異世界礼賛 下 その10
6/10更新は5項目です。その6からどうぞ。また、その4が差し込み話数ですが、読まなくてもストーリーに影響はありません。
「結局、それでもゼロスさんには転売されたパン屋とカルテルに通報する気はないのですよね」
ホームへのジャンプで発生した光の粒を払いながら、ライアンが実に真っ当かつ辛辣な台詞を吐いてきた。視界を焼いたエフェクトに俺は目頭を揉んで答える。
「あれでもうちの店の客だからなぁ」
「何度も言いいますが、ゼロスさんは甘い」
ライアンが呆れた様な視線を俺に寄越して、処置なしとでも言うように肩をすくめている。
「忠告されたとも気付かないと思いますよ。つけ込まれます」
「あれでも客である以上、売り上げの可能性を減らすのは商売としてどうかと思うんだ。それに二度目ともなると、強制的に騎士団の討伐対象になって賠償では許されないかも知れない。流石に客に死なれるのは目覚めが悪い」
「自業自得だと思いますが。今回発覚したのは転売だけですが、あの調子だと他にも色々問題を起こしていそうですよ」
「そうねぇ、その可能性は高そうねぇ。ねぇゼロス、一週間経ってもまだ転売を続けているようなら、せめて警告だけでも家主の村長経由で入れましょうよ」
「ああ、ギルマ――メグさん。それは良い考えですね。ゼロスさん、それで良いですか?」
「わかった。そうしよう」
俺は二人の意見に頷いた。穏便に注意できる方法があるなら異論はない。
それにしても、食品の転売も怖いが、牡蠣がやはり気になる。
いくら旬のエリアで新鮮なものを買って来たと言っても、あのトト村の陽気では……。どうにもモッチーさんは衛生観念にもいささか以上の問題があった。
牡蠣は、いわゆる二枚貝は本当に怖い。生も怖いが、生でも食べられるものを火通したから安全だろうと考えしてまう半生状態が素人調理では一番怖い。ステーキ肉同様、中心に生が残った状態がレアではないのだ。
いずれにしても、恐ろし過ぎて俺は未だに店で出せない。
とは言え、牡蠣以外にもありとあらゆる地雷が満載されていた店だ。正直、最後にはよく営業できているなと感心するぐらいだった。
自滅するならそれまでだが、わざわざ足を運んで金を払ってくれる客が酷い目に遭わなければいいのだが……。少なくとも、俺はもう二度と近づきたくはない。飲食店経営者の俺としては、恐ろしい店に遭遇してしまったと恐怖することしきりだ。ある意味いい教訓ではあった。我が振り見直そう。
「ああ、そうだ」
もうひとつ恐怖を秘めたものを思い出した。
「すまん。2人とも先に帰ってくれるか? 少し用事を思い出した」
「あら、それなら一緒に行くわ」
いきなり切り出した俺に驚きながらもメグさんは同行を希望してきが。だが、「野暮ですよ」とライアンにそっと後ろから囁かれて、心外そうに眉を寄せている。
「ギルマス――メグさん。ゼロスさんだって男ですし、羽目を外したい日もあるはずですよ。嫌な事もありましたし、男はこういった時にスッキリと気分転換したくなるものですよ」
「おいライアン! 人聞きの悪いこと言うなよ」
「えぇ? ほむくんじゃないんだから。――ゼロスはそんな所行かないわよねぇ?」
真っ直ぐな目で見るメグさんに、俺は抗議を封殺されて苦笑いを返した。随分な信頼感だ。しかし俺もごく普通の成人男なので、その信用のされ方はあまり有り難くない。
メグさんに構わず俺は脳裏でコマンドを済ませた。
「すみませんメグさん。すぐに帰ってきますから」
でもぉ。と粘るメグさんから一歩後ろに下がって、移転エフェクトを撒き散らかす。閃光が身にまとわりついて視界が輝く中、俺はメグさんへと目を細めた。
適度な背の高さ、ゆたかな胸とボリュームのある下半身。確かメグさんのアバターは公式の推奨通り、体型を現実の肉体に合わせていたはずだ。ボディスキャニングした後はほとんど弄っていないのだと、そうオフ会で言っていた。
