上 の うえ
正直書くのもアレだったので、読む方も相当アレだと思います。申し訳ない…。
第2話概要「スイーツ」(笑)
朝、目が覚めて白い石造りの天井を見るたびに、ここがかつての世界ではなく"Annals of Netzach Baroque"というゲームに酷似した異世界だと思い出す。何日経っても終ることのないこの世界に絶望したけれど、今はもうただ苦々しく思うだけ。
まだ寝ぼけた頭で、それでも何とも言えない抵抗感を味わいながら、体をベッドから引き起こした。
眠気の去らない瞼を開いて部屋を見回す。白乳色の石の壁と床、重厚な木の扉。床に敷いた絨毯は繊細な模様が編込まれ、なんだか目が回りそうだ。
大人が3人は寝れそうな大きな寝台に引かれた布団はふかふかして、物語のお姫様が眠り続けてそうな感じで素敵。でもホロフー鳥の羽毛の布団は、絹と麻で包んでなお独特の臭みがある。手に入れることの難しいそれをようやく買えた時は本当に嬉しかった。かつての羽毛布団のようだと。けれど相変わらずこの匂いは苦手。ハーブを焚き染めてみたけど、羽根の匂いが勝っている。もう一度染め直してもらおう。
溜息が自然に零れる。
この部屋は本当に気に入ってる。部屋だけじゃなくて家も街も全部。一目見た時からわくわくした。南欧のリゾート地みたいな、赤いレンガの屋根と白い壁の家が立ち並ぶ街並み。色とりどりの果実の生い茂るささやかな庭と、可愛いくてこぢんまりとした屋敷。ここで生活することを楽しもうと思った。だって他にどうしようも無いから。せめて好きな物に囲まれて、自分に出来ることを精一杯がんばろうと思ったのだ。
ありきたりでいい。穏やかな毎日を送りたい。図書館に通ってはこの世界の歴史を調べ、いつか現実に戻る為のその手掛かりがないかと探し続ける。いつかここではない世界、現実に戻る為に。スリルも危険も冒険もない、ただ平凡な日々を過ごす為に。 ……もう、戦闘は私には無理だから。
ぎゅっと目を瞑る。
思い出すだけで動機が酷くなり、汗が滲む。ここは緑と街に漂う朝食のいい匂いしかしない筈なのに、あの時嗅いだ血の臭いが蘇ってきて体がすっと冷える。
そう、あの時臭いがしたのだ。本来しない筈の匂い。ゲームではありえない嗅覚の解放――。
「も~~~~~いい加減出てもいいよねぇ! つか出せよレアをさあッ!!」
半ばブチ切れながらトウセが叫び、それでも魔法を発動してギルメンを支援する。
気持ちは分かる。ギルメン全員分集めているレアアイテム、その最後の1つが出ないのだから。しかもよりにもよって最後が自分の分ならなおさらだ。誰がどう文句を言おうが8個集めるまでやり続ける。そう決めたから皆ぶちぶち言いながら繰り返してるけど、いい加減他のクエストをやりに行きたい。
いや、このレアアイテムが他で代用できるんだったら、きっと誰かが根を上げて言い出してたと思う。そして、何時もの穏やかな笑顔でギルマスのカインが諌め、理論家のゼロスが澄ました顔で諭すのだ。
「レアくれよぅ! この渋ジジィがッ!!」
ティーザラスがクエストボスの魔術師――凄くダンディなキャラだ――に魔法を発動させて打ち込む。
何時ものように、うんざりするほど馴れた流れで戦闘を続けていた筈だった。筈だったのに、一瞬意識が途切れた。そして気付いたらすでにこの世界だった。
――なんで? なんで? なんでなんでなんで?????
ただ混乱する。
だって目の前のクエストボスはポリゴンの筈なのに、でも痛いと、苦しいと、そう喚いて血を流してる。泣いてただ叫んでる。――人間みたいに。
呆然として手が止まり、目の前の光景を眺める。
へんな匂いがする。気持ち悪いにおい。この臭いは……。
ギルメンの誰かが叫んでる声がする。でも真っ赤に染まる目の前の人間が、もっともっと声を激しく上げていて、凄く怖い。
生臭い匂いが気持ち悪い気持ち悪い――怖いッ!!
そう思った瞬間、誰かに背中を強く叩かれて我に返る。ぼうっとする私の耳に優しく誰かが囁いた。
「次はいつものようにお願いしますね。サブマス」
そのまま立ち尽くす私の横を駆け抜ける。銀色の美しい髪がなびき、気持ち悪い赤に染まる。ああ、せっかく綺麗な色が――。
「サブマスッ! ――里香さんッツ!!」
カインに本名を呼ばれて、慌てて魔法をコマンドする。
――って、あれ? コマンドって今、私どうやった?
