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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
38/49

異世界礼賛 中 の 10

「……ほむの友情はなかなか複雑ですね」


 和解した2人を見送って、俺はなんとはなしに言葉をこぼした。ティーが使っていた毛布を畳みながら「浮かれた元ボッチはこれだから」とヒヨさんは肩を揺らして笑いだす。


「距離感がおかしいって、正直に言っていいのよ?」

「あー……」


 有り体で言えば、粘着気味で重い。――のだが、友人を大切にしようとしている事はよく分かる。ただ色々と極端すぎるだけだ。


「すみません、ヒヨさん。厨房のポータル設定をし直したいんですが」

「もちろん良いさ。どの扉に変えるんだ?」


 新しく出した皿にヒヨさんがツマミを盛りつけている。丁寧にチーズを飾る様子を見ながら、俺はやっと当初の自分の目的を告げた。

 希望を伝えて設定を変更して貰う。今まで普通に使用していた扉なので、うっかり間違えないようにと案内プレートも付けてもらった。これは助かる。


「あとそれから……。俺はこの場をもって忘れますし、多分ほむからも聞くと思いますが――」


 新規クエストのことも説明すると今度は苦笑いされた。


「"新規クエスト紫の館"ねぇ……。5MPの報酬くんだり、か。ま、そういうこともあるわな」


 そして頭を下げられた。


「それはほむの言った通りの対処でよろしく頼んだ。――泥を被らせて悪い。すまない、ゼロス」

「いや、単に俺の浅慮だったので。しかしこう言った新規クエストの話はこれからも出てきそうですね」

「そうだな。ただゲーム時代とは違って、俺たちはすでに攻略組のトップグループからは脱落している。幸いティーも戦闘の危険性を正しく認識しているから、あまり気にしてはいないようだ。今のところは低レベル地帯でのクエストやり直しやら、スズメやら、それにみんなとの共同生活自体に御執心だしな」


 ログイン制限時間があったゲーム時代とは違い、今はその気になれば24時間誰かと一緒に遊べる。それがティーにはこの上なく楽しいらしい。ヒヨさんやほむ、バルサとトウセ、それにシフトに入らなかったメグさん達ギルメンに構ってもらえて、最近は特に御満悦の様子だった。


「それにどうあっても、俺はビナーの攻略を許可したくはない」

「ビナーは海ですからね」

「そうだ」


 ヒヨさんの懸念はよく解る。ゲーム時代攻略の最前線フィールドだったビナーは、海洋エリアで陸地がほとんど無い。船を駆り、広大な海上を隈無く捜索することで、新しい大陸を見つけなくてはならなかった。

 現在はゲームの仕様外の行動、かつてのNPCに案内を頼んでみるなりして新大陸に向かうことは出来るのだろうが……。なにせ海だ。戦闘中や特殊エリア以外ではいざとなったら"跳んで"安全地帯に戻ることもできるが、陸地と違って海はやっかいだ。落水した海中で、ジャンプの待機時間内に溺死する可能性もある。それに――。


「ビナーのワープゲート解放はまだなんですよね」

「ああ。確認したが、現在ビナーのワープゲートは不調が理由で使用が制限されていた。この異世界でもゲームの設定が継続しているからな、ま、それは仕方ないさ」


 フィールド内に無数あるワープゲートを全て解放しないと、ジャンプにも制限がかかる。ホームやルームへのジャンプは一切使えない。使えるのは解放されたワープゲートだけだ。ジャンプをしたところで、プレイヤーは最後に通過したシンボルまでしか戻れない。

 何かしらの事故が起こって、上手いことシンボルまで跳んで逃れられても、それで事態が改善できるかというとそんなことはない。360度見渡す限り海原のまっただ中、海上に突き出た岩がシンボルだったりするからだ。

 例え身一つで跳んで逃げることが出来たとしても、ゲーム時代とは違って助けを待つ余裕など無いだろう。よほど運が良くない限り、別の形で死を迎えるだけだ。


「商船に搭乗することで一応は新大陸に渡れると解ったが、なにしろ船が時代がかっているからな。難破せず必ず海を渡れるかというと、そうでもない。もうしばらくは自主的人柱の攻略組を見守るさ」