なんとも言えないな。
――と、そう思った刹那、移転の浮遊感を味わう。
目を開ければ、ゲームの初期時代から嫌と言うほど見た扉――ホームの扉を前にして立っていた。
俺は安堵と感嘆の代わりに気合いを入れて、インベントリからアイテムを取り出した。
優美な曲線で形作られた小さな瓶。
その瓶の中で無慈悲に揺れる液体。閉じこめられた液体は真実をそこに沈めている。真実より先、自分の心の底から湧いてくる躊躇いを押し留めるため、俺は手の中の小瓶をただ握りしめた。
「すっかり暑くなりましたね」
「――うぬ?」
積み上げられたレンガに座る小柄なドワーフが、声を掛けた俺を怪訝そうに見上げた。
熱気で歪んだように感じられる視界の向こうで、長い髭と長い髪、それに長い眉毛の持ち主が俺をじっと観察している。先端だけ三つ編みにされた長い顎髭が、俺への不審さを表しているかのように胸元であちらこちらへと揺れていた。
「修理作業には厳しい季節ではありませんか?」
公都を真上から照らす太陽が大地を焼いている。トトなど比べものにならない暑さだ。俺は眩しい光から目をそらして、代わりに土台の殆どが崩れ落ちた時計台を見た。
ろくに日陰も作れない半壊した時計台に興味を示す俺へ、「また冒険者か」と、ドワーフ――エルベスティルがうんざりした表情を向けてきた。
「今日のエルベスティルは『冒険者お断り』と看板を建てるべきだった」
それが今日の正しい仕事だった! そうエルベスティルは忌々しそうに俺へ吐き捨ててきた。額から滴った汗が地面へと落ちて、照りつける日差しと短い影の間に雨だれのような薄い染みを作っている。首に掛けた手ぬぐいで、エルベスティルが顔を濡らした汗を乱暴な手つきで拭き取とった。そして目尻まで垂れ下がった眉の隙間から、俺を射殺しそうな視線で睨みつけている。
「今日もエルベスティルは何度も何度も何度も気が狂いそうになった! 英雄崩れどもが、お前らのせいだッ! エルベスティルはこの時計台を直すことだけが仕事だ。お前たち冒険者はここにレンガを運ぶのが仕事だった。レンガもう必要なくなったッ。今日も昨日も新しいクエストなんざなかった! さっさと立ち去りやがれっ。今日もエルベスティルに壊れてもない物を直せと言う事はやめろっ。この気狂いどもがっ!」
エルベスティルは俺を見据えながらまくし立てて「今日のエルベスティルもドワーフの地の神に目をそらされたっ。エルベスティルの真っ直ぐな髭にドワーフの地の神の息吹が感じられない! 今日のエルベスティルも不幸だ!」と叫んで、顔を両の手で覆う。
エルベスティルの台詞を解釈すると、やはり俺の他にも冒険者が尋ねてきたのだろう。――つまり、『時計台クエストNPCであるエルベスティルに、掲示板を直してくれ』と。
「俺たちの神はこの地を去った。だが、良きドワーフの貴方には神の息吹と眼差しが常に傍にある。今の貴方の不幸は俺のせいだ。――お詫びします」
俺は別のクエストで使った台詞を読み上げて、エルベスティルの前で地面に片膝を着く。それから手に提げていた桶を置いた。肌を刺す強い日差しを受けた桶の水が視界に輝きを撒き散らす。氷と野菜の浮かぶ桶から酒瓶を引き抜いて、俺は俯いたままのエルベスティルへと差し出した。氷とガラス瓶が涼やかな音を辺りに響き、エルベスティルの喉がごくりと鳴って調和した。
顔中から汗を滲ませているエルベスティルの鼻の先で、冷やされた瓶から水がにわか雨のように熱気を払いながらしたたり落ちている。熱気の立ち上る地面へ落ちた冷や水が、あっという間に飲みつくされて消え去った。
「うぅぬ……」
微かにエルベスティルが唸っている。ドワーフは無類の酒好きというのが公式設定だから、これで機嫌を直すだろう。――と考えた俺の予想に反して、エルベスティルは「今日のエルベスティルも酒は受け取らないっ」と吐き捨てて、再び忌々しそうな目で俺を睨んできた。
