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異世界移転者の凡常  作者: 北澤
第3話 異世界移転者の平凡な日常
26/49

異世界礼賛 上 その3

「さて、このグリーンピースで何作んの?」


 バルトロメオ・スカッピの著書"オペラ"――。

 高窓のある石組の壁、積まれた大量の薪、広い部屋の壁際にはかまど(火床)が並ぶ。絶え間なく流れ出る水を湛えた石性の水貯め、地下へと排水される枯れた流し台、厨房のすぐ外には井戸もある。一見すると、オペラの挿絵が現実となったように時代がかった厨房の、中央に設えた広い作業台にボウル置く。――作業台は木目処理された大理石と金属のものがあり、誘導加熱(IH調理器)台も設置されていて、実は見た目ほど"中世"な作りではなかった。……残念ながらガス台だけは無かったが。


「この街は北イタリアっぽいですから、せっかくなんで土地と季節に合わせてグリーンピースのリゾットでも作ろうかと」

「リーゾ・コン・イ・ピセッリ! いいねェ、春って感じだ。――そうそう米、炒める方にして欲しいわー」

「食べ慣れてる味がいいでしょうから、炒めますか」


 頷きながら、鞘から取ったグリーンピース、イタリア語でピセッリを口に放り込む。小さな翡翠色の種子はつややかで、皮にはシワひとつない。

 舌の上で転がし、奥歯で挟む。口の中で薄皮が弾け跳んで、仄かに甘い豆の味が広がった。粒子が細かく舌触りがさらりとして滑らかだ。採りたては瑞々しく、緑の若い香りも癖が後を引かない。生のままで実に美味い。


「ああ、美味いな……」


 しみじみと味わう俺に笑い、ヒヨさんも試食した。


「生のグリーンピースは火を通すとふっくら甘くて美味いからな~。ティーも生のを調理したものなら喜んで喰うのよ」


 それは良かった。好き嫌いは良くないが、料理人としても味が落ちたと分かるものを食べさせたくはない。


「確かにオフ会の時も避けてましたね、グリーンピース」

「缶詰か冷凍か、はたまたパウチ食材モノだろ、アレ。味が全然違うのよねー」


 余程嫌だったらしいティーは、ピラフに入っていたグリーンピースを器用に箸で摘んではひとつひとつ皿の端へ寄せていた。あの程度の量ならいちいち手間暇かけて選り分けるより、混ぜたまま喰っても味なんて判別できないだろうに。

 嫌いなものを避ける忌避感を、好きなものにかける情熱と同じだけ持っているところが、実に子供らしい。


「ほむがまたそれを意地汚く食べるからなぁ。ティーの野菜嫌いが加速すんのよ」


 放っときゃいいのに。と、グリーンピースの鞘を剥きながらヒヨさんがぼやく。まるで母親のようなヒヨさんの愚痴に俺は笑った。


 食事してからオフ会に参加しに来たと言っておきながら、自分の割り当て分だけでは足りなかったほむは、ティーの避けたグリーンピースを浚って「へちょくてイマイチ」とか「ざらでモコつく」とか訳のわからない感想を漏らしつつ、しっかり完食していた。ほむにとっては味よりも量が優先されるらしい。


「確かゲームのメンテ日は、リアルでティーと遊ぶのが恒例なんでしたっけ? 家で料理とか作ってやったりしますか?」

「一緒に料理して、包丁の扱い方とか教えたりするな。いくらレトルトパウチが豊富だからって、料理くらい出来た方が人生便利だからネー」

「確かにそうですね」


 廃人御用達のレトルトパウチは、カロリーも栄養も充分に計算されていてけして不味いわけではないのだが、やはりどこか味気ない。――俺が料理人だからかもしれないが、規格的にではなく、旬の新鮮な食材を使い、食べる人間ひとりひとりの事を考えて作った料理に勝る物はないと思っている。


「リゾットの他は何を作るかな……」


 かまどの灰を掻き分けて、埋め残しておいた種火――炭を取り出す。灰を掻いてバケツに落とし、かまどには薪を組んで屑木の破片を撒いた。フイゴで風を送って炎を立てる。薪が燃えたら今度は石窯へ、そしてまた別のかまどへと、薪を組んでは火を着けた。

 5階のミニキッチンは現代風……電気ではなくガスだったが、そのミニキッチンと違って、1階にあったこの厨房は薪と炭が火元だ。料亭だった実家で、ガス以外に炭と薪を使っても料理していたからなんとか巧く扱えている。……だが、正直ガス台も欲しい。


