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チャラ男の修学旅行

 なにサボってこんなもん書いてるんだ。

 山奥の孤立した小村に、人狼が現れた。

 人狼は昼間は人の姿をして村人に紛れていて、夜中になると一人ずつ獲物を食い殺す。見分ける手段はないし、自分が人狼ではないと証明する方法もない。

 そこで村人たちは、自分たちの中から人狼だと思わしきものを選び、毎日一人ずつ処刑にかけることを決めた。

 無実の犠牲者が出ても仕方がない。村が全滅するよりは……。


 ○




 疑わしいのは誰かを考えて探しているうちはお人よしだ。できる奴はまず全員を疑い、信じられる人間の方を探す。 ……ハンドルネーム『NANA』




 桑名零時は要領の良い遊び人である。といってもそれはまだ、彼のことを好意的に言い表したセンテンスだろう。彼のような振る舞いをする人物を毛嫌いする人間に言わせれば『小ずるいチャラ男』とでもなるだろうか。

 進学校としては控えめな偏差値の高校に通い、単位を落とさない程度に授業に出席し、追試を受けない程度の点数を獲得する。ぎりぎり『二流』呼ばわりで済む程度の私立大学が志望校で、将来の夢は特にない。

 人生をすばらしいと特別思わないが、あえて悲観するほど暗い生き方をしている訳でもない。それなりの仲間と、それなりの日々を過ごしている。

 今現在、彼女はいない。童貞は中学三年の夏に捨てた。

 非童貞であることは重要だ、と当時の桑名は、当時の桑名なりの価値観でそう考えていた。周囲の人間と比べ『進んだ』人物になるためには、よりオトナな経験をたくさん積まなければならなかったし、セックスというのはその最たるものだと感じていた。 

 しかし当時付き合っていたガールフレンドはなかなかお堅い家の子だった。自分の興味を満たすための道具として彼女を利用することに躊躇を覚えない程度には、酷薄なところのある桑名だが、背中に刺青を彫って(事実)チャカを潜ませ(想像)舎弟を引き連れて練り歩く彼女のとーちゃんはやはり怖かった。

 付き合い自体は認められているようだったが、その子はどうも父親に桑名との間で起きたことを逐一報告するよう言われているらしく、そのことについて反発を覚えてもいないようだった。はっきり言って箱入り娘のファザコンのガキに思えていた桑名だったが、そんな純なところが『カワイイ』と男子の間で評判で、桑名の高株価はその子を彼女にしているという一点で大きく保たれていた為に、捨てることもできなかった。

 なので桑名は貯金を切り崩して全額を財布にぶち込み、歓楽街へと繰り出した。風俗というものに、興味があったのだ。

 いくら大人びて見えるといっても所詮はガキであった桑名を最初受付は煙たがったが、金さえ見せればどんな人間でも客になれるのが、いわゆる『ヤミ』の良いところだ。『どの子にする?』と女の子のプロフィールを見せられた桑名は、緊張と興奮で冷や汗をだらだら流しながらリストを確認し……ある一点を注視した。

 『二十九歳熟れ熟れボディのお姉さん。テクニックは神の領域。かわいがってあげるわ』

 それと出会ったことが、桑名の年上好きの始まりであり、童貞卒業へと続く瞬間であり、また当時付き合っていた彼女と別れた理由でもある。


 ○


 ちなみにお姉さんはあれから二年たった今でも『二十九歳』を名乗っているのだそう。『熟れ熟れ』とはただの謳い文句で現実は熟しすぎて腐り内部には虫を飼っているため、コンドームは絶対に二重巻き必須という有様だった。だが『神の領域』とまで謡われたそのテクニックは本物だったようで、結論から言うと桑名は絞りカスにされてそれ以来風俗には行っていない。

 それから桑名は高校に進学し何人かの女性と関係を持ったが、どれもこれも『ガキだ』という印象しか持たなかった。

 「沖縄美女でもナンパしてみるか?」

 などとアタマの悪い言動で桑名に持ちかけたのは、小学生の頃からのソウルフレンド(ダサいが、彼はそう言ってはばからない)であるヨースケだった。

 「でもおまえカノジョいるじゃん?」

 桑名が答える。するとヨースケは「おまえの話だよ」と眉をひそめて

 「なんで前の彼女と別れちゃった訳? 修学旅行フリーとか寂しくね?」

 「体が合わなかったんだよ」

 「格好いーけどさ。泣いてたぜ、彼女? おまえさじゃあいったいどんな女が好みな訳? いつ聞いてもはぐらかされんじゃん?」

 「はぐらかしてないだろ。AV女優から選ぶなら市ノ瀬ももかだってよ」

 「巨乳好きなん? でもそれはぐらかしてるのと同じじゃね? それ単にかわいくて巨乳の子が好きって意味だろ? そんなんおまえ個人の好みじゃないじゃん」

 「いいじゃんももかヌケんだろ」

 「レイジおまえもてるのにヌくとかいうなよ。おまえ好きな女一之瀬ももかとか、好きな食べ物カレーみたいな話だろ。牛丼とかラーメンでもいいけど。おまえクラスの男子にアンケートとって見ろよ、『一之瀬ももかすきですか』って」

 「間違いなく得票率は八割を超えるな」

 「だろ? つー訳でおまえ好み聞かせろよ」

 「唐木マオ」

 「だからさー」

 トップアイドルの名前を出した桑名に、ヨースケは嘆くようにして頭を抱えた。いえる訳がない、桑名の性癖のルーツにあるのが、性病と『神の領域』テクニックを持つ風俗嬢であるなどと。

 そこは修学旅行のバスの中だった。高校生活最大の思い出つくりの場。確かにこのたびを控えて彼女を作っておかなかったのは、失敗だったといわざるを得ない。

 「つか唐木マオってあれ清純派っ! 市ノ瀬ももかと正反対っ!」

 「いーじゃんかわいいじゃんどっちも。ヌケんじゃん」

 「判断基準それ? つかアイドルで抜くとかキモいな……。おまえぶっちゃけ誰でもいいんじゃね? 平均以上かわいかったら誰でもいいんじゃね?」 

 「そういわれりゃまー……そうかもな」

 「あっさり肯定すんなし。じゃあ……粕壁でもいい訳か?」

 そう言ってヨースケは最後尾の席、中堅グループから一人分席を空けられて座り、一人で携帯電話をいじっている見栄えのする少女を指差した。たいして化粧しなくても抜群にかわいい容姿に、何を着せても似合ってしまう体躯。限界まで短くしたスカートをはいていて、その両足を品なく投げ出している。

