異世界礼賛 中 の 4
「あ、メグさんとライアンさんも!」
不思議そうに目を瞬いたユウに「店を確認しに来た」と告げると、どこか安堵したように笑顔を向けられた。
その笑顔に些かでない不安を覚えて、配膳室に異常がないか周囲に目を走らせた。すぐにディシャップテーブル(盛り付け用テーブル)に、盛り付け直した皿が置いてあるのに気付いた。一皿分の料理を半分に切り分けて、2皿に仕立ててある。
恐らく、いや確実にこれをリクエストしたのはプレイヤーだろう。同席者の料理を味見してみたいと考えるプレイヤー――ほとんど日本人だが――は多い。だから、テーブルの上で皿を交換してシェアするのではなく、最初から皿を分けて供することも出来ると客に勧めていた。その場合、デギュスタシオン(味見)コース用に倉庫に入れた盛り付け前の素材を、注文に応じて配膳室で盛り付けて供している。――最初から切り分けて盛ると無駄が出るので、オーダー後に盛り付ける方が良いのだ。
ユウがディシャップテーブルに乗った二重皿を、その華奢な腕で2人前分軽々と持ち上げる。「それじゃ、私は行ってきまーす」と元気よく声を上げ、給仕制服のロングスカートを足でさばきながら右手側の扉に消えて行った。最初の頃はよく転んでいたのだが、今では堂に入っている。慣れとは凄いものだ。
俺は感心しながらも視線だけでユウを見送る。次にディシャップテーブルの向こうから、盛りつけ担当のボナパルトンが身を乗り出しているのに気付いた。
「あー、メグさん。良かったぁ……!」
「本当に。――ちょうど良かったです。メグさん、申し訳ありませんが1階のサービスに入って貰えますか? 手が足りなくて」
サービス部門の統括を任せているヤマーダさんに恐縮しながらお願いされた。メグさんが、あら? と心配そうな表情で小首を傾げている。
「いいわよ~。誰かまた具合悪くなっちゃったのかしら?」
「いえ、アッカムさんが顔に触ったので、客席から下げました」
かくしゃくとした雰囲気の老婦人アバターを使うヤマーダさんの後ろで、どこか不貞腐れた態度で佇むアッカムくんが居る。二十歳そこそこの垂れ目の優男、そんなアバターで気怠げに壁により掛かかり、不満に眉をしかめて口を開こうとするのが分かった。
「いや、ほんのちょ――」
「ああ、それは駄目だな。じゃあシフトをずらして、休憩時間に振り替えてくれ」
「はい。そのつもりです」
俺はみなまで言わせずに言葉を被せて、ヤマーダさんへ肯いてみせる。ショックを受けたらしいアッカムくんの半端に開けた口が持て余すように動いて、そして途方に暮れたように視線を床に落としたのが見えた。
「客席で担当していたお客様はいるのかしら?」
「いえ、いません。そのままお願いします」
「OK。それじゃ、行ってくるわね~」
メグさんが手を振ると左手の扉をくぐり、客席へと"跳ん"で行った。
扉の隣にある大きな窓のような鏡――客席からこちらは見えない――から、主に現地人が使用する1階の客席が見えている。配膳室の出入り口を隠す仕切の向こうから、ごくさり気ない空気を纏ったメグさんが現れる。そのまま客の視界の端で、背筋をのばした美しい姿勢で配置につく。
「あの……。俺、2階に行っちゃ駄目ですかね? 最近あんまシフトに入れてなくて、俺ちょっとヤバいんすけど……」
客席を確認する俺に、アッカムくんは機嫌を伺うようにおそるおそる聞いてきた。注意し難くて眉間に皺を寄せた俺の代わりに、
「現場でのシフトの調整はヤマーダさんが管轄だ。彼女が下げると判断したなら、彼女の指示に従って休んでいろ」
と、俺の隣で同じように客席を確認していたライアンが、厳しい声で叱責する。
「……1階に居たプレイヤーが、後で2階に上がってくる場合もあるので、もう暫くは待機してください」
「ちょっと頬掻いただけですよ……」
ライアンとヤマーダさんの2人に素気なく返されて、アッカムくんが小声で言い訳を吐き出す。
その言い様に俺は怒りを覚え、それでもぐっと飲み込んだ。ここで俺が叱るのは簡単だが、彼の上司はヤマーダさんなので、彼女にまず先に言ってもらわなければ意味がない。
俺の視線の先で、ヤマーダさんは後ろを振り返ってアッカムくんに向き合う。恐ろしいほど無表情だ。両手で自分の髪をこれみよがしに撫でてから手の平を見せる。訳が分からずに目を瞬かせたアッカムくんが、壁からようやく背中を剥がしてヤマーダさんの手を不思議そうにのぞき込んだ。
