第十話 竜の槍
「んー、困りましたね」
「そうだな、俺もまさかこんなことになるとは思ってもいなかった」
竜がいるとされる森の中を、リチュオン、ガイン、そしてガインの部下である二人の傭兵が歩いていた。
彼らは独断で森に入ってしまった傭兵のレイバンと他四人を連れ戻すためにここまでやってきたが、どうにも雲行きが怪しかった。
リチュオンは少々困った様子で先頭を歩き、その後ろをかなり機嫌の悪そうなガインがついて行き、更にその後ろを二人の傭兵がかなり気まずそうな表情で見守っていた。
現状を簡潔に言うと、この四人は――森の中で迷子になっていた。
今のような状況になったのは、リチュオンのこの一言から始まった。
『私は以前マッゼスさんから竜が住処にしていそうな場所を聞いたことがあります。上手くいけば先回りして、竜と遭遇するよりも早くレイバンさんたちを見つけられるかもしれません』
渓谷近くの工事現場に辿り着いたところで、リチュオンはこのような提案をした。
そしてその言葉を信じたガインたちは彼女に連れられ川を渡り、森の中に入り――見事に迷った。
これにより、後から来たはずのルファナ騎士団の面々が先に、レイバンたちを見つけてしまっていた。
リチュオンの行動が完全に裏目に出た結果である。
更に言うと、もっと後から来たはずのケイゴも既にレイバンと出会っているという。
今やこのリチュオンを筆頭にした四人は完全に後続組であった。
「ここ、どこなんですかね」
「本当にな、俺が聞きてぇ」
リチュオンがきょろきょろと周辺を見回し、ガインは誰が見ても一瞬でわかる程苛ついていた。
「ガ、ガインさん落ちついてくださいね」
「そ、そうですよ。相手は女の子ですから、もっと優しく口調で――」
後ろの傭兵二人はガインがあまりにも苛ついているので、怒りがいつ爆発するのかと気が気でない。
「うるせーな。おめーらに言われなくてもわかってるよ。安心しろ、男だったら既にボコボコに殴り飛ばしてるところだ」
「その言葉全然安心できないんですが――」
「あ、皆さん見てください。あっち川流れてますよ、ほら、あそこあそこ――」
「この子は、この子で好き勝手にし過ぎだろう――」
傭兵二人の精神は竜に遭遇する前から完全に疲れきっていた。
残念なことに、リチュオンとガインの二人は彼らに気を遣うという思想を持ち合わせていなかったのだ。
「わー、良かったです。とりあえず、元にいた場所には戻れそうですね」
「本当にな、今までの時間は完全に無駄だったな」
戻るための目印となる川を見つけたリチュオンは無邪気に喜んだが、反面ガインの顔は作り物の人形のように固定されたままだった。
「これからどうしますか? とりあえず、あそこの川から上流に向かってみます? それとも工事現場で待ちます。もしかしたら、誰かがレイバンさんたちを連れて帰っている可能性も――」
そこでリチュオンの動きが止まった。
彼女は川の方を眺めながら、不自然に制止していた。
これには苛ついていたガインも不信に思い、静かにリチュオンに話し掛ける。
「おい、どうした? 何があった?」
しかし、リチュオンは返事をしなかった。
ただ、遠くに見える川を凝視し、動かない。
後ろにいた二人の傭兵も、何事かと見守る。
そして数秒後――リチュオンは突然動いた。
「ガインさん、急ぎましょう」
リチュオンは刀の鞘に左手を置き、静かに言った。
「そんなのおまえに言われなくてもわかって――」
「血です。上流から流れてきています」
そのリチュオンの一言で場の空気が変わった。
ガインの顔も一変して、険しい表情に変化した。
リチュオンは無言で走り出す。
ガインも無言でついて行く。
二人の傭兵は出遅れ、後から急いで走り出した。
「おい、川に血が流れてるって? あの距離で見えるのか?」
ガインは走りながら前にいるリチュオンに尋ねた。
先ほどリチュオンが血に気がついたところから川まで、数十メートルは離れていた。普通ならまず、わからない距離だろう。
「生憎、私は人より目が良いので――」
それだけ答えると、リチュオンは川の前まで到着した。
この辺りは工事現場付近とは違い殆ど段差が無く、苦労せずとも川の中に入ることが出来る。
それ故に、川に流れる赤い血を、近くで、より鮮明に見ることが出来た。
「――人?」
リチュオンが川に流れる血の跡を追っていくと、その先に人の姿が見えた。
それも苦しそうに腹を抱えているようであった。
「あの姿、騎士団の連中か」
後から来たガインも川の中にいる人の姿を確認し、装備している鎧からその人物がルファナ騎士団の人間だと断定した。
「行きます」
そう言ってリチュオンは川の中に入ると、水流に逆らって騎士の元へ向う。
ガインと、二人の傭兵もその後を追う。
すると苦しそうに腹を抱えていた騎士は近づいてくる物音に反応したのか、ゆっくりと顔を上げた。
「お、まえたちは――傭兵団の――ごふっ」
騎士は口から大きな血の塊を吐く。
リチュオンはこの騎士が既に致命傷を受けて助からないと判断し、手を貸すことを諦めた。
その代わり、口だけは動かさねばと。
この騎士の命が尽きる前に、これだけは聞いておかねばと口を開く。
「一体何があったんですか?」
リチュオンの問いに答えようと、騎士は必死に体を震わせる。
そして彼は、最後の力を振り絞ってリチュオンたちに伝える。
