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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
37/49

異世界礼賛 中 の 9

「やれやれだな……」

「ええ……本当に」


 扉を開けた視線の先に、湿気が払われてすっかり乾ききった床が見えた。課金別荘の厨房だ。

 厨房の勝手口の脇に併設された扉は、店へのポータルだ。ちょうど扉の手前に棚があり、それが仕切り代わりになっているので、面倒臭がってこのポータルを使わずに"ジャンプ"で跳んで行く人間も多い。かくいう俺もその1人だ。

 使い勝手が悪いので、ポータルの設定をし直しさないといけないな……。ヒヨさんに頼みに行こう。


 疲労に床に落とした視線を上げて、思い出したかのようにライアンが声をかけてきた。


「そうそう、ゼロスさん。先ほど気にされていた家庭料理屋の情報、一応それらしき店を見つけましたので、メッセージで送ります」

「あ……、ああ、ありがとう。すまん、ライアン」


 騒ぎのおかげですっかり忘れてた。

 すぐにメッセージ受信のアイコンが脳裏に点滅する。内容を確認して俺が頷くと、ライアンが欠伸を噛み殺している。料理屋経営は繊細な注意を必要とする肉体労働だ。いくらアバターの体力値が高くても、休憩を取らない限り疲労は蓄積されていく。


「俺はもう寝ます」

「ああ。そうだな……疲れたな」

「ええ、最後まで疲れました」


 ライアンと共に厨房から出た。3階でライアンと別れ、俺はそのまま5階の部屋に上がる。

 この時間はヒヨさんが広間で飲んでいる筈だ。思い立ったうちに、ポータルの場所替えを頼んでおきたい。


 階段を登りながら中庭を何とはなしに眺める。

 蛍火を宿した中庭の木が、移転した当初より緑深くさらに光の数を増やしていた。風で千切れた光の粒が、淡く発光しながら薄暗闇に流線を描く。風の流れに沿ってたゆたう光のラインが、萎むようにふつりと消滅した。


 どういった生態なのだろう? いつ見ても幻想的な光景だ。夏に向かって色濃く変わるなら、秋にはどんな変化をするのだろう? 見てみたくもあるが、同時に、そこまでの長期間この異世界に暮らす怖さを感じる。


 ――出来ることなら、今すぐ現実に戻りたい。


 たとえ店が上手く経営できていたとしても、現実で得ていたもの全てとは引き替えにはできない。


 現実の生活の全てに満足していたわけではない。むしろ重度の光線過敏症だった自分の体質を、ずっと疎ましく思っていた。

 だが、それも治療で何とかなる予定だった。


 体質が改善されたからと言って、それ意外の不満が全てどうにか出来る訳じゃない。だとしても、自分で何とか出来ない問題がひとつ解消されただけで、俺の人生にとってもう2度とないくらいの僥倖だと思えた。――ならば、自分の努力で解決できることなどは、ものの数には入れられない。再びどうにもならない運にぶち当たるまで、ただ粛々と努力すればいいだけの話だ。

 なにより、現実のあの場所には、自分が愛おしいと思うものがあった。


 俺にはこの異世界を、新天地で腕試しなどとはけして思えないのだ。そもそも自分で望んだことではない。なにより、精神的にではなく、物理的に戻れない場所は新天地などではない。ただ未開の地に追いやられただけだ。

 たとえ、それがいくらゲームとして見知っていた場所であっても。


 全て忘れて異世界に行きたいなんて、何かを派手に失敗した次の日、追い詰められた気に浸っている、その1日だけで充分だ。

 異世界でなくても、生活に不自由なく逃避できる場所で在りさえすればそれでいい。俺にとっての異世界なんて、その程度の価値しかない。


 憂鬱を振り切るように階段を上り、胸にこもった息を大きく吐き出す。そして俺は広間への扉を力を込めて押し開けた。




「お疲れ――あれ? ほむだけか?」


 広間の真ん中、窪み状のソファにはほむの後ろ姿だけが見えた。

 扉を勢いよく押し開けたことに驚いたのだろうか、ほむの肩が一瞬跳ね上がって、そしてむせた。押し止めようと口元に手をあて、前屈みで苦しそうにせわしない息を吐いている。


「ほむすまん。驚かせたな、大丈夫――」


 俺は慌ててソファまで近づいた。すると、せき込むほむの目の前に空になった皿が見えた。

 使用されていないワイングラスが2脚。おそらくヒヨさんお気に入りのツマミ――野菜のピクルスやチーズ、塩漬けのオリーブ、プロシュートのスライスが乗せられていただろう皿。そして酢だけが僅かに残った、漬け物用の特大瓶がひとつ。

 テーブルに並んだ器を見て俺は呆れた。


「ほむ。お前それ、ヒヨさんが作ったピクルスだろう……。全部食べたのか。後で相当叱られるぞ」


 つまみ食いをあれだけ嫌悪するのだ、喰い尽くしました、なんて言った日にはどうなることやら。


「並んでるのは喰っていいけど、出して喰うとはたかれる」


 酸欠に顔を赤くしたほむが、掠れた声で言い訳を絞り出してきた。

 と言うか、どういう理屈だそれは。

 倉庫から追加で出さなければ良いという考えか? それで、一抱えもある特大瓶のピクルスを完食してもかまわないと結論付けたのか。また凄まじく拡大解釈された理屈だな、それは。

