斬る12
陸はそのの光景に目を見開いていた。サルージャが身を翻そうとすると、ゴスロリ少年はすぐさま、なんのためらいもなしに黒いナイフを彼の右腕に突き刺した。いや、突き刺したどころではない、ナイフの刃が地面に深々と刺さるぐらいに思い切り押し込んだのである。サルージャの右腕は赤い鮮血を撒き散らしながら弧を描き、彼が身を翻し終わると奥のほうへと隠れていった。
サルージャは思い切り叫んだと思うと、急に静かになった。おそらく気絶したのだろう。あたりがしんと静まり返った。
ゴスロリ少年はのそりと立ち上がると、腰の抜けている陸のほうへ振り返る。
陸は恐怖した。ゴスロリ少年の目は凍てつくほどに冷めているかのようで、思わず身震いする。ゴスロリ少年は一歩ずつゆっくりと陸へと近づいてゆく。まるで、獲物がもう逃げないことを確信しているかのように。事実、陸は動けないでいた。ただじっとゴスロリ少年の目を見つめていた。まるで蛇ににらまれた蛙である。
ゴスロリ少女は数歩もしないうちに陸の目の前に立っていた。ゆっくりとこぶしを振り上げる。観念した陸がぎゅっと目をつぶるのを合図に、彼は拳を突き出そうとした。いや、確かに突き出した、突き出したが、しかし、届かなかった。これから襲ってくるはずの痛みに目を瞑っていた陸だったが、その最後が来ないので彼は恐る恐る目を開いてみた。
陸は納得した。道理でゴスロリ少年は自分を殴れないはずである。なぜなら、気を失ったはずのサルージャがゴスロリ少年を抱えて、止めたからである。
何事かとゴスロリ少年が後ろを振り返ると、矢庭にサルージャは頭突きを繰り出した。怯むゴスロリ少年を彼はそのまま蹴り飛ばす。するとサルージャはゆっくりと自分の神器を拾い上げた。ゴスロリ少年が体勢を立て直し、お互いに向き合う。
ゴスロリ少年は最初こそ驚きはしたものの、これを知識として知っていた。なぜ気絶したはずのサルージャが再び立ち上がっているのか。それは神器が暴走し、彼の体を乗取ったからに違いない。
神器は暴走する。使用者のキャパシティが減少し神器を使役しえなくなった場合、神器は使用者の手を離れる。文字通り手を離れるというわけではない。つまり、使用者の意識を乗っ取るということである。暴走した神器に乗っ取られた人間は、理性、感情ともに無くし、その身体を神器に委ねることになる。驚くべき凶暴性を見せ、手当たり次第に殺戮する。現にそういった事件が、明らかにされていないが頻繁に起きている――無かったこととして処理されているのだ。暴走した神器は、乗っ取った人間から隔離されるか、その人間の肉体が限界を迎えるまで暴走を続ける。
いまや神器そのものと化したサルージャはゴスロリ少年へと向かっていった。はじめに左手でナイフを突き出す。左へとかわした少年に返す刀で切りかかる。今度は下へと逃げたゴスロリ少年に、サルージャは膝蹴りをする。ゴスロリ少年は後ろにそれて辛くもこれを回避した。と、鳩尾に衝撃が走る。なんてことはない、サルージャは膝蹴りで上げた足をそのまま伸ばして彼を蹴り上げただけである。
怯むゴスロリ少年の背中に、サルージャは黒く光るナイフを振り下ろす。が、それは失敗に終わった。ゴスロリ少年が彼を蹴り上げたサルージャの足をつかんで後ろに引っ張ったからである。思わず上へ仰け反るサルージャの顎を彼は殴ろうとした。
よけることができない攻撃。これで決まるはずだった。しかし、彼の攻撃は何かの衝撃で阻まれてしまう。
なんと、サルージャの顎からもう一本同じ、あの神器特有の黒いくせに鈍く光るようなナイフが生えていた。
自分の上半身が地面に叩き付けられるのを受身で防いだサルージャは、いつまで掴んでいるつもりなのかと言わんばかりにもう一本の足でゴスロリ少年を蹴りにかかった。彼はそれを掴んでいた足を離すことで受け流し、距離をとった。
漸く合点がいった。なぜ神器を持っていなかったのにあの時暴走したのか。それは、サルージャの体にはもう一本同じ神器があったからである。しかし種はもう見破った。ゴスロリ少年は勝利を確信した。
じりじりとお互いの間合いを計ってから、ゴスロリ少年は唐突にサルージャに向かっていった。走ってつけた勢いをそのまま殺さないようにしての右ストレート。流すサルージャにそのまま回し蹴りをする。苦し紛れに左手で振りかざされるナイフをよけ、回転しながらもう一度殴りかかる。彼のナイフは血のせいだろうか、ぬるりと滑って飛んでいった。見ると、サルージャは頭を後ろに下げている。先ほどまで顎に生えていたはずのナイフは今は口で挟まれている。
実にわかりやすい。つまりサルージャは頭を振ってナイフを飛ばそうとしているのだ。終わりのイメージが浮かんだゴスロリ少年はにやりと笑みをこぼした。
