第十一話 死に誘う竜と狙撃する竜
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
丸々と太った竜が、激昂するかのように天に向かって声を荒げる。
ビガラオの咆哮が俺の鼓膜を刺激する。
今までで一番響く竜の雄叫びは、山の向こうまで届きそうな勢だ。
――あー、うるせぇな、こいつ。
俺はビガラオの動向を注意深く観察しながら、周りにいる傭兵たちにも気を配る。
どうやらレイバンと他四人の傭兵たちは、今のビガラオの雄叫びで少なからず身が竦んでいるようだ。
――今のでビビるぐらいならさっさと帰って欲しいんだが。でも俺が何か言ったら絶対にこいつらもっとムキになるよな。
「いつもなら相手の出方を見るのがセオリーだが、今回は早めに――」
次の行動をどうしようかと躊躇していると俺より先に、竜が次の行動に移った。
――どういうことだ? ここで距離を開けるのか?
てっきりビガラオは怒り狂いながら突撃でもしてくるものかと思っていたが、奴は静かにじりじりと、まるで少しずつ逃げるように俺たちから離れてゆく。
しかも、警戒するように竜は俺たちを視界に入れたまま、後ずさりを行っていた。
「例の槍か?」
話によると奴は槍を飛ばすとのことだ。その為に、俺たちとの距離を開けていると考えるのが妥当だろ。恐らく、奴が今まで槍を使わなかったのは、距離が近すぎて使えない。もしくは近距離では取り回しが悪い――といったところか?
だとしたら、その前にこちらから仕掛けるか。
俺がビガラオが何かする前に先手を仕掛けようとしたところで、それより先に傭兵たちが動き出した。
「あいつ逃げるんじゃ? 追いかけるぞ!」
「おい、無闇に動くな! 止まれ!」
四人の傭兵が動き出し、俺が静止するよう声を荒げた。
だが、傭兵たちが俺の命令を聞くはずもない。
彼らは竜に真っ正面から挑もうと突撃する。
そこで凶悪な竜は、好機とばかりに動いた。
ビガラオは人を丸呑みしそうな大きな口が全開し――その声帯から美しい音を奏でた。
「は?」
――なんだ?
俺は予想外の事態に困惑し、思考が停止する。
竜の口から出てきたのは、炎でもなければ、槍でもない。
――それはまるで心地よい鳥のさえずりのようで。
――愛おしい母親の子守歌のようで。
――心打たれる美しい音色のようであった。
つまりその音は――よくわからない。
ただ理解出来るのは、あの竜の口から美しい音が出ていることだけだ。
だから、俺は――死にたくなった。
それはきっと、周りにいた傭兵たちも同じ気持ちなのだろう。
現に傭兵の一人が今そこで、自分の首を剣で掻っ切っていた。
続けてもう一人が、持っていたナイフで自分の脇腹を何度も突いていた。
――みんな、考えることは一緒だな。
俺はぼんやりと傭兵たちが自殺する光景を見ながら、深く納得した。
そうしているうちに、三人目の傭兵が喉に剣を突き立ててしんだ。
――また、死んだ。
四人目の傭兵が、やはり自分の首を斬っていた。
――また、死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。人が死んだ。
「人が死んだ――俺も死ななきゃ――」
頭が虚ろな気がする。頭が虚ろだ。
俺は両手をゆっくりと広げる。
腕に力を込める。
そしてそのまま勢いよく――両耳を手の平で殴打した。
自らの耳を平手打ちしたことによって、俺の鼓膜が破れる。
周りの音が全て――雑音に変換された。
そこで俺は、完全に目が覚めた。
「――っあ、なんだ、今のは!!」
催眠? 呪い? 一体何だ?
