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二章(4)


 螺旋階段なんてまどろっこしいものを上っていられるか!

 このときばかりは、凝ったインテリアが恨めしい。オレは、非常ベルが鳴ると同時に自動で解錠されるドアを開けて非常階段を駆け上っていた。

 本当は渡り廊下を行きたかったんだが、煙が充満していて無理だった。

 (急がねえと、桐生が……)

 そう考えるだけで、心臓が止まりそうになる。だからオレは全力で足を回転させてる。

 けど、なんでだ?

 なんでオレは、こんなに必死になってんだろう。別に桐生が好きってワケでもねえのに……と思った瞬間、奉助の一言が頭をよぎり、派手に転んだ。

 「いっってぇぇ〜!」

 しくじった。階段に引っ掛けた左足が痺れて、感覚がない。けど、その場にうずくまることはしない。オレは、生徒会の先輩(男)がこっそり教えてくれた方法で、屋上の鍵を開けた。

 この一般棟の屋上から、となりの特別棟へ飛び降りようってわけだ。特別棟の屋上は屋上庭園になっていて全面芝生だし、端のほうは花壇になっていて、今は優しげな花が咲いている。そこに上手く着地できれば、万々歳だ。……花には悪いが。ちなみに、二つの校舎の距離は八メートル強だ。

 オレは煙を吸わないように気をつけながら息を整えた。

 (大丈夫だ。いける)

 足の痛みもだいぶひいてきた。屈伸運動を始める。

 (今までを思い出せ)

 中学の時、オレは陸上で走り幅跳びを専門にしていた。その時、オレは時々不思議な感覚を体験することがあった。そのおかげかは知んねえけど、オレは中学の全国大会で優勝した経験もある。

 (大丈夫だ)

 もう一度自分に言い聞かせる。

 一般棟の屋上は出入りが禁止されているから、オレの跳躍を阻むような柵はない。

 頭の中で、空砲が鳴った。

 コンクリートの床を蹴る。蹴る。蹴る……。

 (三……、二……、一……)

 つま先に力を集中させて、全身を前に投げ出す。

 「……うおりゃあああああ!」

 ……ドサッ!

 「イテテテ……」

 芝生の上を着地の勢いに任せて転がり、屋上庭園の真ん中あたりでようやく止まった。

 今、オレの身体は、異様な高揚感に満たされていた。

 スリルと背中合わせで空を跳ぶことのなんと気持ちいいことか! 

 飛行機などという無粋なものではなく、生身の体で!

 「クックック……。ハハハッ……!」

 何を思うでもなく笑っていたオレ。けど、目を開けた瞬間に飛び込んできた色に、我を忘れるほどの興奮は一気に冷めた。

 憎らしい真夏の水色に重なる濃い灰色。オレは、何の為に空を飛んだんだった?

 「……桐生!」

 オレはアホかっ! 一人でつっぱしてまでこっちへやってきた理由を忘れるとか!

 特別棟の屋上のドアに駆け寄って開けた瞬間、煙の挨拶をくらった。

 「うぉっ! え、げっ、げほっげほっ!」

 体を曲げて肺の中で暴れる煙を追い出す。

 「ふぅ〜〜〜〜。けど、おかげでちょっと冷静になったぜ」

 オレは改めて、小中学校で習ったようにハンカチで口と鼻を被って、低い姿勢で慎重に進んだ。

 この階段を下りてすぐ横に図書室のドアがある。まさか、生徒会規律第十四条「生徒会に属する者は、学校の構造全てを記憶せよ」が役に立つ日が来るとは思わなかったぜ。牧ノ宮生徒会長監修のもと、一週間の猛勉強会の努力が報われる時が来ようとは……。

