異世界礼賛 中 の 8
「多分新規クエストな紫の館?」
そうなんすよー。と下乳男性客――ぱっくふぁいあーさんが俺を上目遣いで伺いながら、小さく頭を下げて頷く。
鶏のヴェッシー包みのにわかブームからしばらく、客席が2回転から3回転した。俺も客の回転に併せててんてこ舞いしていたが、そのうちボナパルトンの手が開いてようやく合間に夕食を済ませることが出来た。
それなのに何故、とっくに食事を済ませた筈の彼らがまだ客席に居るかというと、食後一旦カフェに移ったぱっくふぁいあーさんら4人組は、カフェで長々と話し込んだ為、また腹が減ったらしかった。それで再びビストロに入り直して来たとのことだ。
「街に突然あらわれる豪華絢爛な無人の館、眩しく照らされた紫の部屋に幽閉され、そして記憶を喪失した……。微ホラー? SFアブダクション? とにかくもう完全にクエストっぽい。如何にもなシチュエーションでしょ? でしょ?」
「確かに新規クエストのようですが……。ホラーですか」
ラジェ鶏を捌きながら俺が問いかけると、「今一つよく分からないんすよねぇ」と首を捻って困惑した視線を送って来た。
本来はコース料理に追加もしくは差し替える"ラジェ鶏のヴェッシー包み"だが、流石に一度コースを食べて貰っているので単品で供した。うちの店は、レストランもビストロもアラカルトではなくコースのみなので、これは特別な措置になる。
それでも他の客の目もあるので、最初に説明して追加用の大皿メニューを何皿か取って貰った。さらにそこにアルコールを供することでコースに仕立てている。――こちらの世界は15歳で成人を迎えるらしいが、アバターと中の人の年齢が合致しないプレイヤーは、本人が成人だと主張すれば一応酒を出す。
例によって配膳室では4皿分に盛り分けるのに四苦八苦しているボナパルトンが居るが、それは調理人の都合だ。客には関係ないのでここでは黙殺した。
ブイヨンの中に切り分けた鶏肉を並べ、皿を客に供する。琥珀色のスープにほんのりとした桜色の身がとろけていきそうになっている。立ち上る湯気は旨味を満載した風味が混じり、吸い込んだ胸一杯にその香りが感じられた。
「おお! これこれ! やっぱ超旨そう!!」
「ちょーしイイんでやんの。さっきあんなに疑っといて! 俺が散々言ったのに!」
「悪かったって。旨いって分かったんだから、もーいーじゃんよ」
「うっせ! 食い物の恨みは深いんだっつーのっ!」
卓上で口合戦をひとしきりやりって、さっそくお代わりを要求すると、ぱっくふぁいあーさんが「それで」と話を戻した。
「突然現れるらしいんすよ。時間とか、天候とか、そう言った条件は特にないっぽくて、でも」
「その館を認識出来る人間と、出来ない人間が居る……と、そう言ったお話ですか?」
「ええ、そんな感じっすね。そんで――」
ぱっくふぁいあーさんの説明によると、その豪華な館はいくつかの街の、それぞれ決まった場所に突然出現するらしい。
現在確認されているので、2カ所。それぞれ違ったフィールドにある都内だ。出現する2つの館が同じ物なのか、あるいは違う建物なのかと言う所まではまだ判明していない。出現がランダム過ぎて、確認が困難を極めているらしいのだ。
館はそれまで何の変哲も無い、ごく普通の街並みに見えていた場所に突然現れる。あるいは認識出来ないだけで、元々あった建物がいきなり視覚可能化されるかのどちらかだ。今のところ検証によると、後者の理由だと考えられている。――「ここに存在している」と予測される空間に、けして立ち入ることが出来ないからだ。
現れた館は豪華絢爛な佇まいで、外から確認できる範囲では人の気配は一切無い。そして何より入れとばかりに、門はもとより正面玄関が開け放たれていたらしい。――如何にもクエストが発生しそうな場所だ。