「蒸留酒は好みではない? それなら――」
「今日のエルベスティルも、ドワーフの地の神と髭に誓って芯から真っ直ぐだ! 今日のエルベスティルも魔法は効かないっ! エルベスティルは冒険者の甘言を知っている!」
そう言いつつ俺からはすぐに視線をそらしたが、代わりに豊かな眉の陰から酒瓶を見据えていた。仕方ないな。俺はこれ見よがしに瓶を地面に置いた。硝子瓶を伝う水が地面を色濃く染めていく。
このまま放置すればすぐに温くなってしまうだろう。それにしても、侘びの品でも賄賂的なものと認識されたら駄目なのか。それと魔法は効かないと言ったな。……まさか。
「冒険者が、良きドワーフの貴方に魔法を使ったのですか?」
「――ドワーフの地の神がおられる限り、今日のエルベスティルも奴隷にはならんッ!」
ふんっ。と矜持を誇るようにエルベスティルが鋭く鼻を鳴らす。三つ編みからこぼれた髭が鼻息で一斉にへこんで、それからぶわりと尖った。
まさかこの髭、実は神経でも通っていたりするのか? ゲーム時代――ポリゴンで表現されていた時代では、一度も見たことのない髭の動きだ。――それにしても『奴隷』か。
カインがヒヨさんに乞われて使用したように、知己同士かけ合った従属魔法は使い方次第では身を守る術となる。重ねがけ無効な魔法だからだ。だがそれはあくまでかける側も、かけられる側も互いに信頼関係があって初めて可能な行為だ。なによりレベル差があった場合、何の気ないお願いのたぐいが絶対の強制力を持った命令になったりする。……らしい。
逆に考えれば、それを悪用して受け入れぬ相手に無理矢理従属魔法をかけてしまうことも出来る。露見すれば『犯罪者』として討伐対象になるが、やはり従属魔法をエルベスティルにかけた冒険者が居たようだ。
「貴方が良きドワーフであるように、私もまた正しき英雄の末裔――冒険者です。洗脳や従属の魔法など、貴方に対して絶対に使わない」
「あの忌々しい紫の魔光めッ! ドワーフの地の神は、今日もエルベスティルのために悪き魔光を払ってくださる!」
「その通り。良きドワーフの貴方には、ドワーフの地の神の祝福が常にある」
当たり前だと言わんばかりに強調してくるエルベスティルへ、俺も大きく頷いて同意を示した。
ゲーム時代の設定通りなら、罪を犯して『髭がねじ曲る』ことになったドワーフは奴隷に身を落とす。ただし、どう『髭がねじ曲がった』のかは最後まで判明しなかった。――奴隷のドワーフには髭がなかったからだ。クエストが進めば、ねじ曲った髭のドワーフも登場したのだろうか? 運営は上手いこと興味を引かせるな。
それとは別に、どうやらNPCはそう簡単に従属魔法が効かないように『世界観設定』で守られているらしい。
ゲーム時代から『ドワーフの神』がドワーフに庇護を与えている設定は存在していた。クエストで使用した台詞からもそれが窺える。
ドワーフだけでなく、それぞれのエリアに存在する無数の土着住民ことモブNPC、各特殊キャラことネームド達を守護し奉られている神も、宗教も、存在し設定されていることが判明している。
『薔薇の木図書』で調べれば、誰がどの神に守護されているかとの詳細も分かるだろう。
……もしかしなくとも、犯罪者設定の有るNPC以外で従属魔法が効果を持つのはモンスと俺たちプレイヤーだけなのかもしれない。
これは少々……いやかなり恐ろしい推測だ。
「――いずれにせよ、今日はとても暑い。どうぞお体にお気をつけください」
「うむ……」
重々しく首を縦に落としたエルベスティルのカギ鼻から汗が落ちていた。たいして動いていない俺からも、太陽に炙られてこめかみから汗が流れていくのが感じられる。伝う汗の気持ち悪さに眼鏡を取ってハンカチで顔を拭った。汗が目に入って痛い。今日の公都は本当に暑いな。
汗が付かないよう眼鏡を慎重にかけ直す。