 しかし――


「瓶から出して食べたなら、それは並んでることにはならないだろう」

「……蓋が開いて、テーブルの上に皿と並んでた。問題ないね」


 問題ない、と言い切った割にほむの目が微妙に泳いだ。――間違いない。食欲を自制出来なかっただけだ。

 もごもごと頬を動かし、ほむは口内に残ったものを噛み砕いている。さらに、皿に散らばっていたチーズの欠片を潰し、指先に張り付けて余さず浚おうとしている。

俺は未練がましい様子のほむを呆れて眺めた。そして、目を逸らしたままのほむの斜め前――俺の定位置だ――ソファに座った。


「チーズは……」


 倉庫を調べたら、ツマミ用に確保してあるチーズが保管されていた。良かった。無事に残っていたか。

 倉庫には、他にもオリーブの塩漬けやプロシュートなど、ヒヨさんお気に入りのツマミがきちんと入れてあった。


「喰ってねぇっ。――チーズは倉庫」

「そもそもヒヨさんは何処に行ったんだ? いつもならここで飲んでいる時間だろう?」

「……別の課金別荘のワインカーブ。このワインは今夜の気分じゃねぇとか言って探しに行った」

「そうか……。もしかしなくても、ティーも一緒について行ったのか」


 ほむが押し黙った。

 ほむの直ぐ横、ソファの上に毛布で出来た抜け殻がある。あれはティーが寝ていた跡だろう。ティーは早寝早起きの優良生活児で、この時間はいつもならとうに寝ている。


「ティーも一緒に行ったのか……」


 顔を逸らしたままのほむが、落ち着かなげに片膝を揺らしだした。


「そうか。ティーも一緒に行ったんだな」


 そっぽを向いたほむの足が小刻みに動いている。一定間隔で起こる微妙な振動にほむの焦りが垣間見えるようだ。


「ほむ、まだティーと喧嘩中か」


 ほむの眉間に深いしわが寄った。

 レストランには3人で食事に来た。にも関わらず、ティーが眠気を押してヒヨさんに付いて行ったのは、ほむと2人きりでは居たくなかったからだろう。


「さっさと謝っておいた方がいいぞ」

「何を謝んだよ。別に喧嘩してねぇよっ」


 いや、どう見ても喧嘩中だろう。ここのところ連日娼館に通っていたほむが、今日に限って広間で独り大人しく留守番をしている理由が他にない。

 唸りながら主張するほむの意固地さに、食への執着が垣間見える。


「あのな……。いくらそれが鶏でも、普通、ペットを食べたいって言われたら、誰だって怒るだろう?」

「――間引くんだからっ、……当然、喰うだろって言っただけだよ。ペットは喰わねぇよッ」

「お前の常日頃の暴食っぷりを見て、ティーはそれが信用出来なかったんだろ……」


 解説した途端もの悲しい気持ちになって、勝手に俺の口からため息がこぼれた。先ほどから振り切れず溜めたままの疲労が全身に染み込んで、体がじわじわと重く変質していくことを実感する。

 俺は反論できずに黙り込んだほむに、――あえて言いたくはなかったが、それでも告げた。


「……あと多分な。その瓶な、ヒヨさんわざと蓋を開けて、片づけないまま行ったんだと思うぞ」


 同じように皿に盛ったチーズなどはしまっておきながら、ピクルスの瓶だけ片づけないのは――しかも蓋を開けたまま放置するなんて、衛生的にも匂い的にもあり得ない。


 ほむの足の動きがさらに速まった。しばらくしてからようやく「知ってる」と、呟いたのが辛うじて聞き取れた。


 ――根深いな。


 それにしても、またすぐ作り直せるピクルスだけ置いて、仕込むのに時間と手間がかかる物は収納されているあたりが本当にやるせない。

 普段から一応、俺はもちろんヒヨさんも――流石にほむの好きなだけとは言わないが――1食につき3人前は食べられるよう気を配っている。いくら燃費が悪くても、栄養価的にも充分な筈だ。さらにおやつだって食べているし、それ以外にも四六時中買い食いしているらしい。充分だ。むしろ現実でなぜ肥満体型でないのか不思議なくらいだ。


「ほむ。ピクルスをそう大量に食べると体に悪い。腹が減ってるなら倉庫にある定食を食べてくれ。食べる前に俺に連絡してくれれば、どれが食べても大丈夫な物か教えるから――。頼むから偏食するのは止めてくれ」

「……分かった」


 ほむがせわしなく足を揺すっている。それでも、取り繕ったそっけない口調で了承を返してきたほむに、一応は安堵できた。

 ついでにちょっと口を出しておくか。ヒヨさんから釘を差されてはいたが、軽いアドバイスぐらいなら言ってもかまわないだろう。


「なぁほむ、ティーにはさっき俺に言った事を、もっと噛み砕いて説明してみたらどうだ? ティーだってスズメを可愛がってたが、同じ鳥類でも鳩は美味しいから食べるんだって言ってたぞ」