 粕壁は容姿だけならクラスどころか学校中探しても余裕のナンバー1といえる美少女で、雑誌の読者モデルを足がかりに、テレビ出演までこなす若手実力派まで成り上がったやつばらだ。しかしその実態は聞くに堪えないネットスラングで高圧的に話すキモオタで、なんちゃんねるだかいう巨大掲示板で自分の裸をアップロードして遊んだりしているゴミカスらしい。友達もおらず、食事は一人で便所で食べている。

 「カラダだけなら余裕だね」

 桑名は正直なところを言った。「……違いねぇな」ヨースケはうなずいて

 「ぶっちゃけ頭の中で裸にしたことあるっすわ」

 「なにそれキモい。カノジョ泣くぞ」

 桑名は身を引き気味にしてみせるが、しかし同じ経験がないわけもなかった。

 「付き合う前の話だよ」

 ヨースケはそう言って首を振るう。

 「っていうかあいつ絶対なに、ビッチっつか露出狂的なとこあると思うよ。スカート短いし。言動カスだけど性欲は感じるわ、マジで」

 そういったヨースケの頭を、背後からどついた女がいた。

 「あ?」

 そう言って振り返った先にいた少女を見て、ヨースケは絶句した。ヨースケと現在交際中である女生徒のマミが、怖い顔をして立っていた。

 「ごめんっ!」

 先制攻撃でアタマを下げるヨースケを見て、桑名は苦笑した。確かにこういう時は下手に言い訳をしたり高圧的に振舞ったりすると、人間関係に溝ができかねない。だから誠意を見せてしまうのがこの場合得策なのだが、しかしそれはとてつもなく情けないことには違いあるまい。

 「くだらないわね。粕壁のこと好きな奴なんて童貞かドルオタだけよ。あんたも所詮そんな程度ってことかしら?」

 痛烈な嫌味に、ヨースケは顔を赤くする。ただマミの怒りは伝わっているのか、言い返すことはせずに頭を下げ続ける。

 「最低ね」

 と、そういったのはマミの親友であるリョーコという少女だった。

 「マミちゃんみたいな素敵なカノジョがいるのにそんなこと思ってるの? 誠意がないよ」

 誠意とは。桑名は少しだけ不愉快なものを感じた。この手の奇麗事が桑名は基本的には嫌いだ。セイイだのリンリだの面倒なことは考えず、もっとテキトウにやればいい。

 「おまえは関係ないだろう」

 と、ついそんなことをいうと、リョーコは膨れた顔でこちらを見つめてきた。

 「関係ないことないでしょ。私はマミちゃんの親友なんだよ」

 「うっせぇな。こいつらの問題だろ黙ってろ」

 「酷い、勝手に言わせておけっていうの? 好きな女の子がいるなら、それ以外の子に手を出したいなんてこと、思っていてもわざわざ口にしたりしないのが誠意じゃない? それはちゃんと言ったほうがいいよ」

 「だからなんで外野がしゃしゃり出て……」

 そう言って、外野同士でなにを争っているのだろうと、桑名は自らのばかばかしさに気づいて沈黙する。リョーコはそれを言い負かしたと見て取ったのか、すかさず追撃を加えてくる。

 「桑名くんも軽薄すぎるんだよ。あなたに彼女がいて、デート中に別の男のこと考えてたらどう思う?」

 「そうだなー不愉快だなー」

 「なに、その言い方」

 「ほらリョーコ。喧嘩しないの」

 マミがたしなめるように言う。

 「別にいいっての。ほらあれよ、性欲を感じる対象と愛情を感じる対象はまた別だって話、オスってそういうもんなのよ。こいつだって」

 そう言ってマミはヨースケのことをどつく。

 「アホなオスなんだからこれくらいのことを言い出すのはしゃーなし。ただお詫びはしないとね」

 「もっともです。女王様」

 冗談めかして、ヨースケは言った。

 「じゃあお昼はあんたのおごりよ。全員に」

 「了解しました」

 そう素直に引き受ける甲斐性がヨースケの魅力である。桑名はヨースケのことを指差して大声で笑ってやる。その笑いっぷりの方が受けたのか、リョーコもそれ以上にぐちぐちとは言ってこず、一緒に笑う。それで全部笑い話、修学旅行の楽しい思い出……。

 桑名は満足していた。なにに? なんというか『今』に。今この時間というか自分の青春に。

 だから桑名は自分の人生や自分自身の存在を価値のあるものと思うことができる。将来? も、きっとこんな風におもしろおかしくやっていけるのだろう。そう、こんな風な時間が、何もしなくとも、ただ桑名が桑名であり続けるだけで……無限に続いていくのだと。

 そう心のどこかでは、信じていた。


 ●


 「おいジュース買って来てくんね?」

 そう高圧的に命令するのは、桑名たちのグループに属する早川という小男だった。背が低くうっとうしい感じで髪の毛が長く、口が悪い。命令された太ったぶ男はびくびくとした表情で反駁する。

 「な……なんで……ぼくが」

 「は? 自分でいくの面倒なだけだしぃ。おまえどうせ暇だしぃ? 嫌なの?」

 「……じ、自分で行けばいいだろ……」

 「だからぁ。面倒くさいっていってるのぉ? 日本語わかる?」

 修学旅行一日目の夜、ホテルの部屋だった。消灯時間前の、はしゃぎ騒ぐもっとも楽しい時間。三人でトランプをやっていた際、早川がのどが渇いたとぐずって、人数あわせに部屋に入れた目立たないデブに命令しているのだ。

 命令されたデブ……確か内田といったか……は、パシりにされてはたまらないとばかりに小理屈で反論している。「自分にそんな義務はない」だのと。しかし決定的な拒絶ではないので、早川は調子に乗って高圧的に振舞い続ける。

 「おい内田嫌がってんぞ。その辺にしとけ」

 ヨースケが早川に忠告するように言った。すると早川はみるみる手のひらを返して

 「ヨースケくんは優しいなぁ。いや慈悲深いっていうか、なんつーか。もう聖人っ! いい男だわー」

 そういってニヤニヤと笑いながら拍手を作る。「そうかぁ?」と意味もなく乗せられておくヨースケは、確かにいい奴だと桑名は思っている。

 「ぼ、ぼくは行かなくていいのかな?」

 内田が震えた声でいう。そんななさけない声を出すからいじめられんだと思いつつ、桑名は「おうブーデーっ! じっとしとけっ!」と大声で言い放つ。びくりと震える内田を、早川と思うさま笑った。