「ティーが野菜嫌いだから、トマトで味が誤魔化されるミネストローネと、卵とパイ生地で隠して野菜と豚ばら肉のベーコン(パンチェッタ)のトルタ(タルト)でも作るか。あとは生ハムのサラダと、温野菜は焼いて甘みを出してからバーニャ・カウダ(アンチョビとニンニクのオイルディップ)で食べて……。ほむがアホ程喰うからな……魚料理も要るな。あっさり食べられるようにアチェートがベースのソースにしとこう。最後にフルーツと、デザートにもグリーンピースの焼き菓子を出す――そんな感じか」



 ヒヨさんがホームのディティールに拘りまくった結果、各地にある課金別荘の食料倉庫には、かつてはただのオブジェクトだった食料が山のように保管されていた。

 今は腐食を防ぐ為に、それぞれの課金別荘専用の倉庫――模様替えをしたいオーナーがインテリアを収納出来るように専用に設置されているもの――倉庫に入れて保存してもらっている。俺もこのホームの専用倉庫へのアクセス権限を貰ったので、自由に使用することができる。

 毎日消費される食料の確保に頭を悩ませるのは、今の俺たちには厳しい。衛生面でも、多分金銭的な部分でも、かなりの負担になる。だからこそ、食料の備蓄が大量にあるのは精神的に心強かった。


 インテリアは任意で固定してパターンをセットする事で、いつでも切り替えが出来るらしい。どれだけ部屋を荒らし汚しても、リセットすることで設定しておいた初期状態に戻る。つまり掃除をする必要がないのだ。正直助かる。

 別荘――ただしゲーム内。と言うことで、メイドや家政婦などの第三者を介入しなくても、コマンドひとつで別荘内を理想的な状態に保つことができるように、との運営の親切な配慮の結果らしい。

 ……ここでまず、フルダイブでもないゲームの別荘に何の意味があるのか、と疑問に思ってはいけない。常にユーザーの斜め上を行くのが運営と言うものだからだ……。


 とりあえず。コマンドひとつでリセットされた初期状態に戻る――のだが、ここは異世界と言う現実で、データーで構成されたゲームではない。本来課金別荘より外に持ち出せなかったはずの課金別荘オブジェクト食料は、消費すればリセットをかけても元には戻らなかった。――リソースが消去されたと判断されるのだろう。残念だ。

 いずれにせよ、あれだけ大量にある備蓄がなくなるのは当分先の話だろう。



「そこにワインとオリーブの塩漬け、それに昨日作ったソットアチェート(ピクルス)を追加していいなら、俺はもう何もなんも~」


 またか。俺はため息を吐きだした。


「ピクルスはまだ漬かりが浅いんですよ……。ヒヨさん、あまり酒の肴ばっか喰って偏食するのは辞めてくださいよ」

「一応一通り味わってるのよ? この体があんまり量を受け付けてくれないだけなのねー。俺ももうちょっと量喰いたいんですけどね、ほんとに」

「それなら酒を控えてくださいよ」

「え~。一杯ぐらいいいじゃないの」


 一杯だけ。ね、ゼロス頼むよ。一杯だけだから。と、ヒヨさんが場末の駄目親父なセリフを吐いた。俺は拝むヒヨさん無視して、棚から銅製の鍋を取り出す。


「さて、やるか」


 文字通り"腕まくりして"、胃と精神を満たす為に料理に取り掛かった。



 リゾットの作り方は簡単だ。

 まず、鞘を茹でてゆで汁を取り、昨日作っておいたブロード・ディ・ヴェルデュール――野菜のだしに加える。

 こうするとリゾットが薄緑色に仕上がって、見た目にもより美しく香りもいい。


 グアンチャーレ(豚頬肉の塩漬け)、玉ねぎ、プレッツェーモロ(イタリアンパセリ)のみじん切りと一緒にじっくりと炒め、火が通ったらそこに米を加える。最後にグリーンピースを入れて潰さないよう鍋の底をなぞる様に軽く炒める。

 米は、江戸モチーフエリアのホームからヒヨさんが回収してきた日本米ではなく、ヴィアローネ(イタリア米)もどきを洗わずに使う。


 ポイントとしては。グリーンピースはとにかく大量に入れること。パンチェッタより味が濃いグアンチャーレを使い、最初に鍋に入れて脂身を揚げる様に焼くこと。より脂身がサクサクして旨くなる。――まぁこれらは単なる俺の好みなのだが。


 だし汁と塩を加えて弱火で煮る。仕上げとして、火から下ろす直前にすりおろしたチーズと胡椒を加える。数分休ませてから皿に盛る。これでリゾットはできあがりだ。


 とろけて馴染んだチーズとグアンチャーレの凝縮された肉と脂の旨味、それらが芯を僅かに残した米を噛みしめるたび口の中に広がって、さらにグリーンピースの爽やかな甘さがくどさを押える。

