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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
27/49

異世界礼賛 上 その4

「セロス、今日もお疲れさん。一杯いかが?」

「お疲れさまです。頂きます」


 ヒヨさんがグラスを掲げて誘う。

 俺はここひと月でもはや習い性になった寝酒を貰おうと、勧められるままみんなが集まっていたソファへと腰を下ろした。


 薄暗く照明を落とした部屋の中、ルームランプの僅かな光を受けて、優美な曲線を描く吹き硝子のグラスが輝く。白ワインの大瓶を片手で持ち上げたほむが、テーブルに置いたグラス半ばまでワインを注いでくれた。俺にグラスを渡し、そして横から手を伸ばしたバルサからワインを遠ざけてテーブルの端に置く。


「なんでよ。ほむ、ワインお代わり!」


 突き出されたバルサのグラスをほむがうるさそうに手で払っている。


「バルサさー、最近酒飲み過ぎ」

「暴食野郎のアンタがそれ言うのっ」

「バルサ飲み過ぎで眠りが浅くなってんじゃん。早朝に水飲んだりトイレ行ったりして起きるからさー、ティーが目覚ましちゃって日中眠たがんの。あと、部屋がアルコール臭くなってティーが嫌がってる。だから駄目」


 バルサが唸って、グラスに僅かに残っていたワインを呷った。ヒヨさんがバルサの前に水の入ったグラスを置く。


「せっかく水も美味い土地なんだから、水を味わうのも良いもんよ?」

「飲みたいのはお酒! 水なら毎日好きなだけ飲んでるわよっ!」


 しー、大声を上げない。と、ヒヨさんが指を立てて注意して、そしてティーの頭を撫でる。ヒヨさんの隣で毛布にくるまったティーが、クッションを枕代わりに寝息を立てていた。


「寝てるんだから、部屋に置いて来ればいいでしょ。もう11時過ぎてるんだし、お子様はベッドで寝る時間でしょっ」


 心持ち潜めた声で、それでもバルサが言い募る。全身筋肉過剰気味の女性――顔立ちはアバターらしく整っている――が、上目遣いでねめつける様は、本人の主張する"お子様"が残念ながら他人事になっていない。


「みんながこうして居ると知ってんのに、目が覚めた時独りだったら寂しいでしょうが。バルサも寝ていーのよ? いつもみたくティーの部屋の余ったベッドに運んでおくわー」


 ほむがね。とヒヨさんが笑った。俺は眉を寄せたバルサに、インベントリから出した毛布を渡してやる。「まだ眠くないのよっ」そう口では文句を言いつつも、バルサはおとなしく毛布を受け取った。毛布を掴むその手がアルコールで赤く染まり、すでに目もすわり気味だ。本当は眠いのだろう。多分、ティーのように振る舞うには気恥ずかしくて、寝込むまで飲んでしまいたいだけなのだ。



 2日目の深夜。俺はあの戦闘を夢で見て、うなされて目を覚ました。まんじりとせず初日を倣うように広間に足を運んだ俺は、やはりあの時のようにヒヨさん達3人をここに見つけた。

 同じように眠れなかったのだろうバルサも、時折どこかに姿を消してはまた現れるほむに連れられて、広間に来て一緒に寝ていた。


 1月経過した現在では、流石にソファでは熟睡できないので、俺は朝には自室に戻って2度寝をする。おかげで毎日朝が遅い。だがバルサは、ほむが自分とティーの2人が使っている部屋に連れて行って、余ったベッドに寝せていた。


 バルサの中の人は女性なので、ほむと同じ部屋はどうかと俺は思うが、大抵は男の外装で居るし、バルサ曰く"お子様のティー"が一緒なら平気だろうとほむは判断したらしい。実際にバルサも平気なようだ。

 リアルでは男4人兄弟に挟まれた3番目で長女のバルサは、男所帯に慣れ親しんでいて、他に自室が確保されているなら全く抵抗がないらしい。

 ……まぁ、いくらアバターが女性でも、ヒヨさんと同じ部屋で目が覚めるよりもマシだろう。

 アンタの部屋だけはイヤと言われたと、ヒヨさんがわざとらしく傷付いたフリで、愉しそうに教えてくれた。病気だ。そして駄目なおっさんの所行だ。正直ヒヨさんはちょっとおかしい。