「なんと言うか……人柱呼ばわりしますか」

「そう、涙が出るほど有り難いだろ。おかげで楽が出来る」


 ヒヨさんは愉しげに笑い、盛りつけられたチーズを細長い指で摘み上げて口へと運ぶ。


「遺体があれば一応蘇生は可能だが、海中に落ちてしまえばそれも難しい。危険を冒すと書くのが冒険だ。異世界で冒険するような蛮勇さを俺は持ち合わせていない。それを好んで冒してくれる人間が居るんだ、ワープゲートが解放されるまで有り難く見守るさ」

「まぁ、そう言えばそうですね……。しかしワープゲートが解放されてしまえば、ビナーに行く気自体はあるんですね」

「だって観光するのは楽しいもの! 安全な航路をのんびりクルーズするのもいーわね。せっかくの異世界だし、余さず体験しておいちゃうわ!」


 観光、とあくまで安全を強調した発言をヒヨさんが口にする。

 ゲームの仕様が残っているからといって、ゲーム時代と同じように過ごす必要はどこにもないのだ。店を経営して、現実の日常を継続しようとしている俺には深く同意できる話だった。


「ただ戦闘自体は相変わらずしているわけですから、ヒヨさん、くれぐれも気を付けてくださいね。いくら安全マージンを取ってると説明されても、俺は戦闘自体に不安を感じてます」

「もちろん充分に気を付けているさ。一応蘇生も可能だが、現実の身体にどう影響が出るか解らない以上、怪我すら避けたいぐらいだしな」

「そうですね」



 この異世界でもゲームと同様に回復魔法や蘇生魔法は機能する。


 回復魔法やアイテムに関しては、移転最初の戦闘での使用で経験済みだ。また蘇生に関しては、キュクロープスが吐き出した隻腕がエリクサーを試しても復活は出来なかったため、当初不可能だと考えていた。しかし後日、ヒヨさんが蘇生魔法を試してみたところ、既に事切れていたプレイヤーの復活に成功した。


 ……恐らく趣味を満喫するためのアバター耐久実験をしに出かけた時のことなんだろう。それが何時の話かは結局言葉を濁されたが、森でバラバラになったプレイヤーの死体と何度となく遭遇した際に、ものの試しと魔法をかけてみたらしい。


 ヒヨさんの検証によると、ある程度の身体パーツと頭部――正確には脳と、心臓のどちらかが欠損せずに残っていれば、蘇生すること自体は可能らしい。流石に腐敗していた駄目なようだ。それから一旦キャラチェンジを挟んでも、欠損した腕なんかはまた生えてくる。条件が揃ってさえいれば、魔法もアイテムもゲームの仕様どおりの効果があるのだ。


 検証結果を報告された当時、受け入れつつもそれでも俺は頭を捻らざるを得なかった。


「脳と心臓ですか……。脳にアバターに対する初期状態の記録が存在しているのは、なんとなく理解できる気もしますが……。心臓は……」


 そしてようやく閃いた。そうだ、ここは"現実"ではない異世界なのだ。


「そうか、そこに"こころ"があるって事なのか……」

「おファンタジーですもの。全く素敵な解釈ですこと」


 やんなっちゃうわ! と、ヒヨさんが愉しげに毒を吐いた。気持ちはわかるがどうあれ、蘇生できる事自体がとにかく有り難い。


「だからゼロス、万が一の時には頭か心臓を庇ってね。――心臓の方が庇い易いかしらん? そしたら後で必ず蘇生させるからね、安心してちょうだい」

「万が一でも死にたくはないですが……。その時はよろしくお願いします。でもヒヨさん達が1番気を付けなくては。可能性が高いのは、戦闘をしに行ってるヒヨさん達の方だ」

「心配してくれてありがとうゼロス。せいぜ気を付けるさ」

「くれぐれもよろしくお願いしますよ。しかし……死んでも復活が可能なんて……。なんと言うか、生き返った後で色々と価値観が変わりそうですね」


 俺がしみじみとそう答えたことに、「そうだな」と笑って、ヒヨさんは何でもないような口振りで言った。


「そういや蘇生成功したプレイヤー、死に方がアレでコレだったお陰で相当精神的にキて、錯乱して正気じゃなかったわ。ゼロスはもう蘇生可能だと知ってるし、いざという時はさっさと死ぬ方が精神に優しいと思うのー」