さらに混乱した途端、吐き気が出るほどの匂いと悲鳴が襲ってきて、思わず耳を塞いで目を瞑った。何故ここの場に自分が居るのか、どうして居る必要があるのか。
皆もう帰ろうよ! ここはもう居たくないよッ!! 怖くて、怖くて、もうわけが解らなかった。
「……サブマス、大丈夫?」
恐る恐る目を開くと、顔を真っ青にしたトウセに話しかけられていた。混乱する頭でなんとか肯いて辺りを見渡すと、一面鮮血で染まっていた。勝手に腰から力が抜ける。
気持ち悪い! 触りたくないッ!
赤いものが飛び散った床に座り込みそうになる瞬間、身体をぐっと支えられる。酷い吐き気で頭がくらくらして、それでも座りたくなくて足を堪えた。促されるまま無理やり赤い血だまりに黙祷すると、支えられたままワープでギルドホームまで飛ぶ。
ギルドホームにあの赤いものはない。そうしてようやく大きく息を吐く。
――ここは怖くない。
夢中でカインに安全だと伝える。皆がギルドホームに帰って来たのを見て、心の底から安心できた。そこからの記憶は朧気で、気が付いたらこの世界で10日以上経過していた。
そしてようやくここが異世界であると、元の世界には戻れない事を思い知ったのだった……。
ふかふかの布団を抱きしめる。好きではない匂いだけど、生臭さはない。ここはもう怖いことなんかなにひとつない。
今度こそ顔を上げて深呼吸する。
朝ごはんのいい匂いがする。そうだ、きっとあの子が支度をしてくれているから、ご飯を食べて元気をだそう。美味しいものを食べると元気がでるから。だから今日もがんばるんだ。
そう思って寝台から降りる。目を瞑って深呼吸を繰り返し、集中する。頭の奥にウィンドウを想像し、コマンドを選んで決定する。ようやく着ていた寝巻が簡素な服に切り替わった。
あの時の戦闘では無我夢中で出来ていたけど、こうして平素の時はコマンド決定することに苦労するようになった。幸い、トラブルにあったようなとっさの時は、ゲームと同様に素早くコマンド出来る。原理を理屈で考えるとダメのようだ。他のギルメンは普通にやれているから、きっと私が不器用なんだろう。
カイン曰く、これらは"ゲーム画面が脳裏に焼き付ついた状態"のようなものらしい。正式名称は"Game Transfer Phenomena(ゲーム転移現象)"とか言うらしく、数十年前に学術論文として発表もされたそうだ。
カイン達ギルメンの何人かは、ゲーム時代とほぼ同じ状態で頭の奥隅に常にウィンドウが見えるらしい。それ以外の人は私ほどおぼろげではないけど、何となくウィンドウを思い出してコマンド出来るそうだ。
上手く操作できるのは羨ましい。けれどそもそもゲームと似ている世界とは言え、ここも紛れもない現実なのだから、ウィンドウ操作が可能な人の方が可笑しい気もする。
濃淡の違うグレーを基調とした上下に、アースカラーのグリーンのシャツを差し色に選ぶ。鏡に映るアレクは今日もカッコイイ。――違う。かつてのアバターで今の私はとても男前で、どの角度から見ても恰好が良かった。
青味がかった黒い癖のない髪はさらさらとして、現実では癖毛な私には羨ましいぐらいだ。少し長めなアンシンメトリーの前髪を無造作に後ろへかき上げてあり、額に少しだけ落ちたところに色気がでるのが凄く素敵。梳いた襟足が嫌味なく首元にかかる。瞳は深い藍色で、切れ目の眼元が涼やかな知的さを醸し出していた。
背丈は180センチ。公式で推奨されている自分と同体型では制作しなかったけれど、アレクの為ならしょうがない。年齢は自分より3つ年上の28歳。年上のクールで恰好良い男。
「自分でなければ最高なのに……」
ネナベプレイなんか一度もしたことが無かったのに。なんでこんな事に……。
また溜息がでそうになる。頬を軽く叩いて、自分に見とれる不毛な行為を辞める。
「ご飯食べよう……」
扉を開けて、ようやく朝食のいい匂いが漂う1階へと向かった。
食堂の扉を開けると、お味噌汁の香が部屋中に広がっていた。白いレンガの壁には美しいタペストリーと絵皿が飾ってあり、窓際には沢山のハーブのサッシェが吊るされている。つややかな木のテーブルは紺色のリネンのランチマットがセットされ、中央には先日から庭に咲き始めたピンクとイエローに花弁を染めた花が花瓶に活けてあった。
「アレク様、おはようございます!」
刺繍がワンポイント入る茶色の可愛いエプロンをひるがえし、ジュリアが元気よく挨拶してくる。私が微笑んで答えれば、ジュリアは一瞬見惚れてカチリと固まり、それから顔が赤くなった。気持ちは分る。アレクは本当に恰好良いから。でも同性に心寄せられても、私はちっとも嬉しくない。本当になんで私がアレクなんだろう。せっかく異世界に来たのだから、御伽話よろしく実体化したアレクと素の私が出会ってもおかしくない筈なのに……。