 それはさておき。

 あの時バルサはヒヨさんとティーに対して一歩引き気味だったから、だからほむがバルサを連れてきたのだと今なら分かる。

 ヒヨさんは、ティーと仲直りをしたバルサと話して、俺に「解決した」と報告してくれた。そして確かにその後はごく普通に生活している。

 ただバルサは中の人が女性なので、どうしても一線引いたところが出てくる。その辺りも深酒の原因なのかもしれないが、これは俺たちが気を付けてフォローするべき所だ。


 もっとも、こうして夜悪夢を見るからと、自室で寝ること避ける俺に何ができるのかと、そういう気持ちもなくはないが……。


「寝たな」


 ヒヨさんの声に促されて目を向けると、毛布にしがみつくようにバルサが寝ていた。アルコールのせいか顔が赤く染まっている。


「最近ずっと、市場をうろうろしながら買い物して廻ってましたし、疲れたんでしょう。付き合った俺も疲れました。ひと月も閉じこもってた生活してたから、インドア生活が板についたんですかね。こうなると高ステータスも宝の持ち腐れだ」

「ま、日常でステータスを行使する局面を迎えるよりいいわな。夢も見ないで寝れるでしょ。そのおかげで最近はバルサもゼロスもうなされてないみたいだし」


 ティーもね。と、ヒヨさんが優しい手つきでティーの頭を撫でる。


 俺にとって、ロールプレイをしていようがいまいがオフィーリアは単なるアバターで、ヒヨさんはヒヨさんだ。だがこうしてティーを構う時のヒヨさんは、リアルにオフィーリア――いや、ヒヨさんという女性なのかと思えたりもする。……もちろん。そう見えるというだけで、だからってどうこう考えたり思ったりする事は、露骨な生理的拒否感が身体に出るので有り得ないのだが。とにかくリアルに生身の女性に見えた。

 そしてそれは俺にとってVRのリアルなポリゴンでなく、現実となったアバターに、この異世界に慣れたのだと、……そう、実感させた。


「里香ちゃんもトウセも元気にはしゃいでる風で、良かったですよ。安心しました」


 一週間近く部屋にこもりきりだったトウセと、ゆうに2週間は自失状態だった里香ちゃんも、ようやく最近はまともに生活が送れるようになっていた。ここ一週間程はメグさん達ギルドのメンツと交流できるようになったし、また、先日ギルメン全員で市場に出掛けた時は、ゲーム時代と変わらない様子で街を楽しんでいたようだった。


「サブマスねぇ……。あれをはしゃいでいると表現していいもんなのか、俺には分からんよ。どうしたもんかね」


 首をひねったヒヨさんに俺は苦笑を返す。先日初めて市場を見に行った里香ちゃんは、ゲーム時代でも存在していた奴隷を見て酷くショックを受けていた。


「奴隷商の件ですね。確かにあれは……。でも女性なら尚更、分かって覚悟していたとしても衝撃は受けるでしょうし」

「サブマスさー。今日も奴隷見に行ってた」


 ほむがワインを美味そうに飲む。俺は自分の眉間にしわが寄るのがわかった。


「里香ちゃん1人で行かせたわけじゃないよな?」

「まさかー。単独行動厳禁ってギルマスに言われてるんだから、あのサブマスが約束破るわけないじゃん。俺とティーがお供にされた」


 湖に釣りに行こうって、ティーが朝から楽しみにしてたのにさー。とほむが愚痴る。ヒヨさんが訝しげに問う。


「ティーがよくサブマスのお供をしたな」

「スゲー機嫌悪かったすよ。でも見極めたいつーか、好奇心が勝ったみたいで」


 それで。と、ほむが俺の顔を見て続ける。


「俺がサブマスにさ、これ以上目立って変な奴に顔とか覚えられると不味いからって説得してさ、一応奴隷売場までは行かずに済ませた。遠目で確認できる場所があってさ、――飲み屋の3階なんだけど。そっから見せた」