「――ヒヨさんッ! それじゃ全く駄目じゃないですかっ!」

「だからさっき万が一の時、って言ったでしょうが」


 怒鳴っちゃいやん! と両手を祈るように組んで、可愛いこぶったポーズで俺に怯えたふりをする。そして上目使いで、俺に恐る恐ると言い訳をした。


「だってしょうがないじゃない、精神には決まった形がないんだもの。ゲームじゃ混乱解除の魔法ぐらいしかないし、魔法だって万能じゃないってことよ? 一応この異世界特有の魔法もあるから、引き続き研究して色々試してみてるわぁ!」


 俺がんばっちゃうわ! と言って、あの時ヒヨさんは俺を宥めた。


 ヒヨさんが運良く蘇生成功させものの、結局生還したプレイヤー達は錯乱したままヒヨさんに襲い掛かったらしい。そして慌てて逃げ出したヒヨさんを放置して、たまたま近くでうろついていたモンス目がけて突っ込んで行ったそうだ。


 2度目の死を迎えたプレイヤー達を、もう一度助ける気には流石にならなかったな。……と、そうヒヨさんは俺に語った。助けた筈の人間が、それでも救ったことにはならなかったなんて、双方にとってただ痛ましいだけの話だ。



 当時の、ヒヨさんの心情をおもんばかる。

 個人の趣味で収まる行動を「止めろ」と制限することは出来ない。いくら仲間でも、そんな権利はない。せめて出来ることといったら、忠告することぐらいだ。

 だから仕方なく俺も倣った。


「くれぐれも安全に気を付けるよう、お願いしますよ。……それと、見える範囲内でヒヨさんが趣味の露出を控えてくれたら、俺はもう全てに安心できるんですが」

「あらん……。俺としてはむしろ趣味の方だけを、奥深ぁーく共感して欲しいくらいなのよ?」

「いや、それは無理です。あり得ません」

「おやん……」


 残念。と、ヒヨさんはさも無念そうに溜息を吐き出して見せつけてきた。

 いくらヒヨさんから何をどう誤魔化して言われても、俺は、あの趣味は理解したくない。絶対に。


「あ、そうそう。趣味と言えば、俺の嗜好を満たしてくれるだろう人物を、とうとう決定しちゃいました!」

「いやだから、わざわざ報告しなくても大丈夫です! 遠慮します。……ただ、くれぐれもおかしな人物に引かからないでくださいね」

「心配ご無用! 身元調査はばっちりよ!」


 心配ありがとう、ゼロス。と嬉しそうに笑う。


「危険なことにならなければ、俺はもうそれでいいですから。後はヒヨさんの御随にどうぞ。――勝手にやってくださいよ」

「もちろん好きにやっちゃうわー。いやー、もうね、実に少女向けエロスな野郎なのよ、コレが」


 詳細を拒絶した俺を無視して、楽しそうにヒヨさんが説明を続ける。オフィーリアの頬を薔薇色に染め、俺の気持ちとは間逆に、酷く浮き立っている。


「ほんとNPCの目星付け易くて、"薔薇の木図書"って便利だわぁ」

「ああ……"薔薇の木図書"で調べたんですか」



 "薔薇の木図書サブ・ローザ"とは、一種のおまけクエストのようなものだ。

 大きな薔薇の根本に隠された図書室に辿り着くことで、クエストがクリアされる。図書室には運営が設定したNPCのプロフィールが事細かに記されており、プレイヤーがそれまで立ててきたフラグに応じて閲覧が可能になる。意外なNPC同士の繋がりや趣味が書かれているので、おまけ要素としてなかなか楽しめた。設定マニアや、NPC好きには人気のクエストである。