首を傾げたアッカムくんに、手の上にインベントリから取り出したバナナを乗せて、「美味しいですよ、このバナナ」とヤマーダさんが真顔で差し出す。
「ちょっと髪をべたべた触った手で扱ってしまいましたが、どうせ皮を剥いてから食べるので問題ないでしょう。さ、食べてみてください」
「え? はい?」
意味分からないらしく戸惑うアッカムくんに、ヤマーダさんがとうとうやるせないと言うようなため息を吐いた。
「客席で顔を触るとは、お客様に向かってこう言うのと同じ事です。例え触った後にここで手を洗浄しても、お客様から見えない以上、洗っていないのと変わりありません」
「へぇー……。なるほど……そんなもんかぁ……」
「なるほど?」
「えーと、納得しま……。あ! すみません。ごめんなさい! もうしません、次から気をつけます……!」
慌てて頭を何度も下げるアッカムくんに、俺もライアンも思わず呆れた視線を浴びせた。
……メグさんのギルドは全員社会人のはずなのだが、今時の社会人ってこんななのか? 上司も大変だな……。
「顔が痒かったら、一旦奥に引いてから掻いてください。そして手を洗うこと。――2度と、お客様の前で自分の体に触れないように」
「はい」
よし、と頷いたヤマーダさんに
「そこのお2人さーん。さわさわペコペコやって配膳室で埃立てないでくださいよー。皿に髪の毛とか入ったらリアルにぶっ殺しますからねー。――いいからさっさと手、洗って来てください。マジでっ、早くッ!」
ボナパルトンがこめかみに青筋を浮かべて、奥の洗い場を指さす。怒りでその指先が小刻みに震えているのが、少し離れた位置にいる俺から見ても分かる。慌てた2人が揃ってボナパルトンに頭を下げ、早歩きで洗い場に向かう。言おうと思った台詞をボナパルトンに取られて、俺はついうっかり苦い笑いを押し止損ねた。
「もーメインシェフ、笑ってないで一緒に怒りましょーよう」
「いや、頼もしいと思ってるんだよ、俺は」
「そうですー?」
思わず言い訳を口にした俺を責めて、ボナパルトンが疑いの眼差しを向けてきた。
苦虫を潰したような顔でボナパルトンが丹念にディシャップテーブルの上をトーション(布巾)で拭き直しだした。
トーションの角をきっちりと合わせ、面を裏返す。手元の左側、定位置にトーションをセットし直して、やっと安心できたとばかりにボナパルトンが嘆息した。その一連の几帳面な動作は、俺にとっては現場を任せられるだけの頼もしさを実感できる。
「もーねー、料理がどんなによく出来ていても、ギャルソンの態度ひとつで味が決定づけられるつーのに、っもう……!」
如何にもマッスルシェフ然としたアバターでボナパルトンが不満を漏らし、筋肉が盛られた肩をやるせなく落とした。――いや全く同意見だ。
俺たちが厨房でどれだけ神経をすり減らして皿に美食を盛り込もうとも、給仕する人間が顔や髪を触った手で皿を持ってしまえば、物理的な衛生も、精神的衛生も台無しなのだ。
よく料理は「素材が8割、腕2割」とか言うが、それは皿の中だけの話で、食べたのちに判断される「美味しさ」ではない。
美味しさは食事中の環境――内装はもちろん、給仕や他の客の態度まで、全部を含めた雰囲気で善し悪しが決まる。つまり「料理が3割、その他が7割」だ。
どんなに美味しい物を食べても、味以外に不快な要素があればそれだけで「味わえるわけがない。他の部分が不愉快だから、料理とかどうでもいいし」になる。
ましてやそれで値段が高かった日には、「最低だった」を通り越して「あの店にはもう2度と行かないし、自分の知人達にも行かせたくない」と言った当然の不満から、あっという間に口コミがばらまかれる。住み着いた閑古鳥に言い訳は通用しない。ジ・エンド、だ。
そもそも料理が美味いなんて料理屋にとって当たり前のことだ。条件ですらない。客は腹を満たし血肉になる料理を食べに来るのだ。「清潔であること、安全であること、美味しいこと」は料理屋とイコールである。3つのこの大前提があって初めて、「皿の中の料理」に――店の雰囲気がどうだとか、値段がどうだとかの条件が加算され、あるいは減法され、ようやく「美味しい」として判断される。