ぱっくふぁいあーさんの友人が何人か――あるいは何組かが館に踏み込んだとのことだが、大半は玄関でループして追い出されてしまった。また室内に踏み込めてもそのまま別の場所に跳ばされ、閉じ込められて意識を失い、ようやく気が付いた時には一晩経っていた、なんてこともあったらしい。その場合はワープゲート使用料5回分――つまり5WGのゲームマネーが獲得できたようだ。
この1WGと言う単位は、ゲームマネーの最低基準単位の俗称だ。
さらにWGの他にはMPやDPという単位もある。MPはマジックポーション1本分の金額。そしてDPは、ドッペルゲンガーとの戦闘1回分の必要経費だ。
ドッペルゲンガーは中レベルで受注できるクエストボスのことなのだが、通常のスキル技ではダメージが入らない。倒すにはアイテムを大量に使用し、物理ダメージを加算させて倒すことしか出来ない。
そしそれを揶揄して、高額の物にはWGやMPではなくDPで単位を表す。「この糞武器で6DPだと…?! ねーわ!」と言った感じだ。
ちなみに俺の周りでは、このDPと言う単位を頻繁に聞くことが出来る。
俺が単にゲーム廃人に足を掛けていると言うこともあるが、ヒヨさん――つまりオフィーリアと共に居る理由が何よりも大きい。ドッペルゲンガーは、その優美な形のドロップアイテムがオフィーリアへの最初の、あるいは定番の貢ぎ物のオマケとして活用されているからだ。
つまり俺がよく耳にするのはこうだ。
「本日は20DP捧げて、15分ほどサシで会話できますた。俺がダンジョンへと出勤することで、オフィーリアさんの装備が整う。俺はそういうことに幸せを感じるんだ……」
とか、
「お前、たった10DP程のアイテムを貢いだぐらいで、オフィーリアさんを狩りに誘ったんだってなっ?! ――てめぇマジふざけんなよ! 今すぐ死ねッ!!」
とか、だ……。
アルファベットの"D"が"O"に見間違えなくもない事から、DPをさらに揶揄してOPなどと言う人間も居る。――が、それはさらに局地的な話になるので割愛する。
一応、うちの店でフルコースを頼むと、1人前がだいたい1WGぐらいになるだろうか。4人分なら1MPでお釣りが出せる。
さて、館の入り口でループして立ち入ることの出来なかったプレイヤーと、意識は失ったが5WG貰えたプレイヤーの他にも別の例があったらしい。ごく稀にだが――
「踏み込んだまま帰って来なかった奴も居る……とか、居ないとか」
両手をだらりと垂らし、幽霊ポーズのぱっくふぁいあーさんがオドロオドロしい声で解説を終えると、次々につっこみが入った。
「居ないじゃね。どうせケンヂがまたホラ吹いたんだろ。実は全員追ん出さてれました、ってな」
「いやでも、スゲー錯乱してた奴いなかったか? 記憶は無いけど、超怖い目にあった気がするって、ずっと震えてた奴居たろ」
「マジ都市伝説っぽ。俺は伝説の作られる瞬間に、今まさに立ち会っているのだ!」
「ぜってぇクエクリしても黙ってんだよ。超豪華な館なんだって言ってんだし、超美味しいクエなんじゃね? ボンホリさんトコ、入れた奴は金貰えたって言ってたじゃん」
「たった5WGだろ。そんなはした金」
「え?! 5WGじゃなくて、5MPだよ。ゲームマネーの5MPとか貴重だよ。――でもなんで入れない奴いるのかね?」
「スキル不足とか? レベル足んない系」
「えー街中のクエでかぁ? だって他にろくなクエねぇ街じゃん、あすこ。大体紫って何だよ」
「シラネー。これで本気バグだったら、マジお使いクエだけかよあの街。観光用都市とか、くそつまんねーわ。運営は死ね!」
感心して聞きにまわる俺に、ぱっくふぁいあーさんが期待の籠もった目を向ける。鶏の脂で艶めいた唇にフォークをくわえ、肩をすぼめて顔をのぞき込まれた。
「あのー……ぅ、俺、前にこの店経営しているメンバーに、ウィキザラスって廃神の検証マニアが居るって聞いたことあんすけど。実はもう攻略済みだったりします? 知ってますかね、このクエストの話?」
……ウィキザラス……。相変わらずもの凄い言われようだな、ティーは……。