 だが現在、この"薔薇の木図書"の蔵書は全てヒヨさんの手元にある。なんと移転初日早々、回収しに行って来たらしいのだ。


 元々"薔薇の木図書"はワープゲートからほど遠い森の中に存在している。俺たちはホームジャンプを使って、フィールドの移動が便利に出来ていたが、"薔薇の木図書"はまで行くには遠い。行き来するのはかなり手間だ。ついでにゲームの仕様外の行動――本来なら、図書室の外に持ち出せなかった蔵書をインベントリに収納できる――により、回収を目論んだらしい。

 さらにヒヨさんの主張によると、「こんなNPCの詳細情報、誰でも閲覧できるような場所には、怖くて放置しておけない」のだそうだ。


 何だかんだ言っても、ヒヨさんはゲームではトップ攻略組の1人だ。

 あからさまなポテンシャルである情報を、むざむざ他人に渡したくはないと言う本心があるのだろう。もっとも、トップ廃と呼ばれる連中は全て、ティー程でなくてもそれなりに情報を暗記してはいるが。

 だからこれはヒヨさんが懸念しているだろう異世界で無双しそうな、頭一つ抜けている高レベル帯プレイヤー達への嫌がらせなのだろう。流石のティーも、"薔薇の木図書"のようなおまけ情報までは、カフェの掲示板に公開はしていない。


 ヒヨさんは他にもこの手のクエストアイテムを、ほむと共に密かに回収しに行ったらしい。――流石に、全部を取ってくるのは無理だったようだが。

 後回しにしたのはクエスト難易度が高いものと、重要度が低いもので、今でも回収を継続しているとのことだ。

 一応、里香ちゃんが暮らしている浮遊都市の図書館は、蔵書数で言えばゲーム内でも随一だが、国有図書に手を出すと犯罪者になるので当然回収の対象外だ。「あくまで合法の範疇内での妨害に勤しみたいのよ、俺」とのことだそうで、俺はただひたすら呆れた。



「そのエロス野郎、本ではもちろん、リアル周辺も綿密に調査いたましました!」

「……そうですか、そうですか。分りましたよ、安全なんですね、良かった良かった……」

「そうなの、準備万全よ。なにせ、そいつが通ってる娼婦に一服盛って、根ほーり葉ほーりテクニックを確認もしちゃったりもしたりなんかして!」


 きゃ! お楽しみだわぁ。ヤったるぜ、俺ェ! と、高らかに宣言するヒヨさんに、俺はあからさまに気のない相槌を打つ。――が、ヒヨさんは全く意に介さない様子で盛り上がっている。……勘弁してくれ。


「いや~匠って本当に実在してたのね! 流石おファンタジー。そんなん、エロスな少女系フィクションの中だけかと思ってたわ」


 娼婦相手に奉仕型ソフトS男とか、やってられんわ、糞が。今すぐタヒねよイケメソ。と、捜し当てて喜んでいる割に、笑顔のまま心底嫌そうに毒吐く。

 本格的に趣味を堪能しようとするヒヨさんに、俺はもう思考が全く追いつけなかった。


「そうですか、確認しましたか。それは良かった、良かっ……一服盛った?」

「薬をちょっとな。自白剤の一種になるのかね。ほら、あのドッペルゲンガーのドロップアイテム」

「あー……あれですか……」



 ――不逞に奪われた家督を取り返したい。


 商家の隠し子設定のNPCから依頼されて始まるクエストに登場するのが、ドッペルゲンガーだ。


 このクエストは、"Annals of Netzach Baroque"でも珍しいクエストだと言われている。

 まず第1に、倒すべきボスモンスターが、人を模倣したモンスターであるドッペルゲンガーであること。第2に、クエストの報酬が多額のゲームマネーであること。第3に、クエスト受注したプレイヤーもしくはプレイヤー達全員のレベルに合わせて、ボスモンスターのステータスが変化すること、だ。


 特にゲームマネーを報酬としてもらえるクエストは、ゲーム内でも数が極端に限られているので、課金をしなければ万年金欠に陥るプレイヤーにとって、一見美味しいクエストになる。――が、それはあくまで一見でしただけの美味しさで、実のところはボス戦でその報酬をそっくり使い切るような羽目になる。


 クエストボスのドッペルゲンガーはプレイヤーの現身だ。

 魔法で攻撃すれば魔法で、剣技なら剣技で、与えた被ダメ(被ダメージ)だけそのままそっくり全体攻撃としてやり返してくる。もちろんプレイヤーの現身だけあって、戦闘に参加しているプレイヤー達全員の数値を足したHPの持ち主だ。

