第八話 予想外の事態
睡眠というのは人間にとって最高の時間の一つだと思う。
俺はアムバスの町にある宿屋二階の部屋、そのベッドの中で至福の一時を実感していた。
部屋には日差しが入り込み、もう朝になっていることは十分にわかる。
だが、いやだからこそ、このベッドの中という楽園から出られないのだ。
「二度寝――最高」
暖かい朝日がベッドごと俺の体を温める。
今日から竜と戦うために動かなくちゃならないはずだが、こうなると面倒くさい。
「もう少しぐらいゆっくりしてもいいよなー」
ほんわかとした気分と共に、俺の意識が薄まりつつある。
だが,そこにドカドカとうるさい足音が近づいてくる気配があった。
そして足音は、俺の部屋の前で止まったかと思うと、今度は部屋のドアをバンバンと叩き始めた。
「おい竜殺し! 起きろ! 大変なことになった!」
朝からけたたましい声だ。
この声はマッゼスだろう。あの眼鏡、人が気持ち良く寝ている朝っぱらから一体何なの?
俺は重たいからを起こすと、部屋の扉を開けた。
「一体どうし――」
「傭兵団の者たちが我々の断りもなく、竜のいる森へ出てしまった!」
俺の言葉を遮って、マッゼスが大声を出す。
「は――」
そして俺は言葉を失った。
朝一番に聞くには中々キツいジョークである。
「おいおい、ガインの奴が俺との約束を無視して竜討伐に行ったってことか?」
「いや、違う。動いたのは奴の片腕であるレイバンだ。どうやら今回のおまえとの取り決めに不満を持っていたらしいな。奴は同調した四人の仲間を引き連れて朝一番で竜のいる森に先行したらしい」
昨日あったガインとレイバンの言い争いを思い出す。
あれは、フラグだったか――。
くそっ、あのレイバンとかいう熊みたいな男め! 我慢という言葉を知らないのか。
ガインの奴も自分の部下の手綱ぐらいしっかり持っておけと――。
「まあ、いい。俺が今直ぐ森へ向かってそいつら連れ戻してくる。ガインの奴にもそう伝えておいてくれ」
五人ぐらいなら何とかなるだろう。
さっさと奴らを見つけて、殴ってでも連れて帰ってこよう。
俺は森に向かうための服装に着替えようと動きだす。
しかし、マッゼスはそんな準備を急ごうとする俺に、申し訳なさそうな顔を見せる。
「実はだな竜殺し。そのガインなんだが――」
「あ、ガインがどうした。俺が連れ戻してくるって、さっさと伝えに行ってく――」
「レイバンたちを追いかけて、残った仲間と共に既に森の中に出てしまった」
俺は思わず動きを止めた。
マッゼス本人は何も悪くないのだろうが、若干俺から視線を外す。
「それは本当か?」
「ああ、というかガインたちを追いかけて――リチュオンも一緒に行った」
「何やってんだ、あいつ!」
「それに加えて、ルファナ騎士団の五人も後を追いかけて――」
「ちょと待て、どいつもこいつも好き勝手し過ぎだろう!」
昨日のことを顧みると俺が言うのも筋違いかと思ったが、思わず叫ばずにはいられなかった。傭兵といい、騎士といい、人斬り娘といい、改めて思う――好き勝手し過ぎた!
「ええい、俺の考えていた計画が滅茶苦茶だ!」
「すまん、竜殺し――」
何故か、マッゼスが申し訳なさそうに俺に謝った。
別にこの男が謝ることではないだろう。
「いや、俺も驚いて興奮しすぎた。マッゼス、あんたが謝ることじゃない。気にするな」
「それが、だな、竜殺し――」
しかし、マッゼスはまだ気にしているのか表情が暗い。
もしかして、あの温厚そうなレバンが怒ったとか?