 和食であっさりとしたグリーンピースの炊き込みご飯を作っても実に旨いが、これでもか! とグリーンピースを食べたいのなら、このグリーンピースのリゾットの方が俺は好きだ。豆としてより春の旬の野菜として美味さを堪能できる気がするし、グリーンピース嫌いの人間にも食べ易い。



 かき混ぜる匙の先で野菜のだしを加えたリゾットが熱を帯びる。表面がゆるやかに揺らぎながら、鍋肌にじわじわと小さなだし汁の泡が沸いて静かに煮え始めた。炒めて散り広がったグアンチャーレの焼ける匂いが、ゆっくりと米に溶けて、野菜の香りと調和しだす。


 他の料理の焼き上がりを待つ間に、使った道具をバケツの上でインベントリ収納し、疑似"洗浄"することにした。

 本当に便利で有難い。ただし銅鍋だけは酢を付けた布巾で軽く拭いた。……インベントリ洗浄したので本来なら必要ないのだが、習い性ってものだ。仕方ない。

 磨き終わった鍋を戸棚に並べる。それにしても厨房なんてゲームでは使用できない場所なのに、空気の流動性も良く考えられているな。動線ひとつ、揃えられた調理道具のディティールひとつとっても手を抜いていない。


「この厨房の設計もヒヨさんがしているんですか?」

「いやいや? 設計もデザインも、本職に頼んでやってもらった"本気のお遊び"さ。この課金別荘のコンセプトは"ヴェネチア商人の宮殿式別荘ヴィッラ"。ちょっとだけアラビア風になっていて、異国情緒が感じられるでしょ?」

「ああ、確かに」


 壁に織った絹とブレードが張ってあったり、広間の天井が組木造りだったりしたのはそのせいか。


「廊下の壁はストゥッコ(化粧漆喰)なのに、部屋は違ったので、ちょっと変わってるなと思ったのはそのせいですか」

「そうよー。まんま北イタリア設定でゴシック建築のホームもあるけど、ここは少し捻ってデザインしてもらったのねー。ついでに3階から上にある住居スペースの水回りは、俺の趣味で完全に現代風なのね。清潔さは文明の利器が最高だと思うのよ」

「そこは本当に助かってます。風呂とトイレは現代風が有り難いですよ……。厨房も5階のミニキッチンみたいにガスが欲しいところですが」


 ヒヨさんがタルテを石窯から出して、仕上げとして上火式焼きサラマンダに移す。俺は空いた石窯へ、バーニャ・カウダ用にスライスした野菜を網ごと突っ込んだ。


 ガス式らしいサラマンダが在るのに、ガス台自体が設置していないのが解せない。

 ……いや、壁に埋め込んで隠してあるサラマンダやオーブンと違って、ガス台に必須のバーナーヘッドや火力調節つまみが時代がかった厨房の見た目にそぐわないから無いのか……。


「残念。ガスコンロは5階のを使ってネ~。――おっと、トルテにいい感じの焼き色がついたな」


 サラマンダをのぞき込んだヒヨさんが、素早くトルテを取り出す。

 ――卵の黄色に食欲をそそる焦げたチーズ茶色。熱々の溶けたチーズが焦げ目に泡を立てては弾け、くつくつと音を立てて蒸気を噴き上げている。胃に直撃するチーズとパンチェッタの香ばしい匂いがたまらない。型から外したトルテから、チーズがとろりと糸をひいた。


 ヒヨさんは俺にトルテの焼き上がりを披露すると、そのままインベントリに収納する。これで夕食に出来立てのまま食べられる。便利なものだ。ただ、あてにしてしまい過ぎると現実に帰った時に困るから、その点は重々気を付けなくては。

 そう思いつつも焼けた野菜を取り出して、熱いままインベントリに入れた。


 石窯は大きすぎて恐ろしいほど大量の薪を使用する。ヒヨさんは別に構わないと言って気にはしていないが、俺は見る間に減っていく薪の備蓄に不安になり、炊事の度に石窯を使うのは躊躇った。だからこうして石窯を使用する時は、パンや焼いておけば後で使えるスライス野菜などを、石窯が冷えるまでの間中焼くことにしている。

