真相
どうして信じてくれないの。 ……ハンドルネーム『KOKO』
海の底は限りなく、限りなく暗かった。
これから訪れる死のことを、桑名は漠然と考える。
桑名は気付かされる。『死』というのは、凄まじく深いのだ。代わりに何を得たとしても、代わりにどんなに尊厳を守り、やりたいことをやりぬいた上で与えられるものだとしても……死は、それらを完全に塗りつぶしてしまうほどには、暗いのだ。
どうしてあんなことをしたのだろう……?
決まっている。『何かの間違い』だ。
「すまない。リョーコ」
桑名の口から出たのは、そんな言葉だった。
はるかに対するわずかな情。桑名に残ったかすかな良心。それが桑名の運命を狂わせた。やはりというか、愚かで、何も生まないし、救わないのだ。善行という奴は……いわゆる『奇麗事』を背景にした行動というのは。結局桑名は自らの良心を潤わせた代償として、自らの命はもちろん、同じ人狼陣営の仲間のことまで失った。
それが最後の言葉になるのだろうか。自らが裏切り、売り払い、死に至らせた女のこと。過去に交際し、それを絶った女。つまらない女。つまらないが、確かに一度愛したことのある女。
その内、扉をノックする音が聞こえた。
自分の部屋で、投票結果の表示された部屋で、桑名は『お迎えが来た』と思った。死ぬ、首をつられて死ぬ。その後にリョーコが最後の『人狼』として処刑されて……そうしたら今度こそ
「桑名くん」
透き通るような声がする。
桑名は弾かれたように振り向いた。部屋の扉では、頬を桃色に染め、この上なく純粋な笑顔を表情いっぱいに膨らませた少女が立っていた。
「少し時間をいただけました」
前園はるかは優しくささやきかける。
「負け筋は今夜護衛成功を出されることですが、既に『狩人』は死亡済みだそうです。なので勝利が確定しました。ですので今夜どこを襲撃しようと、狼2、村人2残りとなりわたしたちの勝利。桑名くんの活躍のお蔭です。
よって許可が出たんです。処刑執行前に、少しお話できる時間をいただける許可が……」
その台詞の意味が、桑名にはすぐには分からなかった。いや、分からないはずがない。すぐには飲み込めなかったというべきか。
「今日『狂人』の桑名くんが如何に処刑されるかが肝でした。ですが完璧でした。当たり前ですよね……桑名くんはわたしの救世主なんですから。わたしがピンチのときはいつだって桑名くんが助けてくれるんですから。わたしは信じていました。だからどんなに泣いていたってつらくなんかありませんでした」
そう言って、はるかは一歩一歩桑名のほうに近づいて来て、桑名に手を差し出す。
「『狂人』お疲れ様です」
花が咲くように笑って
「わたしが『人狼』です」
桑名に向かって宣言した。
○
人狼:波野なにも 前園はるか
狂人:桑名零時
占い師:西山良子
霊能者:内田守
狩人:木島ナオキ
村人:赤嶺マミ 他門洋介 早川恒和 神田瀬純 粕壁あおい
昼時間に使われるはずの議論場に、桑名はいた。ソファには笑顔を浮かべた波野が足を組んで腰掛けており、桑名の姿を認めるなり「お疲れ様です」と机の上におかれたワインらしき飲み物を勧めた。
桑名は困惑したまま、はるかにつれられるがままに彼女の隣に着席する。恋人のような距離感で至近距離に感じるはるかの体温が、妙に透明に感じられた。
「木島くんが狩人……というのは意外でしたね。まさか『狩人』が村柱なんて宣言するなんて……」
はるかが口元に手を当てて言う。波野は瀟洒に微笑んで
「十分ありえることだと思いますがね。そもそも『村柱』なんて発想ができる程度に頭が回るなら、それを実行したところで受け入れられないことは理解できたはずです。だからこそ、非狩人アピールとして村柱を実行したのでは?」
「それが分かっていたなら、夜時間に教えてくださいよ」
はるかはむくれて
「ねえ。桑名くん」
そう言って桑名に微笑みかける。桑名は、ただ息を詰まらせたような返事をすることしかできなかった。