「無駄に目立つ顔だしな。うかつな行動はしないで欲しいものだが、ま、そう思い通りにはいかんわな。――しかしそれで今日はティーがぷりぷり怒ってたのか」

「口に出すのも嫌みたいで、超ダンマリ。超ふてくされ」

「……ヒヨさんも余程目立つ顔でしょう」


 俺が口を挟むと、ヒヨさんが困ったように首をかしげる。


「俺はゲーム時代から分かっててロールプレイしてるからねぇ。覚悟も対策もしてて、外ではローブ被って過ごしてるでしょ? でもサブマスはその辺、随分と自覚が薄いのよねー」

「ああ……。確かに」


 外出した際、里香ちゃんはヒヨさんにから忠告されて、最初こそローブを被ってはいたが、いつの間にか脱いでしまっていた。外で過ごすのには暑かったらしい。おかげで道中すれ違う人々――老若男女問わず――に顔を凝視されていたが、女性らしく買い物に熱中していた里香ちゃんは、全く気にも止めていなかった。

 それどころか、購入する店によってはえらく値引きされていた事にもまるで気付いていなかった。さらには同じ女性に好かれてもしかたないからと、見とれる女店主を無視する始末だ。自分の美貌の威力を軽く考えているのだろう。


「そのうちアホみたくトラブルから、せいぜ苦労すればいいんじゃん? 何が起こっても、俺知らないから。俺絶対手伝わねー」


 鼻で嗤って吐き捨てたほむに、ヒヨさんがいやに愉しげな顔を作る。


「流石! 現実で嫌と言うほどモテる男は違う。実感こもりまくってんな、お前」


 瞬間、ほむは隣にあったクッションをヒヨさんに投げつけた。……なにやってるんだ、危ない。

 近距離から飛んできたクッションを軽く受け止めたヒヨさんに、ほむが獣のように唸る。


「現実に戻ったら、ぜってー整形してやりますよ。もう俺あの顔嫌だ。糞みたいなスイーツ女か自己評価盛りすぎ女ばっか寄ってきやがって。マジうぜぇ!」

「お前の顔面、ピンポイント日本人好みだからねぇ。少女漫画から抜け出して来た感アリアリだし、クールな美形に強引に迫られたいの、って夢見る女の子ちゃん達には堪らんだろ。――海外出れば多少はマシだけどもな。でも、まぁ」


 ザマァッ! と笑ったヒヨさんに、またクッションが飛んで行った。


「ほむ、お前……。自分の容姿嫌なのか……。美形は社会で有利な立場だと勝手に俺は思っていたんだが……」


 確かにほむのリアルは、里香ちゃんの使用しているアバター"アレク"ばりに過剰に稀な美形だが、だからと言って整形まで考えるほど生活に支障が出ているとは……。


「俺この程度の顔でいい。平凡顔最高! 異世界万歳ッ!! もうあのクソ女共にまとわり憑かれたくねぇっ」


 何が偶然だよ。自意識過剰のストーカー共めッ! と低い声でほむが吐き捨てる。

 別にほむが使っている外装は平凡顔ではない。アバターらしく端正な顔立ちだ。実際市場ではティーやカインと共に、里香ちゃんの"アレク"程ではないが女の子達から視線を向けられていた。リアル自分の顔を見慣れすぎて、美的感覚がおかしいのだろうか。……業だな。


「そうか……。モテるのも大変なんだな……。正直俺は羨ましいと思ってたんだが、そうか……」

「モテんのはイんだよ。ちょろつく女が糞ウゼェんだよっ。何かにつけて物欲しそうにしやがって、四六時中発情してんじゃねぇよ! 何が強引に迫られたいの、だ。俺にだけ奉仕させんじゃねぇよ、少しはテメーで動け! 駄目ダメ嫌イヤうるさくないだけダッチワイフの方がマシだっつーのっ!」