これはもう一声、マッゼスの奴に――おまえは悪くない気にするな、と言ってやるべきだろう。
「だから、あんたの謝るべきことじゃないだろう? 後は俺に任せてレバンと一緒に待っていてく――」
「実は、レバンさんも皆を追いかけて、森の中に入った――」
その瞬間、確かに部屋の中の時が止まったのを俺は感じた。
俺の頭の中も同時に停止していた。
だが、止まっていた時間に追いつかんとするかのように、俺の思考が物凄い勢いで爆破した!
「いや、それはないだろう! それは駄目だろう! おい、レバンはトップだよな? 今回の竜討伐の責任者だよな? いなくなったら一番困るよな?」
俺は思わずマッゼスに詰め寄った。
さすがにマッゼスもかなりきまりが悪そうに、俺の顔を見ていた。
「竜殺し、おまえの意見は正論だ。私も、そう思う。そう、なんだが――」
「レバンは引き留めなきゃ駄目だろう! あのおっさんはさすがにあんたが引き留めなきゃ駄目だろう!」
「ああ、ごもっともだ。本当にすまん」
まさか俺がマッゼスに説教することになるとは、今日は朝から厄日だな!
再び俺は森へ出る準備を再開する。
「ただ、これだけは言っておく――」
マッゼスは眼鏡の位置を直すと、真面目な表情で答えた。
「あの方は、レバンさんはかなり優秀だ。まず、おまえの足をひっぱることはない。これは私が保証する。存分に――彼を使ってやってくれ」
俺は丈夫な革で作られた冒険用の服に着替え終えると、部屋の窓を開けて二階から外を眺めた。
「ああ、任せろ。あと、一応怪我人が出たときのために医者とか呼んでおいてくれ」
「わかった。手配しておく――っておい、どこに手を掛けて? ここは二階だぞ!」
外に通行人がいないことを確認した俺は、宿屋の二階から飛び降りた。
後方でマッゼスが何か言っているようだったが、たいしたことは言ってなさそうだ。
俺は宿屋前の路地に着地すると、遠くから驚いた表情でこちらを見ている通行人を尻目に森へ向かった。
今は時間が惜しい。
武器の調達をしている時間はない。まあ人を連れ戻すだけなら武器はいらないだろう。
「間に合ってくれよ。人が死ぬのは御免だ」
俺は魔力を体に流し込み、人間離れした速度で移動を開始する。
出来れば魔力は温存しておきたいところだが、そんな余裕ないだろうな。
魔力によって身体能力を向上させているが、当然ながら使用には限度がある。俺は魔力のある間だけ竜殺しと呼ばれる超人的な能力を手に入られるのだ。
正直なところ、俺は魔力がないとかなり弱体化する。
リチュオン程度ならどうってことないだろうが、ファリスぐらいの手練が相手になると勝つことも難しくなる。
とにかく竜と出会ったときのことを考えて、魔力は出来る限り温存しておくべきなのだ。
だが、今回は出来るだけ死人を出さないためにも急ぐ必要がある。
「――間に合えよ」
俺は最短で移動するために、家の屋根などを渡り、外壁を越え――町の外へ出た。
そこにあったのは、昨夜来た時には暗くて見えなかった光景だ。
明るい大きな青空の下、町の西側には高低差のある山々が多く広がっていた。
あの山のどこかに今回倒すべき竜がいるとされる。もちろん、闇雲に探していてはまず見つからないだろう。
だが、レバンやマッゼスの話によると山の中にある渓谷、その場所近辺に竜が比較的出没するという。恐らくは竜はそこの川で泳いでいる魚を食料にしているのではないかと思われる。
全員、渓谷を目指しているはずだ。俺もそこに向かうか――。
アムバスの町から山の方へ伸びている道を俺は駆けて行く。
途中、商人や旅人が物凄い勢いで通り過ぎて行く俺を驚きの表情で見ていた。
俺は彼らが普段通る中央地域に向かうための山を迂回する道には行かず、一直線に山の中へ侵入した。
とりあえず、最初の目的地までは迷いそうにないな――。
渓谷へ橋を造るために、山の中の道が広げられていた。これは橋を建造しようとしている工事現場に繋がっているはずだ。これだけわかり易ければ、一直線に目的地に向かうこと出来るだろう。
ただ、問題はその後だ。
全員がそこで待ってくれているなんていう都合の良い展開はまずないだろう。
最初にこの場所に来たであろう傭兵のレイバンたちが、すぐに竜と遭遇したならありえるだろうが――そう都合良くはいかないだろう。
恐らく俺の予想なら、レイバンたちは竜を探しに工事現場からどこか奥へ移動しているはずだ。そして、その後を、ガインや騎士たちが追いかけているだろう。
「着いた――が、予想通り誰もいねぇ」
渓谷近くに到着した。二メートル辺り下には緩やかな川が流れている。傾斜はそこそこあるが徒歩でなら降りられなくはない。川は思ったよりは浅そうで精々使っても膝辺りだろう。
辺りには木が伐採され、広い空間が確保されている。また、橋の建造に使われるであろう木材などが幾つも積まれたまま放置されていた。竜が現れてからそのままになっているようだ。
――さて、奴らどこに行った?
