移転者は異世界で笑う
「違うんだよぅ! 俺の喰いたい芋餅はコレジャナイロボ!」
「さっぱりわからねぇよ。せっかくメグさんが作ってくれたのに、文句言うな」
眉を寄せた眼鏡の男が顔を顰めて、喚くティーザラスを諌める。指をさして拒否されたのは、食欲をそそる焦げ目の付いた薄く丸い餅。醤油の味を再現した、甘いとろみのあるあんがかかった、正真正銘の芋餅だ。――少なくなくとも、眼鏡の男、アカウントネーム"ゼロス"はそう認識している。
その隣で困ったような、微笑ましいものを見る様な表情をした女性、アカウントネーム"メグ"が呟いた。
「う~ん、サクッとした甘い衣が付いてるのね? それを揚げてるの……。卵白を泡立てるだけだと頼りないかしら? ふわふわし過ぎるのは駄目なの? そうなの。でもねぇ……、ベーキングパウダーが無いのよねぇ……」
「天然酵母とかって駄目なの? 異世界ラノベの定番じゃん」
そう口を挟んだほむほむらぶは、隣でひたすら騒ぐティーザラスなどどこ吹く風だ。指さされた芋餅に腕を伸ばした。そして、自分のフォークを拒否された芋餅に突き刺して、食べた。
「発酵酵母はね、酸味が強くて向いてないの。今はとくに気温が高いから、パンの酸味が前よりきつく感じられるでしょ? パン種もあるけど、やっぱり酸味があるのよねぇ……。一応、重曹らしきものもあるけど、扱いが難しくて……」
「重曹だめなんですか?」
これ旨いのになぁ。そう感想を述べながら、同じくティーザラスを無視した狂戦士"バルサ"も聞く。
「ホットケーキミックスみたいな軽い触感なんだろ? 重曹でもいいんだが、こっちのは精製されてないせいか苦味が強過ぎてな、どうにもな」
「レモンやビネガーとハチミツを大量に混ぜ込める、バウンドケーキみたいのならいいのよ。でもねぇ、食感が重いから。特にスポンジ系に使うには難しいのよねぇ。小麦の挽き具合も違うし」
「へぇ、異世界でお菓子作りとか、物語の定番なのに」
「そう言える異世界なら良かったんだけど。水質が変わるだけで分量の調節が必要になる分野なのよ。――この間のヨーグルトが残ってたら、それを酵母にできたのだけど……」
いつの間にか全部無くなってて……。と、切なそうに眼を伏せたメグからほむほむらぶは目を反らした。視線が空に泳いでいる。
メグは悩ましげにひとつ溜息を吐いた。それから、気分を切り替えるかのように微笑む。
「とにかく思い付いたものを作ってみるから、みんなで食べ比べしましょう?」
こちらで現実の食事を再現しようとしても、そこには必ず世界が異なるという壁がある。ゼロスは食堂を始めるにあたってまず、自分の記憶にある食材とのすり合わせに苦労した。
似た味の食材、らしい調味料。しかしそれはそのもの――決して、全く同じものではなかった。さらには探すこと自体を、次は調理の仕方を、そして組み合わせた時の味が同じかどうかすら一つ一つ確かめるしかなかった。
かつてはVRゲームでしかなかった"Annals of Netzach Baroque"に、味の概念は無い。素材として説明はついていたが、あくまで食べられるか否か程度しか記述はなく、コマンド選択で調合して使用すれば体力とスタミナのパロメーターが向上して、それで終わる。その程度の存在だった。だがもうここはゲームではない。
「本当に面倒臭い……」
「そう言わないで。故郷の食事に括るのは解るわ。気力になるもの」
甘いシードルか炭酸水を使って生地を強発砲させてみるのは? 唐突にゼロスの後ろから声がかかる。と、オフィーリアが顔を覗かせた。
「ああ! そうね、炭酸水なら味がそう無いし。それもいいわね!」
メグは手を叩いた。「試してみるわ~」と、嬉しそうに言って、1階の調理場へと去って行った。
「炭酸水とかいいんすか?」
空いていた席に腰かけるオフィーリアに、ほむほむらぶは聞いた。さっそく芋餅を口にしながらオフィーリアは肯く。
「ガスは二酸化炭素だ。発砲した泡が生地を膨らませるのことに変わりない。多分食感が多少モチモチするが、その後また揚げるし悪くはないんじゃないか?」
「へーそうなんだー」
「ふうん。それなら次のも楽しみね」
咀嚼をするオフィーリアの代わりに、ゼロスは答える。納得する2人を余所に、ティーザラスは待ち切れなさそうにテーブルを叩いた。
ここはゼロスが経営する食堂の2階、プレイヤーしか立ち入ることの出来ない大広間だ。
今日は久々にオフィーリアが来るというので、店を早々に切り上げて、ゼロス達ギルドメンバーと切り盛りを手伝ってくれているメグ達ギルドのメンバーで宴会を開いた。