俺たち料理人が清潔・安全・美味で作り上げた3割の「料理」に、居心地良く素敵な雰囲気と言う演出を7割盛り込んで「美味しさ」に変える。――それが給仕する人間の役目だった。
「レストランの4つの要素、カードル(内装などのハード部分)は課金別荘が、キャリテとプリ――料理の質と値段は俺たち料理人がコントロール出来ても、アンビエンス(雰囲気)はギャルソンと客の問題になるからな」
「ええ、そうですね。ギャルソンは店と同義語、店の看板ですから。――客担当には、とにかくしっかりやってもらわないと」
厳しい顔で口にしたライアンに、ボナパルトンがその通りだとしみじみ頷いている。
「大半の人間はちゃぁんと理解してるんです。ただ、たまーに弛むんで、ヤマーダさんがその都度シメてるんですよー」
「俺も一昨日の夜から店に来なかったし、もっとマメに見に来ないと駄目だな」
「それは確かに。まぁー調理中は無理でも、休みがてら見に来てくれると俺はやり易いです。ライアンとか当番の時、超横暴だし、監視しといてくれないとー。ねー」
「おい!」
思わずボナパルトンに声を上げたライアンが「俺は真面目にしていますから」と、慌てて俺に弁解してきた。
「もちろん。信じてるさ?」
「その割に今語尾が上がりましたね」
「そうか? そうだったかな……?」
からかうようにライアンに笑いかけて、「さて、俺は店の周りを確認してくるよ」とボナパルトンの後ろにある扉をくぐり抜けた。
一見普通に見えるこれらの扉は、その実、部屋と部屋の扉を繋ぐ"ポータル"になっている。
ポータルとは、プレイヤー自身が任意の行き先を設定したワープゲートのようなものになる。都市の施設内に存在し、行き先が固定された上に使用する度に料金が発生するワープゲートに対して、ホームに設置されたポータルは、登録されたポータル同士を自由に行き来できる。
同じホーム内でも、違うホームの部屋とでも、権限をもつオーナーがポータル設定し、承認すれば部屋同士を繋げることが出来る。これらポータルは、フィールドからホームへと転移するジャンプなどと違い、いちいちコマンドする必要はない。また、コマンドした後実行されるまでの待機時間も無い。文字通り、"door to door"で移動できた。
俺たちがやっている店、レストランは、メグさん達ギルドのホーム――今はヒヨさんが便宜上オーナーだが――で開店している。
ただし、使用しているのはホームの外観だけだが。
立地こそ王都の繁華街から少しだけ外れていると言う好条件だったが、いかんせんホームの間取りや作りがレストランには合わない。だから許される範囲で建物の外観を改装し、扉をポータル設定で課金別荘に繋いで、レストランの冠に相応しい格のある内装に仕立てている。――それもこれも、各地に凝りに凝った課金別荘を持っていたヒヨさんのお陰だ。ありがたい。
レストランに来店する客の体感的には以下のとおりだ。
まず、手を入れてはいるが、あまり豪華ではない外観の建物に扉を開けて入る。と、今度は一転して高級な――煌びやかと言うよりも、シックに落ち着いた広間に出る。そこで客は受付担当に迎えられ、高い天井から下りたカーテンで仕切られた向こう側、席へと案内される。
ホールは現実世界ならグランメゾンもかくや――といった内装だが、残念ながらうちは単なるレストランだ。教育してはいるが、プロではなく素人をよく訓練しただけのギャルソンしかいない。
さておき、ホールの奥には個室のように間仕切った空間もあるが、滅多には使わせない。無ければレストランとしての体裁がとれないが、あればトラブルの元になるのが密室だからだ。いずれにせよ、大抵の客は広間で食事を楽しんで、帰りはまた逆の道を通る。――これが1階レストランの概要だ。
実はよく見ると、部屋の窓から見える風景がどう見ても王都じゃなかったり、1階に居るはずなのに高さ的には3階だったり、来店した時すでに日が落ちているにも関わらず、今まさに沈む夕日が見えたりもするが――そこはそれ、ご愛嬌というものだ。
2階部分に関しては、プレイヤー専用の空間になる。こちらはレストランと言うよりも、内装を含めてもう少し気楽になって、ビストロとの間の子と言ったところになっている。
