異世界礼賛 下 その7
「お出汁の匂いがしてきたわ~」
はしゃいだメグさんの声に俺も鼻を利かせれば、花の香りとは別に、風に乗って鰹出汁の匂いも感じられた。日本人の俺にはたまらない匂いだ。暑さに渇いた口の中に唾が湧き出てくる。もう昼も半ば過ぎだし、それでなくても早朝から仕事もこなした身だ。今にもすきっ腹が鳴り出しそうだ。はやく食事にしたい。
村の外れに、貴族ほどではないが、かといって一村人の住居ではなさそうなそれなりに立派な建物があった。村長の屋敷だろうか? そこからさらに野菜の実る畑を挟んで、意趣を同じくした小さな家が建っていた。
二階建てのこぢんまりとした家だったが、一階部分を大きく開けられる作りで、オープンカフェ風に外までテーブルが並んでいるのが見える。――あれが件の店だろう。あそこから出汁のたまらない香りが漂ってきていた。
店の隣には大きなリンゴの木が生えていて、遠目から分かり易い位置に、青フラッグが3本ほど刺してあった。太陽の光を浴びた鮮やかな青の三角布が誇らしげに風にたなびいて、店構えを華やかに彩っている。実に眩しい。
「あら、青フラッグがあんなに刺さっているわ」
「本当だ。商人の話通り、熱心な常連客が居るようですね」
ライアンが感心したように、しかし半ば呆れ混じりに言う。青フラッグは課金ガチャのレアアイテムで、その便利さ故にオークションでも高額になっている。気軽に使えるようなアイテムではない。
一時的な安全地帯を作る朱フラッグ。直前に通過したシンボルを無視して、立てた場所からログイン可能な緑フラッグ。――どちらも一度だけの、使いきりアイテムだ。しかし青フラッグは刺している限り、その場所に何度でも"跳んで"行ける、いわゆる簡易ゲートになる。
大変使い勝手の良いアイテムだが、他のフラッグと併用は出来ない。特殊なフィールドや、ダンジョン内での使用も不可能だ。刺す場所を変えようとフラッグ抜いてしまえば、その時点で折れて消滅してしまう。さらに、キャラクターごとでなく、IDにつき一本しか継続して使えなかった。
だが"同行ジャンプ"は使えるので、各ギルメンの青フラッグ位置を割り振り、攻略を有利に勧められるよう組織的に決めているギルドもあった。――つまりティーとかほむとかヒヨさんだとかの廃人攻略組のことだ。俺も何度となく手伝ったこともある。
いずれにしてもトトの村にはゲートはない。シンボルはあるが、村から出た後で別のシンボルを通過してしまえば"跳んで"戻ることは出来なくなる。俺たちのようにテイムモンスを使用しても、トトの村まではそれなりに時間がかかる。客観的に見ても、通うには不便な場所だろう。そしてだからこその青フラッグなのだろう。
「こうまでして通ってくれる客が居るのは単純に羨ましいな」
《うちの店は各地のホームからポータルで跳んでこられますから。青フラッグなんてわざわざ立てる必要はありませんよ》
《そうよねぇ。それに店へのジャンプ登録とかも全部断っているじゃない。そう決めたのはゼロスでしょう?》
余程羨ましそうに見えたようだ。青フラッグを眺める俺に、2人して慰めの言葉をかけてくれる。
《ヒヨさん絡みでストーカーが出ると困りますから》
《あぁそうねぇ、ヒヨコちゃんの事があったわねぇ……》
納得したように、そして残念そうにメグさんがため息をついていた。
アンケート用ギルドを利用した店へのジャンプ登録も、青フラッグも、最初からヒヨさんに「してくれるなよ」と止められていた。とても残念だが、仕方ない。店として借り受けたとはいえ、課金別荘はヒヨさんの物だ。大家の方針には従うべきだろう。
『ウメ桃さくらモッチ亭』とかかれた看板が家の2階から提げてあった。リンゴの木の下に、メニューの書かれた立て看板も置いてある。和洋折衷、日本における典型的な家庭料理が記されている。