そして、芋餅をリクエストしたティーザラスの思わぬ括りに、ゼロス達は対応する羽目になったのだった。
「しかし旨ぇわ、この芋餅」
「だからぁ! これは芋餅じゃないのッ!」
既に出来上がっているバルサが機嫌が良さそうに呟けば、ティーザラスがすかさず叫ぶ。
呆れた様子で見ていたゼロスは、ティーザラスの前に別の料理を押しやる。
「わかった、わかった。今メグさんが作ってるから、大人しく待っとけ」
「うぅ~」
不満そうに頬を膨らませて、渋りながら食べだした。とたん、破顔して料理をかき込む。現金なティーザラスの有様に、今度こそゼロスは脱力した。
「味わって喰えよ、このお子様が」
「ゼロスさん。お酒足りないみたいなので、地下から持ってきていいですか?」
隣のテーブルにあった空の小瓶を片づけていたユウが聞いてくる。小首を傾けるユウにゼロスは肯いた。
「ああ、エールは樽で上げてくれ。ワインは瓶の方で頼む」
「はーい!」
ユウは可愛らしく手を上げて答える。落ち着かない様子で、ユウを手伝っていた男達の内の1人、レザリックがすかざす席から立ち上がった。
「ユウさん、俺手伝いますよ。樽なんて重いもの、ユウさんに持たせられないっす」
「えぇ~! 手伝ってくれるの? 嬉しいな!」
「あ、俺も手伝います!」
「大丈夫、みんなは食べてていいよう? あ、でも瓶を片づけてくれると嬉しいかな?」
出遅れた男達が失意に力なく肩を落とす。敗者を横目に、レザリックが優越感に鼻を鳴らした。しかし、頭1つ背の低いユウに上目づかいで微笑まれたとたん、取り澄ましていた顔が赤く染まった。レザリックは焦った様子で掌を握り、開き、何度も繰り返し、上ずった声で答えた。
「と、当然すよ。こういう時の男手は、俺使ってくださいよ」
「ありがとう! レザって優しいなぁ。じゃぁ、一緒に行こうか? 私が瓶を持つね」
「だ、大丈夫ですか?」
心配するレザリックの前で、ユウは袖を捲った。白く柔らかそうな細腕を見せつける。
「瓶ぐらい持てるよ~。こう見えても私、腕力値高いんだから!」
「っ……で、でも俺、聖騎士で本気で腕力値高いんで! いつでもユウさんのこと手伝いますから! 無茶しないでくださいね」
ユウは動揺するレザリックの背中にまわる。レザリックの広い背に小さな手をあてて、はいレッツゴー! と元気よく声を上げた。背中を押したまま、2人で下へと降りて行く。
「なぁに? アレは」
バルサが舌を出して吐くようなジェスチャーを見せる。ほむほむらぶがバルサの肩を軽く叩いた。
「青春だよ! 青春!」
「そぅそう~、異世界でボーイミーツガール! 青春しちゃってるのさぁ!」
「バルサも青春しなよ! 青春!」
「はぁ? アレのどこが青春なのよ」
「恋愛は青春だろ~?」
顔しかめたバルサに、すっかり機嫌を回復したティーザラスは指を立てて高説ぶって語る。
「こう、街角で悪者に追われる子を助けたりとかさぁ~、奴隷に感情移入して身請けしちゃうとかさ! ハーレム作らないと! なんてたってここ、異世界だしさぁ」
「あと、しつこくナンパされてる子を、男らしく庇ったりもしないと!」
「「サブマスじゃあるまいし!」
楽しげに語るお祭り2人組を鼻で笑い、バルサは皮肉気に肩を竦めた。
「ハーレムとか馬っ鹿馬鹿しいわ! 大体私もアバターと性別違うっての。恋愛するなら女のアバター使うわ」
「えぇ~! そこはサブマスたち前例に習おうよ~」
アホくさっ! バルサは毒づくと、グラスの酒を呷った。
「黒そうな青春だな……」
全く理解し難い。寒々とした光景を、本人の意思とは裏腹に目撃したゼロスは、何度も頭を振り呻いた。
「真実を知った時が青い時代の終わり。そして修羅の始まりだわ。そう思わない? ゼロス」
同意を求めた割には、心底どうでも良いような口調でバルサはゼロスに言い放つ。
グラスの中のワインをゆっくりと含んで飲み込む。そうしてオフィーリアは周りの様子を、ただ微笑んで見ていた。
「それにしても料理に味があるの、ほんといいなぁ~。早くフルダイブ技術が出来て、ゲームに実装されるといいのにぃ」
「お前……。今この状態が正しくフルダイブだろうが……」
この期に及んで運営に要求するティーザラスの態度に、ゼロスがただ唖然とした。一瞬瞠目したティーザラスは、あっそか。と抜けた声を出した。
「フルダイブか……」
思わずほむほむらぶは言葉をこぼす。
(どちらもありえない世界、だ)
そう考え、そして思い出した。
――ようこそ"Annals of Netzach Baroque"の世界へ!