「ふふ……。それでは。われわれ人狼陣営の勝利を祝い」
そう言いながら、波野は迅速に三つのコップにワインを注ぎ込む。その鮮やかな赤い色がまるで血のように感じられたのは、桑名がそれだけ荒んだ精神状態にあったからだろうか。
「乾杯です」
はるかが笑顔でグラスをささげる。はるかは呆然自失の桑名の手を握り、グラスを握らせて高く掲げさせた。キンと、三つのグラスが宙で音を立てる。
グラスに口をつけなかったのは桑名だけだった。
「アルコール、苦手ですか?」
気を使うようにはるかが言う。桑名ははっとして、目の前のワイングラスをしこたま飲み干すと、目を見開いていった。
「おまえらが『人狼』なの?」
「そうですよ」
はるかは妖艶に微笑んで
「気づいていなかったんですか?」
「おまえが『人狼』ならどうして三日目にマミに『クロ』なんか出せた? 俺が一つ『クロ』を出している以上、マミを処刑した時点でおまえの偽が確定するだろ?」
「赤嶺さんを処刑してわたしが偽者確定するのは、桑名くんが本物だった場合だけです。桑名くんは『狂人』でしょう?」
「そうだけど……」
「四日目に桑名くんと『殴り合い』……もとい、いい合いをして、桑名くんに怪しくなってもらえば、わたしが本物という目も出てくるんです。そのまま桑名くんに決定的なボロを出すような演技をしてもらい、わたしの代わりに処刑されてもらえば勝利が確定します。まさにさっき桑名くんが実行したみたいに。
桑名くんが処刑された時点で、わたしたちはこのゲームの主催者から勝利の知らせを伺いました。『狩人』は既に死亡済みだから……どこを襲おうが四人中人狼二人残りで勝利ですって」
「……オレが、死ぬこと、前提で作戦が組み込まれていたってのか?」
桑名は呆然と口を開く。はるかはニコニコとして「はい」と言い放った。
「信じてたんですよ。桑名くんなら、自分の身を呈してわたしを守ってくれるって」
「どうしてそんな……」
「それを信じることがわたしのルーツだからです。信念、心の中の大きな柱といっても良いのかな? 女の子の幸せは、自分にはこの人のことだけあればいいっていう人を見つけること。わたしにとっては桑名くんがそうなんです。その桑名くんを信じられなければ……わたしという存在は無に期すようなもの」
はるかは歌うようにいいあげる。
「桑名くんに見てもらうためだけに綺麗になりました。もうふとっちょな『カエル』じゃありませんよね? いつか桑名くんにめぐり合って愛してもらうことだけがわたしの生きるよししろでした。その為だけにわたしは本当に苦しい中を……本当に本当に苦しい中を、なんだってして生き抜いてきました」
「苦しい中? 生き抜く?」
桑名は聞き返す。はるかはにこりと笑って
「わたしも、そちらの波野さんと同じなんです」
波野は瀟洒に笑う。はるかは続けて
「わたしはこの潜水艦の持ち主……人狼ゲームを主催する集団に対して莫大な借金があります。わたし、小学生の時に転校しましたよね? あれ父の夜逃げだったんです。でも捕まって……提示された借金の返済方法は生命保険。父はドラム缶に詰められて海に捨てられました。わたし、手伝ったんですよ? 手伝わされたんですよ? お父さんの入ったドラム缶に岩を詰めるのを。
でも足りなかったです、ぜんぜん足りなかったです、借金はたくさん残りました。それを返すために、わたしはこれまでの人生、組織に働かされて過ごしました。この人狼ゲームに参加することも、その一環。
考えても見てください。まともに『人狼』の役をやれる人が、二人もあなたたちの中にいたでしょうか。いませんよね。ふつういないんです。だからわたしと波野さんが『人狼』をやっていたんです」
「……どうして警察に訴えなかった?」
「桑名くん。警察組織っていうのはこの国の正義ですよね? ですがはたして、正義は必ず勝つというのは、神話ではなかったのでしょうか? これまでの桑名くんの人生の中で、正義が秩序を握っていた場所っていうのは、一つでもありましたか?