 熱に炙られて全身から汗が大量に吹き出す。暑い。


 用意しておいたパン種やパイ、野菜などを粗方焼いて一息つく。タオルで汗を拭いて水を飲んだ。――水も美味い。美味い素材を使って料理出来るのは、本当に素晴らしい。

 生野菜をボウルに盛りつけながら、ヒヨさんが思い出したように問いかけてきた。


「で? メグマスなんて言ってきたの」

「えーとですね……」


 ヒヨさん曰く、"メグマス"ことメグさんは、総勢68人を率いるギルドのマスターだ。旧日本における関東3県――つまり東中央経済特区、そこに住む社会人ばかりがメンバーで、もとからリアル知り合いが多いらしい。近場の人間だけあって、オフ会を開催すると毎回盛大なパーティーになる。俺たちはメグさんのとこのギルメンと、よく一緒に狩りをしていたし、同じく東中央経済特区に住んでいるので、オフ会に便乗参加させて貰っているぐらいリアルでも仲が良い。……とは言え。


 ヒヨさんにどう切り出そうかと口ごもっていると、いきなり厨房の扉が開いた。


「ゼロス~。食べ物くれよ~。もう俺ダメ、腹減った。死ぬ……。もう死ねる……」


 死んだような目をしたほむが転がり込んできた。

 ふらふらと危うい足取りでほむは調理台に近付いて来て、さらに盛んに鼻をひくつかせている。


「……もうコレ、喰える匂いだよね。もういいよね。味見とかするべきだよね。いつでも味見を手伝からね、俺」


 そう嘯いてほむが何度も喉を鳴らした。


「ほむ邪魔だ……涎垂れてんぞ」


 呆れ顔のヒヨさんが、ミネストローネを煮込む鍋へとにじり寄って調理の邪魔をするほむを注意した。


「腹が減っているなら果実でも喰って待ってろ。――ほむハウスッ!」


 操られるように鍋に伸ばされたほむの手をヒヨさんが叩き落とす。


「ヒヨさん、ほむは犬じゃないですよ……」

「"待て"が出来る分、犬の方がなんぼかマシだ――ほむ!」


 ほむがサラダ用のプロシュット(生ハム)を盗み喰う。呆れる俺の隣で、サラダにバジリコを千切るヒヨさんが、空いている脚でほむの尻に膝蹴りを入れた。


「メシ、俺のメシ……もうメシ……」

「ティーを迎えに行って、庭で一緒に花を喰え。食材を盗み喰うな。意地汚い」


 余程癇に障ったのか、ヒヨさんは眉を顰め、見たこともないような顔でほむを睨んだ。

 それでもほむは必至な形相で目をぎらつかせ、別の食材に狙を定めてはヒヨさんの手元から素早掠め取っている。その度にヒヨさんがほむの足を蹴った。酷い光景だ。とりあえず俺は仕上げたリゾットとミネストローネをインベントリに隠した。それから仕方なく、焼上がっていたフォカッチャをトレイごとほむに差し出す。


「パンだ! パン、パン旨い……パン……!」

「ゼロス、あまりほむを甘やかしてくれるなよ。いくらほむが意地汚い阿呆でも、我慢しようと思えば出来るのよ? ――多分……」


 自信なさげに語尾が弱まる。黒オリーブとドライトマトのフォカッチャを貪り喰うほむの目に涙が滲んでいた。

 然しものヒヨさんも呆れ果て、ため息を吐く。


「なんで泣くのよ、お前……」

「パン旨い……だって、外で買い食い禁止って言ったじゃないすか……! マジひでぇよ……旨い。もっとパン……俺に死んでこいってことっすよね」


 2つ目のフォカッチャが、顔をとろけさせたほむの口内に見る間に消えていく。――美味そうに食べるのはいい。が、ほむのその言い様は流石に腹に据えかねる。


「あのな、ほむ。俺はお前にちゃんと弁当を渡したよな? 3人分は有ったよな? 俺はお前を飢えさせてよしとはしないぞ」

「だって旨すぎんだよ、ゼロスのメシさー。それにここ、空気が良いじゃん? したらメシもっと旨く感じんじゃん? メシ、いくらでも喰えちゃうじゃん!」

「喰ってもいいのよ? それで腹壊したお前が魔法の実験台になってくれるならな」

「そう言ってさ、真に受けてさ、喰うとさ、怒るじゃないすか……」


 眉を寄せたままのヒヨさんが嫌そうに言い放つ。


「お前のそれは"食べる"じゃない、胃に"詰める"、だ」


 フォアグラか、お前は。と、ヒヨさんが3個目に手を伸ばそうとするほむから、トレイを奪ってインベントリにしまい込む。絶望を背負って縋るほむを蹴り飛ばし、「水を飲んで膨らませとけ」と、カップを放った。