 萎えんだよ糞マグロ共がッ!! とほむが吼えた。ヒヨさんがヒートアップしたほむの頭をはたく。


「阿呆が。静かにしろ、ティーとバルサが起きるだろうが」

「誰のせいすか……!」

「下半身に負けて、スイーツ括弧笑い相手にしちゃうお前のせい」


 だって俺、ヤりたいんすもんッ! と憤死してソファに倒れ込んだほむを完全に無視して、ヒヨさんは「しかしあれだ」と続ける。


「サブマスはちょと危ういねぇ」

「しばらくは……奴隷の件を引きずるのはしょうがないと思いますよ」

「好きなだけ後引いてていーんだけどね。"可哀さ余って"連れて来ちゃいそうでなー」

「いくら里香ちゃんでもそれは無いんじゃ……。可哀想だからって引き取っても、流石に面倒見切れませんよ。そもそも、何時いきなり現実に戻るか分らないわけですし」

「それをちゃんと理解してくれてると良いんだがね」

「大丈夫だと思いますが……」


 どうかねぇ。と頬に手をあててオフィーリアの仕草で可愛らしく首をかしげる。押えた頬を指先で撫でながら、ヒヨさんが何とも言えない顔をした。


「空元気も良いんだけど、色々見ないふりで終わらすクセ困っちゃうのよねー。アバターの特性理解しないで生活されると、周囲の人間により被害がでちゃうのよ」

「里香ちゃん、良いところのお嬢様ですし……、その、なんだ、こう……男性の体は刺激が強いんじゃないかと」


 ウブんなよっ。スイーツ女心底面倒臭ぇ! と愚痴ったほむの頭を再びヒヨさんが叩く。


「女の様式美なんだから黙って流しとけ。ほむ、お前そのうち刺されんぞ。まったく……若いって無謀でいーわね!」


 ぴしゃりと自分の頬を叩いて、ヒヨさんが物憂げなため息を吐いた。


「取り敢えず。血迷って身請けしてきたら、奴隷と2人で別のホームに引っ越して自活してもらおうかね」

「――それはっ、……少し冷たくないですか?」


 ヒヨさんの言い様に胸の内にこもるものを感じた。……理解は出来るが、感情で飲み込めない。


「購入してきたら、のお話よ? ろくな覚悟無しで、人なんか買われても困っちゃうでしょ。奴隷なんか大勢居んのよ。自己満足の為に犠牲にするなら、自分だけにしとかないとネー」


 眉を寄せてヒヨさんを見る俺に、また嘆息している。そして「このままだとサブマス自身に良くないと思うのよ」と溜息混じりに続けた。


「ゼロスも言ってたろ? サブマスは、リアルなサブマスを知らない人間と居た方が、立ち直り易いかもしれない、ってさ」

「それはー……、確かに言いましたが……」



 ゲーム内での里香ちゃんは、繊細な性格垣間見せながらもはっきりきっぱり発言するごく普通の女性だ。対してリアルでは、恐ろしいほど控えめかつ、お淑やかで頼りなげな性格をしている。

 オフ会で初めてあった時、ゲームとリアルとの差違に俺は驚いた。なんでも旧家の1人娘らしい里香ちゃんは、ご実家の厳しい躾を受けて自己主張は良しとされておらず、また本人も得意ではないらしい。


 里香ちゃんは"アレク"ではロールプレイをしない。――だが、それでも里香ちゃんはロールプレイヤーだ。

 本来の自分の姿とは異なるアバターや名前を使い、それをモニタの向こう側から客観的に見て過ごすことで、ゲームプレイ中だけは心の内に秘めていた感情や意見を出せるようになったのだと、そう話していた。


 "アレク"を演じることではなく、アバターを使って本来の自分を表現できること、それが彼女にとってのロールプレイなのだ。


 移転以降、里香ちゃんはリアルな"アレク"になってしまった。アバターだとはいえ、自分の肉体には違いない。本来ならモニタを挟んで客観視し、自分を表現出来ていた筈の里香ちゃんは、現実世界における旧家のお嬢様、"遠野里香"に戻ってしまっていた。

 移転してもう一月経つが、俺たちギルメンの前では相変わらずオフ会で会ったままの"遠野里香"であることが多い。けれど、リアルではあまり親しくなかったメグさん達や、外出し、人目があるところでは"アレク"を介した里香ちゃんだった。――よほど"アレク"のアバターに思い入れがあるらしく、「"アレク"のイメージを保つ為なら頑張れる」のだと、先日外出した際に俺に教えてくれた。