 それにティーはグランスポッポやグランゾ鶏のを仕留めたのだから、"食材"を絞めて食べること自体には抵抗ないはずだ。


「……あー」


 了解したのだかしてないのだか、よく分からない返事を寄越してほむが黙った。足だけがひたすら動き続けている。


 なんでまた喧嘩ぐらいでそこまで、とはいつも思うが……。


 こう言い切ってはなんだが、ほむはゲーム内でも友人と呼べるような人間が極わずかしか居ない。それが事の原因だろう。その少数の人間に対してだけは、こうした微妙とも言える気の使い方をする。

 この手のほむの行動に対して、ヒヨさんは辛辣に「浮かれた元ボッチはこれだから。ちっとは加減を考えなさいよ。ほんと阿呆ね」と言っていた。確かにほむ自身のためにも、加減は覚えた方が良いのだろう。元々ほむは、人によって露骨に対応の差を出すのだ。


 一見したのち興味から外れたらしい人間への素行が、ほむはとにもかくにも酷い。

 大抵の人間は、まず初対面のほむの態度――慇懃の無さに引く。次に、ひたすらぞんざいな言葉使いに呆れて退いて行く。

 そもそも同じギルドのカインや里香ちゃんへの対応すら、良くて1単語、普段は目すら合わせない。

 「少年マンガの王道主人公」的な、愛嬌のあるアバターを使用しても引かれているのだ。これがリアルの顔でやられると、相手は本気でこころ折られるらしい。そして普通の人間なら、もう2度と話しかけまいと決心する。――メグさんとの合同オフ会の時に目撃して、俺は驚愕した。色々全てがありえなかった。


 ほむに比べれば、ティーの社交能力は雲泥の差だ。

 ティーはテンションの高さと、検証へ注ぎ込む飽くなき情熱が重い時もあるが、それでも人に対する態度は基本的にまともだ。むしろ社交的だとも言えた。

 ただティーは、俺には理解し難いツボがそこココに埋まっているので、時折対応が難儀になる。ほむはそうしたツボがティーと合致するので、こうやって他愛のない――俺から見れば――喧嘩はするが、良いコンビなのだとよく理解できた。


 いずれにしても、喧嘩がこじれるとお互い妙に後を引きたがるので、このまますんなりと和解して欲しいのだが……。


 久しぶりに沈黙が気まずく感じる。何か別の話題で気を紛らわせたいものだが――そうだ。


「そう言えば、また新しい料理屋ができたらしいな。あっ、えー……と、日本の家庭料理を出すような店らしいが。ほむ、お前知ってるか?」


 アホか俺は。料理の話題をぶり返してどうする。

 幸いなことに、背けていたほむの顔がこちらを向いた。――相変わらず視線は明後日の方向にあったが。


「……掲示板に宣伝してあったヤツなら、この間3人で喰いに行った」

「多分それだな。場所が確か――」


 俺がフランスの田舎町をモチーフにしたらしい都市の名前を告げると、「そこで合ってる。ウメ桃さくらモッチ亭」と店名も併せて言葉が返ってきた。


「どうだった? 何か好みの料理とかあったか?」

「味はフツーにうまい。野菜が裏の畑から採りたてだって宣伝してた。けどサラダはマジで草だった。パンが旨い。肉じゃがとシチューも喰ったけど、ティーが鶏肉残してた」

「え、ティー鶏肉残したのか?!」

「肉っつーか、鶏皮。触感を嫌がって剥いてた」


 なんだ、残したのは皮か。それなら安心できるな。

 時に、その剥いだ鶏皮は多分ほむが食べたのだろうか。――食べたな。間違いなく食べただろう。まぁそれは良いとして――。いや、本当は良くはないのだが、取り敢えずは置いといて、


「それでティーやヒヨさんの感想はどうだったんだ?」

「2人共あの手の料理喰い慣れてないから、元々対象外。――一応喰ってたけど。それにさ、前にゼロスの料理が好みの味って言ってたじゃんか」

「食べ慣れてないって、家庭料理だろ?」


 家庭料理と言っても、土地によって味付けはそれぞれ好みが異なる。ティーもヒヨさんも確か関東出身の筈だから、それとは別地方の味付けだったのだろうか? だが俺だって実家の京都の味がかなり表に出ている料理を作っている。それならもっと南方の味だったのか?