 カップを受け止めたほむが渋々と従い水を飲みだす。飲み物で少しは腹が満たされるはずだが……。

 洗い場の端に腰を下し、水を飲み干したほむが深く息を吐きだした。


「あー……腹減った……」


 駄目か。

 物欲しそうに俺の手元を見つめるほむを無視して、冷ますために放置していた焼き野菜とパンをインベントリへと非難させる。目の毒だ。俺とヒヨさんはしばらく無言で食材を片付け、料理も出来たはしからインベントリへと入れた。


「それで……そう、メグマスな。メグマスなんて言ってきたって?」

「あー……そうそう、その話なんですが、あー……」


 どこかしら投げやり感が漂って、俺は慌てて気持ちを切り替える。いかんな、話が進まない。


「午前中にコールがありまして、まぁ、基本的に様子伺いと言うか……。そのなんだ、何か情報はないかとか、無事に過せているかとか――」

「"ゼロスのところは皆無事なのね? 良かったわ。うちの方はちょっと困った事になったのよねぇ"、って水向けられたんだ?」


 ほむがメグさんの口調をそっくり真似して言った。見ていたように再現されて、俺は思わずほむの顔を凝視してしまった。


「やっぱ、ゼロスに最初に連絡入れんだね」

「まーそうだろうねぇ。俺は勿論、ギルマスも連絡は入れないわな。それで?」


 せっせとコップに水を汲んでは飲み干す。その合間のほむに、どうでもよさそうな顔で呟かれた。

 ヒヨさんと似た事をほむも言うんだな。

 しかしなぁ……。ヒヨさんは……まぁ、オフィーリアだから置いておくとしても――ゲーム時代から、オフィーリアはそのままカインに話を投げるからだ――カインじゃなくて俺に連絡したのは、単に俺の方が親しいし、年がカインより上だから――の、筈だ。その事を2人も理解できるだろうに。

 不審に思ったことが顔に出たのだろう、ヒヨさんもほむも俺を見て、2人とも同じ種類の笑みを同時に浮かべている。


「……ギルドの皆が今後に不安を持っていて大変だと、そんな感じで終わりましたけど」

「"ホームも狭くて設備も乏しいし、食べ物もねぇ、異世界って感じだし不安なのよねぇ"――みたいな」


 手振り付きでほむは声真似をして、げふうっ、と最後に盛大なげっぷを披露してきた。ヒヨさんが無言でほむを殴っている。


「マジ痛いですって!」

「……阿呆が。――いい機会だ、この異世界でお前のマナーを徹底的に叩き直してやるわ」

「普段はちゃんと気を付けてますって!」

「出来てねぇから言ってんだろうが。この阿呆が」


 背筋伸ばせ。と、ヒヨさんがほむの背中をおもいっきり叩いた。げぶっ、と、またほむがおくびを吐き出して、慌てて姿勢を正していた。


「――で? ゼロスは何をメグマスに援助したいの? 最初に言った通り、俺はこのホームに人を入れる気はないのよね~」


 改めて釘を刺された。なんとも、ため息が止まらない。


「……そんなに俺は考えが分り易いですかね? 手持ちの食材を使った料理を教えてもらえないかと言われたので……。たまにならいいかな、と」

「その"たま"、が"常に"なって、さらに"教える"じゃなくて"作る"になって、挙句、"うっかり手持ちの食材がなくなっちゃった"、までどんぐらいだろーね~」


 ほむに笑いながら揶揄された。バジリコの張付く指先を洗うヒヨさんが「それで?」と、俺に問う。


「メグマスんトコは、中規模の"ホーム"をひとつと、"ルーム"をいくつかしか持ってなかったな。――こっちの世界に何人ギルメンが移転されて来てんの?」

「約半数の32人だそうですよ。個室6室付きのホームがひとつ、ルームが9室で、寝床も全員分無いから仕方なく宿屋に泊らせているんだとか」

「大抵の日本人はキレー好きで、風呂好きで、アホみたいに水垂れ流してさ。当たり前の顔して贅沢をしてんだもんなー。この異世界の宿屋で満足しようと思ったらさ、かなりグレード高いトコじゃないと駄目なんじゃねぇの? 上下水道は一応あるけど、水道てか井戸だしさ。蛇口だけあっても、このホームみたく汲み上げ用の設備をわざわざ設置しとかないと意味ないし。それにゲームでは宿なんて必要なかったから、完全にこの世界の一般庶民向け施設でしかないしさぁ」


 俺も調べたけど、シャワ―ルームすらない宿ばっかだしさー。と、そうほむが愉しげに口元を釣り上げた。





 かつてゲームだった"Annals of Netzach Baroque"には宿の使用は必要無かった。HPもMPも回復はアイテムで行っていたからだ。


 そもそも"泊る"行為はVRMMORPGでは必要としない。泊って寝るならログアウトするのが普通だからだ。ログアウトした居場所情報は、街などのフィールド上のシンボルに付随している。ログインも死に戻りも、基本的には最後に経過したシンボルの傍に出現して復帰する。