もしもこの世の正義が真実ならば、桑名くんが知っている、わたしがいじめられたあの日々はなんだったんでしょうか?」
ささやかれる言葉は限りなく透き通っていて、それでいてどこか弾んでいた。最高の恋人との会話を楽しむ少女そのものの表情で、楽しい声で、はるかは話す。
「知っていますよ。桑名くんが決して正義の人ではないことを。桑名くんは勇者だったりしないし、騎士でもないし、増してわたしのために生まれてきた訳でもない。
平凡の範疇の中で愚鈍で、個性ともいえない程度に軽薄で、人並に良心の呵責も持っているけれど……、ただそれだけの男の子で、それだけの男の子が過去にわたしを助けてくれたことがある。
大好きです。ずっとそばにいてください。絶対に逃がしません」
「……おまえがオレのなにを知っているんだ?」
「ほとんど何も知りません。ですが愛してます。この世で一番愛してます。何も知らないけど大好きです。
ずっとずっとそばにいます。それがわたしの目標でした。借金を返し終えればわたしは組織の奴隷ではなく一員となるでしょう。もうそうなるしかないだけのことをわたしはしてきています。ですが自由は増えます。自由が増えれば桑名くんを探すことだって……、そう考えて、生きてきたんです。
このゲームに勝利すればわたしは『人狼』の報酬一千万を得ます。それでわたしの借金は返済、いくらかお金が残りもします。同じタイミングで桑名くんがわたしのそばに現れた……これを運命と言わずして何と言うのでしょう」
「オレはそんな気持ちの悪い組織とはかかわりたくない。おまえとももうこれっきりにしたい」
「酷いことを言います。でも愛してます。わたしは言いました、もう桑名くんのことを逃がさないと」
「……思えば。オレが『狂人』になったのもおまえの差し金か」
思いついて、桑名は言った。はるかは上品にほほえんでから、たくらむような笑顔でこちらを見つめた。
「気づいていましたか?」
潜水艦に入る前に、桑名ははるかから『もし好きなカラーを選べるのだとしたら、何色を選ぶ』という旨の質問を受けている。桑名は『赤』と答えた。そして、自分の役職をカードで選択する画面において……『狂人』のカードの裏は赤色だった。
「そのくらいの根回しはできるんです。もうこの組織の経験長いですから。今回のゲームでたった一回行われた、ズルです」
そう言ってはるかは壁にかけられた時計を確認する。
「もうそろそろ許された時間も終わりますね。桑名くんがまだ正常を保っているうちに……もう少しお話がしたかったんですが」
「ちょっと待て」
桑名は言った。
「正常を保つ? それってどういうことだよ?」
「あなたは『処刑』されました」
波野がぴしゃりという。その口調はどこか事務的だった。
「首吊り縄にかけられます。あなたの死体は人狼の勝利の礎となるのです。そして吊り縄にかけられた人間がどうなるのかは……あなたはある程度ご存知でしょう」
桑名は絶望した。忘れていた訳ではない。自分は自らが偽者であることを告白し、処刑されたのだ。
しかしそれははるかを救うための行為だったはずだ。本当のことをいくら叫んでも受け入れられない、哀れな少女を救う為の自白だったはずだ。それが……それがなんで? なんでこんなこになっている? オレがしたことは? これでは……これではただ、ただただ……。
「あなたが本物であれば前園さんは偽者。ですが、あなたが偽者だからといって前園さんが本物とは限らない」
波野はあざけるように笑った。
「『狂人』のあなたですらたどり着けなかった、これが真実です。目をそむけようが信じなかろうが頭を抱えようが、真実に見合った結果があなたには訪れる。
あなたは覚悟を決めなければならない。処刑され、脳に障害を負うまで首を絞られて、廃人になってそちらのお嬢さんに飼育される運命を、受け入れなければならない。
あなたは確かに、だまされてここにいるのだから」
時計の針の音がする。これが後何回刻んだら自分が処刑されるのか。桑名にはそれが分からなかった。
「あはは。はは。はははは」
桑名は乾いた笑いを漏らした。もうすぐに自分は処刑される。首吊り縄にかけられて廃人のようになる。これが自分の望みだ。望みだったのだ。呆れる、呆れかえる。
「二日目に波野に『シロ』を出したのは?」
桑名は笑いながら尋ねる。はるかは微笑んで答えた。
「仲間を守ったんです。波野さんはそうしてあげないと生き残れない位置でした」
「早川に投票したのは?」
「あの人が一番敵に仕立てやすかったんです」
「ナオキを襲ったのは?」
「赤嶺さんを疑っていた人だから」
「じゃあ三日目にマミに『クロ』を出したのは?」
「自分は無実なのに信じてもらえない恐怖をあの人にも味合わせたかった。小学生のころわたしを一番酷くいじめたのはあの人です」
「粕壁を襲ったのは?」
「桑名くんを疑っていたからです。桑名くんが処刑されやすくなる一因を作るつもりでした。それプラス、あの人は視野がすごく広かった。こちらの狙いに感づかれる可能性もあったんです」
そこまで話し終えたところで、議論場の扉が開く。『不可逆』の紙袋をかぶった男が二人、桑名のほうに歩いてくる。
「最後に……一度でいいから、言ってもらってもいいですか?」
はるかがおずおずと言う。
「なんでもいいです。どんな言い方でもかまいません。うそだってかまいません。わたしに、女の子としての幸せを……。ただの一言だけでいいから、ですから。なにか、愛の言葉を」
体の両側を『不可逆』の男に固められる。桑名ははるかの顔を見た。桑名のことを見つめながら……幸せそうに頬を赤らめて笑っている。
「死ね。クソ女。アタマおかしいんだよ」
桑名は言い放つ。最後の言葉だった。
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