 普通に戦えばファーストアッタック分、ギリギリで勝てる――かと思いきや、そうは問屋が卸さない。各プレイヤーからの初回攻撃はそれぞれ無効化され、逆に反撃されてから戦闘が始まるのだ。どう足掻いても勝利するのは不可能だ。

 それならどうやって倒せるのか、このクエの攻略方法は? と言うと、ドッペルゲンガーはプレイヤーの持つスキルや技は真似をして反撃をするが、アイテムによる攻撃は模倣できず、代わりにレベルに合わせた通常攻撃や回復魔法を仕掛ける性質をもっていた。――本当にふざけたモンスターだ。


 従ってプレイヤーは、店売りの攻撃アイテムを買い込んで、それをひたすら消費することでドッペルゲンガーを倒すしかない。

 プレイヤーのレベルに比例した強さをもつドッペルゲンガーは、レベルが高くなればなるほど倒しにくく、また金がかかる。クエスト受注が可能になる適正レベルでの戦闘においてすら、使用するアイテムの合計金額は受注額とトントン、悪ければ足が出るようなクエストだ。

 「ゲームマネーに余裕が欲しければ課金してね!」という、あからさまに透けて見せた運営の本音を揶揄して、プレイヤーはこのクエストの報酬額を1DP、つまり"いちドッペル"と呼ぶのだ。


 クエスト報酬の話はさておき、ボスであるドッペルゲンガーは倒せばアイテムをドロップする。――この辺りは普通のモンスと同じだ。

 ドロップするのは1つだけで、アイテム名を"底意の滴"と言う。これは「ドッペルゲンガーを倒し、あるがままの全てを映すただの水に還した時、その水底から浮かび上がる滴」で、「この滴を飲んだ人間は、飲ませた相手に聞かれるままに底意を語り、告白することに一切疑問を持たない」のだそうだ。


 ボスドロップの"底意の滴"を依頼人に渡すと、自分から家督を奪った商人にこれを飲ませ、違法な手段を犯した事を騎士団の前で自白させる。そうしてクエストはクリアされるのだ。


 このクエストはドッペルゲンガー討伐クエストとして、2度目以降は何度でも受注できるようになる。ただし1度クエストを成功させてしまうと報酬は貰えない。その代わりにドッペルゲンガーが様々なアイテムをドロップし出す。

 ドロップアイテムを全て売ったところでたいした額にはならないが、それでもクエを受注するプレイヤーは多い。ティーも大好きだ。ドッペルゲンガーの、自分が与えたダメージをそっくり返してくると言う性質を利用して、武器や防具などのステータス検証を行うのだ。


 2度目以降にはウルトラレアとなるアイテム"底意の滴"は、優美な滴型のクリスタルで出来ていて、その姿が香水瓶のようにも見えて大変美しい。課金アイテムと組み合わせると、インテリアアイテムに加工でき、ホームやルームに飾ることも可能だ。

 ちなみに必ずドロップする1度目のクエストでの"底意の滴"は、クエスト破棄や課金アイテムでの加工をすると破損して消失する設定だ。


 いずれにしても、金をかけないと倒せないモンスのウルトラレアドロップ。しかも香水の様な形で、美しいインテリアになる。――そうだ、オフィーリアに貢ごう!……とか誰かが思ったのだろうか? よく分らないが、いつの頃からかオフィーリアに対する貢物では定番のアイテムになった。


 また、組み合わせる課金アイテムによって、形や色がランダムに変化するので集める楽しみもある。

 そんなわけで、課金を含めたインテリアやアイテムの収集癖があるヒヨさんは、"底意の滴"をことのほか喜んで受け取った。そして信奉者どもは、"底意の滴"をせっせと買い集め、あるいは自力ドロップし、オフィーリアにより一層貢ぎ励んでいるのだった。



「あの、"底意の滴"ですか」

「そう、その"底意の滴"。インテリアになってアイテム分類から外れてたんだけど、この異世界だと普通に使えるのな。文字通り香水瓶みたく蓋がスポッと抜けるのよ、これが」