 レアな課金ガチャのアイテムで、ログアウトした任意の場所で復帰できる"緑フラッグ"と言うものがあったが、そんなものは極一部の例外だ。


 では"ルーム"や"ホーム"が何故あるのかと言うと、"ルーム"はインテリアに拘って架空の部屋を飾りたてるような個人向けのレンタルスペースだし、"ホーム"はプレイヤーの集合場所みたいなものだ。倉庫用"ボックス"も確かに設置されているが、そんなものはどこの都市の主要施設でも据えてある。

 むしろ"ルーム"や"ホーム"の利点は、転移ゲートの無い街から街へと"跳んで"、移動時間を短縮できることだ。


 より正確に言えば。現在の実装フィールド6つにおいて、同じフィールド内のみしか跳べない"ルーム"と、複数のフィールドをまたいで跳べる"ホーム"だ。



 "ルーム"は集合住宅の一室で、個人専用スペースになる。管理人設定されたNPCに月極のレンタル代を払って、がらんどうな部屋を借り受ける。広さで上下するものの、値段もそれなりに安い。ただし、マネー不足に悩まされる中位レベルまでのプレイヤーにはかなりの負担だ。

 料金を払える時はまだ良いが、倉庫から自動で引き落されるゲーム内マネーが払えなくなった時点で部屋が消滅してしまい、倉庫から出して設置していたインテリアが全部消えてしまう。結構鬼畜な仕様だ。

 そして、"ルーム"の存在しているフィールド内なら、MP消費0で跳んで帰れる。


 対して"ホーム"は、"ホーム"の存在しているフィールド以外からも、MP消費0で戻れる。

 ホームの存在する都市自体から建物を買う設定だ。料金は分割して払えるが、分割回数に制限がある。また、指定された施設に決められた額のマネーや、評価価値の高いアイテムを一定数預ける必要もある。――もちろん分割料金が払えなかった場合は、預けた物全てを徴収され、インテリアごと建物を凍結、徴取されてしまう。さらにペナルティとして、次回以降のホーム購入にも制限がかかる。購入代も規模なりに高いので、経費として上納金を定期収集可能なギルドが主に購入している。

 一応家具が付いている物件と無い物件があるが、内装のリフォーム自体はどちらも可能だ。しかし固定された間取りを変えることは出来ない。あくまで、"建物の所有権を買う"からだ。


 最後に特殊な存在になるが、ヒヨさんが持つ"課金別荘"もある。

 "課金別荘"は基本的には"ホーム"と同じだと思っていいが、いくつか特別な仕様が付随していて、"課金別荘"に"ホーム"とは別次元の付加価値を持たせている。もちろん、"ゲーム内リアル別荘"だけあって、通常の"ホーム"より遥かに値段が高い。ありえないぐらい高い。

 「建物の所有権を都市から買う」と言う"ホーム"に対し、"課金別荘"は「そこを治める国家から土地を購入し、与えられたもの」、と設定されている。それ故に、入出国に制限のある鎖国地区ジャッポンにも自由に出入りできる、と理由付がなされたらしい。――ゲーム攻略を行わないオーナーでも、観光用に作られただろう衛星都市と、自分の別荘を行き来できる為の処置だ。

 また、課金別荘専用の倉庫が付いていて、課金別荘専用アイテムはもちろん、ゲーム内で流通する"インテリア"だと設定されたアイテムを保管しておくことが出来る。――これは、課金で倉庫拡張してもまだ足りない収集癖のあるプレイヤーにとって、最高のメリット。とはヒヨさんの談だ。



 街の景観を壊さない範囲でデザインが自由に変更できる"ゲーム内リアル別荘"はさて置き、"ルーム"と"ホーム"にゲーム上必要ない水回り――台所や風呂、トイレなど――はそのように設置されているのかと言うと――。


 少なくとも、カインがギルドマスターを務める俺たちのギルドのホームは家具付きの物で、広間が2つと、なければおかしいからと、運営がおざなりにデザインし設置したのだろう個室トイレ2つ、中規模の浴場ひとつ、それに小さな炊事場だけしかなかった。しかもゲームの時代背景に合わせた内装だ。現代的なインテリアも存在していたが、あれは課金アイテムのインテリアで、初期設備としてホームに設置されているような物ではなかった。

 俺たちは数を優先して安い"ホーム"をばかりを選んで借りていたが、高いものでも基本的なレイアウトは同じだろう。個室が付いているような大きなホームでも設備は時代物、人数が多ければ多いほど不満が出て、集団生活を送ることが辛くなる筈だ。