「少なくとも私は存じ上げません。確かにギルドメンバーに何人か検証好きの人間がおりますが……」
ティーは俺が聞いたら答えてくれるだろうが、それを他人に又聞きさせるのは嫌がる。しかし自分に直接聞きに来たのなら、誰にでも喜んで教えるのだ。――が、ティーを呼び出して聞くような真似は出来ない。ほむもセットで現れて、大抵険悪な状況を作り出して場を硬直させるからだ。何であんなに人によって対応に差があるんだ、ほむは……。だからといって、直接聞きに行けと課金別荘に案内するのは、今度はヒヨさんが拒否する。
穏便な方法としては、偶然ティーと会って攻略情報を直接聞くことだけだが、生憎さっきまで1階のレストランで食事をしていたティー達はもう帰ってしまっていた。タイミングが悪い。
「そう言った攻略情報は、本人が直接聞かないと教えては貰えないので……。私が聞いてもお教えすることが出来ないのです」
「あー……。そう? 駄目すか。やっぱり?」
あーぁ。と、ぱっくふぁいあーさんが頬を膨らまして唇を尖らせた。
端正な――美少女と言って申し分ない顔に、情報を秘匿しがちな前線組や攻略組に対する嫉妬と嫌悪、そしてやるせなさが見え隠れしていた。
「……攻略組も隠すって事は、やっぱ相当ウマいんじゃね?」
隣に座っていたプレイヤーが顔を寄せてばっくふぁいあーさんに囁く。そして囁いたわりにはよく聞こえた声に、俺は「とんでもない」と手を振って否定した。
「そもそも私は攻略組ではないですよ。移転して以来戦闘は一度もしていませんし、とうに前線から脱落しました。そう言ったクエストは今初めて聞きましたので……やはり新規に出現したものではないでしょうか?」
俺の言葉に「ふん?」と首を傾げて、「それ本当っすかね。嘘付いてない?」と疑いを多分に含んだ目で見られた。
「嘘は付いていません。――私たちはこうして飲食店を経営していますので、ゲーム攻略的な要素からは距離を置いています」
戦闘をするのは、怖い。現実に戻りたい。戻れないなら普通の生活がしたい。仕事をして、時々遊んで息を抜く。ごくごく普通の、平和な日々を過ごして生きていきたい。
「平凡な日常を送りたい。そう考えている人間ばかりで経営しています」
「あー……」
ばつが悪そうに視線を彷徨わされて、慌てて取り繕う。
「あとはそうですね、料理好きの人間と、ワーカーホリックな人間がたまたま集まってしまっただけなのですよ、実は。それに美味しい料理を作って、自分でも食べたいですしね」
「――そぉっすね! ここの店、高いけど評判ですよ。確かに旨いもんなぁー」
「テラうますですよ」
転換してくれた話題に、俺も微笑み返した。
「ありがとうございます。何度も足を運んで頂けて嬉しいです。数多ある店の中から選んでうちの店に来て頂けた訳ですから、本当に光栄です」
「だって本当に美味いもんなぁ。――しかし商売とかやれてて凄いっすねー。異世界適応マジ羨ましいっす」
「恐れ入ります」
強ばった頬を隠したくて、俺は不自然でない程度に頭と視線を下げた。
顔に浮かべた笑みを崩さないように気を付けながら、なんとか空いた皿を片付る。代わりに皮目を焼き上げたラジェ鶏のコンフィの皿を出し、2重に重ねた皿を慎重に供していく。ぎこちなくしか動かない腕のせいで、皿が音を立てないように酷く神経を使った。
「ん~。もうちょいボンホリさんつついて調べてみっか」
「んー? 発現予定地、24時間見張ってみるとか?」
「うへっ。まんどくさっ」
コンフィを食べながら検討を再び始めた4人に、俺から矛先が逸れたことを確認する。気を取り直して「カフェにある掲示板を利用してみては如何でしょうか?」と勧めてみた。
カフェにはヒヨさんが強く希望していたアンケートを取る場所が併設されている。
アンケートに使用しているのはギルド設立用のオーブで、無料かつ無条件で加入脱退できるギルドとして作られている。もちろん「すぐに脱退出来るとしても、よくわからないギルドに加入したくない」と言う人の為に、紙に記入するアンケートも存在している。