「ティーを育ててた光美さん、料理もプロ級に上手いから。俺も何度か喰ったけど、どれも旨かった」

「ああ、そういえば確かに言ってたな……」



 ――ティーは両親から育児放棄をされている。


 当初俺は、それぞれが抱えているだろう現実での事情に、あまり踏み込みたくはなかった。

 ただでさえ異世界移転などと特殊な目に遭っている。この上さらにギルメンの個人的な事に首を突っ込んで、今まで上手く均衡を保っていた関係を崩したくはない。

 だからネグレイトされていると言われたティーの境遇も、当面は掘り起こさずに静観するつもりだった。

 どの道そう言った話は、関わらざるを得ない時が否応なくあるのだ。いずれ来るその時を覚悟しながら待てば良いと、そう俺は考えたのだ。


 しかし"その時"は存外直ぐにやって来た。なんと移転した次の日だ。


 ヒヨさんと2人朝食を作り終わったのち、俺は何の食材があるのかと倉庫を一通り確認していた。そして例によって腹を空かせたほむが、間食を貰おうと厨房に降りてきた時だった。

 朝食に出した野菜をティーはそっくり残してしまった。ティーの野菜嫌いを何とかできないものかと、オフでも仲の良いほむに、俺の方から話を振ったことが口火を切らせるきっかけだ。



「単に喰わず嫌いなだけだから。気分が乗ってれば普通に喰うよ? 今は外出禁止されてイラついてるから喰わないだけで」

「なるほどな。じゃあどうやっても食べないような物は無いんだな」

「口に入れればね。本当に嫌いな物は、光美さんなんかヒナに餌やるみたいに、いちいち食べさせてあげてた」

「光美さん? って誰だ?」


 唐突に出てきた名前に首を捻ると、何でもないような顔でほむが暴露した。


「ティーの育ての親。家政婦の光美さん」

「……育て?」

「ティーの親、ティーに興味ないからさ。生まれたときからずっと光美さんが育ててた。超おっかねぇの。――ショウワヒトケタ? リョウサイケンボ? ヤ、ヤナ、ヤマトナデシコ……? って感じの人」

「それは凄い。そんな女性がまだいらっしゃったとは。しかし……随分と古い言い回しだな。俺は曾祖母から辛うじて聞いたことがあったが……ほむ、そんな昔の言葉よく知ってたな」


 と言ったら、どうやらアーカイブで閲覧した古い漫画に、そんな言葉が載っていたので覚えたとのことだ。なるほど。


 そしてティーの両親だが、ほむ曰く、自己愛と矜持がとても高い人間らしい。

 結婚後、世間に習って子供を産んだものの、自分たちの生活優先で、生まれた子供には全く興味を持たなかった。出産を結婚の通過儀礼と、家督の継続用だと考えるティーの両親を心配して、そのさらに親――つまりティーの祖父母が、育児放棄された子供を育てる人間を、家政婦として雇ったらしい。――それが件の"光美さん"だ。


 炊事家事は万全かつ子育てにも精到。料理に関してはプロの腕前。しつけは厳しいが、普段はとても優しい。音楽観賞とパッチワークが趣味の、かくしゃくとした刀自。

 25年前にお会いしていたら、迷わず結婚を申し込みました。貴女のヒモになりたかった。と、初対面のヒヨさんは真顔で言ったらしい。……一喝されてすげない返事を貰ったそうだが、それはそうだろう……。


 ティーがきちんとしつけられているのは、普段の生活態度からもよく分かる。早寝早起きで、ほむにつられない限り食事のマナーも良い。そして基本的には素直だ。自分に興味のない親に育てられるより、よほど愛情を注いで育てて貰っていたのだろう。光美刀自、尊敬に値する人物だ。

 ヒヨさんに対する素直な甘え方からもそれが垣間見えた。――だが、どうしても埋められないものは存在する。

 ……もっともこんな台詞、両親が側にいて、育てて貰っていた俺が言える言葉ではないが。


「こういう言い方もなんだが……年齢の割にティーが甘えたがりなのは、それが原因か」

「別に。あれがフツーだと思ってるだけだよ。比較対象が無かっただけ。ゲームばっかして同年代と遊ばないしさ、ティーは」

「そう言えば、そんなしっかりした家政婦さんがいらっしゃるのに、よくゲーム廃人なんて出来るな。叱られないのか?」

「もう居ないから」


 一瞬言葉につまる。顔色が変わった俺に気付いたほむが、「あ、家政婦辞めただけ。生きてるよ」と教えてくれて、心の底から安堵した。


「そうか、辞められたのか。……しかし、それは残念だな」

「3年ぐらい前。つっても、今でもよく会いに行ってるけどねー。――ゲームのメンテ日に」

「……それもどうかと」


 本当にそれはどうかと思う。人として。また将来的な意味でも良いものじゃない。


「親金持ちだから、生活費の心配ないしイイじゃん。それにゲームしてなかったら、ティーと会うこともなかったワケだしさー」

「まぁ確かにそれもそうなんだが。……それでもやはりな」

「攻略とか検証とか効率追求とかに適正あって、ティーの性に合ってんだからさ、別にそれでいいじゃん」

「あー……」


 なんとも。

 しかし俺の責任の負えないことなので、これ以上どうこう言うのは止めた。

 まぁほむの言うとおり、ティーは攻略とか検証とか効率プレイへの探求に関して、適正があり過ぎるほど有るので、それを何かに転用して将来に生かせたら良いのかもしれない。


「ティー、料理とか、家事とか、一応最低限の事は出来るし。特に料理すんの好きだよティーは。あと喰うのも」

「メンテ日のたびに、ヒヨさんが料理を教えてるらしいしな」


 俺が料理人だと知ったティーは、メンテ日が明ける毎に、昨日は何を作ったとか、これが上手く出来たとか、嬉しそうに教えてくれていた。

 ティーは単純に料理をする事が楽しいのではなく、ほむやヒヨさんと一緒に調理して、そして作った物を一緒に食べてくれることが嬉しいのだろう。自分に好意を持って構ってくれる人間が傍に居ることが、ティーには何よりも重要なのだろうから。