サラダ3種、シチューにカレー、それにステーキ。ご飯にパン。豚カツにコロッケ、メンチに唐揚げエビフライ。生姜焼きに……よし! 肉じゃがもある――が、意外にどれも値段が高い。支払いがゲームマネーになっている。もちろんうちの店ほど高いわけではないのだが、この世界の一般庶民には辛い値段だな。一皿の量が多いのか、それとも単純に冒険者用の店なのだろう。
「いらっしゃいませ!」
大きく開いた入り口から店内を伺うと、元気よく声をかけられた。声に促されるように店に入る。昼食にはかなり遅い時間なので、店内には2組の客しか居なかった。2人組と4人グループ。いずれも俺たちと同じプレイヤー――冒険者だ。
2組とも食事はすでに済ませているようで、それぞれくつろいだ様子で会話をしている。テーブルには、水が入っているらしい木のコップだけ置いてあった。
「こんにちは。――うちの店は初めてですよね? 来てくださってありがとうございます」
日差しを避けて店内のテーブルに席を取ると、すぐにエプロンを着けた店員が水を運んできた。二十歳前後の若い男だ。アバターらしく整った顔立ちだが、たれ目と困ったように下がった眉に特徴がある。柔らかで控えめな発声から、柔和そうな性質が醸し出されていた。
「こんにちは。花も綺麗だし、素敵な村ね。いいところにお店を作ったのね」
「そうなんですよ。ゲートから遠いことが唯一の難点で。だから足を運んでくれて嬉しいです。この村は景色も良いし、素材の鮮度も抜群ですし、いい村ですよ。のんびり過ごしていってください」
「ん、これは井戸水かな?」
歩き回って喉が渇いたせいかコップの水を半分ほど一気に飲む。ほどよく冷えた水は美味いが、課金別荘のあるメッツァーニャほど低温でもなく、また少し硬い。米が炊きにくそうな水だ。
「そうです。最近は特に陽気が良くて。午後になると汗が出るくらい暑くなるので、よけい美味しいですよ。あ、こちらメニューです」
俺は差し出されたメニューを受け取った。今日のオススメと書かれている。しかし俺のメインは肉じゃがと決めているので、オススメはライアンたちに任せることにした。メニューを2人に回す。
「日本の家庭料理が食べられると知って、楽しみに来たんだ」
「日本の味は恋しいですよね。この世界の料理も不味くはないんですけど。――それから、食べたい料理リクエストしてくれれば、時間がかかるけど作れるので」
「あらぁ! リクエストも受けているの? 凄いわねぇ!」
「和食に飢えているプレイヤーが多いので、せめてもと思って」
「そう言えばジャッポン地区の和食もあるが、食べ慣れた和食とは異なってるって話を聞いたよ。馴染みのある和食だと思って食べても、今一つ満たされないらしい。やはり同じ現代日本人が作った料理には変えられないものだよな」
俺が店の客から聞いた話を披露すると、店員は微笑んで「その気持ち本当によくわかるなぁ。俺もそう思ってレストラン始めたので」と頷いていた。
「でもジャッポンも、料理自体はともかく、材料は現代の物とあまり代わりはないんですよ。だからうちの店は材料をジャッポンからも仕入れてるんです。――あ、野菜は裏の畑からの採りたてですし、肉もこの村の牧場から卸して貰ってるんですよ。調理素材は基本的に地元密着の物を選んでて。それ以外のどうしても必要な物は、俺が現地まで直接買い付けに行ってるので、変な材料は使ってないし、安心してください」
「俺たち冒険者は、そこが一番嬉しいな。屋台とか食材の鮮度と衛生面に引くことが多かったから……」
遠い目をしたライアンが背中に暗雲をしょっていた。とにかく移転直後は食事ひとつにしても辛かったらしい。
「仕入れも自分でやっているの。もしかして現実でも料理人だったのかしら?」
「いや大学生です。料理好きで自炊してたし、それからファミレスでもバイトしてたので」
「それは随分と思い切ったのねぇ、凄いわ。あら! 今日のオススメにアジフライと生牡蠣があるのね」
「特に牡蠣はオススメです。大きくて立派な牡蠣で、今朝港で直接仕入れたやつです。焼き牡蠣とかフライにもできるので、ぜひどうぞ」
牡蠣か。昨夜食べ損なった牡蠣も立派だったな。もしかして同じところで仕入れたのだろうか?
