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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
44/49

異世界礼賛 下 その5

 ウメ桃さくらモッチ亭――。

 家庭料理か。肉じゃががあると良いんだが、どうかな。俺にとって肉じゃがはノスタルジーを刺激する素晴らしい食べ物だ。俺はまだ見ぬ料理店への期待に気合いを入れた。


「よし、さっそく料理を食べに行くか!――まず、近場まで跳ぶことにしよう」


 部屋まで迎えにきたメグさんとライアンにそう声をかければ、2人は俺を怪訝そうに見ている。


「ゼロスさん」と、いささか不審気にライアンが切り出してきた。


「この街のゲートを使用して行く予定では? あの辺りにあったホームはこの前カインが売却して、もう使えなくなった筈ですよね?」

「ああ、よく知ってるな。あそこのホームはまだローンを完済してなかったから、処分したんだよ」


 今日の目当ての店はこの課金別荘とは別のエリアにあった。本来の計画なら、この街のゲートを使用して最寄りの都市まで跳んで、それからテイムモンスで店のある村まで行く。と言うのが最短ルートだったのだが、


「実は昨日ヒヨさんから、件の店からほど近い都市のホームを登録させてもらったんだ。だから今日はゲートを使用しなくて済むぞ」

「あらぁ、ヒヨコちゃんは本当にあちこちたくさんホームを所有しているのねぇ……! びっくりねぇ」

「昨夜教えてもらいました。俺も全然知らないホームがまだ沢山あるみたいですね」


 ヒヨさん達が持っているホームを始終利用させて貰ってはいたが、俺はその全てを把握しているわけではない。ただ、入院していて暇だった俺は、学生のカイン達や社会人の里香ちゃんよりも遙かに長い時間、ヒヨさん達と行動を共にしていた。そのせいで他のギルメンより知る機会が多くあっただけだ。

 だからここ以外にも俺の知らないホームはまだ無数に存在しているだろう。


「ヒヨコちゃん程じゃないけど、カインも沢山ホームを購入していたんでしょう? どうやってたの? 8人しか居ないギルドなのに凄い資金力だって、いつも思ってたのよ」


 俺はメグさんのもっともな疑問に苦笑した。気まずさで笑うしかない俺に、ライアンが「そうですね」と頷いて、さらに俺を追いつめてきた。


「うちのギルドは規模が大きい方でしたが、あまり金策に時間が取れないせいもあって、ホーム1件、ルームが9室で手一杯でしたよ。――相当課金が掛かったでしょう」

「まぁ一応、毎月それなりの額を上納する決まりになってたよ」

「ゼロスさんはドロップ運がいいですからね。ただ、それでも賄い切れない金額でしょう。大変でしたね」

「あー、いや、まぁそれなりに、なんとかはなっていたよ」


 あやふやに言い分ける俺に、メグさんが「そうよね、ヒヨコちゃん凄かったものね!」と目を輝かせている。


「ヒヨコちゃん、従者(信奉者)が沢山いたでしょう? ちょっと驚いちゃうぐらいの量を贈られているのを見たことあったの! 同じ女性として羨ましいぐらいだったわ~!」

「あー……。まぁ、ヒヨさんはそうかな」

「いや違いますよ。基本資金はサブマスのアレク――里香さんの課金でしょう」

「ええっ? そうなの?」

「あー……。まぁ、そう言うことだな……」


 驚くメグさんを余所に、ライアンは訳知り顔で俺に確認してくる。どうやらライアンは内情を詳しく把握しているらしい。……誰が教えたのだろうか。あまり面白い話ではないのだが。


「里香さんがカインに貢いでいるらしいことは薄々察してました。他のギルドの事ですからね、今まではあえて見ぬ振りしていただけですよ」

「まぁ、そうだよなぁ……」

「いずれにしても、ゲート利用料は意外といい値段しますから、"跳んで"行けるなら有り難いですね」

「そうねぇ。本当にねぇ」

「ああ、お金は大事だ。倹約できるところはしておかないと」


 事実だとは言え内心複雑な気持ちだった俺に考慮したのか、ライアンがあっさりと話題を変える。話の矛先がズレて、ようやく俺は心の底から同意できた。


 かつてのゲーム時代なら、ゲート利用料ぐらいは戦闘資金として割り切って払えた。ドロップを売却すれば充分モトが取れたからだ。しかし今の俺たちにとっては、ゲームマネー自体が高額だ。