 しかし、てっきりヒヨさんだけが料理を教えていたのかと思ったが、ほむ曰く「もともとは光美さんが教えてたから。その延長」だったのだそうだ。


 いずれにしてもほむの語る家政婦の光美刀自は、料理に関してプロの腕前だった。そして俺の料理が口に合うと言うなら――つまりティーが今までずっと食べてきたのは、料理屋の料理に近い味なのだろうと推測できた。




「……そうだ。そうだったな。そう前に教えてもらってた。確か、プロ級の腕前をお持ちの方なんだよな」

「そ。だからあの手の家庭料理は舌に合わない」


 なるほど。と納得しかけてはたと思う。


「そう言えば。ヒヨさんも家庭料理が駄目なのか?」

「ひと口だけ喰って、あとは俺に全部寄越した」

「そうか……そうなのか」


 ヒヨさんの好みからも外れたのか。それでは味に関しては参考にならないかな。ほむも元々味よりも量を優先するタイプだ。まぁ自分で行って食べれば分る話だから、休日までの楽しみにとっておく事にしよう。


「そうだ、ティーと言えば――」


 こちらもすっかり忘れていたが、新規クエスト攻略の話があった。

 足の動きを止めてすっかり和んだらしいほむの雰囲気に後押しされて、俺はつい今日ぱっくふぁいあーさんから聞いた話を披露してみた。


「――と言う新規クエらしいんだが……」


 説明した俺に、ほむが物凄く嫌そうな顔を見せる。

 足を組んでソファに寄りかかり、俺を睨め付けた。ほむの機嫌が一気に下降するのが分かった。


「ゼロスさぁ……」


 ほむは眉を寄せて顔を逸らすと、そのままわざとらしい大きな溜息を俺へと吐き捨てる。


「あのさぁ、新規クエの、街中で、邸内なんでしょ。――したらさぁ、クエボスも人型の可能性が高いじゃんさ」

「あっ……!」


 ティーは人型のモンスターと戦う事は禁止されている。――正確には、モンスターではなく"人間と見紛うような敵"だが。


「新規クエなんて言ったら、ティーが目の色変えて暴走するじゃんか。したらボスが人型とか関係なくなんじゃん。禁止されてんのにさぁー。攻略無理やり辞めさせたら、すげーティー拗ねるじゃん。だからさぁ、そう言う話すんのやめてくんない」

「すまん。そうだな、そうだったな……」


 課金別荘の外に出て、戦闘をしても良い。

 そう許可したヒヨさんはいくつかの約束事をティーにさせた。そのうちの一つが、人間、もしくは人に即したものと戦わない、と言うものだ。


 VRMMORPGゲーム"Annals of Netzach Baroque"には、エルフやシルフなどのファンタジー特有の人型種族がいくつか存在する。

 しかし現実味があり過ぎるVRゲームにおいては、"民族による差別の増長防止"を理由に法的措置が掛かり、ゲームの仕様上それら種族をプレイヤーが選択することは出来ない。人間以外の種族をアバターとして選べるのは、プレイヤーキャラで人間が選択できないゲームだけだ。

 似たような論理で、プレイヤーが陣営を立てて対立する戦争イベントも、"Annals of Netzach Baroque"では禁止されている。人間が一切登場しない戦争専門のゲームでやるしかない。


 そしてリアルさ故に"殺人への忌避感"を失わないよう、倒すべき敵の中に人間や、人間の姿に近いものは、"Annals of Netzach Baroque"おいては数が居ない。元々FPSファンのライトユーザーをターゲットに作られたRPGゲームだ。一般受けする王道路線を大きく外す様な真似はしなかった。

 だからファンタジー特有の人型種でも、極端に特徴的なデフォルメが為されて人間とは似つかなかったり、一見人間に見える敵だとしても、実は幽霊だったり、ドッペルゲンガーだったり、ゾンビだったり、異形めいた不老の魔術師だったりする。――そして戦闘中に攻撃が当たっても、それらの敵がひるんだり、痛がったり、血などの怪我ディティールが表現されたりはしない。


 異世界移転した最初の戦闘が、いきなりその数少ない人間だった俺たちは、ただひたすらに運が悪かったのだ。


 元々クエスト数もそうないし、何より最初の戦闘がそれなりにトラウマになったらしいティーは、ヒヨさんを付けた条件はすんなり飲み込んだ。今でも約束を守って、人間とは戦闘をしていない。


 だが、それが新規クエストだと言うなら話は別だろう。


 ティーは廃人で効率厨、あるいは検証マニアと呼ばれるぐらいゲームをやり込んでいる人間だ。未だクエストクリアが成されていない新規クエストに対して、静観できる訳がない。