幸い、この辺りの地面は比較的柔らかそうだ。俺は周辺の地面を確認し、足跡を調べる。
ここに来た人数が人数だ。真新しい足跡が幾つも存在した。
正直、細かな判別は難しい。
ただ、騎士たちの足跡はなんとなくわかった。比較的重量のありそうな鎧や盾などを装備している彼らの足跡は他より少し深めなうえ、履いているのが鉄靴であることから形状判別も容易だ。
さて、どうするか――?
俺は地面を見ながら立ち止まり、思案する。
足跡の行き先は主に二つ。
一つは下に足跡が伸びており、降りて川を渡っているのか? もう一つは下には降りず上流を目指すように川沿いに足跡が移動している。
そして今わかっているのは、騎士団の連中は川の方には降りずに山中を移動していることぐらいだ。浅いとはいえ川の中は足場が悪く、鎧を着ている彼らは水流で移動が困難になる。余程の理由がない限りは騎士たちも無理に川に降りることはないだろう。
「このまま行くか」
俺は騎士たちが向かったと思われる道を、足跡を頼りに移動を開始する。
こちらなら、少なくとも騎士団の奴らとは合流できるだろう。
それに下に降りたとしても、どうせ足跡は川のところで消えるはず。
俺は移動を再開した。
上流へ向けて、再び駆けだした。
しかし、その速度は先ほどまでの全力疾走とは違い半分程度まで落としている。
ここは既に敵の――竜の出現圏内。もう、いつどこで襲われてもおかしくはない。
神経を研ぎ澄まし索敵を優先する。
不意打ちだけは避けなければならない。
奥に進むにつれて木が多くなってきた、足場も若干悪い。
「視界が悪くなってきたな。早いとこ誰でもいいから見つけたい――あぁ?」
走っている最中、遠方で何か動く物体を俺の目が捉えた。
何かが川を渡っているのが遠くで見える。
視覚強化――移動を更に落とし、その分の魔力を眼球に注ぎ込む。
「――いたな」
この先の川の中を、騎士団の連中が歩いて渡っているのが確認できた。
俺は魔力消費の特に大きい視覚強化を即座に解除すると、一気に移動速度を上げる。
目の前の木々をすり抜け、地面を力強く踏み、前へ前へと進む。
まあ、この辺りだろう――。
だいたいの目安をつけたところで、俺は自身の下半身に魔力を全力投入――跳躍した。
俺の体は森を突き抜け空中へ舞い上がる。
遠くの方まで森が、川が見渡せる。この辺りが高い山に囲まれているのがよくわかる。
だが、俺が行ったのはあくまで跳躍、飛行ではない。
体は重力によって落下し、川へ向かって落ちてゆく。
俺はそのままの勢いで、騎士団の歩いている付近に着地した。
強烈な衝撃と共に水飛沫が舞い上がる。
川に砲弾でも撃ち込まれかのような音が響く。
「敵襲!」
騎士団の連中は中々良い反応だった。
音ともに俺の方を向き、散開。
こちらを警戒して盾を構え、武器を向ける。
行動に乱れがない。不意の事態に対して冷静な行動が出来ている。
「敵じゃない。俺だ、竜殺しだ」
「――何かと思えば、あなたでしたか」
騎士団のルーラスは現れたのが俺だと気づくと剣を下ろした。
他の連中もルーラスをならって武器を収めてゆく。
「今のは一体? 急に現れたようでしたが――」