 せめて料理などのスキル設定があれば、プレイヤー達も水回りの設備に気を配ったのだろうが、"Annals of Netzach Baroque"にはそもそも味の概念がない。単なるVRゲームだ。フルダイブではない。料理と言うより調合で、コマンド選択でアイテムを合成してパロメーターが向上を図るだけ。その程度の存在でしかなかった。

 VRは五感に関するリアルさが法に従って厳密に制限されているのだ。


 とは言え、インテリアとしてキッチンや風呂・トイレを設置したプレイヤーはそれなりの数がいただろう。ただし水の汲み上げ設備まで付けたのは極数だろうが。

 ゲーム時代にアレを設置することで受けたメリットは、蛇口から水が流れ出て排水されるアクションだけだったからだ。さらに値段がアホほど高かった上、大型設備だったのでスペースを圧迫する。運営曰く値段が高く制限が多いのは、水を表現するための演算が複雑なせいとのことだ。本流であるフィールドの水表現にリソースが割かれるべきなので、仕方ない話だ。


「なにしろ設備が旧時代で不便なので、ヒヨさんの所有している課金別荘を借してもらえないかと。――もちろん、メグさんはレンタル代は当然払うから、一度話しをしてみて欲しいと、そう言って――」

「"でも実は金銭的にも心許ないの。今はまだ戦闘するのも怖いし、このままだとホームの維持だけでも厳しくて……。"だから可哀想な私達の為に、あり余ってるホームをタダで貸してくれていいのよ?」


 みたいなー。と、ほむが鼻で笑う。

 そのほむの言い様に流石に苦いものを感じて、俺は眉を寄せた。


「ほむ、お前――」

「あんまりぶっちゃけ過ぎるなよ。ただでさえ性格キッツイんだから、お前」


 思わずヒヨさんの顔を見た。

 自分を棚に上げないでくださいよ。と、ボヤくほむの横で、ヒヨさんが困ったように微笑んで首をかしげた。


「本職のゼロスが居れば食の心配をしなくていいってのは俺たちも同じだがね。32人分の料理を買うより、材料費の方が遥かに安全で安上がりだろうな。設備の話も、それこそ高級宿屋を丸ごと借り上げれば使用人も居て便利だし、知らん人間を避けたくて課金別荘が欲しいなら、この世界で購入――出来るかどうかしらんが、でかいホームを借りればいいわけだ。――残念ながらほむの言った通り、金銭的に節約したいのが事のメインだろうな」


 俺はやるせなく吐き出す。


「……お互いが出来る範囲で助け合う。それは、悪いこと、ですか? 俺はそれを悪いとは思わない」

「俺も、良いことだとは思ってるよ」


 ヒヨさんが囁くように言って笑った。


「だったら――」

「ちなみにゼロス。これギルマスに最初っからメグマスが連絡してたら、条件どう設定したと思うよ」


 言いかけた口を閉じて考える。……カインか。


 カインの中の人――篠甫しのりくんは、ギルマスとしてとても有能だ。ギルド内の人間関係を荒立てることなく調整し、ギルドの指針を決めてゲームの攻略を進めていた。また、メグさんたち他のギルドとの交渉も連携も上手く取っている。だが、まだ22歳だ。

 いや、年齢が悪いわけじゃない。ただ、若いからだろうか、あるいはMMORPGゲームとしての特性だろうか、まずカインが優先するのが"自分の利益"だった。


 もちろん、この"自分の利益"の中にはギルド全体の利も含まれる。だから俺たちにとっては悪いことなど何も無い。ギルマスとしてギルド内で多少優遇された立場になるのは当然のことだし、トラブルになるような自己中心さはなかった。

 ――でもそれは、あくまで"ギルド内"での話だ。

 交渉で譲ってみせたとは聞えがいいが、必要無いものは躊躇なく切り捨て、利用できるものはとことん行使するカインのそれは、少々あざとい面が多かった。


「……俺が調理を手伝う件は一切無しでしょうね。それにヒヨさんから課金別荘を貸し出す許可を貰っても、相場の6割程度にしかしないかと。それから多分……マネーの代わりにいくつかレアアイテムを徴収して、メグさんのギルドに対して従属を求めるかもしれないな……」

「そうねー。ギルマスは割って切って捨てるタイプだからネー。当然そう判断するねぇ。……そうギルマスが判断すると分っているのに、それでもゼロスは相手だけをおもんばかるのね」