最近は自然と出来る様になったが、ついこの間までは眼鏡びととしては駄目な行動――うっかり眼鏡を掛けたまま風呂に入ったり、顔を洗ったり、あるいは朝起きて眼鏡をかけないまま1日を過したりしていた。
だが最近は流石に慣れてそんなヘマはしない。至って正しい眼鏡びととして動けている。眼鏡キャラ設定のゼロスとしてはまずまずの行動だ。いずれは思考する前に眼鏡を直す動作を行うとか、そういう事もやり慣れたいものだ。
内心の動悸を鎮めて、代わりにくだらない事に意識を向ける。緊張に乾いた口内に辟易しながら、俺は地面に置いたままの桶から、氷と共に浮かぶトマトを取り出した。そのまま勢いよくかぶりつく。口の中に冷たい果汁があふれて喉を潤していった。
「……ふぅ」
「――むっ……」
どんな時でもこのトマトは美味く感じられるな。そう思ってしみじみとため息を吐いた俺を、エルベスティルが片方の眉だけを器用に上げて、もの言いたげに見ていた。
「――ああ。これはうちの畑で収穫したトマトですよ。今日の夕食はこのトマトで何か作ろうかと――。よろしければ、ひとつ如何ですか? その汗では水分を補給しないと本当に体に悪い」
「……む、ぅ」
唸りながらエルベスティルがトマトへと手を伸ばしてきた。一瞬だけためらったように引かれた手が、次の瞬間にはトマトを掴んでいた。そして覚悟を決めたように目をつぶって、エルベスティルは大口でトマトにかじりついた。
どうやら『お裾分け』と言う形ならば、エルベスティルの許容範囲にもなんとか納まるらしい。
「もうひとつ如何ですか?」
「むぅ。今日のエルベスティルは満足した。お前はエルベスティルの髭を輝かせた。感謝しよう」
二口でトマトを食べ終わったエルベスティルが満足そうに髭を撫でる。撫でられるたびにあちらこちらと跳ね動く髭に、俺はやはりあれは神経入りなのだと確信した。切ったら血が出るに違いない。
「それは良かった。せっかくですから、この蒸留酒もどうぞ受け取ってください」
「ぬぅ。今日のエルベスティルは酒が飲みたい。だが、受け取れば髭がねじ曲がる。髭がねじ曲がるのは駄目だ。酒は飲みたい。その酒は惜しい」
エルベスティルは目を閉じて髭を撫でつつ、如何にも満足した風に装って語っている。
再び激高するようなことはない。これなら大丈夫だな。
「なるほど。――ところで」
俺はエルベスティルから時計台へと目を移した。
「あの時計台は、かつて神々がこの地に居た時代に作られた物なのですよね?」
「そうだ。そして今日のエルベスティルが守護している」
『神々の居た時代』とは、ゲーム開発時代、つまりクローズドαの頃に開発者が行ったデバック修正を指す。プレイヤーであり、冒険者でありながら、神のごとき力を振るい、この世界の理――ゲームのルールも、仕組みも自由に調整していたと言う比喩だ。
クローズドβは神に遣わされた英雄たちの時代。オープンβがその英雄の子孫の時代になる。そして正式公開された後は、『英雄の末裔』である冒険者の時代となった。――と言う、公式設定がある。
「ドワーフの地の神から与えられた知識を、今日はエルベスティルが受け継いでいる。今日のエルベスティルがこの聖台を直すのだ。だからこそ酒が美味い」
うむ。と胸を張ったエルベスティルの髭が誇らしげに揺れた。
「貴方しか時計台の仕組みを知らないのでしょうか?」
「今日のエルベスティルが失われた時、エルベスティルの息子がそれを知る。ドワーフの地の神から与えられた知識をドワーフのエルベスティルは守り続ける。エルベスティルの使命だ。真っ直ぐな髭よりも真っ直ぐな誇りだ」
「冒険者が仕組みを教えて欲しいと言っても、当然断る……と」
俺の言葉にエルベスティルが「そうだ」と大きく頷いた。
それで冒険者が強引に聞き出そうとして、洗脳・従属魔法までかけたわけだ。しかし、髭の真っ直ぐなドワーフには『ドワーフの地の神の恩恵』が与えられている。その『恩恵』がどんな物かはゲーム中には出てこなかったが、洗脳・従属魔法を防ぐ程度の効果はあるようだ。