「ねぇゼロス。生牡蠣食べてもいい?」
「そうですね……。まぁ今日はもう仕事もないし、せっかくだし食べましょうか。生牡蠣と白ワインお願いします。――それとも日本酒置いていますか?」
「あー……、すみません。まだお酒は仕入れてなくて……。そのうち出す予定はあります」
たれ気味の眉と目尻をさらに下げて、店員が申し訳なさそうに頭をかいている。――と言うか、アルコールなしで生牡蠣を供しているのか。この世界でも牡蠣に中ることはあるのだが、漁師から聞いていないのだろうか?
《チャレンジャーですね。インベントリに入れても、最初から毒性の物でない限り、注釈も出ないのに》
《牡蠣は鮮度に関係なく中るからなぁ。まぁ回復魔法があるから、あまり問題視していないのかもな。俺にはとても真似出来ないが……》
インベントリのシステムは便利だが、万能ではない。
たとえば牡蠣のように最初から食用可能な素材に関しては、複数ある中の1個に食べたら中るような個体が混じっていても『毒性があります』的な注釈は表示されない。『毒キノコ』のように、生物として最初から毒性がある物しか注釈が付かないのだ。希な存在は無視される。
ただ、調理済みの料理に『毒』を追加して入れた場合は、『何とかの毒入り』として表示される。しかし調理素材に最初から毒物が混じっていた場合は材料名が並ぶだけで、毒性の有無は表示されない――らしい。ヒヨさん調べだが。
いずれにしても、うちの店では生牡蠣は出さない。
フランス料理と言えば、食事の始めはまず旬の生牡蠣。しかも食べ放題。と言うのがレストランの成り立ちにおいてはお約束の行為だったらしいが、あえてそれは踏襲せずにいる。
店のある王都が初夏で牡蠣の旬でないと言う理由と、なにより牡蠣を出すなら必ずアルコールとセットにする――と言うルールを、徹底できるようなギャルソンの質になっていないからだ。現代社会において、水代わりにアルコールを飲むことはない。
ついでに言えば、客の方も――異世界住民は大丈夫なのだが――中の人がほぼ日本人の冒険者は、現実でもやりがちな『皿を複数人で渡し回してシェアする』行為をやってしまう。牡蠣を回されたら、俺たちがどう気を回してもそれでおじゃんだ。
うちの店はビストロと言え、結構な高級感があるインテリアと雰囲気なのだが、それでも平気で皿をまわそうとするのだ。あれは大変見苦しいので、メニューを選ぶ際に皿を分かることができると説明を入れている。だが、それでも皿を渡し合う客もいる。
もちろん客が料理をどう食べようと、店側は口を出すことはない。ないが、店の雰囲気に合わせて欲しいとは思っている。気軽に食べたいなら、他に店があるのだから!
いろんな料理を食べたい気持ちは分かる。分かるが、何のために一皿一人前で仕立てているのか考えてくれ。皿をあっちこっちに移動させるから、料理が崩れて見た目が汚くなるだろうに。というか、皿の上からカラトリーを外してテーブルに戻すから、テーブルクロスが汚れる。テーブルクロスはインテリアであって、汚れ防止の布巾ではないのだ。本当に止めてくれ!
