初日犠牲者
誰かを信用する理由を探しているなら、それは後で必ず裏切られた時の言い訳になる。 ……ハンドルネーム『チヒロ』
冷たい。冬の寒さにはまだ落ち着いた温もりがあるが、その部屋は沖縄という南国では感じたことがない程の、心まで凍てつくような冷たさがあった。
気温自体はさほど低くないだろう。エアコンを入れた部屋、くらいの温度だ。しかし桑名を凍てつかせるのは寒色で統一された無機質な室内の様子だ。粗末な絵の具で青く塗られた壁のところどころが剥げ落ちて、錆びたような黒色を晒している。狭い部屋の一面には机が取り付けられており、それに付属する椅子からちょうど見上げられる位置に小さなモニターが設置されていた。
「……なんだ。ここは」
潜水艦の中だということは、目を覚ました瞬間に察せられた。この独自の閉塞感と湿り気、それに付随する独自の冷たい空気感は、もう間違いがない。潜水艦に乗り込んで、その場で催眠ガス(胡乱な響きだ)で眠らされ、この部屋に運び込まれて寝かされたというのがシナリオだろう。
んな漫画みてぇなことがあるかよ……。
そう桑名はつい苦笑して立ち上がる。潜水艦に乗り込んでのレジャーということは知らされていたが、それがどういうものかまでは聞かされていなかった。いきなり眠らせて密室に放置するというのは、ツアー内容としてはいささか悪質だと言わざるを得ない。てっきりのんびりと水中の魚でも拝むのかと思っていたが……。
「善良な村人の皆様。お目覚めになられましたでしょうか」
と、そこで、暖かみのある女性の声がした。
「モニターをごらんください。わたくしは今回仮GMとして入村させていただいております、浪野なにもと申します。以後お見知りおきをお願いいたします」
どこかで聞いたことのあるような類の暖かみだ。桑名は真っ先に、映画館で映画が始まる前に聞くアナウンスの音声を思い出し、次にデパートの『迷子のお知らせ』を思い出した。プロフェッショナルの洗練された声音は、徹底的に事務的なものでありながらそれを一切感じさせない。
桑名は声のする方向を見上げた。ニコニコと完璧な笑みを浮かべたバニーガールが、画面いっぱいに映し出されている。露出された肩と胸の上半分はどこまでもセクシーで、桑名の目がその形の良い胸部に吸い寄せられるのもやむなしというものだった。二十台も半ば程度くらいのどことなく瀟洒な雰囲気の女性で、桑名はこの状況で、すぐに『好みだな』という感想を抱いた。これなら二十九歳熟れ熟れなんて目じゃないだろう。
「皆様はそれぞれの個室に案内されて、この映像をごらんになっていることだと思います。いきなりのことで驚かれたかもしれません。ぶしつけなことをいたしましたことお詫び申し訳ます」
そう言って浪野と名乗ったバニーガールは深々と頭を下げる。それから顔を上げると、少し挑発的な表情でこう切り出した。
「それでは、これから皆様には簡単なアンケートに協力していただきます」
そう言ってバニーガールが手を差し出すと、差し出した箇所に選択肢らしき四角形が五つ、表示される。四角形にはそれぞれ『十万円』『百万円』『一千万円』『一億円』『それ以上』と表示されていた。
「五つの選択肢のうち、皆様が『大金』と感じられるのはどの金額からでしょうか。マイクに向かって、お答えください」
見れば、桑名が座っている椅子の正面の机には、簡素なマイクが取り付けられていた。桑名は意図をつかめずに困惑しながら、しかしどこか興奮したスリルを伴っていた。
桑名はある程度のトラブルは嫌いではない。これがツアーの内容だというなら、後から文句を言いはしないだろう。いきなり眠らされるという経験には鳥肌がたちそうだったが、すぐに危害を加えられるということはなさそうだ。今はこのまま乗せられておくのが良いだろうと判断し、桑名は目の前の選択肢にアタマを切り替えた。
……いくらから大金?