 「でものどかわいたな本当。誰か買いにいかねぇと」

 「じゃこれで負けた奴でいいんじゃね?」

 と、『A』を四枚出して革命を起こしつつヨースケは言う。「ああっ!」、桑名の手札にあった三枚の『2』がゴミに変わった瞬間だった。


 ○


 「オレが買いに行くのかよ……」

 納得のいかない気持ちで桑名は買出しに出かけた。「いや悪いね、本当悪いよねー桑名クン」とニコニコしていた早川が思い出される。

 あいつは小学生のときからずっとヨースケの腰巾着、その程度の男だ。別に邪魔ではないので適度に相手をしてやってはいる。早川自身桑名のことをある程度『自分より上』と認めているようで、ジュース代に関しては何も言わずとも百二十円を差し出し、『一番近い自販機でいいよ』と添える程度のことはする。

 なのでいわれたとおりに桑名は一番近い自販機でコーラを四つ、購入した。内一つは思いっきりシェイクしておいてやる。内田に「これおまえの」と言って放り投げてやる算段だった。

 購入を終わり、帰ろうとするとリョーコがいた。こいつも自分と同じくパシられに来たらしい。

 「ようリョーコっ!」

 できるだけ明るく桑名は言った。続けて『後でおまえらの部屋いっていい?』と聞くつもりではあったので、好印象を与えておかねばならない。しかしリョーコはぶっきらぼうに首を振って通り過ぎて

 「こんばんは。また明日ね、桑名くん」

 と早々に別れの挨拶をして立ち去っていく。……こいつとはどうも、まともな人間関係を構築しなおせそうにない。

 リョーコは桑名が初めてふった女だった。体の関係はなかった。中学の頃、付き合っていて、家の厳格さと本人のガキっぷりからやらせてもらえず、二十九歳熟れ熟れ神テクお姉さんに筆卸しをしてもらってすぐに分かれた。そんな関係だ。

 ガキっぽい半端な正論を言いたがるところと、しゃしゃり出るところ、負けず嫌いなところ……このあたりは昔のままでただ少しばかりギャルっぽくなったのが今のリョーコだ。マミの影響が強いだろう。

 分かれた理由については特に言ってはいないが、大筋をリョーコが理解しているであろうことは間違いなかった。リョーコがカラダを許さないことに桑名は不満を呈していたし、別れた後の桑名の盛んさと言ったら、当時の友人たちの間ではそれなりに有名だ。

 リョーコは自分を疎んでいる。それは間違いない。間違いないが、だからといってこちらから距離を取れないのも事実だった。理由は簡単。桑名→ヨースケ→マミという具合に、自分はクラスの女子の親玉的存在のマミとつながりを持てている。このコネクションは大事にしておかなければ、桑名のちんちんの先が乾いてしまうのだ。マミと親友であるリョーコと不仲を起こすのは得策ではない。

 「部屋に戻るか」

 部屋では早川とヨースケが気だるげに駄弁っていた。「おせーよ」ヨースケから顰蹙を買う。

 「うっせ」

 そう言って桑名は全員に炭酸飲料を配ってやる。早川とヨースケと自分、なぜか一本余る。「あ?」思い、後ろで正座している内田が目に入ったので、「ああ……」と声を上げて内田にも一本振舞ってやる。

 「あ、ありが……」

 そう言ってキャップをはずした瞬間、噴水があがる。

 「ぶひゃひゃひゃひゃひゃっ!」

 早川は笑う。桑名もそれに続いて笑う。ヨースケも、これには腹を抱えていた。


 ○


 それからマミたちの部屋に押しかけて、騒いで、教師に見つかってさんざ叱られて部屋に戻り就寝する。

 これを抜け出してどうのこうの、と考えるほど一日の疲れは小さくなかった。早川がしきりに自分たちをしかりあげた担任教師をこき下ろしているのを聞き流しながら、桑名はどうにか眠ろうと試みる。

 「疲れてね?」

 と、ヨースケは意外な鋭さを発揮していった。

 「つかレイジさっきのコーラ、あれ酷すぎ。いじめじゃん」

 あざ笑うような口調だったが……若干の非難がこめられているのを察して、桑名は面倒な気分になる。

 「いじめ格好悪いぜレイジ」

 「うっせ。おまえ今奇麗事言ったな。オレは奇麗事が嫌いなんだ」

 「そうだっけ? でもあれじゃん? 内田これ自殺とかしたら面倒じゃん? バレて進学に響いても面倒じゃん? 何事もメリットとデメリットを考慮して行うべきである。平成の剣豪ミヤモトマサシの言葉である」

 「なんだそれ」

 「しらね。でもほらいたじゃん小学生の時、俺たちでいじめてた女子。あれ最後転校してったじゃん」

 「カエルか?」

 「そうそれ」

 カエル。それは当時のいじめられっこに与えられたあだ名、というか蔑称だった。

 自分たちのようなチャラ男とはまるで違ったヒエラルキーに属する女で、カエルのような大きく焦点の合わない瞳を持ち、いつもどこかどことも知らない場所を見つめていた。ウシガエルのように太った顔、イボガエルのような酷いにきびをしていたために、順当に『カエル』というあだ名をつけられていた。その『カエル』の何かがマミの逆鱗に触れたのか、『カエル』は当時から自分たちグループの女王様だったマミから苛烈ないじめを受けることになる。

 今でこそ分別がついて丸くなったが、当時のマミはまさに暴君と呼ぶのがふさわしい気難しい性格で、少しでも気に入らないと思った相手は徹底的に苛め抜いた。小学生といえば、人間関係の距離が限りなく近い。休み時間意外でも、一緒に何かをする機会を無理やりにでも与えられる。そういう時に、マミは徹底的に『カエル』を冷遇し、酷使し、最後には転校にまで追いやった。