 ちなみに、この世界の一般的な成人一人あたりの生活資金は、ワープゲート利用料金2回分になる。インフレか放蕩しない限り、2WGを換金した現地通貨でひと月暮らせる。――と、イヴェノアさんから聞いた。

 イヴェノアさんは、現代人の俺の目にも叶う厳選された野菜だけを扱う商人だ。限定された取引先を持ち、かつ、金銭的に安定した相手ばかりなのだろう。さらには妻帯者でオフィーリアに貢げるだけの資金余剰もあり、サロンにも毎日出入りしている。わりと裕福な部類だ。だからここで言う『一般的な成人』は、一般の中でも最下層ではない――つまり喰うに困る事が決してない、安定した収入を持つ人間を指していると予想できた。



「NPC――現地人はワープゲート利用料が俺たちと比べて安いから、そこは羨ましいものですね」

「確かに俺たち冒険者は特別高いらしいな。ただし現地人でも、商人なんかは積み荷に関税が掛かるからなぁ。俺たちはインベントリがあるから、関税は無視できるだろ? そう考えると、結局あまり変わらないのかもしれないな」

「そうねぇ……。確かにそうかもしれないわねぇ」


 階段を下りながら3人で話していると、吹き抜けのシャンデリアの下、玄関ホールに榊らしい人物の頭が見えている。ホール脇に設置されたソファに、すでに疲れきったような表情の榊が座り込んでいた。


「どうしたんだ? せっかくの半休だって言うのに、そんな顔して」

「コンさん待ちですよ……」


 うんざりした顔で榊がぼやいている。

 コンさんにとっては、榊との待望のデートの筈なんだがなぁ……。待ち合わせからしてこの様子では、コンさんも報われまい。


「一緒に出かけるのは別に構わないんですけどね。でも買い物とか観光とか、あっちこっち引っ張り回されるだけで、正直俺はあんまり……」

「主導権をお前が握ればいいじゃないか」

「ライアン。そう言うなら自分でやってみせてください。コンさん相手に主導権取れたら、俺だって最初から苦労していませんよ……」


 どうやら榊もコンさんも、自分が主導権を取りたいタイプらしい。前途多難だ。だが、それでもオフィーリアに執心されるよりはマシだ。俺は榊の嘆きを黙殺した。


「あれー。みなさん集まりですねー。私はこれからひと狩り行ってきますー」


 ボナパルトンだ。2階から足取り軽く駆け下りてくる。小脇にトゲトゲしい兜を抱え、マッスルな全身はフルメイルで固められて、厳つさがいや増していた。普段のマッスルシェフから、かつての戦士らしい格好に戻っている。


「独りで狩に行くのか?」


 眉を寄せたライアンに、「現地でアッカム達と合流しますー」と、ボナパルトンが首を振って笑っている。

 狩りはリアルな命のやりとりなので、単独で行うのはレベル差があるモンス相手でも容認しづらい。万が一デバフなどのバッドスキルを喰らって、ハメ殺されては堪らないからだ。"コール"で助けは呼べるが、距離の問題もある。そうすぐには駆けつけられない。それにフィールドによってはコールすら出来ないところもある。メッセージしか使えないような場所には流石に行かないと思うが、万全は常に期すべきだ。


「先週うっかり美容グッズに散財して金欠になったので、今日はラジェ鶏でも狩って、小遣い稼ぎしようかと思ってるんですよー。アッカムの奴も金欠気味なので、朝から狩りにいってますよー」

「ああ、ラジェ鶏は有り難いな」


 マッスルアバターではあるが、中の人はバルサと同じ年頃の女性だ。しかし美容品など、一体そのアバターのどこに使っているんだろうか? この状況下ですら美容品を求める女性の気持ちは、男には――ガチネカマのヒヨさんは除き――男の俺には理解し難い。