高校生の桑名にとっては十万円からもう大金だ。短期間で稼ぐなら死ぬほどバイトしてようやく稼げるという金額。しかしそれは同時に、その気になれば手が届くという意味でもある。
ならば百万円か? いや、確かに大金には違いないだろうが、どうも数字としてガキっぽいような気がする。選択肢としてはあまりにもチープで、これを選ぶのはつまらない人間であるというような気にさせられた。いまどきテレビ番組の賞金でも百万円なんて珍しいだろう。
ならば一千万? 一億? 一千万ですぐ思いつくのは『年収』だ。『年収一千万以下は男じゃない』いつどこで聞いた言葉だっただろうか? そして一億。一億で思いつくのはそう、宝くじ。奇跡的な確率を潜り抜けなければ得られない夢物語。
この二択から、桑名は一千万円を選択した。それがもっとも無難なような気分がしたからだった。マイクに向かって「一千万」一言つぶやくと、しばらくして
「ご協力、ありがとうございます」
浪野が柔和に言って笑いかけた。
「アンケートの結果を報告いたします。まずは十万円から」
そう言って、浪野が画面の中で手を差し出していく。浪野の手が差し出されたところから、金額ごとの得票数が棒グラフとなって表示されていく。
十万円、一票、百万円、一票、一千万円、七票、一億円、零票、それ以上、一票。
誰がどれに投票したのかなんとなくわかるような気がする。『それ以上』なんて粕壁しか選びそうもない。あの女は高校生にしてモデルで稼いだ金を守銭奴のように溜め込んでいて、ことあるごとに通帳を取り出して『人生イージーモードワロタ』などと腹を抱えて喜んでいるような奴ばらだ。きっと一生食うにこまらない額をマークしているに違いない。
「最多得票で『一千万円』が選ばれました。それでは皆様には今回のツアーに参加していただいた見返りとして、一千万円がプレゼントされます」
そうそっけなく言うと、浪野はひょいと、画面の端から紙のブロックを取り出した。
桑名は唖然とするのを押さえられなかった。
浪野が取り出したブロックは、確かに札束でできていた。間違いない。片手で抱え込むのが重過ぎるのか、浪野はすぐにそのブロックを両手もちに切り替える。画面の向こうにもかかわらず、ずっしりどっさりとした存在感があった。
……なに? プレゼント? それ本気でくれんの? マジで?
「ですが。このままではこの一千万円を、お一人ずつにお配りすることはできません」
あ。そうですか。桑名はしらけた気分になった。なんだよー一千万くれんじゃないのかよー、などと茶々を入れるように独白する。本気でもらえるなどと一瞬でも期待してしまうあたり、桑名も一人の金に汚い若者ということになるだろうか。
「こちらの一千万円を、十名の参加者に均等に分けていただくことになります。一人百万円、しかしこれでは皆様の考える『大金』には届かない額でしかないでしょう。……そこで、もう一度アンケートです」
そう言って、浪野は画面内で手をかざす。四角形が、今度は二つ、表示された。
『1:皆で百万円ずつ持ち帰る』
『2:ゲームを行い、ほかの参加者を殺害して一千万円を持ち帰る』
……は?
『2』の選択肢に、桑名の視線は釘付けになる。ゲーム? ほかの参加者? 殺す? これ選んだらなに? 殺し合いが始まるわけ? 最後に残った一人が一千万を全部持ち帰れたりするわけ? アホ?
困惑する桑名に、画面の中の浪野はあくまでも淡々と
「1か2からお選びください。全員が1を選んだ場合は、この場で皆様には解散していただくことになります。皆様に百万円ずつお配りしてお返しさせていただく形ですね。
しかし2を選ばれた方がお一人でもいらっしゃった場合、ゲームが開始されます。1を選ばれた方と、2を選ばれた方で勝敗を競っていただき、2を選ばれた側が勝者となった場合、そちらに一千万円を差し上げます。
そして敗者は全員」
浪野は完璧な笑顔のまま表情を変えず
「死んでいただきます。この潜水艦には沈没していただき、勝者の方たちは奇跡的に助かっていただきます。
では、どうぞお選びください」
桑名は呆然と画面を見詰めた。浪野は笑顔だ。どこまでも透き通ったどこまでも温度のない笑顔だ。その変わらない笑顔が人によっては『冷徹』とも表現されるだろうことを桑名は悟った。なにがあっても変わらない笑顔は本能的な安心感を抱かせはするが、しかし冷静な自分は目の前のバニーガールに激しい警鐘を鳴らしている。
……本気だろうか?
