前だった。


 特に『彼女』の周りにいる戦場に出るような荒っぽい男たちの多くは、掃除などは女がやるべき仕事だと豪語している者もいた。

 掃除などの雑用は戦場に出るような男の仕事ではないと、彼らは口を揃えて言っていた。

 ――だが、そんな男たちよりも明らかに強い竜殺しは、お願いされてもいない部屋の掃除を自ら進んでやっていたのだ。


『彼女』からすれば完全に不意を突かれた行動だが、当の竜殺しからすると何の疑問も持たなかったらしい。

 やはりこの竜殺しの男は世間とかなりズレた思考をしているのだと『彼女』は再認識させられた。


 そして、『彼女』がもっと驚いたのが――。

 その掃除したことを竜殺しが自慢げに見せてきたことだ。


 普段、『彼女』と一緒に暮らしているこの竜殺しは――竜を殺しても自慢しないし、下手をすると話しをすることもない。


 そんな男がどういう訳か嬉々として、部屋の掃除を自慢してきたのだ。

『彼女』は訳がわからなかった。

 逆だったらまだ理解は出来た。

 だが、人々を襲う竜を退治しても報告さえしなことのある男は、部屋の掃除を綺麗に行えたと――まるで子供のようにとても自慢げに言ってきたのだ。


 そして、考えて、考えて、考えて――『彼女』はなんとなく行き着いた。


『彼女』はこのように推測したのだ。

 竜殺しの男にとって、竜を倒したことを褒めて貰うよりも――部屋の掃除を褒められる方が嬉しいのではないかと?