……とにかく、皿を回されてアルコールを飲まない客も牡蠣を食べてしまう可能性が高いので、今のところうちの店では生貝は全面的に供さないことに決めている。
もちろんアルコールと共に摂取しても、中るときは容赦なく中るが、中った後の体に対する負担が段違いになる。
回復魔法――毒消しも含めて――をかけたところで、ほむ曰く胃を空にするまで吐くらしい。回復魔法ワンクリックで即完治するならまだしも、胃洗浄及びワクチン投与な現代治療と変わらず酷い苦痛を味わう。
いや、最悪それでも回復魔法やアイテムが使えるならまだましかもしれない。魔法はごく限られた人間だけが使用でき、アイテムは超高額と言うのがこの異世界の常識だ。異世界人も多いうちの店で食中毒のリスクを抱える事は避けたい。
《メグさん、悪いのですが牡蠣は諦めてください》
この異世界で牡蠣が下る原因が、ウィルスなのか他の何かなのかは判明していない。だが現実基準と考えて、調理人の俺たちは食べない方がいい。感染してまき散らしたらことだ。
「残念……。それなら私はシチューとパンにするわ」
「じゃぁ、俺はとりあえず肉じゃがと白飯――。これはどれも一人分ですか? それとも量が多い?」
「一人分です。サラダは一人前とラージサイズがあります。ラージは三人分ぐらいかな」
「そうですか。それなら……」
ひと皿一人前とのことなので、それぞれ好きな料理を一品ずつ取った。肉じゃがとシチュー、それにライアンが生姜焼きだ。サラダは3種あったので、一人用のものを全種注文することにした。
「それから食事は3人でシェアして食べたいのですが――」
「あ、はい?」
首を傾げた店員に「取り皿頂けますか?」と聞くと、ああ、と納得した様子で頷かれた。
「はい、取り皿も。それじゃ少々お待ちください」
注文片手に店の奥に店員が引っ込んだ。料理を待つ間に店内を観察するか。
古い家らしく、壁や床などが修繕され、ところどころ新しい板に張り替えられていた。リアルな古さだ。確実にホームではない。この村にはプレイヤー用のホームはひと棟もないようだったから、この世界の家を借り受けて使っているのか。
家自体は古いものの、店内は丁寧に掃除されている。壁に外看板に記載されていたレギュラーメニューが打ち付けられていた。居酒屋風というかなんと言うか、気軽な雰囲気の店だ。俺たちが座っている椅子もテーブルも、木で作られていて、飾り気のない簡素な物だった。テーブルクロスなども掛かっていないが、使い込まれているのか、ささくれ立ったりもせずなめらかな木肌だった。
外に4席テーブルがふたつ。店内に3つ。それから奥にカウンターで3席。トイレはどこだろう。別棟か。カウンターの向こうは厨房だから、奥にはなさそうだ。さっきの店員1人しか居ないが、まさか独りでこの規模の店を経営しているのか? それとも、昼過ぎだし他の店員が休憩中なのだろうか。いずれにしても厨房が完全に異世界設備の古い石組みだ。そして狭い。もともと普通の住宅だったものを、店に改装したのだろう。
古く見せているだけの課金別荘の厨房とは違って、調理するのは大変だろうな。先ほどの店員が、井戸から桶で汲み上げた水を使って野菜を洗っていた。水道はもちろん、掛け流しの洗い場も、ポンプ式の井戸もないようだった。
それから竹ザルに入れて水を切っている。
インベントリに入れれば一瞬で水が切れるが、収納項目が葉の枚数分出来るので、インベントリに余裕が無い限りはやり辛い行為ではあるか。
それにしてもあの竹ザルはジャッポン製のものだろうか? よさそうな作りだ。きちんと扱わないとカビたり腐ったりするが、インベントリ脱水のある異世界では心配無用だ。よし、今度の安息日に物色しに行くか。