 クエストボスは人間かもまだ判らないが、何ものか判明するまではティーには教えるべきではないだろう。聞けば気の毒だ。



「――俺が軽率だった。すまん、ほむ。悪かった」


 ティーの暴走を止めるのは主にほむの役目だ。だからこそ、傍に居るだけの俺が迂闊な行動で暴走を引き起こす様な真似はできない。

 忌々しそうに睨んでいたほむが、頭を下げた俺に不快そうに鼻を鳴らした。


「ゼロス。掲示板はオーナー権限でNGワード指定入れた。関連用語はしばらく書き込んだ本人以外の不可視か、文字化けか、書き込みエラーが起こるように設定した。――システムのバグに見えるからな。ゼロスもこの話はもう一切忘れろ」

「――分った。2度と口に出さないよ。もう俺は忘れた」


 ほむが不機嫌そうに眉間にシワを寄せ、ソファの背に肘をかけると足を開いてだらしなく寄りかかる。完全にお冠だ。

 失敗した。話題に明かせて、考え無しに口にしてしまった。……今日はもうさっさと寝よう。自分で墓穴を掘るだけならまだしも、人に掘った砂をかけてしまいそうになっている。最悪だ。


「ほむ。俺はそろそろ寝――」

「はいよー。ゼロス、お疲れさん」


 ヒヨさんだ。

 計ったようなタイミングで広間の扉を押し開けてヒ、ヨさんが登場した。ワインボトルを片手で掲げるように俺に見せてくる。


「今日は仕事忙しかったんだろ? そんなお疲れのゼロスに、今宵は俺のイチオシ開けてあげちゃうわ」


 きゃっ! 超お楽しみよ。と声を上げて、可愛い子ぶったポーズを披露する。そのヒヨさんの後ろから、ティーが大欠伸を披露しながらついてきた。

 いきなりまたほむの足が小刻みに揺れだす。落ち着かないような様子で、軽く握られた手の指同士を擦る様に動かしていた。


「ヒヨさん。店に来てくれるのは嬉しいですが――あーと、デギュスタシオン(味見)用コースばかり食べて……。ほんと好きですね」

「だって色々な料理食べられるじゃない。俺、同じ味は量はいらないのよね~。飽きるし」


 ヒヨさんは俺に笑いかけてからテーブルの惨状を一瞥し、ソファに座る。そして、おもむろにほむの頭をはたき飛ばした。


「ビートを刻むな。この阿呆が」


 ほむの足が即座に動きを止める。叩き落とされた頭はそっと傾き、横目でティーを伺っていた。ほむの視線の先で、欠伸で目尻が溶けたティーが眠気に頭を揺らしながらソファに座った。ヒヨさんの隣だ。それから半目でじっと、空いた漬け物瓶を見つめている。


「ティー。あのな、ティー……」


 恐る恐ると声をかけるほむを無視して、ティーはおもむろにソファに腰を据えたヒヨさんの太ももへと身を屈めた。ヒヨさんの向こう側――ヒヨさんとほむの間に放置されていた毛布をかき集めて、胸元に引き込む。さらにインベントリから取り出したクッションを抱くと、別のクッションをソファに置いて、それを枕代わりに毛布に丸まった。

 いつものポジションとはヒヨさんを挟んで反対だ。ほむから距離を確実に置いている。


「ティー?! ティーぃっ!」


 ヒヨさんの身体越しからティーの様子を伺って、ほむが首を上下左右に動かしては覗き込もうとしている。焦りを滲ませた声で呼びかけているが、丸まった毛布からは何の反応もない。

 それはまぁそうだろう。ヒヨさんがあからさまに仕掛けた餌に、まんまと喰い付いてしまったのだから。せめて瓶に入っていたピクルスを我慢できていたら別だったのだろうが、結果はテーブルの上どおり。――だからこそティーの態度もこの有様だ。


 クッションの上で散らばったティーの髪を優しく撫で整えて、ヒヨさんが含み笑った。


「ティー。庭にカカシでも立てるか、――女の。そしたらそっちに夢中になって、食に目が行かなくなるかも知れないぞ?」

「ぅー……」


 ヒヨさんの揶揄にティーが唸る。てっきり怒ったのかと思ったら、小さく「カカシ……」と呟いてきた。どうもティーは本気で検討しているらしい。気付いたほむが衝撃で硬直している。


「……ぃっ、ティーぃっ! ペット食べないよ俺。食べるのは食料だけだッ! ペットなんてマジ食べないから! ティー、俺食べないからさっ!!」 


 ティーは必死に主張するほむを煩いとばかりに頭ごと毛布に潜り込んで避けてしまった。――その瞬間、ほむがソファに崩れ落ちた。突っ伏したまま微動だしない。ティーにあからさまに無視されたのが、相当ショックだったのだろう。


