02.帰ってきた意味ということは
予想外の展開と羞恥に、布団の中で固まっていた自分に、オネットが心配そうな声をかける。
「リュシーお嬢様? どうなさいました?」
遠慮がちに布団をめくられ、おでこに手を当てられる。その、優しく暖かい手に戸惑う。
「風邪ではなさそうですけど、食欲はどうです?」
そう言うオネットに、横に首を振った。混乱しすぎたせいで、食欲もない。
「そうですか……たしかに、顔色も悪いですし、もうすぐ大切な日ですもの。大事をとって今日はお休みしましょうか」
大切な日?
その単語が気にはなったが、とりあえず今は頷いておいた。考える時間は多い方がいい。心配そうなオネットには悪いが、今は他の事に余裕ができない。
与えらえた時間に感謝して、ひたすら考えることだけに没頭する。あまり深く多くのことを考えてはいけないとわかっていても、そんな器用なことはできず、思考は深く沈んでいった。
何故、リュシーの時代なのか。それも、リュシー本人だ。
どう身を振るかも考えなければならない。これからどうして生きていけばいい?
今の自分の将来が、これからの人生もリュシーが生きたような道になっているとすれば、知っている自分としてはリュシーのようには生きられない。
というか黒歴史をもう一度作りなおしたくない。今なら同じ行動をすれば恥で死ねる。
これから、リュシーと同じような未来になると仮定して、未来を知っている自分が、一度は行われた未来を変えてしまってもいいのか。
リュシーは――
――
考えても仕方ない問題と、考えなければならない問題。
布団の中で思考が暴れる。考えすぎてもいけないとも分かっていた。
だが、そう思い通りにも行かず、とりとめもなく多くのことが頭の中を埋める。
――気持ちが悪い。何一つまとまらず、どんどんと疑問や課題が増えるだけで、何も解決しない。
それらが、膨大な思考の渦となって、飲み込まれる。飲み込まれ――
「ぅっ、え」
我慢することができず吐いた。頭が割れそうに痛い。考えていたよりも、限界が早かった。これは年齢が幼いせいだろうか。
それとも、自分が変わったからなのか。
「お嬢様!?」
側に付いていてくれたオネットが叫ぶ。人を呼ぶオネットに、謝る気持ちもそこそこに、意識が落ちた。
全てが憎い。
――ああ、これは、リュシーの感情だ。
オネットも、父も、周りも、憎い、憎い憎い憎い。
懐かしい感情だ。こうしてリュシーは歪んでいった。
私はなんでもできる。だから周りなんて必要ない。
なまじなんでもできたから、プライドが高くなっていった。
私ほど有能なら、全ての人は私を認めなければ。
認めさせたい感情が、強い。歪んだ感情が、心に入ってくる。
あいしてなんかないくせに。うそつき。
これは、子供の頃の記憶。目の前に、子供のリュシーが、憎々しげな目をして立っている。
いらないっ。わたしなんて、どうでもいいくせにっ!みかえしてやる!
わたしが、わたしじゃなくてもいいなんていったやつら、みんなみかえしてやる!!
小さなリュシーが、わめき散らしている。全て偽物だって思っていた。愛なんて貰えたことがないと、思っていた。本当の愛なんて。
子供のリュシーが居なくなり、場面が変わる。
『死んだ?』
これは――
『…… が、死んだと?』
ああ、 が死んだときの事だ。どうしてだろうか、名前が、口に出せない。
『……まあ、いいよ。ただの金魚の糞がいなくなっただけのことだ。ハッ、身に余る大役を請け負ったりなんてするからだ』
悲しくなんて無いと。別に歯牙にかける必要も無いと。
『! っ、いえ、何でも、ありません』
真実を知って、動揺したのは、何故だったか。
ただの、なぜかリュシーを尊敬して付いてくる、変な取り巻き。媚を売ってくる、不愉快なヤツ。
別にそんなヤツが死んだって、なにも思うわけも無い。
今なら解る。あの時、悲しかったのだ。どれだけ変なヤツでも、無能でも、何か裏があったとしても。ずっとわがままなリュシーについていてくれたから。すごくすごく寂しくて、……悔しくて怒りを覚えていたのに。
そんな感情、知らないと思っていた。感じた事なんて、無いと思っていたのに。
リュシーだって、感じているじゃないか。ただ、気づなかっただけで。
思っていたよりも、たくさん忘れていたらしい。当たり散らしていたことも、見捨ててしまったことも、見殺しにしたことも。
愛をもらったことも、優しさをもらったことも。
リュシーはその全てに、負の感情以外もちゃんと感じていた。
ただ、気がつけなかった。
『オネット。お前を、信じろと? ……面白い事を言うね』
傷付いたオネットの顔を見て、何故か苦しかった。
『……何をたくらんでいるのか知らないが、礼なんて、言わない』
ただの優しさが、嬉しかった。
また、場面が変わる。
『……お前は、なんでも知ってるね』
こ、れは――
『私のものになれ。確かにライアス家の長となる私は婚姻は結べないが、お前の一人くらい、囲える』
そう言うリュシーに、困ったかのように笑う、男の姿が映る。リュシーは、記憶のなかで一番幸せそうにしていた。
リュシーが愛している、愛していた男だ。
ただ何故か心を奪われていた。
結局、幸せだと、愛していたと気が付くよりも先に、裏切られたけれど。
幸せそうな姿から一転、目の前には、血塗れのリュシーが横たわり、返り血を浴びた男がいた。
『 』
なんて言われたのか、覚えていない。ただ、裏切られたのだと。
そしてリュシーは、……自分は、最期の時、何を考えていただろうか。何を思って死んだのか。思い出せない。
目の前に小さな子供のリュシーが、現れた。
『いたいの』
言いながら泣くリュシーに、なにも出来ない。
『辛いの。悲しいの。寂しいの。認めてほしいの。笑いかけてほしいの。褒めてほしいの。頭を撫でてほしいの。抱き締めてほしいの。愛してほしいの』
リュシーが、成長した姿に変わる。
『憎い。悔しい』
歪んだ顔で、呪詛を呟くようにリュシーは紡ぐ。
『信じない。許さない。認めない』
いつのまにか、リュシーが血に染まっている。
血塗れたリュシーは、一言だけ、呟いた。
『やっぱり』
そうだ。リュシーは、自分は、諦めていたのだ。
裏切られるとわかっていたのだ。だから、最期に諦めたんだ。あの男は、リュシーの最期の希望だったんだ。
子供のリュシーが泣いている。
もう、見て見ぬふりも出来ず、手をとった。
『こわいの。ぜんぶ、落としちゃった。ひとりは、いやだよ。一緒にいて。おねがい。おねがい!』
考えることなく、頷いた。もう、リュシーは一人じゃない。日本で暮らした、高野 龍之介としての記憶がある。
いっぱい落とし続けてきたものを、リュシーと拾う。
帰ってきた意味なんて、今はそれで十分だ。
これも起きれば、恥ずかしい思考だともだえる事になるだろうけど。
目を覚ますと、オネットが涙目でリュシーが意識を取り戻した事を喜んでいた。2日間、眠り続けていたらしい。
目の下に、隈が濃く、酷い顔のオネット。寝ていないことが解りやすく顔にでていた。そんなオネットに手を強く握られる。暖かい手に、もう戸惑いはない。
ほら、小さなリュシー。こんな近くに、ずっといてくれてたんだよ。だから、寂しくないね。
恥ずかしい考え方だけれど、ただ、嬉しいと思ってしまう。