「フライドチキンもヴェッシー包みも人気だし、最近は特に使い勝手がいい。いくらあっても足りないぐらいだ」

「ですよねー。いっぱい狩ってきますよー」


 頷く俺にボナパルトンは、拳を握って気合いを入れている。


 ギルメンが狩ってくるモンスは――料理に使用できて、かつ、急所を一撃で狩ってきた鮮度の高い物に限るが、店で丸ごと買い取りをしていた。引き取り価格は、ドロップアイテム別で換算した場合での、市場売価格の4割安。ぼっているわけではない。この後、調理班が食材として解体する手間があるからだ。だからこれは妥当な金額だった。

 そんなわけで、ラジェ鶏を一日中狩ったとしても、全部で1WG程度にしかならないだろう。ごく少額なのだが、それでも俺たちにとっては貴重な現金収入だ。課金別荘利用料の足しにもなる。


「金欠かぁ……。狩りやすくて値段が高いモンスと言えば、ジャコウ鹿とかいいんじゃないか? あれ確か、一時期レアドロップが高騰していたよな?」


 榊が思い出したように口を挟めば、ボナパルトンは「やーぁ?」と首をひねって、視線を斜め上に走らせた。目があさってをさまよっている。


「確かジャコウ鹿は生け捕りが基本だった筈ですよー? 殺さなくてもレアの麝香じゃこうは取り出せるんだそうで。煮ても焼いても喰えない死体は引き取れないって、高額ふっかけられて割に合わないみたいですー」


 そもそもどのモンスも解体料がほんと高くって。と、ボナパルトンが残念そうに頭を振っている。俺の横でライアンが「それはそうだろう」と苦笑した。


「ドロップ品を取り出す技術を持つ専門家にとって、俺たちは歓迎しない競合相手だ。代行手数料が高いのも当然だよ」

「本当、たいした技術格差ですよー。まー、店で調理しているだけで、プロの凄さはしみじみ実感できるんですけどねー」


 だから仕方ないって分かってますよー。と、肩を落としたボナパルトンがため息をついた。



 かつてゲーム時代では、戦闘終了後に自動でアイテムがドロップされた。だが今は違う。ただ死体が残るだけだ。なんとかのモンスターの皮も肉も眼も耳も、全て自分の手ずから"獲得"しなくてはならない。その為にはまず、モンスを限りなく無傷で倒す必要がある。


 ゲームでの戦闘はモンスに攻撃エフェクトが当たるだけだった。どんな攻撃をしようとHPバーが減るだけ。ポリゴンで形成されたモンスの体に傷が出来たり、欠損したりするような事はなかった。――だが今ここは、世界が異なるだけの『現実』だ。

 剣技は? 連打系は駄目だ。急所一撃で仕留めなくては素材に疵が付くかもしれない。だからといって急所が貴重なドロップ部位だったらどうする? 避けて狩りはできるのだろうか?

 あるいは魔法ならどうだろう? 火系は燃えて駄目になるかもしれない。なら電撃は? 氷系魔法は無効化モンスかもしれない。他の属性なら上手くいくのだろうか。成功率と制限が酷いが、即死系の魔法を使うべきか?

 そうして試行錯誤してなんとか上手く仕留めたとしても、出来上がった死体を加工する必要がある。――そう、売買に耐える品質でドロップアイテムを取り出す作業だ。


 俺たち冒険者プレイヤーとは別に、この世界での生活に必要なアイテムを調達している人間が存在している。彼らの大半は決まった場所で、何種類かのモンスだけを狩って暮らしている、その道の専門家だ。ドロップアイテムも自力で捌いて手に入れている。狩り人兼、下処理業者だ。

 彼らが素材を得て下処理し、それを職人がアイテムに加工して、最後に商人が売る。世界はそれで充分回っている。俺たち冒険者なんておまけの存在だ。冒険者が居たところで、獲得できる素材の量に余裕ができるだけなのだから。

 どんなに困難だろうと、一攫千金が叶うならばそれを成し得ようと考える人間は多い。逆に言えば、この世界の人間から見て『割に合わない』と判断されたものにこそ、俺たち冒険者の活路がある。――が、『割に合わない』とされるだけの理由も必ずあった。


 さて、専門家が存在する以上、ど素人が適当に取り出したアイテムなど当然買い叩かれるだけだろう。ならば技術を磨くしかない。一体どうやればいいのだろうか?