お手軽な紙式アンケートに人が流れそうだが、今のところギルドを使用してくれる人が大多数だった。ギルド用の倉庫もアイテムトレード用のタブ、ギルドコール共に使用不可能だが、それをもって余りある加入特典が存在するからだ。
加入特典はギルドメンバーが使える伝言板――あるいは掲示板だ。
"ギルド用の広間"として設定されたカフェには、加入したプレイヤーだけが見ることの出来る掲示板があった。
掲示板はこの世界の様々な情報などを、自由に書き込んでおけるシステムになっている。――どう書き込みするか、そしてそれをどう利用するかは完全に自己責任だ。これだけはギルド加入の条件として特記してある。
また、掲示板はカフェを訪れないと見られない仕組みになっていた。カフェ以外の店内では閲覧が不可能だ。
そして、この掲示板が特典として詠えたのは、主にティーが書き込んだ攻略情報が存在するからだ。
人間ウィキなどと揶揄されるティーだが、そのあだ名の通り公式非公式ウィキにかかれた「正しい攻略情報」と、今まで自分が検証してきた精密なデーターを全て暗記している。俺からしても羨ましくも怖いくらいの記憶能力だ。
ティーは自分が記憶している攻略情報の内、自分のアドバンテージが落ちない程度、初心者から中級者用の攻略情報を掲示板に乗せている。また、これらティーザラスの「攻略情報」は、ティー本人しか編纂出来ない為に悪意のある第3者が改竄をすることは出来ず、常に正確性が保たれていた。
このティーの「とても正確な攻略情報」見たさに、アンケート効率は高いらしい。ある意味当然の結果だろう。
元々ゲームのウィキ自体が膨大なデーター量なので、このティーの攻略情報もまだ完全版には至っていない。時折気まぐれに情報が追加されるので、新しい書き込みはないかと毎日カフェに確認しに来る常連も居た。
そしてそれらに乗っかって、掲示板内にも有象無象の攻略情報が無数に書き込まれている。
「うーん、掲示板もなんか噂ないかと思って、さっき確認したところなんですよねー」
掲示板を見ておきながら、何故ティーの名前を間違える。わざとか? わざとなんだろうな……。
「かと言って、迂闊に書きこんで情報広めたくないしな~」
「マジでウマそうなクエでしょ? 横取り勘弁なんで。ほんと内緒にしててください」
「かしこまりました。これはここだけの話という事で、秘密にするとお約束します。掲示板は情報が追加されるのを待った方が良いかもしれませんね」
「だからウィキザラスが知ってたら、あっちで書き込む前に教えてくれるといいなーなんて……お願いしゃす!」
拝むような4人へ頭を下げる。
頼めば攻略情報が貰えると、そう認識されるのは店としても困る。アンケート担当には悪いが振らせてもらおう。
「申し訳ありません。掲示板に関してはアンケートスペースの担当にリクエストお願い致します。あちらのアンケートスペースは私たち店とは別の管轄なので。――お役に立てなくて申し訳ありません」
「むーぁー、やっぱ駄目か……」
頭を抱えて唸るぱっくふぁいあーさんに、他の3人が次々に言葉を浴びせかけてきた。
「ダメダメっぽ」
「やはし24時間見張るべき」
「いや、ねーわ。それないわー。むしろドロップ率の良いレア素材狩って売りさばくべき」
「金欠厨がうろついてんじゃん。もうムリぽ。いまさら美味しーのはそーねーよ」
「でもなー。そろそろ金策せんと安心できねー。異世界に浮かれて散財し過ぎた」
「明日から本気出す。だからもう一皿追加していいよね?」
「死ね。タヒじゃなく、死ね」
盛り上がる場から空いた皿を静かにワゴンヘと片づける。そして転換した話題に合わせホールを後にした。
「今度こそお疲れさまです」
先に配膳室に戻っていたライアンが、疲労を顔に浮かべてぐったりと椅子に座っている。いつもの冷めたようなポーカーフェイスがすっかり崩れ去っていた。相当疲れたのだろう、無理もない。