「ドワーフの地の神から与えられた知識は、今日のエルベスティルのだけのものだ。酒、酒、酒、酒が温くなっていくことをエルベスティルは気にしている」
「なるほど。それで、この時計台は一体何が原動力なのですか?」
応えられる筈もない時計台の仕組みを聞いた俺に、エルベスティルは長い眉を顰めて鼻梁に深いしわを刻んでいた。
「……うぬ。温い酒も美味いものだとエルベスティルは知っている。聖台にある時計の中に秘宝を埋めてあるのだ。しかし今日のエルベスティルも、それをお前に教える事はできない」
「どのように取り出すのですか?」
「ぬぅ……。一族に伝わる秘術の聖言があるのだ。しかし、今日のエルベスティルもそれをお前に教える事はできない」
「聖言とは?」
「――うぬぅ」
質問を畳みかける俺に、しかしエルベスティルはきつく眉を寄せたまま、おごそかに聖言を告げた。
暴いた歯車の中心に輝くクリスタルが埋まっていた。だがその隣には、本来同じようにクリスタルが置いてあっただろう空洞が確かに存在していた。
喰いすぎだけでない胃のむかつきが、喉元に這い上がってくる。
誰かが持ち去っていったであろうクリスタルの跡を、俺はゆっくりと指先でなぞって確かめた。親指の先ほどの小さな穴だ。接着されていたような跡もない。はめ込まれていただけのようだ。――ならば、聖言を知ってさえいれば、取り出すこと自体は容易い。
充分確認した後、俺はそっと扉を閉じた。
扉との隙間を補うように光が奔り、僅かに存在していた境が消えて一枚石の壁に戻る。封印が済んだことを確認して、何度か目の警戒の為に俺は周囲を見下ろした。
――誰も居ないな。
崩れかけた家並。乾いた草がまばらに残る畑跡。立ち枯れて折れた木々。乾ききった井戸と川跡にある壊れた水車。街中には人どころか生命の気配すら感じなかった。
廃街――かつて死の呪いをかけられ、人が死に絶えたと言われる場所だ。クエストでは、この街を拠点に、さらに先にある廃墟都市の探索に入る。ダンジョンに対する最後のシンボル。再ログインとリセットによる死者復活はここで始まる。
テーマパークより少しだけホラーテイストのきついモンスのデザイン、それにダンジョン自体が広くて中級者向きなこともあって、元々あまり人が訪れない。ドロップも金にならず、素材にするにもマニアックなのだ。ダンジョンボスのレアドロップはそれなりに使えるものだが、それなり過ぎて、一度クリアしてしまえば再度やる気を起こすほどでもない。微妙な場所だった。
冒険者人口の減った今、ここはますます人が訪れ難いだろう。おかげでこうしてじっくりと仕組みを確かめることが出来る。
時計塔の窓から乗り出していた身体を、慎重に退く。
窓枠もさることながら、最上階のフロアも階段も、すっかり崩れ落ちていた。足元を見下ろせば、階段が抜け落ちてがらんどうになった塔の内部から土台までが一望できる。
インベントリから箒を取り出す。そして、風に吹きつけられて壁に張付いた砂を箒の穂先で丁寧に払落す。開いた扉の跡を拭い、さらに自分の足跡も掃いて消す。僅かに残ったフロアから、風で堆積した砂埃を地上へと落とした。
本来なら、このままにしておいていたところで何の問題にもならないだろう。崩れた時計塔の最上階まで登った酔狂な人間が居たと思われるだけだ。普通ならばそれで終わる話だった。
しかし時計塔の最上階、砂埃の堆積したフロアには俺以外でない人間の痕跡があった。――俺と全く同じ場所を掃き消している。おそらくクリスタルを持ち去った人物の仕業だ。
爪先立った靴の下に箒の先を挿し込んで穂の上に乗る。
これで靴跡も残らない。移転エフェクトは遠目でも目立つが、万が一誰かに気づかれたとしても、具体的にここで何があったのかは分からないだろう。――邪推出来るだけの知識がない人間相手ならば。