 俺たちプレイヤーは、倒すならともかくモンスをどう処理してアイテムを取り出せばいいのかその知識すらない。何故なら今までは完璧なドロップアイテムが、しかも自動で得られていたのだから。


 ジャコウ鹿の死体を無事手に入れたとしよう。

 通常ドロップは牙だ。牙か、牙なら分かる。根本から切り取ればいける筈だ。蹄もなんとかなる。肉は戦闘に慣れさえすれば、傷付けずに手に入れることが出来るかもしれない。いや、肉のどの部位をどのタイミングで取り出せばいいのだろうか? 血抜きはどうやればいいのか。肉と同じように、皮を剥ぐのも厳しいかもしれないが、練習すればいずれ上手く出来るかもしれない。――けれど。レアドロップである"麝香じゃこう"はどうだろうか?

 麝香はアイテムアイコンは暗褐色の石っぽい画像だった。文字に『香』と付いているからには匂いがするのだろう。しかし一体どの部位の、何に該当する物なのだ?


 ドロップを売りたくても、何かすら分からない。ならば、知識を持つ専門家に頼るしかない。――当然、金が必要になる。解体の代行手数料だ。

 彼らは専門家なのだ。そして彼らにとって、それらの行為は生活の糧なのだ。技術の流出も、安価での代行も、自らの利益を損なう真似は誰だってけして望まないのだ。



「――思い出した。確か麝香は、雄鹿の肛門線にある線嚢に含まれているんだったか……。流石に生きたまま取り出す方法までは分からないな」

「あらぁゼロス、よく知っているわねぇ。私はどの部位なのかも分からなかったわぁ!」


 感心するあまり、輝くような目で見てくるメグさんに俺は大いに慌てた。


「違いますよ。俺じゃなくて、ティーが以前狩をした時に教えてくれたんですよ」

「おおーっ。流石はウィ」

「ライアン」


 睨んだ俺に、「すみません」とライアンが取り繕って、


「流石ティー君ですね。どんな物でも一度目にしたものなら全て覚えていると言うのは、本当らしいですね」

「本当だよ。それに好奇心も強いからな。分からないままにするのを嫌うし、手間をかけて調べる事を厭わないんだ。ティーのあの情熱は凄いぞ」


 そして常に傍に居るヒヨさんもほむも、その好奇心を後押し協力する事をけして躊躇わないのだ。


「検証厨の鏡ですよねー。細かいことまでよく知っていますもん。でも私は真似できないので、今日はおとなしくラジェ鶏狩ってきますねー」

「ああ、気を付けてな」

「はい。行ってきますよー!」


 エフェクトをまき散らして、"跳んで"出かけて行くボナパルトンを見送った。


「あら、ギル――メグさん。皆さんでお出かけですか?」


 ちょうどボナパルトンが跳んだタイミングで、2階からコンさん声をかけてきた。

 榊がコンさんを認めてだるそうにソファから立ち上がる。俺は榊のその態度に苦笑しか出来ない。せめてコンさんの邪魔をしないようにと、声をかける代わりに同行転移をコマンドした。輝く視界の向こう側、コンさんに手を振って挨拶は返しておく。――そして一瞬の浮遊感。

 目を開けば豪華な扉が見えた。


「あっ、と言う間に到着だな」

「まぁー! ここも素敵なホームねぇ!」


 感嘆に声を上げたメグさんが物珍しそうに調度品を見回している。俺もこのホームを見て回りたい気もあったが、扉を開けてさっさと外に出た。ホーム見学はいずれまたの機会だ。


 青みがかった黒レンガを積み重ねた家々。紺色の街並みが視界に広がる。どこか牧歌的な街だ。緑が多い。普段俺たちが暮らしているメッツァーニャ程ではないが、それなりに人口の多い街のようだった。


 並んだ屋根の先に、背の高い時計塔が目立っていた。時計塔のすぐ傍にはワープゲートの青白い光の柱も見える。ヒヨさんの話では、あれを突き抜けるように真っ直ぐ進んだその先に、件の店がある村らしい。