 「いいじゃんあんな奴。転校先ではまあそれほど酷い目にはあわなくてすんでるんじゃね?」

 桑名は無責任な感想を飛ばす。ヨースケは口をぽっかりあけて

 「酷くねその言い方? おまえ結構あいつの味方してやってたじゃん」

 「なにそれ?」

 覚えがない。そう態度に表すと、ヨースケは首をかしげて

 「覚えてねーの? ほらあれ、クラスで飼ってた文鳥みてぇなの、あれが殺されててさ。やっべーってなって、んで飼育委員のカエルが疑われてさ」

 ……思い出した。あまり歓迎したくない思い出の一つだ。

 桑名は知っていた。文鳥を殺したのが『カエル』ではないことを。なぜなら桑名が殺したから。

 別にどうということはない。『文鳥の足に紐をつけて、ラジコンのように飛ばす』ということを思いついた桑名はかごから文鳥を取り出し、実行しようとして首の骨を折って殺してしまった。どうせばれないだろうと籠に放り込んでやっていたのだが、何故か疑われたのは『カエル』だった。

 「それでさ。『オレがやったんだーっ!』って学級会でレイジがいきなり立ち上がって叫んで……。あれカエルに全部押し付けてやればよかったじゃん?」

 「……ガキだったからな」

 そう、桑名は本気で思っている。

 「妙な正義感みてーなの? あったんじゃね? しらねーけど」

 基本的に、桑名は善悪感というものを軽視している。面倒臭いというのが何よりだし、ガキっぽいと思う。だから自分が正義感にかられて白状した当時の自分は今と比べればどうしても『ガキ』で、あの時に戻ったならば間違いなくカエルを見捨てている。そうすることで、あの苦労した反省文から逃れられるのだから。

 「今はねーのかよ」

 「ねーよ」

 「酷い男だな」

 「しらね」

 そこで会話は終了。早川は布団の中で隣のデブを蹴りまくることを楽しんでいる。桑名もヨースケもそれを無視し、翌日に備え、眠りに入った。


 ●


 沖縄といえば海にちなんだレジャーだ。海水浴に船、釣り。いろいろあって全部いい。

 数ある中から桑名が選択したのは、潜水艦に乗って海の中を楽しむと言うツアーだった。一番金がかかっていそうだったし、何より海水に塗れずに済む。海につかると恐ろしく疲れるし、不衛生ではないかという女々しい不安もある。気持ち悪かったり疲れたりしないまま海を楽しめるという意味で、潜水艦というは非常に合理的だといえる。

 よって潜水艦の出る港で桑名ほか、潜水艦レジャー選択者は待機しながらダベっていた。

 「君らも、これ選んだの?」

 そういったのはクラスで一番背の低い男、ナオキだった。柔和でどことなく邪気のない笑みを浮かべた奴で、桑名は彼を『いい奴』と認識していた。

 「ああ。疲れないからな」

 桑名はそう答える。桑名のほか、ユースケや早川、内田の四人。さらにマミとリョーコも潜水艦レジャーを選択していた。

 桑名の人の呼称には法則がある。まず女子は基本的に全員下の名前、これは当然だ。親しく名前で呼ぶことで『仲がいい』という印象を作れることは、その女子と仲良くなる上で重要であり、何せ周囲から『女子と仲良いデキる奴』の印象を持たれうる。また、距離が近かったり好ましく思っている男も名前で呼ぶ。下の名前というものに過剰な言霊を感じてしまっているのかもしれない。そこからいうとナオキは桑名にとって好ましい男で、早川はそうでないということになる。そして粕壁は女子の中でも例外的だといえる。

 「おまえはどうして?」

 「なんか格好いいなって、思って。それからその、彼女が」

 そう言ってナオキは自分より十センチほどは背の高い女を手のひらでさして

 「これに興味あるって」

 「…………」

 沈黙で答える女は、ジュン。ナオキのガールフレンドだ。どうも子供っぽい性格のようで、今も自分より頭半分小さなナオキの後ろで彼の服のすそを掴んでいる。これをかわいこぶりでなく、本気で庇護を求めてやっているのがこの女なのだ。

 「格好いいってか? 潜水艦が?」

 「うん。だってすごいじゃない。水の中をもぐれるんだよ? 小さい頃から興味があったんだ」

 屈託なくいうナオキ。言動に裏表を感じないのがこの男の好ましさの一つであるといえる。

 「……ねぇナオキくん」

 そう、背後でジュンが淡々とした声で言った。

 「そろそろわたしにかまって」

 「あ。その、ごめんね。ジュンちゃんは潜水艦、楽しみにしてた?」

 「うんっ」

 笑顔で言うジュン。ヤバい、ちょっとかわいい。しかしジュンは少し沈んだ顔になって

 「でも鉄なんだよね潜水艦。沈まないかなぁ……」

 沈む訳がない。

 「大丈夫だよ。ただの鉄じゃないもの。潜水艦は水に浮く特別な鉄でできているんだ。だから大丈夫に違いないよ」

 ナオキは言う。どんな理屈だ。こいつらはクラスでも有名な天然カップルで、見ていてもまったく飽きない。

 「なにそれすごいっ! でも浸水とかしたら……」

 「浸水なんかしないよ。万が一してもさ、ほら、泳げばいいし。あんまり深いところはいかないよね?」

 「でも……うまく泳げなかったら沈んじゃうし」

 「浸水し始めたら服を脱げばいいよ。服の重みがなかったら沈まないよね?」

 「でもサメは……」

 なるほどそうかサメと来たか。それは危険だろう。

 「……そうか。サメかぁ」

 そして本気で心配して杞憂に感じ始めるナオキ。しばらく真剣な面持ちで考えて、それから

 「ちょっと怖いね」

 といった。

 「うん。ジンベイザメとか、怖いよ。大きいもん」

 「大丈夫だよ。ジンベイザメは人を襲わないんだ。水族館のパンフレットに書いてあった」

 「そっかっ! じゃあ安心だねっ!」

 ジュンは納得して笑顔になる。いやサメならほかにもっとヤバいのいるだろ。ホオジロザメとか。

 しかしナオキはそれ以上は何も言わずに、ジュンに合わせてニコニコ笑っている。本気で浸水だのサメだの心配しているのは、ジュンのほうだけだ。ナオキはそれにあわせてしゃべっているだけ。どうもナオキはジュンのことが好きでたまらないようで、なにを言われても彼女の世界観に降りてきて一緒に話をしてやっているところがある。いいカップル、といえるだろう。

 「あー暑い。前にロケで来たときよりずっと暑いって。あれ十一月だったしなー」

 愚痴を言いながら服を引っ張り、中に風を入れているのは粕壁だった。ピンク色の下着と豊満な胸がちらりと見える。それを粕壁自身理解しているようで、周囲の男子の視線にニヤニヤとしている。顔とボディだけなら文句なしの学校一番の女だ。