話についていけないというのが正直なところだった。しかし最低限度、一つ確かなことは、冗談でも命の取り合いにつながりそうな選択肢は選べないということだった。それを選ぶのはリスク云々の前に、いくらなんでも空気が読めてなさ過ぎる。自分と同じようにこのアンケートを受けている仲間がいるというのなら、ここは全員が『1』を選ぶのが協調性というものだ。
『2』を選べば、確かに一千万円が手に入ったかもしれない。しかしそんな可能性などつゆほども追わず、仲間同士の同調圧力を優先する。桑名はそういう男で、その程度の器だった。そしてそれはおそらく、ほとんどの人間にとってそうだっただろう。そう、ほとんどの人間にとって
「ご協力、ありがとうございます」
桑名が『1』といってからたっぷり一分ほど経過した後に、浪野が柔和な表情で宣言する。
「アンケートの結果、『2』を選ばれた方が数名いらっしゃいましたので、これからゲームを開始したいと思います」
淡々としたその声。おい、桑名は思った。誰だ、ふざけて『2』なんか選んだ奴は。
そいつはこのアンケートを本気だと思わなかったのだということだろうか。だからってわざわざ『2』を選んでやることないじゃないか。少なくとも自分はいきなり眠らされたし、今現在海の中で逃げ場はないし、そんな状況でこんな得たいの知れない選択肢を選んでどうするのだ。
アホ。なんて性質が悪い、悪すぎる。見つけ出してぶん殴ってやる。桑名は恐怖に汗をたらしながらそう考えた。
「これよりゲーム内容を解説した特別映像をごらんになっていただきます。皆さんにプレイしていただくゲームはずばり、こちら」
浪野が手を差し出した先で文字が表示された。
『汝は人狼なりや?』
これがゲームとやらの名前らしい。
「皆様には孤立した小村の村人となっていただき、そこに紛れ込んだ数名の『人狼』を排除していただきます。『2』を選ばれた方たちが『人狼』役、『1』を選ばれた方たちが『村人』役。
今回のゲームは十一人で行います。人数合わせとして仮GMのわたくしも参加させていただきます。皆様どうぞ、よろしくお願いいたします」
○
『人狼ゲーム講座:1概要』
青々とした木々を背景に、無機質なフォントが表示された。カメラは木々を掻き分けて山の中の小村らしき建物郡の中へと入っていく。
村には真っ白い兎が何匹か行き着いていた。
「ここは山奥の小村です。みんなが平和に暮らしていましたが、村人を食べる人狼が紛れ込みました。大変です。大変っぽいので怪しくて人狼だと思わしき奴をぶっ殺して平和な村を作りましょう」
冷淡な声が、砕けた口調で説明する。
「人狼は村人の姿に化けて村に紛れ込んでいます。夜が訪れるたびに村人を一人襲撃し、殺害することで村人の全滅を目指します。
村人には、誰が人狼なのかを知る手段はありませんし、自分が人狼でないことを証明する方法もありません。
なので村人たちは、人狼だと思わしき人間を毎日投票で一人選んで殺害することにしました。
無実の犠牲者が出ても仕方がありません。村の全滅を防ぐために、人狼を全て殺害することが、村人の目的です」
『2:流れ』
「まず最初の『夜パート』、村人の一人が人狼に襲われるところからゲームは始まります。誰が襲われるかはわかりません。そして一人減った状態で二日目の昼が来ます。
二日目の『昼パート』、今度は村人が人狼を探して殺害する順番です。誰が怪しいかを話し会います。それが終わると夕方の『投票パート』が訪れます。怪しい人や特に怪しくないけどなんか邪魔な奴に投票しましょう。最多得票者は村人同士の凄惨なリンチによって殺害されます」
くだけた声のアナウンスが途切れるとともに、数人の兎が一匹の疑われた兎を首吊り縄で殺害している様子が表示された。本気で暴れ、生き残ろうと目をむく兎を、周囲の兎はと惑った様子でいながら力いっぱい押さえつけて吊り上げている。アニメーションなのだが、妙に生々しい迫力がある。桑名は気分が悪くなった。