さて、このゲームをプレイしたいのなら方法は3つある。
まずはいつでもどこでも手軽にプレイの廃人製造機こと携帯ゲーム端末、自宅で手軽にVRが可能なHMD、そして、高額だがVR投入感の強いポッド、だ。
携帯端末は2画面のゲーム機で、別売りのHMDを繋げばなんちゃってVRとしてゲームが楽しめる。ネットインフラが充実している現代ではいつでもどこでも出来て便利だ。ただ何分携帯機なのでバッテリーやラグの不安があり、パーティー募集などで敬遠されたりする場合がある。注意しよう。
また、操作形態が他の2つと激しく違うので、これも慣れが必要だ。下画面のタッチディスプレイを使いやすいようカスタマイズする必要があり、少し手間がかるのがネックと言えばネックになる。
しかし廃人には何時でも出来て大変ありがたい。対応ソフトも安いし、大量に発売している。ゲーム好きなら買っといて損はない。
HMDは部屋に設置した据え置きゲーム機体と接続して楽しめる、家庭で出来るVRだ。使用する際ネットへの接続許可を忘れないように注意すること。
ヘルメット状のHMDをかぶり、両手先にグローブ状のコントローラーを付ける。視線の動きと脳波を感知しコントローラーでコマンドを決定するこのシステムは、実は、歩く、という初歩の動作が一番難しい。足にコントローラーをセットしないからだ。また気張るあまり、現実で激しく頭や手を動かして大惨事を起こしたりする。ご使用の際、周囲にはくれぐれもご注意ください。
そんなわけで、合わない人間はさっさとポッドに移行する。HMDは手軽にVRが出来るといっても、人気が微妙だったりするのはこのせいだ。対応ソフトも微妙なのが多いしねぇ……。そんな時にはHMDを使わないゲームを楽しもう。ストアからゲームを24時間購入できるぞ!
最後に一番人気のポッドだ。
これは家庭では出来ない。ポッドが設置された施設に行って、1時間幾らで部屋を借りる。微妙に高い。借りられるのは最大12時間までだ。これ以上やりたくても健康上の理由から断わられる。他の施設に行ったところで一律データ管理されていて借りるとは出来ない。廃人舐めてんじゃねぇぞ、クソが!
そして残念ながら14歳未満の使用は出来ない。ガキは指を咥えて誕生日を待つか、他の方法を選ぼう。
さて、借りた部屋の中にはカプセルのような機械が置いてある。これがポッドだ。ポッドを覗くと、中がコクピットのような様相になっていて、操作に戸惑うかもしれない。が、それらをフルに使用することは少なくてもRPGではない。あれは現代ゲームの花形ジャンル、FPSの為のものだ。
荷物は持ち込まず、部屋に置くこと。先にトイレに行くことを忘れずに。また部屋の鍵は必ず掛けること。以前施設内で、ネットランキング絡みの殺人事件が起こったこともある。凡人の嫉妬は怖いなぁ~。
ポッドの中央にあるシートに座り、右手にあるスロットに受付で提示したIDカードを差し込む。IDカードを持ってない? どこの国の人だよ。正規入国してから出直せ。
とにかく、緊急脱出用のレバーが座席の下にありますよ、というアナウンスが目の前のでかいディスプレイに表示されて自動でポッドが閉まる。
あとはディスプレイの説明に従ってやりたいゲームを選ぶか、もしくは受付も買えるゲームカードを差し込めばいい。頭上からVR用のHMDが降りてくるのでそれを装着して、シートの所定位置に手足を置く。位置は自動で調整してくれるが、もちろん任意でも可能だ。あとは存分にVRの世界を楽しんでくれ。
ああ、それから注意が1つ。3種のうちどの方法をとろうとも、ID管理されていて1日24時間で18時間以上のログインは出来ない。AM4時にリセットされるので、それまでしっかり喰って寝ろ。以上が楽しい廃人の始め方講座だ。
――さぁ、どれを選ぶ?