「あいつの声――人を自殺させるのか!」
今のは、完全に危なかった。
傭兵たちが自殺するのを見ていなければ、僅かながらでも攻撃されていると気づかなければ――今俺は、完全に奴の能力で自殺していた。
「なんだ、こいつは槍を飛ばすんじゃないのか?」
――いや、違う! 敵の攻撃が槍を飛ばすだけだと、他の攻撃方法も予想しなかった俺の判断ミスだ。
前方では、ビガラオが自殺の誘発を防がれたのを察知したのか、ゆっくりと前に出てきていた。
後方では、レイバンが死のうとしているのか、近くにあった木に頭を打ち付け続けている。
――あの強靱そうな大男なら、少しぐらい木に頭を打っても直ぐには死なないだろう。助けるのはもう少し後でいい。
それにしても、耳が痛む。出血が始まってきているのもわかったが、だが命に比べれば安い物だ。
ビガラオの美しい声を聞いた時――俺は死ぬべきだと思った。死が魅力的に感じた。それこそまるで甘い蜜に誘われるように――死に誘われた。
恐らくビガラオは声に呪いを乗せているのだろう。
この手の攻撃は基本的には繊細だ。
咄嗟に耳の鼓膜を破ったのは行動としてまず正解だろう。
「――来る」
ビガラオの巨体が、当初よりも速い速度で接近してきた。
だが、速いといってもあくまで、傭兵たち相手に手を抜いていた時に比べればの話だ。
「この程度なら、リチュオンの方が全然速い」
俺は即行で後ろへ下がると、額が血だらけになっているレイバンの首筋に手刀を入れる。
一発で気絶したレイバンの巨体を肩に担ぐと、足に魔力を貯め大きく跳躍した。
その直後にビガラオが到着し、その腕を振り回す。
レイバンによって赤く色付けられた木が、身代わりになったかのように薙ぎ倒される。
――とりあえず、こいつは危なすぎる。
俺はビガラオを跳び越えながら、周辺を一瞥する。
この辺りだとまだルーラスたちも近いし、リチュオンたちがいつ来るかもわからない。
レイバン一人でさえ大きな荷物なのに、他の奴らまで気絶させることになったら、とてもじゃないが面倒見られない。いや、それ以前に数人で来られたら、気絶させて自殺を妨害することさえ難しい――レイバンのように下手な自殺でもしてくれない限り、全員生かすのは不可能だ。
「ここから引き離す」
無事地面に着地すると、俺は意思を固めた。
ルーラスたちが俺の言うことを聞いて、大人しく待っているとは限らない。傭兵の奴らと同じような目に遭わせるわけにはいかない。
「おら! デブが、こっちへ来てみろ!」
ビガラオへ声を荒げ、意識を俺に向けさせる。
レイバンを担いだままになるが、仕方が無い。気絶した人間を放置するにはこの場所は危なすぎる。このまま奴を誘導する。
「こっちへ、来やが――」
その刹那――俺の前方に、一瞬にして白い棒が現れた。
いや、違う。後方から飛んできた?
あれは――槍? 白い槍?
竜が飛ばすと言われていた槍か?
ビガラオが? それはない。奴は違う。
奴は前にいる。槍は後方から。
後ろから飛んできた白い槍が、地面に突き刺ささって――。
――激痛が俺を襲った。
「ぐあ、がっ! ああああっ!!」
俺は痛みで横転し、レイバンを地面に落とした。
左の横腹が痛い。
体が少なからず削り取られている。
出血が、痛みが、傷を手で押さえる。
飛来した槍に肉を抉られた。
「ど、こから、飛んできた?」
槍の速度が尋常じゃない。急に槍が現れたように見えたのはその所為だ。だが、普通のやり投げのように放物線状で飛んできたのなら、あそこまで速度は出ないはず――。
なんだ、水平射撃? あの槍、銃弾なみの速度で飛んできたとでもいうのか?
槍の刺さっている角度からして――。
「発射されたのは向こうの山? まさか――」
俺は本来なら魔力によって傷の治癒を優先するべきなのかも知れないが、俺は確かめずにはいられなかった。
ビガラオが勝ちを確信したかのような、ゆったりとした足取りで近づいて来ているが、今確かめなければ駄目な気がした。
迫って来る竜に背を向けて、俺は運動能力などに注いでいた魔力を全て目に集中させる。
視力を限界ギリギリまで引き延ばす。
俺の視界が高性能な望遠鏡で見ているかのように、山に近づく。
予測地点が鮮明に映し出される。
「なんだ、あいつは?」
離れた山の、岩場となっている傾斜に――竜がいた。
その竜は、言ってしまえば地に這うトカゲをそのまま大きくしたような姿をしている。恐らく全長は、三メートルあるかないか――。
ただ、普通のトカゲとは違い、体が全体的に尖った形状をしている。まるで鎧を着ているようにも見えた。もちろん羽など存在しない。
竜殺しの魔眼が示す敵の名は――オルトロッド。
竜は低い体勢を維持したまま、口をこちらに向けている。
そしてその口の中には、先ほど俺を攻撃したとされる白い槍の先端が見えていた。
奴はあの口内から槍を発射していると見ていいだろう。
いや、この距離と精度を考えると『狙撃』するというべきか。
「くそっ、もう持たん――」
このまま目に魔力を集中させていると、目が使い物にならなくなるか、頭が負荷で焼き切れるかのどちらかだ。
俺は魔力の使用を眼球から体へ再変更、負傷した部分の治癒を優先する。
くそっ、オルトロッドとの距離はどれだけ離れてる?
八百メートル? 一キロ? 知るか、どちらにせよ遠すぎる。
俺は傷を抑えながらゆっくりと立ち上がると、ビガラオを見た。
太った竜は大きな口を開けながら、俺に迫る
「これは久々に、本気でヤバイな」
声を聞いた者に強制的な自殺を誘発させる。
死に誘う竜――ビガラオ。
遠距離から尋常でない速度と精度で槍を発射する。
狙撃する竜――オルトロッド。
ようやく敵の手札がわかってきたところだが――。
この二体の竜を相手にして、どうやって凌げばいいのか。
今回はさすがの竜殺しといえども、分が悪いように思えた。