 「なんで沖縄ってこんなに暑いんだろ。帰ろうかな? たるいし」

 いいながらスマートフォンを取り出して、すさまじい速さで画面を打鍵する。「今月いくら課金したっけ? 六桁いってんじゃねーの?」修学旅行に来てまでソーシャルゲームとは、なんとも孤独な奴である。

 「なにやってんだよカス」

 カスというのは粕壁のあだ名である。カスカベだからカスでそれ以上の意味はない。

 「何覗き込んでんだ。海蹴落とすぞ?」

 人気モデルに上り詰めたこの女の外面の良さが発揮されるのは、一部のオタクなど純粋な心を持っている人間に対してか、利害が発生する相手に対してのみだ。

 「うわすげークリーチャーいるじゃん? そいつ新装されてまだ三日だろ? いくら課金して手に入れたんだ?」

 「あ? これぇ? いーでしょねぇ300円のガチャ五百回くらいしたら出たの。性能マジキチだし。ぶっ壊れ。こいつのお陰でレートのランク一桁余裕すぎワロタ」

 こういうソーシャルゲームなどのオタク文化に理解と造詣のあるところが、トーク番組などで一部の日陰者に受けたのが彼女の成功の要因だ。

 「レートの『粘膜皇女三世』ってあたしな。今何位? 七位。2ちゃんで自慢したら『課金厨乙www』だって。貧乏人ども僻みすぎワロタっ! やっぱあれよね、ソシャゲって所詮課金よ課金。あたしモデルで成功してるしこのくらいの課金は全然余裕ね」

 「それがおまえだってばらされたらどうすんだ? ネット騒然だろ」

 「いーよ勝手にしたら。どうせ信用されないし。つか桑名おまえ2ちゃんとかすんの?」

 「存在知ってるだけ。おまえはするのな」

 「小三からずっと? ねらー? JCが画像うpとか立てたらすぐスレ埋まんってたのな、童貞盛り杉内って感じで。今じゃほとんどできねーけど時間ねーしバレたらやべーし」

 基本的に話し相手に恵まれていないこの女は、ちょっと親しくしてやると聞いてもいない退屈な自慢話を延々と垂れ流す。モデルとしての自分よりも、ネット場で腐れオタクどもと戯れる自分のほうが好きらしいのがこの女の特徴的なところだった。

 「そいつじゃなくていいからさ。何か良いクリーチャー余らせてたらトレードしてくんね? ガチャしまくったんならなんかあるだろ? ルシファーとかむっちゃほしいんだけど」

 「クレクレ厨乙。んなもん全部ネットに流すに決まってんだろ。そっちの方がおもしろいですしお寿司。『課金厨の俺がガチャ余り流出してみる』とかってスレたててさ」

 そう言い放って粕壁はへらへら笑う。つくづく性格が悪い。ネットに流出して楽しむくらいなら、クラスメイトとコミュニケーションを取る手段として用いた方が自分のためになるだろうに。

 「じゃあダンジョン攻略して正規で手に入れてくるからコツ教えてくれよ。三層でどうしても詰むんだよ。上級ビジョップと黒獅子の組み合わせが鬼畜でさ」

 実際のところ、コツを聞いて時間をかけてダンジョンを攻略してまで、そのクリーチャーがほしいわけではない。所詮ゲームはゲームで、わざわざ下手に出てまで教えを請うようなものではないのだ。ただ顔とボディは一流の粕壁に、下心を抱いて媚びているに過ぎない。

 「は? ググれ、カスっ!」

 しかし粕壁はというとそれを歯牙にもかけない。頼まれれば、痛烈に断ってやりたくてたまらないという性質のようだ。

 「そうかよ」

 桑名は舌打ちでもしたい気分で返事をする。

 「おまえそんな態度じゃ一生友達できねぇぞ」

 と、桑名はそう皮肉を言ってやる。そしてこれが意外にも、粕壁には応えたようだ。いきなり顔を真っ赤にして「は?」と目を丸くする。

 「余計なお世話だよ。わたし別に友達とかいらないもん。凡人は凡人同士つるんで、どうぞ」

 凡人ね……確かに粕壁にとっては自分たちがただの『凡人』に思えるのかもしれない。一介の読者モデルから、高校生にしてその辺のサラリーマンなど鼻に笑えるほどのギャラを獲得する人気モデルになりあがった彼女としては。

 粕壁は桑名に背を向けてその場に座り込み、スマートフォンを抱え込んで自分の世界に逃避し始める。拗ねてしまったのかもしれない。超高校級と呼べる実績を持つにしてはずいぶんと余裕のない女だ。

 粕壁に興味をなくした桑名は、そのまま港に背を向けて歩き出した。「どこいくの?」と問いかける早川に「便所」と応えてやる。

 「あ。じゃあおれも」

 連れションは男の友情である、とは誰の言葉だったか。お互いのペニスのサイズを確認して、無言のうちに格付けを済ませる儀式という意味合いも、ひょっとしたらあるのかもしれない

 ユースケはさっきからマミと二人で話をしているし、早川としては手持ち無沙汰だったのかもしれない。付いてきたがる彼に「いやうんこだから」と言ってやる。「そう? じゃ待ってるわ」と納得する早川を置いて、桑名は便所に向かって行った。


 ○


 うんこというのは実は方便で、本当は少し一人になりたい気分だった。

 だいたいにおいて、その場にカップルが二人もいる状況で、男友達と連れションという気分にもならない。女っ気を求めてついつい粕壁なんぞに声をかけてしまったが話にならず、寂しく便所に逃避しに来たというのが実際のところだ。

 港の便所は塩っぽい臭いがする。海水に砂、それから糞尿の臭いが交じり合って独自の刺激臭を形成していた。長くいる気分にならなかったので桑名は早急に逸物を取り出し、小便器に向かって用を足した。

 「すいません。これから予定があるんです」

 便所を外に出て、聞こえてきたのはそんな声だった。

 見ると、長髪ロングのマブい女が、三人組の男に取り囲まれていた。ナンパか? と桑名は直感するが、それは直感というほどのものではなく見れば誰にでもわかるものだ。

 学生服を着た……別の学校の修学旅行生だろう……男三人組が、私服姿の少女に声をかけている。少女は困った風に、やや気後れした様子でその申し出に困惑しているといった具合だった。