 俺はただ疲れて、大きく息を吐いた。


「……だからメグさんが俺に真っ先に連絡してきたと、そう言いたいわけですね」


 顔が、体が、全身が強張るのが分った。固まる腕を力ずくで動かし、ぎこちなく手を握る。

 そんな俺を眺めながら、ヒヨさんはただ微笑んでいる。


「仲良しこよしで連携できる状態なら、ま、それも悪か無いんだけどね。大人数で居るメリットが極薄なのよねー。――いや、もちろん、気心知れた同郷人と手に手を取ることは悪いことじゃないけどもね」


 自覚できるほど歪んだ俺の顔を見て、ヒヨさんが同意をひとつ付け加え、「でもね」と続ける。


「親切を当然と思われて利用されるのも、そしてその親切は譲歩なのだからと相手を利用しようとすることも、どちらも避けるべきだ。末永くお付き合いしたいならなおさら、お互いがwin-winの関係だと最初から明確にしとかなくちゃネー」


 でないと後が続かないからなぁ。と、ヒヨさんが呟く。


「――さて、そろそろ夕食の時間か。ゼロス。調理手伝いの件は、もう2,3日保留にしておいてくんない? この話は俺からギルマスに連絡しておくよ」

「……わかりました。そもそも課金別荘はヒヨさんの物なんですから、お任せします」

「ありがとうゼロス。余計な口を挟んで悪かったな」

「いや、それは――」


 軽く頭を下げるヒヨさんに、どうしようもない苦みを感じた。同時に、そんな自分に酷く躊躇う。


「……俺がまともに手伝えるのは料理しかありませんから。おさんどんだけやってりゃそれでいいだろうって、浅い考えしてただけですよ……」


 吐き捨てる勢いで暴露する。自嘲し出した俺をほむが不思議そうな顔で見た。


「俺、料理作ってくれる人間、マジ尊敬してるけど? 食えなきゃ死ぬじゃん。俺生きてんの、ゼロスが料理してくれるお陰だし。ってか、そもそもこんな状況で自分の役割を全うできる人間ってそう居ないじゃん。ゼロス料理人を全うしてるじゃん」


 ヒヨさんも真面目な顔で頷く。


「環境が急に変わったんだ、精神的に揺らぐのは当然のことよ? 俺だって不安で軸がぶれぶれしてんのよ。ただ、ゼロスには調理ばかりさせて負担かけているからな。――旨い食事をありがとう、ゼロス。手伝いは必ずするから、これからもよろしく頼む。……本当にすまない」


 ほむにはフォロー、ヒヨさんにはまた謝られて俺はため息をこぼした。


「ああ、いや――。……すみません」


 深呼吸して、息を強く吐き出す。


「やっぱりちょっと異世界来たことでおかしくなってるんでしょうね。色々と……もう少し落ち着いて考えます」

「そうだね。もうちょっとだけゆっくり休もうや」


 柔らかい声が耳を打ち、ヒヨさんが俺の肩を叩く。俺は小さく頷き返し、もうひとつ息をついた。


 ゆっくりと厨房を見渡す。


 厨房の隅まで目で辿る。慣れない調理場だが、それでもさっきまでここで調理していた。明日の朝も、昼も、その先も、恐らく現実に帰還できるまで料理を作って生きていく。――ギルメンの為にも、なにより自分の為にも。


 息を吐く。広がった苦味が体から少しずつ抜けていく。

 作った料理と必要な食器を全てインベントリに入れてあることを確認して、俺はまた頷いた。


「……そうですね。夕食に、しましょうか……」

「ああ」


 微笑みながら、ヒヨさんが自分の額を綺麗に揃えた指でつついた。


「コールでティー達も呼んだし、先に食堂で待ってようかね」

「ええ。そうしましょうか」

「――っしゃあッ! めしメシ飯ィっ!! 旨いメシぃッ!!」


 夕食、と聞いてほむが拳を振り掲げ、雄叫びを上げてガッツポーズをとる。……口の端から涎が垂れそうだ。ヒヨさんがすかざすほむの尻に膝蹴りをくれた。


「涎を垂らすな、涎をっ。――夕食後にギルマスに連絡入れて了承させるから、ほむ、お前にメグマスとの交渉任すわ。タイになるように条件組んどけよ」

「アイサー!」


 口元を袖で拭い、意気揚々と食堂に向かうほむを見ながら、ヒヨさんは頭を振って溜め息を吐いた。


「どうよ……あの意地汚さ。どうにかならんもんかね、あれ……」


 呆れたような口調に、俺はただ曖昧に笑った。


 意地汚くても、そうでなくても――。なんにせよ、喜んで食べてもらえるのは料理人の俺にとって、何よりも嬉しいことだった。


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