店内を見回していたら、店の奥の席に陣取っていた4人グループと目があった。4人全員が若い男だ。俺があまりにもキョロキョロとし過ぎて、目を引いていたようだ。とりあえず軽く頭を下げて会釈したら、挨拶した俺に興を削がれたようで、肩を竦めてそのまま話しに戻っていた。
「でさ、テクがヤベーんだって、マジで」
「でもあの店高いだろ」
「安いとこはやっぱテブいブス多いし、テクないしさ。ちょっとランク上げたとこの方が良いって、マジで。それに清潔だから」
「安いとこは汚ねぇから、やる気にならないんだよな。萎える~」
……声を潜めて話しているつもりらしいが、聞こえている。日中の、しかも飲食店で聞きたい話ではないな。
「温泉地だと街中風呂だらけで清潔だったぜ」
「風呂があっても、店自体が汚いから根本的に無理くさい。シーツあれで洗ったつもりかよっ。この世界基本的に汚ねぇー」
「それにベッドも木だしな。堅くてスレて痛いし、最悪」
「インベントリ使えよ。俺マットレスとシーツ持ち込んでるわ。安いとこでも清潔で安心だぜ」
「マジで!? お前よくやるわ」
「ニノシンとか高級店通い過ぎて借金したあげく、アイテム全売りしたらしいぜ。それに対して、安い店に通いってシーツ持ち込みで節約する俺。マジ頭いい」
「いや、馬鹿だろ」
「ニノシンも大概だけど、寝具持ち込んでまで通うお前も相当だよ」
「それでも相手がいまいち汚くねぇ? 食い物のせいか体臭からしてヤバイ臭さ。突っ込んだら俺のが腐りそうな感じ」
「人による。ハズレ引いただけだろ」
「いや風呂入ってても温泉臭凝縮した感じで超くせぇ。温泉地の奴ら風呂に真水使ってねぇっぽい。あと石鹸も」
「そうそう。根本的にイオウ臭。香水臭いのもやべぇけどさ」
俺は居たたまれずにメグさんを伺うと、しかたない子たちねぇ、とでも言うような慈愛の笑みを浮かべていた。――流石だ。これこそまさに成熟した女性の貫録だ。たまらない。
「若いな……。ああそうだ、ギルマスの――メグさんのお子さんも若かったですよね。今はもうハイスクールに通っているぐらいでしたか?」
突然なに言い出しているんだよ!
目をむいた俺に構わず、ライアンはメグさんに気の毒そうな眼差しを向けている。眉を寄せて苦い顔したメグさんに、ライアンは頷いていた。なんで微妙にドヤ顔してやがるんだ、ライアン。
「いや。合格が決まって、今年から大学でしたね。いずれにしてももう3ヶ月近く経っていますし、お子さんも旦那さんも心配ですね」
「あらぁ、家のことなら大丈夫よ。みんないつも好き勝手しているんだから――それにねぇ、ライアン。帰れないのだからそんな事言わないで。心配しても気詰まりするばっかりで、どうしようもないでしょう? だから私、現実は現実、異世界は異世界って割り切って生活しているの」
「割り切って、ですか。あまり割り切り過ぎると、今度は現実に戻った時に支障が出ますよ」
「現実に戻ったらそこでまた割り切ればいいだろう。とにかくライアン、その話は終わりだ。メニューを見せてくれ」
《店の研究するんだろうが。せっかく来たんだから、ちゃんと調べてくれ》
流石に無神経すぎるライアンの発言に、俺は強引に割り込んで話題を変えた。他の客が下世話な会話をしているからと言って、こちらもそれにつられるような事はするべきではない。同じ飲食店で働いていて、研究――偵察ではないが、勉強にはなる――しに来た以上、マナーはわきまえて過ごすべきだ。うちの店でやられた困る事だと簡単に分かるだろうが。
《そうですね。メニューの検討でもしましょうか。どれも値段がそこそこしますね。一人前でゲームマネー払いが基本か。庶民向きではありませんね》