 「どんな予定なの? おれたちに付いていったらもっと楽しい時間がすごせるよ。君かわいいから絶対モテモテだし、おれたちも君を連れてこられれば鼻が高いからさ。せっかく南の島に着たんだから、一緒に思いで作りをしようよ」

 そのくどき文句はやや押しが足りないように桑名には思われる。少女はますます困った様子で「その、予定というのは……」と律儀に答えている。

 女の顔を見る。見れば見るほどマブい。目が大きく上品で清楚、小作りで肌が白くなんというかあまりすれていない感じがした。少し細身過ぎるところが桑名の好みからは外れるが、しかしスタイルは悪くない。客観的に見て、上玉と言えるだろう。

 この瞬間、桑名の灰色の脳細胞は一斉にフル回転を始めた。『ナンパされている美少女』→『格好良く助けるオレ』→『お近づきになりませんかいいですよ』→『ベット・インっ!』という美しい方程式を導き出した桑名は、すかさず現場に押し入った。

 「いやぁサーセン。その子オレの知り合いでして」

 え? という顔をする少女。なにこの人わたし知らない、とでもいいたげで、桑名の意図を察していない様子だ。そういう純なところがまた、イイ。

 男たちは『誰? こいつ?』とでも言わんばかりにこちらを見る。『男連れかよ』とあからさまに落胆した様子を見せている。

 「ちょっとこれから一緒に予定あるんすよ。いやぁマジサーセン。かわいい子でしょ?」

 いいながら、女の子の手を引いてその場からの離脱を試みる。ここで『こんな男よりおれたちに付いていかない?』とさらにがっついてくるようなタマでないことは、顔を見ればわかった。

 「えっと……あなた誰ですか? その、ごめんなさい、思い出せなくて……」

 しかし少女はたどたどしくそんなことを言い始める。本気で桑名のことを思い出そうとしている様子だ。これは天然だ。桑名は察する。たまにいるのだ、この手の生まれたままの子供のような女が。

 「え? なにコイツのこと知らないの?」

 男の一人が怪訝に桑名の事を見る。ヤバい、横取りしようとしたことがバレる、と桑名は危機感を覚える。これは気まずいぞ、実に気まずい。

 しかし桑名は臨機応変だ。女の子の顔を見て、『いいから話を合わせて』という目をする。女の子は首をかしげるばかり。とにかく女の子とてここを離脱したいことには違いないはず、無理矢理にでも引っ張り出して後で説明すれば良い。そう考えていると

 「ああーっ!」

 と、女の子は桑名のほうを見て大げさに両手を挙げた。

 「すごいっ! すごいすごいすごいっ!」

 そう言って桑名の手を掴む。「は?」桑名は困惑してつい口元に苦笑を浮かべる。いったいどういう訳だかはしらないが、どうやら受け入れられているらしいことは理解できる。

 「そういう訳だから……」

 言って、桑名はさっさとその女の子を連れてその場を離脱した。修学旅行生三人は怪訝な顔をしていたが、深追いはしてこない。

 女の子を海の見えるところまで誘導する。桑名は女の子に向き直ると、にへらと媚びたように微笑んで自分の頭に手を回す。

 「いやぁ大丈夫でしたか? こまっちゃいますねーああいうの」

 ニコニコと笑顔で応じる女の子。お? 脈ありか? と桑名は思わず身を乗り出す。もしも自分が悪質なナンパから助けてくれた親切な男として思われているのなら、狙い通りだ。しかしもしそうだとすれば、いくらなんでも純粋すぎるし、楽勝すぎるとは思う。

 下心を持って助けたことは、さすがにばれているはずだ。しかしそれでも女というのは、常に自分の目の前に王子様が現れるのを待っているものである。

 「沖縄の人じゃないですよね。方便がないですし。旅行ですか?」

 桑名はまずは紳士的に話しかけることにした。

 「そうなんです。その、助けてくれてありがとうございます」

 「どういたしまして。旅行はご家族とですか? よろしかったら送りますよ。オレもちょっとくらい時間に余裕があるんで。またああいう手合いにあったら大変でしょ?」

 家族のところに送り届けるという言い分から入れば、とりあえず下心は隠すことができる。そして送っている最中に『少しお茶でもしませんか』とでも誘って、最低限度連絡先くらいは交換してやらねばならない。

 「いえ。一人できたんです」

 「そうなんですか」

 桑名は驚いて

 「女の子が一人じゃ大変でしょうに。どちらから?」

 「東京からです。ふふ」

 少女はおかしそうに微笑んで

 「修学旅行生ですよね。だったら敬語はやめてもらっていいですよ。同じ年のはずです」

 親しげにそういった。なんだかいきなり距離が近いような……いや、これも彼女が自分に好意を抱いている証拠だろう。なので桑名はそれに笑顔でうなずいて

 「そう? 君も高校二年生なんだ」

 「はい。ただ今はちょっと休学してて。暇をもてあまして旅行してるんです」

 しかし休学? どうして? そして一人で旅行? なんというかミステリアスな女の子だ。桑名はますます魅力を覚える。この清楚な唇を奪ってやりたいという気持ちはブレないが、しかし同じくらいに桑名は純粋に少女のことを知りたいと感じた。

 「えっと。桑名くん」

 そう呼びかけられ、桑名は「なに?」と返事をしてから、怪訝に思う。

 ……オレ、いつ名乗った?