「これによって全ての人狼を殺害すれば村人陣営の勝利ですが、そうでない場合もう一度『夜パート』が訪れます。このとき人狼側はもう一度、村人を殺害する機会を得ます。
その後、もう一度昼が来て『議論』『投票』を行います。これを繰り返して全ての人狼を駆逐することが、村人陣営の目的となります」
アナウンスが途切れると同時に、分かりやすい図が画面内に表示される。
『夜パート』人狼が一人村人を襲う。
↓
『昼パート』村人が議論をして人狼を探す。最後の投票で、最多得票の人狼が処刑される。
↓
『夜パート』人狼が村人を襲う。
「これを繰り返し、全ての『人狼』が死亡した場合、村人側の勝利となります。
『人狼』の数が『それ以外』の数と同数以上になった場合、人狼側の勝利となります。人狼にとっては村人が自分たちと同じ人数になってしまえば、村を支配することなどたやすいのですね。
ようするに自分以外全員ぶっ殺せば勝ちです」
アナウンスがそこで途切れる。そして画面が切り替わり、白い背景に太字のフォントが表示された。
『3:役職』
「このゲームには『人狼』や『村人』をはじめとするいくつかの『役職者』が登場します。それについて紹介をしていきましょう」
画面いっぱいに、何体かの兎のアイコンが表示される。兎の体に狼の頭を持つキメラ、片方の耳をそぎ落としぐるぐると渦を巻いた目をしたイカれ兎、つば長帽子と水晶玉を身に着けた兎、黒装束に数珠を持った兎、猟銃を抱えた兎、そして、何の変哲もない白兎。
「まずは人狼陣営に所属する役職者から紹介します。
『人狼』夜パートごとに、仲間の人狼以外の参加者一人を襲撃して殺害する能力を持ちます。
『狂人』何の能力も持ちませんが、人狼陣営と勝利条件を共有する仲間です」
キメラとイカれ兎が表示される。『狂人』は兎……村の住人でありながら人狼に組する裏切り者というところだろうか。
「次に村人陣営に所属する役職者です。
『占い師』夜パートごとに村人一人を占って、『人狼』かどうかを知ることができます。
『霊能者』投票で処刑した人物が『人狼』かどうかを知ることができます。
『狩人』夜パートごとに村人一人を護衛します。護衛された村人は人狼の襲撃を逃れます。
『村人』何の能力も持たない、ただの村人です」
水晶玉の兎、数珠の兎、猟銃を持った兎、ただの白兎が表示される。
「一度に全部覚えるのは難しいと思いますので、実際にプレイしながら覚えていただければ大丈夫です。ルールに関する質問なら受け付けています。
今回のゲーム、『人狼』の役職を持つのは二名」
……『2』の選択肢を選んだのが、二人ということか。
「今回のゲームは十一人で行います。十一人の内訳は、『人狼』二人、『狂人』一人、『占い師』一人、『霊能者』一人、『狩人』一人、『村人』五人です」
画面が切り替わる。浪野が例の一千万を、前触れなく現れた机の上において完璧な笑顔で話していた。
「ツアーに参加していただいた皆様に、このわたくし浪野なにもを加えて十一人。わたくしは皆様への説明役を兼ねての参加となります。一人ルールを把握しているものが入っていなければ、どうにも進めようのない類のゲームでございますので……。『わたくしが襲撃または処刑で脱落する』までは、わたくしが皆様に同じプレイヤーの視点で意見をさせていただきます。
ゲームマスターとして公平な視点でしか、皆様の質問に答えられないでいますと、込み入ったアドバイスができなくなってしまいます。プレイヤーとして参加させていただくことで、より戦略的な部分で説明を施すことが可能となるのです」
人狼側が、二人。『2』を選んで大金を欲しがり、命の取り合いを従ったのが、二人。
偶然のおふざけか? 特に何も考えず、ただ『ゲームおもしろそう』などという軽率さで『2』を選んだ奴ばら。そんな軽率さを持つとすれば一体誰だろう。
そしてそれは……はたして本当に『いる』のか?
