上 の なか
「ごちそうさまでした」
食後の緑茶を啜る。お腹がいっぱいになって、満足のため息をつく。美味しいものを食べて幸せだ。我ながら単純だと思う。こうしてジュリアと2人、まったりとした時間が過ごせるのは本当に素晴らしいことだと思う。
しかしそんな穏やかな空気も、玄関の呼び鈴が鳴った瞬間に終わった。
顔を強ばらせ、目をキッとつり上げたジュリアが立ち上がる。
「対応して来ます」
「ジュリア、あまり興奮しないように頼むよ」
ジュリアは辛うじて唇を噛みしめて頷いたけれど、どすどすと乱暴な足音を立てて玄関に向かって行ってしまった。その様子にうんざりする。せっかくいい感じの朝になったのに……。
「おはようございます、アレク様!」
「ちょっと! 勝手に入ってこないでよ!!」
金切り声を上げて止めるジュリアを振り切って登場したのは、深紅の髪が美しい華やかな美人ことキャロルだった。
「アレク様! 今日も変わらず素敵ですわ!」
真っ赤な長い髪は艶やかに輝き、ゆるやかに波打ち背中に広がっている。シミ1つない白磁の肌と、黄金色の瞳。ぷっくりとした唇は小さくて天然の紅色だ。年の頃は18ぐらい。モデルもかくやと言う天然の美女だった。
隠すことなく全面から発した秋波に、私は少したじろいだ。それでも仕方なく椅子から立ち上がって挨拶をしたら、キャロルは頬を薔薇色に染めてうっとりと私を見つめ、想いに目を潤ませつつ抱えていた籠を差しだしてきた。
「アレク様、今日はイリオ牛のローストビーフサンドウィッチとペト芋のスープですの。とても美味しくて、わたくしも大好きですのよ?」
満腹になった筈の私に、それでも食欲をそそる凄く良い匂いが感じられる。思わず麻のレースと蔓で編まれた可愛い籠を受け取ると、ジュリアの顔がいっそう堅くなるのが見えた。
ゴメン、だってこれ凄く美味しそうなんだもの……。
籠の中を覗くと、ハーブの葉と紙にくるまれ細い麻紐で結ばれた包みがあった。うぅ! 見た目も凄く可愛いです。
「ああ。いつもありがとう」
「まぁそんな! 遠慮なんてしないでくださいませ? アレク様はわたくしにとって大切な方。こんな事しか出来なくて、心苦しいくらいですの」
キャロルはさりげなく私の腕にふれて身体を寄せると、大輪の薔薇のように微笑みかけてくる。
「わたくし心配しておりますの。だって……」
食べ終わったまま放置された食器にちらりと視線を送った。
「やはり専門の人間にはかないませんもの。試す価値のないものって存在しますでしょう?」
ジュリアに対する当てこすりだ。今日は美味しかったが、一見してダメだと解る失敗作が並ぶ日の方が多い。――多分、ジュリアは料理の才能があまりないんだと思う。
「アレク様、今日は美味しいと誉めてくれたものッ!」
「あら? そうですの? それは宜しかったですわ。アレク様の1日が無事に始まったと言うことですもの」
ねぇ、アレク様?
