異世界礼賛 中 の 1
今日も朝日が美しい。
異世界の夜明けに目を奪われる。景色を堪能してから、井戸で顔を荒い、深呼吸する。毎朝の習慣を一通り終えた後、頭上から降りた影が視界を走り去っていった。
何事かと思わず空を見上げれば、ホームの屋根に降り立つ何かが見える。鳥の群だ。……なんだ、ただの大きなスズメか。
「――違うっ、モンスだ!」
デカい。大きさが子供の背丈ほどあるグランススズメが普通サイズのスズメと混じって飛んできている。
俺は慌てて裏庭からホームに戻る。アバターの素晴らしく長い脚を酷使して、屋上への階段を2段飛ばしで駆け登った。
グランススズメはアクティブモンスターではないから、こちらから攻撃を仕掛けない限り危険は少ない。だがそれでもモンスには違いない。なぜ絶対安全圏に指定されているこの課金別荘に近づく事ができる? そもそもテイムされていないモンスは街に近づかないものだ。グランススズメはテイム可能なモンスでもないから、誰かが意図的に呼び寄せる可能性は低い。なにより街に侵入できるのはクエスト用のモンスだけで、それもグランススズメではない筈だ。
ギルメンを呼ぶか? いや、グランススズメ程度なら俺でも一撃で倒せる。しかし、万が一、目視出来た以上の大群が襲来したらことだ。
走ると言うよりは大股でステップする要領で階段を登り切り、バルコニーになっている屋上の扉へと駆け寄る。
よし、ひとまず隣にある窓からモンスの様子を窺って――
「ゼロスおはようさん」
戦闘への緊張を孕んだまま身構えた俺に、開け放たれていた扉から場違いな声が聞こえた。
「ヒ、ヒヨさん?」
驚いて目を瞬かせた俺に、バルコニーの中腹で佇んだヒヨさんが手を振ってきた。
成る程、マスター権限を持つヒヨさんがグランススズメの侵入を許可したのか。なんとも……安心した。
俺は飛んでは逃げる足下のスズメをなるべく脅かさないように気配を殺し気味にヒヨさんに近づくと、昨日夕食に出したパンを差し出された。
「おはようございます。――スズメにエサやりですか」
「そう、餌付け中」
「モンスが侵入してきたのが見えて、肝が冷えましたよ。なんのクエストが発生したのかと」
「それは驚かせて悪かった。開放しているのは屋上だけで、庭に侵入されることはないから安心してくれ」
ヒヨさんはインベントリから新しく取り出したパンを適当に千切っては、派手にばら撒いている。足下では散らばるパンくずを小さなスズメ達がつついていた。寒いわけでもないのに、やたらと膨れて丸っこい体型だ。ゲームらしくデフォルメされているのだろうか? しかし実に愛らしい。所々小型犬程の大きさのスースズメや、70CM程の身長のラジスズメも居た。
"Annals of Netzach Baroque"には、現実の世界に居る動物は大抵が環境用のオブジェクトの一種として生息していた。そしてそれをモチーフとしたモンスも別に存在し、大抵が現実より大き目の小、中、大の3サイズで配置されていた。大きさの違いだけではなく、属性の違いによっては色違いも存在している。
群がるスズメ達に大量のパンくずを与えながら、「ほら、この間の」とヒヨさんが笑う。
「ティーがペット飼いたいって言ってたろ? それでな」
「ああ、そう言えば確かに言ってましたね……」
よく見ると、バルコニーの端にとまるグランスズメの側にはティーが膝立ちし、片手でインベントリからパンを取り出しては与えていた。
ティーの視線はスズメのピコピコと上下する尾羽根に釘付けになっている。丸っこいスズメがそのまま巨大になったグランススズメは、子供の背丈程ある着ぐるみのようだ。グランススズメがパンをついばむ隙に、ティーはもう片手でふっくりと膨らみ、いかにも柔らかそうなグランスズメの腹を撫でていた。
茶色の模様がある羽根を避け、白い腹をティーの手が何度も撫で下ろす。グランスズメは触るティーに構うことなく――パンを持つティー手をつつかないようにか、器用に頭をかしげては角度を変えて食べている。丸くつぶらな目が可愛らしい。ふくふくした頬には焦げ茶の模様が見当たらず、日本でよく見かけるスズメとは微妙に違う種類のようだ。
巨体に比べてささやかな大きさのくちばしから、パンの欠けらが時々こぼれている。落ちたパンは足下に居る小さなスズメ達がついばんだ。
スズメは温和しく、時折ちゅくちゅくと鳴いては飛び跳ね、場所を変えるとまた自分のくちばしの大きさに合ったパンくずを選んで食べる。無闇に仲間とエサを取り合って競合するような種ではないらしい。平和な光景だ。
片手で差し出したパンが無くなったことにも気づかないまま、無心に胸の毛を撫で続けるティーの肩を、グランススズメが催促するようにつついた。するとまたティーの片手にパンが出現する。
ちゅん、と鳴いてパンを食べ始めたグランスズメに、見上げたティーがとろけた顔で口元をふやかした。
「ティーぃ、撫でるだけよ? 頬ずりはダーメ」
ヒヨさんが声をかけると、段々とグランススズメの胸元へと傾けていたティーの頭の位置がまっすぐに戻る。だがまた徐々に斜めになっていく。――あのふかふかした場所に顔を埋めたいティーの気持ちは分かる。が、餌付けして多少慣れていても野生だし、あまり触りすぎると逃げるんじゃないか?