 「なんで苗字がわかるのか、ですよね? 校章に書いてあるじゃないですか?」

 そう言って少女はおかしそうに微笑む。「ああ……」そう言って目を丸くする。

 「なんでオレの思ったことわかったの?」

 「わたし心が読めるんです。あ、これは内緒ですよ」

 冗談のつもりなのか、少女は上品にそう言った。桑名は合わせて微笑んでおく。

 「わたし、前園って言います。前園はるか。はるかはひらがなです。桑名くんの下の名前はなんていうんですか?」

 「零時。ふつーに時間を指し示す零時。変わった名前だろ?」

 「いい名前ですね」

 前園はるかはそう言って

 「神秘的で素敵ですよ。レイジ、って響きもなんだか格好いいです」

 「そうかな?」

 いわれ、桑名は少しだけうれしくなる。別に自分の名前に思い入れを持ったことはなかったが、しかしほめられて悪い気はしない。

 「はるかさんもいい名前じゃん。その……」

 どう続けようか迷い、そして

 「女性らしくて」

 と続けた。われながら間の抜けた答えだ。

 「修学旅行生ですよね。これから桑名くんはなにを?」

 「え? オレ?」

 自分のことを聞かれるとは思わなかった。なかなか良い感じだ、桑名は思う。向こうがこちらに対してこれほど興味を持ってくれるとは。

 「そこの港から出る潜水艦に乗るんだ。そういうレジャー? に参加することになっててさ」

 「本当っ! すごいっ!」

 はるかはそこで、どういう訳か両手を握り締めて興奮した様子で言った。

 「すごいです。運命みたいな……」

 少女はその場で視線をそらせて、何やら感極まったように胸に手を教え当てる。それから済ました顔に戻って桑名を向いた。

 「わたしもなんです。わたしもその潜水艦に乗ることになってて」

 「そうなんだ」

 運命というのはいささか大げさではないだろうか。桑名は少し苦笑がちに思う。それも冗談や酔狂で言ったのではない言葉の響きだ。

 「なら。もう少し、一緒に楽しい時間をすごせそうだね」

 にこりと桑名はそう口にする。多少気障ったらし言い回しだが、この子相手ならこれくらいがちょうどいいはずだ。

 「一緒に行こうか。せっかくの旅行なんだしさ。一緒に楽しむ相手がいたほうがいいじゃん。良かったら連絡先を交換しない?」

 向こうに連れて行った先で別の男に取られてはたまらない。今のうちに連絡先を確保しておくことが重要だろう。

 「そうしましょう」

 はるかはニコニコと携帯電話を取り出した。シンプルな形状で、どことなく機能的だ。なんというか……ビジネス用? という感じがする。親父が二つ持っている携帯電話のうちの、仕事に使っているものに近い気がする。

 「ところで前園さん。オレにはため口いいって言ってくれたけど……前園さんはどうして敬語?」

 「わたしはこっちが楽なんです」

 そう言ってはるかは一瞬うつむいて見せて、それから桑名に向き直る。

 「桑名くん、ちょっと無理してるみたいに見えたんです。普段はもうちょっと砕けたしゃべり方をされる方ですよね?」

 まさしくそのとおりだ。桑名のチャラ男風の外見を見れば、誰だってそう思うだろう。無理して敬語を使っている、ように見えてしまったのならなるほど、気を使わせてしまったようだ。

 「行きましょうか」

 そう言ってはるかは楽しそうに桑名に促す。桑名は「そうだね」と返事をして、はるかに並んで歩き出す。

 潮風に髪をなびかせるはるかの小さな顔は、やっぱり、マブい。


 ○


 「誰その子?」

 港に付いて早速、はるかの存在に食いついたのはヨースケだった。

 「近くで知り合った前園はるかさん。一緒に潜水艦に乗るんだって」

 桑名がそういうと、「へー」とヨースケは興味深そうにはるかにぶしつけな視線を向ける。それに気後れしたのか、はるかは居心地悪そうに一歩後ろに引いた。なんだか落ち着かない様子で指先を絡めている。

 それを察した桑名は、自分の印象をよくするためにはるかを自分の後ろにかばうようにして、「あんまりじろじろすんなよ」と微笑んでいった。すると、ヨースケは察した様子で「やるじゃん」と桑名に向けて唇を動かす。にやり、桑名は口元をゆがめて見せた。

 「前園さん? 潜水艦っていい趣味してるねー」

 ニコニコと拍手を作るヨースケ。「は、はい」はるかは居心地悪そうに俯いて、それからぎこちなく、どうにか会話を続けようという感じで

 「楽しみなんです」

 と答えた。「へー」とヨースケが食い入ると

 「一人で旅行来たの? 修学旅行生ばっかりでしょあちこち。絡まれたりしなかった?」

 「……えっと。はい、大丈夫です」 

 内気なのかな? 桑名ははるかのその態度を見て思う。直接絡んでくるヨースケだけでなく、周囲にいる早川やマミ、リョーコにも気にしたような視線を向ける。しかしその割には自分に対しては明るくて、すぐに馴染んできたような……単に人見知りだとすれば、そこが妙だ。

 「こらヨースケ。からんでんじゃないわよ」

 そう言ってヨースケは恋人のマミに引っ張りあげられる。

 「いや、絡んでないって。仲良くしようと思っただけで」

 「あっそ。前園さん、だっけ?」

 そう言ってマミはヨースケに視線を向ける。

 「は、はい」

 「ごめんなさいね。悪気はないのよ」

 そう言ってヨースケを引っ張り上げ、でこをたたき

 「歓迎の仕方が乱暴なのね。まあ私たちこのとおり、ちょっとチャラいから。苦手だったら無理にからまなくていいわ。でも一人で何かあったら頼ってね、女同士力になるから」

 さっぱりとしたマミのいいように、桑名は思わずカッケーと思った。

 ふつうは初対面の相手にここまではいえない。単に調子が良いというのもあるのだろうが、それでもかよわい女子ならついあこがれて頼ってしまいそうな颯爽とした風味がある。一種のカリスマといって良いだろう。