「ほむお前ねぇ、舌先三寸だけで約束しようとしないんじゃ、そりゃティーも信じないでしょうが。俺はいま心っ底、呆れ果てました」

「や、やく、約束……約束……やくそく、す――」


 ヒヨさんが倒れたまま呻くほむを、冷ややかな目で見下ろしている。


「履行出来なければカスにもならん。ま、お前はそれを良く理解しているよな。――だろう、穂澄ほずみ?」

「……ペットなら喰いませんよ。ペットなら……」

「ほーぉー?」


 ほむが緩慢な動きながらも顔を上げて、冷然と自分を睥睨するヒヨさんを見返そうとした。が、すぐに目を逸らしてしまった。……それじゃぁ駄目だろう、ほむ……。


「あー……と、ヒヨさん。ほむが約束したら、鶏飼うんですか?」

「さてな。碓斗たいとが自分の責任において決めることだな、それは」

「あ、まぁ、それはそうなんですが……」


 居た堪れなくなってつい口を挟んだら、口調だけは愉しげに返されてしまった。


「ええと、あれだ、ティーも飼うのは30羽までって約束したんだろ? 懐かせたいなら卵取るは駄目だし、増えたら自分で絞めるってちゃんと覚悟したんだよな」


 偉いな。と、俺はさらにうっかりティーを完全なお子様扱いしてしまった。


「絞めないおッ!! 餌やれば鶏さん懐くんだもん! たまご取りぐらい簡単だったもんねっ!」


 流石にティーが怒った。――もう駄目だ。やはりさっさと寝るべきだった。これで何度目だ、俺は。本当にアホか、俺は……。

 と、思ったが、ふとティーの言葉に引っかかった。


「――ん? ティー、成鶏を絞めないのか? 餌をあげても卵を取ってると、いくら鶏頭のペットでも、懐かせるのは難易度高いと思うぞ? 放し飼いの鶏は攻撃してきて、卵を盗るのは大変なんだよ」

「あんなの簡単だったお! お店でやったことあるもんね! 店員さん懐かれてたもんっ!」

「店?」

「ちゃんと懐かせるんだおッ!!」


 毛布の塊がソファの上で抗議にごろごろ動いている。よく分らなくてヒヨさんに視線を送ると、「以前食事に連れて行ったレストランでな」と答えられた。


 どうやら現実世界に居た頃の話で、ゲームのメンテ日に連れて行って貰ったレストランが原因のようだ。畑を持つ郊外のレストランで庭に放し飼いにしていた鶏から、特別に卵を取らせてもらったらしい。


 レストランと併設されている畑の中に、大きな鶏小屋を設置し、雄雌の鶏が数匹が飼われていた。鶏たちは日中は畑で、夜は人が暮らせるような広い鶏小屋で放し飼いにされる。そして朝になると、藁が敷かれた鶏小屋の中で、雌鶏は卵を産み落とす。

 その卵を自分で選んで、レストランでオムレツにして食べられるという事だった。そしてまた、それとは別に育てられている鶏も指定して、生肉を使った料理で食べたようだ。

 ティーが鶏を絞めて食べること自体に抵抗がないのも、その時の経験があるからだろう。


 とにかく俺は、ティーが鶏を絞めるのかと考えていた。他の鶏からはぐれたところで絞めて、倉庫かインベントリに入れば一瞬で済む。見えるところで浚わなければ、鶏も気付かずに懐くだろうと、そう思っていたのだが……。


「卵はなぁ、どうだかな……。こちらの鶏は難しいと思うぞ? 野生が強くてとにかく元気だ。それが卵抱いてたら、さらに凶暴になるしなぁ……」


 俺も店で使う為の牛乳と同様に、卵と鶏肉も養鶏農家に直接取買いに行っている。養鶏農家の人は慣れたものだが、鶏によく攻撃をされるので俺たちには色々と試練だ。


「……抱く? ……たまご、抱いてなかったよ?」


 疑問に、ティーの頭がもぞりと毛布から飛び出た。寝転がったまま俺に向けて顔を顰める。


「たまご、小屋の藁に落ちてた……。たまご……偽物だった……?」


 顎を上げるようにヒヨさんを仰ぎ見ている。不安そうな表情のティーに、ヒヨさんは首を小さく傾げた。


「いいや。ティー、あれは本物の卵だ。鶏を飼っていながら、他から持ってきた卵を置くような真似はしないさ。それに産んだばかりでまだ温かかった物を選んだろ?」

「でも、たまご抱いてなかったよ……。そうだヒヨコ……。温めないとヒヨコにならないんだぉ……!」


 卵からヒヨコが孵ると知ってはいても、鶏がいつから卵を抱くのかまでは意識がなかったようだ。産み落とされた食料――卵と、孵ったばかりの可愛いヒヨコが、ティーの中でどうも上手くイコールで繋がっていなかったらしい。