ジュリアがもじもじと照れた様子で、食卓に着く私に給仕してくれる。
「お口に合うといいんですけど……」
出されたのは白い木の器に入った味噌汁と焼き魚に香の物、それにごはんと野菜のお浸し。日本食が恋しくて、食堂を経営するゼロスに頼んで味噌と醤油らしき物を分けてもらった。この世界の味付けは淡白で、すぐに飽きてしまったのだ。
味噌のいい香りが漂う。手を合わせて「頂きます」そう挨拶してまず一口味わう。うん、美味しい。
「美味しいよ。ありがとう」
「よかったです。あの、これからもあたしがんばりますから!」
ジュリアはほっとした様子で笑った。無理もない、慣れない仕方ないこととは言え、一緒に暮らし始めた当初は本当に不味い食事しか作れなかったから。彼女は失望する私に家を追い出されないかと怯えていたのだ。もっとも私は、どんなに駄目な食事しか作れなくても、けして彼女を見捨てようなんて考えたことは一度もなかったけれど。
基本的にこちらの世界の食事は塩と胡椒だけの単純な味付けで、出汁の概念があまり無いようだった。出汁をベースに考える和食とは正反対だ。素材自体の味はあちらの世界より良いので、和食とは凄く良く合う。街並みを考えると、プロヴァンス――南フランス料理とかが合うのかもしれないけど、毎日はキツイ。それに日本人としてはやっぱり、朝食はお味噌汁とごはんでないと駄目だ。
「ジュリアも冷めないうちに食べなさい」
促してようやくジュリアも席に着く。いくら家政婦として働いていてもらっても、それとこれとは別だ。1人で食事するのは寂しいし、なにより私はそんな大層な身分ではないから。元ゲーマーの冒険者で、この世界ではただの一般市民なのだし。
「ありがとうございます。……いただきます」
私に倣うように手を合わせて、それから箸を持つ。まだ慣れない箸使いが微笑ましい。ジュリアには以前スプーンを使うようにと勧めたのだけど、私と同じように箸を使って食べたいと言ってくれたのだ。そういうところは凄く可愛いと思う。恋する女の子だ。
自分が作った料理の味を確かめるように頷きつつ、少しずつ箸を付けていくジュリアは、客観的に見ても可愛い容姿をしている。
栗色の真っ直ぐな髪をポニーテールにしているところに少し幼さ出ているが、17歳だと言うのだから幼い以前に本当に若い。白人特有のそばかすの散った顔は、本来勝ち気な彼女の性格がよく現れている気がする。目は深いグリーンで、これは彼女の祖母と同じ色なのだそう。代々黒髪黒目の日本人の私としては、ちょっと羨ましい話だ。
あまり昔の事を話したがらない彼女が、時折そうやって自分の事を教えてくれるのが嬉しい。そして私は思う。彼女を助け出せて本当に良かった。だからこれでいいんだって。少なくとも奴隷のままでいるよりはずっといい筈だと、そう思うのだ――。
私がジュリアと最初に出会ったのは、ようやくこの世界に慣れ始めた頃。ギルメン全員で市場に見学しに行った時だった。
もとの世界にはない変わった商品が物珍しくて、見ているだけで楽しかった。一緒に行動するギルメンを散々買い物に連れ廻して、そうして市場を巡りたどり着いた市場の一角、一種異様な雰囲気のそこで売られていたのは、なんとジュリア本人だった。
その時彼女を売り込んできた商人の、ヒキガエルみたいな醜悪な顔が未だに忘れられない。薄汚れてぼろぼろの服を身に着まとい、首輪と足枷を付けられたジュリアの身体を、いやらしく商人がまさぐっていたことに一瞬で頭が沸騰した。
すぐに彼女を助けようとしたけど、その日はギルメンに制止されたうえに反対された。私の勝手な同情で彼女だけ救出しても、他にも沢山奴隷は居るからだ。でもどうしても気になって、結局後日1人で市場を訪れてしまった。
幸い――と言っていいのか、売れ残っていた彼女を見つけて、すぐに買い受けることが出来た。ヒキガエルがニヤニヤ笑いながら購入手続きをしていた事に腹が立ったことをよく覚えている。後で知ったことだけど、相場より高い値段で買わされたらしい。ヒキガエルに稼がせたのはとてもムカつくけれど、ゲーム時代にお金は死ぬほど稼いでいたし、何より金額の問題ではなかった。無事に彼女を救い出せた。自己満足に過ぎないけど、それでいいと私は思う。
奴隷時代に酷い目にあっただろう彼女は、私ことアレク以外の男を怖がるふしがあった。そんな彼女とまだ異世界に慣れていない私が落ち着けるよう、カインはしばらく2人で暮らすことを提案してくれた。そしてゲーム時代から私が好きだったこの街に、この家――凄く私好みの家を見繕ってくれた。
2人きりで暮らすといっても、ギルメンにはコールで何時でも連絡ができるし、なによりしょっちゅうギルメン達が遊びに来るので寂しくない。
そうして2人でゆっくりとこの街に馴染んで、もう1年になる。