しれっとした態度で、ライアンがメニューをのぞき込んでいる。まったく、どうなってるんだ。普段はそこまで無神経な事は言わないのに。
メグさんも気を取り直したのか、メニューを見ていた。
《そうね。ちょっとお高いかしら。でもプレイヤーが経営する店ならこんなものかしらね。日本で使っていた食材に準じると、どうしても原価が上がってしまうもの》
《萎びた野菜や腐敗しそうな肉を避けると、どうしても高くなりがちですね。農家から直接購入するにしても、それほど安いわけではないですから。しかし……さっきの商人は食べに来たことがないって言っていましたね》
《食に関して保守的な人なのかもしれないな。この土地のモチーフになっているのはフランスだし、ありえなくはない》
料理人が探求心の赴くまま新素材を調理しても、受け取り側の客が必ずしも共感できるとは限らない。
値段が値段だけに、この村で富裕層に当たるだろう先ほどの商人が客になっていないのは、商売としてどうなんだろうか。いや、たまたま開店したのがこの村と言うだけで、元々プレイヤー以外の客層を対象としていなさそうだ。地元住民を相手にするには、少々工夫が足りていない。
「……あらぁ、どの料理も持ち帰りが出来るのね。生サラダまでいいの……」
「皿は持参するのか。へぇ」
「インベントリに収納すれば時が止まりますから。お皿の別売りもしていますよ――どうぞ、採りたて野菜のサラダです」
声をかけられて身を起こすと、目の前にサラダと取り皿を置かれた。バジルなどのハーブ類、トマト、レタスなどの葉物が層状に積み上げるように、木のボウルに盛られている。メグさんとライアンのサラダには、温泉卵やベーコンを焼いて刻んだ物、豆腐らしき物に砕いたナッツなどが乗せられていた。
「うん。採りたてだけあって、新鮮ですね」
採りたての野菜は冷たい井戸水で洗われて、見るからにシャッキリとしていた。鮮度を確認したライアンがなにやら頷いていた。
井戸水で艶やかに濡れた野菜の上からドレッシングがかかっている。ドレッシングはマヨネーズ、オリーブオイルとビネガーにバジルの物、醤油ベースと選べた。味付けはなかなか良い。
俺はボウルからこぼさないように、レタスを下からほじくり出す。マナーが悪いが、味を優先して目をつぶる。上からドレッシングをかけてしまうと、上部にオイルが、下に塩気が落ちて味付けに偏りが出る。だからかき混ぜつつ食べた方が、味が満遍なく付くのだ。
うちの店なら一端下味を付けてから水気を切ったものを盛りつけ、さらにソースを添えている。その方が味良い。野菜から出た水分とドレッシングが混じり合って皿に残る様が汚く見える事もない。――もっとも、これは家庭料理外の理屈だったが。
いずれにしても、この店のサラダはインベントリ水切りでなく、ザルで切っただけなので多少水っぽい。ザルの後でサラシ等で拭ってもいないようだ。
だが、ドレッシングがかなりの量かかっているので、かき混ぜて取り分ければ塩気が薄れて良いだろう。
ほむがサラダを「マジ葉っぱ」と評していたのは、混ぜる暇なしにいつもの調子で喰いついたのもあるだろう。この予想はまず間違いない。
俺がボウルの中で野菜を混ぜて取り皿に分配していると、続いて肉じゃがなどのメイン料理もすぐに運ばれてきた。注文品が全部揃ったので、料理と引き替えに金も払う。
サラダだけ時間がかかったのは、注文を受けるごとに畑から野菜を採って作るからのようだ。生姜焼きは仕込んであったのをインベントリから取り出してさっと炒めていたが、肉じゃがとシチューは厨房の鍋からすくっていた。白飯はインベントリから出した釜から直接盛っている。盛りつけ済みの皿をインベントリに入れておかないらしい。