1階からプレイヤーしか認知できない扉を通って2階に上がることもできるし、建物の外、正規の扉とは別にある扉からも上がれる。また、各地にある、俺たち――カインがギルマスのホームと、ヒヨさんの持っているホームに設けた扉からもポータル化して、他のフィールドから来店することが出来た。
2階に上がったプレイヤーは受付に迎えられ、右手側にテイクアウト用のカウンターとソファが設置されたカフェと、左手側に間仕切りされたビストロのどちらかを選ぶ。食事をしたければ左のビストロに行けばいい。
右側のテイクアウトカウンターがある場所は24時間営業で、ヒヨさんの望んでいたアンケートを取るスペースもあり、また、倉庫も解放してある。軽食を取るついでに自分の倉庫へアクセスも可能だ。
例によって窓の外がまた可笑しなことになっているが、2階に居るのは全員プレイヤーなので何も問題ない。一応、レストラン内は全て"ジャンプ"や"転移アイテム"などの無効空間にしてあって、窓の開閉は出来ても外には出られない。当然、魔法や回復などの通常フィールドで使うべきコマンドも全て使用無効になる。――ただし、俺たちスタッフに限っては、解毒・回復魔法の使用が可能だ。
最後に、建物の正面ではなく側面にある扉から入店する場所だ。行き先はレストランではなく、サロン・ド・テ――いわゆる「ちょっと高級な喫茶店」になる。
これは2階にあるプレイヤー用のテイクアウトスペースと似たもので、2階まで上るのが面倒臭い王都在住プレイヤーと、現地人向けのサロンだ。
サロンではカフェ同様、日中はケーキやタルトなどのお菓子類も食べられるが、夕方からは酒を出し、つまみ用にアミューズやオードブル程度の皿を多少供する。また、2階で買えるテイクアウト商品も――この場で食べることは出来ないが、同じように買って帰れる。
ちなみに、野菜を納品してくれる商人のイヴェノエさんは、毎日仕事が終わるとサロンで酒を一杯飲んでから家路につく生活をしてくれている。実にありがたいことだ。
レストラン、ビストロ、カフェ、サロンとかなり手広くやってはいるが、各スペースの客席は少なくてレストランの21席から、多くてカフェの30席程度しかないので、実はそれほどの規模でもない。調理メンバーが少ないので、料理の提供数が限られているのがその理由だ。
しかし家賃支払いの関係で、シフトに入りたい人間は多い。その為、当初レストランだけだった店が、どんどん拡張されて今の状態になった。こう言っては何だが、人件費はある意味度外視されて運営されているのだ。
とりあえず調理担当が別にいるお菓子類や、あまり作るのに手間のかからないテイクアウト商品を使ってなんとか店を回しているが、人気が少しでも偏ると商品がすぐに売り切れてしまう。他にも色々と甘受できない事態が起こるので、俺はあまりブーム的なものを歓迎しない。
ポータルをくぐり、設定された出口へと足を踏み出す。"跳んだ"先は本来のメグさんのホームの部屋だ。そのまま目の前の扉を開けると、ホームの裏手に出た。
奥の建物との境、細い小道が掃除され何ひとつ落ちていないことを確認する。裏にある建物の狭い裏庭には花が咲き乱れ、茂みはきれいに剪定されて整えられているのが見えた。
裏手のオーナーがきちんと裏庭を手入れしてくれるお陰で、この小道の雰囲気は凄く良い。繁華街の裏小道など、迂闊に放置すると人が入り込み、汚れるばかりになる。食品を扱う商売をしている以上、常に気を付けなくてはならない。
裏に出て左奥側は隣の建物と接地して隙間がほとんど無いので、異常がないか確認するだけで終わる。10センチ程の隙間に額をつけるように覗いていると、追いかけてきたらしいライアンが「なにか面白いもの、ありましたか?」と聞いてきた。
「いや、異常なし。ゴミも無いな」
「この隙間は、うちのホームも隣接している建物も窓が無い面になりますから、ゴミはめったに入り込まないですね」
「そうだったな。――よし、日が落ちる前に表側も確認しよう」
そう言って右手に向かおうとして、通りからこちらを伺う子供の姿が見えた。多分10歳にもなっていないだろう少女と、少女よりもさらに幼い男の子の2人が居た。少し躊躇うように、しかしあからさまに俺たちを見つめる2人の子供は、見覚えも心当たりも全くなかった。
「何だ? こどもが……?」
一瞬子供を見て訝しげに眉を寄せたライアンが、「ああ」と思い出したように頷く。