 「あ、ありがとうございます」

 はるかはそう言ってうなずく。マミはにこりと笑った。それからフォローのためだろう、今度はヨースケに向き直って

 「潜水艦だってね。海とかじゃなくて良かったの?」

 「マミの水着が見れなくて残念だけど、まーいーやって。ロマンチックだし」

 「ロマンチックて。おかしなこと言わないでよその顔で」

 「えーいーじゃん。俺の顔ロマンチックじゃん」

 「いやあんたの顔はロマンチックじゃない。絶対に」

 マミはそう言って笑い

 「水着は明日見せてあげるわね」

 そう言って豊満な胸に手を添える。「うっひょう」とヨースケは嬉しげに手をたたく。それは桑名にとっても良い情報だった。が、なるだけそのことは顔に出さないようにする。

 隣ではるかが見ているのだ。

 「あの……」

 はるかは少し、不安げな表情でこちらを見つめる。どうも桑名と一緒にいた連中が思いのほか乱暴そうな連中で、それに気後れしているという感じだった。

 「さっきの人は、どうしてあんなにわたしのことをじろじろと見ていたんでしょうか?」

 少し怖がった様子で言った。桑名は苦笑して

 「君がかわいいからじゃない?」

 と率直な感情を述べる。すると、はるかは少し困った様子で

 「……そんなだったら、いいんですけど」

 「だいじょーぶ。あいつ基本いい奴よ。それに怖いならさ、ほら、二人でいよう?」

 最初は紳士的に装っていた桑名の仮面も、いい感じで剥げて来つつある。口調も大分砕けてきたし、下心も丸出しだ。

 「いいんですか? 桑名くん、いつものお友達と一緒のほうが……」

 「いやオレが君のこと誘ったんだし。お近づきにならせてよ。せっかくだからさ」

 なにがせっかくなのか自分でも分からなかったが、桑名はそういった。するとはるかは照れたように答える。

 「わ、わたしでよかったら」

 「はるかちゃんなら全然オッケーよ」

 はるかちゃん、といきなりの名前呼びである。おとなしい子ほどぐいぐいいくのが桑名の信条だ。

 「ツアー参加者のみなさーん。こちらに集まってくださーいっ!」

 良く通る声でそういわれ、集まってみると、そこには潜水艦の乗組員らしき制服を着たおっさんがメガホンを構えていた。

 「わたくし。ガイドを務めます室伏です。えー、今回は。われわれのツアーに参加していただいてまことにありがとうございます。今回は、えー、修学旅行生の方ばかりですね。皆さんの良い思いでとしていただけたら幸いです。まもなく潜水艦が参ります」

 「楽しみですね」

 はるかが少し興奮した様子で言った。「そうだね」桑名は答える。実に楽しみだ、ロマンチックな海の中で、こんな素敵な女の子と時間をすごせるなんて。

 いやぁうんこするといって便所に行ってよかった。

 そう思いながらでれでれしながらはるかと見詰め合っていると、ふと声がかけられた。

 「桑名くん」

 リョーコだった。なんだよ邪魔すんなという視線を投げかけると、彼女は非難するように

 「もっと前に行くよ。もうすぐ潜水艦が来るんだから」

 見ると、ガイドに連れられるようにして、ほかの面子は既に潜水艦の到着予定地ぎりぎち前まで移動していた。別にどこで待っていても良いではないかと思うが、しかし同調圧力を重視するリョーコにとっては、自分とはるかの二人だけが距離をとっているのが許しがたいことに思えたらしい。

 「いこっか」

 そう言ってはるかの手を引く。「はい」はるかは答え、並んで歩き出す。その少し前を、リョーコが大またで歩いていった。


 ●


 到着した潜水艦を見てまず思ったのは「でかいっ!」ということだった。

 潜水艦というからもっとこじんまりしたものを想像していたのだが、浮き出た部分を見る限り、全体のサイズは中型の客船ほどありそうだ。この人数で中に入るには、少しばかり大きすぎるような気もしていた。

 「では海に落ちないよう、お気をつけて順番に中にお入りください」

 そう言って、潜水艦の横の部分に取り付けられた円形の入り口が指し示される。天井の部分にも出入り口らしき突起が見えたが、あれは今回は使わないらしい。

 「おっしゃっ! 一番乗りだ」

 そう言ってヨースケが前に出る。「来いよ、マミ」その声に、恋人はやれやれとばかりに続いた。

 「……次、わたし、乗る」

 ジュンが淡々と言うので、ナオキがにこりと笑って彼女を前に導いてやる。ジュンは目をぱちくりさせながら、潜水艦のあちこちに目を向けつつ、中に吸い込まれていく。ナオキもそれに続いた。

 「あの。桑名くん」

 と、唐突に、はるかから声をかけられた。

 「どったの?」

 「すごく素朴な質問なんですが」

 言いつつ、はるかの表情には少しの緊張と、それから真剣さが感じ取れた。桑名は列の進み具合を気にしつつうなずく。

 「例えば桑名くんが何か、なんでもいいのでカラーのあるものを買うとします。ブックカバーとか、そういうの」

 「うんうん」

 「何色を選びますか? 何色からでも選べるとします」

 質問の意図を測りかね、桑名は首をかしげる。質問自体は簡単明瞭だが、意図が掴みかねる。 

 「それって。好きな色は? みたいな質問」

 「えっと……大筋はそうですかね。好きな色を、そのまま選ぶのであれば、それで答えてくださって結構です」

 「……んー。じゃあ、そうだな。赤」

 桑名は少し考えていった。

 「赤、ですか」

 「うん。好きな色だし良く選ぶ。ほらこれだって」

 言って、桑名は自分のスマートフォンを取り出してみせる。

 「赤じゃん。靴も。なんか自然と選んじゃうっぽい」

 「そうなんですか」

 はるかは言って

 「似合ってますよ」

 そう、微笑む。

 「ほら桑名くん。順番近いよ」

 リョーコが言った。知ってるし邪魔だしウザいしまずはおまえが先に行けよ、みたいなニュアンスの視線を送ると、リョーコは仏頂面で先に進んだ。

 「じゃあはるかちゃん、行きなよ」

 そう言ってはるかに先を譲る。レディ・ファスト。はるかは「はい」といって潜水艦に吸い込まれていく。

 彼女が完全に中に消えていくまで、桑名は待たされた。そして疑問に思う。いくら入り口が狭いといっても、入り損ねて海に落ちる程危なげには見えない。わざわざ順番に誘導するのは、少し慎重すぎるような……。

 考えていると、桑名の番がくる。ひょいと岸から飛んで、潜水艦の中に入る。暗くてひんやりとした内部を一歩、踏み出すと、すぐ後ろで乱暴に扉が閉められた。

 バタンっ! 激しい音がこだまする。

 「へ?」

 さっきのガイドのおっさんは入ってこないのか……などと怪訝に思いながら、桑名はそれ以上考えずに進む。早くはるかちゃんに追いつかなければ。待ってくれていたらうれしいのだが……などと考えていると、桑名は妙なことに気づく。

 「……なんだ、このにおい?」

 甘い。しかし花のようなそれでも、菓子や砂糖の甘さでもない。特に良いにおいという感じはしないが、自然に鼻に入ってくるそんな甘さだ。

 鼻を引くつかせると、鼻腔の奥でとたんに熱いものが広がっていくような感じがした。なんかヤバい、そう思ったとたんに、桑名は激しい眠気に襲われて、膝を突く。

 ……なんだ?

 激しい違和感にさいなまれる。それが恐怖感へと意向する直前のタイミングで、桑名の視界はブラックアウトする。

 ひんやりとして湿っぽい潜水艦の空気を感じながら、桑名は倒れ付して意識を失っていく。つるつるした金属の床は、驚くほど冷たかった。

 三時間おきくらいに投稿していく所存。

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