「確かに"アレク"として過ごせる相手と一緒に暮らせるのは、良いかもしれませんが。だからといって離れて暮すのも不安がありますよ。せめてここ数日のように、メグさんところのギルドにお使いに行って過ごすぐらいで丁度良いんじゃ……」

「まぁだから購入しちゃった時のお話ね。それに違うホームって言っても、ゲートやジャンプ使えば行き来なんて簡単だし、コールもメッセージもある。距離なんて何処に居ようとも大した問題にはならんよ。あくまで立ち直ってもらうのが目的のなんだからさ、俺たちが面倒がらずに会いに行けばいいだけの話だ」


 だろ? とヒヨさんが笑って小首をかしげる。……まぁ、納得できる話ではあるが……。


「ええまぁ、理屈はよく分かりました。里香ちゃん、確かに空元気みたいですし、このままだとまた引きこもりそうな感じはあるから、どうにかする必要があるかとは思います。しかし……、いくらなんでも奴隷の購入なんて流石にしないでしょう」

「ま、一応考えておこうや。どの道どうにかして精神的に立ち直ってもらわにゃいかんしな。可能性のひとつとして検討しておくのは悪いことじゃない」


 明日ギルマスが来た時にも話とくかね。とそう呟いてヒヨさんはワインを口に含んで飲み下す。名残惜しそうにグラスをテーブルに置いて、「美味いが、オフィーリアだとすぐ酔うな」と無念そうに息を吐いた。


「それで――メグマスとは上手くいってる? 一応ほむから大体の話は聞いてるけども、ゼロスから見て不安なとことか、気付いたこととか、今のうち話といた方がいいことあったら、何でもズバッと言ちゃって欲しいのネー」


 如何にも軽いものとして聞かれたが、正直店の事に関しては一度俺に任せた以上、経営者の俺に一任させて欲しい。……いや、店舗自体はリース代を払うもののヒヨさんが貸してくれたものだし、心配してくれるのも有難いのことだとは思っているが……。



 ヒヨさんが所有していたホームを貸して欲しい。そうメグさんから頼まれたその後、ヒヨさんに丸投げされたほむが、メグさんと色々と交渉したらしい。

 結果、メグさんはそれなりのレンタル料を払って、ヒヨさんの課金別荘へと引っ越した。


 具体的には。ヒヨさんとメグさんが現状保持しているホームの料金を2重で払うのは無理だった為、ヒヨさんがメグさんのホームのオーナー権を取得し、メグさんが店子で居る限りは代わりにホーム購入の分割料金を払うことになった。万一、何らかの支障があってメグさん達が課金別荘から撤退した場合は、メグさん達にオーナー権を返す。そう言う契約だ。

 ただしこれだけでは差額を償却しきれないので、メグさん達ギルメンを、いずれ俺が開店させる飲食店の労働力として使うことも条件に入っている。店の売り上げから給料を逆算し、割り引いていく仕組みだ。売り上げが立たないと給料も出ないので、普通ならかなり厳しい条件になる。


 ――正直、料理屋をやってみないかとヒヨさんに持ちかけられた時は驚いた。

 いや、もともと俺は料理人として生きていきたいと思っていたし、アレルギーに支障が無い範囲で現実ではずっと料理人として働いてはいた。だからその提案は忌避するようなものではなく、むしろ嬉しくも有難い話ではあった。


 異世界に転移して来たたった数日で、いや、移転した直後から自覚しているが、俺はもう2度と戦闘をしたくはない。絶対に無理だ。

 ごく普通の日本人の俺には、例えゲームのシステムがアシストしようとも、自ら危険に身を晒すことは恐ろしくて出来なかった。回復アイテムがあっても、死者復活がたとえ可能でも、あの痛みを、あの恐怖を、もう一度味わうような目に会いたくない。


 戦闘が出来ない以上、このゲーム的な異世界でやれることなど限られている。安全で限られたお使いクエストをこなし、あくまでゲームとしてこの世界をやり過ごす。それとも、別世界になっただけの"現実"で、ただ当たり前の日常を過ごすか。その2つだ。