 木造の、ちょっと立て付けの悪いドアを力づくでスライドさせる。

 「桐生ー! 桐生ー! どこだー!」

 返事がない。

 「桐生ー! ……まさか、書庫のほうに行ってねえだろうな。第二理科室は書庫の真下なんだぞ」

 早く見つけねえと、この階だっていつ火の海になるか分からねえってのに。

 「白の君?」

 「桐生!」

 倒れて折り重なった本棚の陰から四つん這いで桐生が現れた。眼鏡をかけてないぐらいで、見た目出血がひどいということはないようだったから、ひとまずほっとした。

 「大丈夫か? どっか怪我してねえか?」

 「……そこは『助けにきた』ぐらい言って欲しいのですが」

 「んな! ば、バカ言うなよ。そんな恥ずかしいこと言えるか!」

 「でも、助けにきてくれたんですよね」

 「それはそうだけど……。だー! クソっ、今はそんなことどうでもいいんだよ! 怪我は? 歩けるか?」

 「……ええ、大丈夫です。歩けます」

 ずっと四つん這いの姿勢だった桐生が、オレと同じく動きやすい膝立ちになる。そのとき、桐生がわずかに顔をしかめたのを俺は見逃さなかった。

 「おい、大丈夫か? やっぱどっか怪我してんじゃ……」

 「いいえ、問題ありません。急ぎましょう。いつ獰猛な紅い獣の手がここまで届くか分かりませんから」

 そう言って桐生がオレの隣を過ぎようとしたとき、ふいにポタリと赤い斑点が木の床ににじんだ。ばっと顔をあげれば、しまったと言う風に眉をしかめた桐生と目が合った。

 桐生は、この真夏のキツい陽射しにも焼けてない自分の白い腕でこめかみを拭ったが、赤い筋は止まらない。

 「おっ前、どこが大丈夫だ! おもいっきり怪我してんじゃねえか! それも頭!」

 「私も今気づきました。どうも爆発の揺れで本棚に頭を強打したようですね。記憶喪失という展開にならなくてなによりです」

 傷が痛むのかややしかめっ面だったが、声はいつもと変わらず淡々としていた。たぶん眼鏡もそんときどっかいったんだろうな。

 「ふざけてる場合じゃねえよ。とりあえず止血……止血? まあ、なんかしようぜ。頭はいくらなんでもヤバすぎるだろ」

 「問題ありませんよ。それより、ここは一刻も早く避難するべきです。気さえ失わなければ私もとっくに避難して、貴方の手を煩わせることもなかったのですが……」

 「は? 気を失った?」

 「ええ。おそらく、頭を強打した時に。どうりで目を閉じるまではなかったはずの煙が蔓延しているはずです」

 再びドアのほうへ進み出そうとした桐生の手を、オレは掴んで引き止めた。

 「白の君?」

 オレは大きく息を吸って、

 「アホかっ!」

 と怒鳴った。ちょっと煙を吸ってむせたのは、ダサイからがんばって堪える。

 「いったいどうしたんですか。そんな大声を出して」

 「お前がアホすぎるからだろ。もうちょっと焦るとか、慌てるとかしたらどうなんだよ。第一、もうちょっと自分の体大事にしねえと親が泣くだろうがっ!」

 最後は、オレがよく親に言われたことだ。夏目漱石の『坊ちゃん』よろしく、教室の二階から飛び降りた時とかな。

 「……母と似たようなことを言うんですね」

 「あ?」

 「『顔は女の命なんだから』と何度も言われました。特に無茶をした記憶はないんですけれどね」

 「ハア。今のお前を見たあとじゃ、まったく説得力……」

 ねえけどな、という言葉はあとには続かなかった。

 ボンッという大きな音を立てて、開けていたドアから大量の煙がオレたちに襲いかかってきた。

 「うっ……げほっ、げほっ!」

 それを真っ正面から受け止めたオレたちは、涙を流してむせかえりながら、窓のそばまで後ずさるしかできなかった。

 「くっそ。ドアから遠ざかっちまった」

 のんびりしてる時間なんかねえっつーのに……。

 「いーずみー! きりゅうー!」

 ふいに、下のほうから奉助の声が聞こえてきた。見下ろせば、オレンジ色の何かがもこもこと膨らんでいる途中だった。


         *         *         *


 「用務員室どこだって言った⁉」 

 「正門の横や!」

 「遠っ⁉」

 一般棟の非常階段は、何かあったときすぐ校庭に避難できるように正門とは反対のところに降りるようになっていた。って、おれも今日降りて初めて知ったんだけどな。

 「ラッキー! お前ここで荷物見といてくれよ! ジャマだから!」

 「えっ⁉ ちょっと⁉」

 ラッキーがなんか言ってる気がするけど、無視してその場におれと和泉の荷物を放り出す。嵐も「運ぶのにジャマになるやろうから頼むわ!」って言いおいて、こっちへ走ってきた。