ヒヨさんから渡されたパンを千切り落としながら俺が懸念していると、案の定我慢しきれなかったティーがグランスズメの胸元に、もふっと顔を突っ込んでしまった。
とたん、「ちゅぃっ!」と高く鳴き、グランススズメが大きく羽根を広げて上空へ舞い逃げる。空気をはらんで羽根で叩きつけられた風がバルコニーを撒き上がり、そしてそのまま一斉にスズメ達が飛び立つ。
「あー……やっぱりな……」
「ちゅん太……」
オスなのか。
手の届かない空の彼方に去っていくすずめ達を、力なくその場に座り込んだティーが切なげな眼差しで見送っている。羽毛がいくつかバルコニーに舞い落ちてきた。目の前に落ちてきた羽根をそっと掴んで、ティーはしょんぼりと肩を落とした。
あんなことしたら驚いて逃げるだろう。俺はヒヨさんと目だけで苦笑し合った。ヒヨさんは中腰で屈むと、屋上に座るティーの頭を慰めるように撫でた。
「もうちょっと懐くまで我慢しないと駄目だ。触らせてくれるのだって時間がかかっただろう?」
「うん……」
眉をハの字にしたティーが悲しそうに「今度はもっと我慢する……」と呟く。
ティーはつまんだ羽毛の先を撫でているが、如何にも物足りなそうだ。と、ふいにヒヨさんが何かに気付いたように空を見上げた。
「ティー。髪にダニが付いたかもしれないから、まずはキャラチェンジ。それから次は狩りの時間よ?」
「ん!」
キャラチェンジのエフェクトを散らしたティーが勢いよく立ち上がり、そしていきなり2人が俺に向かって走りだしてきた。
ヒヨさんに「ゼロス、室内に入れ」と急かされて、俺は慌てて扉の向こうへと駆け戻る。
俺に続いて走り込んできた2人がバルコニーを振り返る。何事かと俺も扉の隣の窓から覗き見たら、スズメ達が去ったのとは違う方角から、黒い鳥の群が近づいてくるのが分かった。みるみるうちに姿が大きくなる。あの黒いのは――鳩か!
もの凄い速度でグランズポッポが近づき、課金別荘の敷地――庭園へと入り込んできた。黒い一群がバルコニーの上空まで来た瞬間、俺の隣でスタンバッていた2人が、両手でナイフを投げ飛ばした。
「――え、ちょっ!?」
あっけにとられた俺の視線の先でグランズポッポ4羽が一斉に羽根を散らして弾けた。
真っ青な空に、雨雲色の羽根が舞い散った。ばら撒かれた羽根の中で、巨体が広げた翼を力なく止めてキリ揉む。バルコニーに叩きつけられる――と思ったとたん、視界から姿がかき消えた。
「鳩狩ったどー!」
両手を振り上げ、ティーがガッツポーズを決めている。喜ぶティーを余所に、俺は何が起こったのか分からず焦る。
「群の大ボスなん! 記録更新したん! 金冠貰えるん!」
「よしよし、良くやったな、ティー」
ヒヨさんがティーの頭を撫でて褒めている。俺は2人が倒したはずのグランズポッポを探す。が、無い。倒したはずのグランズポッポが見えていないのは俺だけなのか?