キャロルはそう可愛らしく小首を傾げる。言葉に詰まったジュリアが唇を噛み、悔しそうに両手を握りしめた。
キャロルは毎朝こうして私に食事を持ってきてくれる。とても食べられないような出来の朝食が出た時は、ジュリアには申し訳ないけどありがたくそれを食べた。今は成功する日も多いので、昼食として頂いている。
本当はもう断った方がいいんだろう。……でも、キャロルの家の調理人が作った料理は本当に美味しいのだ。当初単純だった味付けも、今は私のリクエストで改善されてバラエティーに富んでいる。
ジュリアは奴隷の身分から助け出した私に、感謝と恋心を抱いている。そしてまた、ややこしいことにキャロルも私――正確にはアレクのことが好きなのだ。
キャロルとの出会いはこの街に来てからだ。貴族の娘だったキャロルがお忍びで街に出た際、よからぬ輩に絡まれてしまった。そこに登場して彼女を助けたのが私だったと言うわけだ。――回想する必要もないぐらい、物語ではよくある話だ。
キャロルとジュリア、どちらの出会いも同じ。単なる吊り橋効果なのだと思うのだけど、アレクの外見が下手に格好良すぎたのがそれを助長したらしい。
私がアレクでなかったら、ジュリアは単に労働力として買われただけの家政婦だというだし、キャロルは冒険者の女にただ感謝してそれで終わっただろから。
――顔が無駄に良いって、不便だ。
「アレク様は今日も図書館においでになりますの?」
「ああ、それが役割だからな」
そう答える私にキャロルが手を差し出してくる。貴族らしい尊大な態度だが、恋する乙女として顔が赤らんでいるところがとても可愛らしい。
「で、では。わたくしを家までお送りくださいますわね?」
「ええ、かまいませんよ」
背中に流された豪奢な赤い髪が、華やかなキャロルの容姿を一層引き立てている。まともな人間なら、けしてこの美人の手を拒んだりはしないはずだ。そう思ってキャロルの手を取ると、ますます顔に朱が上って金色の瞳が潤んだ。同性とはいえこうして絆されるのだから、綺麗な人は本当に得だと思う。
それはさておき、キャロルの自宅は図書館へ行く途中にあるし、ついでのこれが食事のお礼になるならお安いものだ。
「それでは行きましょう、アレク様」
ぶるぶると震えるジュリアに、つんと顎をそらして、見せつけるように組んだ腕に胸を押し付けてくる。キャロルの胸は発育途上のジュリアと違って、Eカップはかくやと言う巨乳だ。そしてとても柔らかい。ちょっと揉ませて欲しいが、今の私は女ではないから我慢。
泣きそうなジュリアを流石にそのまま放置する訳にもいかず、そっと肩に手を置いて慰める。
「留守を頼む。――夕食も楽しみにしている」
ぱぁっと表情を輝かせるジュリアと目を合わせ微笑むと、機嫌を損ねたキャロルに腕を強く引かれた。腕がむにっと胸に当たってめり込んだ。本当に柔らかい。寄せたり上げたり底上げしたりする必要の全くない、天然の巨乳だ。心底羨ましい。
「もう! アレク様、早くいきましょう」
「ああ」
「夕食がんばります! あの、気をつけて行ってらっしゃいませ!」
切なげなジュリアに見送られて玄関に向かうと、やはりアレクの顔をみて頬を染めたジュリアの侍女と、護衛の女騎士がいた。
異世界でハーレムは王道でテンプレ、ってギルメンの2人組は言うけれど、実際に渦中の人物になってみると洒落にならない。っていうかウザイ。
ハーレム物の主人公は大抵鈍感だけど、あれは自己防衛の為の無関心さなんだと、私は思っている。
主人公に微笑みかけ精一杯媚を売るその視界の外で、ライバルの背中を抓り、足を踏みにじる。ハーレムの内外構わず女を敵視しては暴言を吐き、嫌がらせをして蹴落とす。
いくら鈍感だといっても、あの独特のギスギスした雰囲気に気付かないなら、それは鈍感ではなく単に空気を読めないKY野郎と言うだけのことだ。あからさまな 媚態と秋波をスルーしながら、自分の自意識過剰かと悩むようなアホは、一生童貞でいやがれと言いたくなる。気持ち悪いにも程がある。
だからあの手のハーレム物にありがちな糞鈍感主人公はきっと、ハーレム要員の醜悪な謀略合戦にうんざりし、コイツらだけは絶対に選ぶまいとして無頓着を装っているのだ。そうしてまともなヒロインが現れるまで、誰も選ばずにやり過ごそうとしているのだろう。そうだ、そうに違いない。
憂鬱に思わず溜息を吐いた。
「アレク様?」
「いや、天気がいいな」
「ええ! 今日も素晴らしい日ですわ!」
顔を上気させたままのキャロルが怪訝そうに聞いてきたが、私が慌てて弁解したら、素晴らしい、のところで身をそっと寄せてきた。彼女にとっては私と一緒に居られるなら、どんな時も素晴らしいんだろう。ほんと健気だなぁ。