 きっと、自分たちの常識や考え方だとあり得ないが、その竜殺しの価値観ならばそれが成立してしまうのだろうと――。


 だから、『彼女』が理解したのはその時だ。

 その時、『彼女』はこの世界の誰よりも竜殺しの男を理解した。


 この竜殺しの男は本来なら戦場になど、出なくてもよい人間なのだと。

 たぶん、のどかに暮らして静かに年老いていって普通に死ぬ。

 彼はそれで満足できる人間なのだ。


 心躍るような冒険も、人々を引きつけるような英雄譚も――無いなら無いで困らない。

 なんの問題もなく一般人として生きていくことがこの竜殺しには出来る。


 本質的にはどこまでも平凡で、本来ならば勇者や英雄を遠くから眺める一般人。

 それがあの竜殺しの正体なのだと――。


 ***


「あー、駄目だ。思い出しただけで死にたくなってくる!」


 王城内の書庫で一人になっていたエレナは、広げていた本を脇に置くと人知れず叫ぶ。

 そして、少しばかり憤慨した様子で目の前の机に上半身を突っ伏した。

 エレナの頬に机の冷たさが伝わる。

 その状態のまま彼女は呆けたように虚空を眺めた。


「なんで私――あの時、変なこと言いそうになったかな」


 エレナが思い返しているのは、ケイゴが瞳の竜を倒しに行く直前のことだった。

 彼女は戦場に行こうとする彼に思わず言いたくなったのだ。

 それは物凄く血迷った言葉で、エレナ自身なんでそんなことを言いたくなったのかわからない。

 あの時はエレナ自身、気が触れていたとさえ思っている。

 下手をすると――多くの者を不幸にする最低の言葉だ。

 きっとバレたら皆から非難を受けるぐらいあり得ない言葉だ。


『――逃げたかったら、逃げてもいいんじゃない?』


 彼女はこんな言葉をケイゴに投げかけようとした。

 瞳の竜を退治しに行こうとする竜殺しに、そんな馬鹿げた事を言おうとした。

 危うく喉まで出かかった。


 ケイゴに竜を倒して貰わないと沢山の人が困るのだ。

 それを遮ろうとするなど謀反者と言われてもおかしくない。

 頭がおかしいと思われても仕方が無い。


 それにまず、そんなことをすればエレナ自身が困る。

 エレナも多くの者たちと同様に自分の命が大事だ。

 死にたくないし、もちろん助かりたいと思っている。

 それに瞳の竜は自分の母親の仇でもあるし、ケイゴが倒してくれるならばその方が当然嬉しい。


 それに妹のミリアにも絶対に死んで欲しくない。

 エレナは妹が死んでしまったら自分の生きている意味が、半分ぐらいは無くなってしまうと思っている。

 それぐらいミリアのことが大事だった。

 エレナにとってケイゴやファリスは勿論大切な存在だ。

 だが、妹のミリアと比べると、やはり明確に差が出てしまう。

 エレナはケイゴよりミリアの方が大事なのだ。


 ――だからこそ、ケイゴに逃走の選択を勧めようとしたエレナは自分がよくわからなくなっていた。

 今もなんであんなことを言おうとしたのか、頭を悩ませる。


「まあ、言ったとしても何もわからないけど。ケイゴ君、あの意思は絶対に曲げないだろうし――」


  エレナはケイゴのことをなんとなく理解しているつもりだ。

 だから、大体の行動はわかる。


 あの場面でケイゴに逃げることを勧めても、彼は絶対に逃げないだろうと――。

 なんとしても瞳の竜を倒しに行くのだろうと――。

 何故なら――それがケイゴという竜殺しだからだ。


 ケイゴは他人が死の危険に晒される戦いから逃げようとしない。

 正義感――というより責務のようなものに突き動かされて彼は動く。

 あの竜殺しは自分がそうしなければならないと――思って動くのだ。


「でもなんか、不公平な気がしたのよね――」


 そうつぶやいたエレナはそのまま瞳を閉じる。

 働き過ぎた頭を休めるように、そのまま自然に眠りについた。


 ***


 南地域のとある村。

 空には満月が上るぐらいの綺麗な夜だった。


 瞳の竜と戦う為の一行はこの村を拠点にしていた。

 そして、数時間前ここから瞳の竜を倒すために竜殺しケイゴが出発した。

 彼の援護に四騎士のシルヴィスとミレイユが付いていった。


 残りの四騎士であるマリアやリプリス、そして他の人員はこの村に残り、吉報を待つのみとなっていた。

 全身に黒い鎧を纏っている老婆は、今現在戦う力を失っておりそれ以外に出来ることがない。

 ただ待つしかない。


 そんなマリアはまるで暗闇と同化するように村の外れで一人佇んでいた。

 人気の無い場所で、ただ静かに月を見ている。

 黒騎士の老婆は竜殺しが戻ってくるのを待っている。

 しずかにずっと、ただ佇んで待っていると――村の方が騒がしくなったのに気がついた。

 何かしらの動きがあったのだろう。

 マリアは村に戻ることにした。


「――竜殺しが負けました」


 マリアは王都から一緒に来た金髪の若い女神官からそう聞かされた。

 彼女は特に慌てた様子もなく、マリアに話しを続ける。


「今現在、治療を行っていますがそう長くは持たないと思います」


「あの小僧がどの程度やられたのか見たい」


「もちろんです。案内します」


 そうしてマリアは女神官に連れて行かれて移動する。

 ただ、案内がなくてもわかるぐらい辺りは騒然としていた。

 やられたと思われる竜殺しが運ばれたのは村から一番大きい家のようだ。


「はぁ、はぁ、はぁ――ああああああああああああああああああっ」


 竜殺しケイゴは死にかけのようだった。

 彼は体のあちらこちらが血だらけになって、弱々しく息を吐き、時折うめき声を上げている。

 目から上には布を掛けられており、既に赤く染まりつつあった。

 腹部からも出血が絶えない。


 また、右腕と左足が消し飛んでいて存在しない。

 右腕は二の腕の辺りまでしか存在しない。

 ぐしゃぐしゃに焼けているようだった。


 太ももが少し残っているぐらいの左足は、既にある程度の治療が終わっているのか包帯が巻かれていた。

 だが、出血が止まらないのかやはり赤く染まり始めている。


「治癒魔術はここまでだ。どうせやっても無駄だろう」


「竜殺しの治癒能力が効いているうちに実際の治療を進めるぞ。時間が惜しい」


「布を、あと縄もってこい出血を抑える。竜殺しの体だ。少しぐらい乱暴に扱っても問題無い。とにかく出血止めるぞ――」


 王都から同行した腕の良い治癒魔術を使える神官や、戦場なれしている医者がケイゴの治療に当たっていた。

 彼らは冷静に治療を続けているものの、その表情はあまりよろしくない。

 また、その周りでは不安そうな顔をした村人も何人か立っているが、彼らは何も出来ずそこにいるだけだ。


「普通ならとっくに亡くなられているはずです――」


 金髪の若い女神官はケイゴを見て冷静に言った。


「攻撃が貫通して内臓などにも達している部分があるそうです。かなり時間が経過しているはずなのに、あれだけ生きてますから――竜殺しの方の生命力には驚かされます。ただ、例え奇跡が起こって一命をとりとめたとしても、右腕と左足を失った彼はもう戦場に出ることは出来ないでしょう」


「それは――どうだろうね」


 すると、マリアは意味ありげに言った。

 金髪の女神官はマリアの反応を見て眉を動かす。

 そして女神官が何か言う前に、マリアは家の隅で佇んでいた四騎士のシルヴィスに話し掛けた。


「シルヴィス、小僧の救出礼を言うよ。それで小僧と瞳の竜のやり合ったのはどんな感じだった?」


 マリアは竜殺しケイゴが、あの瞳の竜パープリーアテントにどの程度戦えたのか知りたかった。

 ケイゴが油断して負けたのか?