俺は先客の思考を辿りながら、脳裏で移転コマンドを選択した。
再び熱気が体を襲う。
ホームの扉を前に、俺は張りつめていた気持ちと熱さに煽られて深く溜息を吐いた。それから箒の替りにインベントリから桶を取り出す。トマトと氷が浮かんだままの桶と、酒瓶の中身を処分しなければならない。裏庭にでも撒いておくか。
そう思って扉の前から踵を返した俺に、
「あれ、ゼロスじゃん。公都になんか何しに来たの?」
「……ほむ、か」
驚いて体を引いた俺の足元で、桶からこぼれた水が散った。慌てて桶を抱え直す。派手に音を立てて氷と瓶が涼しげに鳴った。肝が冷える。
「お、トマトじゃん」
「――おいっ」
ほむに桶の中のトマトを奪われて、そのままかじりつかれた。止める間もない。美味そうに果汁をすすりながらトマトを食べ尽くしたほむに、俺は心底申し訳ない気分になった。
「冷えててうめぇ。マジで暑ぃんだもん、ここさー」
「あー……ほむ。すまん、ほむ。それな――」
「ゼロスさぁ、公都のこのホームに来るの珍しいじゃん。今日は食事にの時になんかあった? メールなら読んだし、掲示板の処理はもう済ませといたけど、どっか気になることでも出来た? 公都に何の用?」
居た堪れない俺の前で、さらにほむはもう一つ桶からトマトを奪っていく。相変わらずの食欲を如何なく発揮させている。が、まずい。
まいったな。……どうしようもない。早く話を切り上げよう。それが最善だ。
「転売禁止の件は本当に助かる。ありがとう。公国に評判のパン屋が在るって名前が挙がっててな、それでちょっと久しぶりに公都を見て回ってみようかと思っただけだ。じゃ、俺は帰るから」
「見て回っただけ? 他には何してたのさ? なんか面白いもんあった? もったいぶってないで教えろよ」
「もったい……懐かしいなと思ったぐらいだよ。このホームもついでに寄っただけだ。俺もお前がここに居たことに余程驚いたよ」
「俺? 俺は――なんつったっけ? 『紫の館』だったっけか? に、行ってた。で、ゼロスは?」
「――は?」
紫の館? そう言えば公都に出現するんだったか? いや、紫の館の話をしていたばっくふぁいあーさんは別の都市で出たと話していたが。その後ほむが調べて、公都にも出ると分ったのか? いや、まぁ新規クエストを知りたい気持ちはほむにもあるか……。
「公都にも出るのか。なんだほむ、お前クエストやりに行ったのか」
「いや、女とやっただけ。すっきりした」
「あ?」
……ああ、ナニをか。そうだった。ほむの旺盛な欲は、食だけでなく色にも発揮されるのだった。と言うか、紫の館って娼館のことか。そんな通称――隠語? なのか、娼館て……。
またか。そして、それでコールが通じなかったのか。と、うんざりとして頭を振った俺に、ほむが訝しげな顔を見せた。
「排泄みたいなもんじゃん? つか、ゼロスとか何で毎日やらないで平気なのさ? スゲー不思議」
「不思議ってお前、どんだけ性欲過多……ああ、んん、とにかく娼館ってこんな時間から営業しているんだな」
「娼館? まだ営業してねぇよ? あ、でもやっすいトコならやってたか。それよりゼロスは何してたのさ。とっととぶっちゃけろよ。俺の時間無駄消費すんなよ」
「お前なぁ……! ――あ、いや。そうだ、すまん。とりあえず話をするなら後にしてくれ。ほむ、お前の娼館通いに関してはもう話さなくていいからな! まだ明るいのにその手の話題は勘弁してくれ。それから、ほどほどにしないと金がなくなるぞ」
ウメ桃さくらモッチ亭でもれ聞いたエピソードを思い出して、忠告だけはしておく。とにかく会話を早く切り上げよう。
そう思って俺は裏庭に足を向けたが、あ? と背中越しに不服そうな声が聞こえた。ほむが後ろから付いてきている。いやにしつこいな。
「金なんて腐るほどあるし。つか、ほとんど金かかんねぇし。それよりゼロス何やってたんだよ。早く答えろよメンドくせぇ」