俺は片手を上げて挨拶を交わした。
「お疲れ。やっと終わったな」
頷いたライアンがディシャップテーブルに寄りかかって手を着こうとした――瞬間、「フリーズッ!」ボナパルトンの叱責が飛び、手が宙に跳ね上がる。
鈍い動作で、ライアンは自分の太股に手を乗せる。恐る恐るボナパルトンの顔を伺い、よろしい、とばかりに鷹揚に頷かれていた。
ライアンがさらに疲れた様に肩を落とした。吐き出された息がとことん重たい。
「……ゼロスさんは、思ったよりも元気ですね。――美少女と会話していたお陰で気力回復していませんか?」
「いや、本当に疲れたよ。そしてあれは中身が男だ。外見が良くても所詮はアバターだ」
ヒヨさんがいい例だ。いくら見目が良くても、嬉しくもなんともない。
ぱっくふぁいあーさんは、中の人は間違いなく普通の男性だったが、男そのままの口調とは裏腹な妙に媚のある仕草をしていた。4人グループの紅一点だったが……。女性アバターで過すことも含めて、意識してやっているのだろうか? まぁそんなこと、俺が心配してもどうしようもないか。
「それになぁ、俺の好みとしては、女性は自分より年が上の方が――いや、すまん。つい」
笑って返した俺にライアンは苦々しい笑みを力なく寄越し、「明日が辛いですね、これは……」と憂鬱そうに呟いた。
「シフトが乱れたからな。まぁでも料理屋では、基本的に夕方で終わるような作業は楽な方だから大丈夫だ。朝起きられたなら、案外平気で過ごせると思うが? 明後日は店も休みだし、もっと楽だよ。――とにかく、明日の鮮魚の仕入れも任せた」
「了解です……」
水商売舐めていましたよ、反省します。と、深くて長い溜息と共に告白された。――ビジネスマンも、あれはあれで傍目から見ても大変だと思うが……。原因は単に、適正と慣れが未だに欠けているだけだろう。
「じゃぁ。ヤマーダさん、ボナパルトン、俺たちは先に上がるから。なるべくメグさんも早く帰してくれ」
「分かりました。お二人ともありがとうございます。お疲れさまです」
「はーいお疲れさまです」
おやすみなさい。と手を振ったボナパルトンが、「あ!」と声を上げて俺に慌てたように手を伸ばした。
「そうだった! あのーゼロスさん。掲示板に新しい料理屋の情報乗ってましたよー。日本料理? 一般のご家庭系? かなー、多分?」
「ああ、またか……。料理好きな日本人が作っているのだろうな、きっと」
「それは! 何としても食べに行きたいな……!」
嘆息するライアンを横目に、俺は新しい料理店の情報に浮き立つ。
ぜひとも確認しに行きたい。家庭料理と言うからには完全に畑違いの店だが、この異世界ではプレイヤーに1番ウケる料理だろう。俺は実家が日本料理の料亭だったので、家庭の味も料理屋の味だったが、大抵の人間はそれぞれの「おふくろの味」的なものがある筈だ。なんだかんだ言って人が求めるのは、幼少期から慣れ親しんだ味だ。俺はそれを食べて、そして研究したい。
「家庭料理なのに、意外に興味ありますね?」
「小学生の頃に友人の家でご馳走になった肉じゃがは、俺の憧れの味なんだ。あれはとてもいいものだった……」
友人の母親は俺をとても可愛がってくれて、遊びに行く度にあれこれとご馳走してくれた。俺にとっては第2の、いや、実家の料理は兄か父の弟子が作っていたから、俺にとっては唯一の「おふくろの味」になる。
しみじみと語る俺にライアンが微妙な顔を見せて、理解し難いと頭を振られた。
「実家の母は味音痴なので、俺はゼロスさんの作る肉じゃがが、今までの人生で一番美味しいと思いましたよ。やはり本職は格が違います」
「褒めてもらえるのは嬉しいが、それはまた別の話だ。俺にとって家庭料理は得難く素晴らしいものなんだ……!」