まぁそれも、インテリアアイテムだった皿を使わないとインベントリに一括収納できないので、アイテム覧を圧迫するからなぁ……。
それにしても――
「これは素晴らしい肉じゃがだな……!」
甘辛く煮た味は関東風だ。出汁より醤油と味醂の味が勝っている。色味も茶色い。人参やジャガイモは煮くずれて角が溶けているし、エンドウは緑の色落ちて柔らか過ぎるが、その分しっかりと味が沁みている。全面に素朴さがあるが、しみじみと旨い。ざらざらしたジャガイモの破片が汁に沈んでいて、白飯にかけたくてたまらない。
肉は牛肉で、もともとの肉質と煮込まれ過ぎのせいかかなり歯ごたえがある。と言うか些か筋張っている。だが不均一にスライスされ、筋切りされたた肉は食いでがあるし、野菜の柔らかさと対照になって実に良いアクセントだ。
昔を思い出す。そうそう、学生飯はかくあるべきだ。皿中がジャガイモのデンプンにまみれているところもたまらなく旨い。シラタキの白が入っていないのが唯一の残念だが、そこは異世界仕様だ。仕方ない。
俺は頼んだライスと一緒に夢中で肉じゃがを食べた。
ほくほくしたジャガイモ。甘じょっぱいタレ。噛みしめればタレと旨味の滲む牛肉。ああ! 素晴らしい。関東風なのが残念だが、なんて満足度が高い肉じゃがなんだっ。この豪快な出来上がり具合が実にご家庭料理っぽい。看板に偽りなし!
芋の面取りだとか、下ゆでだとか、肉を一端取り出して後入れするとか、そう言った要素が微塵もない。だがこの素朴さがたまらないのだ! 安らぐんだ! ノスタルジーなんだ!
「なんて、なんて旨いんだ……っ」
《そ、そうですか? 普通の味だと思いますが……》
感動する俺に、目を白黒させたライアンが引いている。この良さが分からないとは、実にもったいない話だ。
俺は生姜焼きを咀嚼しているライアンに、そっと肉じゃがの皿を差し出した。その代わりに、俺は追加でもらったスプーンでメグさんのシチューも分けてもらった。
「シチューは。……うん」
スープに具とミルク以外の脂の臭みがある。一からコンソメを作るのはそれなりに手間だから仕方ないのかもしれない。コンソメと言うよりフォンだな。さらに言えば、ラーメン出汁的な鶏骨というか牛骨スープのようだ。多分グツグツ煮込んでしまっているのだろう。一応バターも利いていてシチューぽい何かになっていたが、残念ながらそれなり程度だった。
ファミレスでバイトしていたと言っていたが、ファミレスならシチューのルーは出来上がったものを暖めて具を投下するだけかもしれない。コンソメの作り方を知らない可能性もある。
シチューに入っている鶏肉は皮付きで、煮込まれて皮がくにゃりと柔らかくなっている。ただ、皮付きは脂の旨味も感じられるのだが、煮込んで中途半端に堅くなった身と合わさって、どうにも触感が微妙だ。
ティーが嫌がって剥いだ理由もわかってしまった。どうしても皮を付けたいなら、先に皮目を焼いて脂を焼き切ってしまえば触感が身と一体になる。それを後入れすれば肉も堅くならなくていいのだが……。
そこまで手間をかけると家庭料理から外れるだろうし、皮の独特の味わいが失われる。悩ましいところだな。
ライアンの食べていた豚の生姜焼きは素晴らしかった。断ち切る繊維の向きは逆の方が良い気がするが、千切りされたキャベツが乗っけられた肉の熱でくったっりとしつつ、タレに絡んでしみているところが最高だ。白飯がすすむ。
「この生姜焼きもいいな……。学生時代に通った定食屋の味を思い出す」
素晴らしい! これこそまさにご家庭料理だ! 味の郷愁的宝石箱だ!
俺は満足のため息を吐いた。