 俺は後者を選んだ。

 そして、メグさんのギルドも大半の人間が俺と同じ選択をした。

 もともと社会人だけで構成されていた年齢層が高いギルドだ。勝手の分らない"見知った世界"で、冒険者だとか旅人だとか異邦人だとか、帰る場所も無いまま、何も分らないまま旅するよりも、地に足を付けて腰を据え、社会との基盤を固めるために働き、ただ当たり前の日常を送りたい。そう判断する人間が多くても不思議じゃない。そもそもいつまた突然現実へと帰還するか分らないのだ。


 ――リアルな冒険など、休日のアウトドア程度で充分。


 それが、俺たちの共通する価値観だった。



 価値観も、ある程度の常識も共通した、知能と知識の保障された労働力は得難い。

 その貴重な人材を、労働力を、ヒヨさんは俺に提供してくれた。

 正直、俺の希望が優先され過ぎていたので、お互いが"win-winであるべき"と言うヒヨさんの理論が崩れる。当初そう懸念した俺に、ヒヨさんは自分にも思惑があるから別に構わないのだと答えた。


 思惑――。

 いずれ俺の店が軌道に乗った時、そして有名になった俺の料理目当てに――あるいは故郷の料理を目当てにやってくるプレイヤーに対して、アンケート取りたい。もちろんアンケートを取るのも、メグさんのギルドのメンバーが担当する予定だ。

 基本事項は3つ。こちらに移転時に使用していたゲーム接続機の種類。そしてリアルの自分が住んでいた場所――国名と都市名。それから備考で、こんなデスゲームじみた世界だからと、希望があればアカウントネームやキャラクターネーム、簡素な伝言を残せるようにしても良いかもしれない。

 そんな風にヒヨさんは考えているらしい。


 確かに、悪い話ではない。寧ろ、俺的にもその話は関心が高い。

 ただヒヨさん的には、この世界に移転してきた原因を調べたいのかと言うとそうでもないらしい。すでに異世界移転現象を科学的根拠で解明できるようなSF的原因ではなく、ファンタジーだとかオカルト的な理由で移転したものとして考えているようだ。

 アンケートは、所詮アンケートだという事だ。


 ヒヨさんは他にも色々考えているらしいが、主な希望は俺が店を頑張ることで満たされるそうなので、俺はただ料理屋経営を邁進すればいい。

 そんなわけでここ最近の俺は、料理屋の開店を目指しメグさん達と日々打ち合わせをしている。



「……問題は特に何も起こってないですよ。店の方は俺も本職ですし、リアルの人柄を知っているメグさんが人員のシフト組んでくれていますから、まず問題ないかと。それに調理人経験のある人間も居ましたし――とんぬ……榊って言うまだ23歳の男で、タンク職専門にやっていた奴ですよ。戦闘はおっかなくて無理だから調理に専念したいと、そう言ってくれました」

「そりゃ良かった。メグマスんトコのギルメン社会人ばっかだしね。仕事として作業させても下手な事にはしないか。――ただ、ほむに前提条件を組まして交渉させたのは俺だからな。その件で何か問題が出てきたら俺が対処するべきだと思ってる」


 軽い雰囲気をまとったまま微笑むヒヨさんに、慌てて頷いた。


「ああ、そうか……。いや、すみません、大丈夫です。何かあったら相談しますから」

「うん、頼むわー。ゼロスの料理旨いからね。トラブル出たとしたら、他の飲食店との不和か仕入れ周りの事だとは思うけども。ほむに課金別荘のサブオーナー権限持たせてるし、都市への直接交渉が可能だから、何かあったらほむパシらせて逐一対処させてネー」


 うげぇ! またティーと遊ぶ時間が無くなるじゃん! とほむがソファに倒れ込んだまま呻いた。


「悪いな、ほむ。でもまぁ、問題をわざわざ起こす気はないから。いざという時だけ頼む。――ヒヨさんは調理とか接客とか、シフトに入れなくても構わないんですよね?」

「俺は店に出るのはちょっとね。別の問題が出そうでな……。オフィーリアは色々面倒なのよ」

「ああ、まぁ……確かに。ヤバそうな客が店に延々と居座りそうですね」


 そうなのよ。とヒヨさんが頬に手を当てて嘆息し、また頬をゆるく撫でている。


「せっかく料理巧いのに残念だ――さっきから頬をどうかしたんですか?」

「いや別に、何もなんも? ……酔ってるせいだな」


 げへっ。と、だらしない恰好のほむが、ソファに寝そべったままいきなり噴き出してニヤけた。なんとも嫌そうな顔のヒヨさんが「ほれ毛布」とインベントリから出した毛布をほむに投げつける。