おそらく――まだ完全に確認したわけではないが、こちらの世界に転移されたのはポッドとHMDでプレイしていた人間の一部だけではないのか? と、そう思った。
少なくとも、俺はHMDでプレイしていた。ギルメン達もそうだろう。ポッドは制限時間が邪魔すぎるし、使用料金を払うぐらいなら課金アイテムを買いたい。あの後、メグさんのギルドの人間がポッド使用をしていたことを確認した。ギルマスの身内もポッドからこちらに来ているらしい。また、携帯機から来た人間がいないと思ったのは、携帯機プレイ専用の知り合い――こいつも廃人だ――が居なかったからだ。
もっとも、そう決めるには例が少なすぎる。何よりボットもHMDも、あの移転した時間にプレイしていた人間が必ずしもこちらに来たわけではないらしいからだ。何かしらの法則があったのかもしれない。
「俺ガキの頃、ゲームっていずれフルダイブになると思ってたんすよ」
「脳から脊髄を通る刺激を全て信号に変換して、うんたらかんたら……で、フルダイブだっけ?」
「そっす。なのに、ポッドですら未だにコントローラー装着してるって感覚あるんだもんなぁ。あと何年経ったらフルダイブでゲーム出来るんだろ?」
無邪気にぼやいたら、笑われた。
「お前、首吊り死体って見たことある?」
「はぁ!?」
唐突な話題変換に、思わず目をかっ開いて顔を凝視してしまった。
「全身の筋肉に対する信号がカットされた状態。力が入らないから失禁は勿論、弛緩した肛門から大便やら内蔵やらが重力に従って漏れ落ちてる。……フルダイブってそういう事よ?」
激しく動揺し必死に否定しようとしたが、いつか見たその光景が目に浮かんでとっさに言葉がでない。いっそ優しい笑みを浮かべて、畳みかけるように言われた。
「お前ゲームやりながらウンコ漏らしたいわけ? この変態ッ!」
「げぇっ!!」
変態と罵られ存外のショックを受けた。思わずヒキ蜍のような呻き声を上げて悶え転がった。
「ま、オールカットした信号の代わりに、機械が筋肉の状態を維持させとけば大丈夫なんだけどね」
「うわぁ……。ひでぇ。マジひでぇっす。ビビりましたよ。マジで」
――かつての世界でした、会話だ。
そして今、正にフルダイブを味わっているわけだ。喩え望まぬ形だとしても、ゲーマーとして、廃人として、体験できた事自体は喜ばしい。喜ばしいが、それだけだった。
いずれこの不思議な世界が終わる時がくるのか、それは移転されたプレイヤーの誰しもが解りはしないだろう。
ギルマス達がなにかしらの検証を進めているが、しかしそれに今、自分が関わる必要はない。
ほむほむらぶはそう結論づけると、バケットに齧りつく。
「ほむぅ~。俺にも酒くれよぅ~」
「んーふー」
追加されたバゲットを口一杯に頬張り、ティーザラスに酒を接いでやる。酸味のあるパンの味に、先ほどメグが言っていたことを思い出し、ほむほむらぶは、これがそうなのかと納得した。
「このパン酸っぺーよ、ゼロス」
「添えられたビーフシチューに浸して喰え! まったく、少しは考えろよ、このお子さま達め」
寄越されたスープ皿を受け取り、ほむほむらぶは礼を言った。肉ばかり集中してがっつく2人組に、ゼロスは呆れた口調でサラダボウルも押しつけた。
「だから、野菜も喰え! 栄養も考えろっての」
「えぇ~。ゼロス父ちゃん俺野菜キライ」
盛大に文句を付けるティーザラスの両こめかみを、ゼロスは無言で抉るように押す。コントのようなやり取りに周囲から笑いがこぼれた。痛がりながらも楽しげな表情のティーザラスを見て、ほむほむらぶも笑みを浮かべた。
「異世界楽しいおす!」
「はぁ? いきなり何言ってんのアンタ」
「うぃうぃ!」
だってみんな居るし楽しいよ! そう高らかに宣言する。そして、ティーザラスは軽やかに笑い、大きく満足のため息をついた。
――そして、今日も移転者は異世界で笑う。