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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
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異世界礼賛 上 その5

「今日も味見をお願いしますよ」


 貢物を大事そうに抱え、微笑みを残してオフィーリアが立ち去る。その後ろ姿に見惚れたまま、名残惜しそうに見送るイヴァノエさんの前に、フォークを添えた小鉢を置いた。


「おお! ありがてぇ、さっきから腹が鳴りそうでな、ヒヤヒヤしてたのさ。オフィーリアさんに恥ずかしい所見せらんねぇからな!」


 イヴァノエさんがさっきまできりっと固めていた表情をだらしなく崩し、椅子に腰を降ろして遠慮なく寛ぐ。オフィーリアの居た時はどんなに勧めても椅子になど座らない。居なくなったとたんにこれだ。

 厨房の勝手口には、荷馬車から降ろされた野菜の入った木箱が厨房の端に積まれている。木箱の中に納められた野菜をひとつひとつ、榊たち店のメンバーが確認していた。

 俺はこれから世間話と言う名の"社交"だ。

 いつも新鮮な野菜を卸してくれるイヴァノエさんは有能な商人で、飲食店を経営する俺にとっては大切な取引相手だった。だからこの"味見"は、ちょっとした会話の潤滑油みたいなものだ。――鼻薬的な物を要求されたことも以前はあったが、今ではイヴァノエさん自身がオフィーリアに貢いでしまっている。全く意味がない。


「どうですか? この間試食してもらった物とは、ビネガーの種類を変えてみたんですが」


 人参とカブの厚剥きした皮を、薄く塩を引いてビネガーに漬ける。種を抜いた干しトウガラシを笹打ちしたものを入れても旨い。

 甘い味が好きなら、ザラメかハチミツを少量足してもいいが、ワインビネガーを使えば甘味は事足りる。皮は一両日ほど天日に干して使用すると味がより深まるが、皮が固すぎる場合や、瑞々しさを優先するならそのまま使っても良い。――個人の嗜好と状況によりけりだ。


「うん、旨ぇ! 俺はこのぐらいの甘さがある方がいいな。――しかし相変わらず旨ぇな、ここん店の"生ゴミ"は」

「"生ゴミ"とか言うなら、もう食べないでくださいよ」


 俺が取り戻そうと伸ばした手を避け、イヴァノエさんはフォークに刺した人参を食べた。奥歯で小気味良い音を立てて"皮"を噛み砕きつつ、「いやー。美味ぇ、美味ぇ。たいしたもんだ」と、悪びれない様子で小鉢をあっという間に空にした。


 ちなみに皮を脱ぎ捨てた"身"の方は、乱切りにされた挙句に違う料理ものへと、とうに変貌し、今はインベントリの中で静かに自分の出番を待っている。――しかしなんかこの思考はヒヨさんチックで抵抗があるな。影響されているのか、俺は。正直複雑だ……。


「"生ゴミ"とか言って、野菜の皮なんて味が詰まってて本来1番美味いところでしょうが。――それとも、イヴァノエさんは生ゴミにしかならないような野菜を俺に買わせてるんですか」

「あ~! そうじゃなくてなぁ?」


 額に手を当てて、イヴァノエさんは大袈裟なジェスチャーで溜息を披露する。


「どうしたってぇ同じモン使ってても、ゴミしか作らない連中もいるってぇことだ。ウチの母ちゃんも井戸端会議に夢中で、肉の表面を炭に変えやがるしな!」


 がっはっは。と、イヴァノエさんが恰幅の良い腹を揺すりながら豪快に笑った。


「おっと。いかんいかん、ここでの俺は独身なんだった。ゼロスさんよぅ、くれぐれもオフィーリアさんには俺が結婚してるってぇことは、内緒にしといてくれよ? 勿論、ウチの母ちゃんに会っても、オフィーリアさんのことは話さんでな? それでなくても、最近小遣い使い過ぎて母ちゃんに怪しまれてんのよ。まいんちお前だけを愛してるって言ってんのにな。――これだから女は鋭い」

「……オフィーリアに貢ぐの、いい加減辞めればいいじゃないですか」

「美人ってーのは讃えるもんだ! 我慢しててもな、オフィーリアさんぐらいの美女だとな、あ、これ話に出てたヤツだなーと思って、ついこう……ふらふら~とな、いつの間に金払ってたりすんのよ!」


 いや~、参ったね! と愉しげに嘯いてイヴァノエさんが水を飲んだ。

 ヒヨさんがオフィーリアやると、周りはすぐこれだ。いくら鑑賞に耐える美貌だとは言え、目の色変え過ぎだろう。

 俺は呆れて大きくため息を吐くと、イヴァノエさんの目の前に小さな木のボウルを置いた。


「なんだ――こりゃ? 黒いな」

「貢物の代わりじゃないですけど、これもちょっと味見していきませんか」


 スプーンを差し出すと、「また変わったもん作ったのか」と好奇心にかられた様子で、それでも遠慮なくスプーンを受け取り、ボウルに突っ込む。

 細切れに切られた黒色の食材の中に、赤いセミドライトマトのコマ切れを混ぜ合わせてある。さらにその上に、白い松の実を少しだけ散らしたものだ。イヴァノエさんは山盛りにすくい取ったスプーンを豪快に口に入れて、もがもがと声を発てるように鼻を鳴らした。


「ドライトマトと黒オリーブと……茄子か? こりゃ」

「当たりです。どうですか、口に合いますかね?」


 うーん。と唸りながらも、もう一口、もう一口とイヴァノエさんが口に運ぶ。


「おう! なかなかいけるな。噛むとじんわり黒オリーブとトマトの甘い味がして、茄子の濃い味を上手くまとめて引き立ててるな。松の実の触感も香りもいい。……しかしなんだ、やたらと味が濃い茄子だな、初めて喰ったよ。なぁ、これどこで手に入れた茄子だ? あの裏庭にでも成ってるのか? ……これは酒が欲しいな」