そしてその友人の母親が俺の初恋だった。育った環境もあるが、年上好きになった1番の原因は友人の母親だろう。――見た目は肝っ玉母さんだったが。俺は子供なりの憧れを持って、なんて素敵な女性なのかと純粋な気持ちを捧げていたのだ。
「今……何かゼロスさんの微妙ぉーな話が耳に入り込んできました。――ゼロスさん、お疲れさまです。お疲れさまです! 明日また会いたいでーす。今夜はもうお疲れさまでーす!」
さぁさぁさぁさぁ、早く。と手を振るボナパルトンに促されて、ライアン共々カフェの片隅にあるスタッフの控え用スペースまで追い出された。
何だ、このやるせなさは。
「理不尽だ……」
「はい。では、さっさと調べて帰りましょう。明日に響きます」
ぼやく俺をかわして、ライアンが視線を空中に向けて腕を組む。――掲示板を確認しているのだろう。
カフェとビストロもポータルで繋げて、見た目だけは同じ場所に在る。だが厳密には全く別の課金別荘の部屋同士なので、掲示板にアクセスしたい場合は、例えスタッフでもカフェに行って参照する必要がある。例外はティー達だけだ。
仕方なく俺もライアンに習い、掲示板にアクセスしようとして――
「どうしてぇっ?!」
カフェで女性が大きく声を上げたのが聞こえた。
「どうしたのでしょうか?」
「なんだか揉めてるな」
俺は店の責任者だが、アンケートスペースに関しては責任者を別に立ててある。カフェが24時間経営であるのと、料理という分野から外れがちなことから、専任の責任者を置いた方がより都合が良いからだ。
その為、こうして騒ぎが起きても、スタッフに任せて見るだけに留める必要がある。それでも一応、何があったのかくらいは確認しておきたい。
衝立の向こう、カフェに設置されたアンケート用のスペースを鏡越しにのぞく。――この鏡も配膳室と同じで一方向視認式だ。
のぞいた先に、アンケート用のスタッフに絡んでいる女性プレイヤーが見えた。
「だってモッチッチーだけなんて酷いじゃない!」
スタッフに喰ってかかっているのは、15,6歳ぐらいの女性だ。ネコ目と表現されるだろう少しキツメの顔立ちで、例によってアバターらしく端正な容姿だ。髪型は猫耳モチーフなのだろうか? 角度のついたツインテールと、サーモンピンクの明るい髪色にも気の強さが表れている。
「外見も幼いが、中身も幼そうですね」
「の、ようだな」
やんわりと客を揶揄したライアンにうっかり同意した。……いかん。
「この店は、同じプレイヤーなのに差別するの!?」
「カフェはプレイヤーなら誰でも利用できますよ? 差別とかはしていないです」
「でもモッチッチーが入って来れないじゃない!」
「桃猫ちゃん、ちょっと落ち着いて……」
「だって酷いじゃないっ! 何でモッチッチーだけ入れないのよ!」
「でもモモちゃんほら、大きな声を出すと他のお客さんの迷惑になるからさ!」
仲間だろうか? 男女2人がスタッフを怒鳴るネコ目女性――桃猫と言うのが名前か?――を必死に宥めている。カッとなると周りが見えなくなるタイプなのか、あるいは単に若いからなのか。カフェ中の客の視線を――それも迷惑だという冷たい視線を一身に浴びても、桃猫という少女は全く気付く様子はなかった。
「これ以上は駄目だな――」
「いいえ、大丈夫です。コンさんが登場しました」
コールで呼び出されたのだろう。早足でネコ目女性に歩み寄ったコンさんが「失礼、お客様」と、スタッフとの間に割り込んで、目を合わせて微笑んだ。――完璧な営業スマイルだ。
コンさんはこのカフェの専任責任者だ。姉御肌の女性で、とにかく――。
「当店はお客様の差別は致しておりません。ですが他のお客様のご迷惑になりますので、指名手配された犯罪者だけはご利用をお断りさせて頂いております。――何か不都合がございましたでしょうか?」
その台詞は是非、彼女たちを他の場所に隔離してから言って欲しかった……。
「開口1番アレとは。相変わらずのキレ味ですね」
「いや、客を切るのは駄目だ!」
「まぁそうですね」