 細い路地を迂回するように大通りに出る。

 その途中、路地裏で見えた風見鶏の姿に、何度かクエストをやりに来たことのある街だと思いだした。

 やたらと凶暴なあの『生きた風見鶏』は、ティーのお気に入りのクエストキャラだ。近付くともの凄い勢いでつつかれる上に、最後まで全く懐かない。だが、ティーは構わず風見鶏を可愛いと抱きしめていた。あれが確か鶏リスペクトのきっかけなのだと、ほむが言っていた。


 時計台を目印に、記憶を辿りながらワープゲート施設へと向った。施設の手前にある広場まで来たところで、何やら喚き立てる声に気付く。どうやら冒険者――つまり俺達と同じプレイヤーが、広間に設置されている時計塔に向かって、独りで何事かを怒鳴り散らしているようだ。


「アレは何やってるんだ……?」

掲示板ボードですよ。そうか、ここも駄目になったのか……」


 眉を寄せて時計塔を眺めるライアンに倣い、俺も"掲示板"にアクセスして――展開しない。エラーメッセージが出るわけでもなく、アクセスコマンドが非表示になっている訳でもなく、ただアクションが何ひとつ返らなかった。

 異世界移転のあの日、あの直後から、各地にあった掲示板は徐々に使用が出来なくなっていった。そして今日、この街の掲示板も使えなくなったのだろう。



 VR仕様のMMOでは、非VRで言う"シャウト(全方向チャット)"――自分の発した声を、ログイン中のプレイヤー全員に認知させるシステムは存在しない。叫んだところで、リアル世界と同じ程度の距離でしか聞こえないのだ。

 その為プレイヤー達は、臨時パーティー募集などは"掲示板"を利用して行っていた。他にもアイテム交換や売買の宣伝――オークションハウスや代行販売所もあるが手数料がかかる――、そして攻略情報公開なども出来た。

 "掲示板ボード"は、書き込み可能なゲーム内に用意されたフリースペースだ。ゲートやシンボルなどの施設側には、大きさや形は様々だったが、必ず時計が設置されていた。その時計周辺でアクセスすれば掲示板が使用できるのだ。――出来ていたのだ、かつては。



「掲示板絡みの新規クエストが発生したわけじゃないんだよな? 使用出来なくなった原因は、相変わらず判明していないんだろ」

「そうみたいねぇ……。掲示板が無事なら、プレイヤー同士でもっと異世界の情報が素早く交換できるのにねぇ……。本当に困ったものよねぇ……」


 メグさんは深刻そうに眉を寄せてため息を吐いている。

 一応ゲーム時代は、チュートリアルの中に、使掲示板の機能を解放させるクエストが存在していた。だがそれは、単なる"おつかい系クエスト"だった。クエスト受注時に受け取ったレンガブロックを時計台の土台工事をしているNPCに渡せば、それであっさりと終わる。クエスト発生する場所も固定されていた。なにより掲示板機能の説明はUI――つまり、システム上で告知されていたのだ。


 時計塔の、反応しない掲示板に向かってだろう、プレイヤーが途方に暮れた様子で顔を歪めてうなだれた。力を無くしたようにそのままただ立ち尽くしていた。

 広場の真ん中で棒立ちになっているプレイヤーを、かつてのNPC――この異世界の住民が何事かと遠巻きに見ている。彼らは、あのプレイヤーが怒鳴っていた理由は元より、何を見ようとしていたのかすらけして理解はできない。


「掲示板も一長一短ですがね」

「そうか?」


 ライアンが冷めた視線で件のプレイヤーに一瞥をくれる。俺も横目で見るだけで、彼に声をかけようとはしなかった。俺には見知らぬ誰かを助けられる程の力などない。日々働いて暮らし、自分とごく身近な人だけを養うことだけで手一杯なのだ。それはここでも、現実でも、何一つ変わらない。


「情報が必ずしも正確なわけでもなかったですし、詐欺も横行していたようですよ」

「――詐欺、」

「ええ。プレイヤーが持つ"冒険者"用品は、この世界では高額ですから。ギルドで保護してやると騙して、身ぐるみ剥がすらしいです。金銭的に厳しいゲームでしたからね。現在、リアルと同様の暮らしをするには金がかり過ぎる」