「いや金はかかるだろう。とにかくほむ、後にしてくれ。今話すのは――」
「相手犯罪者だし何やってもはした金だよ。死ぬよかマシな扱いじゃん。頭足りてねぇ馬鹿には自業自得だろ。そんぐらしか存在価値ねぇし。で、答えは?」
「犯罪者? ……売春の話じゃなかったのか」
封殺しようとする俺の意志とは裏腹に、ほむがそっけない様子で吐いた。物騒な言葉を流石に聞き流せずに、俺が足を止めて向き合っても、ほむは悪びれることもなくただ真顔でいる。
「ゼロスその手のこと毎回いちいち細かいよな、女かよ。――犯罪者は騎士団の所に連れて行けば速攻で殺されるだろ。死体処理されて埋められたら魔法で復活も出来なくなってマジ終り。それなら賠償分やらせて解放される方がマシじゃん? 生きてるし、超良心的じゃんか」
「ほむ。一体どういう事なんだ、それは」
「マジ細けぇ。先に俺の質問の答えを言え。だからさ――」
俺の顔を見ていたほむの眉が一瞬寄る。それから俺が抱えている桶へと視線が落ちた。中にはまだ野菜が多数残っている――が。
露見を狼狽える必要は絶対ない。が、俺はいきなり黙り込んだほむの変化を探る。
ほむが顔を歪めた。
しばらくした後、目を閉じたほむが眉尻を落として気まずそうな顔を見せた。それから「ちょっと暑くてクラっとした」と言って、首を軽く振っている。
「なんだっけ……えー……と、単にさ……。金のない――犯罪者が、自身の犯罪を、肉体労働で賠償する。……感じ。騎士団に討伐されたり、永続的な奴隷なったり、とか、……より、マシ、――だろ?」
「……マシ?」
一言一句を噛みしめるようにほむが俺へ説明する。どこか言い訳するような口調ではあったが、ほむの態度よりもその内容に俺は顔を顰めた。
ほむの説明はつまり、罪を犯して自首したものの、賠償金が払えない人間が体を売って贖う場所があると言っているわけだ。
ほとんど金がかからないと言えるぐらいの少額で体を売らせているなら、犯罪に対する処罰が込みなのだろうか。娼館ではないのなら、自首先――国の機関に準じる所か? あるいは娼館もどきの斡旋業者か?
いずれにしても……反吐の出る話だ。
「――こう言う話さ、ゼロスは苦手だよね。と、悪かった。俺腹減ったし、もう行くよ」
「おい、ほむ」
「ゼロス、バイ!」
先程までの俺を追う姿勢から一転して、ほむは落ち着かない様子で踵を返し、扉を開けて逃げるかのように跳んで行った。
ほむの消えた先、ポータル化された扉を眺めて俺はやるせないため息を吐く。ほむが出て行ってくれたのは正直なところありがたかった。さっきのほむの話はえげつなさ過ぎる。話された内容が事実だろうだけに、どうしようもなく胸糞悪い。
桶に残った野菜をインベントリに収納――洗浄する。早足で裏庭に出ると、俺は排水溝目がけて氷ごと水をぶち撒けた。
酒瓶の栓を乱暴に開けて、瓶を振っては中身を流し捨てる。もったいないと思うが、手元にも置いておきたくはない。誘惑に抗えるほど俺の意志は強くないのだから。このまま持っていれば、俺は今夜にでも使ってしまうだろう。
排水溝へと酒を落とした。強い酒気を辺りに漂う。最後に桶と酒瓶、それから小瓶をまとめてインベントリ内で消去をコマンドする。
これで残り1本だ。
それなりの量が入っているように見えた小瓶は、いざ盛ろうとしたら1滴しか出てこなかった。仕方なく手持ちの大半を使用したが、酒瓶はともかく、桶の量に対して見合うかどうかは分からなかった。……実際は充分足りていたようだが。
沈んだ心中を振り切るように深呼吸すると、撒いた酒気が胸にしみた。
芳醇な香りに慰められて少しだけ心が落ち着いた。そして俺はただ、胸の内でひたすら謝った。
元凶は俺だ。気まずいことは確かだが、知られずに終われば、それで疑問に思うことすらないのだから――なかった事にするべきだ。
そう決めて、俺は気まずさも胸糞さも、全てをまとめて忘却することにした。