「逃げ、ろ。我々は、竜からの攻撃を受け――恐ら、傭兵と、竜殺しは、やられ――た」
騎士の体が崩れ落ち、前のめりに倒れる。
そこで彼は力尽きた。
「ガインさん、見てください」
川に浮かぶ騎士団の死体を見たリチュオンは、目を大きくした。
「言われなくても、嫌でも目につく。何だ、これは――?」
ガインもリチュオンと同じように驚いた表情を見せる。
二人の視線の先は共通して、今死んだばかりの騎士の背中だ。
鎧を着ている騎士の背中には、血のこびり付いた直径六センチ程度の綺麗な穴が空いていた。
身を守るために作られたはずの鎧が、まるで柔らかい果物のようにくり抜かれている。
恐らく腹から背中に掛けて、穴が貫通していると見て良いだろう。
「おい、向こうで倒れてるのも、他の騎士の奴らじゃないか」
後ろにいた傭兵の一人が指差すと、確かにその先に騎士と思われる死体がいくつか見えた。
そして、それと同時にある不自然な物も彼らの視界に映った。
「何か、何本か、何だあれは――白い棒?」
傭兵の言う通り、川には低い傾斜で不自然に生えている棒が何本か見えた。
※※※
数分後、リチュオンたちはこの周辺を調べ終えた。
「やはり、この白い棒――」
リチュオンはそう言って川の中から、五本目に見つけた白い棒を引き抜く。
「――いえ、この槍は例の話にあった、竜が攻撃に使用すると言われていた物ですか」
白い棒と思われていた物の正体は――槍。
先端が物凄く滑らか且つ鋭利に尖っている。長さはおよそ一メートル強。
何で出来ているかわからないが、半分透き通っており、まるで結晶を槍に加工した物のように見える。リチュオンが握った感覚から十分な強度が確保されているがわかった。
また、槍の表面は非常に滑りやすく、人体程度なら体重を掛けて突き刺せば容易に貫くことが可能だろう。
「確かにこんな物が高速で飛んできたら、どうしようもないですね」
リチュオンは白い槍を振り回し、重さを確認しながら言った。
「――意外に軽い? 鎧を貫くぐらいですから、もっと重量があるものかと――」
「お、おい。もう槍を調べるのは止めて、そろそろ移動しないか?」
熱心にリチュオンが槍を調べていると、傭兵の二人が怯えた様子で辺りを窺いながら近づいてきた。
二人は顔面蒼白で、額からは冷や汗を流し、生きた心地がしないのか体が硬くなっていた。
傭兵たちが怯えるのも無理もない。
彼らはここで無残な死体たちを確認している。
ルファナ騎士団に所属する騎士たち――五人全員の死体を確認しているのだ。
「――ルーラス」
ガインは川岸で横になっていた騎士ルーラス・ラフェードの死体を見下ろし、彼の名前を呟いた。
ルーラスは最後まで戦う意思を見せるかのように、剣を離さず、盾を構えたまま、白い槍に貫かれて死んでいた。
白い槍は構えた盾の中央を貫き、そのままルーラスの胴体を貫通し、突き抜けることなく制止している。
他の騎士たちと違って槍が体を突き抜けなかったのは、盾が槍の速度と威力を抑えた結果だろう。
「この槍、盾を貫通していますね」
リチュオンがガインに近づいてきた。
「皆さんの装備している防具も意味が無いかも知れません」
「――おまえ、ガキの癖に随分と落ち着いてるな」
ガインは呆けた顔をしながら、彼女に顔を向けずに言った。
リチュオンは特に気にする様子もなく、頷く。
「はい、戦場で慌ててもなんの得もありませんから。それにこれぐらいなら、まだ見慣れています。そんなことより、ガインさんは大丈夫なんですか? 先ほどからボーッとしているように見えますが――」
リチュオンがそう指摘すると、ガインは大きく息を吐く。
「はぁ、なんだろな」
ガインは再度ルーラスの死体を見る。
「いけ好かない奴だと思ったたんだが――こいつの、こんな死体を見た途端、どうにもやるせなくなってな」
リチュオンは何も言わなかった。
ガインの仲間である二人の傭兵も何も言えなかった。
ここにいる全員が沈黙し、しばらくの間静寂が続くと思えた――。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
しかし、沈黙を切り裂くように、森の奥から竜の咆哮が轟く。
まるで落雷のようなその声は、ここにいた者たちの頭を正気に戻す。
「この声、竜――」
リチュオンは竜の声に反応すると、釣られるように森へ向かう。
ガインたちを置き去りにして、前だけを見て走り出す。
「おい! ガキ、待て! ちっ、感傷に浸ってる場合じゃねぇな」
ガインは面倒臭そうに咆哮の聞こえた方角を見てから、リチュオンと同じように走り出す。
その後ろを傭兵の二人が、不安そうな顔をしながらも律儀にも付いてきていた。
「ガインさん、行くんですか? 絶対に竜がいますよ」
「ああ、間違いなくいるだろうな」
ガインが断言すると、傭兵二人の顔は更に情けない物に変化した。
「ちょっ、俺たちだけで勝てるんですか?」
「さあな? だが仕方が無いだろう。あのガキ一人で放っておく訳にもいかんし、レイバンたちも見つけないまま、逃げ帰る訳にはいかないだろう」
彼らは、進む。森の奥へ、竜のいる場所へ。
だが残念なことに、この時はまだ知らないし、予想すらしていなかっただろう。
彼らが向かうのは戦場ではなく――狩場であるのだと。