「あれはここのホームに住んでいた時、もう脱退したギルメンのひとりがこっそり餌付けていたストーリーチルドレンですね。引っ越す前に、一応孤児院に預けたのですが……」
「――まさか、今でも食料を与えてないだろうな?」
「それは大丈夫です、禁止しました。破ったらギルド追放ですよ。全員肝に免じています」
慌てた俺にあっさりとライアンが答える。返された言葉に安堵して、知らずに詰めた息を吐き出した。
冷たいが、可哀想だからと気安く食料を恵むわけにもいかない。俺たちの手元にあるのは、金であがなうべき"商品"だけなのだから。
「どうもむこう(現実)でボランティアと言うべきか、ストーリーチルドレンに何かしら恵んでいたらしいです。それでこちらでも、と安易に考えていたようで」
「異世界と現実の状況をごっちゃにされてもな……」
身の丈と自分の出来ることを理解して生活スタイルを確立させていた現実世界では、何をどうボランティアしようが個人の好きづきだ。何の問題ない。同じように、またこの異世界でも自己責任に範疇なのだが――。
結局、件のギルメンがギルドを脱退した時に、この子供を引き取って行かなかったことが、その答えなのだろう。
「そうですね。最初はひとりで次は2人、さらに次には4人と……このままどこまで増えていくのかと恐怖しました」
「だろうなぁ……」
課金別荘からの外出をカインがギルマスとして正規に許可した時、現地人であろうとプレイヤーであろうと、金銭及び物々交換を挟まないビジネスから外れる物のやりとりが一切禁止された。「施すな、対等たれ」だ。
ほむは里香ちゃんに対して「子供だろうが物乞い連中に構うな、どこまでも付け上がる」――かつての自分がそうだったから。……と、もの凄く珍しいことに直接忠告をしていた。
結局その後、里香ちゃんは奴隷を購入してきてしまったが、金銭取引に基づいて連れてきたので――色々ギルド内に波紋が立ったものの――それでもまだましだったのだ。
俺たちは見つめる子供を無視して、そのまま通りへと抜けようとした。――が、目の前に走り込んできた子供が、泣きそうな目で俺たちを睨みつけてくる。
「食べもの……! くださいっ!」
泥と垢で色を変えた服を身に纏う少女が、――弟なのだろうか? 幼い男の子を背中で庇い、自分だけが俺へと手を伸ばす。背後に控える男の子が少女の服の端を堅く握りしめるのが見えた。
「俺が前に孤児院に連れて行ったことを覚えているかな? ここではもう、食料をあげることは絶対に無いと教えたね」
2人を軽く眺め、少女と目を合わせたライアンが静かな口調でいっそ冷徹に告げた。俺も一応の確認のため、そっけなく聞こえるような声で問いかけてみることにした。
「食料なら毎週、孤児院へ直接持って行っているが――食べていないのかな?」
「あんなの……全然足んないよっ!」
出汁を取った後の野菜や肉はかなりの量になる。本来なら2番出汁を取るそれらは、そのまま材料を細切りにしてスープに仕立て、いくつかの孤児院へ提供していた。メグさんのリクエストだ。さらに、万が一にでも横流しされたりしないよう、担当ギルメンの前で食事をしてもらう念の入れようだった。
食いしばる少女の歯は茶に染まっている。日に焼けた顔は色が斑になり、手を入れている様子の無い荒れように、好んで日に晒しているわけでないと一目で理解できた。差し出された手はひび割れて土が入り込み、不揃いに欠けた爪の先まで黒く染みている。元は何色だったのだろうか? 色あせた服の首元から下が汗か垢かで色濃くなり、まるで模様のごとく滲み広がっていた。髪も砂を被って埃にまみれ、束に固まりあちこちにはねていた。艶のひとつも見受けられない。
上下水道完備された都市のはずだが……髪は洗ったりできないのだろうか? 上下水道と風呂はまた別問題か? 都市のあちこちに水場があるが、流石にあそこを風呂代わりにするのは無理か……。
「何度来ようと同じ事しか言わないよ。――渡せる物はここには何ひとつと無い。きみ達に何もあげられない。孤児院へ帰りなさい」
俺が畳みかけるように告げると、少女は思いきり息を吸い込んで
「けちんぼっ! このくそ野郎ッ!」
と、俺を盛大に睨みつけた。そして足下へと唾を吐き捨てて、男の子の手を乱暴に引きながら走り去った。