 言いながらヒヨさんは"底意の滴"をインベントリから取り出した。香水瓶の蓋を外し、そして蓋を口元に寄せて香りを嗅いでみせる。


「この通り、瓶に色は付いてはいるが中身は無色透明。さらに無味無臭。クエストのストーリーに倣って一服盛ってみたら、洗い浚いアレコレと白状してくれました!」


 俺に蓋を渡してきたので、ヒヨさんを真似て匂いを確かめてみた。何の香りもしない。これでは確かに、盛られてしまえば気付くことも無いのだろう。


「あのアイテム、NPCはもちろん俺たちプレイヤーにも効くのよねー。色々実験して試してみたんだけども、いや面白いわ、コレ」


 俺が返した蓋を瓶にはめ込みながら、ヒヨさんはなんとはない口調で付け足す。


「試し、て……?!」

「そうなの。隙があったらすかざず、こう……ぱっと盛ってみたりしていたのよ?」


 驚く俺に、ヒヨさんが愉しげに笑いながら、雫を手の平に振りかけるような動作を披露してみせた。 

 雫型の容器の中で無色透明な液体が揺れ動く。

 振られてさざ波立った"底意の滴"が俺の視線を引き留めた。所詮他人事だと、穏やかだった筈の内心で波が立ち、冷水が注がれていく。

 すっと、身体から血の気が引いた。知らず手で喉を押さえ、強く当てた苦しさにようやく俺は気付く。


 ――閃光のごとく脳裏に光景が蘇る。


 ほむが注いでくれた酒、ヒヨさんが作ったスープ。


 あの日、移転初日のあの夜、異世界移転に狼狽したとは言え、泣いた挙げ句に弱音を吐きまくったあの日。今でも思い出して仕方ないと思いつつも、ただひたすら羞恥と矜持を刺激するあの時のこと。

 あの時、あの夜の広間で、俺はどうだった? 妙な事を口走らなかったか……? 俺はあんな風に振る舞うような人間だったか?

 いや……、泣いた事は確かにもの凄く恥ずかしいが、それでもあれは不死の犯罪者とは言っても人に手をかけたからだ。いい年した男でもなんとか許容できる範囲だろう。それから、ヒヨさんに理不尽な文句を付けたような気もするが、これからの生活に必要なことだったから、俺はあえて口に出した。あえて口にした、の、筈だ。


 けれど、もしもそれが「強制的に言わされた」の結果なのなら、事は素直に終らない。


 あの薬は思考を狂わす。誘導されるがまま内心を正直に吐露しても、それをおかしな事だとは、けして思わないのだ。


 喉の奥がカサついて言葉が引っかかる。それでも恐ろしくて聞かずにはいられなかった。


「っ……ヒヨさん……。その薬、飲ませましたか……?」

「あらん? ゼロスったら試してみたいの? 自主的実験台仲間、大歓迎しちゃうわ! 俺も飲んだけど、まぁこっ恥ずかしいったら!」


「――はっ……ぁ?」


 思考が全部吹っ飛んだ。


「ヒヨさんが?! ヒヨさんが飲んだんですか、あの薬……?!」


 ヒヨさんが飲んだ? どう言うことだ? 