 今の話の何が面白かったのか、ほむが締まりの無い笑みを浮かべて毛布を持ったままソファから起き上がり、「俺トイレ」と言って、いそいそと広間を出て行った。


「……何があったんですか? 俺が知ってると何か不味いことですかね」

「不味いなんて事はないさ。――いや、ちょっと意見の相違がねぇ……」


 渋い顔の俺に手を振ってヒヨさんが否定する。そして頬を指で撫でると、溜息を吐きながら告白してきた。


「サブマスにねぇ、"何言っちゃってんの男色趣味とかマジ無理ですしおすし!"ってな事を言ったら、ホッペッペをさも可愛らしくマジ殴りされちゃったのねー。――サブマスって腐女子なの? 意外だわぁ。地雷踏んじゃったのかしらん? 俺ってばやーねぇ」

「婦女子? とかよりも。この間ヒヨさんが自分で言った話じゃないですか、それ……。何度も聞きますけど、本当に、"あくまで女性として"、なんですよね?」


 念を押した俺に、ヒヨさんが楽しそうに頷いた。


「もちろんよ~。あと顔見知りの人間には絶対に手ぇ出さないから安心してネー。――いくら鷹揚な俺でも、嫌だし無理だし有り得ないし、ネっ!」


 ……里香ちゃんの誤解も無理はない。俺だって男色趣味なのかと勘違いしたぐらいなのだ。里香ちゃんが恐れて確認を取ったのも分る。なにせアレだ。この間の――宣言と言う名の特殊性癖暴露……。



 先日、市場を見にギルメン全員で外出したのは良かった事だと思う。久しぶりにみんなで行動し、それぞれが異世界をそれなりには堪能できた。ちょっとした海外旅行気分だ。ゲーム時代に戻ったかのようだった。――奴隷売り場に行くまでは。


 里香ちゃんは奴隷の存在にかなりショックを受けたようで、錯乱気味に小さな騒ぎを市場で起こした。一応、大事には至らなくて安堵したのだったが……。その後しばらくして、今度はヒヨさんがおかしくなった。いや、おかしいと言うか、まぁいつも何所かしらおかしげな事を言ったり、したりもするのだが、なんと言うか……物憂げに沈み込んでいた。

 ヒヨさんは特別、奴隷に対しては反応していなかったので、一体何を考え込んでいるのかと思っていたら――。



 ぱんぱかぱーん! とファンファーレを口頭で放ち、自ら手を叩いている。何事かと思って見る俺たちギルメンに、ヒヨさんは晴れ晴れとした顔で公表しだした。


「みんな聞いてちょうだい! 俺は今日この異世界で、めでたく自分と言うものの本質を見つけ、そしてはっきりと自覚致しました!」


 夕食が終わって、珍しくカインを含めたギルメン全員でお茶を飲んでいた時の出来事だった。

 ソファから立ち上がり、両手を組んでうっとりした表情のオフィーリアが――ヒヨさんが、さらに言い募る。


「俺は今この場をもって、自分の性癖を満たす飽くなき探求への道へと挑戦することを宣言致しますっ!」


 意味が解らずただぽかんと呆けた俺たちに、ヒヨさんが指折り数えて説明を続ける。


「せっかく手に入れたアバターだもの、女性として異世界を謳歌したいの俺。1人遊びはもう充分なの。いい加減飽き飽きました! まずはそうね、こんなに美しいオフィーリアなのだし、高っけー山を登頂するがごとく少女マンガ的常時臨戦可能な自動稼働で奉仕棒とっ捕まえて、くんずほぐれつヘブン! な道を追求したいと思いまっす! そんでもって次はやっぱり、乱戦クエストにチャレンジね。おファンタジーに付き物の、3P4P肉マシマシ盛り盛りマッスル祭りを堪能し尽くしたいです!」