 ある程度、善戦は出来たのか?

 奥の手を出して、それで尚負けたのか?

 それによって今後の展開が変わってくるのだ。


「戦いにはほとんどならなかったな」


 シルヴィスは正確な感想を述べた。

 周りの人々が一気に不安そうな顔になるが、彼女は全く気にしない。


「恐らく竜殺しは当初から瞳の竜の瞬間移動を警戒していた。かなり警戒していた。そのおかげが――今の結果だ」


「散々な結果だね」


「まあ、瞳の竜が今までと違って初手から割と本気で殺しに来ているところもあったがな。竜殺しの方は様子を見ながら例の切り札を使うつもりだったようだが、その前に押し切られた。しかし――まだマシじゃないか。恐らく、瞬間移動を警戒していなければ竜殺しは簡単に即死させられ、生きて帰っていない。それぐらいあの能力は強力だ」


「なるほど、あのギレウスとかいう男には本当に感謝しなくちゃいけないね」


 マリアは王都での会議でギレウスとかいう男に裏切り物扱いされたが、後にそのギレウスによって瞳の竜が瞬間移動能力を有している可能性が示唆された。

 そして、そのおかげだろう。

 とりあえずケイゴは今、ギリギリのところで生き長らえているようだった。

 これはギレウスの功績に他ならないと、マリアは思った。


「そういえば――小僧が負けた、でも死んでいない――って状態の時の為に作った手紙はもう送ったのかい?」


 マリアは再度、金髪の女神官に話し掛けた。

 とりあえずは――と女神官はあまり納得して様子で頷いた。


「指示通りの文章を伝令鳥に持たして王都へと飛ばしました。あと、もしもの場合を考えて伝令の方にも同じ内容の手紙を持ってもらいました」


 伝令鳥は魔術で動く鳥形の道具だ。

 非常に高価な品物だが、報告を王都に伝えるのはこれが一番早い。

 ただ、まかり間違って途中これが竜などに落とされては大変なことになってしまうので、保険として伝令にも動いてもらっていた。


「ただ、あの文章ですと――竜殺しの方にもう一度、あの竜と戦ってもらうつもりのようですが――」


「ああ、正直ここまでくると小僧の気力次第なところもあるかもしれないが――どのみち、私らに残された方法はこれしかないからね」


「――不可能です」


 マリアに反抗するかのように、女神官はきっぱりと否定した。


「いくら竜殺しが人間離れした生命力を持っているからと言って、失った手足が生えてくることはないです。いえ、それ以前に彼はこのまま死ぬ可能性の方が十分高い。そんな彼が再び、瞳の竜が王都に辿り着く前に戦う? 絶対に不可能です。あなたやろうとしていることは単なる悪あがきです」


「そうか――悪あがきか」


 マリアは女神官に言われた言葉を冷静に言い直した。

 女神官は真っ正面から黒騎士を見据えた。


「そうですね。あの瀕死の状態の彼がこれから体中の傷を癒やして、手足が生えて、元通りになると思うのですか? あそこまでボロボロになっている彼にこれ以上何を求めるのですか?」


 女神官はこれから死に向かうとしか思えない竜殺しの姿を見た。

 非常に痛々しい姿だ。

 本当に生きているのも不思議なくらい。

 右腕と左足を失って、もうまともな生活も遅れない。

 それ以前にこれから後どの程度――命が持つのかわからない。


 そんな竜殺しにまだ戦わせようとするマリアに、女神官は冷静な顔をしながらも、どこか怒っているようだった。


 だが、マリアは非常に冷静だった。

 老婆は諭すように女神官に言う。


「傍から見たら真っ当じゃないかもしれない。信じられないし、理解されないのも無理は無い。だがこれは――可能性のある悪あがきなんだよ」


「可能性のある、悪あがきですか?」


「そう。確かに竜殺しは負けた――だが、竜墓標は負けていない」


 マリアはゆっくりとケイゴの方を見た。

 今にも死にそうな竜殺しを老婆は静かに見つめる。


「あの小僧は本気を出せれば――人類で一番強くて、歴代でも最強の竜殺しで、もしかしたらこの世のどんな竜よりも強いかもしれない。だから、私たちはやれることをやって待つしか無いんだ。小僧がこのまま死ぬか、それとも再び戦う意思を呼び覚ますかはわからないから――待つしかないんだよ」

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