 困惑した顔のティーが、いささか遅刻気味の疑問に体を起こすと、「そうだな」と、ヒヨさんが酷く静かな声で同意して、そして微笑んだ。


「だから飼うかどうかは、自分で良く考えて決めろ。生きものを育てるなら、最初から最後まで責任を持つこと。――そう俺と約束しただろう?」

「……ん」


 卵を回収した経験があったから、飼うのを決めたのか。ヒヨコを選びに行ったのなら、そこで飼育の仕方も聞いたはずだ。だか、この異世界と現実はやはり大きな違いがある。


 現実世界でティーが卵を取った鶏は、多分、孵卵器で人工孵化された就巣性のない鶏だったのだろう。人工孵化されるような鶏は、普通なら卵を抱かない。逆に、この異世界では人工孵化用器などは無いようで、俺の見た限り雌鳥がごく普通に卵を抱いていた。

 鶏からの攻撃が当たり前の養鶏農家では、飼育の仕方は教えられても、懐かせる方法など意識してない筈だ。それでティーも卵の状態で間引けばいいだけと考えたのだろう。


「あのな、ティー。現実世界の鶏は卵を抱かないんだよ」

「たまご抱かないの? なんで?」

「卵を抱くのは最初から親鳥に抱かれて生まれ育った鶏だけだ。人工孵化された鶏は卵を抱く本能が無い。だから卵を産み落としても、親鳥はそのまま放置して温めないんだ」

「……放置して。育てない……」

「そうだ。でも、この異世界のにわ――……」


 ティーの顔が歪んでいた。

 ここに来て。ここまで来て、ようやく俺は気付いた。――俺は本当にアホだ!


「ヒヨさん……っ」

「なんだ、ゼロス?」


 当然気付いてのだろうヒヨさんに、俺は聞きかけて、そしてそのまま口を閉じた。太股の上で握り締めていた拳を脚に強く押しつけて、落ち着こうと呼吸を何度も深く吸い込む。自分の失態とやるせなさにどうしようもなくなって、結局俺は口を噤んだ。

 ヒヨさんが俯いまま押し黙ったティーの頭を撫でる。そしてそっとティーを自分の体へと引き寄せた。顔を胸に埋めてしがみついたティーの手が、ヒヨさんの服に皺を作っていた。その必死さに胸が痛む。


「ティー。お前は責任持って、自分で育てると言っただろう? 人間は本能からだけでなく、知識を元に頭で考えて行動できる生き物だ。自主的に他人から教えを乞うこともする。生理的な衝動だけで振る舞わずに、理性でそれを律することが出来る。お前は、絶対最後まで投げずに面倒を見るからって、そう俺に約束できただろ。――違うか?」

「……うん」

「もう鶏飼うのは嫌になったか」

「……トリさん王国、作んの……」


 そうか。と言って、ヒヨさんが何度もティーをあやすように撫でた。繰り返しゆっくりと背中を撫で下ろし、そして励ますように軽く叩く。

 

「30羽も鶏飼うのは大変だぞ? スズメだって居るしな。だから少しはほむにも手伝って貰え。面倒な作業も喜んでやるぞ~ほむは。なにせ食料欲しさに目が眩んでいるからな。――もちろん、手伝わせるのは、ほむがお前と約束できるなら、の話だ」


 黙ってやり取りを見ていたほむを、ヒヨさんは愉しそうに笑った。

 ティーは「……ん」と微かに頷いて、ヒヨさんの体にぐりぐりと顔を押しつける。しばらくそうした後にようやく頭を少しだけ上げて、癖が付いてはねた前髪の隙間からそっとほむを覗き見た。


「ティー。俺……、ティーのペットだけは食ないよ。卵だって……食べな……ティーがいらないヤツだけしか喰わないから。約束する。絶対に約束守るからさ、俺が絞め――世話! 世話するよ。鶏の世話を手伝いたい」


 目を合わせてきたティーに、ほむが必死に言い募っている。

 言葉に微妙に怪しいニュアンスがあるのが、少しだけ気になる……。だが、どうやらほむは約束を交わす気のようだ。ヒヨさんが「カスにもならん」と言っていたが、これで万が一約束を破ったら、友情など砂塵に消えて無くなるだろう。それでもほむは食欲自制の覚悟を決めたのか。


「……ほむ、手伝いするん? 嘘付いて……トリさん……食べたりしないお……?」

「約束する。ティーが"いい"って言うまで、食べたりしない」

「ほむ、本当に約束できるん……?」


 ほむに向かってティーが手を伸ばす。ほむはすかさず取って握手をした。


「約束する」

「……ん」


 約束。と、しっかり握られた手が上下に揺れる。

 ヒヨさんが「良かったな、ティー」とそう言って頭を撫でる。「ん」と頷いたティーがまたもぞもぞと毛布に丸まった。


「……明日はもぅ一回、鶏小屋作るんだお」

「そうだな、準備はしておいた方がいい。――ティー、ほらもうこんな時間だ。スズメが来るんだから寝坊は出来ないぞ?」


 今日はもう部屋に帰ってベッドで寝ろ。と、ヒヨさんがティーを促した。


「……ん。分かったぉ」


 ほむ、行こう。そう声をかけてティーがソファから起き上がる。

 ほむが頷き、いそいそと喜色をかもし出して立ち上がった。そして眠気で足取りが危うくなっているティーを、背中に手を添えて軽く押すように外へと誘導していく。ティーは大人しくクッションを抱えて、ほむに誘われるままに広間を出ていった。


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