「衣食を現実基準にしても、そう金は必要にならないんだがなぁ……」

「現状で満足出来る人間ばかりではないでしょう」

「まぁ……そうかもな」

「異世界で恥もモラルも書き捨てですよ」


 なるべく自分の持ち物は売りたくない。しかし生活環境は快適でありたい。あるいは、すでに散財して取り返しがつかない状態になっている。戦闘は怖い。何より――


「ドロップアイテムが存在しない以上、簡単に金を稼ぐ手段が他にない、か」

「戦闘で残るのは死体だけ――。しかし間接的でも死体を作るのは詐欺も同じですがね。遺留品ならば心おきなく売却できる」

「なんだかな……」


 冷めた口調のライアンに俺は何とも言えずに口を濁した。内心を表したように足早になって、男と時計塔から離れた。

 そのままワープゲート施設を背後に引き離し、大通りを進む。街外れまで行けば、テイムモンスに乗って目当ても村までひとっ飛びで着ける。


「テイムモンスを召還するのも久しぶりだな。どんな事になっているやら」


 前回召還した時は、テイムモンスのAIが変化した。ゲーム時代にはなかった性格の個性変化が起こり、主である俺に対してはかなりの懐き具合を見せてくれたのだ。あれはなかなか良いものだった。ただ街中では召還出来ない仕様なのでペットにはならない。ティーにはとても残念な話だ。

 あちこちから喧騒が立つ大通りを歩きながら、メグさんがなにやら拗ねたように俺を見る。


「ねぇ、やっぱりゼロスのモンスに全員で乗りましょうよ。スキル要求値を満たせば、3人乗せてもちゃんとモンスは飛ぶでしょう?」

「念のためですよ、ギルマス――メグさん。安全のためにも二手に分かれるべきです」


 不服そうなメグさんをライアンが宥めている。

 正直、俺だって男同士よりメグさんと3人でモンスに乗る方がいい。しかしここは現実で、モンスに乗って上空を飛行するならより安全な手段を取るべきだ。万が一の時の為にも、熟練度の高い俺がライアンを乗せてメグさんは護衛にまわる。大変不本意な話だが、本当に仕方ないことなのだ。


 街を出て街道から少しだけ外れる。

 外れ過ぎるとモンスに遭遇して戦闘になってしまう。それは避けたい。ちょうどいい具合に拓けた草はらで、テイムモンスの呼び出しを行う。まずはメグさんからだ。


 手を掲げるメグさんの目前、地面に召還円が浮き上がり、眩いエフェクトがあたりを走った。現れた小型ワイバーンの背へとメグさんが軽々とした動作で飛び乗る。同時にインベントリから取り出しただろう手綱が、ワイバーンの首にまるで蛇でも這うかのように巻き付いた。


「しかし掲示板が駄目になったのは、店にとっては幸いでしたね」

「――は?」


 ライアンが思いだしたかのように呟いた。不振を感じた俺がライアンの顔を見れば、何故か苦笑を返された。どういうことかと疑問に首をひねった俺へ、ライアンはさらに眉を歪ませる。


「カフェですよ。公式の掲示板が生きていたなら、いくらティー君の攻略が正確な物だとは言え利用者はもっと減るでしょう。情報を丸ごと転写しようと考える人間も出たかもしれませんね」

「いや流石にそれは無理だろう。移そうにも情報量が膨大過ぎる。ティーのように"ゲーム内部"でwikiを構築するような酔狂な人間は、そう居ないはずだぞ? 当時はわざわざゲーム内に作らなくても、アプリひとつでオンライン上のwikiを参照できたんだから」

「そうよぅ! ゲーム内部に作っちゃったら、ログアウトしている時に触れないもの」


 メグさんが口を挟んできた。ワイバーンの背中に乗って、その首を優しく撫でている。興奮しているワイバーンを慰めるような手つきだった。

 メグさんのもっともな意見に俺は大きく肯いた。



 ギルドホームには時計塔が有する掲示板機能の縮小版、伝言ボードが存在している。今カフェでティーが公開しているのが、その機能を改良した掲示板だ。

 伝言ボードは、ホームの所有者が同一であれば、複数のホームで共有できる。使えるのは所有者から許可を受けた任意のプレイヤーだけ。もちろん、現在のように無制限公開も出来た。