キャロルは生粋のお嬢様で天然美女だからだろうか、ジュリアに対する当てこすりこそするが、それ以上の行為は発想自体がないらしく大人しいものだ。嫌味も常に正面切ってやるんだから、気位の高さも逆に好意に受け取れる。それだからこそ、私もキャロルを何だかんだ言っても受け入れている。しかし――。
ちらりと後ろを見る。
主人の前だからだろう、今は大人しく楚々とした態度の侍女と女騎士が、ジュリアに対して行ったことは忘れ難い。自分も女だから不本意ながら理解できるが、同性に対する容赦の無さは寒気がする位だ。正直おぞましくて、思い出したく無い。
発見して以来、家に立ち入ることを禁じているが、それでもまだアレクに対して秋波を送り続ける根性にびっくりする。
いくら気に食わないからと言って、元奴隷だからと言ってもアレはない。暴力を振ったり生ごみを浴びせかけたり、下水に突き落したり箱に閉じ込めたり、雇った男に襲わせたり。もう単なる犯罪者だ。人としてクズ過ぎる。
それでも自分の好意が受け取ってもらえると考えるなら、頭がお花畑の電波系だ。
嫌がらせの証拠が有りさえすればもう2度と家には寄せ付けたくないのだが、流石にそこまで馬鹿ではないみたいで、悔しい。
恋愛に頭沸せて犯罪行為をする程の馬鹿なら、大人しく最後まで馬鹿で抜けていて欲しいけど、なかなか現実は上手くいかない。凄く憂鬱になる。
キャロルがお忍びで街に出てトラブルに遭ったのも、この女たちの策略なんじゃないかと今は疑っている。主を危険に晒しておきながら仕事を首にならなかったのだから、本当に不思議すぎる。その無駄な立ち回り能力、負の方向で廻さなければいいのに。
「アレク様、それでは……また明日お会いしに伺いますわ!」
蔦を絡ませたような複雑な模様を描く鉄の門の前で、キャロルは名残惜しそうに言った。一見して貴族の屋敷と解る豪華な建物、キャロルの家に着いたのだ。
解かれた腕の代わりに手を取り、キャロルが上目使いで私の顔色を伺ってきた。
「あの、夕食をご一緒しては頂けませんの? 父もアレク様にお会いしたいと言っておりますし……」
「私は単なる冒険者です。今でもこうしてお会いする自体、分不相応だと思っています」
「そんなこと! そんなことありませんわ! 父もアレク様にお会いしに伺うことに賛成しておりますのよ!」
必至で否定するキャロルに、ちょっとびっくりした。普通、年頃の貴族の娘が冒険者に会いに行くことを賛成する親なんて居ないと思うんだけど……。もしかして結構大らかな人なのかな……? まぁ確かに毎日もう1年も通ってきてるし、今更な話かしら。
「しかし……」
「わたくしを守ってくださった方ですもの。父もアレク様に感謝していますのよ? だからどうぞお受けくださいまし」
ちょっと考える。
キャロルは性格もまぁいいし、美人だ。きっとその親も美形だろう、見てみたい気もする。そしてそれなりに人格者なんだろう。うん、ちょっと会ってみたい。そうだ。この際、貴族のお屋敷を見学してみるのもいいかも。キャロルの家は豪華だが気品のある素敵な屋敷だ。きっと中も美術品とかが沢山飾ってあって凄いに違いない。
「そうですか……。今日はジュリアとの約束がありますが、近々お伺いしても?」
「まぁ! ありがとうございます! 改めてご招待いたしますわ!!」
打算で答えた私へ嬉しそうに笑うキャロルは、何度見ても美しい。同性とは言え美人の笑顔は嬉しくさせる。何だかいい気分で私はキャロルと別れ、図書館へと足を向けた。
ちょっと浮かれた気分の片隅で冷静に考える。
今はこうして紳士的に接していても、だからいってキャロルと恋愛はできないなと確信できてしまう。そもそも私は同性には全く興味が無い。それはあの巨乳はちょっと揉んでみたいと言う気持ちはあるけれど、そんなのは女性同士ではよくある普通の行為だ。つくづく今の自分が女でないことが恨めしい。あの巨乳、本当に羨ましいな……。
いずれにしても、いくらアバターが男なんだからと、どっかの誰かみたいに同性と恋愛は私には出来ない。いや、あれは恋愛ではないかも。――とにかく! 私はごく普通の対応をしているだけで、別にキャロルに対して気を持たせるような行為はしてない。恋愛感情を向けられても困るのだ。
「誰か! 誰か助けてくださいまし!!」
女性の必死な叫び声が聞こえた。思わずゼロスから分けてもらったばかりの、味噌と醤油のようなものを取り落としそうになて、あわてて抱え込む。周りを見渡すと、狭い路地で女性が男3人に絡まれてるのを見つけた。
えーとえーと、クエスト発生? ――じゃないや、もうゲームじゃないんだから! 助けなきゃ! でも荷物が……。
さらに悲鳴を上げた女性に、私はとにかく慌てて駆けつける。抵抗する女性の腕を乱暴に引いて、むりやり路地の奥へと連れ込もうとしている男達に叫んだ。
「そこで何をしているッ!!」
見ればわかるじゃない! 女性に乱暴しているの! 私は馬鹿かッ!