 正門までは五分もかからなかったけ、ど……

 「おーい、嵐ぃー! 正門の横って両方に似たような小屋あるんだけど、どっちが用務員室だー?」

 「右や右! 体育館側が用務員室! もう一個は守衛室や!」

 「おっけ、了解!」

 「待って! 相川くん! 嵐くん!」

 管理用務員室のドアに手をかけた時、ラッキーが駆け寄ってきた。おい、荷物は?

 「ラッキー! どうした? あと、荷物!」 

 「住吉先輩に見てもらってる! それでね、今日用務員さんいないんだって!」

 「え、じゃあ鍵開いてねえってことか⁉」 

 おれは握ったドアノブを見つめる。

 「ほな守衛室や! 非常事態やから開けてもらえるやろ!」

 「おう、頼む!」

 嵐が正門を挟んで向かいにある守衛室に走って行こうとした。この学校の全ての鍵は守衛室と職員室(特別棟二階)で管理されているからな。

 けど、それもラッキーが止めた。

 「ダメ! 守衛さんも避難とか消火で出払っているって教えてもらったの!」

 「はあ⁉ なんだよ、それ! どうしろって言うんだよ!」

 「住吉先輩が守衛さんと一緒にいるはずの牧ノ宮先輩に連絡を取ってくれるって言ってたけど、向こうが電話を取って……」

 ボンっ!

 ラッキーのセリフに被せるように、二回目の爆発音がした。見上げたら、ちょっとはマシになってた煙がまた黒い色を取り戻していた。

 「和泉!」

 「連ちゃん!」

 二人が悲鳴にも近い声で二人の名前を叫んだ。

 「くそがっ! 開けよ、このっ!」

 おれはいてもたってもいられず、用務員室のドアに体当たりをした。嵐がおれの肩を掴んでドアから引きはがしながら、

 「新品の鉄製ドアやぞ! お前の肩のほうが早よイかれるわ! 守衛さん探してくるから、ちょっと待っとけよ!」

 そう言ってくれた。ラッキーもおれの肩を心配そうにさすってくれた。

 二人だけじゃない。和泉も桐生も、おれの大事な友達なんだ。友達のピンチに何もできないとか……ふざけんじゃねえよっ!

 「んなもん、まろどっこしいんだよ‼」

 小学校の時から鍛えてきたおれのスペシャルワイルドキックをかましてやる。

 ドコッ! だか、バキッ! だか、なんかすごい音を立ててドアが開いた。よっし、さすがおれの黄金の左足!

 「お、おま……」

 「よっしゃ、開いたぜ! なあ、嵐。救助マットってどれだ?」

 おれはいの一番に用務員室に飛び込んだんだけど、警報に驚いてるのか、嵐もラッキーも入ってこようとしない。

 「お前、なんちゅうこと……。いや、それよりめっちゃドアひしゃげてるやん。もはや人間業ちゃうやろ……」

 「何ぶつぶつ言ってんだよ! 早くしねえと和泉たちが危ねえだろうが!」

 おれがそう言うと、はっとしたように蝶番が半分はずれてゆらゆら揺れてるドアから目を離して、嵐がようやく入ってきた。

 「はー……。ったく。始末書も停学も、どんと来いって感じやな」

 いつもみたいに、笑えないけど笑うしかないっていう顔で。

 ラッキーも、半ば呆然としたようなまま入ってきて一緒に救助マットを探し始めた。

 「そうそう。死なば諸共、道連れだ! っていうだろ?」

 「「それは違う」」

 なぜか両方からつっこまれた。


         *         *         *


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