 予想の斜め上を飛び越したで発現に思考が空回りする。

 よく理解できないまま問いかけた俺に、ヒヨさんが「そうなのねー」と軽いノリで笑った。照れた様子で、指に摘まんでいた雫型の容器を俺に渡してきた。


「そう、俺まんまと飲まされちゃってさー。いや、まいったね。ゼロスも使いたきゃ、コレどうぞ」

「いや、俺は飲みたいわけじゃなくて……!」


 差し出してきた雫型の瓶を、俺は慌てて手で押し止めて拒否した。「あら、いらないの?」と小首を傾げたヒヨさんにそれどころじゃばく、俺は焦って問い詰めた。


「ヒヨさん、自分で飲んだんですか?! 本当に?」

「飲んだ、飲んだ。飲んじゃいましたよ俺。もうね、ティーの気が済むまで、いいように質問責めされました!」


 好きとか大切に思ってるとか、あんなに何度も口にしたことは女相手でもないわー。と、呆然とする俺の前で、恥ずかしげに身体をくねらせて悶絶している。


「本当にもう、あの甘ったれめ」


 恥ずかしいわぁ……! 挙げ句、そう言って両頬を手のひらで押さえ、深く溜め息を吐いた。

 混乱したままの俺は、相変わらずヒヨさんの言うことが巧く飲み込めない。もう一度確かめようと聞いた。


「ヒヨさんは、飲んだんですね」

「そうよー。ティーに盛って貰って俺が飲んだのよー。俺みたいな魔法耐性スキル持ちの高レベルプレイヤーにもよく効いたわ。そうだな、4時間ぐらいかしらん? レベルが高くなればなるほど、効きが短くなるみたいだな」

「他の人間にも試したんですか?」

「そりゃもちろん」


 悪びれずあっさり言ったヒヨさんに俺が目を剥くと、「いきなり自分で試すような真似はしないさ」と、笑いながら釈明された。


「街へ偵察に行った時、元NPCな異世界住民相手に試したのが最初だな。ゲームではNPCの身体に支障が出るような設定は一切なかったしな。――だから安心して盛れたのよ」

「……なるほど……。しかし、他のプレイヤーと言うのは?」

「金に困ってる初心者プレイヤーを街で見つけて、バイトに誘ってみたのよ。ま、それこそ5MP程度の金だけどな。それでも当分の生活費にはなるでしょ?」


 あっけらかんとしてヒヨさんは説明した。


「そうですか……そうですね……。課金をわりと熱心にこなさないと、初期は金にそれほど余裕を持てませんしね……」

「そうなのねー。ああ、それから。雇ったと言っても、外道な質問はしてはいない。せいぜちょっと答えにくいだけの、エロスな嗜好を質問してみたぐらいだな。もちろんそれも最初に説明して、納得してから実験に協力して貰ったが」


 ……確かに、その手の質問は恥ずかしくて答えにくい。そして答えても気まずいだけで、余程の事がない限りは、何かに支障が出るわけでもない。

 微妙にヒヨさんの趣味を満たしているような気もしなくもないが、それでも最初にきちんと説明しているなら問題ないのだろう。――性的トラウマ持ちの人間なら、初めから協力はしないだろうし。


「そうですか、よく解りました。自主的に協力しているなら、何も問題はないですね」

「いや、NPCとかには勝手に盛っちゃってたんだけどもね。――ま、大丈夫だ、問題ない。どうせ盛られたところで、本人は気付かないからな」


 さらりと非道な事を言って笑う。

 自分で体験しておいて、ヒヨさんはよくそんな事を笑って言えるものだ。ティーが質問者だったらしいから、それほど変な事は聞かれなかったようだが……。それでも、他者に本心を委ねることを、恐ろしいと感じなかったのだろうか?


「一応、恥ずかしいことを言わされていると、そういった意識は本人にもあるんですね?」

「ティーとのやり取りを録音しておいて、後で改めて全部書き出してみたのさ。目に入ってくるだけの客観的な文字情報で、普段の自分ならとても口に出せないだろう台詞を言ったと、そう分析できた。――そこまでしない限り、気付いたりは出来ないようだな」

「……徹底してますね」

「自分で試すのが一番確実でしょ? 充分安全を確認してからやってんのよ、自分が納得できる形で証明したいじゃない」


 ……相変わらずドMな考え方だ。全く度し難い。


 俺は疲れて心の底から深いため息をついた。笑うヒヨさんをねめつける。


「……てっきり、俺が盛られたかと思いました」

「あらん? 心配ならグラス変える?」


 ぼやいた俺に、ヒヨさんは未だ手を付けてないグラスを指す。そして自分のグラスを掲げてみせた。俺が頭を振って否定したら、ヒヨさんは肩を竦めて苦笑する。


「ゼロスなら"底意の滴"などなくても、必要なことだと割り切って話してくれるだろう?」

「――そのつもりですよ、もちろん」


 俺も苦笑し返す。

 それからワイングラスを手に取り、迷わず全てを飲み込んだ。


これにて「礼賛の中」は終わりです。

次の更新まで、またしばしお待ちください。

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