 ただし、伝言ボードはあくまでメモを貼る程度の簡略化されたものなので、wikiや掲示板などに使うにはゲーム内部でプログラムを組む必要があった。不正防止の為、外部で作ったプログラムをそのままインポート(読み込み)することが出来ないのだ。カスタマイズするにもそれなりの手間と知識を要求されるし、運営から常時厳しく精査される。そしてwikiを構築したとしても、使用できるのはホームに居る時だけ。ゲームログイン時のみに限定されていて、内部から外部にエクスポート(書き出し)も不可能だった。


 普通の人間は、手間がかかる上に制限があるようなデメリットばかりの物はまず使わない。掲示板ならゲートやシンボルに付随したものを、wikiならゲーム外部に作られたものを、公式が提供したアプリを利用して使用するだろう。

 公式アプリは導入も簡単で、一部制限されたエリアや戦闘中など以外ならいつでも利用できた。ただ現在は、この異世界ではログアウト不可能だ。ゲーム外が存在しなくなってしまったので、ゲーム用のUIとは別領域にあるアプリは当然起動しないのだ。たとえ起動したところで、外――現実のネットワークに存在するwikiが参照できることもないだろう。


 そんなわけで手間とデメリットしかない伝言ボードカスタマイズだったが、現在はカフェでは大活躍している。公式掲示板の不具合による使用不可の影響も多少はあるだろうが、何よりティーの攻略wikiのおかげだ。

 そもそもあれは異世界移転してから作られたものではない。あのwikiは、公式アプリがまだ存在しなかったオープンβ当時、既にトップグループをひた走っていたティーが、初心者だった俺向けに構築していたものを流用しただけなのだ。


 そうそう。俺は当時、さんざん『小判ザメ』とか『棚ボタ野郎』とか揶揄されたものだった。

 攻略厨ティーザラスとほむほむらぶ。ティーお気に入りの――つまり、ティーザラスがギルマスとして許可した人間の為のwiki。その正確無比な最先端情報と、そして女神オフィーリアから借り受けた潤沢なアイテムと装備。――3人の廃人とつるむ初心者の俺は、TOP廃に一歩及ばない上級者達にとって喉から手が出るほど欲しい物を存分に与えられていた。

 しかしゲーム初心者だった俺は敵視される理由が全く判らなかったので、この悪意はオフィーリアの美貌が元凶かと、ただ独りでたそがれて達観していた覚えがある。――微妙な思い出ではあるが、今では懐かしい話になった。



「懐かしいな……。当時からティーは、ログイン制限時間いっぱいまでプレイしていたからな。wikiを内部で作ることに抵抗が全く無かったんだよなぁ……」

「確かに、個人でwikiをプログラムするような人間はめったに居なかったでしょう。それでも、カスタマイズ無しで自由に使える公共施設の掲示板機能はやっかいですよ。店ではコールを制限しているので実況中継はできませんが、カフェのwikiをメモに移すなり、メッセージで送るなりして、転写しまくられてもおかしくない。だから掲示板の不具合は客を呼べる意味でも大変有り難い」


 アンケート回収がはかどります。と、言ったライアンの台詞に、俺はヒヤリとしたものを感じた。

 ゲートとシンボルに付随する掲示板機能など、故意にどうにか出来るものでは無い――はずだ。そもそもそんな犯罪行為は……。


 ――最初から認識出来ない機能がどうなろうとこの世界の人間は関係ない。関知できない。ならば犯された事にはならない。


 凍えた思考を振り払うようにライアンに顔を向ける。視線は合ったものの、俺はなんとなく居たたまれない気持ちになり、目をそらした。自分の口元がどうしようもなくひきつっているのが自覚できた。


「でもねぇ、皆がみんな、うちのお店に来られるわけじゃないし……。さっきみたいに困っている人が大勢居ると思うのよねぇ。今後、NPCが掲示板を直してくれるようなクエストは発生したりしないのかしら……?」