「それでは。これから、先ほど『1』を選ばれた、すなわち『人狼』以外の皆様の『役職』を決定いたします」
そういわれ、桑名ははっとして顔を上げる。画面が切り替わり、色とりどりの十一枚のカードが並べられた画面が表示された。
「この中から好きな色を、皆さんに選んでいただきます。選ばれたカードの裏に書かれた役職が、これから始まる人狼ゲームでのあなたの役職です。なお、『2』を選ばれた方はどれを選んでも『人狼』になります」
赤、青、黄、緑、茶、紫、桃、空、白、黒、灰。
「お好きな色をお選びください。マイクに向かってどうぞ」
桑名が戸惑っている間に、桃色のカードがその場から消滅した。早々に誰かがカードを選んだらしい。緑、青が消える。桑名はつぶやくように『赤』と答えた。
画面が切り替わる。画面一杯に、桑名の演じるゲーム上の役職が表示される。
「嘘だろ……?」
桑名は心底困惑した気持ちで目を見開いた。
画面上に表示されていた役職は、『狂人』だった。人間でありながら人狼陣営に組する存在。はずれもはずれ、おおはずれではないか。
「では。これから『最初の夜』が訪れます。役職者の皆様は自身の役職を実行してください。役職実行の方法は、それぞれの役職者ごとに画面に表示されているのに従ってください。指示どおりに、マイクに向かって声を出していただければ大丈夫です。
また、人狼陣営のお二人は、そちらのマイクを使って相談を行うことができます。仲間が誰なのか今のうちに確認しておくことをお勧めいたします。
説明は以上となります。たった今から五分間、『一日目:夜パート』を取ります。役職者は自分の能力実行をどうぞお忘れなく。そして五分後、「二日目昼パート」を開始いたしますので、皆様どうぞ心の準備をお願いいたします」
そして、とうとう通信は着られた。
「おい、待てよ」
桑名は声を出す。
「その通信ってのは『狂人』の俺にはできんのか?」
声を出す。……返事がない。何でも聞けば教えてくれるのではなかったのか? いや、返事がないということは、それはできないということで間違いがないのだろう。『人狼』同士はコミュニケーションが取れても、『狂人』と『人狼』は連携をとることができない。
「……くそ」
いったい誰だ。『2』なんか選んだのは。
悪い冗談だ。ゲームだって? お笑い種だ。負けたところで本気で殺されるわけがないんだ、なぜなら日本は法治国家だからっ! 世界は平和だからっ! もしも平和でないことがあったとしても、桑名だけは平和に過ごすことができることになっているからっ!
そう心で叫んで、桑名はいすに深く腰掛けて脱力した。どうせ明日になった『2』を選んで人狼になった奴らからカミングアウトがあるに決まってる。空気を読まずに愚かにも『2』を選んでしまったことをわび、ゲームの終了を懇願するはずだ。
そうに違いない。
だから。『狂人』なんてのを引いたことに対しても悲観する必要はない。……ないのだ。桑名はそう言い聞かせる。元来の楽天家な性質が、その自己暗示を成立させていた。
滅多なことはおきないだろう、という考え。それは精神の安寧を保つ手ごろな手段であって、同時に、現実逃避という側面もどうしようもなく備えている。
桑名の楽観が打ち壊されるのは、ものの五分後の話だった。
☆
その五分は桑名の人生にとってもっとも長い五分間となった。不安に包まれ、落ち着かず、仲間に会いたいのにどこにいるのかも分からない。せめて『滅多なことはないだろう』という楽観を共有できる仲間が一人、この場にいてくれればどれだけマシだったことか。
「『人狼』が襲撃に成功しました。襲撃されたのは内田守さんです」
だが、実際にそのアナウンスが流れた際は、桑名はさらなる恐怖感に包まれた。『襲撃』……そうだ、『人狼』は毎晩人間を襲うんだ。そしてその対象にあのデブ、内田が選ばれた、ということか。それはつまり、バニーガールがいうところの『ゲーム』がつつがなく進行していることを意味している。
ふと、モニター一杯に暑苦しい顔が表示される。内田だ。太った色白の頬は赤子のようにつるつるとしている。デブのほうは肌が奇麗なんだよ、と桑名はどうでもいいことを思った。油汗をかいた醜い顔には猿轡がかまされていて、目をむいて太った体を震わせている。