動揺する俺にヒヨさんが笑って、のんびりとした声で解説してくれた。
「ゼロスに教えたっけか? インベントリ収納はアバターの半径10CMまで接近する必要があるんだけども、マスター権限を持つ人間は敷地内全てが倉庫のアクセス範囲になんのよ。死んだモンスはアイテム扱いだから、倉庫にしまえるのね~」
「あ……ああ、なるほど」
なるほど、2人が見ていたのは倉庫のデーターか。
日の出で深い青に抜けた空に、隊列を乱した鳩たちが飛んでいる。群のボスであるグランズポッポが死んだからだろう、残りの鳩たちが慌てたようにUターンをして、そして空へと消えて行った。
いつのまにかバルコニーに散らばっていたパンくずも消えていた。
これはマスター権限のオブジェクトリセット機能を発動したせいだろう。オブジェクトリセットをすると、ヒヨさん曰く「位置をセットしていない物全てがまとめられ、倉庫に収納される」そうだ。
リセットの範囲は部屋毎に指定可能で、インテリア以外を入れられない課金別荘専用倉庫ではなく、オーナー権限を持ち、リセットをかけたプレイヤーの倉庫に自動で収納される。汚れや埃、先ほどのパンくずのような物は"ゴミ"として纏められるとのことだ。万が一、害虫やネズミなど生き物が入り込んできた場合は、任意の部屋や外に強制転移させることが出来る。あとは庭に出現させて埋めるなりして処分すればいい。現在のオーナー権限はヒヨさんとほむ、そしてティーにサブ権限がある。
俺も食料を保存してある課金倉庫のアクセス権限を貰っているが、あれは正確にはこの課金別荘の倉庫ではない。別の課金別荘の物で、どこのホームに居ても全ての課金別荘にアクセスできるという特性を利用しているものだ。この課金別荘の専用倉庫をわざわざ避けたのは、ため込んだ食料をオーナー権限持ちのほむに盗み食いされない為だ。ヒヨさんの持つ全てのホームはほむとティーもオーナーだが、あまりにも過剰なほむも食欲を恐れて、一件だけほむからオーナー権限を外してもらい、使用している。――いつの間にか食料を食い尽くされていた、だなんて笑えない話だ。特にハムなど保存加工をされている物は衛生面から見て貴重品だ。仕込んだ保存食品が出来上がるまで、死守しなければならない。
モンスに関しては、ホームの立ち入り制限を変えれば排除できる。しかしパンくずを撒いたままだと、オブジェクト扱いされている普通の鳩が居着いてしまう。鳩はフン害が洒落にならない。裏庭の農作物も荒らされそうだ。
「ヒヨさん、なるべく鳩は寄せつけないようにして欲しいです」
「どうしてもスズメの後にやってくんのよね。でもこうやって時々群の頭を叩いてるから、しばらくはまた寄り付かなくなると思うわー」
それなら良かった。俺は安心して頷いて、そして頭をひねった。
……ティーはグランススズメを可愛がっても、グランズポッポは狩りの対象なのか。どちらも大きくて毛は柔らかそうだし、違いが今一つわからん。
「ティー。鳩は好きじゃないのか? スズメがいいのか」
ふわふわしたグランススズメの羽毛で頬を撫でてうっとりとした表情のティーが、俺に問いかけられて「ん?」と目を瞬き、頭をかしげてヒヨさんを見た。
「鳩は美味しいんだお! ……だおね?」
「そうそう、前に連れてった店で食べたろ? ジビエはどれも野趣あふれてて旨いぞー。だから今度はゼロスに料理してもらおうな?」
よろしく。とヒヨさんが俺に向かって微笑む。――それで鳩か……。
「……あんなデカいの俺に解体させる気ですか……」
「毛と内臓抜きまでの下拵えは俺たちでやるから、料理はゼロスに頼むわー」
いつぞやグランゾ鶏の料理を俺に頼んだように、「お願いね~」とヒヨさんはお気軽に笑った。……スズメは骨まで丸ごと喰えて美味いのだが、ティーが懐かせたいようなので黙っておくべきだろうな……。
「分かりました。今夜出せるかどうかは分かりませんが、調理してみます」
「俺、唐揚げ食べたい!」
はーい。と手を挙げて唐揚げを要求するティーに、俺は困って頭を掻いた。メニューに迷って、仕方なく取り敢えずの答えを返す。