どうやらルーラスには、さっきの俺は瞬間移動でもして現れたように思えたらしい。
「どうって? 向こうのほうからピョンと跳躍してきただけだ」
俺がちょいと指差すと、騎士団の連中は全員が不審そうな顔をした。
「跳躍? いったいどれだけの距離を?」
「俺は竜殺しだからな、それぐらいは可能だ」
明らかに困惑しているルーラスに向かって、俺は竜殺しという理由一つで話をつけた。
「そんなことより、おまえら。何勝手に――」
「そうでした。そんなことより、急がなければ――この先に竜がいます」
ルーラスは川の向こう側にある森を見ながら言った。
俺は説教の一つでもするつもりだったのだが、ルーラスの言葉から竜という単語が出た途端――頭の状態が一瞬で入れ替わった。
「は? 竜いたのか?」
「遠くからの確認でしたが、先行した傭兵団の方々が竜と交戦しています。善戦しているようで、逃げた竜を追って向こうの森に入りました」
善戦? 奴らが? 竜相手に?
竜には人間と同じように様々な奴がいる。その中には当然ながら弱い奴も存在する。
ただ、根本的に竜と人間では種族の差が大きすぎる。それ故に強い竜より、弱い竜と出会う方が難しいはずなのだ。
だから俺は、ルーラスの言葉を聞いても納得できずにいた。
「我々はこれから傭兵団の応援に向かいます。しかし、ちょうど良い。あなたも一緒に来てください。一気に畳み掛けて手早く竜を倒しましょう」
「いや、駄目だ。行くのは俺一人だ」
俺はルーラスの提案を一蹴する。
「どうも竜の行動が納得できない。釣り――の可能性がある。用心して俺一人で行く」
「釣り? もしや貴様は、竜が意図的に傭兵の連中を森に誘い込んでいると言うのか?」
俺の言葉を信じられないのか、騎士の一人が俺に疑問を投げかける。
まあ、何度も竜と戦わないと普通は知らないことだろう。
馬鹿な竜は猫とか犬程度の知能しかないけど、本当に頭の良い奴は人間程度の知識を持っているからな――舐めて掛かるとマジで苦汁を飲まされる。
「あー、とにかくだ。ここは俺一人でいるから、あんたらはこの周辺で待機していてくれ」
「いいえ、さすがにここまで来たら我々も引き下がれません。このまま竜の元へ行かせ――」
炸裂した轟音が、ルーラスの言葉を途中でかき消した。
穏やかに流れる川の水が爆弾のように弾け飛ぶ。
俺は魔力を最大にまで足に集中させると、一気に川の中で跳躍したのだ。
竜殺しの力を使った強引な跳躍によって、俺は川の向こうに生えている木の上に着地した。
「戦ってるんなら、尚更急がんとな――」
俺は足場となっている太い枝の上で体を反転させると、十メートル近く離れた騎士団の連中に向かって声を掛けた。
「もし人手が必要になったら呼ぶから、その時はよろしく!」
俺の跳躍を見たことによって、実力の差を理解したのだろう。
遠くから声を掛けても反応を見せず、騎士団の連中は唖然とした顔をしていた。弾け飛んだ川の水が上から雨のように降り注ぎ、騎士団の体をずぶ濡れにしているがそれさえも気になっていないようだった。
「――行くか」
俺はボソッと呟くと、体を再び森の奥へ向け直し地面へ降りる。
騎士団の連中に背を向けながら、竜殺しを全うするために走り出した。