ゴスロリ少年はイメージ通り飛んできたナイフを軽くかわして、カウンターを――。
ふと、ゴスロリ少年は自分の視界の端に拳が見えた。今しがたゴスロリ少年はサルージャの左手のナイフをよけたばかりである。それはありえないはずだ。そこではっと気がついた。そうだ。もう一人日本人がいたはずだ。そこまで考えて、ゴスロリ少年は突然思考回路が切れた。遮断された。
気づくと宙を舞っているような浮遊感があり、地面に叩き付けられたような衝撃で完全にわれに返った。ぼやけた視界の真ん中に大きく片腕を振り上げている男の姿が見えた。
「こんな短時間で忘れてんじゃねえよ。まあ、戦ってるのはほとんどサルージャだったし、俺存在感なかったからなあ」
そう一人ごちた陸にサルージャが倒れこんでくる。陸は慌ててサルージャを支え、ゆっくりと横にした。目に見える大きな傷は無くなった右手だけのようである。陸はサルージャのぼろを少し破いて止血に使った。といっても素人の彼には布を紐代わりに腕を縛るぐらいしかできない。とにかくこの場を去らないとちゃんとした治療はできそうにない。陸はサルージャを担いだ。そして、彼の体の軽さに驚いた。
「あれ、お前こんなに軽かったっけ?」
しかし当然のごとくサルージャは気絶しているので答えない。陸はある光景を思い出した。グリオンたちが束になってサルージャを担ごうとしても、それはかなわなかった。サルージャは以前言っていた。神器のせいで、こんなにも重いのだと。
「何をしている!」
陸が一人納得していると、ハイダムが突然怒鳴りだした。驚いて彼のほうを見やる。ハイダムは狼狽しきっていた。
「早く立ち上がれ!あいつらを殺せ!いくら払ったと思ってるんだ!?」
ハイダムに怒鳴られて、ゴスロリ少年はよろよろと立ち上がった。すでに満身創痍だ。立ち上がるまもなく襲い来る罵声と暴力。負けるか俺はホーリーナイト!
ふらふらなゴスロリ少年と陸は目が合った。もう戦う気力も残って無さそうである。陸はふと疑問に思った。
「なあ、お前、何でこんなやつのために戦ってんだ?」
その疑問にはハイダムが答えた。
「こいつは金のためなら何でもやる戦闘集団に所属してんだよ」
「そうか……」
陸はそう呟くと一人思案をめぐらした。
「よし、俺がその倍額払うからお前もうこんな真似やめろ」
「ぴょ」
ハイダムはうろたえてゴスロリ少年を見た。彼はこくりとうなずくと力なくその場で膝を落とした。
「ふ、ふざけるな!そんなこと許されると思っているのか!?」
その質問には陸が答えた。
「金のためなら何でもやるんだろ?」
ハイダムはわなわなと震えたかと思うと、脱兎のごとく逃げ出した。それを見て、陸は慌てて叫んだ。
「待て」
すると、ハイダムは階段の踊り場で突然立ち止まった。陸もその場へ駆けつけた。
「お前、ちゃんと待つんだな。何気にい子ちゃんだな」
そう話しかけても、ハイダムは答えない。何かをずっと見つめているようでもあった。おやと思い、陸は首を伸ばしてハイダムの視線の先を見た。
そこにいたのは銃をかまえた長官の息子であった。
「両親の敵……」
「おい……」
陸が呼びかけようとしたところで、銃声が鳴り響いた。ハイダムは額から一筋の血を流して倒れた。しかし、長官の息子のかまえた銃の先からは硝煙の煙は出ていなかった。長官の息子が振り返ると、そこには銃をかまえたグリオンが立っていた。
「どうして……」
長官の息子が震えた声で問いかけた。
「これは私の仕事ですから」
グリオンはにこりと微笑んだ。長官の息子は堪え切れずグリオンの元へ駆け寄って、周りも気にせず大声で泣き出す。グリオンはそれをしっかりと抱きしめた。
「ついにやったんだな」
陸が声をかける。
「お前たちのおかげだ。本当に何と言えばいいのか……」
「よせよ、弁当のお返しだ」
陸はにこりと笑って見せる。
グリオンは陸がサルージャを背負っているのに気がついた。
「サルージャは大丈夫なのか?」
「そうだった。こいつを病院へ連れて行ってくれ」
ふと、陸は服の背中側をくいと引っ張られているのに気がついた。振り向くと、ゴスロリ少年がサルージャの神器を持って立っている。
グリオンは慌てて銃を構えなおした。
「こいつ、まだ生きていたのか」
「ああ、こいつはもういいんだ。大丈夫だよ。な?」
陸はグリオンを牽制して、ゴスロリ少年に同意を求める。彼はこくりとうなづいた。そして、おもむろに、サルージャにナイフを突き立てた。すると、黒いナイフはするすると、まるでサルージャの体に溶けていくかのように消えていく。
途端に陸はサルージャの体がずしりと重くなるのを感じた。同時に、サルージャも息を吹き返し、少し呻いた。
「おお、神器ってのはホントすげえな。すぐに病院へ行こう。何とか助かりそうだ」