「そう、ワインに合っていてね、実に旨いんものですよ。ま、今夜から店でおまけとして出すつもりなので、仕事が終わったら寄ってみてください。イヴァノエさんの舌に合格したならいい商品になるだろうし、お墨付きってことで少し多めにサービスしますよ」

「……それだけか? 違うだろう、なぁゼロスさんよ」


 当然驚かせてくれるだろうと言った感で、イヴァノエさんは俺へと身を乗り出すように聞いてきた。


「さぁさぁさぁ! 種明かしはなんだなんだ!?」

「それだけと言ってもな……。でもまぁ旨かったなら良かった、その茄子の"ヘタ"」

「――ヘタ!?」


 イヴァノエさんが目を剥いて、手に抱えたボウルを見た。

 細切れにした黒オリーブの実とオイルに付けたセミドライトマト、それに茄子のヘタのオリーブオイル炒めのきんぴら、ただしイタリア風。


 茄子のヘタ――ガクの表面を包丁でしごいてから細切れにし、しばらく水にさらす。ニンニクと鷹の爪を入れて熱したオリーブオイルで、じっくりと柔らかくなるように蒸すように炒める。辛くなりすぎるので、ニンニクと鷹の爪はヘタを入れる前に取り出す方がいい。最後に種を抜いてから刻んだセミドライトマトと黒オリーブを入れて、軽く炒めたら出来上がり。容器に盛った後に煎った松の実を少しだけ散らせば、見栄えと触感がいい。


「……なんと! まぁ――また生ゴミ俺に喰わせたのか!」

「だから生ゴミって言わないでくださいよ。俺も、俺のところの仲間も食べてる物なんですから」

「いや~悪い悪い。……しかしなぁ、驚いた。旨いもんだなぁ」


 ボウルと俺を交互に見て、複雑な顔でイヴァノエさんが生ゴミと称したボウルの中身を減らしていく。


「野菜の端っきれなんざ、ごった煮のスープに浮いてるもんだと思っていたが……こうやって食べる方法もあんだなぁ……。いや、実に旨ぇ!」

「ああ、野菜くずは煮込みスープ使ってもいですね。ただヘタは濃いだけじゃなくクドくなるから、こうやって食べる方が俺は好きですが。とにかく、気に入ってもらって良かったですよ。ただ、生ゴミって言うのだけは本当に止めてくださいよ」


 イヴァノエさんが重そうに深い溜息を吐いた。


「いや、なぁ……。野菜を売ってる身の俺としちゃぁ、手前ぇの商品を巧く使ってくれて嬉しいんだけどよ、そのくずを目当てにしてるトリアーノはたまったモンじゃねぇのよなぁ……」

「トリアーノさんは確か野菜くずを飼料にしているんでしたよね?」


 うごうごと茄子のきんぴらを食べながらイヴァノエさんが何度も頷く。


「俺が野菜を売って、トリアーノがその野菜くずを飼料にする。そういう寸法さ。トリアーノにとっちゃぁ、手前ぇの食事減らしてでも豚に食わせなきゃ売り物にならんからな、俺としても複雑なんだよ。奴の所の肉、ゼロスさんだって気に入ってんだろ?」

「それはもちろん。俺が知っている中で、まともに豚を飼育してるのはトリアーノさんのところだけだからなぁ……」


 豚は残飯でもゴミでも汚物でも大抵何でも食べられるが、やはり飼料の味で豚の身の味も左右される。そしてごく普通の日本人の感性を持つ俺たちは、まともな飼料を喰って育った肉しか食べたくは無い。汚物を食用してきた豚を食用にするなど論外だ。

 ほむやティーが気まぐれに狩って来たモンスの肉は店用に使ってはいるが、安定供給に欠ける。それに特殊な部類に入るモンスの肉よりも、飼育されている豚肉などを購入して専門の職人を呼んで、俺たちの立会いの下で加工してもらい、課金別荘の食糧庫で熟成させていた。


 そこまで神経質になるのは、どんな肉を、どの程度衛生的な場所で加工しているのか分らないのが怖い、と言う俺たちの心情的な問題があるからだ。もちろん、あまり度が外れて不衛生な物ならば腐敗するだろうから、いずれ判別できるのだろうが……。正直、この世界で菌の働きがリアル現実と全く同じ物だとは今はまだ確認できていない。それなら材料も職人も加工場所も、自分たちで設定した方が精神衛生的に安心できる。

 一応既に加工してある肉も購入するが、それらは全て店で出す料理用だ。


「木の実の生る時期は別にいいんだ。けどな、それ以外の時期にゃぁ、雑穀だけじゃあの肉の味は出ねぇんだ。だから混じりっけなしの野菜くずだけ集めて飼料にしてんだがな。まぁ、こうやって喰ってりゃなぁ……野菜くずなんて言って捨てないよなぁ……」


 まいったね。やはり大袈裟なジェスチャーで嘆くと、イヴァノエさんが笑った。

 愉しげなイヴァノエさんを見て、俺は別の意味で溜息を吐きだした。


「よく分らないんですが、野菜くずなんてもともとそう出るものでもないでしょうに。イヴァノエさん所の野菜は新鮮で、"こそげる"必要なんて殆ど無い。うちから大量に出るのだって、出汁取った後のガラ骨ぐらいですよ。むしろ他のところは何を出しているんですか?」


 訝しげな俺の顔を見てイヴァノエさんが表情を一転させる。そして目を細め、ニヤリと歯を剥いて嗤った。



「――そりゃ決まってる。俺たちが食べるところ、"全部"、さ」


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