 本当に困ったものねぇ……。と、メグさんが切なそうに眉を下げ、そして憂鬱を振り切るかのようにワイバーンの手綱を打ち付けた。

 風をたてて翼がはためき、離れたところで見ていた俺たちまで突風が襲ってくる。強風に煽られて後ずさる俺たちの前で、ワイバーンはメグさんを乗せて空へと舞い上がった。

 見る間に高く昇っていく。目が覚めるような蒼い空に巨大な鳥が飛び回っている。ワイバーンの影だけが地面に残って、俺たちの周りを旋回し始めた。上空で待機するメグさんへ手を振ってから、俺もモンスの召還にかかった。


 脳裏でコマンドした瞬間、街外れの草原にメグさんが描いたものより大型の召還円が現れる。あとは召還獣が発現まで待機するだけだ。


「――うちの、ギルマスと相乗りさせられなくて、申し訳なかったですね」


 唐突に謝られた。ぎこちなく動く俺に気を使ったのだろうか。だがライアンの言い様に、俺は顔をきしませて苦笑した。そこを気にする必要は全くない。


「安全第一なんだから、それは仕方ないことだ。ライアンが謝る必要はないだろう?」 

「いいえ。ギルマスも3人乗りしたいなんて我がままを言いましたから。サブマスの俺はギルマスの代わりに謝る必要があります」

「そう言うのは無しにしてくれ。もう店では同じスタッフなんだから」


 ライアンもメグさんも俺の店のスタッフ――店のギルドのメンバーなので、もうギルマスとかサブマスとかは関係ないのだ。ライアンや榊、それにコンさんもだが、今でも3人はメグさんに呼びかける度に『ギルマス』と言い間違えている。いい加減慣れてもらいたい。


「うちのギルマスはギルマスと言う立場をよく忘れるので。サブマスの俺たちとしては、念頭に置いてもらえるよう留意する必要があるのですよ」

「そんな大層なことじゃないだろう」

「とんでもない。とても大切な事ですよ」


 頑ななライアンに俺は首を振って、気を取り直すようにワイバーンへと近付いた。

 召還円に現れた大型のワイバーンは、俺を認めてピスピスと鼻を鳴らしている。甘える仕草にテイムスキルの熟練度が高さが感じられた。頭を軽く撫でてやれば、もっとと要求するように自分から擦りついてくる。少しだけ力を込めて撫でてやれば、気持ちよさそうに虹彩を細める。爬虫類独特の目玉も俺を丸飲み出来そうな口もそれなりに恐怖は感じるが、こうして懐いている様子を見ればなかなか可愛いものだと思えた。


 俺は乾いた表皮の手触りを一通り堪能してから、ようやく手綱をワイバーンの首にあてる。――動作コマンドだ。

 茶色い皮の手綱が手の中から伸び、しゅるしゅると音を立てて巻き付く。これで操作が可能になる。すかさずワイバーンの背中に飛び乗れば、すぐにライアンが続いて俺の隣――ワイバーンの背中に設置された座席へと乗り込んできた。


「与えられたものを当然と甘受するのは恐ろしい。利己に目を奪われたあげくに虎の尾を踏む愚を犯す。俺はそれを避けたいだけです」


 上空で旋回して待つメグさんを見上げて、ライアンがまるで他人事のように呟く。

 俺はため息を吐いて返し、無言で手綱を引いた。ワイバーンの離陸――体にかかる重力が歪んだように揺すられ、押され、そして空へと昇っていく。目を閉じるくらいの強い風に叩きつけられた。緑の草原とまばらな木々が目の前から消えて、視界いっぱいに青空が広がって行く。鮮やかな蒼の下、ミニチュアの街にそびえ建つ時計台がひときわ目立って見えた。


「さっきの時計塔は正常に動いていた。それでも掲示板にはアクセスできない。原因がわからない。――最初から俺たちにはどうにか出来ない。……だろ?」


 断言は避けたが、いちるの望みは抱いて言葉を形作る。

 だが、吹き付ける風のせいだけでなく背筋が冷えたままの俺へ、そっけない囁きが被せられた。


「……知っていそうですがね」


 誰が。とは、ライアンは口にしなかった。


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