カッコ悪すぎる! テンプレのセリフを吐いたことに思わず舌打ちをすると、乱暴していた男達が私を見て馬鹿にしたように嗤った。
「ああ? 優男は引っ込んでろよ! 坊ちゃんが!」
坊ちゃんですって?! ふざけないで!
大人のカッコイイ男設定のアレクに対する暴言に頭が真っ白になる。
――私の理想のアレクを馬鹿にするなっ!!
とっさに荷物をインベントリに仕舞い、ゲーム時代ずっと愛用していた剣を装備した。アレクが持つのに相応しい優美なデザインの剣を馴れた動作で振り切り、馬鹿にした男の前髪をそぎ落とした。
「うわぁっ! コイツ……ふざけんな! いきなりかよッ!」
慌てて身を引く男に構わず、剣の柄で女性を掴んでいた男の腕を打ち、すかさず女性と男たちの間に滑り込む。ダンスを踊るように左手を女性の華奢な腰に回し、くるりと背に回り込ませて女性を体を盾に庇う。回転する勢いのまま、ついでに一番奥にいた男の腹を蹴り飛ばせば、ぐしゃりと骨の折れる感触がした。――キモイっ!
まるでゴキブリを踏みつぶした時のような、微妙な足ごたえ――硬さに鳥肌が立つ。
血反吐をまき散らしながら壁にぶち当たった男を見て、ようやく私は我に返れた。
「た、立ち、け怪我したくなかったら、立ち去れっ!」
慌てて剣を向けて牽制する。ぅわあ……。思った以上に大変なことになってる……? どうしよう……。
血を口から流し、白目を吐いている男を見ないように目を反らした。なんとか別の男へ視線をずらせたが、剣を打ち付けたときに外れたのか、こちらの男も腕を肩から"ぶらさげて"いた。
アレクのレベルはどれも高い。現在のアレク――私のアバターは全てアレクだ――は騎士タイプで、レベルの高さで素早さもあるし、それに増して筋力値は高い。中位レベルに分類されるフィールドとは言え、街中でクエスト発生させるようなNPCが敵うようなレベルではなかった。
自分で思った以上の惨状に動揺しているだろう私を、男達はただ気味悪そう憎々しげな顔で見ていた。そして唯一、前髪以外は無事だった男が気絶した仲間を背負うと、唾を吐き捨てて無言のまま去って行った。
心臓がばくばくといっている。荒い呼吸を抑えながら、何度か生唾を飲み込んだ。
――もう、戦うつもりはなかったのに……。
とっさの行動で、それも人助けとは言え、思った以上の暴力を振るった自分に呆然としていたら、背中に手が当てられるのに気づいた。
「あの……。大丈夫ですの?」
後ろを振り返る。乱された赤い髪を気にすることなく、黄金の瞳を潤ませて私を恐る恐ると伺う美女――キャロルが居た。
「私は、だ、大丈夫です。……あなたは大丈夫ですか?」
アレクのイメージを崩すのは嫌だ。私は動揺をなんとか取り繕って、キャロルに笑いかける。――笑いかけたら、キャロルの顔が真っ赤に染まった。
恥ずかしげに、でもちらちらとこちらを伺うキャロルの濡れた瞳に、アレクが写っている。
そりゃ、一目惚れするよね。だってアレクは本当にかっこいいもの……。
だから、キャロルの気持ちは良く解るのだ。
自分を颯爽と助けてくれた美男子に、女の子なら恋に落ちないわけはないから。でも困る。困るのだ。
告白されたらどうしようかなぁ……。
普通の男から見れば、なんとも贅沢な悩みに頭を悩ませていると、カインからコールが入る。
伝言を送り付けるだけのメッセージとは違って、コールはリアルタイム会話が出来る。例えるならメッセージはメールで、コールは電話だ。
ウィンドウが上手く見ることのできない私でも、コールは強制で割り込んでくるのでコマンドし易い。強制ゆえに困る時も時々あるけど、コマンド不器用な私の為に、ギルメン達は決められた時間にいつも連絡をくれる。
《今、会話しても大丈夫ですか?》
穏やかな、とても優しい声が頭の中に響く。カインの声はいつも心が温かくなる。
《もちろん! 何かありました?》
《はい。お願いしたいことがあります》
なんだろう? サブマスとしての仕事かな? カインに頼まれ事をされるのは嬉しい。気分が浮き立つ。
しかし、じんわりと胸を温めたはずのカインの言葉は、一瞬にして私の気分を下降させた。
《――先ほど、そちらにヒヨシさんが行きました。図書館で会ってください》