「唐揚げはそれこそグランゾ鶏かニワトリの方がいい。せっかくの鳩肉だ。肉質に合った料理を作ってやるから、俺に任せてくれ。な?」
「ニワトリ……。ん、……うん。……でも唐揚げも食べるお!」
「わかった、わかった。唐揚げもな」
ティーがしばし逡巡したように視線を落とし、それでも唐揚げに拘って俺へと目を合わせてきた。
好物ばかり食べさせる気はないが、こうしてリクエストに答える俺は甘過ぎるのかもしれない。まぁ子供は唐揚げとか好物だし、仕方ないか。……しかし喰い物と言えば――。
「そう言えば。ほむはどうした? 一緒じゃないのか、またほむは徹夜で夜遊びか?」
何気ない質問のつもりだった俺とは裏腹に、ティーはあからさまに気分を崩したようにむっつりと頬を膨らませ、唇をとがらせた。
「知んない」
俺に背を向けると、そのまま黙って廊下を走って行った。階段を駆け下りる大きな足音が聞こえる。――何故かは分らないが、かなり怒っているらしい。
訳が分からない。そうヒヨさんに視線を向けて説明を求めると、「そうか。ゼロスには顛末を話してなかったなぁ」と思い出したように頷かれた。
「ペット欲しがったティーに、最初はヒヨコを飼わせる予定だったのよ。増やしても30羽まで、って約束でな。成長したら庭に放っておけばエサいらずだし、"トリさん王国"作りたいんだとさ」
「ヒヨコですか。ちょっと凶暴らしいですし、すぐ成鳥になると思いますけど、スズメよりは普通じゃないですか? ヒヨコにしなかったのは、ほむが何かしたんですか?」
そういう事。とヒヨさんが頷いてそして何とも苦い顔で笑う。
「いずれ間引くにしても、まずは自分の可愛いペットなわけだ。ところがほむがねー、例によってヒヨコ選びながら涎たらしちゃってねー」
――鶏とかちょうどいいじゃん。大きくなったら雌は卵かけご飯、雄は肉が喰えるから焼き鳥にできるし。効率よく増やして食べような!
と、"愛玩動物"を選んでいたティーに言ってしまったらしい。
"トリさん王国"を作るべく可愛がる気満々だったティーは、食糧にしか見えてないほむに、それはもうお冠だったそうだ。
「食欲全開にしちゃってまぁ、あの阿呆」
ちょいと効率優先過ぎる気があんのよね、あいつは。とヒヨさんが肩を竦めて笑う。俺は頭を抱えた。
「あー……。それはまた情緒のない……」
「ほんとにね。――とは言え価値観の違いは如何ともし難い。生物本能を物理的に満たす事を何よりも優先するほむと、精神的に満たされたいティーが相容れないのは、仕方ないと言えば仕方のない話だぁね」
さも面白そうにヒヨさんが笑い飛ばした。俺を見て「せいぜ仲良く喧嘩させとくさ」と愉しげに目を細める。
これは俺へ同意を求めているのか。2人の喧嘩に余計な口を出すなと言う牽制だろう。まぁよほど拗れない限り、流石に俺も首を突っ込む気にはならない。バルサの時とは状況が違う。
……むしろ懸念になるのは、敢えて地雷を踏みに行くヒヨさんの悪い癖が出ないかと言うことだ……。
ヒヨさんが好んで問題を爆発させた時、必ず広範囲に連続して誘爆させるのを俺は知っている。流石にギルメン相手には加減はするが、大抵は坂を転がる雪玉のように段々と被害の悲惨さが増していく。他人事のだと思ってボサっとしていると、いつのまにか足元に転がってきて少なくないとばっちりを受ける。
正直俺はああいった渦中に引き摺り込まれた挙句、面倒に巻かれたくはない。いざとなったら全力で逃げる気でいる。あの手の胃にクるような騒動はもう2度と御免だ。
俺が把握している中で、ヒヨさんが踏んで爆発させた最大の地雷は「見抜きのドンちゃん事件」と呼ばれるものだ。
事件の内容は……まぁ、読んで字の如くだ。オフィーリアに対して、"コール"を使った実況中継をやらかしたドンちゃんと言うプレイヤーが居た。さらにそのプレイヤーの中の人は運営、つまりGMだった。
「見抜きのドンちゃん事件」とは、セクハラの通報をしていたオフィーリアに一目惚れし、ストーカーに変貌したGMが起こした事件になる。