全く困った様子もなく冷淡な表情でライアンが同意する。そっけない返事に俺が非難の目を向けると、やはり気の無い視線を返された。
確かにこのカフェに――2階に行くための扉を通過出来ないのは、指名手配されて犯罪者認定を受けたプレイヤーだけだ。
ワープゲートの騎士団詰め所にある指名手配リストと自動で連動して、ブラックリストを作り、立ち入りが拒否される。これはゲーム時代からある仕様だ。もちろん、賠償金を支払うなどして指名手配が解除された時点で、即時ブラックリストから外されて来店が可能になる。
だから確実に、この店に入れなかった「モッチッチー」なる人物は、犯罪者認定を受けているのだろう。往来を堂々と歩いていたのだから、騎士団が討伐――即死する――する対象ではないのだろう。だが、いくら金で償える軽犯罪でも、犯罪者は犯罪者だ。システマチックにリスト化されている以上、容赦なく入店は拒否されるのだ。
入店拒否された理由がひとつしかなくても、注視していた他の客の前で言うのは不味い。店側が客を晒し者にしたのと同じ行為だ。見ていて気分の良くなる人間など居ない。だからせめて、別の場所に隔離してから確認を――。
「この方が、他の客は納得するのでは?」
「まさか、こんな晒し者にして……」
と思ったが、指摘を受けたネコ目の女性が
「違う! モッチッチーは今日の賠償受付に間に合わなかっただけ!」
と噛み付くように主張した瞬間、大半の客の視線が、「ああそうですか」と、先ほどのライアンと同様の冷めた色に変化し、そして顔を背けて騒ぎを黙殺した。
すぐにコンさんとスタッフが、主張を繰り返す女性客とその連れを誘導――包囲して、俺たちの居る控えスペースへと連れてくる。
さらに別のスタッフがカフェスペースの客へと頭を下げて謝った。
……完全にわざと晒したな、コンさん……。
「カフェの空気は他の3店より冷めていますからね。オーダー可能な物がドリンクと菓子やツマミの軽食だけで料金も安い。料理のテイクアウトは一応出来ますが、システム的にもゲーム時代の寄合場に近い」
「というか、カフェは最初からその寄合場をイメージしたからな」
「ええ。お陰で他の3店とメリハリが付いて良いのではないでしょうか。空間自体も区切りがあるから、場所を変えれば気分も変われる」
しかしだからと言って、あれでは他の客にも影響が出る。
「それに掲示板の"殺伐上等。なれ合いは節度を持った上、完全自己責任"と言った雰囲気そのままですから。客もあの程度の騒ぎは慣れたものでしょう」
「……カフェでしょっちゅうトラブルが起きているのは報告して貰っているから理解している。けどなぁ……。サービス業であり得ない対応だぞ、これは」
頭を抱えた俺に、しれっとした表情でライアンが口にした。
「賠償が必要な行為を犯した人間に、金を払えば問題ないと言って擁護する頭のおかしい人間ですよ。賠償してなかったことに出来るなら、万引きだって――おっと、こちらに来ますね」
抱えた顔を上げると、コンさんが俺を追い払うように手を振るのが見えた。
《ゼロスくん、そこ邪魔っ。これから使うから退いてちょうだい》
脳内にコールが差し込まれる。
あちら側から見えない筈なのに、何故俺が居ると分かるんだ。
「ゼロスさん、帰りましょう。俺たちには管轄外だ。原因が明らかにされた以上、報告を待つ方がいいでしょう」
「……わかったよ」
ライアンに促されて、コンさんたちが入ってくる前に扉をくぐり配膳室に戻った。スタッフ専用のポータルなので、ここまでくればもう問題はない。
「またカフェか……。コンさんめ……!」
鏡に向かってぶつぶつと呟き――多分コールが口に出ているのだろう――地の底を這うような声で唸るヤマーダさんの後ろをそっと通り過ぎる。
できれば経過を見守りたかったが、理由が判明した以上はライアンの言うとおり報告書を待つべきだろう。
助けてくれと縋る目を向けるボナパルトンを無視して、俺はさらに課金別荘への扉をくぐった。