 みんな、生まれ変わった俺に祝福をどうかよろしくね! と、高らかに宣言した。


 あっけに取られた俺たちは、――相変わらず分かりにくいヒヨさんの言葉を、それでも何とか理解した。と、同時にドン引いた。

 引いた。本気で引いた。ヒヨさんをその場に残し、俺たちは心中でどこまでも引いて行った。……ありえない。何を言ってるんだ、ヒヨさんは。言葉を理解しても、思考も嗜好も理解できない。


 いち早く我に返ったカインが、強張った顔で言い辛そうに確認する。


「……っ、つまり、ヒヨシさんは、……女性として男性と性交渉したい、と、そう――?」

「イエスッ!」


 両手でサムズアップしたヒヨさんが、一切のためらいなく断言しきった。「だって、妊娠も性病も心配ないって分ったんだもの~!」と物凄く嬉しそうな顔で、ついでにとばかりに付け足しまでした。

 唖然とする俺たちの中で、


「――性病妊娠無いの?! マジでッ?!」


 ヒヨさんの言葉に喰い付き、追いつけたのは、ほむ一人だけだった……。




「……ヒヨさん、前科ありますからね……」

「あら嫌だ。前科とかって何よソレ。俺は常に自分に正直なだけよ? 正直って素晴らしいことよ? 人生って案外単純なものだもの!」


 俺はただ深く息を吐き、遺憾に頭を振った。


「里香ちゃんにはたかれるのも自業自得ですよ……ちゃんと反省してください」

「ゼロス酷いわぁ!」

「――でもさ、妊娠性病無いのいいよね~。俺、異世界マジ最高だと思った!」


 嘆いたフリのヒヨさんに、トイレから戻ってきたほむが「生マジ最高!」と同意する。ソファに寝るティーの様子を確認してから、ほむは窓際のソファに腰を下した。……ヒヨさんがどうやっても頭を叩けない距離だ。顔を洗ってきたらしく、髪が濡れて額に張付いている。

 肯定するほむの言葉に、意を得たヒヨさんが深く頷いている。


「そうだろう、そうだろう。だからほむ、お前も遠慮なくエロスな館に通っとけ。ま、今はその辺りの魔法習得完了と検証するまでお預けだがな。もっとも、俺的にはそれが実に焦らしプレイ! でまた堪らないんだけどもね!」

「――ヒヨさん、下ネタ辞めてくださいよ。俺はあの時は一応カインを止めましたけど、内心は本気でカインに同意してましたらからね」


 ヒヨさんの告白にカインは首筋にまで鳥肌を立て、――俺も全身鳥肌だったが――無表情でヒヨさんをギルドから追放すると告げ返した。

 ギルド追放に関しては、そもそも住んでいるのがヒヨさん所有の課金別荘なので、一応は撤回された。が、今後2度とその手の話をギルメン達にはしないと堅く約束してもらった。――ティーの教育にも悪い。


「あら、ちょっとしたジョークなのに。残念、無念、仕方ないわぁ……。せいぜい自重しますか」


 さも口惜しそうにヒヨさんが溜息を吐く。本気で勘弁して欲しい。

 脱力した俺を見てヒヨさんが面白そうに笑う。そして両手を、ぽふっ、とごく軽く叩き合わせた。


「さて。本日の確認事項はこんなものかね。――ぶっちゃけたい不満があるなら、何でも言っちゃって構わないのよ? 言わなきゃ損ソンよ?」


 疲れ果てて無言で首を振る俺を確認して、「そう? それならもう寝るか」とヒヨさんがインベントリから毛布を取り出し、ソファに横になる。


「そいじゃ、ゼロスお休み。いい夢を」

「あ、はい……お休みなさい」


 俺も倣って毛布を出して被った。クションを枕代わりに頭を乗せて目を閉じる。

 今日は絶対に夢は見たくない。……銀色をした、別の悪夢を見そうだからだ……。


 そうして俺は溜息を深呼吸に変えて、静かに眠りに落ちた。


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