当時ヒヨさんは、GMドンちゃんからのセクハラを相談していた女性プレイヤー(ネカマを含む)を4人、犯人であるドンちゃんとその部下のGM計3人。そしてメーカーを巻き込んで次々と地雷を爆発させた。燃え盛る舞台に上がったその7人は、祭りの鎮火と共に姿を消した。メーカーからの訴えでリアル前科が付いた人間も居る。
オフィーリアと当時から親しかった俺は証言要員で、やはり巻き込まれた。酷かった。本当に酷い話だった。
ストーカーに転身したGMことドンちゃんは、オフにしてもストーカーだった。GM権限を最大に利用し、オフィーリアに関するログは"コール"から"メッセージ"まで余さず収集し、個人情報を手に入れたのだ。そして当時ヒヨさんの恋人だった女性をオフィーリアだと勘違いした。――アカウント登録していたのは、ヒヨさんと同棲していた恋人の方だったのだ。
ドンちゃんは、やっぱり美人だったらしい当時のヒヨさんの恋人を一目見て、そのオフィーリアの中の人に相応しい美貌にリアルでも惚れた。そして「見抜きのドンちゃん事件」を起こした。
セクハラの相談を受けていた女性プレイヤー達4人は、まさか本当に犯人がGMだと思っていなかった。ドンちゃんが見抜きする様を動画で保存し、ネットにアップロードし、オフィーリア共々晒し者にするつもりだった。
「セクハラされたと泣きつかれたので、録画させて証拠として流してみた。運営に何度訴えても揉み消されたらしいw セクハラしてるのは、オフィーリア曰くGMらしいよww どうみても普通のプレイヤーなんですけどwwww」
そう書かれた動画の説明文からすると、オフィーリアの中の人は被害妄想激しいヒステリックなクレーマーだと思っていたらしい。オフィーリアから相談を受けていた"善意の第3者"達は、ウナギ登りに熱くなる祭りに浮かれあがって、次々とログを公開し、暴露し始めた。
しかし犯人は本当にGMだった。
運営からの正式な謝罪とGM達の処分が公開されて、ようやく事態は鎮火した。――そしてオフィーリアは伝説となった。
……酷い話だ。
オフィーリアの中の人と間違われた当時ヒヨさんの恋人のお陰で、ヒヨさんがいくらネカマだと主張しても、未だに「中の人は、ネカマの振りをした女性。しかもどうやら相当の美人らしい」と勘違いされたままだ。本当に酷い。
いずれにしても、「見抜きのドンちゃん事件」で、確かにオフィーリアは一方的な被害者だった。しかし間違いなく、ヒヨさんは好んで地雷を踏みに行っている。
ヒヨさんは秘しておくべき証拠の動画を第3者にわざわざ渡した。動画をアップロードしたあの女性プレイヤーも、ログを公開し暴露した3人のプレイヤーも、"女性アバターである"と言うただ1点を除いて、どんなに好意的に見積もっていたとしても、全員が相談事に相応しい性格ではなかった。
俺ですら簡単に分る地雷を、あのヒヨさんが気付かないわけがないのだ。
「ま、とりあえず下拵えが終わったら食料用倉庫に移してくから、鳩肉は好きに使ってちょうだいな」
「あ、いや、下拵えもやります。そのままください」
「あらそうなん? それじゃあ、俺はティーを構ってくるわ。――ゼロスもそろそろ納品の時間じゃない?」
思考を過去に飛ばしていた俺は、ヒヨさんに促されてようやく気付いた。そうだ、そろそろイヴァノエさんが納品に来る時間だ。今日の開門当番はメグさんだが、俺も立ち会わなくては。
「ええ、そうでした。ひと仕事して来ます」
「はいよ~。ごくろうさん。今日もがんばってネー」
裏門に向かおうと立ち去る俺の背後から、ヒヨさんが「拗ねたとたんに引き籠もりか? 甘ったれめ……」と溜息を吐いた音が聞こえた。
言葉とは裏腹なもの柔らかな口調に思わず振り返ると、転移エフェクトを散らして消えるヒヨさんが見えた。微笑むその表情は、間違いない慈愛の色が浮かんでいた。
――なんだかんだ言って、ヒヨさんもたいがいティーに甘い。
取り敢えず地雷を踏みには行かないらしいと分って、俺は、本当に、本当に心の底から安堵した……。