カメラが引いていく。ここで桑名は絶句することになる。内田は小さな、三メートル四方ほどの檻の中に、猿轡を釜されて放り込まれていた。
画面の端からスーツ姿の男が現れる。大きな紙袋をかぶった、けったい男だ。その紙袋には大きくマーカーで『不可逆』と書かれている。
「浪野なにもがPLとなったので、これからは我輩がゲームマスターを引き継がせていただくっ! GMと呼んでくれるがいいっ!」
それから『不可逆』はすばらしいフォームでカメラのほうに突っ込んでくると、両手で画面をわしづかみにしてこちらに顔を近づけた。その紙袋には視界を確保するための穴すら見えない。
「これから行われるゲームの内容はすべて録画され、『上品な趣味』を持った方々に提供される。若者たちが極悪なゲームで命を散らすという『高度な映像作品』としてなっ! 今からお見せするのはその導入であり華の一つ……人狼による『襲撃』っ!。実際に内田守さんには狼に襲われてもらう。だがしかし殺したりはしない、彼が脱落しても、彼の陣営がゲームに勝利すれば生きて帰ることができるのであるっ! 手足の一本くらいは失うかもしれないが……」
手足の一本……? どういうことだ……? そう、桑名が息を飲み込んでいると、『不可逆』の後ろで大きな別の檻が運ばれていくのが分かった。
そこには真っ黒な大型犬……というにもさらに大きな、狼のような動物が入れられていた。餌を与えられていないのか、獣は鋭い牙を見せつけながら暴れ、頭を檻のあちこちにぶつけている。よだれをたらしながら格子に噛み付くその顔の、飢えた瞳は本能的な恐怖を桑名に抱かせた。空腹の獣、鋭い牙の獣、危険な獣。
「これを参加者諸君に見せるのは、ゲームを円滑に行わせるための処置であり、つまり見せしめであり、デモンストレーションであるといえるっ! それでは、襲撃☆ターイムっ!」
『不可逆』が音頭をとると、檻同士が連結され、そして獣の檻と内田の檻の間にあった格子が瞬く間に取っ払われた。内田は涙を流しながら下がれるところまで下がるが、しかし獣は早い。
一秒ともなく、獣は距離を詰めて内田に飛び掛った。豚のように越え太ったその太ももに、獣は鋭い歯を立てる。声にならない絶叫があがると同時に、獣の口から油と血と涎が滴り落ちる。
あまりの光景に、桑名は目をそらした。目をそらせるだけ、桑名は気丈だったといえるかもしれない。
格子がゆれる音と獣のうなり声、搾り出される内田の悲鳴を聞きながら、桑名は「アホ」とつぶやいた。震える心で、歯を鳴らしながら桑名は確かに確信する。
……これ、マジだ、と。
『不可逆』はこれを『見せしめ』と言っていたが、その効果は絶大なものだったといえる。向こうはゲームとやらのために『ここまで』やってくるのだ。『ここまで』やってくる連中に、逆らえるはずがない。逆らおうという気がおきない。
やるしかないのだ。ゲームを。
「おいそこまでにしろっ! 本当に殺しちまうぞっ!」
『不可逆』の怒声がする。銃声がして、思わず桑名は画面のほうを見つめた。催眠弾でも食らったのか、獣は檻の中で体を丸めてじっとしている。その口元には巨大な……とても見れたものではないほど巨大な……肉塊が挟まれていて、向かいで倒れる内田の片足は以前よりも短くなっていた。
「あー。おほん。内田守さんはこれからわれわれの手によって、集中的な治療を行うので安心されよ」
『不可逆』はあてにならないことを言って
「落ち着いたものから個室を出られよっ! 誰が内田守さんを襲った『人狼』なのかを推理してもらう。ただし、急がれよ。議論時間は一時間しか用意していない」
……始まるというのか。ゲームが。
桑名は息を飲み込んだ。始まるのだろう。させられるのだろう。そしてそれは命がかかっているのだろう……。
そう考えたとき、桑名が最初に思ったことは『ふざけていられない』ということだった。『これは本当にヤバい奴だ』という意識は、桑名から震えを消して思考をクリアにさせた。
桑名は要領の良い遊び人、小ずるいチャラ男である。どんなにふざけて不真面目に生きていても、自分のするべきことは常に分かっているつもりだし、要領よくそれを処理する能力には長けている。
だから……桑名は他の仲間たちの中でも比較的早く、決意を固めて個室を出ることができた。
何の決意?
生き残るための決意である。