(八)-4
突然、体からスッと力が抜けてヴァゴスの頭から転げ落ちそうになって近くの窪みに逃げ込んだ。そこはどうやら巨大な角の根もとのようだった。
「オオオオオオオォォォォッ!」
ヴァゴスが鳴いて重たい空気の振動が鼓膜をジンジンと揺らす。すると大量の魂が滝のように頭の向こうへ流れ落ちた。おそらく巨大な口でバクバクと食ってやがるんだ。それを証拠に、ヴァゴスの体がモリモリと膨れ上がって、手を伸ばせば虹色の空に届きそうなほどになった。
空を見上げる。ミズルが俺に提案した作戦、それは月が出ている事を信じてミズルを雲の向こうまでふっ飛ばし、より月に近い位置で魔力を急速に蓄えたミズルがヴァゴスを倒すってもの。でも、ミズル、本当に大丈夫なのかよ? こんな島みたいなバケモンとどうやって戦うって言うんだ?
ミズルを信じていた俺だけど、間近で見る迫力は物凄くて、だんだんと大きくなるヴァゴスに絶望すら感じている。
その時だった。一筋の細くて赤い光が空からヴァゴスの斜め前の海に落ちた。その光は勢いよく海を引き裂きながらヴァゴスへ向かって来て、……信じらんねーよ。ヴァゴスの山みたいな巨大な足を一本、豆腐を切るみたいにスパッとぶった斬った。
高い水しぶきを上げて海に沈んでいくヴァゴスの腕が切り口から細かい魂に変わって空へと溢れだす。
「ヴオオオオオォォォッ!」
ヴァゴスは痛み故かブンブンと首を振って咆哮して、俺は振り落とされないように必死になって角の下にしがみついていた。その際、空に広がる魂の渦の流動が弱まっている事に気付いた。見つめていると次第に魂の流れは勢いを失くして、所なさ気に不規則な動きを見せる。ヴァゴスの食事が中断されたんだろう。
「ははははははははははははははっ!」
空に轟くこの高笑い。魂が散ってその上に現れた黒い雲が徐々に避けて行く、その裂け目から黄色い光球が矢のように飛び出した! 光球はあっと言う間もなく、ヴァゴスの肩を直撃しこの岩のように硬い肉をえぐった。吠えるヴァゴスの肩からはやはりたくさんの虹色をした魂が飛んで、俺の視界が下がる。……ヴァゴスが縮んでいる? 確かに縮んでいる!
「ミズル!」
思わず名前を呼んでいた。ミズルだ。ミズルがやってくれたんだ。
空がゴゴゴと鳴いて、黒雲の裂け目が広がって行く。そして雲の天井にぽっかりと穴が開いた。穴から漏れる月光。そして月光にそよいだ髪を輝かせるミズルがゆっくりと下りてきた。
ミズルはピースサインを右目の脇に添えて、左目をパチリと閉じる。
「超重魔力一点照射」
ミズルの右目から赤いレーザービームのような光が発射され、ヴァゴスの首を貫いて背中に刺さった。痛みに吠えるヴァゴスを見下ろし、ミズルは「きゃはははははははは! おっと私とした事が興奮して子供のような笑い声を上げてしまった。悪い癖だ」と口元を押さえながらもご満悦な様子。
「ミズル! 魔力の方は大丈夫なのか?」
ヴァゴスに負けない大声で俺も吠えた。
「まだまだ足りんが、なんとかなろう」
宙に浮いたままのミズルは胸元に両手で魔法陣のような印を切ってヴァゴスへ右手をかざす。
「魔神の怒号!」
ミズルの右手から発せられた衝撃波にヴァゴスの頭がベッコリと凹み、俺は強大な力になす術もなくふっ飛ばされる。これで全力じゃないとか……どんな魔女っ娘だ、この野郎。
俺は回転しながら重力に従い、ドパンと音を立てて海に落ちた。強い衝撃、体がバラバラになりそう。海の中は海中の生き物たちの魂がゆらゆらと漂っていて、俺は痛む体をさすりながら体勢をなんとか立て直し、魂をかき分けながら海面から顔を出した。
「悪魔裁判・判決・黒き十字架」
ミズルの声の後、その場から音が消えた。風景が止まった。次の瞬間、空におぞましいほどの悪意を感じて恐る恐る見上げると、割れた空から巨大な黒い十字架が降って来て、ヴァゴスの巨体に突き立った。数秒後、ヴァゴスは体を突き刺されたのを思い出したかのように吠えるとしぶきを上げてその場に力無く倒れ伏し、俺はその際に生まれた波に岸の方へ運ばれる。しかし……これは……なんていう……。無数の魂が乱れ飛ぶ下、山のように巨大なヴァゴスに刺さって立直する黒い十字架は、まるで神話の神々の墓標。
「ペットごときがご主人様に適うまいて! きゃっはははははははははははははは!」
波のしじまにミズルの笑い声が響き、不吉が具現化したような黒い十字架がひび割れ、飛び散ると、ヴァゴスも後を追って、輝かしい魂を散らしながら爆発した。迫りくる大波にのまれながら確信する。この勝負、ミズルの圧勝だ。格が違いすぎる。




